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ジャン=リュック・ゴダール/遺言 奇妙な戦争

 本日観に行った映画は、またすごかった。というか正しくは「予告編」を観に行ったのです。
 さらに言うなら、予告編でもなく「遺言」を観たのだ。他者の遺言を真正面から受け止める体験が人生で何度あろうか。そもそも、一般的な人間は遺言を芸術作品の形でこの世に残しはしない。非常に奇妙なものを観ている。

 今回、上映されたのは『ジャン=リュック・ゴダール/遺言 奇妙な戦争』。ゴダールの遺言であり、新作映画の予告である。要するに、ゴダールはこの映画の完成前に亡くなった。91歳にて安楽死を選択したのです。誰よりも芸術に生きた映画監督が自死の寸前に何を思ったか。それは誰にもわからないが、代わりにゴダールは遺作を残してくれた。
 僕らは、そんな遺作からイマジネーションのカケラを拾っていくしかない。今作『遺言』は、作りかけの映画の予告編でありながら20分の尺があり、未完成のセリフ、写真、カットが粛々と流れていく。僕らは、その映画の破片たちを繋ぎ合わせ、巨匠の生涯が極限に達した状態を垣間見たつもりになる。正解なんてどこにもない。この作品は予告編でしかなく、次々と切り替わる映像はアイデアの一部分だ。『奇妙な戦争』が、一体どんな内容であるかは断片からの想像しか許されていない。
 そもそも、もし今作が完成品として上映していたとして、晩年のゴダールの極まった感性を理解できる人間の方が恐ろしい。それでも、断片的だからこそ、なおさら剥き出しのゴダールを浴びることができる。非常に貴重な20分間。ゆっくりと切り替わっていく筆跡や写真の端々から、監督の拘り、魂が浮き出ており、未完成であるからこそ僕らはゴダールの最高傑作を脳内で補完し作り上げてしまう。作品としての完成は断念すれども、予告編だけを編集して映像とし、それを遺言として残していくのだから、彼は死ぬ直前まで映画監督であり表現者だった。亡くなる寸前にも手を加えていたのだから、もはや映像の在り方そのものからアートなのです。


 朝日新聞は本作について「知の迷宮」と見出しをつけた。ゴダールの感受性・芸術性・そして映画への愛情と知識へと迷い込むわけです。
 羨ましい。
 死ぬまで芸術を探求することができて、そのうえで遺した作品を手掛かりに、多くの人間たちが彼が最後に何を考え、何を美しいと捉えたのかを紐解くのに全力を懸けるのだ。こんな素晴らしい生涯があるか。安楽死の選択により、死ぬタイミングをコントロールできたことも含め、映画監督として最高の遺作であり遺言ではないでしょうか。
 死後の世界では完成された『奇妙な戦争』が上映され、シネフィルの霊魂たちがその難解な演出意図にあーだこーだ一喜一憂しているのだ。まったく羨ましい。

 

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