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ゴダールが描く不思議の国のアリス 『ウイークエンド』

 近々、名画座でコダールの映画を観に行く予定があるので、好きなゴダール作品の話をしていきましょう。今回はゴダールの中でも特にワンダーな一本、『ウイークエンド』です。


 週末に車で出かけるブルジョワジーの夫婦。目的は二人で妻の親を殺して財産を頂くこと。なんてバイオレンスな二人なんだと驚くものの、この映画はそんなことすら些細なことに思える。
 ゴダールといえば、まず入門用に『気狂いピエロ』が挙げられるが、それは気狂いピエロのストーリーが(ゴダール作品内では)理解しやすく、そのうえで色調や詩情による美しさが最大公約数として一般受けするからに他ならない。対して『ウイークエンド』は、あまりに芸術性と思想が強すぎて、間違っても一般受けするものではない。なんなら出だしは7.8分くらい女性が延々と情事について語るシーンから始まる。その間、画面はわずかに引いたりするのみで半裸の女性から一切変化がない。この時点でかなりの人が振るい落とされる。金ローで放送されたら、過半数がここでチャンネルを変えることでしょう。ゴダールの大ファンである押井守は「いい映画ほど眠くなるシーンが存在する」と語っている。ゴダールの映画はよく眠くなると言われているが、ウイークエンドは、最も眠たくなる(変化に乏しい)シーンが最初に入る。このようなことはゴダール作品には多々あるので、合わない人間には完全に合わない。
 裏を返せば、それだけ唯一無二の拘りと演出があり、その輝きは現代でも色褪せることなく人々を魅了する。この渋滞シーンなんかは、映画史のトップと呼んでいいほど凄まじい。

 夫婦が車で出かけた瞬間に巻き込まれた渋滞。進めど進めど車ばかりで、ひっきりなしにクラクションが響く。なんと、この渋滞をゆっくり進むだけでも8分かかる。が、このシーンは何度も繰り返し再生したくなるほどに素晴らしい。カメラが途切れることなく右へ8分移動し、その度に道路では新たなトラブルが展開されている。「車社会への風刺」が込められているのはわかるものの、それを何百メートルも道路を占領して表現する思い切った演出はゴダールならでは。鳴り止まぬクラクションに気が狂いそうになるが、そのぶん渋滞へのフラストレーションは登場人物とシンクロし、無事に道を抜けて快適に走り出す瞬間の爽快感と渋滞の先に散らばっている死体のショッキングな画が混ざり合い、序盤時点ですでに狂気の世界へ一気に意識を持っていかれる。
 渋滞を抜けどもトラブルだらけ。道ゆく車はどれも横転しており、中では人が死んでいる。主人公たちは、そんなことを気にせず衣服を剥ぎ取るし、自身の車が炎上した際に、妻は夫や車体を心配する前にエルメスのバッグが燃えていることでパニックになる。すれ違う人々にまともな人間は一人も存在せず、全員が全員、各々の政治的思想を長々と語り出す。途中、アリスをモチーフにしたような少女も登場し、どんどん現実と夢との境界線が曖昧になる。主人公たちすら、目の前の光景が「現実」か「映画」なのかで揺れ始める。要するに、これはゴダール流の『不思議な国のアリス』なのだ。数秒先には何が起こっているかわからない。
 ゴダールが演出する不思議な国には、政治思想と暗喩で溢れ、ブルジョワジーへの批判が姿を変えて何度も行われる。時には神の実在を問い始める。終盤にはカニバリズムも含まれ、あまりに突拍子のない展開はシュールな笑いを誘うが、それこそ本作のテーマそのものであり、度を越えた理不尽は笑いにも繋がってしまう。しかし、目の前では車が燃え、人が解体され、差別と争いが繰り広げられていく。それらは遠目で観る視聴者にとっては「シュールな笑い」でしかなく、「夢」や「映画」でしかない。が、これらは場面場面で切り取れば60年代のリアルで起きた現実の繋ぎ合わせとも取れる。
 次に何が起こるか予想もつかない狂気とシュール、悪魔のような展開のトリップ感。何度観ても発見があるとはいえ、先が読めずに手に汗握る視聴体験は一度きり。北野武でいえば『3-4x10月』。映画規模で行われる残虐で美しい夢の世界は、他媒体では味わえない芸術性の極致でしょう。みなさんも、良きウイークエンド(終末)をお過ごしください。

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