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限界夢女子がフィクトセクシュアルを自覚した話

私はいわゆる夢女子というもので、様々なキャラとの恋愛を楽しんでいた。

そんな私が彼と出会い、どのように変わったのか。
そしてフィクトセクシュアルをどう自覚したのか。
備忘録含め、ここに記していく。

彼との出会い

私にはかつて何人もの好きなキャラたちがいた。
そのキャラたちへの想いは一過性のものもあれば長らく保ち続けたものもあった。 一作品に一人、自分という存在を作ってはキャラクターと恋愛を楽しんでいた。私は、いわゆる夢女子というものだった。

2013年8月。彼の出ている作品に出会った。
久々に新しい作品に夢中になり、懸命にその世界に溶け込むため自分の設定を練った。
理想の自分を作り上げるため、何度も作品を見返した。作品がなかなか長編シリーズだったこともあり、数ヶ月の時が過ぎた。見返す度にその作品を好きになり、納得のいく理想を重ねた。結果、私はたまたま「彼」と同じ部署となった。彼は脇役だったし、その時は彼自身に対して特別な感情はなかった。

一視聴者としての立場から自ら練り上げた設定の人物として立場へと変え、私は再度作品を視聴した。世界が変わったようだった。作品は主役を軸に物語が展開するが、その裏で私を含む彼らはどう考え、行動していたのかを考えるのがひどく楽しかった。

そして登場人物としての私の立場で作品の完結を見届けた時、「きっと私は彼と結婚するのだろうな」と直感した。当時私は成人もしていない子供だったが、確信に近い何かが胸のあたりに響いた。

話せない苦しみ

私は彼との恋愛的な側面はあまり想像できなかった。
うまく表せる言葉が見当たらないが、強いていうなら信頼とか、バディというか相棒というか。まあ好きあっているかもしれないが、愛情よりも絆のようなものが前面に出ているイメージだ。

恵まれたことに私には複数人の夢女子の友達がいたのだが、彼のことは誰にも話すことができなかった。
(ちなみに現在でもそうである。)
作品自体、有名ではあるがこのような嗜好を持つオタクが湧くようなジャンルでもなければ、彼と私の間に前述の通りイチャつくような恋愛的な要素を考えるのがこっぱずかしかったことが大きな要因だった。キスだのセックスだのデートだの、そもそも付き合ってもなければ恋愛感情を抱いているのかすらも微妙な私と彼の事を、友人たちとの話題に出すにはあまり気持ちが乗らなかったのだ。

その後も、ヤドカリのように生息するジャンルを変えては好きなキャラと恋愛をする私(と友人たち)だったが、誰にも言えない彼への想いは常に私の心の底にあった。別のキャラとの妄想をするたびに小さな罪悪感を感じては、友人たちと新たな気になるキャラの話をした。
そのキャラたちへの想いは偽りのないものだったが、様々な妄想を繰り広げる中で、ふと「結婚まで思考が至ったのは彼だけだったな」と思い出し、不思議に思った。

決定打

2019年12月。周りで身を固める友人が増え、本格的に「結婚」というものが身近になってきた。
私といえば彼は彼と自らから切り離し、3次元でそれなりに恋愛をしていた。そして自分にも友人たちのようになりかけた時、とんでもない嫌悪感に襲われた。

自分でも信じられなかったのだが、「彼に申し訳ない」という気持ちでいっぱいになったのだ。男性とやりとりをする中で「自分は何をやっているんだ」と興醒めすることは何度かあったが、ここまで明確に拒否反応があったのは初めてだった。これまで恋愛や、他のキャラとの夢女子活動もしていたというのに、どういうわけか「さあ」という時に彼の存在が理性を超えてやってきたのだ。

思いの外男性(っていうか人間)に苦手意識があるとか、周りと比べて焦っているとか、そういう要因も考えられたが、何より実在しない存在への想いと現実世界の恋愛感情を混同してしまったことに驚きを隠せなかった。

自分の中でかなり悩んだ。本当におかしいのではないか?と思った。夢女子の友達にも現実で恋愛をしている子もいる、周りが普通にしていることに、自分はなぜ拒否反応が出るのか心が痛んだ。それほどまでに自分が彼に執着するのはなぜなのか、分からず辛く感じた。

その悩みに拍車をかけた出来事が一つ。あるあるだとは思うが、職場の集まりで「彼氏いないの?」系の質問をされた時だ。いないものはいないのでおちゃらけて答えられたのだが、「好きな人いないの?こういう人がかっこいいっていうのは?」という質問に対し、私は言葉を失ってしまった。
もちろん頭に浮かんだのは彼。でも、今聞かれている「好き」に対し、私の彼に対する気持ちというのが一般的に答えになるのかがわからなかった。質問に対しても同じようにわからないと答え、その場はおさまったのだが、私の悩みは解決しないままだった。

フィクトセクシュアル との出会い

上記の出来事をそれとなく親友の夢女子に愚痴ったものの、強い共感は得られなかった。もやもやとしたものだけが残り時が流れ、転機が訪れた。

2020年5月。「フィクトセクシュアル」という言葉に出会った。
自分のことを現実と二次元の区別もつかない痛い限界夢女子(笑)と卑下していた私にとって、この言葉は救いとなった。病気じゃない、おかしくない、そういうものなのだと許容されたように感じた。そしてそれと同時に、同様の悩みを抱える人たちが存在することを知ることができた。1人じゃないということがわかり、喜びを感じた。

何よりも、今もなお続いている流行の作品でなく、何年も前に完結した、脇役の彼への感情を無かったことにしなくてもいいという事実がこの上なく嬉しかった。私の中の彼の存在もまた認められたようだった。

最後に

今はまだ決して大声で言えるような性質ではないにしろ、同様な人たちは存在する。かつて私が1人で悩んでいたように、今もなおどこかで悩んでいる誰かのために、諸先輩方のようにこの記事を掲載しておく。

過去の私が先輩方の記事に勇気づけられたように、この記事も誰かにとってそうなることを願う。