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イーロン・マスクの伝記を読んだら、なぜイーロン・マスクがTwitterを買収したのか分かった



今週読んだ『イーロン・マスク』がとても面白かった。


9月に世界同時発売されたイーロン・マスクの伝記。スティーブ・ジョブズの伝記を書いた人が書いた作品で、ジョブズの時も割と面白かったので今回も買ったのだった。あと東畑先生の感想を読んで気になっており、ちょっと立ち読みして面白かったから。


読んでみて私が連想したのは、同時並行で読んでいた『疲労社会』『なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか』だった。

『疲労社会』と『なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか』は同じことを言っている。現代の病は20世紀型の病ーーフロイトもフーコーもマルクスも言っていたような、誰かから支配されて自由を奪われることーーとは異なる。現代つまり21世紀型の病とは、自分が自分で過剰に搾取してしまうことにある、という。それは他人=外部から強制されることによる搾取ではなく、自分が自分から「もっとやれる」「もっと強くなりたい」「もっと能力を発揮したい」と欲望することによって自分を搾取してしまうのだ。その結果、私たちはバーンアウトして、鬱病になってしまう。

眠らずに働き、自分の限界を超えようと頑張ってしまう。日本だとこれは「会社がそのような働き方を求めるからだ」「働き方改革をせよ」という結論になりがちだが(そして私はまずはそこからだろうと思っている)、欧米だともう一歩先を行っていて、「いやたとえ会社が強制しなくても、自分が自分で、過剰な成長を求めて、過剰な働き方を求めてしまうのだ」と指摘している。

成長というとぴんとこないかもしれないが、もっと認められたい、もっとやりがいのある仕事をしたい、もっと自分に失望しない自分になりたい、という願望なら日本にもあると思う。そして副業やSNSが広まる社会は、

これから日本でも、欧米型の「自分で自分を搾取する」構造が広がるだろう。

それはたぶん、社会や会社の働き方改革の、その先にある光景なのだ。

とはいえこれは個人の考え方の問題にとどまるものではない。このような思想が広まる背景には、現代の社会が存在している。現代は「もっと頑張らなきゃ」という欲望を煽ることでいろんな会社が儲かるようになっているし、政府も自分たちが税金で社会福祉を担保しなくても個人が頑張ってくれるんだったらそれがいちばんお金使わなくていいから楽だし(こうして庶民は個人で老後のための貯金をしておくことを煽られる……)、実際に社会福祉をアテにしていたら少子化でやばいことになりそうという空気は蔓延しているし、社会が「個人個人で頑張るしかない」モードは今後も続くだろう。その結果、誰かが鬱病になろうが、バーンアウトからのドロップアウトをしようが、それは個人の問題だとされる風潮は続く。

……ということを『疲労社会』は指摘していて、そうだよなあと頷きながら勉強になることがたくさんあったのだが。『イーロン・マスク』の伝記の何が面白いって、もうその「頑張りすぎた人間の末路」がこれでもかと描かれているところにある。

イーロン・マスクは常に努力を重ねている。それは何かの目的をもった努力というよりも、はっきりいって、自分を駆り立てるものに対して全力を注ぐこと自体の中毒になっている。そう、目的のための「頑張り」ではなく、「頑張り」自体が目的になっているのだ。

伝記でも繰り返し描かれているように、イーロンは目標達成のための痛みを感じていないと、落ち着かないようなのだ。それは伝記の作者が「少年のよう」と描いているが、ぶっちゃけ私には「ガキ大将って誰かを傷つけることを目的にして誰かをいじめるんじゃなくて、誰かをいじめていることで出るアドレナリンの中毒なんだよなー……テストステロンを燃やさないと気が済まないみたいな……」というように感じた。いじめの目的は、悪い誰かを倒すことではない。いじめの目的は、いじめている行為そのものにあるのと同じだ。

イーロンは誰に強制されるでもなく、自分で自分を搾取……どころか痛めつける。そして成果を上げ続ける。そのプロセスの中毒になっていく。

作中、ビル・ゲイツと決裂する場面があり、そのなかでイーロンの「世界規模の戦争が起こった時、人類が逃げられる場所をつくるために火星にアクセスする」というビジョンをビル・ゲイツが「あんなのまじ意味わからない」と言う。しかし伝記を読んだ者ならわかる、イーロンは戦争が起こってほしいし、戦争が起こって自分のビジネスチャンス=仕事をできる余地が増えることが嬉しいのである。テトリスのクリアゲームが楽しいのと同じで、自分にとってのテストステロンを燃やせる余地があることが、嬉しいのだ。

しかしここでさらに面白いのが、「ではなぜイーロンはテトリスをやってるだけではだめなのか?」という問いだ。いや実際にイーロンがテトリスをやってるかどうかは知らないが、まあ、比喩である。ビジネスというゲームのなかで勝つのが楽しいのなら、ゲームをやってればいいじゃないか、という指摘もあるだろう。だがイーロンはゲームでは満足できない。

なぜか。ビジネスは承認が伴うけれど、ゲームは承認されないからだ。

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