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「役に立たない」ことへの挑戦―『ハチミツとクローバー』というタイトルの意味

『ハチミツとクローバー』が!!! 4/14まで無料公開中です!!!!!!!!!!!!!!!! まだ間に合う!!!!!!!!!!!!! 

しかし私は『ハチミツとクローバー』ほど、読まれているようで読まれていない漫画もない、と思っている。具体的に言うとけっこう『ハチクロ』って少女漫画の文法が使われてるし視点も時系列も変わるので、案外読み取られていない面も多いのだ。見た目はふわふわ可愛い少女漫画なんだけど(そしてそれを楽しめるだけでもじゅうぶん楽しいのだけど)、案外仕掛けてある比喩は、分かる人には分かるが、分からない人には分からないものである……と私は感じている。というわけで今回は、祝・無料公開、『ハチミツとクローバー』解説です!! ちなみに言うに及ばず私はこの漫画が大好きです……ここまでの語り口でバレバレでしょうが。

※ネタバレしてます!!!! 未読の方はご注意を!!!!!


1.「何のイミもない」片思い

そもそもこの漫画のタイトルはなぜ『ハチミツとクローバー』なのだろう。

「全員片思い」というキャッチコピーで語られることも多いこの漫画の主人公たちは、美大に通う五人。安い寮に住んでいる竹本は、同じ寮に住んでいる森田や真山といっしょに大学生活を過ごしていた。ある日竹本が一目惚れしたはぐみは、なんと天才だと評される芸術家だった。真山にずっと片思いしている山田も含め、竹本・森田・真山・はぐ・山田の五人の美大生の日常が展開されてゆく。

作中で登場人物が就職したり起業したりといった変化もあるのだが、基本的には「竹本くんが美大を卒業し就職するまで」を描いた作品である。竹本は美大に通う手先の器用な大学生なのだが、はぐや森田といった才能の塊のような人物と比較して、自分にはやりたいことが見つからないし就職先も見つからない、と悩む。おまけに片思いしているはぐは、どうやら森田と思いが通じ合っている。

「才能がない」「恋人がいない」「やりたいことがない」この三つで悩める青年・竹本くんは、いつの時代もどこにでもいる青少年だ。しかし悩めるのは竹本くんだけではない。たとえば彼の先輩である真山は、アルバイト先の経営者である理花のことをずっと想い続けているのだが、なかなかその片思いは成就しない。しかしそんな真山のことを、山田はずっと片思いし続けている。真山は山田の想いをずっと知っているのだが、それでも山田は片思いをやめられないのだった。真山のために可愛い浴衣を選び、わざと彼が通りそうな場所を通り、それなのに真山は山田の方を見ない。

まあ、つまりは不毛な片思いなのである。竹本も、真山も、山田も。

10年でも20年でも ずっと好きで いつづけて
どんなに好きか思い知らせたかった
――そんなコトになんのイミもないのも解ってた

『ハチミツとクローバー』羽海野チカ、集英社

そう、本当に、何の意味もないのだ。不毛な片思いなんて。

彼らは恋をする。しかしその恋はたいてい、実らない。「そんなコトになんのイミもない」よって、他人から見たら言われそうな恋だ。現代だったら余計、そんな不毛な片思いはやめて、他の人をさっさと好きになればいいよ、って言われそうな恋だ。

何の意味もない――つまり、何の役にも立たない片思い。それは『ハチミツとクローバー』をかたどる一つの旋律になっている。


2.シソと観覧車と自転車と

この作品には、この「役に立たない」というモチーフが反芻されている。

たとえば山田が、実家で栽培している家庭菜園のシソを見る場面がある。「いらない枝は、他の枝を伸ばすためにも、早い段階でちぎっておかなくてはいけない」と母に言われるのだが、山田はなんだかその枝がどうしてもちぎれなくてそのままにしてしまう。だが数日たって見ると、折れたシソが自分の重さに耐えかねて土の上でのたうっていたのだ。

母さんの言う通りだった
これは折れたところでちぎるしかなかった
そこでちゃんと区切りをつけて
新しく枝を伸ばすよりほかになかったのだ
それでもまだ私は迷ってしまうのだ
どうしようもなく

『ハチミツとクローバー』(羽海野チカ、集英社)

役に立たない枝。言うまでもなく、それは山田たちの片思いそのものの比喩である。有用性のないものは、早めにちぎっておかなくてはいけない。切り捨てなくてはいけない。しかしそれでも『ハチミツとクローバー』という漫画は、その有用性のなさに、抵抗しようとしてしまう。不毛だと分かっていても片思いをやめられないように、役に立たないのだと分かっていても枝をちぎれないように。

同様のモチーフに、「誰にも見られていない観覧車」というものがある。竹本たち五人はある日、観覧車に乗ろうとする。だがその観覧車はどう考えてもアクセスの悪い場所にある。彼らはその観覧車に乗ろうとして歩くのだが、「本当に動いているのかな?」と心配になりながら向かう。そして辿り着いてみると、やはり観覧車には人がいない。しかし人がいないながらも観覧車は動き続けている。

誰も乗らないのに、それでもまわり続けている、観覧車。――言うまでもなく、美しすぎる「役に立たない」の比喩のひとつである。

人が乗っていない状態でまわっている観覧車なんて、どう考えても役に立たない。誰の役にも立っていない。だけどそれでも、観覧車は、まわり続けている。

たとえば、結局見つからなかった四つ葉のクローバーをみんなで探す時間。あるいは、世間で自分探しと揶揄されるような将来を迷う時間。あるいは、もっと早く行ける手段はあるのに、わざわざ自転車のみで向かう北海道への旅路。あるいは、結局果たせなかった、みんなで海へ行く約束。

それらすべて、この漫画が描く「役に立たない」もののモチーフなのだ。


3.羽海野チカの描く”有用性への抵抗”

では、まわり続けている観覧車には、本当に――なんのイミもない、のだろうか?

きっと「何の意味もないでしょ、電気代の無駄だし、人がいない時間には止めたほういいんじゃない?」ってこの世の多くの人は言う。

だけど羽海野チカは、まわり続ける観覧車こそを、肯定する。

『ハチミツとクローバー』のラストシーン、いろいろあった竹本は新幹線に乗って就職先に向かうことになる。すると新幹線のホームにやって来たのは、自分がずっと片思いをしていた相手――はぐだった。「お見送りに来てくれたんだ」と驚く竹本に、はぐはお弁当を渡す。ふたりは別れ、新幹線に乗った竹本がお弁当を開けると、大きなサンドイッチがたくさん詰まっていた。

そのパンは、全て、「ハチミツと、四つ葉のクローバー」が挟んであるサンドイッチだったのだ。

竹本は驚く。サンドイッチをめくるたび四つ葉のクローバーが、何枚も、何枚も出てくる。四つ葉のクローバーなんて、みんなで探しても、見つからなかった。それを、はぐちゃんが一人で、こんなにたくさんのサンドイッチを作れる量を探したのか? 四つ葉のクローバーを、こんなにたくさん見つけてくれたのか? 

四つ葉のクローバーは、いうまでもなく「見つけたら幸せになる」ものだ。

竹本は泣きながらサンドイッチをほおばり、悟る。――ああ、自分の片思いは何も意味なんてないと思っていたけれど、意味はここにあったのか、と。つまり片思いは実らなかったけれど、それでもはぐちゃんが「竹本くんが幸せになれますように」と願ったその四つ葉のクローバーの量こそが、自分が片思いをした意味だったのだと。

『ハチミツとクローバー』10巻(羽海野チカ、集英社)より引用

両想いにならなかった片思いにも、意味がある。――それだけを伝えたくて、全10巻かけて、羽海野チカは物語を紡いできたのだ。

はぐちゃん ――オレは 君を好きになってよかった…

『ハチミツとクローバー』羽海野チカ、集英社

ラストシーン、観覧車の絵でこの漫画は終わる。それはまさに、人がいなくても動き続ける観覧車だ。人が乗っていなくてもまわり続ける観覧車に、意味は、ある。それだけを言いたい漫画だったのだ、『ハチミツとクローバー』という漫画は。だからこのタイトルなのだ。

そして言ってしまえば、彼ら美大生が従事する「芸術」もまた、世の中では「役に立たない」とみなされがちな分野だ。それ、何の意味があるの? と言われてしまう時もあるだろう。

だが彼らの芸術を、羽海野チカは肯定する。「役に立たない」なんてことは
ない。意味は、ここにある。

有用性への抵抗。

それこそが羽海野チカという漫画家の主題なのだ。


「それ、何の意味があるんですか?」と言われがちな世の中で。コスパだ、タイパだ、と叫ばれる現代に。それでも「ハチミツと四つ葉のクローバーを挟んだ、あのサンドイッチにこそ、オレの片思いの意味はあったんだ」と叫ぶ漫画がこれだけ読まれていることに、いつだって私はちょっと胸をなでおろしている。

『3月のライオン』の零くんが将棋の役にたたない空間を肯定できたように、私たちのつくる世界もまた、ハチミツとクローバーを挟んだサンドイッチを肯定できるような世の中でありたい。そういつも私は思うのだった。

※有料部分は私の気になるハチクロパートナー問題について雑感です!!

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