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『ルポ 誰が国語力を殺すのか』、今年読めてよかった本1位かも

石井光太さんの『ルポ 誰が国語力を殺すのか』、柴田悠さんの『子育て支援と経済成長』を立て続けに読んだ。とくに『ルポ 誰が国語力を殺すのか』は本当に良かった。今年一番読めてよかった本、というか、自分の興味関心に近い本かもしれない。


私は書評家なのだが(今更過ぎる自己紹介)、自分のなかにある仕事へのモチベーションはいろいろあって、そのうちのひとつに「なんだかんだ自分を救ってくれるのが本しかなかった」というものがある。デビュー作のあとがきにも書いたんだけど。
私は基本的に、人生で本当にしんどい時に他人はそばにいられないと思っていて、それは当たり前のことで、でも同時にあまりにも自分自分自分の世界に閉じこもってしまうと結局しんどいことから抜け出せないよね、とも思っている。他人はそばにいられるわけがないし、結局つらいことから抜け出すには自分でなんとかするしかないんだけど、それでも自分だけの世界に閉じこもっていてはなんとかできないのが現実、みたいな……。伝わるかな。難しいことだけど。
で、しかし本だけは、しんどい時にそばにいてくれる他人になり得る、と思っている。それはなぜなら本は一人で読めるし、いつでもどこでも読めるし、図書館に行けば基本的に無料で借りられるし、なにより言葉で成り立っているから自分に近しくなりやすいんじゃないか……。そんなふうに思っている。
もちろん動画や漫画や音楽やあらゆるエンタメでも、辛い時にそばにいてくれる他人にはなり得るんだけど、でもやっぱり本の多様性ってちょっと図抜けてるよなー、と私は考えている。

が、本のいちばんの難点があって、それは読むのに素養がいるということである。

「読む」ことが苦にならないかどうか。それはやっぱり動画を見たり音楽を聴いたりすることよりも習慣や訓練が必要だと思う。国語という、何かを読むことそれだけで、学校の試験の一教科になっているのだ。「読む」ことが私はたまたま全然苦じゃなくて、それに言葉がそもそも好きだったから、本に出会えたけれど……そうじゃない人がたくさんいるのもよく分かる。

読むのがいやだという大人に「本を読めよ!!」という気はさらさらないのだが、一方で、読むのがいやだという子どもたちには「いやでももしかしたら読んでみたら救われることもあるかも……よ……?」と言いたくなってしまうのだ。だって今読む習慣がついたら、もしかしたらあなたを将来救ってくれる言葉が、ひとつでも多くなるかもしれない。言葉を読むことが苦じゃなかったら、試験勉強だってやりやすいし、ネットでの検索だってやりやすくなる。この世にある説明はだいたい言葉でできているのだ。

『ルポ 誰が国語力を殺すのか』は、「言葉をちゃんと読むことがそもそもできない」、さらに「自分の感情や状況を言葉で表現することができない」子どもたちを取り巻く状況を伝える本だった。本書に登場する子どもたちは、幼い頃に虐待を受けていたり、親が精神疾患を患っていたり、あるいは親が外国人で言葉でのコミュニケーションをあまりできないまま育ったりした子である。彼らは少年院に入れられたり、暴力事件を起こしたりするのだが、そもそも自分のことを言葉で表現することが難しい。そして言葉を読むことも難しい。そういう子が増えている今、どのように国語教育はなされるべきか――それが本書の趣旨である。

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