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「グランジの神様」を終えて〜キャラクターへの思い入れ

全部で100ページ以上のマンガを描き上げたのは、これが初めてです。
しかもデジタルでフルカラーというのも初めてです。

今まで描いたマンガといったら、学生時代にノートに鉛筆で走りがきした同級生のマンガとか、洋楽アーティストのギャグ漫画とか(知る人ぞ知る…当時の洋楽雑誌『VIVAROCK』連載の、しまあつこさんのマンガ大好きでした)、同人誌に描いたのとか…すべて10ページ前後以下の読み切り短編で作品数自体数えるほどしかありません。

それと今年6月に初めてお仕事として描かせて頂いた橋本さんの本、

「やさぐれトラックドライバーの一本道迷路 現場知らずのルールに振り回され今日も荷物を運びます」

ですね。

飽きっぽくて1つの作品を長く描いていられなかったんですよ…。

それとこだわりが強すぎて、例えば人物はいいけど車や建物などただでさえ描いてて味気のないモノを資料写真ナシでうまく描けないのが嫌になってしまったり。
写真を撮りに行ったこともあるんですが、中学生〜高校生のお財布ではカメラ代とプリント代がかかった当時は厳しいものがありました。

今でもそれはそうで、「とにかく完結させること」を目標に、絵やコマ割りをシンプルにしたり話を短くしたりはしています。

それと苦手な背景や車の描き方もデジタルならではの機能を使って工夫しています…それらは自己流ですが、焦げ猫なりのマンガの描き方として別記事にしようと思ってます。

話を戻すと、自分のオリジナルキャラを立てるってことができなかったんですよね、若い頃は。
(キャラクターを)自分で考えて作るより、すでにキャラが立っている実在の人物…好きなミュージシャンや身近な人を描く方がウケもいいし楽しくもありました。
自分で魅力的なキャラクターを作れるとは思っていなかったんです。

加えて、

「起承転結のストーリーを考える」
(先程申しましたように)「それに付随する背景やオブジェクトを描く」

…ということが苦手だったため、大人になってからは描くとすれば1枚モノのイラストでした。

前置きが長くなりましたが、今回はそんな私の作ったオリジナルキャラクターの話です。
キャラクターに思い入れがあるからこそ、いかような手段を使ってでも納得のいく絵で完成させたい…。
そう思い至る経緯です。



カズオ

カズオが実質わたしのマンガ作品で初めての、モデルもいない完全オリジナルキャラクターです。

「なんとなくどこにでも居そうな若手ドライバー」

…という雰囲気から始まって、LINEスタンプに描いたり、本来トラックドライバーの話ではなくファンタジーヒューマンドラマだった作品(グランジの神様)にその成長を描いたりしているうちに、

「作家が自作品のキャラクターに持つ愛着ってこれか」

…と、初めて知ったのです。

ちなみにわたしが他の方の作品でイマドキの言葉で言うと「推し」なのは、手塚治虫先生の「ブラック・ジャック」に登場する「ドクター・キリコ」です。

すでにあるマンガの中に好きなキャラクターを見つけるのは簡単ですが、カズオに関して自分で自分の作ったキャラクターにここまで愛着が湧くとは思っていませんでした。
それもカズオはクールなイケオジのドクターキリコとはどこにも共通点がないガキんちょです(あ、焦げ猫はショタ趣味はありません)。
あっ、いや、共通項といえばありますね…根が真面目でブレない、ロン毛も似合う、三白眼ってとこかな(笑)?

育てられなかった息子の代わりなのか、誰ひとり添い遂げられなかった「男性」という存在の理想化なのか…そんなことをチラッと考えたりもしますが、理由はさておきカズオがかわいくてしかたない。
だからカズオの話を描き続けていられるんだなと。

カズオはわたしにとっては天から舞い降りてきた天使のようなものです。
マンガの神様がよこしてくださったんでしょうね…。

だから大事に描きたい、丁寧に描きたい…。
そう思ううちに、どんどん絵が(画面そのものが)変わってしまいました。

それはカズオが成長したからとか、焦げ猫自身のデジタル描画の技術が多少は進歩したから…というのもあると思いますが、レイヤーが複雑になりそのぶん更新にも時間がかかるようになりました。

カズオの変還

ライター橋本さんの著作に描かせて頂いた4コママンガの中のカズオの原型(アナログ)↓


ユルく始めたので仕上げが雑極まりなかった「グランジの神様」第1話↓

LINEスタンプ、このときもまだ名前はないが考えようと思い始めた↓

ある程度描き貯めていた「グランジの神様」連載スタートにあたり名前を決めて描きおろしたプロローグ、このとき22歳の設定↓

現在執筆中の「グランジの神様 外伝」中学生時代のカズオの1コマ↓

本当は、「続ける」「完結させる」には、飽きっぽいアマチュアの焦げ猫のようなのは、始めたときのようにコミックエッセイ感覚でユルく描くのがいちばんいいんです。
こんなに作画に手間と時間をかけるようになってしまって、果たしてそれを維持して今後企画している作品を描き続けられるのか?…という一抹の不安はあります。

なので途中でまたユルい作風に回帰する可能性もあります。

でも、キャラクターへの愛着は、新しい技術を習得するモチベーションになるんですね。
そしてなにより、名前がつくと「魂が入る」というのをリアルに実感しています。
キャラクターが勝手に動き出して話を作ってくれてる感じです。


名前のないカズオの母

真逆なのが、作品中で焦げ猫が唯一まったく愛着がない、カズオの母。

焦げ猫はこの人の心理が正直未だにわからないまま描いています。
以前の解説記事にも書きましたが、知人に「子どもいらない、喰わしてくれる男がいればいい」という人がいたのでその思考をモデルにしただけで…。
だからリアリティがないかもしれませんね。

彼女には名前も無ければ、目元も隠され、イタい服装で雑に描かれ(笑)、口元は脳を患う前からいつも歪んでいました。
結婚していた間はカズオにとっても普通の母親だったようですが、もしかしたらそれも夫に逃げられないための猫かぶりで、本当は子どもなんかほしくなかったのかもしれません。

彼女がカズオに与えた心の傷は深く、後々のドラマでもカズオの行動に影響を及ぼします。
そして絶縁状態でも亡くなればカズオに連絡がいき、あと始末について行政や住んでいた物件の大家さんと話し合うことになるでしょう。

でも、作者のわたしがカズオの母に愛着はなくても、迎える最期への危惧は同じです。
そういう意味では同族嫌悪と言っていいかもしれません。
果たしてカズオの母はいまわの際に何を思うのか。
「カズオの運行日報」の横糸イベントのひとつとして描く予定です。


青さん、槍杉さん


青さん

青さんに関しては、ベテラン先輩ドライバーという立ち位置でX(旧Twitter)のフォロワーさんをモデルに描いています。
モデルにしているのは容姿のほかは好きなモノや乗ってる車の設定くらいで、実在のご本人は知的で穏やかな方です。
作中では先輩ドライバーとしてキツめの性格にしています。
業務はなんでもできる、頼り甲斐のある人でもあります。

「グランジの神様」最終話より↓


槍杉さん

槍杉さんもカズオ同様、

どこにでも居そうな内勤、運行管理の人

…のイメージで始まった完全オリジナルキャラですが、4コママンガのときはいかにもドライバーを束ねる上司っぽい雰囲気と言葉遣いだったのを、「グランジの神様」ではあとあとのエピソードのためもあり童顔でおとなしく腰の低い、優しい感じにしました。

名前は単に「仕事やりすぎ」だからです(爆)。

中小運送会社ではこのポジションですと、運行管理者として点呼や日報チェックのほかにも代走・営業から配車、整備管理者も兼任なんてケースはままあって、ある意味ドライバーより大変な部分があります。

実際わたしも走りながら配車担当として他のドライバーから突き上げを喰らったり、社長や整備管理者とのコミュニケーションに気を遣ったり、会計ソフトの入力までやったり、零細会社でそれ以上にいろいろやってた人を見てきているので、零細〜中小の会社での運行管理者が何でも屋になりがちなのを経験上から書いています。
だから槍杉さんにも思い入れはありますね。

このコマでもわかるように、全部のドライバーの終業点呼あるいは夜間便ドライバーの始業点呼をして日報チェックしないと1日が終わらないので、必然的に帰りも遅くなります。
夜間便で何かアクシデントが起きた場合は寝てても電話がかかってきます。

「グランジの神様」第8話 「迷い子のカズオ」より↓



アカネさんの不思議な話

そういえば…さっき、「カズオは天使のよう」と書きましたが、果たして自分の作ったキャラクターとは、本当に脳内だけの存在で、自分が死んだら消えるもんでしょうか…。

一時期江戸時代の女郎のイラストばかり描いてたときに、いつも同じ顔の女性を描いていて、なんとなく自分の中で「アカネさん」と呼んでいました。
当時も病気でトラックに乗れなくなっていて、時代小説を出してる出版社にポートフォリオ持って営業に行ったのですが全滅でした。
今にして思えば作品の傾向が偏っていたのと、先方に言われたのは、

「うまいと思いますがこれだけ細かく描き込まれていると、イメージが決まってしまい文字を追う読者の想像の余地がなくなる

…ということでした。
縮小データしか残ってないので画像が粗いですが「アカネさん」のうちの1枚↓

まぁそうでしょうねえ…。
当時焦げ猫がいちばん影響を受けていたのは山岸凉子さんでしたが、あの方はマンガ家であってそのマンガの表紙等にカラーイラストを描いてたわけですから、マンガの内容に関連する細かい描き込みをして当然だったわけですよ。
一方イラストレーターってのはクライアントの要望に応じられなければならないわけで、自己満な描き込みで仕上げた人物・それも女性しか描けなかった(描かなかった)当時のわたしが売れるわけもなく。

ただ、アカネさんにしろカズオにしろ焦げ猫には、自分の脳内の産物ではなく、

「誰かがよこしてくれた遣い」

…のように思えてならないんです。

だって自分でもない、実在もしない、脳内で生まれた誰かが描く気を起こさせ自分を支えてくれるなんて…。

昔、ある病気で全身麻酔の手術を受けたときのことでした。

焦げ猫は全身麻酔の手術を何度も受けていますが、毎度「数かぞえてくださいねー」と麻酔が始まったら次の瞬間名前を呼ばれて、手術中は夢も見ず時間の経過も感じず一瞬だったように思えて目が覚めます。

その手術のときだけは、呼ばれる前に夢を見ていたんです。

ひとけの少ない、江戸時代の街並み。
多分あれは昼間の廓だったんだと思います。
昼見世といって昼間でも女郎屋は店を開けているはずですが、ひとっこひとり居ません。
未舗装の道路を、先を歩く紅い襦袢姿の女性(本来女郎でもさすがに襦袢姿で外は出歩きませんが)。

「こっち」

…と言われているような気がしてついていくと、街が終わり明るく開けたところに出ました。
そこで目が覚めたんです。

挿管が抜かれる前に死ぬかと思うくらい苦しかったのを覚えています。

あれはもしかしたら、わたしを守ってくれている何かだったのでは…。

だからもしかしたらカズオも、死んだらあちらで会える誰かなのかもしれません(笑)。


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