激烈!障碍者による障碍者差別

障碍者差別と言うと、たいてい健常者対障碍者と言う構図で語られる。

確かに障碍者になってからは就職先で溝を感じることは多かった。

それでも、障碍者差別があるだろうことは織り込み済みだったし、見えるものが情報
の80%の世界で生きている人たちとは根本的に文化が違うから仕方がない部分も多
いかなと思っていた。

中には純粋な悪意で仲間はずれにする人もいたが、そういう人は往々にして次元が低
く、障害の有無は関係ない所で付き合う価値もない人種だったので仕事がやりにくい
だのねちねち文句を言われたりなど辟易させられることはあったものの、別にどうと
も思わなかった。

そんな中、見えなくなって四半世紀以上たった今でも一番衝撃だったのは障碍者によ
るあからさまな障碍者差別である。

健常者にははじめのうちある程度の遠慮があるのだが、障碍者対障碍者は遠慮も躊躇
もない。

10年以上前になるが障碍者対象のスキー合宿に行った。

階段しかないポロイ民宿だったので車椅子の人はおらずほとんどが片手がないとか片
足がないとか軽度の肢体不自由であったように思われたが、ちゃんと見えているわけ
ではなかったので今となってはよくわからない。

そこで部屋が一緒になった人は皆誰も自己紹介はおろか挨拶もせず、私がいるからだ
ろうか、部屋にも寝る以外戻ってくることはなかった。

私も誰にでも好かれるような性格ではないし、私の事が好きではない人も少なからず
いるだろうが、初対面でここまで拒否られるのはなぜなのか考えてしまった。

おそらく、軽度障害の彼女らは障碍者と言うくくりで私のような重度視覚障碍者と一
緒にされたくない、「あなたと私の間には日本海溝よりも深い溝があるんだから気軽
に話しかけないで」と言う事だったのではないだろうか。


始めはびっくりしたが、よくよく考えると彼女らの気持ちもわからんでもない。

きっと職場などで微妙に差別されていて承認欲求が満たされていなかったのだろう。

合宿に来るくらいだからスキーはそこそこ滑れて、「パラリンピックに出るかも」な
どとうそぶいていたのではなかろうか。

本当はそんなに変な人ではないけれど、障害ゆえにやさぐれてしまった、実はかわい
そうな人たちなのかもしれない。


以前職場にも片麻痺の女性がいて、彼女は私たち視覚障碍者とは違うのよオーラを放
っていて、隣の派遣社員の女の子と仲良しアピールをしたり、私たちに偉そうな態度
を取ったりしていた。

彼女は仕事ができたので、健常者しかいない部署に移ったが、しばらくすると鬱にな
り会社に来なくなってしまった。

私はうだつの上がらない視覚障碍者と働くよりはバリバリ能力を発揮できる所に移れ
てよかったと、内心おめでとうを言っていたのだが、彼女にとっては重度障碍者相手
にお山の大将していた方が精神衛生的にはよかったみたいであった。

仕事はできたので仕事上では健常者に見劣りするような事はなかったはずだし、それ
が認められて部署移動になったのだが、残念な話である。


障碍者に限らず人は誰かの上に立ちたい、誰かを下に見たいという欲求がある。

障碍者カースト最底辺の重度視覚障碍者である私でさえも気が付くと誰かと比べて・
・みたいな思考になっていることが・・。

いけないいけない。

私を虐げていた健常者もコンプレックスを抱えていたから、絶対的弱者である障碍者
に辛く当たっていたのであろう。


障碍者差別解消法ができたり功利的配慮などという言葉も一般的になり、表はきれい
に整えられてはきているけれど、まだまだ闇は深いのである。

もちろん障害の有無にかかわらず、お手本にしたいような素敵な人もたくさんいる。

でも障害の不自由さに加えて環境的要因で精神的にも傷を負ってしまうのは何とも悲
しい事だと思ってしまうのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?