自殺しやすい人、自殺しにくい人
三浦春馬さんの訃報を受けてタイムラインには自殺についてのツイートが流れるようになった。
「いつも死にたいって言ってる人で実際に死ぬ人はいないよ。本当に危険なのはいつも笑顔で元気な人」
というような内容のツイートが目に入った。
死にたいって言うやつは死なない、と言うのは昔からよく耳にすることである。しかし本当にそうなのだろうか。
わたしは適応障害と診断されて1年前から休職している。
趣味はランニング。休職する時には「いつも元気なのに、いきなりどうして?今までうつになったこと一度もないでしょ?」と言われた。
実はこの会社に入ってからは3回目だ。しかも中学生の頃から希死念慮があり常に死にたいと考えていたのである。
希死念慮がひどくなると「死にたい」ではなく「死んでしまいそう、どうしよう」となってくる。そう言う時に「死にたい」「死にそう」と発言・ツイートすることで少し気が紛れる。運良くわたしは「そう言う時あるよね、寝てしまいなさい」と声をかけてくれるような優しい人たちに恵まれてなんとか気を逸らし続けて今も生きている。
もしこの時に「死んでもいいよ」と言われていたらわたしは死んでいたかもしれない。今だって背中を押されれば死んでしまいそうだ。終活も終えている。わたしを留めているのは両親が遺体を発見した時に悲しむだろうなという罪悪感だけだ。
わたしのことを「いつも元気でウツとは無縁」と思うのは親しくない人だけだろう。
心を開いている場に行けば、わたしは「死ぬ死ぬ詐欺」と呼ばれてもおかしくない人間なのだ。
死にそうな時に「死にたい」と発言するだけでも気が紛れるのだが、実際はそう言うわけにもいかない。「死にたい」なんて安易に言うと「そんなこと言っちゃダメ!」と反論する人は必ず存在する。
気を逸らすことができなくなると希死念慮と真っ向から向き合い続けることになる。
今すぐにでも首をつってしまいそうなほどの希死念慮と向き合い続けるのは本当にしんどい。気が狂いそうだ。気が狂ったら多分死ぬ。でも動けないし、下手に動いたらすぐ死んでしまいそうだ。かと言ってTwitterで気晴らしすることさえ許されない。気が狂いそうだ。死んでしまいそうだ。誰かに助けてほしいけど、でも助けを求められない。誰か助けて。でも誰にも助けを求められない。気を抜いたら死んでしまう。誰か助けて。
という具合だ。
だから簡単に「死にたい」なんて言わない。言う時は場所を選ぶ。
わたしは3回もウツになり仕事も手につかなくなったり出社できないようになっていたのに会社の人は誰も気付いていなかった。みんなに元気な人だと思われていた。しかし恋人には「明日死ねると思えば今日は頑張れる」とか言っちゃうウザい死にたがりである。
いつも笑っている元気な人が急に自殺するのではなく、あなたが笑顔しか知らないだけなのだ。
誰だって死ぬ可能性があるんだから「こういう人は簡単には死なない」とレッテルを貼らないでほしい。
「見習えよ」とか過激なことを言わないでほしいのだ。もしかしたらあなたが見ている死ぬ死ぬ詐欺の人は、ギリギリのところでバランスを保っている人かもしれないんです。
イラッとしたら無視してください。それが最善です。
本当はここでみんな元気に生きていきましょうとか書ければいいんですけれども、そういう気分ではないので、とりあえず猫を愛でてやり過ごしましょうと締め括ります。
読んでいただきありがとうございました。
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