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ICUC-078_2021.9.19【別に変わらなくたっていいんじゃないか】

【ICUC知的好奇心向上委員会】の知的好奇心の向上&趣味の文字起こし。I see, You see ! Intellectual Curiosity Update Committee

新刊図書
『AP アシスタントプロデューサー』角田陽一郎著エパブリック
『仕事人生あんちょこ辞典』角田陽一郎/加藤昌治(ベストセラーズ刊)

角田陽一郎78「別に変わらなくたっていいんじゃないか」ICUC知的好奇心向上委員会

台風が温帯低気圧に変わったこの夜は、何だかなかなか寝れなくて、なんか眠りも浅くて、寝てもすぐ目が覚めてしまっていた。
そんな悶々とする9月19日の朝方5時半過ぎに、ふと思った。
自分は、別に今のままでいいんじゃないか、と。

人生を変える必要も無いし、何かを決断する必要も無い。
無理をする必要も無いし、何かに追われる必要も無い。
来るものも拒まず、去るものも追わず。
どこに向かうも、どこかに行くのでもなく。
恨むでもなく、羨むでもなく。
下げるでもなく、蔑むでもなく。
お金だって仕事だって愛情だって、
生活だって地位だって人間関係だって、
ステップアップするでもなく、ステップダウンするでもなく。
求めるでもなく、求められるでもなく。
枯れるでもなく、育つでもなく。
自分は、別に変わらなくたっていいんじゃないか。

そんなシンプルなことに、何で今まで気付かなかったんだろう?
何で、何かに今まで焦っていたんだろう?
何で、何かを求め続けていたんだろう?
何で、何かになろうとしていたんだろう?
人生に、〆切りは、ないんだ。
生きることに、完成形は、ないんだ。
今、ここに、生きてることが、人生なんだ。
そんな想いがやって来たら、やっとなんだか眠くなってきた。

外は明るくなってきたけど、二度寝しよう。

角田陽一郎 オフィシャルwebサイト

mireva channel

動画の内容(+文字起こしメモ&感想)

巨匠はいない

 おはようございまーす。知的好奇心向上委員会でございます。バラエティプロデューサー角田陽一郎でございます。よろしくお願いします。今日は9月19日の朝でございますね。台風が来てましたけど昨日温帯低気圧に変わって。温帯低気圧に変わってもこの海の街は結構近くじゃんとお思ってたら、なんか今日はすごい穏やかな、風もほとんどないような。ただ熱風をね、熱をちょっと連れてきたのか、ここ数日涼しかったですけども、結構暑い感じになっております。
 ボクはですね、今日、日曜日ですけども。金曜日にちょっと広島の府中に行っておりまして。ちょうどその日が台風だったんで、その翌日、本当は台風じゃなければもう1泊2泊くらいしようかなと思ったんですけど、1泊して、台風と同じ感じで東京の方に戻って来て。だからちょうど土曜日に広島を出る時はなんかね、いい天気だったんですけど。名古屋辺りから雨になって来てみたいな(笑)感じで。でもなんかもうその頃はそんな激しくなかったんで良かったなーと思いますけども。
 はい。と言うことで今日なに話そうかなーということなんですけど。先週ね、最後に巨匠っていないんだよねって話をしようと思ったら、あ!時間だ!と思って。まあまた来週話しますかって言って途中で止めちゃったんですけど。と、思って止めたら29分だったんですよね。いつも最低30分を目処にやってるから全然むしろ1分で巨匠のこと話せたのになー(笑)なんて思いながら。なんかね、間違えちゃったんですよ。まあそんなことはどうでもいいんですけど。
 巨匠っていないなーって話ね、今日話したいことと巨匠っていないなーって話って、ちょっとリンクしないんですけどね。でもまあ、そこから話してみますかと思うんですけど。

 その前に大学の教授とですね、色々話したんですよ。自分の研究をどうしようかとかね。そこですごい勇気づけられたなーなんて思ったんですけど。その時、教授にボクから言ったんですけど。色々、研究家というか、元々タレントさんとかね、芸能人、文化人とは仕事柄会ってましたけど、一線級の研究者の方とお会いすることになって、話してみる機会が大学に行って増えたわけですよね。そうするとその筋の研究家ってのはすごいいらっしゃるわけですね。もう本当にすごい、何でも知ってるというか。ああ、こんなこと知ってるんだ!わぁ、すごいな。こんなこと詰めてるんだ、っていう、研究家の研究ってのはすごい深いところまで行ってて。だから逆にその研究分野とか全然ボクなんかは知らないのに、そのことを喋ってていいのかなって思うくらい。例えばボクなんか「最速で身につく世界史」って本を書いてますけども、世界史の本なんて書いててもいいのかなーなんて思うくらい──ちょっと汗かいてきました(^^) お風呂入っただけだったんですけどね、朝。──いいのかなーなんて思ったりするわけです。世界史の本をボクみたいなのが書いてても…とか。
 って、思うんですけど。一方で、じゃあその人が例えば芸能界のこととか知ってるかというと、全然知らないんですよね。芸能界のこと知らないのは別にいいんですけど、最近こんな映画があった、今こんなのがブームになっている、SNSではこういう感じだ、なんてことはその筋の研究家は知ってることもありますけど知らないことも多いんですよね。だからちょっとこう…授業とか聞いてても、ちょっとだけ喋ったりするときに、最近テレビで…って言ってる最近テレビで〜がもう5年前くらいのテレビとか。なんなら自分の若い頃のテレビの話をしてたりしてて。あれ?これ専門以外は全然知らないじゃんかって思うことがむしろ多いんですよね。
 でね、専門家って…つまり専門だけ知ってればいいのかと言うと、じゃあ今の、現代がこうなってる、こういう事象があるということも知った上で自分の専門を研究した方が、違うところに焦点が当たって、光が当たって、その研究だって進むと思うんです。ところが、そういう先生もいらっしゃいますけど、なーんかボクはイメージで言うと、自分の研究だけ知ってればいいやって思ってる方の方が多いなーという印象を受けました。
 だからよく知の巨人って言うじゃないですか。何でも知っている人のことを。うん…ボク知の巨人っていないんじゃないかなと思っちゃったんですね。つまりその分野について詳しいって人ってのはいるけども、何でも知ってるっていう人に…でもボクの方が知ってることあるし、で、ボクなんか全然知らないことを違う人がすごい知ってたりすると考えると、なんでも知ってるっていう人ってむしろいないんじゃないかなーなんて、ちょっと思ったんです。そうすると、ボクがアカデミックに憧れてるのって、なんとなく知の巨人的な、なんでも知ってるぞということに憧れていたんだけども、実はそんな人っていないんじゃないかなーって思う。

 ──ってことを、その自分の指導教官に言ったんです。そうしたら「1万人に1人はいないかも知れないけど、100万人に1人くらいならいるんじゃないですか?」と。で、「角田さんはまだ出会ってないだけなんじゃないですか?」ってその先生はおっしゃって。確かにそうだよなと思ったんで、100万人に1人みたいな方はいらっしゃるんだろうなーとボクも思います。うん、でもそれはやっぱり100万人に1人のレベルなんだなーって考えると、日本の研究者の中に本当にそういう方がいるのかなーなんて思ったりとか。世界で、今どれくらいそういう知の巨人みたいな方はいらっしゃるのかなーなんて。
 別に知ってるか知らないかってことだけじゃないんですけどね。知ってる…あることについてどういう風に思ってるかってことを抜きにして、自分の専門だけ語ってることって、なんかすごい片手落ちなんじゃないかなーと思った。で、研究者の方って片手落ちの集まりなんだなーと思った時に、なんかボクがアカデミックに思っていた期待感と挫折感がなんか入り混じった…っていうお話が巨匠っていないじゃないですか?知の巨人っていないんじゃないですか?という話です。

ドライブ・マイ・カー

 で、まあそんなことを思いながらですね。私も日々暮らしてるわけですけど。今週で言うとですね。まず水曜日に映画「ドライブ・マイ・カー」を観に行って来たわけですね。「ドライブ・マイ・カー」ってのは村上春樹さん原作の、「ドライブ・マイ・カー」という、その場…じゃないや、「女のいない男たち」っていう短編集の中の一つが映画化されているって感じらしいですよね。で、ボクは村上春樹さん好きなんで、なおかつ今やってる寿司特でコトブキツカサが面白いって言うんで観に行こうかなーと想ってたんですけど、3時間くらいあるって聞いて(笑)ちょっとこうなかなか行く機会がなかったんだけども、やっぱこれ観なきゃいけないだろうなーと思って観に行って来たんです。
 そしたら…すごかったですね。素晴らしくいい映画でした。どこか素晴らしい、いい映画なのかはそれこそ翌日の木曜日の寿司特で語ってるんですけども。色々すごい。やっぱりカンヌで脚本賞取っちゃうだけのことはあるなーって思いました。なおかつ寿司特で話してるんで良かったら聞いて欲しいんですけど、岡田将生さんがね、すごい…。西島さんもよかったです。西島さんもよかったんですけど、あと女性陣もすごい良いんですけど、なんかボクは岡田将生さんがすっごい演技で魅せられちゃったなーというか。
 で、なんかボクの中ではその「ドライブ・マイ・カー」がすごい面白かったっていうのが、なんか色んな意味で人生が変わるぐらいの衝撃でしたね。それは何かと言うと、なんて言うんですかね…ハリウッドとかピクサーとかマーベルとか、もう死ぬほど金かけて、すっごい話が何十にも…バトルシーンがあってとか、色々あるじゃないですか。で、あんなすごいの見せられると日本のクリエイターの端っこにいるボクとしても敵わないよなーと思っちゃうわけですよ、全然。そんな敵わないなーなんて思ってたところ、「ドライブ・マイ・カー」、別にお金を掛けてないわけではないけども、適度に掛かってると思いますけど、たぶんそんな映画の100分の1くらいのお金で出来てると思うんですね。それでもあれだけ魅せられてしまうんだなーと思った時に、なんかお金がないからどうだとか、全然違うんだなというか。まだまだ作り手としてやれるんじゃないかなっていう。そう思うとそういう領域に自分も端くれにいるから、端くれだからこそ出来ることってあるんじゃないかなーと思って、結構勇気づけられたなって思ったのがちょうど水曜日です。
 で、広島行って来て。広島の話はまた今度別の機会にね。本当はもし台風無ければ今日も広島とかにいて、これを、この動画を広島で撮ってたかも知れないんですけど。台風だったんで帰って来ちゃったんで、広島の話はまた今度にしようと思うんですけども。で、広島から帰って来て。で、ここのスタジオに帰って来たらですね。この本が置いてあったんです。
 置いてあったってのは、これはボクたまたま1週間くらいに塩野七生さんの「生き方の演習」っていう、若者向けに書いた、すごい文章はぱぱっと読めちゃうようなやつだったんで、これをたぶんぱらぱら見てたんですね。忘れてたんですけど。だけど半分くらいしか読んでなかったんで、ちょっと残り見てみるかーと思って読んだんです。つまり土曜日はこれをまず読んだんです。で、読んだら…。半分ぐらい読んで、あれか!と。そういえば「ローマ人の物語」って持ってたけどちゃんと読んでないなぁなんてと思って。ちょっとこの際読むかと思ってこちらに本が大量にあるんですけど、本棚で探してたんですけど、なかなか見つからなかったんです。「ローマ人の物語」が。で、無いな、無いななんて思ってたら、そこに村上春樹さんの「女のいない男たち」を見つけたんですね。
 で、これ、つまり映画「ドライブ・マイ・カー」の原作が入っている短編集なんで。ボクはその映画を観た時いたく感動したので、「よし!ちょっと「女のいない男たち」読まなきゃ!でも買ってなかったよな確か…」みたいな。ボク村上春樹さん好きなんですけど、長編はほとんど全部読んでるんですけど、短編は意外に読んでないんですね、なんとなく。で、買ったっけかな?買ってないかな?なんて覚えてなかったんで。でも「女のいない男たち」ってなんとなくちょっと…まぁ村上さんのはいつも恋愛が入ってるけど、なんか「女のいない男たち」というネーミングで、なんかボクがそんなに読みたいなーって思う感じがなかったんで、たぶん読んでなかったと思ったんですけど。だから買ってなかったんじゃないかなーと思ってたら、買ってあったんです!本棚に。ああ、これはもうそういう事なんだーと思って、で、読んでみました。

 そしたらね。うん。すごい衝撃でしたね。「ドライブ・マイ・カー」が一番最初にあって。で、この中に「木野」っていうやつと「シェエラザード」っていう作品があって、この3つがなんとなくモチーフになって、映画「ドライブ・マイ・カー」は出来てるんですけど。
 そういうようなこともありつつ、なんか女のいない男たちっていう…あぁ、だからこれ女性を…、だから、えっと、女性を失った男たちの話なんですね。で、それをこうなんとなく今まではそんなに読みたくないなーなんて思ってたボクが、なんか「ドライブ・マイ・カー」を読んだ時に──。
 ああ、つまりボク恋愛ものってそんなに好きじゃないんですね。自分で小説『AP』を書いてたんですけど、つまり恋愛なんてどうだっていいじゃんってちょっと思ってたところがあっていうか。いや、好きとか嫌いとかって気持ちを軽視してるわけじゃなくて。めちゃくちゃ個人的なことなので、ある人がある人のことを好きだってことと、ある人がある人と別れなければいけないってことは、なんかこの地球全体に比べたらすごい小さい話なんじゃないかなって、やっぱり思ってたんだと思うんですよね。で、ボク「ドライブ・マイ・カー」を観てて、そこが覆されたってのが、なんか人生が変わるぐらいの衝撃だったって意味なんですけど。で、読んだんです。「女のいない男たち」を。
 そしたら…衝撃でした。だからもうわーっと読んじゃって。だからその日は2冊目も全部読んじゃったって感じなんですね、土曜日のね。で、うん、ボクもやっぱり50年以上生きてるわけですから、恋愛経験がないわけでもなく。で、そんな中で読んでるとすごい自分のことなんじゃないかなーとか、思うことがたくさんありました。だからなんか…そうか、今この瞬間にこの本に出会うってこともまたすごいことなんだなーなんて思ったわけです。

生きるとは、どうでもいい話をしたい、会って話したいと想うこと。

 で、こちらに戻って来てポストの中を見たら田中泰延さんの「会って、話すこと。」が。出たばっかりのがね。Amazonで予約してたやつが届いてたんで、これも見て。これもぱーっと読んじゃって。なのでその日は3冊読んだっていう(笑)感じなんですけどね。うん。で、そしたらね、まさにその、さっき言った「女のいない男たち」の中の気持ちにすごい繋がるようなことをヒロノブさんが書いててね。ちょっと読ませていただきますと。

「そうなんです。どうでもいい人と、どうでもいい話はしないんです。付き合いたいとか好きだとか気心知れた友人とか、大切な人と、どうでもいい話をするんです。」

 って書いてて。そうなんですよね。だから…どうでもいい話を話せる人こそ大切な人なんだっていう。だからボクがなんか恋愛ものとかそんなに興味ないんだよねって言ってたのって、そのどうでもいいことを話せる人たちの関係の中でどうでもいい話をされても、それはボクには関係ないじゃんってちょっと思ってたところが、そのどうでもいい事を話せる人が大切な人なんだって、ヒロノブさんの「会って、話すこと。」に書いてることって、なんか気づいた、ボクがやっと気付かされたというかね。だから、

生きるとは、どうでもいい話をしたい、会って話したいと想うこと。

 なんだって、ボクはそこのヒロノブさんのこの本から引用されたものの後ろに書いて。まさに今日の朝ね。いつものおはようございますTwitter・Instagramをしてるんですけど。そこで書きました。
 だから、なんかすごい面白いなーと思います。「ドライブ・マイ・カー」を観て。で、塩野七生さんの本を読んで。で、そこから「ローマ人の物語」を探そうと思っていたら、村上さんの「女のいない男たち」が見つかって。で、それを読んでいて、なんかすごい自分の思ってることが気付かされて。で、ヒロノブさんの「会って、話すこと。」に行き着くっていう。うん、なんかすごいボクの中では気付かされたなーなんて思うのが昨日だったんですね。

生きることに完成形はない

 それが夜中の1時とか2時ぐらいだったんですね。そこからまあ寝たんですけど、なんかそんなことを思い…本を読んだからかも知れないし、前日に広島行って、色んな人と出会ったからかも知れないし。なんかね、寝付けなかったんですよ。寝ても1時間ぐらいで目が覚めるってのを3、4回繰り返してて。うん、もう台風は過ぎ去った後だったんですけど…うん、なんかすごい寝れなくて。で、うつらうつらして、起きて、なんか嫌だなーなんて思ってたんです。で、またスマホとか観ちゃったりしてね。で、そう思ってる時に、ちょうど朝5時半ぐらいかなぁ?うん…5時半過ぎぐらいなんですけどぱっと目が覚めて、「あ、なるほど。」とちょっと気づいたことがあったんです。で、その気づいたことって何なのかな?ってことなんで、その時にもうポコポコ文章をスマホで書き始めたんですけど。ちょっと読まさせて頂くと。

台風が温帯低気圧に変わったこの夜は、何だかなかなか寝れなくて、なんか眠りも浅くて、寝てもすぐ目が覚めてしまっていた。
そんな悶々とする9月19日の朝方5時半過ぎに、ふと思った。
自分は、別に今のままでいいんじゃないか、と。

人生を変える必要も無いし、何かを決断する必要も無い。
無理をする必要も無いし、何かに追われる必要も無い。
来るものも拒まず、去るものも追わず。
どこに向かうも、どこかに行くのでもなく。
恨むでもなく、羨むでもなく。
下げるでもなく、蔑むでもなく。
お金だって仕事だって愛情だって、
生活だって地位だって人間関係だって、
ステップアップするでもなく、ステップダウンするでもなく。
求めるでもなく、求められるでもなく。
枯れるでもなく、育つでもなく。
自分は、別に変わらなくたっていいんじゃないか。

そんなシンプルなことに、何で今まで気付かなかったんだろう?
何で、何かに今まで焦っていたんだろう?
何で、何かを求め続けていたんだろう?
何で、何かになろうとしていたんだろう?
人生に、〆切りは、ないんだ。
生きることに、完成形は、ないんだ。
今、ここに、生きてることが、人生なんだ。
そんな想いがやって来たら、やっとなんだか眠くなってきた。

外は明るくなってきたけど、二度寝しよう。

 っていう文章をね。なんか、スマホに書いて。で、本当に二度寝してたんです。で、二度寝して8時くらいになって。で、8時くらいになったんで今日のおはようございますメール何にしようかなーと思って、そうだそうだ、田中泰延さんがあの一節だーと思って、その一節を書いて。で、その後、さっきスマホでメモっていた、今読んだ文章をWEB上にUPしたんです。うん。そしてお風呂入って。で、天気いいなーと思って洗濯物ちょっとこう干したりして。で、今この動画を撮っている日曜日の朝。三連休の中日。…って感じです。

追い求め続けた苦悩

 うん。何が言いたいかって言うと。今読んだ文章が全てなんだけど。今ステップアップしなくてもステップダウンしなくてもって文章を書いたけどね。この動画だって、知的好奇心向上委員会って言ってますけども。ICUCって言ってるのは Intellectual Curiosity Update Committee の略でICUCなんですけど、そのICUのUってアップデートって言ってて。うん、なんか自分がアップデートし続けなきゃいけないんだなーなんてずっと思ってますね。
 敬愛する岡村靖幸さんの歌にね、人生ステップアップ、毎日がステップアップだって歌詞があって。そのために倫社と現国を学びたいっていう歌詞がありますけども。なんかそういうのを若い頃に聞いて、その後、社会人になって、ADになって、で、なんかスキルを学んで、ノウハウを身につけて、ディレクターになって。で、プロデューサーになって。みたいな感じで。で、フリーになっても小説、映画を作ってとか、ロックフェスを開催してとか。なんかこう、なんか自分の中で次に次にとすごい求めることを良しとしてた。で、良しとするという意味ではすごいいいことなんだけど、逆に言えば次やんなきゃ!次やんなきゃ!って、なんかいつの間にか強迫観念になってたんだなーってことに気付かされますね。
 今、太陽が上がって来たから自分の中に、こう…十字に(笑)十字架がボクの顔の真ん中に…、ボクの影が十字架になってますけども。うん、こう言う話をしてるから十字なのかな?うん。
 まあ、そんな風に思ってることがあったとして。で、そういう風に求めてると、自分に足りないものとか、周りに足りないものとか、失うものとか、当然そういうものじゃなくて手に入るものとか色々あるんだけど。なんかそういうものを人知れず追い求め続けていたから、なんか自分が苦悩してるのかなーなんて思って。
 だからまさにね、この村上春樹さんの「女のいない男たち」のことで言えば、なんて言うんだろうなー…うん、なんて言うんだろう。「女のいない男たち」ってつまり man without woman ってことだと思うんですけど。何かが欠けているということを…。だから「女のいない男たち」って意味で言うと man without woman が man with woman になりたい、なるべきだ、ならなくちゃ!って思うことみたいなこと。それが手に入らない、あるいは失ってしまうから女のいない男たちってことなんだなーっていう風に思うわけです。
 で、そんな様なことを思ってたからで、別にこれは恋愛だけじゃなくて仕事とか経済、お金とか名誉とか、そういうあらゆるもの、人間関係とか、あらゆることがそうだと思うんだけども。……今のままじゃダメだったんだっけ?って。やっと、今、ふと思ったんですよね。うん。
 いいんだな、別に…と思って。ぃゃ当然締め切りみたいなものはあるし、守った方がいいですよね、当然。だけど次はこの本書こう、次はこの本書こうって、なんかこうガツガツ、ガツガツしてたんだけど、別にしなくてもいいんだなって言うか(笑) うん、何でそれをやってたのかなーってことが…。またそれが気づいたらガツガツやり始めるのかも知れないし。今日そういう風に気づいちゃったから、もうガツガツやらないのかも知れないし。知的好奇心はなぜ向上しなきゃいけないんだろうなーって言うか。知的好奇心向上委員会委員長なのにというか。なんかそんなことを思いました。

 ひとつ、ボクが何でそういう風にステップアップしなきゃいけないと思ってたかというのは、ある人と話してて、人間の体力、体ってどんどん歳取っていくわけで、劣化していきますよね、ひゅ〜っと。だからいつも成長してると思って、成長してるぞーって頑張ってイーブンぐらい。成長してるぞーと思ってても劣化していくんだから、もう成長しなくていいやって言ったらもう劣化していくだけなんだっていう風なことを言われて。で、それって資本主義経済でも経済成長率、経済成長率って言うじゃないですか。でもボク、マイナスは良くないだろうなーと思ってるけど、なんでそんなに経済成長しなきゃいけないのかなーって思ってたんだけど、成長しようと思ってないとマイナスがもっと激しくなってしまうんだなってことを言われた時に、なるほど、だから人は向上しようと思うんだなっていう風には、なんとなく納得してたんです。これいつ頃の話…?それこそ10年前くらいに話したのかな?なんかそんな様な思いがあります。
 でもね。で、じゃあ、こう落ちていくとして、なんでそれじゃダメだったんだっけなーってことが…、なんかふと今日の朝5時半頃思ったんだよな。

これでいいのだ感

 で、これはまたすごいスピリチュアル的な話になるかも知れないけど、そうすると石井ゆかりさんってね、占い師の、占星術師の方のメールがいつも7時に来るんですけど。

おはようございます。今日19日の星占いです。
☆☆
月は早朝5時半前に水瓶座から魚座に移動する。金星のトラインへ。
「これでいいのだ」感。

 って書いてあって。そっか、5時半になんか移動したんだな月が(笑) 水瓶座から魚座へ。そしたらなんかボクの中でふと、なんかふっと何かが抜けたというかね。水瓶座から抜けたら。なんかそんなことをすごく思たんです。
 なんかね、これってだからってじゃあ怠惰に生きますよとか、何かやることを拒否しますよってことじゃないんですね。だからこれってこの文章で書いたけど…。もう一回読んじゃおうかな!

台風が温帯低気圧に変わったこの夜は、何だかなかなか寝れなくて、なんか眠りも浅くて、寝てもすぐ目が覚めてしまっていた。
そんな悶々とする9月19日の朝方5時半過ぎに、ふと思った。
自分は、別に今のままでいいんじゃないか、と。

人生を変える必要も無いし、何かを決断する必要も無い。

 うん。ってことは変えてもいいし、決断してもいいんじゃないかなってことでもあります。

無理をする必要も無いし、何かに追われる必要も無い。

 ときには無理をしたっていいし、何かに追われることもあるでしょうけども。常にそれを意識しなくてもいいんじゃないかなとか。

来るものも拒まず、去るものも追わず。

 この”もの”ってのは人間って意味の者ってのもあるし、本当に物質の物みたいなもの。お金も含めてかなーとか。

どこに向かうも、どこかに行くのでもなく。

 うん。どこかに行たいと思うことがあってもいいんだけど、行かなくてもいいしというか。

恨むでもなく、羨むでもなく。

 うん。相手のことをね。

下げるでもなく、蔑むでもなく。

 自分を卑下するわけでもなくっていうことですね。

お金だって仕事だって愛情だって、
生活だって地位だって人間関係だって、
ステップアップするでもなく、ステップダウンするでもなく。
求めるでもなく、求められるでもなく。
枯れるでもなく、育つでもなく。
自分は、別に変わらなくたっていいんじゃないか。

 なんかそんなことを、すごく想ったんですね。

そんなシンプルなことに、何で今まで気付かなかったんだろう?

 何で気づかなかったんでしょうね?

何で、何かに今まで焦っていたんだろう?

 何で焦ってたんでしょうね?

何で、何かを求め続けていたんだろう?

 うん…欲しがり坊やですよね。

何で、何かになろうとしていたんだろう?

 うん、3年前からはね、研究者になろうと思って大学に行って。で、今年小説を書いて。ちょっと小説家になってみたいなとか。それこそ9年前には映画監督になりたいとか。TBSを辞めたのも自分の名前で勝負してみたいとか。うん、なんかそんな風に何かに焦って何かを求めて何かになろうとしてたんだろうなーと思います。

人生に、〆切りは、ないんだ。

 うん。だから締め切りがある仕事もあるんだけど、別にそれをやってもやらなくてもっていう状態じゃんかっていう。まあ少なくとも今のボクはね。まあ何とか生きていくだけは締め切り守ろうかなーと思いますけど。

生きることに、完成形は、ないんだ。

 うん。そんな理想の姿って考えたら若い頃に思ってたことは歳取って今色々やってるよなーと思うと、ある意味、若い頃思ってた理想形なんだよなーとは思いつつ。今はそんな理想なことなんか全然ないよなーなんて思ってるというと、つまり生きることに完成形はないんだろうなーととも…。とすると、結局そういう風に思ってる今、ここに、今ボクが存在していて、、、

今、ここに、生きてることが、人生なんだ。

なーって思ったら、なんか、、、

そんな想いがやって来たら、やっとなんだか眠くなってきた。

外は明るくなってきたけど、二度寝しよう。

 っていう。だからこう、なんかこう、暗い時には夜明けを待ってるんでしょうね。夜明けを待って、それが明るくなって来たとしても、うん…明るくなったから起きるっていう…起きなきゃ!っていうか、寝ててもいいんじゃないかなっていう風に思えたのかなーなんて思うわけです。
 だから、ね。ちょっと気が楽になったのかな…?面白いですね。そうすると明後日、満月ですからね。なんか色んな想いが自分の中でとぐろを巻いていて。なんかちょっとそれが…今までだったらそのとぐろが巻かれていたもの…なんて言うんですか、バラさなきゃ、解かなきゃとか、ずーっと思ってたんだけど。別にとぐろは巻いたままの今の状態でいいのではないかって、なんかすごく思える様な気がすると言うか。
 それってあれなんですかね?自分が老いたのかなぁ。あるいは、うーん、若い頃だったらやっぱり進化しろよ!みたいな。ただなんかボクはそういう想いに至ったことがシンカの定義はよく分からないけど、進む化けるの進化と、深く化けるの深化って両方あると思うんだけど、ボクにとってはこういう風に想ってることもなんか進化で深化な気がするというか。なんか結局ね、3冊の本を読んだんだけど。そこから自分の中に覚醒されるものがあるという意味では、進化してるという意味では、知的好奇心が向上してるなーとは思いつつ。つまり知的好奇心向上というのは、知的好奇心向上するぞ−!って思わないことかなーなんて思ったりしております、と。
 はい。なんか今日は散らかっておりましたが、まあそれでもいいかなーと思いながら。思ったことだけをただ喋ってしまいました。また来週よろしくお願いいたします。

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文字起こし後の文字寝かし

(好き勝手に思った感想を書き残しておくことを文字寝かしと言うことにしました)

 研究者であろうとすればするほど片手落ちになる気がする。人間そんなに多くのことを深掘れないというか、つまり手は2本しかなく、重くなればなるほど数や形を制限するか、たくさん持てるように筋トレするか、持ち物のことで頭がいっぱいで疲れるか、そんな感じじゃないかと思う。

 人生に締め切り。ステップアップの方法として、大きな目標を立て、小さなステップをたくさん作り、ステップに期限を決めるのが成功の秘訣と言われる。さらに大きな目標は日々の小さなステップをこなしていると少しずつズレてしまうので、時々メンター(という言葉がどうにも好きになれないなぁ)に会い、ズレを修正するのだとか。人生に締め切りはないから、目標達成のために自分で締め切りを作るということ。つまり追われる感じ、焦燥感の素だ。

 成長と劣化で考えてみる。劣化を1日-1としたら、成長は1日2以上、ちょっと休憩の日でも1日最低1をキープしないと劣化する。アカデミーに憧れる角田さんの理想像は1日2以上の研究と、研究以外のことで研究に様々な角度で光を当てられること。研究以外がどれほど出来るかは置いといても、研究だけやれば良いという態度ではなく…という、すごくすごく高い理想。この理想像に憧れているんだから、巻いたとぐろは解かねばいけないし、次!次!次!と滞りなく進まなければ、自分はいつまで経っても憧れている場所に到達できないことになる。これでは満たされない、劣等感の素になると思う。

 若い頃に思ってた将来の自分には十分成れているのは、自然とこのサイクルがやれてたからだろう。いつか天才と秀才という話を仰ってたと思うけど、天才に近づくために、天才ではないけど秀才のボクはこのスピードを維持してきたということだと思う。
 角田さんはこのサイクルを保てなくなった原因を老化かなと仰るけど、成長とか進化とか深化、真価、消化、消火、昇華、とも言えると思う。9月19日の昼頃に見つけた【井川啓央名言bot@ikawa_yoshihiro】さんのツイート。角田さんの扉が開いたんだろう。開いて、喜んでる様で、ほっとしている様で、よかったなと思う。

いままで何でも自分で決めてきたけど、運命の扉というのは、案外自分で開けるんではなくて、開けてもらったところで、開けてもらったことに感謝して活き活きやることがとても大事なことかもしれないなと
(2018年8月10日 「イカハゲ本堂/きちんとしたスレッドです。」チャット)

 そもそもこの次!次!のサイクルは何だか生きることを悟ってはなさそうな感じがする。私は悟ってますけどねということでは全然なくて、人が羨む成功は出来そうだけど生き急ぐと言うか。資本主義経済で言う経済成長率は上げようとしないと落ちてしまうって話、今朝、たぶん角田さんが収録してるだろう頃にあ!と思うツイートにいいね♥️した気が──。よかった、見つかった↓

【山口周@shu_yamaguchi】
仏教では「足るを知る」ことを幸福へと至る成熟の条件と考えます。一方で企業や経済は飽くなき成長を求められます。会社の中で「売上はもう十分です」と言ったら確実に出世できませんよね。この点からして企業や経済というのは決して成熟へと至ることのない、破綻を運命づけられたシステムと言えます。

マルクスの「疎外されていない人生」の例示。気の赴くままに朝は狩りに、午後は釣りに、夕方は家畜の世話に、夕食後は批評に携わる。それでいて猟師にも漁師にも羊飼いにも批評家にもならない。
ポイントは「職業がその人の価値を決める象徴として無効化されてる」ということです。現代という社会は「会社」や「職業」があまりにも強力にその人の価値や地位を表す象徴として機能しています。

 今は時代の変わ目で、角田さんは「13の未来地図」の副題に「フレームなき時代の羅針盤」と付けている。ココがこんな風に変わると分かっていても、実際自分の身の回りのことに落とし込まれていく時は、誰しも無意識の習慣を見直すために苦悩したり不調になったりするのかも知れない。

 村上春樹さん好きだけど短編はあんまり──。去年の8月にICUCで紹介された「猫を棄てる」が1日で読み終えられたのが意外で。「翻訳夜話」で村上さんと柴田さんが好きになっていたこともあるけど、そこで村上さんは私にとってもしや読みやすいのでは?と、なんとなく文芸書ってやつのハードルが下がった。
 で、なるほど、私は角田さんと逆で短編の方が向いてるかも?と。考えてみたけど、すぐ終わる話は心に何かがほんのり残る感じが好きだ。長い話はあれもこれも残るし、読み進めるとさっき読んだものを忘れるし、頭がすぐパンクする。ICUC文字起こしなんてこのパンク対策なわけだし。つまり角田さんの言う読書はゆっくり。
 ドライブ・マイ・カー、近場はすでに終わってるところが多い。行きつけの映画館でそのうち上映してくれると予想しつつ、今は文庫を「生き方の演習」と一緒にポチる。

 暗い時は明るくなるのを待つ。それが人として、生き物として自然なのかも知れないけど、明るくなったらどうするか?明るくなったその後は、個性と体調によると思う。元気が弾けそうな人は外で跳ね回ればいいし、病み上がりなら散歩程度にして、夜型の人ならもう少し寝てから。

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