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ICUC-146_2023.02.5【節分の友の言葉と立春の母の想い『MAKE TV』テレビに戻ればいいじゃん】ICUC知的好奇心向上委員会

【ICUC知的好奇心向上委員会】の私の知的好奇心の向上&趣味の文字起こし。I see, You see ! Intellectual Curiosity Update Committee !

角田陽一郎146「節分の友の言葉と立春の母の想い『MAKE TV』テレビに戻ればいいじゃん」ICUC知的好奇心向上委員会

友と話す。いろいろ僕が最近の想い(愚痴?嘆き?逡巡?)をウダウダ云ってたら、「そんなことガタガタ言ってないでまたテレビをやればいいんじゃない?一番うまいんだから!」と。
憑き物が取れた。節分。

https://www.instagram.com/p/CoNEy1GyGqO/?utm_source=ig_web_copy_link

角田陽一郎 オフィシャルwebサイト

mireva TV

動画の内容(+文字起こしメモ&感想)

芯から冷える

 おはようございまーす。知的好奇心向上委員会でございます。バラエティプロデューサーの角田陽一郎でございますっ!7時半からやるのって結構めずらしいんですよね。なんで7時半からやってるかっていうと、大体これいつも30分ぐらい喋ってるんですけど。今からやれば「どうする家康」までに間に合うな、みたいな(笑) なんかそんな事を思いながら喋っておりますが。はい、よろしくお願いします。
 えーと、なんかね、寒いんですよね。寒いのか…体調が…。で、なんか、さっき散歩で海まで行って来たんですけど。なんか体の芯から冷えるみたいな時ってありますよね?なんかそんな感じがしてて、嫌だな…これ、なんか変に崩れちゃったら嫌だなーなんて思ってる感じでございます。
 僕ね、比較的、若い頃とかは、まあ…太ってるからかも知れないですけど、寒さに弱くて…あ、違う違う!逆、逆。暑さに弱くて、寒さには強かったんですよ。ところが前も話しましたけど、ちょうど2011年、311のあった年の。…だから、311の3ヶ月前のお正月に。今年もね、新潟でありましたけど、雪がすごい降っちゃって。鳥取?で…島根か!島根。境港のところで、まさに閉じ込められたことがあって。雪で。
 で、電気も止まっちゃって。ライフライン、道路も雪で動かなくなっちゃって。電気のない旅館で4日間ぐらい脱出できなかったんですよね。で、最後もうしょうがないから、4日目かなんかに10何キロ歩いて脱出するみたいなことをやったんですけど。それやってから──次の場所に何とか車を移動してとか、まあ色々あったんですけど。その話を話してるとそれだけで30分かかっちゃうんですけど。目的地について、雪から脱出して。で、着いて。お風呂の湯船になんかもう…体の芯まで冷えちゃって、1時間ぐらい入ってたんですよ。そう。で、うわぁ、なんかすごい…。その後も風邪引いたのかな?なんか覚えてないけど。
 で、それ以来ね、寒さに弱くなったんですよね。だからなんかそういう…ほら、1回ワンちゃん、犬に噛まれると犬が怖くなるみたいなのあるけど、寒さってのもなんかそういうところありますよね。だからそれ以来、なんか寒さにすごい弱くなっちゃって──という記憶がありますね。
 だから、なんか今日も、別にいい天気だったんですけど。海まであるいてて。で、あれ?!みたいな。なんか…なんか体が寒いなーなんて思って、なんかブルブルしてました。はい。

また新年

 まあそんな感じで2月5日ですけど。ね。2月3日が節分で。で、2月4日が立春。つまり立春とか立夏、立冬の前日が節分なんですよね。だから節分って2月3日の節分が有名ですけど、節分って何回か年にあって。で、あの、「夏も近づく八十八夜」って歌ありますけど。あれ、ちょうど節分から…立春からか数えるんですよね?確かね。
 あ。ありがとうございます。「雪に閉じ込められたお話、渋谷のラジオで1時間たっぷり話されてましたね~」ああ、ありがとうございます。そんな昔に話してたんですね。んふふふ。そうそうそうそう。だからそれ以来ね、寒さに弱いんですけど。

(該当エピソードは0~25分あたり。1時間もない。)
(後半は戦争になって本当にいらないっていわれる仕事こそ文化)
渋谷で角田陽一郎と 2017年10月13日(金)

https://note.com/shiburadi/n/n05cd6720df18

(こちらでも少し触れられてます)
角田陽一郎40「2010年代の終わり。」ICUC知的好奇心向上委員会

https://youtu.be/IwTl_t4Xx-8

 あ。それで、そうそう。そんな事を言いながらも立春な感じでございますから。新年な気分。いいですね。本当に。いつも言ってますけど、元旦で新年な気分を迎え。迎えられなかったなーと思ったらね、節分、立春で新年の気分を迎え。それでもダメだったら今度は4月1日、年度始まりっていう感じで始められると。始まりが3回くらいあるんですよね。なおかつ旧正月とか入れれば(笑) もうなんかよく分かんないけど!1月20何日の新月を入れれば、4回ぐらい新年やり直せるってのがすごい面白いなーって思ったりするんですけどね。

 で、まあ、何話そうかなーなんて思いながらねぇ。色々話すこともあり。中には話したくなこともあり。話せないこともあり。色々あるんですけど。そんなに自分的にはノッてる感じじゃないですね。このノッてる感じじゃないってのは、ほら、2022年が終わって、2023年が1ヶ月ぐらい経って。なんて言うんだろうな。よーし!今年はやってやるぞー!なんて思って1ヶ月くらい経ったんだけど。あれ?…あれ?みたいなところって、ちょっとあったりしますよね。だからなんか節分、まさに分ける。節を分けるじゃないけど、季節を分けるじゃないけど。その感情の
起伏みたいなものも分かれるといいなーなんて、勝手に思うんですけどね。

プロデューサー

 で、それに合わせてじゃないけどね。まさに節分の日か。たまたま友達とね、話してたんですよ。そしたらね、これも書いたんですけど。いつ書いたっけな?えーと、これか。2月3日の日にね。

友と話す。いろいろ僕が最近の想い(愚痴?嘆き?逡巡?)をウダウダ云ってたら、「そんなことガタガタ言ってないでまたテレビをやればいいんじゃない?一番うまいんだから!」

https://www.instagram.com/p/CoNEy1GyGqO/?utm_source=ig_web_copy_link

 って言われたんですよね。それってなんか僕の中からちょっとだけ目から鱗が落ちたって言うか。…うん?ちょっとだけじゃない。目から鱗が落ちたっても…いつも気付いてますからね(笑) いつも気付いて、一体いつまで気付き続ければ?!みたいなことがありますけど。まあ、そっか。気づかなくなったら死なのか。とか思うんだけど。
 なるほどなーと思ったのは。なんて言うんでしょうね。前もこのICUCでバラエティプロデューサーの終わりっていう話をしたりとか。なんかコトブキツカサ、映画パーソナリティ、now雑談家のコトブキツカサ氏とやってる寿司特ではね。プロデューサーの引退なんて事を話した回もありましたけど。あれなんですね、なんかこうバラエティプロデューサーっていつまでやってるのかなー?みたいな思いがあるわけですよ。
 で、そもそもで言うと、じゃあそのバラエティプロデューサーって名乗る前はテレビマンだったわけで。で、テレビの局でプロデューサーを、制作局でやってましたけど。じゃあそもそも僕はプロデューサー気質なのかっていうと、そうでもなくて。どちらかと言うとディレクターなんですよね。ずーっとディレクターやってて。この話も何回か言ってますけどね。
 つまり、ディレクターとプロデューサーってやっぱり職種が違ってて。プロデューサーってのはね、このICUCで何回か言ってますけど。ザギンとか、ギロッポンとか行って。事務所の社長とそういうクラブ行っちゃったりして。何とかちゃ~ん!とか言いながら、次うちのドラマ出てよぉ~みたいな事をやるとか。なんか、ゴルフが上手いとかね。だからすごいグルメだったり、ゴルフが上手いとか、なんかそういうクラブ、僕らの業界で言うとブークラって言うんですけど、ブークラとかに行くみたいなことがプロデューサーだなーなんて思ってると。僕なんかどちらかと言うと20代の頃とか全然そういうの向いてないなというか。全然ダメだなー。ダメっていうか、むしろどちらかと言うとオタクで、編集してるようなタイプだったんで。
 すごいプロデューサーなんか無理だなーなんて思ってたんだけど。結果、自分というディレクターを使ってくれるプロデューサーがやっぱり年々歳々、年齢を超えていくといなくなって来て。で、自分がプロデューサー兼ディレクターをやるようになり。そうすると自分がプロデューサーでディレクターを雇って番組を作る様になる、みたいな感じがあって…TBSを辞める。
 だから最初にプロデューサーになったのって2006年ぐらいだから、約10年ぐらいプロデューサーをやって。2016年にTBSを辞めたわけなんですけど。そこからはバラエティプロデューサーということでね。TBSの後半も「オトナの!」って番組を…。後半って、だからまさに2012年からになるんですけど。2、3、4、5、6…その5年ぐらいはそのフェスをやったりとか、CM作ったりとか、そういう事を色々やってたわけですよ。
 で、そのプロデューサーをずーっとやってて。さらにテレビじゃないプロデュース、つまりバラエティ番組のプロデューサーじゃなくて、バラエティに色々やるって意味でバラエティプロデーさーなんですって名乗って。7、8、9、10、1、2、3、もう7年なわけですよ。
 って、思ってたんだけど。なんかそれやってる間にプロデューサーみたいなものに自分はこう、やっぱりなんかこう疲れてしまうなーみたいな事とかが、ちょっと思ったりして。ね?なんかこう執筆とか、なんかそっち方向──いや、なんだったら教員。いや教員はまた教員で疲れるんですけど、講師的な事をやったりとか。研究者的な事をやったりとか。色々こう、自分の中での分人というかね、そういう様なものがあるんですけど。それをやってたわけですけど。うん、なんかね、また最近のこの僕の中でのなんか色んなものが、なんかこう上手く行ってない感じの。上手く行ってないかどうかは別として、上手く行ってない機運を感じちゃうんですよね、先にね。厳密にいうと。だからこれから上手くなくなるんじゃないかなっていう不安感みたいなものとかをすごい感じるわけですよ。それは特にここ50を超えたあたりから。

 なんて思ったりしてた時に。さっきのね、友人がそういう風に言ってたっていうのもあるんですけど。その時に僕が言ったのは、なんかそういう感じで僕もフリーになって7年。何となく僕の賞味期限みたいなものが終わってんじゃねぇかなーみたいな事とかをちょっと言ったら。さっきの友人にガタガタ言ってないで、じゃあテレビをやればいいんじゃんみたいな事を言われ。だってお前テレビ一番うまいんだからって言われて。そうだよなー、一番上手くないものでずーっとやってて。賞味期限がどうこうとか、自分で言ってんじゃねぇよみたいな事を結構言われたというかね。

ディレクター

 で、思った時にその前の週か。ちょうどグッドウォーキンスピングルって言う番組を今ね、上田さんと、グッドウォーキンの上田さんとスピングルというスニーカーメーカーと一緒にコラボで番組を作ってますけど。その収録があったんですよ。先週の木…先週かな。
 そのあった時に、まさにディレクターがドタキャンになっちゃったんですよね。そのドタキャンもちょっと熱っぽくてみたいな話になって。で、熱っぽいってね、昔だったら熱っぽいぐらいなら来いよ!だけど、今やコロナ禍の中、熱っぽい時こそ休めよ!みたくなっちゃうから、結局ディレクターが急遽いなくなっちゃって。しょうがねぇなーと思って、僕がディレクターをやったわけですよ。
 もう、そうしたらね。やっぱり分かるんですけど、圧倒的に僕ディレクター上手いんですよね。それは昔取った杵柄じゃないし、そもそもプロデューサーよりディレクターの方が向いてるじゃんっていう様な意味で言うと。尚且つドラマとかと違って、バラエティ番組ってその場でどう対応するか?その場でどうカンペを出してとか、次どういう段取りをやるか?みたいな事を的確に演者、MCに伝えて。で、カメラをこの位置に置いてとかを常に監視というかオブザベーションしながら、どういう風に最適化していくか?みたいなことって、一番やっぱり向いてるんですよね。
 で、なおかつ、…だからこの前、上田さんに言われたのは、角田さんが目の前にいて笑ってるとMCとしてもやりがいが出て来て、どんどん面白くなって来ますよね~みたいな事言われて。そうそう、なんか最近のYouTuber的な動画とかを撮っている若いディレクター達って──僕なんかさんまさんとかの前でどれだけ笑うか?みたいな。むしろスタッフとして演者の前でどれだけ声出して笑うか?みたいな事をずっとやって来た人間だから、僕の笑い声が良い声なのか悪い声なのかとかはさておき、結構そういうのをね、大事にして来たんだけど。
 今そういうの入れちゃうとノイズになるからと思って、結構黙ってるディレクターとかも多いんですよね。で、そうすると、やっぱりそうじゃなくて、そっちの方がやりやすいよなーみたいな事を言われてね。
 って、してたんですよ。だけどその友人の言葉を聞くまでは、はっきり言って、僕もういい歳で、50幾つなのに、未だにディレクターで入って、「3秒前、2、1、…」とか言ってカンペ出してんだなーとか思って。そんな事をもういい歳なのにやらなきゃいけないのかなーなんて、むしろマイナスに思ってたんですよね。マイナスに思ってた。
 ところがそのマイナスに思ってたんだけど。そっかぁと思って。その友人の一言で、圧倒的に上手いじゃないかっていうことって、実はすごいプラスなのに、なんでそれをマイナスだと思ってたんだろうなーなんて事にちょっと気付いてね。
 だからテレビ、なんかその──友人はね、またテレビに戻ればいいじゃんみたいな事を言われて。また戻れる、実際戻れるかどうか、戻るかどうかは別ですけどね。だけどそうだよな。なんかバラエティ的な事を作っていくみたいな事の方がなんか、結果ね、なんて言うんだろう?やりがいというか、圧倒的にその辺の奴らより僕の方が上手いなっていう自負──事実ね、、感じるなーなんてのは当然「さんまのからくりTV!」を撮ってた時とか、なんだったら「金スマ」を撮ってた時とか、「EXILE魂」ってのを撮ってた時とか、「あいまいナ!」ってのを撮ってた時とか、「オトナの!」って番組を撮ってたりとか。数々のね、特番を撮ってる時に感じてたことで、それを昔取った杵柄じゃないけど、今でもそうじゃんとおもたっ時に。そっかぁ…うん…、なんか…。それをね、だから例えば「AP」っていう小説があったとして。あるんですけど。僕が書いた。それをドラマ化をしようと思って、その時は本当に原作者でいたいなーって思って。脚本家もどなたかにやって欲しいし、当然監督も、プロデューサーなんてどなたか別にやってもらいたいなーって勝手に思ってたんですけど。いやそんなに映像化したいんだったら自分でやりゃいいじゃんかって。なんかね、その辺は確かに本当に吹っ切れたんですよね。
 うん、それを節分の日に吹っ切れたっていうのは、なんかすごく、すごくすごく、なんか吹っ切れましたね。

結局”それ”しかない

 で、翌日の立春の日は、まさに昨日か。土曜日だったんで。なんか久しぶりにお袋と話したんですよ。まあ電話でね。で、電話でお袋と話して。元気?みたいな雑談をしながら、「最近は短歌をやってるのよ」とか言いながら。「でもこの前、高血圧で…」とか。そっか、もう親父も…親父じゃない、お袋も高齢だから。一抹の不安を感じながらも、まあ話してたんですけど。
 で、ねぇ?数年前に親父は亡くなったんですけど。話してると親父の文句みたいなものが、またいつも出てくるんですね、お袋って(^^)。
 で、出て来て。ね?でもうちのお父さんとかもね、その、あんな…現役時代の話ですよ?だから今さら言ってもしょうがないんだけど。現役時代に古めかしい、旧態依然としたビジネスを手掛けてて。もっと新しい考え方で、新しいシステムというか。システムとお袋は入ってないけどね、新しいビジネスモデルをやればいいって、私は何回も何回も言ってるのに、いつも古いことやってて。それで悪戦苦闘して苦しんでたわよねぇ。みたいな事を言われたんですよね。
 で、それをお袋が言った時に、僕は反論したわけですよ。いや、だからお袋の言ってる気持ちも分かるけどもさ。分かるけども、僕もさ、じゃあ、ちょうどお袋が言ってる50代くらいの僕の親父の事を文句言ってんだと思うんだけど。僕もね、じゃあその50とか超えるとさ、例えばさ、お袋はよく分かってるかどうかは分かんないけどさ。じゃあ僕がお袋みたいな事を言われたとするなら、新しいビジネスモデルで生きればいいじゃないのよって、例えばお袋が言うじゃないのと。そうするとそれって僕にとっての新しいビジネスって何?って言ったら、例えばね、じゃあNFTで儲けるのか?とかね。例えばメタバースの仕組みを作ってね、みたいな話になるわけですよ。新しい仕組みを作って…みたいな。
 そうすると、NFTとかメタバーズって超面白いなーと思うし、それとかって、何て言うんだろう?…なんて言うんだろうなぁ。仕組みの面白さとかワクワク感みたいなものは当然共有した上、だから全然分かんないから分かんないのよって言ってるわけじゃなくて、分かった上でなんだけど。分かった上で、それを今から初めて新しいビジネスにするって、やっぱりなかなか出来ないんだよ!って話をお袋に言ったんですよね。
 そうすると結局、じゃあ僕がどういう風に生きてるか?って言うと、結局テレビを作るみたいなものの延長線上で企画を作って。色んな企業となんかやったりとか、あるいは言うてももう10年ぐらい経ってる訳だけど。自分が本を書いてね。その、なんか書き物をして。でもそれも別に新しい仕組みで何か文章を書いてるとかでは決してなくて。だんだん部数が減ってるという紙の本、その本を出版社と組んで作って。それが売れるか?売れないか?ああ、売れないな。これは売れたなってのが時々がるけど、基本は売れないなーみたいな状況下で。でも本屋はどんどん潰れてるよねーとか。週刊誌はどんどん休刊してるよねー。みたいな状況の中で、結局オールドシステムでしか稼げない自分がいるんだよね、と。
 そうするとね、まさに30年前ぐらいの親父とかも、なんか新しいことやらなきゃなと、当時は思ってたと思うよ、と。だけどね…、結局、出来なかったと思うんだよね。それはお袋がどう言うかはまあね、気持ちは分かるけども。なんか俺は親父の気持ちが分かるなー。ある意味地団駄を踏むというか。忸怩たる思いみたいな。でも結局それしかないんだよなーみたいな。
 で、結局それしかないんだよなーっていうもので親父はもう死ぬギリギリ、前日ぐらいまでなんか電話を、寝たきりなままだけど電話してたりとかしてましたからね。だから結局そうなんだよなーなんて、ちょっと思ったりするわけです。
 そうするとね、節分のね、テレビに戻れりゃあいいじゃんみたいな話と。お袋と話た話で言うと。つまり節分と立春で話た、友人と母の話というのをミックスドすると、僕もオールドタイプでしか仕事が出来ないんだよなーと思った時に、もうそれとまさに心中するっていうことなんだろうなと。当然今のテレビはこういう仕組みなんだよとか、そんな時代じゃないんだよなんてこと分かった上なんだけど。まあ終わっていくメディアで生きていくしかないんだろうなーなんてことをちょっと思いましたね。
 いや、でも、何回も言ってるけど、だからって僕は今テレビ局員じゃないから、テレビ番組つくりたいですって言って僕に作らせてくれるわけではないわけだから。当然それをネットなのか、あるいは違うメディアなのかで、どういう風に表現するか?って事は考えなきゃいけないって意味で言うと、もうただのオールドメディアの中で生きようというよりは、さらにより困難ではあるんだけども。でも、なんかそういう事を感じた節分と立春だったのかなーなんて思ったりするんですね。
 ああ、今コメント頂きましたけど。「バラエティディレクター角田陽一郎に”改”肩書きだ」って書いてますけど。そうですね。僕バラエティディレクターって名乗った事ないな。そっか、バラエティプロデューサーじゃなくてバラエティディレクターって名乗ればいいのか。色んな事をディレクターしますよ、みたいな。
 うん、そっか。だからディレクターということをちゃんとやってみようって思ったことがここ10年ぐらいなかったんだなぁ。そういう意味で言うと…ということに、改めまて気付いたというかね。友人のアドバイスというか。
 で、それをまた違う知り合いに言ったら、私もずーっと思ってたって言われたんですよね。そうそうそう…そうなんだよな。だから結局そういう事なんだよなと思って。
 なんで得意じゃないとこから、得意じゃない方に逃げよう逃げようとしてるんだ?逃げようって言うか、逃走しようとしてる?でも逃走は逃げるのアレか、熟語だけど(笑) してるんだ?みたいなところって、確かにあるんだよなーとは。
 なんかね、自分が居たところじゃないところで勝負したいって思いでテレビ局をやめたって言うものあって。で、勝負したいと思ってるから辞めるぞ、辞めるぞと思って、さあ辞めた。じゃあ違うところで勝負するぞ!ってところはすごいあるんでしょうね。でもそれって46でやってるわけだから、逆に言えばあれですよね?そこからまた1年目でやってるようなものだから。逆に言うとちょっと自分を褒めたいですけど。それで7年やって来て。うん、だけど、そっかぁ…と思ってね。

MAKE TV

 で、そうなった時にね。それで、そうそう、そうそう。これ全然アレなんですけど。「MAKE TV」っていうただのDVDなんですけど。これアレなんですよ。僕が2012年にTBSで30分やったライブ番組。いとうせいこうさんと、田中みなみと、ロッチの二人でやってましたね。で、これってPARTYっていうクリエイティブ集団の、PARTYの川村さんと一緒に作ったソニープレゼンツでやった番組なんだけど。
 これ、作ったことは覚えてますよ?当然。だけど、この映像は忘れてたわけです。忘れてた、持ってなかったんですよ。ところが前々回くらいに言いましたけど、今、赤坂に元々借りていた事務所をね、たたんだんですけど。その畳んだ時にそういう資料みたいなものは、必要なものはこちらに移動してきたわけですよ。そうした時に、この MAKE TVのDVDがあって。ああ!あったじゃん!と思って。
 で、これをね、まさに昨日、見返したわけですよ。立春に。で、見返してみたらね、これ、めちゃくちゃ面白いというか。すげぇことやってるんですよね。当時、だからもう11年前ですよ、2012年だから。2012年で、11年前のこの映像、アップしていいならアップ…アップしたら怒られるか(笑) うん。これすごいことやってますよ。30分の番組で。
 つまり何かって言うと。MAKE TV ってのは、みんなで番組を作る。テレビを作るっていう番組なんだけど。カーミンっていうミュージシャン、アメリカのミュージシャンがいるんですけど。そのミュージシャンのミュージックビデオを生放送で作っちゃおうと思ったんです。だから巨大な倉庫に13個とか…もう忘れてますけど、13個の色んなアトラクションがあって。そのアトラクションって、例えば2人が歩いていくと前位に壁があって。その壁を壊さないと次のステップに行かないっていう、ちょっとダンジョンになってるわけですよ。で、その壁をどうやって壊すか?って言うと、MAKE TV がドットアプリって言うんですけど、アプリを視聴者の皆さんにダウンロードしてもらって。そのアプリをドットというボタンを──今回のアトラクションは1万回プッシュ。全国の人が合わせて1万回プッシュしないと壁が壊れないとか。次は2万回プッシュされないと花火がバーンッとこう破裂しないとか。そういうスタジオの倉庫のセットの起動ボタンが全国の視聴者のアプリとリンクしているっていう事をやってるんですね。
 そう。だからみんながどんどん、どんどんアプリを頑張って押してくれないと、しょぼいPVになっちゃいますよ、ミュージックビデオになっちゃいますけど、大丈夫ですか?って事を問いかけている番組なんですよ。
 で、これ。このアイデア自体はPARTYの川村さんを主体に、PARTYチームが作って来たんだけど。これをどのテレビ局の人に相談してもやってくれないんですって。よく分かんないって。だけど、それがたまたま営業から僕のところに、なんかちょっと来た…。で、その営業も当時「角田さん、こういうの面白がるんじゃないかなと思って持って来た。」って言って。で、僕も川村さんとかに会ったら、もう即決で超面白いじゃないですか!って、言った途端ね。言った途端。PARTYの中村さんとかもそんなにすぐやりましょう!って言ってくれたのはあなただけですよ?!みたいな話になって。それで一緒に作って行ったんですけど。
 その映像を今見たらね…。結構、確かに、すごい。
 で、これってスパイクス・アジアっていう広告賞でインタラクティブ部門でグランプリ取ってんですよね。その当時、2012年。だから、もうそこから11年だなって思ったんだけど。またそういうね、節分の日に友人からそういう言葉を頂き。その翌日に MAKE YV、だからまあその1週間ぐらい前にこのmAKE TV のDVDは僕の手元に戻って来たんだけど。それを見てみようかなと思ったのは、そっか、MAKE TV ってどんなことやってたんだっけな?と思って。いや、結構すごいことやってますね。
 うん。そう。で、当時なんて…ロッチなんてまだ駆け出しって言うか、これから売れていくぞみたいな感じなんだけど。今見てもせいこうさんと、田中みなみとね、ロッチでやってるなんて。田中みなみはまだTBSアナウンサー時代の田中みなみの。で、MCやってて。まあ、結構かわいい感じで、すごい司会やってんですけど。これ、よく出来てるわーと思ったりしてね。
 そう、だから今週の水曜日。だから今度の水曜日が、僕、大阪での最後の講義になるんですけど。その最後の講義の時、何話そうかなーとかって、ちょっと思ってたんだけど。このVTR…DVD見て、この番組見て、たぶん僕が一番トリッキーな、一番…なんて言うんだろう?…構造が複雑な?バラエティをやったのはこれだっていうのを、事例として挙げて。ちょっと、みんなに解説しようかなーなんて思ったりしました。

mireva TV

 だから、なんかね、うん…そうですね。ここに彩さんにバラティディレクターって書いて頂いたけど。バラエティディレクターにしちゃおうかな。っへへへへ。あ、そうそう。だから皆さん気づいてるか…誰も気づいてないと思うんですけど。テレビに戻ればいいじゃんってね、2月3日の節分に言われたので。翌日の立春にそういう風に、そうかと思って新年が始まったんで。テレビ業界に戻れる…戻るかどうかは置いといて。「mireva channel」っていうこのICUCとかをやっているチャンネル名を「mireva channel」っていうチャンネル名にしたんだけど。こそっと「mireva TV」にっひっひっひっひ!改名してた!んですね。
 はい。なんかだから、この僕のやってるチャンネルを「mireva channel」にしてたのって、なんかここに「TV」って付けることも、なんかちょっと僕の中では抵抗があったんじゃないですかね。テレビ局辞めて、YouTubeでテレビまがいのことやってんのかよ!なんて思うのが、なんか嫌だったんだけど。でもテレビに戻ればいいじゃんと思ったとすると、じゃあこれが僕がここでね、くっ喋ってるものがテレビなのか?どうなのか?みたいな事はさて置きなんだけど。これが、なんて言うんだろうな、なんかね、だから、もうちょっとバラエティ的なものを、ディレクターとして撮影していく。もしかしたら番組作るみたいなことをやってみてもいいなと。で、それが別に、なんて言うんでしょうね、儲かるとかね、儲からないとかもあるんだけど。いや、なんか、仮にこれが儲からないみたいになったとかしたらね、別になんか、なんて言うんだろうね──。
 例えば最近ネットで見たんだけど。長野県佐久市の旅館が売りに出されてると。で、その旅館って犬神家の一族の撮影に使われた古いけど大きい旅館だってことが出てたんですよ。それが1700万、1800万ぐらいで売りに出るって言って。そのホームページ見てみたら、こんな大きいのが…1800万?!たかだか1800万で売ってんだ!なんて思ったのが1つなんだけど。
 それって長野県佐久市の不動産屋さんのホームページだから、他の物件とか見てみたんですよ。そしたら、180万とか、300万ぐらいで一戸建てとか売ってんですよね。あ、そんなもんなんだーとか思った時に、自分が都会にいて、何千万ないととか。あるいは何億ないと出来ないなーみたいなことを言って。…なんか、言ってるんだったら、なぁんか全然、佐久市に引っ越してしまって。なんかそこでちびちびと「mireva TV」作ってりゃいいよな~とか(笑) なんか、そんな風にね。で、書き物は続けますけどみたいな風なのもいいかなーなんて、気づかしてくれる節分&立春でございました。
 ということで、いきなり終わりますが。またICUCよろしくお願いいたします。

──

文字起こし後の文字寝かし

(好き勝手に思った感想を書き残しておくことを文字寝かしと言うことにしました)

 「僕もういい歳で、50幾つなのに、未だにディレクターで入って3秒前、2、1、…とか言ってカンペ出して」角田さんはそれをマイナスに思ってたと言ってる。お友達が自分で賞味期限とか自分で言ってんじゃねぇよってのは、つまり、賞味期限決めてんのは自分じゃねぇかって意味だ。
 昨晩の寿司特ではTwitterで20時と告知したって話から始まり。実はしょっちゅう間違ってて(角田さんはよく間違えると思うからこそ、豊津徳の19時開始を見誤ってライブ視聴を逃したことがある(笑))。とにかく角田さんは気づかず、テレビ業界の職の序列が思った以上に染み付いていた。職は役割なだけで、序列なんかないと思っていても。だから自分が一番上手いことを見逃し続けた。
 角田さんんは自分のことをお天気屋さんと言うけど、それも後押ししている。本を書いてみたい。映画監督をやってみたい。大学に行けばいいじゃない、行ってみる。教授やってみない?やってみる。たくさんの情報に自分の一番が埋もれてしまった。多くのことを器用にこなせるからこそ、10年以上も埋もれたことに気づかなかった。

 角田さんが何度も言うから、プロデューサーというのは銀座をザギン、六本木をギロッポンとか言っちゃって、事務所の社長とクラブで飲みながら、タレントさんのことはちゃん付けで呼んで、贔屓にしてねとお願いする人というイメージが固まった感がある。
 個人的にはプロデューサーと言えば、そういう空想上のプロデューサーから離れたところでプロデューサーをしている角田さん(しか知らない)なのだけど。角田さんが器用にP⇆Dをしているから、プロデューサーとディレクターを上手く切り離してイメージ出来ないままでいる。
 役者やスタッフにメガホン持ってあれこれ指示を出すのが映画監督だとすると、映画監督がディレクターで、助監督がプロデューサーにあたるんだっけ?…合ってた。映画監督は英語でFilm director、Directorだけでも映画監督を指すとある。

【Wikipediaの「助監督」】を見ると、
助監督(じょかんとく、Assistant Director)は、テレビドラマ・映画における演出部の職種である。テレビの「アシスタントディレクター」(AD)とは大きく異なる。
演出にかかわる様々な業務に携わる。また監督と各部の橋渡し的な役割を担ったりする。スケジュール作りや、現場の進行もその業務に含まれる。一言にスケジュール作りと言っても、それを紙に書き記すまでには、ありとあらゆる調整をこなさなくてはならず、──

 英訳するとADになるけど、プロデューサー業だ。日本はアシスタントは見習いという意味合いが強くなるが、アシストを専門にする人であって、顎で使われるようなものではなくて…という説明もあった。うん、角田さんが50幾つでディレクターと思ってたんだなってのは、やっぱり日本の、それもテレビ局内だけのイメージだ。
 最近何度も思ったから、寝かしにも何度も書いたんだろうけど。会議名とか、スローガンとかに引っ張られるって話。やっぱり角田さんはバラエティディレクターに改めるというか、「直す」方がいい。channel→TVより効果が高いと思う。
 それと気になるのは、角田さんはアーティストにこだわる。2022年の抱負もAn artist archives amusements。拘り、執着が強いようにも感じる。どんなにディレクターをやったところで、それが僕一人の作品ですと言えないことは、角田さんのアーティスト欲に影を落としている気がする。なので、絵を売ろうと言いたい。もちろん角田さんが気持ちよく描けることが大前提で。コトブキさんのETMみたいに。徒然草や随想集だって自分で売ってるんだから、絵も。彼はアーティストで、ここがアトリエで、とか言われると、売れなかったら凹んじゃうなとか、値付けって自我の発露で恥ずかしいなとか、なんだか分不相応な肩書きに負けて、呆れられる気がして、正直居心地は良くないだろうけど。

 元旦、節分、年度始まりで3回。旧正月で4回。私の場合は4月の誕生日で5回。4月は年度のスタートなだけで、まだスピードに乗ってない…とすると、ゴールデンウィーク明けが本格始動で6回目と考えることもできなくもない。始まり渋滞!角田さんの言う「はじまりは何回はじめたっていいのだ」はいいけど、正月明けからはじまりイベントが続きすぎるのもまた始めにくいかも知れない。はじまりの価値低下というか、目覚まし掛けすぎて安心して二度寝して致命傷を負う的なはじまり。

 クラブって…ブークラって言う?本当に??これだけ嘘っぽく聞こえる(笑)

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