ICUC-100_2022.2.20【毎週末に百回配信してみて】
【ICUC知的好奇心向上委員会】の私の知的好奇心の向上&趣味の文字起こし。I see, You see ! Intellectual Curiosity Update Committee
今週の本
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角田陽一郎100「毎週末に百回配信してみて」ICUC知的好奇心向上委員会
知的好奇心向上委員会、動画の配信100回目です。
動画の内容(+文字起こしメモ&感想)
100回目
おはようございまーす。知的好奇心向上委員会バラエティプロデューサー角田陽一郎でございます、と。えっとですね、久しぶりに移動中に録画しております、と。色々考えたんですけど…ね、もう開会式もあるしとか。んっふっふっふっふ!オリンピックのね。ボク閉会…開会式じゃない、閉会式ね、閉会式あるじゃないですか。開会式・閉会式ファンですから、なんか見たいなとか思ってて。なんかそれ終わりまで待ってて配信するのもなんだなーなんて思いながら、今日はちょっとね、そのまま東京の方に、海の街から移動しているものですから、なんなら移動中にちょっと撮影してしまおうかなーと。だからくっちゃべりながら喋ってればいいのかなーなんて思ったんで今日は久しぶりに移動しながら撮影しております、と。
はい、ということでICUC知的好奇心向上向上委員会、今日で100回目でございます、と。なんかね、YouTubeって100回続くと成功するとか言いますけども。成功もしていないのに100回やっておりますと。んふふふ!というような感じでございますが。なのでね、今日は別に、やってみて、100回ぐらいやってみてどんなことを思ったかなーなんてことを。特に何も思ってないんですけど、喋ってみようかなーなんて思っています。ある意味だらだらと。
もともとオンラインサロンで
えーっとですね。そもそもの経緯で言うと、知的好奇心向上委員会っていうのを対面でね、(咳!) なんか喋ると咳出ますね。でもあの、ワクチン一昨日打って、昨日熱出ましたね!ボク副作用なかったんで、1回目と2回目。3回目もないのかなーと思ったら7度5分まで行ったな。あ、行くんだ?!みたいな。で、なんか熱いきそう人にね、実際熱出て副作用の人とかに「でも別の病気じゃないからねぇ、副作用だからねー」ってなってる人には言ってたのに、いざ自分がなると結構なんか寒気がするなーとかって久しぶりに思いましたけども。まあそんなことはさておき。ICUC知的好奇心向上委員会ってのはそもそもCAMPFIREさんのところで対面で、オンラインサロンといえばオンラインサロン的なことを始めたわけですよね。2019年。2020年…19年?んふふ…に始めました。
ところがもう皆さんご存知と言うか皆さんが苦しんでいる20年の春ぐらいからね、ちょうど2年前から新型コロナウイルスのバカどもがなんかこう人類を陵辱するようになりまして。で、どうしようかなーと思った時にたまたまその年の3月に渋谷のラジオの「渋谷で角田陽一郎と」という番組が終了という運びになり。で、その自由大学の…自由大学じゃないよ、渋谷のラジオ。渋谷のラジオの「渋谷で角田陽一郎と」という番組は毎週金曜日にちょうど52分間だったんですけど、ずーっと喋ってたんですね。毎週ずーっと喋ってて。それはライブで喋る時もあれば旅先から収録したりとかして。自分でiPhoneで撮影…なんなら走りながら喋ったりとかね、そんあこともやりながら──何年やってたんだ、あれ?16年からやって…17年か?18、19、20、だから3年ぐらいやってたんですね。で、やってて、それがまあ終わると。終わるんで、でも1週間に1回50分喋ってるのっていうのはなんかいいなぁーと思ったのと、それこそ対面でね、ICUCってなかなか難しいんだったらば、まあじゃあ毎週30分喋るのはどうかなと。で、喋った上で、時々ね、メンバーの方とzoomとかでリモートでICUCを、知的好奇心向上委員会を開催するのはどうかなーなんて思って去年の3月?ですよね、ぐらいから始めたんですね。だからちょうど丸2年。1年毎週やって50週、あるいは51周、ぅん?52周?とかだと思うので、ちょうど2月のこの今日、20日で100回っていうのは計算は合っておりますよね。
で、そこからこう週末に何分?って決めた時に30分にしてみようかなーと何か思ったん…なんで30分と思ったのかなー?なんか思ったんだな、30分。──ああー!そういうことか!つまり毎週30分やるということは月2時間喋ってるわけで、4回だから。で、ICUCってあれ1回のミーティング2時間だったんで、月いちね。月いち2時間のミーティングだったわけだから、毎週だったら単純に30分喋ってればボクの話を2時間聞きたいかどうかは別として、まあ毎週やるには30分がちょうどいいんじゃないかなと思って始めたわけです。
で、そんな中でICUCという集まりはね、なんか…なんかこう中途半になってしまったので、あとボク的になんかメンバーの人にどういう…恩恵って言うとアレですけど、できるのか?みたいなところがたぶんすごい悩んでしまって。で、まあ閉じました。閉じましたけども、この動画を続けていこうと。何か…なんか思いがあったんでしょうね。思いがあったんでしょうねって自分のことを他人ごとのように言っておりますが。ということでやっております。やっておりました。はい。
瞬間をアーカイブしておけば…
でね、なんかねYoutubeって100回続けてみたらとかって──これ本当は毎日100回続けてみたらとか言いますけどね、でもまあ毎週末ね、…週末になんか仕事とか、なんなら旅行とかね、分かんないけど何か事情というか何かがあったら出来ないんじゃないかなーと思ったりして。そういう時どうするのかなーと思いましたけど、なんだかんだ言ってやっておりますね。やりましたね、土日。…土日って決めておくと、土曜日か日曜日かって決めるとやれるんだなーってことはわかりましたね。うん。なんかねえ、今年、去年の夏で言うとフジロックとか見に行ったけどなんかやれてるもんなー。あれいつ撮ったんだっけな?よく覚えてないや。
でね、まあその間にね、こう親父が死んだりとかね、なんか色々あったりしたし。コロナで篭ってるからって事もあるし。自分自体が躁鬱気味の人間なのかというと躁鬱気味の人間というより鬱気味の人間なんじゃないかなと思ってるんですけど。なんか…これ見てる人にはね、暗いことをよく喋ってますよね?結構開けっぴろげにって言われたりしてて。だから、まあ知的好奇心向上委員会って名前で始めたとはいえ、結果的に言えば単純にボクのプライベートで喋ってるチャンネルなんでしょうね、きっとねー。…ってことはそれって結局Youtubeとなんら…なんかやってるYouTuberじゃん?!っていう話と全然変わらないと言えば変わらないんですけど。でもYouTuberとしては最低な視聴数のYouTuberなわけであって。果たしてこれはなぜやっているのか?ということに自分自身も…。誰かに言われたな!「あのICUCって何なんですか?」って誰かに言われたぞ?なんか対面した時に。見てるじゃん、むしろって言いながら。「いやあ、あれは別にそういうオンラインサロンがあったんですよー」みたいなことを言ってましたけど。まあそんな様なことを思いながらも。なんかむしろね、仕事で嫌な事とか、なんかこうスタッフに裏切られた的なこととかもあるんですけど、そういうこととか、親父が亡くなったとか、50歳になったとか、コロナで篭ってますとか、そういう時にむしろこの瞬間をアーカイブしておくってことがなんか面白いかなーとちょっと思ったんですね。だからもう知的好奇心向上委員会に果たしてなってるのかどうかということもあるんだけども、ボクが…ボクのその瞬間に思ったことか、その瞬間に出会ったこととか、それは別に出会ったってのは人でもあるし、映画でもあるしね、なんなら美術でもいいしとか、あとやった行動とか。そういうものからどういうインスピレーションみたいなものを受けたのかって事をその瞬間にこうメモしといた方がいいかなーって思ったっていうのはあります。
で、それはね、何回か前にどっかの回で喋ってますけど。個人的なブログを書き始めたのって38の時のなんだな。だから2008年なんですよ。2008年までは自分の思いとかっていうのを全然文章にしたためた事がなかったんですね。38になる年の、37の時に書き始めて。そこからはむしろブログ…そのブログって全然公開してないブログですけれども…だし、そこからは逆にむしろnoteで記名で書き始めたりとか。水道橋博士のメルマガで文章を書くみたいなことがあって、結局なんだかで言って2008年からは2022年まではまあ文章を書き続けているという人生にはなってるんですけど。逆に言うと、じゃあ会社に入ったのは23歳の時だと思うんですけど、23歳の時から37歳までの間は結構波乱万丈な…ねえ、ADだ、ディレクターだ、さんまのスーパーからくりTV!だ、金スマ、中居正広さんとね…とかってやってた時に、自分がどう思った?どう感じたか?なんてことはやっぱり書いてないんですよ。全然残ってない。当然思い出として残っていることもあるんですよね、うん。で、思い出として残っていることがあればいいのかなーなんて当時も思ったから…当時、写真とかも撮ってないですよね。また、だから写メというものが…ガラケーがあったからあったけど、パシャ!って撮ることがなんとなく日常じゃなかったから、うん。今とかはむしろね、なんか撮影とかあったらツーショット撮ったりとかもするし、なんなら収録風景とかパシャ!パシャ!スマホで撮っちゃったりしますけど、当時はそういうこともないから。ボクさんまさんと2ショットもないというか、さんまさんの写真持ってないですね。1枚もね。さんまさんって写真撮っちゃいけないんだろうなーと思ってたからかも知れないし。中居さんと写真もないですね。だからその時に一緒に仕事してた大竹しのぶさんとか飯島愛さんとか篠原涼子さんとの写真はあるんです。ベッキーとかと。あるんだけど、中居さんとだけの写真は本当にないですね。うん。
アーカイブしなかった後悔
だからちょっとだけ後悔がありますよね。そういう写真、ビジュアルという意味では写真という事ですし、逆に言えばその時そう思ってたみたいな話って、30歳なら30歳に思ってたことって今それを文章にすると30歳の時に思ってたことを50歳の目線で書いちゃうじゃないですか。そうすると何か30歳の時にあの時に部長のことムカついてたよなーみたいな話しって、その部長の年齢をはるかに超えた今の僕がそれを感想として書くと、まあ部長の気持ちもちょっと分かるんだよなー、30歳の生意気な角田に言ってたこと…みたいになってしまうと、結果的に30歳の時のボクの生っぽさと言うか、そういうものが文章で現れることはないんだなっていうふうに激しく後悔してるんです。それはまさに小説『AP』というのをね、書きましたけど、あれはアシスタントプロデューサーを主人公にしていますけども、それって自分が若いプロデューサーだった頃、あるいはディレクターだった頃、ADだった頃みたいなのを思い出して書いているところがちょっとあるんですよね。でもそれが本当に自分が…、じゃああの『AP』の主人公、三崎美南さんは25歳という設定ですけど、自分が25歳の時に思ってたことと、今の僕の年齢で25歳という設定で書いてることってやっぱり乖離があるんじゃないかなーとちょっと思ったりしてるんです。
なので。そういうのを思うのが嫌だなーっていうところがそもそもの、じゃあ今、それはじゃあもしかしたら10年経って自分が60過ぎになった時に、なんて言うんでしょうね、あの50歳の時に思ってた事って、60になったときに思うことと、60の時に50歳を振り返って見て思うことと今思っていることとの乖離みたいなものが生まれてしまうんだったら、少なくともこの50の時にこういう事を思っていたんだってことを、まあ一週間に一回ぐらい、30分ぐらい喋るのはどうだろう?って思ったってことかも知れないですね、自分が。このICUCってのをやってるというのは。
でね。だからずーっと見て頂いている方とか、なんならば文字起こしして下さってる方とかいらっしゃったりして。文字起こししているやつはむしろあれ、まとめて本にしたいなーと思ってますけどっほっほっほ!ねぇ、角田陽一郎の知的好奇心向上委員会、何万字になるのかなぁ?とか、分かんないですけど。せっかくあれだけ書いて頂いたから本にしたらいいなーとは思ってますけど。あの、その時はご相談させて下さい彩さんって話なんですけど。
なんかその…思ったことをアーカイブスるって事って結論から言うといいことしかないかなーとは思います。自分の思考が整理されていくし。ただ毎週々々30分喋るって事をずーっとやるということはやっぱり結構な労力だなというのもちょっと思いますね。ぃやあ〜今日やんなきゃ!って、ちょっと思ったこととかも100回のうち何回あるかなー?…でも2割ぐらいかなー。本当に1回止やめようかなと思ったのって去年の11…?去年だとて比較的最近ですよ、去年の10月か11月で、もう本当に止めようって確か思ったんだよなー。もう止めちゃえ!と。と思ったんだけど、思ったから…え?あの時どうだったか忘れちゃった。思ったから月曜日の三連休の…三連休だから月曜日にアップしたんだっけ?あれ確か土日にもうアップするのもう無理と思って止めてしまって。ただなんかちょっときっかけがあって、この事があるから喋れるーと思って、月曜日に確かやったんだっけな?みたいな日があったような気がします。うん。
青の時代の濃淡
だからそういう意味で言うとボクが49歳から51歳までに言った2年間のアーカイブはあるってことだなーと思っているし。…ピカソの青の時代ってあるじゃないですか。ね、ピカソがまだキュビズムでブレイクする前。青の時代に描いてた絵って全然売れてなかったんだけど、キュビズムでピカソがバーンと世界に出てしまったら青の時代の絵もめちゃくちゃ売れるっていう。あのピカソがあんな暗い絵を描いてた時代があったっていうの。だからそのアーカイブしているものってまあ大きく分けると2種類あって、そのすごい人のを歴史的事績っていう意味でのアーカイブってことと、いつか凄くなるだろうっていう人の青の時代のアーカイブっていう考え方もあるのかなーなんて思ったりしてて。それって51ですけど、今年52になる私ですけども、まだ青の時代なのかよ?!って一瞬思ったりもするし、もうずーっと青の時代なんだろうなーとも思ったりもするし。あれ?意外に青からもうちょっとだけ明るくなって来てる?ここ5、6年では…という風に思ったりもしてるけど、だからって全く明るいかと言われると全然明るくないよなーみたいなこととかも思ったりはしますね。そうするとね、そんな青の時代ばっかをずーっとアーカイブしていることに果たして意味があるのかなーなんてのも思ったりもするし。まあ、でもまあ、そもそも意味なんてないんだから、何人かはこのYoutube動画を楽しみにして下さってる方がいるということを認識はしているので、だったらやり続けてみようかなーとも、一方では思いますね。
さっきね、よく続けられましたねって言ったけど、逆に言えば一番続けられないのってその瞬間に病気になったしてる時じゃないですか。という意味では病気になってなかったっていうことですね。それが一番本当は嬉しいことかも知れないですね。その土日に自分の臥せってたりしたら…ね、とか、もし大病とかしてたりしたら、事故とかしてたりしたら、本当に出来なかったであろうが…、結果そういうことが無かったんで自分は喋れてたんだなとは思うので、うん。なんかそれでよかったのかなーなんて思ったりします。
よかったのかなと思うってのは最近は思うんですけど、それこそ若い頃思っていた自分に結構なってるなーっていう風にも、うーん、ちょっと達観して思ってしまう時もあるなーっていう。だから全然まだまだなんですよ。だから青の時代…ずーっと青の時代なんですけど、ずっと青の時代なんだけど、青の時代の割にはその青の中の群青色なのか、マリンブルーなのか、スカイブルーなのか、藍色なのか分かんないけど、なんかその濃淡の中で自分のやりたいことはやってきているのではないかなと。あとね、色々悲しいこととか寂しいこととか辛いこととかもありつつ、楽しいこともあったし。まあ楽しいことも悲しいことも辛いこともね、なんかムカついたこととかも、そういうものも全部織り交ぜることがタペストリーというかね、うん。そういうもの…人生のタペストリーとか言うとまたキザっぽいっすけど、なんか…なんか阿久悠さん的な詩っぽいですけどね(笑) まあそんなことは、筒美京平さんっぽいですけど、そんなことはアレですけど。あのー、──なんかねえ、うん、…それで良かったのかなーって事も思います。
知的好奇心○○○○○向上する
一方で何かね、よく新しいことを始めてみようって言ったりとかね、自分もこう…生まれ変わりっていうと大げさですけど、なんかこう更新してみたいっていうかね、自分をアップデートするっていう…あ!だから知的好奇心向上委員会って、結局アップデートって、知的好奇心を向上するって言ってたけど知的好奇心”が”向上する、知的好奇心”があるから”向上するとも言えるんですね。うん、100回で思ったということはそういうことがも知れないですね。この、もともとはね、皆さんの知的好奇心を向上しましょうということで始めた知的好奇心向上委員会なんだけど、今考えればそのそれぞれの知的好奇心、ボクで言うとボクの知的好奇心が結局日々の暮らしとか人生とかビジネスというかそういうものを向上させていくんだなってことが分かるかな、と。そうするともしや向上って上を向くって書くから常に上を向いているのかというまたなんか哲学的な話になるんだけど、なんかね、その上を向く上を向かないみたいなことではなくて、なんか日々生きていく中での辛いこととか悲しいことも含めて織りなしてる、織りなしてる柄の美しさみたいなものを感じるみたいなことかなーとちょっと思ったりもしますかね。なんか…何か良い事言ってるようで全然良いことを言ってない感じですいません、うふふふ(^^) 別に良いことを言おうと思っているわけでもないんですけど。うん、──まあ色々ありますよね。色々ありますけど、色々あるから楽しいのかなあと思うしねえ。こんな人間なんだなあと思うこともあるし、こういう人間だから味方な人もいるし、敵な人もいるし…とも思うし。面白いですね。
うん、まあ自分の中で言えば明らかに去年とか一昨年に比べて、去年とはやられてましたね。で、徐々に徐々に復活しきてきて。復活ってもね、またこれ、また…前々回ぐらい話したか。じゃあ2年前3年前とか明るかったと言ったら決して明るくないですからね。またグルグル回るな。じゃあ明るくなくてグダグダ喋ってるやつとかをこれ誰が聞きたくて見たくてみるんだろう?こんなんじゃダメだよ!みたいな風に一方で思ったりもするんだよなー。なんかメソッド動画っみたいな、悩み解決みたいな、ちゃんと10分できっちし!みたいな風にした方がいいのかなーなんて思ったりもするんだけどね。うん、どうでしょうね。分かんないです、んっふっふっふっふっふ。
前も、前も言ったって、100回目だからなんかこうアーカイブ分のアーカイブみたくなってますけど、歳取ってくるとだんだん分からないことが増えてきますね。若い頃の方が分かってましたね。歳取ってくると、若い頃Aと思ってたことが意外にBなのかなーって思ったりとか。AでもBでもどっちでもないんじゃないの?とも思うし。AとかBって決めなくていいんじゃないの?って思うことが結構出てくるってことが歳を取るということなんだなーとは思いますね。それが例えば人生の岐路でAとBというものがあったとして、昔だったらね、Aという人生があって。で、そのAというものを目指す。で、Aになったら嬉しい。で、AがダメだってBになったら悔しい、あるいは落ち込むみたいな。なんかこうやってたんだけど。歳取ってくると結果じゃあAが正しいと思っていることでBが正しくないと思っていることだとすると、Bの方に行っちゃてることの方が6:4ぐらいで多い様な気がしますね。Aの方を選んでることもありますよね、4割ぐらい。半々じゃない気がするな。6:4ぐらいだな。Bを6ぐらい…だから、うぅーん…語弊があるかな?Aが4割でBも4割ぐらいで、残りの2割はAでもBでもないものを選んでる、あるいは選べなくてというようなものがずーっと続いているみたいなものが人生なのかなと思うと、正しいのはAで、そのAが出来なければダメで。Aが出来てるから俺すげー!みたいなことを若い頃は思いがちだったんだけど、そういうふうに思えなくなるというのはむしろ必然な気がしますよねぇ?だってもしそういう風に今自分がまだ思っていたとするならAを100%近い確率で選んでたのか?Bという人生を否定しているか?どっちかしかないですもんね。そう考えると自分はねBの方がAより多いかも知れないし、イーブンぐらいかも知れないし、AでもBでもないのが2割ぐらいある人生の中で、それでいいのかなーと思ってるってとこもあるのかも知れないですね。うん、とは思います。
今日の絵のA
今日もねぇ、絵描いちゃったんですよね。今日はほら、カーリングの決勝やってたじゃないですか。日本vsイギリス。負けちゃいましたよね。あれやりながら絵を描いてたんですよね。絵を描いてて、描き上がった瞬間にね、なんか出来が良くないなーと思って。出来が良くないじゃんと思ったんだけど、それってカーリング負けた悔しさで見てたからかなと思って。そこからちょっと冷静になって見てたら、あ、なかなか悪くもないんじゃないかなーとちょっと思えたりもしてというか。
うん。アタラシリーズっていうのをやってるんですけど。新しい○○っていうのでタイトルだけ考えて描くというのをやってるんですけど、それの第4弾なんですけど。今日はなんかね、「あたらいい言語」ことはなんかね新しい言語、Neo Language、Langue、Neo Langue という描いてみました。
【Neo Langue 新しい言語(Ams)】
で、でもね、それそんなに、一応インスタに上げてますけど、こんな自分が書いたアート作品ですなんて言えるほどのものではないから、いつもやっているおはようございますSNSの画像の一つとして処理してしまいましたけれども。なんかねえ、新しい言語 language だからアルファベットのAっていうのだけで、Aだけずっと描いたんですよ、色んな色でカラフに。で、Aだけカラフルに描いて。でもそうすると何か物足りないなぁなんてちょっと思いながら、でも描いてて、ちょっと見てたらなかなか良い感じだなーと思ってて。で、いつも何かボク、描いた絵にね、なんかこう、なんかこう街というか都市みたいなもののイメージが想起されてくるんですね。で今回なんだろうなーなんて思って。なんかこのAの先端、とんがり屋根みたいなものがたくさんある街ってあったよなー…って思ってたら、オランダのアムステルダムね、アムス。アムスってね、ボク行ったことないんですけど、アムスってああいう三角屋根が結構象徴的だなーと思ってネットで検索してアムステルダムの街並見たらなんかボクの描いた新しい言語っていう絵とすごい重なってね。それがすごい面白かったんですよね。なのでその今日描いた絵のタイトルは【Neo Langue 新しい言語(Ams)】っていうタイトルになっております。いやだから何だって話じゃないんですけど、そういうのを描いてしまいました。はい。実は昨日もちょっと書いてたんですけど、それは、まだ、内緒です。んふふ!内緒ですって、なんか…、だんだんなんかもう、なんかもう絵を描くのが楽しくて。楽しいと言うかなんかね、何かのフラストレーションの発散になるんでしょうね、ボクの中で。だからこのラジオとかで喋るってなんか自分の思いというか人生をアーカイブしようということでやってるって言ったんだけど、なんか絵にも自分の思考みたいなものを何となくビジュアル化したものを画像として置いとこうみたいな思いがすごくボクの中ではあんのかも知れないですね。だから…ねぇ、すごいデッサンが上手いとか、そういう人間ではないわけだから、なんて言うかその瞬間にその言葉、新しい言語とか、新しい宗教とか、なんでもいいですし。2月10日とか2月12日ってことでいいんだけど、その瞬間の窓からの景色とかね。そういうものをその瞬間に自分がどういう風なビジュアルを手で描くのかっていうのもすごく面白いなあと思ったんです。
ああ!あともう1点。ボク基本左利きなんですよ。左利きなんで絵は左で描くんですね。左で描くんだけど、字だけ…食べるのも左なんですけど字だけ右に矯正されてるんでボク字は右なんですよ。なのでいつも油絵、ボク左手で描いてるんですけど、今回の新しい言語は”A”っての描くからずーっと右で描いてたっていう意味で言うと、初めて右手で描いた油絵かも知れないですね。
はい。ということで知的好奇心向上委員会でございました。ということで101回目また来週よろしくお願いします!失礼いたしまーす!
文字起こし後の文字寝かし
(好き勝手に思った感想を書き残しておくことを文字寝かしと言うことにしました)
何か…連絡があるのか?随想集の切りがいいところで準備するんだろうか?早くもド緊張の準備完了。CAMPFIREのICUCは渋谷に来られない方のための録画の部分だけはオンラインだったけど、基本対面。オンラインサロンと言いつつ対面=オフラインだった。コロナで初めてオンラインになったとも言えるかも知れない。私は気軽に話せそうとでなく、ただこの人の声をもうちょっと聞いていたいなと思ったんだろうな。「本気で話すは武器になる」というタイトルも好きだったし。ただ、毎回ド緊張で前日あんまり寝てなかったけど。
今、CAMPFIREサイトに行くとICUCは”閉鎖しました”になってない。参加ボタンがまだ生きている。ややこしくなるから冗談で参加ボタンは押しちゃダメだけど、ああ、生きてたんだなと思う。
文字数はですね、角田さんが30分喋ると約10,000字なので、かける100回分で1,000,000字!ただ、最初の頃は全文起こしてないので、その辺がネックになりそう。
もう止めちゃえ!と思ったのは2021年8月8日かな。翌日の9日に配信。9日の月曜は山の日の振替休日。確かに三連休で休日だった。さすが8月、誕生月でありネガティブがちの月。
72「孤独で生きること:メンタルが落ちてる時にどうするか?」
概要欄は、
この週末は、オリンピックも終わり台風も来て、なんとなくやる気が起こらず、そんな時に感じたことを、ただ喋ってるだけの動画になってしまいました。
躁鬱気味ではなく鬱気質だ。まさに前向きなネガティブの代表。毎週ICUCを見ているのは私だけじゃない。でも、いつも見てますという応援やら気持やら文字起こしやらが角田さんがICUCを続ける負担になってやしないだろうか?という心配は常にある。
去年は一昨年に比べて明らかにやられており徐々に復活。そうそう、そんなやられた症状は一気に良くなるものじゃない。良くなる方向を見つけながら徐々に。当然良くなる方向を見つけられずにグルグル探し回ったりもして。回復しながら、なんか今までと芯は同じなんだけど、一つも同じ服を着られなくなるというか。自分の芯ってこっちだったんだとか、芯はこれっぽちであとはこんなに変わるんだとか、いちいち発見し驚きながら進んでいく。…と、自分の時は感じたけど。角田さんは復活が早いのか、実はこの復活は数年かかる最初の1年か。
明るくなくてと言うけど、正直に開けっぴろげに喋るとネガティブは暗いという表現はちょっと違う気がするし、開けっぴろげなネガティブのおかげで適切な明るさに調整されてるとも思う。誰かの開けっぴろげなネガティブを聞くことは小さい驚きが詰まってる。今までネガティブを開けっぴろげにする人ってアーティストくらいだったんじゃないか?ブログがあって、SNSがあって、開けっぴろげネガティブが出来る人は増えた。それでもやっぱり少ない方だと思う。それは明るければ良いとか明るいから大丈夫ってことじゃないんだよと言ってる気がする。片方を欠いてるようなら心配しなさいと。だから角田さんは生き物として健全だと思う。
自分はキュビズムで青の時代を抜けたぞ!と思えるのは、何があれが思うことが出来るだろう?売れた、有名になった、権威がついたってことでも判断は出来そうだし、オリンピック選手の金メダルは分かりやすいかも。
ピカソの心中としてはずっと青だったことはないのかな?自分はこんなもんじゃない、もっと世界に知られるアーティストにでなきゃ!と実は思ってたとか。内観と外観だ。内でどう感じるか?外がどう見たか?外がどう見たかを内でどう見るか?の3つだ。
私の師匠はのんびり定年を待ってるうちに病気で倒れるかも知れないと定年を待たないことにしたそうだけど、どこでどんな道を選んだとしても”なる様にしかならない”と言ってしまったら、それは向上心の欠如だろうか?
もしこの世で一番難しい目標を達成できたら、逆に青で居続けることは夢が残される、場合によっては生きる希望になるかな?だから、青いから生きていけるとか。辛くて大変なことはたくさんあるだろうけど。達観して結局若い頃のやりたかったものは大体出来てると思うからこそ、角田さんは青い濃淡の中にいられるのかな。
さんまさんは写真撮っちゃいけないと思った。竹内まりやさんが歌手デビュー後に山下達郎さんにファンなのでサインを下さいと言うと、プロがそんなことではダメだみたいに注意されたって話がある。やっぱり仕事仲間という立場において尊敬はあってもファンではダメというのは間違ってないのではと思う。三崎美南さんもその気持ちの狭間で悩んでる感じがあったし、オトナに!最終回でユースケさんも「スタッフの好みで出演者選ぶことにな得意かない」みたいなことを言ってて、それはこのことじゃないかと思う。どうして照明さんになろうと思ったのか?と言って炎上した女優さんがいたけど、逆にそれが正常かもって気もする。演者が上、スタッフは下みたいな感覚が一等なくなると、その発言はお相手へのインタビューだねって思うんだけど、飲み会で聞くような。
歳をとると分からないことが増えるのは問題解決に必要と思う知識と経験が増え、選択肢も増えるから。死ななければその人の叡智は失われないけど、結局選択肢が増える一方となり、硬化という死を迎えるんだと聞いた。…嘘、漫画で読んだ。そうすると悟るというのは歳と共に得る経験とは何か根本的に違う場所に移動してしまうことなのかも。土俵が全然違うんだろうな。
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