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ICUC-085_2021.11.7【世界の見立て方:タイミングとセンスを意識する】

【ICUC知的好奇心向上委員会】の私の知的好奇心の向上&趣味の文字起こし。I see, You see ! Intellectual Curiosity Update Committee

新刊図書
『AP アシスタントプロデューサー』角田陽一郎著エパブリック
『仕事人生あんちょこ辞典』角田陽一郎/加藤昌治(ベストセラーズ刊)

角田陽一郎85「世界の見立て方:タイミングとセンスを意識する」ICUC知的好奇心向上委員会

観たいモノ、やりたいコト、会いたいヒト、行きたいトコロ、手に入れたいモノ、全部を観たりやったり会ったり行ったり手にすることはそもそも不可能。最近の自分はたまたま出逢えば、観るしやるし会うし行くし手に入れることにしている。たまたま出逢えなければ、もうそれは自分と縁が無かったんだ。

縁があるモノコトヒトトコロ、どうもはじめまして、こんにちは。
縁がないモノコトヒトトコロ、とても残念ですが、さようなら。

こうして、縁がつながって、その縁からまた縁がつながって、自分という思考が趣向が嗅覚が、できていくのだ。
自己とは、自分に縁を手繰り寄せて行く“タイミング=きっかけ”と“センス=感覚”と、その“意識=コンシャスネス”なのかもしれない。

角田陽一郎 オフィシャルwebサイト

mireva channel

動画の内容(+文字起こしメモ&感想)

カメラの傷

 おはようございまーす。ICUC知的好奇心向上委員会でございます。バラエティプロデューサー角田陽一郎でございます。今日は11月7日でございまして。私は今ですね、自分の親族の葬儀の終わり…葬儀が終わりまして。なのでこういう礼服…が、ちょっと、ネクタイ、慣れてないものですから、今ネクタイを締めながら撮影しようか?すごい迷ったんですけど、苦しいので(笑) ネクタイ緩くしたまま今戻っておる感じでございます。
 朝8時みたいな、なんかすごい…ボク千葉なんですけど、千葉の田舎なんで、本当に2時間ぐらい、2時間半ぐらいかかるんですけど、もうすんごい朝早い葬儀だったものですから、都心を5時半とかに出てみたいな感じなんで、今すごい眠いんですけど。そうそう、だから眠いから眠らないためにも、こうやって喋りながら移動した方がいいなーなんて、ちょっと思ったりとかね、そんなことを思いながらしております。…何を?ああ、配信を…撮影をね(笑) 何を?って(笑)自分で言うのもなんですけど。はい、そんな感じで行きたいと思っています。
 今日何話そうかなーと思ったんですけど。えーとね、そんなにこう、人が病気になったとか人が痛いみたいな話って、なんかそんなに聞きたくないとかありません?ボクはそうなんで、そういう題材でするの嫌だなーと思うんですけど。手短に言うと、ボク左目がずーっとなんか飛蚊症が大きく…大きい飛蚊症になってて。で、それこそ何年か前に網膜剥離をまさに左目でやったりとかして。まあ色々なんか定期的にお医者さんに行ってるんですけど。
 そんなにこう、何て言うんでしょうね、そのことに関しては大きい病気ではないんですけど。ただ飛蚊症って年取ってくるとなってくるとか言うし、今年の1月にね、ちょっとこうストレスフルなことが起こって、それでずーっと、そこからなんか突如ね、現れたんですね。だからもう、眼球の中に糸くずがと言うか。本当に何かこう、海の砂浜とかを歩いてると青い空の上でトンビが舞ってたりすると「トンビだ」と思うみたいなものが自分の左目の視界には常にあるみたいな感じだったんですよね。トンビ…青空のトンビとも言えるし、それこそ形で言うと糸くずと言うか、顕微鏡でミジンコを見た時、あのミジンコっぽいと言うか。だからミジンコがずーっとぷかぷか浮いてるよなーという感じだったんですよ。で、急いで病院行ってね、眼科さんに行って、受付の、これまた網膜剥離再発なら嫌だなーと思って行ってみたら、網膜剥離の方は大丈夫で、単純にこれ飛蚊症なんで「うん、これはもう慣れてもらうしかないですね」みたいなこととか言われて。え?え!とか思ってたんですよ。で、思ったまま、だから常にこう…何て言うんですか、カメラで撮ってるカメラで言うと、カメラに傷があって…とかね、あるじゃないですか。常にクリアな映像ではないんだなーって思った時に、まあボクはほら、それこそ映像系な方に元々いるわけだから、ああもうボクのカメラではクリアな映像には表現できないんだっていう風に思ったりもしてたわけです。
 うん。そうなんですけど。11月2日にですね、ちょうど映画を観に行って。新宿で「TOVE(トーベ)」って言う、トーベ・ヤンソンというムーミンの原作者の女性のね。そう、だから彼女ってレズビアンであったりとか、バイセクシャルであったりみたいなこととかがあって、そういうのの葛藤みたいなものが描かれてる作品で、なかなか面白かったんですけど。それを観てる時に、ふと、「あれ?左目の糸くずが無くなってるよな…」なんて思ったんですよ。うん。もしかしたら、もう数日前から無くなってた様な気もするんですけど、それは定かではないんですけど、その時はっきりと「あ、無いじゃん!」って思って。で、無いじゃんと思って新宿を歩いて、「ああなんかクリアになってる」って思ったっていうのって──そこからボク、なんかクリアになった感じがするんですよね。

メガネの傷

 ちなみに、今これ、この眼鏡、丸っこい眼鏡かけてますけど。この眼鏡ボクすごい気に入ってるんですけどね、フレームとかが。気に入ってるんですけど、これレンズだけ今年に変えたのかな、それこそちょっと視力が変わってきたからと思って。変えて半年くらい、だから替えたばっかと言えばばっかなんだけど、まさにこの左目のところがちょっと傷じゃないんだけど汚れ…落ちない汚れみたいなものがあって。なんか変化してしまった?レンズが。今プラスチックですからね、なんかちょっと…。で、あるから、この眼鏡って気に入ってるんですけど、この眼鏡をかけると左目がちょっと(笑) 見える…なんて言うのかな、そういうちょっとゴミみたいなのが見えるって言うのがあって。いや、結構気になるんですよ。ちょうどこの目のところだから。
 だからまた面白いんですけど、それが気になるなーって思い始めたのがここ…いつ傷を付けちゃったのか?勝手に変色したのか知らんけど、付いたなって思ったのが本当にここ1・2週間とかで。また眼鏡のレンズ替えるの?このレンズちょっと特殊なレンズなんでお金高いんだよなー…まあいいんですけどね、ドイツ式検眼でやってるレンズなんで、まあいいんですけど。まあそんなことを思ってると、むしろ左目の方のノイズみたいなものは無くなったんだけど、左目の眼鏡のノイズはあるっていう、まあこれって面白いなーと思うんですけどね。まあ面白いと思うんですけど、左目自体のレンズはなんかクリアになったんで、ボクはすごいクリアな気分で嬉しいわけです。うん。
 それがね、えーと3日が水曜日でしたよね?2日が火曜日ですよね…だから3日、それこそ海の街のね、スタジオに篭って、そしたらなんかすごい──ちょうど3日って晴れの特異日なんですよね、11月3日って。だから天気も晴れてて。そうすると晴れてると気持ちいいんですよ、スタジオ、あの陽光が。で、もう暑くもなく寒くもなくみたいな。秋の気配を感じながら。なのでそれこそ8月の誕生日にボク油絵セットを貰ったんで、油絵をやってみたんですけど、久しぶりにまたちょっと描いてみるかと思って。全然やったことないんで、下手とか上手いとかは全然関係なく。ただやってみるのはどうかなーと思って絵を描いたりしました。

 そうするとね、その絵を描くってなんか自分が思ってることがどう具体化されるか?みたいなことを、一方で自分が…自分の目がとか、自分の体がとか、どこか行ったことがあるとか、写真で撮ったものがあるとか、画像として印象に残ってるものをミックスして…ミキシングして描くって、すごい楽しいんだなーって思いました。ここはこういう感じで…みたいなことを戦略的にと言うよりは何となく自分が今、インスピラシオンと言うか、インスピラシオンのままに描くってこれほど気持ちいいことなんだなーなんて思いました。で、その絵には左上にね、太陽みたいなものをぐるぐるぐるーって、渦…。ボクはよく渦、ボルテックスって言ってるんで、渦みたいなものを極彩色で描いてあって。それってボクの中ではボクの中ではたぶんクリアになった左目なんですよね。そう、そのクリアになった感じが絵として具体的にここに出てくるっていうことがなんかすごいやってて…なんかすーっとしたんですよね。

見立て

 で、ここまではメルマガが。ちょうどだから11月5日が新月だったんで、私がやってるメルマガ「DIVERSE」ってメルマガは新月と満月発行なのでちょうど5日の日が新月だったんで、それこそ2日の目がクリアになった体験とその3日の油絵を描いたって体験を元に文章化して新月に書いたんですね。
 で、その時に…5日の日が新月で、なんかこう新しいことが始まる月だなーと思ってるし、それこそ石井ゆかりさんの占いというを私はよく見てて。これはその占いを信じるとか信じないとかじゃなくて、その日にち、その瞬間にその文章なり言葉なりを自分が受け入れるという、出会ってしまうという事って何か意味があると言うか。別に意味がないかも知れないんだけど、その時にその言葉を知ってしまうってことには結果自分の思考がその言葉に寄って行くわけだから、やっぱり意味があるんだと思うんです。だからその瞬間にその言葉を頂くという一つのツールとして星占いとか、あと易もしてますけど、この世界をどう見立てるか?みたいな、一つの見立て方を聞いてるんだと思うんですけどね。
 …の時に、当然5日だから新しいことが起こりますよって書いてあって。ああそうなんだーなんて思ってたら、なんかこう仕事みたいな感じが。新しい仕事が来たと言うよりは、新しい仕事としてカウントされてた先週、先々週とかにやってきた仕事とかが本当に具体的に決まりました。なので、今度スケジュール出して来週話しましょうとか、来週収録しましょうみたいな感じに案件がどん、どん、と来たりするわけです。へぇぇ!と思って。だからなんかそれって新月だから新しいことが来るという様な、新しい何かが始まるんだっていうお言葉を頂いたから本当に新しいことが来たのか、すごい分析すれば11月の1週目の週末、金曜日だから、なんか年末に向けて何か新しいことを始めようってなった時に、ちょうど決済が下りやすい時なのか、その辺は分かんないんですけど。まあ金曜日にそういう様な感じで新しいことが始まろうとしてるわけです。で、一方でね。なんか終わりそうな事とかもあったりとか。うん、あったりして。つまりこう新陳代謝のタイミングなんだなー5日、みたいには思ってたわけです。
 一方で、石井ゆかりさんの占いって話をしましたけど。毎日来る占いと、1週間毎に来る占いと、毎月来る占いと、半年毎に来る占いと、今年の運勢、みたいなものが色んなレイヤーで来るんですけど。11月になったんで毎月の占いみたいなものを見てるわけですよね。で、見てると、今月のタイミングみたいな感じ、月の動きで例えば11月の20日はなんかちょっと人との出会いが多くなりますよとか、この日はちょっと経済的にとか、この日は恋愛的に上手くいきそうみたいな感じってよく出てるじゃないですか。で、またそれがボクは恋愛的にどうだとか経済的にどうだとかそういうことはそんなにどうでもよくて。その日ってそういうタイミングなんだって、その占われてる言葉をどう自分の世界の見立てに使うか?みたいなことで意識してるだけなんですけど。

家族のことを考える週

 そうしたら11月5日、11月6日ぐらいの今週の占いみたいなのを見てたら、私は獅子座なんですけど、獅子座は家族とかなんかそういうところでの変化とか、家族のこととかをちょっと考えるきっかけになりそうですみたいなことが書いてあって。で、そうかなぁ?そんなきっかけ…そう書いてあるんだけど、そんなに…そんなに、そんなに、家族のことを考える週になるのかなぁ?なんか仕事とかはなりそうな感じするし、人間関係って言っても友人とかの方とか仕事にまつわるみたいなものでは関わることはあるけど、家族とかそんなにないんじゃないかなーと思ってたんですよ。で、思ってたら、でもその11月2日にボクの目がクリアになったって言いましたけど、2日に叔母が亡くなったんですね。
 叔母が亡くなって。叔母と言っても本当に、97歳とかなんで大往生なんで、全然…悲しいと言うよりは大往生だったなっていう、お疲れさまでしたっていう様な思いなので、そんなに悲しみがあるということでもないんですね。だけどそれが2日に亡くなられたんで、色々なってお葬式がつまり今日だったんですよ。で、今日で。今それこそ1回実家寄って、妹と一緒に葬儀場まで行って。で、その行き帰りの中ではまさに妹なので家族の話するじゃないですか。で、葬儀場に着いたら親戚とかがいるから久しぶりにああどうもどうもと言いながら、あの時こんなことあったよねーとかいう様な思い出話もあるけど、最近こうなんだよねみたいな話って言うか、つまり家族の話するじゃないですか。
 そう。で、そういうのが終わって、今一人で帰ってるんですけど。あれ?結局占い通りになってるじゃんみたいな(笑) あれ?結局家族のことを考える週だったんだなーみたいな。──これって。なんかそういう歯車みたいなので、ただの一つの偶然なんですかねぇ。ただの偶然なんだろうなーとも思えるし、なんか…何か偶然じゃないくて、そこに配置されてる感じじゃないのかなーって、すごく思っちゃったりするんですよね。
 だからなんか火曜日くらいから…なんかね。そう考えるとまた面白いですね。その火曜日に見た映画「TOVE(トーベ)」って言う、トーベ・ヤンソンの映画のトーベだって父親との確執なのかとかね、結婚するかしないかとかも含めたりとか、そんな中で同性に惹かれて行く自分みたいな。一方でアーティストを標榜してるんだけど絵は売れず、挿絵で描いていた漫画のムーミンの方がヒットし…みたいな。色んな葛藤みたいなものが描かれてるんだけけど。なんかそんな様な自分の仕事と自分の生活と家族みたいなものがミックスされた映画を観た日に、自分の目がクリアになり、叔母が死に…みたいな。

タイミングの波とセンスの波の符調

 で、そこら辺から仕事の新しいのが始まる/終わるみたいなことがやって来て、金、土、日とすると、この1週間なんか本当にまるで占いというか…占いだけじゃないんだけど、そういう言葉に見立てられてた様な感じで自分の世界が進んで行ってるって、なんなんだろうなーとか思うんですよね。奇妙だよなーみたいな。いや偶然だし、思い過ごしだし、確率論的に言うとそう言うことってのはあるんですよみたいな風な説明とかを言われてしまったら全くそうなのかも知れないんだけど。なんか符合する感じって言うかね。符調が合ってると言うかね。なんかこれって…なんか、すごいことなんだなーって思うわけです。
 この符調が合ってるとかっていう、こう、波があったとして、この波に自分の感覚みたいなものがすいごい符調が整って行く感じって、なんか面白いなーといつも思うのは、さっきもね…さっきもと言うか、いつもおはようございますSNSをやってるんで、今日何書こうかなーと思ったら、そんな思いで書いたんで──良いことが例えば起こるじゃないですか。良いこと、俗に。皆さんにとって良いことが何か分かんないけど、良いことが起こるじゃないですか。で、良いことが起こって、その良いことって本当に良いことなんだっけ?ということが…。あとで反転したりすることってありません?良いことがあったばっかりに悪いことが…みたいな。ふふ。で、一方で悪いことが起こるんだけど、じゃあ悪いことって本当に悪いことなのかな?と思うと、あの悪いことがきっかけで生き方を思い直して良い方向に向かうみたいな事とかがあったりすると、良いことが本当に良いことで、悪いことが本当に悪いことなのか?って、思っちゃったりするわけです。

 そうするとさっきの世界の見立てられてるものとの自分の符調が合うか?みたいな、符合するか?みたいなことって、物理的に良いことが起こるとか悪いことが起こるとか、そういう様なことじゃなくて、それが仮に何が起こったとしても自分の感覚でどう差配していく…って言うとちょっと違うかな。差配して行く…自分の感覚でどうそれを受け止める、受け止めないというのも含めて、どうやって行くのか?みたいなことの方が、実は人生の大部分はそういうことだし、なんなら自分がよく自己/アイデンティティ、自己って何?って言いますけどね、自己/アイデンティティってむしろその符合させるための、何か起こったタイミングとそのタイミングに良いことを良いことと理解するか?悪い事の始まりとして自重するか?とか、そういうことをどう感じるか?というセンス。つまりタイミングとセンス。うん、そのタイミングとセンスというものを意識している、意識、コンシャスネス…。つまりタミイングとセンスというのをコンシャスネスすることが自己なのではないか?アイデンティティなのではないか?っていう事とかをすごく思ったんですよね。

※ 符 ”調” については文字寝かしで。

波の符調の見立てと連鎖

 なんか思ったんで、昨日の夜、11月6日にそういう文章をnoteに世界はすべてバラエティになるってマガジンに書いたんですけど。

 それって、だからボクの中でなんとなくおはようございますで何か言葉を紡いでて、それとは別にもうちょっとだけ長文の…短文ですけどね、短文だけどちょっとだけ長い文章を上げてて。で、それって結局ボクの中で今週起こった左目のことだったり、映画「TVOE」だったり、叔母が亡くなったりとか、なんかそういう事の、あらゆる事への符調がそっちの方向に向かってて、それがこう言語化されるとそういう言葉になってるんだろうなー。
 で、もしかしたら。石井ゆかりさんがどういう風に文章をお書きになってるかは全然知らないけども、そいうい符調ってボクだったら映画を観たとか、自分の左目とか、そういうような自分の近くの環境をどう記述するとおはようございますSNSになるか?とか、世界はすべてバラエティになるの文章になるか?っていう風にやってるんだけども。なんだったらそれを映像化すると番組になるし、自分で喋ったりするとこういう動画になるし、これをコンサルとかね、ビジネスとかで話してればそこから新しい仕事が生まれるかも知れないし…みたいな感じで言うと、なんかあらゆる外世界とアクセスしたもののタイミングとセンスみたいなものが符調して文章になってるって考えると、それって究極的には月の運行(笑)?星座の運行とかからの符調でこういう風に感じるって言っても、なんかもう、むしろ間違いじゃないんじゃないかなーなんて思ったりするんですよね。
 間違い…?間違いか間違いじゃないかみたいなことで言うとまたちょっと言葉遣いが若干間違ってるから…うん。その星の動きみたいなものからどうこの世界が、どうこの自分が感じ取って、センシティブにね、感じ取って。自分のタイミングで起こったものとかをどう感じ取って、それを意識していくか?みたいなことが生き方の総体なんだなーなんてことを思うわけです。
 ボクが言ってることが上手く説明出来てるとも思えないので。なんかよく分かんないや。何か何か適当に言いくるめられてるだけかなーって仮に思う方がいたとして。一方でなるほど!と。角田の言ってることはなかなか得心するなというか、そうだねって思われる方もいらっしゃるかも知ないし。つまりそれって、という様なこの世界で起こった様々なことを自分のタイミングとセンスでコンシャスネスした意識みたいなものが角田陽一郎であって。その角田陽一郎が今、葬儀の帰りにこんな感じで移動しながら喋ってる…この喋った見立てみたいなものが果たして今度これを見た方にどの様な見立てになってるのか?「そうそう!私も!」なのか、「いやぁ、なんか如何わしいこと言ってるな」なのか。そこでまた繋がって行くわけですよね。
 なんかそれってすごい──元々はね、ただの自分の左目がクリアになったって話なだけなのに、結局それが言語化されて、映像化されて、言葉になって、音になってね、うん…広がって行くと言うか、誰かの見立てになって行くみたな。見立ての連鎖みたいなものってすごい面白いなーって思うんですよね。

今週の出来事は論文へ

 これ面白いんだよなー。これ、あの、こんなことここで言っちゃっていいのか分からないけど。今、博士論文をね、そもそも今博士課程1年なんで、論文を何書こうかなと思ってる時に──修士論文はね、去年書いたのは「バラエティ番組の制作システムから考察するテレビの演出効果」っていう…あ、「検証する」だ。えーと、「バラエティ番組の制作システムから検証するテレビの演出効果」っていうタイトルの論文を書いたんですけど。当然それをアップデートしながら…って思った時に、自分がバラエティ番組を作るとか、なんならビジネスをしているという時に、そのやってることみたいなものが連関して行く感じっていうのって、なんかこう記述・論述化したいなーと思ってるんですよね。これってボクがやってる独自な方法…独自かどうか分かんないんだけど、もっと普遍的な点もあるよなーと思った時に──全然普天的じゃなくて、角田の言うパーソナルなものだからやってる/やれてるっていうところもあるけど、なんか応用出来るんではないかなーみたいなことを、むしろ論文化してみたいなーみたいな想いは思ってたんだけど。
 それこそね、目がクリアになって、なんか自分がこう…なんかこう、今やるべきことみたいな事が見えてくると、むしろその経緯、プロセスみたいなものを言語化する。それが論文となって世に出た時に、またそれが新しいビジネスの見立てになって、新しい生き方の見立てになるみたいなものになったら、自分がただ論文書いてるよりも意味があるのではないかなーなんて思ったりもするわけです。
 だからそれをね、それこそ今週いっぱいくらいまでに…ちょっと論文をどういう風にやるかを具体的にやる必要があってね。ぎゅう〜って唸ってるんですけど。何かたまたまね、今日、今週起こった色んな、今週のタイミングで起こった色んな事がね、結果ね、自分の論文のテーマに繋がって行くっていうことがまた面白いなーと思ったのが昨日なんだな。
 昨日ちょっとまず論文にキーワードを当てはめてみようと思って。渦とかね。なんかそういうタイミングみたいな話とか、話というか自分でノートに書いてる時に、ああこれってつまり自分の生きてる…まあ生き様と言っちゃってもいいのかな?生きてる事と、自分が実際に論文で研究しようとしてることがすごい重なり合うっていう…これすーげぇ面白いなーと思って。すげぇ面白いなーと思ったことを伝えたいなーと思ったんですよね。それが伝わる論文になったら面白いなーなんて思いながらも…まだ書いてないですけどね、うふふ。うん、やらなきゃなーと思ってるんで。このまま急いで戻ったら始めてみようかなーとかは…。でも朝早かったから始めようかなと思う前に寝ちゃったりするんだよな、うっふっふっふ。それがまたね、あの…ね。でも行って帰って結構ロングドライブですからね。疲れますよね。そんなことも思います。

お誕生日おめでとうAP

 そうそう。今日はね、うちのアシスタント・プロデューサー誕生日なんですよ。うん。だからさっきおめでとうございますとLINE送ってね。これからワクワクすることをやりましょうみたいな。送ったんだけど、それがね、葬儀帰りの…だからつまり生と死が重なった日なんだなー11月7日っていうのは…と思って。ちょっと面白いなと思うんですよ。葬儀場のところでお誕生おめでとうってメール送ってるみたいな。メッセ送ってるみたいなのって、なんかすごい面白いなーと思うんですよね。うん、おめでたいことと、おめでたくないこと…と言うとあれだけど。悲しい事と楽しい事ってのは表裏一体だなーということとか。楽しいと言うか嬉しいと言うか。だからその、本当は喜怒哀楽みたいなものって明確にあって、それが起こるというよりは何かそのタイミングで起こったものが結果自分がセンス・感じると喜怒哀楽になるんだなってことが、なんかすごい分かった1週間でございました、と。はい。そんな感じでバラエティプロデューサー角田陽一郎でございました。また来週よろしくお願いいたしますー。

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文字起こし後の文字寝かし

(好き勝手に思った感想を書き残しておくことを文字寝かしと言うことにしました)

 今回すごく悩んだのが符牒符調か。符調だろうと思ったけど変換に出ず。では符牒か?と思ったけど、これははいわゆる業界用語を指すのでやっぱり違う。で、符調を検索すると単語の意味としては符牒の方が出てくるし、符調という単語はないと言ってる方もいて……
 一つだけ。「ふりがな文庫」というサイトに”符調”の掲載があり、”符調”のふりがなが多い作者として江戸後期の商人・随筆家の鈴木牧之、戯作家の山東京山との紹介が。これは単語としてあると言っていいのか、ないと言うべきなのか。でも、江戸後期に使われていたけど現在は検索しても出てこない単語にせっかく会えたんだから、この文字起こしでは「符調」を使うことにした。なんかすごい発見した気分。

 左目がクリアになるとは何だろうと思っていたけど、飛蚊症だったのか。とにかく治ってしまって良かった。身代わり地蔵ならぬ身代わり眼鏡みたい。
 飛蚊症といえば志村けんさんが飛蚊症の症状だと知らずに目の前を鬱陶しく飛ぶ虫を一生懸命捕まえようとしたというエピソードを聞いた事がある。私の左目にも透明なミジンコが視界の端の方に住んでいる。透明なので綺麗な白い壁や広い青空でないと会えないし、なにぶん視界の端にいるので、焦点を合わせようとするとミジンコは視界の外へと逃げて行くけど、ミジンコが住んでると思うと可愛く思えてくる不思議。そう思うと会えない不思議。
 昔々左足の薬指の裏にイボがあり、完治するまで2年かかった。何度も何度も液体窒素で焼き続けたのに、治った原因は学生時代のアルバイト仲間に偶然会ったという、そのテンション爆上げによってだった。病は気からは本当、逆に気によって治ることもある。プラセボ効果もそうだけど、幸せだとか楽しいとか、そういう気持ちの時の免疫力や体質改善の効果なんだろう。持病のベーチェット病は「へぇぇ、そんなご大層な病気なのか、そりゃすごいや!」と全然自分ごととして捉えられなかったがために失明の危機に遭うこともなく、そろそろ寛解20年越え。馬鹿も時には功を奏す。機嫌良く過ごすというのは本当に大事。

 陶芸、折り紙、油絵、手を使う趣味があるのはすごくいいことだと思う。インスピラシオンのまま描くということが私には出来ないので羨ましい。
 YouTube動画「The helical model - our solar system is a vortex」これが角田さんが渦を意識する様になったきっかけだと記憶してるけど、今回これを思い出した。星はその場で回転しているだけでなく、太陽系ごと螺旋を描きながら進んでいるというもの。その螺旋を横から、二次元で見ると波なんだな、と。
 タイミングという波と、自分のセンスの波、2つの波の符調を読み解き、見立てる。どうやって文章に落とし込んでいるのか分からないけど、占い師という一人の人間が翻訳機になって言葉にしてる感じがする人がいる。すみれ書房の方のおすすめで、石井ゆかり著「あしたの星占い」を読んでみたとき、これぞ”表現”だと思った。センスや興味がないと難しいアートとは違って、文章というロジカルなものに翻訳することは”表現”色が濃い、強い、と思う。

 見立ての連鎖にこそ自分のセンスが強く問われる。もしかしたらお前なんか馬鹿だということが大事な見立てだったのかも知れないし、見立てを間違えば自分は馬鹿なんだと思い込んで、どんどん暗くなってしまう。石井ゆかりさんは著書で”生きている限りは生きている方向へ向かねばならず、占いとは生きることの未来へのわずかな希望だ”と書かれていたけど、角田さんの言う様に良い事か悪い事かはどっちでもよくて、じゃあセンスとはなんだろう?見立てって何を見るの?と思った時、自分が生きること、生きる方向に向くことが出来る見立てを持つことが正解なんじゃないかと思う。

 昨晩、夜中にふと目が覚めた。本当に睡眠の質が悪いので寝つけない/目が覚めるはもはや通常運転ですらあるんだけど──お金って0か1にしかならい。どうやっても2以上にならないんだと思った。金は天下の回りものと言うけど、ここを0にして次を1にする。それだけを繰り返して回る、何も生まないものなんだなと。例えば読書なら占いや見立てに使うことが出来るし、今日読んだ感想と10年後に読んだ感想はたぶん違う。その本を手に入れるという0→1はお金でも出来るけど、読んでどうなるかという2→xはお金には出来ないこと。
 コトブキツカサさんはいつも「ぜひ映画館で体験してみてください」と仰る。体験にお金を使う事を、──もちろんいくら体験だとしてもお金が勿体無いことはあるし、どんな体験でも自分の何かになったと思えばいいものでもないと思うけど──、お金を使うなら2以上に見立てられるモノや体験に使いたいと思う。

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