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ICUC-084_2021.10.31【自分が使えるモノでしか自分の世界は創れない:庵野秀明と村上春樹】

【ICUC知的好奇心向上委員会】の私の知的好奇心の向上&趣味の文字起こし。I see, You see ! Intellectual Curiosity Update Committee

新刊図書
『AP アシスタントプロデューサー』角田陽一郎著エパブリック
『仕事人生あんちょこ辞典』角田陽一郎/加藤昌治(ベストセラーズ刊)

角田陽一郎84「自分が使えるモノでしか自分の世界は創れない:庵野秀明と村上春樹」ICUC知的好奇心向上委員会

国立新美術館の庵野秀明展に行ってきました。
BRUTUSの村上春樹特集を見ました。
V6の学校へ行こう!の最終回を見ました。
そんなこんなで、自分が思ったことを話しています。

角田陽一郎 オフィシャルwebサイト

mireva channel

動画の内容(+文字起こしメモ&感想)

気持ちいい天気でICUCを撮ろう

 おはようございまーす。ICUC知的好奇心向上委員会でございます。バラエティプロデューサー角田陽一郎でございまぁーす。今日は10月30日土曜日、まだ朝なんですね。朝、今日すごいいい天気で、なんかちょっと気持ちいいなーと思って。今日は朝からちょっと東京に行く用事があったんで、今、東京に向かってる最中なんですけど。本当はね、移動中とかってボク大体やってること3つ…4つ?うふふ、数字分かんないじゃねぇかって話なんですけど。音楽聞いてるか、大学の講義聞いてるか、打ち合わせ的なものをやり取りしてるか、それで3つか。で、あと(笑)ツイキャスしてるか、4つ。まあツイキャスとこれは同じ様なものだとすると、そんな様な感じでやってて。今日はなんか本当は大学の講義でも聞きながら東京へ行こうかなーと思ってたんですけど。なんか本当に朝すごい気持ちよくて。この気持ちいい時にアイシュウシュイ…アイシュ、言えてない、ICUC撮っといた方がいいかなってちょっと思ったりもしたわけです。で、本当はね、明日10月31日 日曜日じゃないですか。で、11月1日から月曜日ってなんかキリがよくて気持ちいいですよね。もう11月から月曜日が始まる、頑張ろうとか思うとすると、本当は明日のね、10月31日の日曜日に10月の総括的な感じで喋ってもいいかなーって思ってたんだけど。なんか今日の、今朝の陽光の気持ちよさに引きずられて、今、気持ちいい、気持ちいい時に喋ってみるのもアリだなーと思ったんです。気持ちがどんよりした時に喋ってるとどんよりした事しか…どんよりした雰囲気だし、どんよりした内容になっちゃういますよね。で、比較的気持ちがどんよりしてることが私は多いので(笑) このICUCは比較的どんよりとした話をしてるんじゃないかなーなんて思うんですけど。で、実は今日もどんよりした話をするんじゃないかなーなんて個人的には思ってるんだけど。気持ち的にはどんよりしてなくて晴天、秋の陽射しの中で喋っておりますということでございます、と。

学校へ行こう

 今週何があったかって言うとですね。何があったかって言うと、まあ色々仕事はしてるんですけどね。──水曜日…火曜日か。火曜日に「学校へ行こう」のね、生放送3時間スペシャル最終回か…V6さん明日で解散なんでしたっけ?なので、あったりして。ボクね、「学校へ行こう」って自分は全然関わってないですし、ただ「さんまのSUPERからくりTV!」でやってた時に「学校へ行こう」が立ち上がって。プロデューサーやディレクターが被ってたりしてたんで、お隣同士みたいな番組だったんですね。どちらも俗に”素人”と言いますけど、一般の方に出てもらって、どう面白く見せるか?ってところにある種の命を掛けてた番組なので、それをやり合った番組っていう感じでございます。だから一方で「こんなの面白くねぇよ!こっちのが面白れぇよ!」とか思いながらやってたなーとか。なんかすごい印象に残ってますね。編集室も同じ感じで、編集で…箱、箱ってボクらは言うんですけどね、編集室の隣同士の箱だった時に、隣の箱でADの若い女の子がきゃらきゃら笑いながら編集してるのを見てて。自分の番組でこんだけ笑えるのはすごくいいことだよなーなんて思いながらも、その動画をボクが見た時に全然笑えなかったことがあって。なんかすごい作為的でね。ああ、ここでもう笑える・笑えないのジェネレーションギャップがあるんだなーって。ボクもまだその時20代後半、なんなら30代ぐらいになったばっかりだったんですけど。そんな様に思った記憶もあります。その時に初めてジェネレーションギャップを感じたなーみたいな。「こんなんで面白いんだ…」みたいな。そんな記憶があります。
 でね。「学校へ行こう」を3時間見た翌日ね、ある知り合いの芸能プロダクションの社長からメールが来て。「僕は全然面白くなかったです。ひどかったな、あの番組。」という風なの頂いて。その方の意見もごもっともだなーとも思ったんです。ボクもね、面白かったかと言うと、そんなに面白くなかったんだと思うんです。そんなに面白くなかったと言うと語弊があるんだけど、楽しんだから。だけどなんかその楽しんだのって、あの頃の「学校へ行こう」を知ってて、その「学校へ行こう」世代の、当時出てたね、パーク・マンサーとかね、尾崎豆とかね、そういう人が再び出て来て、そんなネタで「笑ったよね!あの頃ボクたちは!」っていうところを懐かしむ番組だったんで。ボクも「学校へ行こう」を見て笑いながらウルウルしちゃったのは、なんかその頃の自分のノスタルジアみたいなものだと思うんですよ。
 で、V6さんが解散するっていうことであの3時間番組をやってるってことは、そんなノスタルジアでも一向に構わないとは思うんです。ただそれって、今のテレビとしてノスタルジアに仕立ててるだけでいいのかなーなんて思ったりもする。で、一方でじゃあそんなの放送してるTBSはダメだなーみたいなことがありながらも、V6にね、最後に6人にそれぞれ一言ずつ喋ってもらうという、ああいうのをちゃんと放送してあげるすごい優しい番組だなーと思って。ボクはそのノスタルジアに浸ってしまって、浸ってしまうということを放送してあげる度量というのは、ボクは結構好きだなーと思います。
 一方で。じゃあすごい新しいことをやってるかと言うと全くその通りじゃなくて。色々、演出を…もっとこうやれば新しく見えるのになーとか、ボクも思ったりもしましたけど。たぶん製作陣達はむしろすごいそういう事を考えていて、わざとそういう事をやっていないんだろうなーなんて。うん、もう、これはもう”懐かしい”で行こうよ!という。盛大な卒業式なんだよ、卒業制作なんだよっていうことなんだろうなーという風には思いました。
 だからそれはそれですごくいい事なんだと思うんです。そうなんだけど、じゃあ一方で新しいことをやってるバラエティってあるとは思うんですけど。その新しいことをやってるバラエティって、それはフジテレビだろうがね、テレ朝でも、テレ東でもあると思うんですけど。それが本当に面白いかって言うと、やっぱりボクは見ててそんなに新しく感じないし、面白くないなーと思うんです。だからあの「学校へ行こう」というのを仮にそういう感じで、最先端の面白さで演出してたとしても、やっぱりそれはそれでなんか違和感しかなかったんじゃないかなーというか。
 だからそれって今のテレビの縮図というか袋小路の体現というかね。懐かしいことをやってると懐かしいっていうイメージはあるけども、なんか懐かしいしか出てこなくて、新しいものが生まれない気がするし。じゃあ新しい事をやってるか?というとそんなに新しいくないし…みたいな。なんかテレビというメディアパワーがどんどん下がってることの象徴だなーなんて思ったりして、なんか興味深く見たなーと思います。
 ボク個人はね、本当に…なんかすごい、V6さんと1、2度仕事はしたことあるんですけど、なんかすごくね、ノスタルジアな気持ちになりました。バラエティの終わりというのの儚さって言うかね。ケラケラ笑いながら終わるっていうね。なんかみのもんたさんもね、ちょっとロケで出てましたしね。なんかそういう様な。みのもんたさんなんて、すごい勢いのある方でね、もう何番組もやって、視聴率バカバカ取って、お金もたくさん持っていらっしゃってみたいな方の、老境な状態みたいなものが出て来た時に、なんか…、そうかぁ、色んなことを考えるよなーなんて、うん、思いましたね。

庵野秀明展

 それで火曜日にそんなことがあり。水曜日とかには今新しいプロジェクトみたいなのをやってて、そういうのの打ち合わせをやり。そんなことをやったりしてて。で、昨日、金曜日なんですけど、「庵野秀明展」。国立新美術館でやっている「庵野秀明展」を。あれ予約じゃないと行けないので予約してチケット取ってですね、見て来たんです。だから今日は清々しい春の陽光の中で、えー、なんかこう、うじうじした(笑)話をしようってのは、結局昨日観た「庵野秀明展」だからなんですけど。えーと…どこから話そうかな。
 「庵野秀明展」ね、すごい良かったです。エヴァを見た方も見ない方もいいですし、…うん、なんか見に行った方がいいですよ。すごいいい美術展でした。で、庵野秀明さんってボクのちょうど10個ぐらい上なんですけどね。その、なんて言うか、エヴァンゲリオンもやってて、それこそシン・ゴジラもやってて。シン・ウルトラマンもやって、シン・仮面ライダーもやりますよね。それってなんて言うんですか、なんでも庵野さんかい?!ってちょっと思ってたことがあったんですけど、今回の「庵野秀明展」を観た時に、これは庵野さんがやるべきだなって思ったっていう。
 つまりあの方が大学時代にすごいクオリティの特撮映画「帰って来たウルトラマン」というのを撮って。それを見た方がね、じゃあマクロスの作画やりませんか?とか、宮崎駿さんから声かけられてナウシカをやるとか、ちょこちょこ、ガンダムの何かをやったりとか、ヤマトの何かをやったりとか、ちょこちょこ、そういう感じでやられてたんですね。ボク全然それ知らなかったんですけど。で、ちょこちょこそういうのをやられてたっていうところが、結果的にエヴァンゲリオンとかに結実してるんだとは思うんですけど。そのちょこちょこやっていたみたいなものが結果…若い頃ね、それって、よく言えば色んなものに参加してたとも言えるけど、悪く言えば下働きさせられてたとも言えるじゃないですか。ところがそこで培った人間関係とかもあるかも知れないし、それこそクオリティを生み出す力みたいなものってのは、彼の中ですごい蓄積、堆積して行って、それが結局エヴァという作品にもなってるし、だからそういう方にシン・ゴジラを作っていただきたい、シン・ウルトラマンを作って頂きたい、シン・仮面ライダーを作っていただきたい、みたいな感じになるんだなーとは、すごく思いました。
 だから「庵野秀明展」を観た今ボクの、今ボクのナウ感想で言うと、庵野秀明さんがやるべきだ!って思ったし、なんならタイムボカンとかもシン・タイムボカンとか彼がやった方が良いしとか。なんかこう彼がすごい若い頃から、子供の頃から、日本の特撮とかアニメとかにすごい多大な影響を与えてもらって。で、その作品を作ってるってことにすごい納得感がいったんですね。
 で、なおかつ色んなね、設定集とか作画集とか彼が色んな作品でやっていた、実際彼が手書きで書いたものとかがわーっと展示されていて。それはもう本当にいちいち見てて楽しいんだけど、彼の絵というのはすごい優しい線を描くんだなってことがすごい分かって。あの優しい線みたなものって、かっちょいい戦闘機を描いていても優しい線なんですよね。あのメカニカルな感じを優しく描くっていうのがまたたぶんエヴァにはすごい出てたりしてて。使徒みたいなもののデザインとかもにょろ〜んとしてたりとか、ぱかぁっとしてたりとか、あの感じ、独特の線って彼の作画の能力の鋭いところ、素晴らしいところなんだなってことに改めて感じられてですね。
 それぐらいの…で、なんか中学校の時とかに描いた油絵とかも展示されてるんですけど。もうなんかすごい上手いんですよ、中学、高校とかね。なんかそれって横尾忠則さんのね、この前「横尾忠則展GENKYO」行って来ましたけど、あそこにも小学校の時に描いた絵っていうのがあって、中学校の時に描いた絵っていうのがあって。もうなんか圧倒的なクオリティなんですよね、その頃から。だからやっぱり作画能力の素晴らしさみたいなところのアーティスト性ってのはもう傑出していて。それがあった上でそんな色々な下働きをして、人間関係があったりして、色んなものへの情熱みたなものがあって。それをね、すごい設定とかも細かく指示してるわけですよ。まあ、色んなアニメーターはみんなそうなのかも知れないけど。
 だからそういうところを垣間見れてね。なんかすごく彼の素晴らしさが分かったというか。すげぇんだな。ボクのちょうど10個上、だからエヴァンゲリオンをね、今年完結したけども、ちょうど20何年掛かってるんでしたっけ?5、6年?24年か。26年?ん?95年に作り始めたんでしたっけ。だからちょうど96年にエヴァですもんね?だからちょうどボクが94年入社なので、何となくボクはTBSに入って現在に至るまでの期間、彼はエヴァを作り続けてたと、エヴァに関わり続けて来たと思うんだけど。なんかそれって、それまでの若い、もっと若い頃とか、もっと子供の頃とかの思いみたいなものとかが…探究心とか興味みたいなものとか、あとは作画にかけた圧倒的な時間みたいなものがこうぐにゅぐにゅぐにゅぐにゅ溶鉱炉の中で煮えて煮えて、溶けて、それがまた形になって誕生したのがエヴァなんだなってことがすごく分かったって言う。それはもう鑑賞者としてはすごい「庵野秀明展」は楽しかったです。

最高で至福で、絶望で放心状態

 ちょうど今15分が過ぎたんで、そこからネガティブな話になるんですけど。じゃあ一方で作り手、私も一応作り手の端くれの端くれくらいな位置にいるとは思うんですけど。作り手としてとボクとしてはあの圧倒的なアニメのね、作画とかの、こういう風な設定でという様なこととかもまぁ細かく細かく考えてらっしゃるんですよ。すごいディティールを細かーく細かく考えていらっしゃって、なおかつそれだけじゃなく、全体の世界観とかも圧倒的に考えてるんですよね。その圧倒的な世界観と圧倒的なディティールみたいなものが両方あるからあのアニメってのは成立するんですね。うん。それにこう、もう…敵わないなって思っちゃったって言うか。あの圧倒的な、圧倒的な作業量というか、情報処理能力みたたいなものって、もう全然敵わないやって。なんかだから見てるうちに絶望感に襲われて来ますね。自分のことを作り手なんて言うのが恥ずかしくなるみたいな。
 そうするとね、翻って先週のICUCではボクは31個のプロジェクトを今やっているって話をして。で、計算してみたら31個やってる自分を褒めたいみたいなことを、初めて褒めてもいいかなって思ったってことを先週は語らせて頂いたんですけども。うん、なんか、全然、庵野さんとかの方が遥かにやってるじゃんみたいなことが、なんかすごく、すごく感じられて。先週自分を褒めただけに(笑) 奈落の底に突き落とされると言うかね、うん。こんな明るい日差しで海の気持ちいい湾岸線を走ってなければ、明るく言えないぐらい落ち込みますよね。だからすごい細かく細かくその世界観を作って行くってことは、どれだけの時間とどれだけの精神を費やしてるのかなと思うと、そりゃ、こう…ね、病んじゃったって…色んな理由があるんでしょうし。そもそもの個人的な資質みたいなものもあるんでしょうけど、病むよなって思いました。
 ボクもね、いつも汲々言ってますけど(笑) 色んな人も汲々言ってるかも知れないし、言わない方もいるかも知れないけども。こりゃあれだけの世界を作るって言うのは、きっと汲々言っちゃうよなーって言うか。だからこの世界を作った神様って、全知全能な神様ですら実は汲々言いながら作ってるんじゃないかなーとか。で、汲々言いながら作ってるからこの世界は矛盾に溢れていて、その矛盾を今処理しようとしてるんだよ!って、神様も思いながら。全知全能な神でもそんな風に思いながら世界を作ってるんじゃないかなと。庵野さんがエヴァを作ってる時に汲々したのと一緒にというか。なんかそんなことを思ったりもします。
 だからね、この自分の絶望感ってすごいなーと言うか、もう…だからもう、クリエイターなんて絶対名乗れないし。百歩譲って作り手であるぐらいは、作ってることは事実だから。拙い作り手ですね。拙(せつ)、拙著とか拙者って言いますけど、拙作り手ですね、本当に。もう拙作者というか。息子のことを愚息って言ったり、妻のことを愚妻って言いますけど、愚自分ですね。本当に、遥かに遥かに敵わないんだなってことに途方に暮れるわけです。

BRUTUS 特集 村上春樹

 それでもう1個、金曜日…木曜日。…水曜日か?水曜日、木曜日ぐらいにそれこそ、今BRUTUSって雑誌でね、村上春樹さんの特集を上下でね、2回分で2週って言うか隔週かなあれ…だから、まあ2回分で村上春樹特集やってましたけど。1個目が読む編で、2個目が聞く編みたいな、食べる編みたいな感じで。村上さんが読んできた本のことが書いてあったりとか、それこそ下巻の方は聞いて来た音楽とか食べ物とか書いてるんですけど。まぁ、膨大な量の本を読んでらっしゃるし。本はほとんど小説だとは思うんですけど、小説を読んでらっしゃるし。膨大な量の音楽を、それこそジャズを特に聴かれてて。いやぁ…まぁ敵わないなーと思うわけですよ。
 で、その膨大な音楽を中に入れて、膨大な小説とかを中に入れて、体内に入れて、で、作品を紡いで行く時に、その作品の中にはその膨大な情報量ってないと思うんですね、村上さんの作品って。なんだけど、あの方の言葉言葉の一つ一つ、文章文章の一つ一つに深みって言うと深みがないんですよね。深みじゃないんだよな…味?独特の、なんか人間の心を揺さぶる…バイブス?(笑) バイブスとか言うとダサいですけど。なんかそんな様なものをすごい感じるというのは、彼が蓄積してきた…もう彼は72かな?ボクの21個上ですけど、72歳までに培ってきた膨大な彼が触れて来た作品群への尊敬とかね、単純に好奇心とかね、単純に愛情とかね、そういうものがまた蓄積されて堆積されて、溜まって溜まって、その中から…その中に自分は──彼の方はね、深い井戸の中に入るというか、すごい地下の中に潜るってよく仰いますけど──その作品をその中で生み出してるんだなーと思った時に、その掬い上げたものに堆積を感じるから彼の作品ってのはすごい色んな人の共感を呼ぶし、実際面白いし。逆に言えばそんなに面白くなくてもなんか読んでて気持ちいいと言うか。面白いか面白くないかみたいなことを超越してしまって、なんか人の心に触れることができるってのは、きっとそういう…そういう事なんだなーなんて思いました。うん。
 だからつまり、今週ね、期せずして「学校へ行こう」というある意味自分がやって来た様なフィールドの番組の最終回みたいなものを見て。そこで20何年間?それこそ26年間くらいやってたのかな?V6と言うね、グループをやって来た、スーパーアイドルをずーっとやり続けて来た…へっくしゅん!へっくしゅん!!へくしゅん!!!…3回くしゃみしました(笑) すいません、くしゃみしちゃったけど。V6というものを見て。なんかこうノスタルジアに惹かれながらも、村上春樹さんの膨大な作品との接触というのを感じ。そして金曜日にはそれこそ日本のアニメ、特撮への膨大な好奇心みたいなものを庵野さんに感じつつ、それを実際庵野秀明さんがすごい時間と精神を蝕みながら作品を汲々作ってるというものに触れて。『さて。自分はどう生きますか?』というか。『さて。自分はどうしようかな?』という絶望感の中、今、朝の秋の陽射しの中、東京に向かっているという感じだと。
 うん。で、これね、本当にもし自分が10年前くらいにもし見てたら…「庵野秀明展」とかを見てたら、本当に絶望で、もう何も出来ないやって思ってたと思うし。20代くらいの時に見てたらむしろ超えてやるぜ!って、思えたかも知れないですね。まあそんな風に自分も年齢によってその作品展を見た時にどう思うかって、たぶん違うと思うんで。なんか本当に皆さんもぜひ見て頂いた方がいいかなーとは思うんですけど。ボクがね、もう50過ぎたボクがね、その「庵野秀明展」を観て、絶望感に打ちひしがれながらも、じゃあ作り手を止めるか?と言うと、むしろ止めないなかなってちょっと思えたって言うのが、自分が歳を取ったとも言えるし、腹を括ると言うか。そんな様な気持ちなんだなーとも思いましたね。
 つまりね、敵わないわけですよ。それはもう村上春樹だろうが庵野秀明だろうが。なんならV6だろうが。うん、敵わないわけですよ、どうせ。うん、どうせね。どうせ敵わないってのが前提で、じゃあもう自分がやれるフィールドでやって行くしかないんだなとは思いました。でも自分でやれるフィールドって言いながら、V6の領域にも足を突っ込んでるし、村上春樹さんの領域にも足を突っ込んでるし、庵野秀明さんの領域にも足を突っ込んでるという、ちょこちょこちょこっと全部突っ込んでるから、領域が被ってるという意味で、あの人たちの領域では戦わないぞと言えるほどではないんです。だから圧倒的なそういう作品とかを残している人たちのフィールドで、やっぱりボクもある意味戦わなければいけないんだけど。で、圧倒的な戦力の脆弱さ、発想の貧困さ、みたいなところを持ちながらも、それでもじゃあもう止めるかって言って、じゃあ今から何するの?と言ったって、もう生きながらえる…、別にじゃあもう死ねばいいんじゃねぇか?みたいな話になっちゃいますからね。でもまだまだ死にたいとも…、死にたくなる時はたくさんありますけど、死にたいと思ってるわけでもないので。そうすると、やっぱり、やっぱり、自分がね、やれる領域で、フィールドで、自分のやれる…武器ねぇんだよなーホントにとか思うんだけど、やれる武器を使って…。うん、挑んで行くしかないんだなってことに、なんか国立新美術館を後にした瞬間に思いましたね。だから絶望感に打ちひしがれながらも、すごい気持ちが落ち込んだわけでも実はなくて。だから今日も実はこんな明るい陽気の中、暗い話をしてるとは思うんだけども。そんなに暗い気持ちにはなってなくて。まあ、やりましょうや、って言う。だって…うん、そんな膨大な小説読んでないもんね。いや、読んだか書けるか?とか、そういう必要十分条件の話じゃないですよ?読んでなくたって書ける人はいらっしゃるかも知れないし。ただ、なるほどなーと思う。書いてることの言葉とかね、描かれているアニメとか映画の作品の中に描かれてるところの深さみたいなものって、たぶんそういう物が滲み出てるんだよなーって思ったりします。

汲々言いながら世界を作る人

 なんかね、自分がじゃあそういう人たちとどこが違うのか?と言ったら違くないですね。違うのか?と言うと、自分が特殊的なものを持ってるかって言うと持ってないですけどね。ただ、持ってないけども、強いて言えばやっぱりバラエティでやっているという、浅いけど広いよって言う、広さと言う意味では…、そんな皆さん達が知らない──知らないことを知ってればってことじゃないですよ?当然。知らないことを知ってればってことではないけども、なんか自分の中に違う物を入れてる部分はやっぱりあるわけで。その違うものを入れてる物をどうミックスさせて行くか?ってときにね、あるものを深く研究してることで深さを作るということをそういう方達がやってるとするならば、ボクはむしろ浅いものをどう自分の中にインテグレートして、ボクも汲々言いながら自分の世界を作って行くのか?っていう。
 まあ、汲々言いながら世界を作ってるという意味では一緒なんですけどね。うん、全知全能の神も、庵野秀明も、村上春樹も、で、私も…という。うん、一緒なんですけどね。V6も、「学校へ行こう」のスタッフも。…とは思うんだけど、まあその人が作れるものでしかその人の世界は表現できないんですよね。うん。その人の作れるモノでしかその人の世界は表現できないっていうのって、なんかイイこと言った気がするから今日のタイトルにしようかな(笑) で、その人の作れるモノっていうのがすごいと、きっとその人の作る世界はすごいんでしょうね。うん、なんか、そんなことをすごく感じが次第であります、と。
 はい。ICUC知的好奇心向上委員会ですが、知的好奇心の向上になってるんですかね?…なってるのかなぁ(笑) 分かんないですけどね。いやぁー、なんか、もっと色んな作品に触れたいですね。触れたい。でもその作品にたくさん触れたいと思いすぎるとなんか今度自分が他者でいっぱいいっぱいになっちゃって、自分という脳内を回るね、時間も精神的余裕も無くなっていくんですよね。そこをどう辻褄を合わせるか?みたいなところって、なんか若い時とかは悩んでた気がしますよね。それこそサラリーマン的な仕事量、仕事しなきゃいけないところもありますしね。それをどういう風に、どういう風に自分として…うん、やって行くのか?みたいなことを、今は何となく出来てるから31個のプロジェクトを動かしていられてるんだろうなーと思うけど、1個1個をね、1個1個はプロジェクトに関わってるってことは、大小はあれ自分の関わり具合の深さ浅さはあれ、ボクが作り出している世界なわえだから、ボクは自分のね、作れる、自分の…作れるモノで、自分の世界を作りたいなーと思います。

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文字起こし後の文字寝かし

(好き勝手に思った感想を書き残しておくことを文字寝かしと言うことにしました)

 私は〇〇のように出来ない、成れない。やるより先に挫折する。そんな時は本当にツラい。生きてるだけで自尊心が欠けて行く感じがする。ただ、進もうとしている人ほどよく感じることではあるから、そんな感じであ痛っ…と思った時は、良薬口に苦し程度に思っておくことにしている。

 運良く出来そうなことだったりすると真似してみたりする。真似したところで同じ様な結果を得られなくても、まずはやってみようと思える時がある。そういう時は「あなたは〇〇さんとは違うでしょう?」なんて。つまり「出来るわけないでしょう?前提が違いすぎるんだから、表面だけ真似したって…」みたいなことを言われる。細かい部分を詰められて「ほらね、こんなに出来ないもんなんだよ。」とか。もしかしたら「私の尊敬する〇〇さんをお前如きが真似してどうにかなれるわけないだろう?」と怒らせてしまったのかも知れないけど。
 何だか全てがかっちりマッチングして、真似どころか全て諦めて、投げ出して、尊敬すらして無かったことにしたくなる時もある。そういう時は「〇〇さんだって結局一人のヒトなんだよ。」なんて。つまり「あの人がすごい、私はダメだという線引きは意味がない。」みたいなことを言われる。「あなたが息をする様に出来ることが〇〇さんには出来ないんだから。」とか。もしかしたら、私があまりに落ち込んでいて、見ていられなかっただけかも知れないけど。

 ICUCに行ってから真似できそうだと思えたものは真似してみることにした。例えば毎月1日にコインを手の中でカチャカチャして易をやってみるとか、MAC買ってみるとか、専用のノートを作ってメモをするとか、よく見える位置に本棚を作ってみるとか、映画を観に行くとか。チェックのシャツは買ってないけど。
 色々真似してみて思ったのは、真似できそうだと思えることというのは、そう思えないものより出来る可能性が高いんじゃないか?ってこと。私の想像力は貧弱だから、その人がそうである苦労まで思いが及ばず、軽々しく口に出して嗜められたり、体験してみないと理解できないことも多いけど、それでもやっぱりそう思う。少しだけでも自分がそうしてるイメージが出来るものは素質があるかも知れない。だからやってみることにしてる。やってみて挫折したら、その時もう1回やってみるか自分によく聞くこと。そうやって少しづつでも何か入れておけば…と思う。

 「学校へ行こう」と「庵野秀明展」については、私はちょっとズレたところでノスタルジアを感じることが出来た。
 私の育った家は邦画とTVドラマと歌番組とスポーツ中継を見なかった。バラエティ番組はいくつか見てたけど、学校へ行こうは見てなかった。だからパーク・マンサーを知らなかったんだけど、5年ほど前に知人宅でYouTube動画でパーク・マンサーを知ったから、今回のスマートシェアのCMも、見てなかった「学校へ行こう」の話も楽しめた。
 エヴァは学生時代のバイト先の先輩が「あんたバカァ?」を連発してたことはよく覚えてるけど、テレビ放送を見てない。映画は序、破、Q、𝄇で、Qまで。なので庵野さんについてもあまり作品を見てないけれど、エヴァの音楽を思い出すと昭和の特撮と通じる部分が感じられる。上手く言えないけど、なんか一般的な映画やアニメのBGMと違うというか、とにかくなんか変!というあの感じは、特撮だったんだと納得。

 人間は思い出話をよくするけど、動物だってノスタルジアを感じてると思う。人間にはひとつの学習という形にしか見えないかも知れないけど…ということをふと思った。

 「その人が作れるものでしかその人の世界は表現できない」その人が使える道具は決まってる。その道具は文字通り筆とかパソコンといった道具であることもあるし、言葉以外の表現とか体の動きみたいなことだってある。結果、作れるものが決まってくるから「その人が作れるものでしかその人の世界は表現できない」って、すごくコンパクトでいい一言だなーと思う。
 道具もそうだけど、”その人の世界の表現”って、表現されたものって何があるんだろうな?と思う。私が思う表現されたものって、言葉通りの作品とか結果しか認識できてないと思う。今回、エヴァの曲は特撮と通じていると感じた納得感を、”その人の世界の表現”でも感じるようにするには、私は何を入れていけばいいだろう?

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