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ICUC-096_2022.1.23【ライフハックとは何か?タグ付けされる自分】

【ICUC知的好奇心向上委員会】の私の知的好奇心の向上&趣味の文字起こし。I see, You see ! Intellectual Curiosity Update Committee

今週の本
角田陽一郎随想集〈1〉激しく健気な頃の夏を取り戻せ!
角田陽一郎随想集〈2〉確実に降り積もる吹雪の夜の翌朝に

角田陽一郎96「ライフハックとは何か?タグ付けされる自分」ICUC知的好奇心向上委員会

自分の肩書き、レッテル、つまりタグづけされたタグで生きていくか?
自分という存在で、固有名詞で生きていくか?
今、そんなことを考えています。

角田陽一郎 オフィシャルwebサイト

mireva channel

動画の内容(+文字起こしメモ&感想)

なぜ発信するのでしょう?

 どうも。バラエティプロデューサーの角田陽一郎と申します。えー、聞こえてますかね?バリバリしてもいかな?はい、バラエティプロデューサーの角田陽一郎、知的好奇心向上委員会ICUCでございます。ということで今日も生配信でやってみようかなぁなんて思っております。あの、今日はですね何を話そうかなって思ってるんですけども。なんかねぇ、そんなに話したいことないんですよ、うふふふふふ。まあ話したことないっていうか、話せば話せるんですけど、話すことに意味があるのかなーみたいなことを今日話そうかなーって思ってます。なのでタイトル的に言うと「ライフハックとは何か?」というお話をしてみようかなーなんて思っております。
 どういうことかと言うとですね。そもそも人は何で配信・発信しているでしょうね?って言うようなことかなーっていうのが何となく思っているわけです。じゃあ止めればいいじゃんコレ、Youtubeと思ったんだけど、これでもう96回目だったりしてね。なんて言うか、95回やってて、何か話すことないから96回は止めようっていうのって、もったいないなーなんてちょっと思ったっていうところがあります。なので、そんなに、つまりライフハック的なね、ユーチューバー的なね、お話をそもそもしてないこの…なんて言うんですか?ICUCなんだけども。そもそも話してない感じでこういうお話をしている配信に、そもそも発信に意味があるのかなーなんてこと毎回毎回思ってるんですよ。で、毎回毎回思いながらも、でもそれでも話すことに意味があるのかなーなんて思いながらやってたりして。で、話してるからには色んな人に聴いてもらった方がいいんじゃないかなー、うん、色んな人に聴いてもらいたいなーっていうのもないと言えば嘘になる。だからってね、いつもこのICUCを観て下さってる方には言ってますけど、その見て頂けるためにライフハック的なところをですね、すごく増やす、そんなことを気にするっていうのはね、とても…なんかね、やろうとするとなんかやる気がなくなっちゃうんですよね。それがボクの中での今日一番言いたいことだったりしますね。
 えー、メッセージ、彩さんから。「お友達のヒロさんは壁打ちだと言っています。話すと頭が整理されるとのこと。」そうそう。うん、だからまあ一応やってるわけです。だからボクの中ではアーカイブ的な意味というかね、うん、そういうような意味もあります。
 だから、あの、自分がね、それこそこの前の木曜日にコトブキツカサっていう映画パーソナリティーと【寿司特】コトブキツカサスペシャルっていうYoutubeLiveを毎週やってて。で、この前の木曜日は肩書き論みたいな話になったときに、ボク、角田陽一郎はですね、本を14、5冊とか出してるんですけど、自分のことを作家なんておこがましく名乗れないわっていう話をしたわけですよ。で、その、おこがましくて名乗れないわっていうのは究極的に言うと自分をプロデューサーって名乗るのもごがましいなってちょっと思っているというか。大した作品を残してないしね…とかっていうのもあります。じゃあなんでそういう作品を残したいのかなーみたいなこととか、そもそもなんで自分は本を書きたかったのかなーなんて思ったりするわけです。それってやっぱり自分がこう生きてきたとか、証みたいなものを残したいと。それは多分根本根源的な要求があるんだろうなーと思います。それをあえて言えば、嫌ないい方をすれば自己承認要求というものなのかなーとはやっぱり思いますよね。うん。あ、どうも。こんばんはマリアさん。ありがとうございます。こんばんわでございます。
 で、そのに自己承認要求みたいなものを満たすために、じゃあこのICUCももやってるのか?っていう思うと、いつもこういう感じで喋ってて、見て下さってる方がいるという意味ではすごく嬉しいんだけども、別に大した視聴数も行かないし…みたく思うと、自己承認要求的な意味で言うとむしろ否定的な気持ちになっていくっていう。

承認欲求はライフハックになるか?

 あ、「酔ってますか?」そうなんです。あのですね、顔が赤いんですよ。あの、さっきね、いやあの、酔ったからこの配信をしているというよりはご飯を食べながらちょっとハイボールを飲んでしまって。で、飲んだ後に「やべ!そうだ、ICUC撮らないと日曜日終わっちゃうじゃん!」って途中で気づくっていうことがあり、赤い顔をしたまま…酔っています、喋ってますが、これであの寿司特でもそうなんですけど、お酒飲んでよく配信してるからお酒好きかなーと思われてしまうのですが、実は意外に飲んでなくて。意外に飲んでないからこういう配信するときについ飲んでしまうみたいなことなのかなーなんては思っております。ま、そんな酔いの話はどうでもいいと言えばどうでもいいんですけども。
 で、そんな感じで自分が作家って名乗るのはおこがましいというのは、去年の夏に『AP』という、アシスタントプロデューサーという小説を書きましたけども、やっぱりその小説というか、そういう作品を作る人は作家だなーとは思うんだけども、それ以外の自己啓発書とかビジネス書を書いているって、やっぱり作家じゃないんじゃないかなーとボクは思っているっていうことなんです。で、じゃあその自己啓発書とかビジネス書的なものでどんなことを書いているのかなと言うと、例えば自分が今までやってきたプロデュース業とか、サラリーマンから脱サラしたとか、なんだったら世界史を学んできたとか、日本史を学んできたみたいな話を…例えば結果的に他人に伝える、なんかこれをそれを見ている方、読んでいる方に、──ライフハックという言葉を検索するとね、ライフハックっていうのは何かって考えると、やっぱりこのビジネスとか人生に役だつね、ことを伝えるためとか分かるための情報、そういうようなものをライフハックっていうんだと思うんですけど。やっぱりそういう様なものになるような、「生活を効率良くする、安楽に過ごすための手法や技術みたいなもの」って今パッと調べたらWikipediaに書いてありましたけど。そういうようなものなんだろうな、自己啓発本とか──ってやっぱり思うわけです。
 じゃあそうするとボクが本を書くとかここで喋っているとかって、すごい嫌な言い方をすれば自己承認要求でやってるんだけど、それを相手には本当に伝えたいのかな?と思ったときに、そういうのを”伝えること”というのをちゃんとやるとその動画はバズるとか、本は読まれるものだってことが頭では分かってるんだけど、なんかそれをやりやりたくないなーって自分が一方であるわけですよ。それは何でなのかなーってことをまさに酔ってるからか知らないけど、今日とか思ってて。今じゃあボクはこう思っている感情みたいなものも、どういう風に思ってるって事は言えるんだけど、この思ってるということを聞いている、見ている人は、自分のライフハックになるのかな?つまりそれってこの動画で言えば知的好奇心の向上に繋がるのかなーなんてことは、ボクの中ではやっぱりちょっと未定というか、やや不確だかなーって思ったりするわけです。なので、何か自分が生きていく上でそういう表現をするみたいな事が本当はやりたいことでもなかったんじゃないかなーということにふと気づかされたりもするわけです。

いっそ書いてやろうか?

 でもね?でもねってほどじゃないんですけど、この前フェイスブックを見てたらある知り合いが最近出た自己啓発書…ビジネス書なのかな?自己啓発書はもう素晴らしい本だと、これはすごい読んだ方がいいですよって書かれていたので、そこまで言うんだったらちょっとボクも読んでみるかと思ってKindleで買ってですね、パラパラ読んでみたんですよ。そしたらねえ、全然いい本じゃなかったんですよねーんっふっふっふっふ!全然、本当に、いい本じゃない…なんの啓発にもなってないけど、でもこの本を読んで素晴らしい本ですって思う方がいらっしゃるということも事実ですし、実際にその本は大手の出版社から出てたから、少なくとも大手の出版社はこの本が売れるとか、この本がいいなと思ってその出版社とか編集者は出版しているという意味で言うと、…ああ、この本はすごいライフハックな本なんだなっていう風なことはわかるわけですよ。
 でも自分が読んでも全然いい本じゃないなーって思った時に、ライフハックとか自己啓発的なものって全然…書いておきながら興味ないなー、むしろそういうことじゃなくてボクだったら小説とか映画とか演劇とかでもいいんですけども、そういうものを通して自分がどう自己啓発されるかとかの方が意味があるのではないかなってことはいつも思ってるわけです。うん。今、彩さんが書いてますね。「自己啓発本はその時のその人にしか刺さらない。」うん、そうなんですよね。
 でね、そう思ったときに、もう『「自己啓発本」っていう自己啓発本』を書こうかなーってむしろ思っちゃったんですよね。そんな本でも素晴らしいって言われてしまうというのであるならば、もう徹底的にこの本は100%自己啓発に繋がりますよみたいな。「自己を啓発する本」というタイトルの自己啓発書を書いてやろうかなーなんて、なんかね、昨日すげームクムクムクムクッて、むしろ、むしろ思っちゃったっていうか。もうボクが半世紀ぐらい生きてきて、そういう意味で言うとあらゆるテクニック的なものは持っているんだと思うんですね。それが上手いかどうかというよりは少なくとも自分の中での実体があるわけですよ。こういうような生き方をしてきたとか、こういう風にやれば番組が作れるとか、こういう風にやればもしかしたら有名人的な方とお仕事できるみたいな”ハック”があるわけですよ。だったらそれをなんかむしろ文章化して、徹底的にマニュアル本として作ってしまった方がむしろいいんじゃないかなーみたいな。うん、思いました。まあね、そういうのって別に出版社がさんからの依頼がないとやらないだろうなーなんて思ったりもするんですけど。
 一方で。今ね、Kindleでですね、角田陽一郎随想集というのを出していて。昨年12月末から第一弾を書いて。第一弾は『角田陽一郎随想集〈1〉激しく健気な頃の夏を取り戻せ! 』っていうタイトル。でね、先週、『角田陽一郎随想集〈2〉確実に降り積もる吹雪の夜の翌朝に』っていうタイトルのを出してますけど。この本を随想集としてKindleで出してるっていうのはボクの中ではアンチ自己啓発なんですよね。むしろその本自体はもうボクが思った随想しか書いてないみたいな。思ったふうに書いてるから、随想ってエッセイみたいなことだと思うんですけど。随筆とも言いますけど。むしろ100%そういうように見えた方がいいなというアンチ自己啓発みたいなものなので、あえて随想集としているんですね。とするとですね、角田陽一郎随想集をお金払ってでも読んでもいいなーって思う人って、ライフハック的なものが一切なくても買おうというのは、つまりもう角田陽一郎の本だから買うよ!っていう、もう自分で言うのもなんだけども角田陽一郎ファンだから買います!っていう人がいいない限りその本は売れないんですよね。はい。

ライフハックとは何か?

 なので今日言いたいことの「ライフハックとは何か?」ということのテーマの、つまりライフハックを伝えすると──自分がどういうレッテル、どういうタグ付けされる、──ボクだったらありますよね?テレビプロデューサーというタグだったり、元TBSっていうタグだったり。それが自分が思ってるかどうかじゃないけど世間的なタグで言うと東大卒とか。なんならエリートとか。なんだったら偏差値高いとか。なんなら一部上場企業はどうだとか。もうそんなことボクどっちかと言えばヘドが出るような話なんだけど、そういうタグ付けの中で、そういう人にじゃあプロデュース術の本とかね、じゃあそういう大手の会社を辞めて生きていると言うハック術みたいなものとかね、そういうものを出版しませんか?という話が来たりとか、実際それでじゃあボクが何かメディアに出演するとか、メディアから仕事の依頼が来るって言うのは、角田陽一郎本人というよりは角田陽一郎にどれだけタグがついて、どれだけレッテルが貼られて、そのレッテルの量で他社から仕事の依頼が来る。それは別にボクがっていうより、あらゆる人がそうだとは思うんですね。それは、えーっと、ボクの中ではなんかちょっとカチンとくるって言うか、そんなに気持ちよくないなーと思うんだけど。そういうのを利用しないとボクには本の出版の依頼は来ないし、ボクに出演の要望は来ないんだと思うんですね。こういう連載をやりませんか?とか。それはだから、そのタグづけのタグ自体には何かすごい納得がいってないんだけど、自分がタグ付けされることで自分に仕事が来るというのは事実なんだと思うんです。
 一方で、随想集みたいなものっては、そのタグが無い中で角田陽一郎というネーミングなだけで、果たして、その作品に触れたい人がいるのか?っていうことのボクの中での実験とも言えるし、実践とも言えると。とすると、実践みたいな意味で言うと、自分のタグを…タグ付けをたくさんでも少なくでも強力でもいいんだけど、タグの方で生きていくのか?そのタグは置いといてタグがなくても個人の名前で生きていけるのか?という、二者択一ではないんだけど、両方の方向で作品を生み出すっていうのがあるんだなぁと分かるわけです。で、ボクが半世紀生きて来て、自己啓発とかビジネス書って、やっぱり究極的には30代とかがメインのターゲットなんだと思うんですね。うん、でも今、自己啓発書って売れないらしいですよ。出版社の方でもこの前言ってましたけど。ビジネス本とかも。もうそんなに売れなくなってきてるっていう意味で言うと、なんかそのタグで買うみたいなこともちょっと嘘くさいって、なんかみんなバレて来てんじゃないかなーってちょっと思ったりもします。ボクの中でもそのタグ、今言ったタグみたいなものが、自分が50を過ぎた辺りから、ちょっとそのタグとの乖離が出て来たと言うか。例えば50過ぎのボクがこういうふうにやればサラリーマンを辞めてフリーで生きていけますよみたいな話って、30代目の人とかから見るとちょっと距離が離れすぎているんですよね。事実として。うん。一方でタグじゃない方の実名の角田陽一郎って方でみたいな話で言うと、例えばですよ?山下達郎さんとか、村上春樹さんとか、外横尾忠則さんとか、ミュージシャンであれ、作家であれ、アーティストであれ、その人たちがその人のオリジナルの作品を、仮に惚れているファンがいれば、その人たちが50代であれ、60代であれ、70代であれ、なんなら80代であれ、やっぱり作品を待ち望んでいる人たちがいるという事実があるわけですよね。とすると、ボクがボクとして生きていく、これはボクはボクのことしか言えないのでボクと言ってますけど、これを見ている方はもしかしたら自分の人生にフィードバックしていただいたも全然いいんですけど、自分というものが自分として生きていくには、タグの方で生きていくのか?自分で生きていくのか?ということを両方取るということもできるけど、やっぱり選択しなければいけないんじゃないかなーなんて思います。
 そのタグっていうのは究極的に、究極的に、成立するのって…会社人だと思うんですよね。つまり、ある…じゃあ大きな会社の社員だとして、その自分の名前じゃなくて大きな会社の部長ですっていうタグで仕事が来たりとかしますよね。あるいは極論すれば、自分自体がお金を稼いでこなくてもパートナーの人がお金を稼いでくるという意味で言えば、もしかしたらパートナーの方がタグとも言えたりもします。だから何だって話なんだけど。そうなった時にボクとしては自分の固有名詞の方で生きていこうかなーとはやっぱり思ってるんで、そこはそこで頑張ってみようかなーとは思ってます。
 なので、それをなるほどと思って頂ける方がいるんであるならば、こんな酔った感じで、緑の髪で、なおかつボサボサで、一人喋りで喋っておりますが、そんな人間の随想集でも買ってみてもいいかなーと思って下さい。で、買って下さると嬉しいなーとは思います。

The角田陽一郎というタグ

 一方で。タグ付けの方で角田と思っている方がいるとするならば、そのタグみたいなものは…もう自分の年齢を過ぎて来て、そんなに役立たないタグだなーなんて思いながらも、いっそのことその辺をもうタグ付けばっかできるような感じのライフハック的な本をむしろ書いてやろうかなーって、ちょっと思ったっていうのはあります。
 そう思った時にね、何でそう思ったかって言うと、この前ある経営者の方と話してて、ボクがKindleで随想集っていうのを出したんですよと言ったら、その方が「随想集って言葉よく知ってますね」って言われたんですよ(笑) つまり随想集っていう言葉みたいなも…随想って言葉自体ももうすでに限定的な言葉なんだなって、ボクそこで知っ…、気づたと言うか気づかされたと言うかと思った時に、「そっか。もう随想集って言っても随想集って何なんだろう?って思われてしまうぐらいなんだなーこの世界は」って思った時に、なんかね、まぁ、ある思いがよぎったりもしたんですよね。
 彩さんからなんかコメント。「他者がタグ頼りに見た角田陽一郎。角田さんが変われば変わるほど乖離する。年齢的に乖離しやすい歳のか?フリーランスになったから乖離し始めたのか?」うーん。いやボクなんか年齢を感じますね。あの…なんかねえ、本当に…今ほらNFTとかあるじゃないですか、とかね。そんな話とかを聞いてたりとかしてた時に、なんかこういう仕組みとか、こういう新しい仕組みでこういう新しいコンテンツが出来るんだよとか、もしかすると…今マリアさんから「『トゥモロー・ワールド』という映画を思い出しました。とても考えさせられる作品です。」ボクもトゥモロー・ワールド好きですね。トゥモロー・ワールドってあれですよね、最初の何分かすごい長回しなんですよね。あれ長回し、どうやって撮ってるんだろう?ぐらいの長回しをやってる映画ですけど。素晴らしいですよね。あの、何だっけ…そうそうそう。その…うん?何の話してましたっけ?あれ、これがパッと出てこないのはやっぱり酔ってんのかな?うっふっふっふっふっふ!自分が自分であるために世間が何を求めているか?っていうのが、数えていくとタグになるんだと思うんですね。
 でもそれが自分として、そのタグみたいなものが仮にそれは過去のタグだよねーみたいなものになったとしても、ボクの作品に触れているっていう人がむしろいないと、この先は自分がもう作品を作れない。いや作っても良いんです、まあ、作れないというか作って一人で発信してればいいんですけど。その時になんかこう、やっぱりプロデューサーって時代を読むみたいな意味で言うと、30代40代と来て、なるべく最新なものとかをどう分かりやすくしていくのか?どうビジネスに組み立てていくのか?みたいな事で今までのクライアントとね、コンサルティング的な事をやったりとかしてた…みたいなことは、なんかもうボクなんかが説明するよりも、ボクなんかより若い人がもっとコンサルした方がいいんだろうなーなんて思う機会がね、結構ビジネスシーンでも増えたなーって思ったりするわけです。うん。メタバースとかね。あの…それがね、分かんないからボクが説明できないんだよということではなくて、すごい分かるし、すごい未来を感じるんだけど、それがNFTだろうがメタバースだろうが、そこでのやり取りというか、ビジネスなのか、ライフなのかみたいな事とかを、──それってもしかしたらVRだってARだってそうだと思うんだけど、そういうものとかをどのように進化していっても何かそこをあらゆるシステムというか構造に使える本質的なものを作った方がいいんじゃないかなと思った時に、それって…じゃあそういうタグを付けるというよりは、THE 角田陽一郎っていうものを作らないといけないんだろうな、と。THE 角田陽一郎をメタバースの世界でこういう風に使いましょうという人は、もっと違う人がやってくれたらいいし。なんだったらそれを…じゃあそれをテレビドラマにしようとしたらテレビマンがやればいいし、映画にしようなら映画マンがやれがいいし、それを商品化しようとしたグッズの会社がやればいいじゃんっていう風な感じの方が、なんか良いのではないかなっていう風に思ったりもします。
 で、それってつまり THE 角田陽一郎が圧倒的にすごいものじゃなきゃいけないんだよなーなんて思ったりもします。で、一方で圧倒的にすごいものではないようなーっていう挫折感と。うん、でも、さっきのね、こんな本でも素晴らしいって言われてしまうんだみたいな、この本より上を行くもの書いてるだろう?!って思うプライドとも言えるし。プライドと言うほと自分勝手と言うよりも、意外にそうなんじゃないかな?事実として、と…ちょっと思ったりもすることもあたりして。もしかしたらそんな生意気なことをシラフな自分じゃ言えないからお酒飲んで喋ってるぅんっふっふっふ〜なのかも知れないなーなんて自己反省もしたりしますけども。なんかそんなことも思ったりもします。うん。

本質的に興味がなくともそこに仕事はやってくる

 いや、だから何なんだ?!って話ではないんだけど。なんかねえ、こういう風に生きればいいんでしょっていうことを他人にライフハックとして伝えるって言う事って、本質的には興味がないんだけど、ところがそれをやることで…それこそね、一昨日か、自由大学の運営の方々と会議して。今度また自由大学で新しい講義を持とうと思ってるんですけど、その講義はどんな講義にしようっていう設計みたいな話をした時に、「角田さんは、だからつまりこう、すごいプライベートな思いみたいなものを吐露してるのがこのICUCじゃないですか」と。「これってライフハック的な、他者が自分の人生に役立つ情報を手に入れたいYoutubeとしては、まあ…不適合なんですよね」っていうようなことを言われて。全くその通りだなーなんて思ったところ、じゃあもう徹底的にライフハックに寄せた講義を自由大学でやってみようかななんて一方でちょっと思ったりもするわけです。もうボクの知見をみなさんの人生に利用できるだけ利用しして欲しい、出来るようなカリキュラムで講義みたいのやるのもありだし。で、今まで発展途上人学ってのをやってましたけども、自由大学で。その発展途上人学というのは良くも悪くもその講義が終わったところでボクの中では関係を…切ってると言うと語弊があるけど、関係をそんなに継続しなくてもいいやっていう。皆さんのを思っていることにこれだけのアドバイスとか、これだけの知見をボクは出したわけだから、…それが良いかどうかは別としてね、あとはそれを成功させるもさせないも皆さん頑張ってください!っていう、ちょっと自立心、独立心を煽るような感じの授業だったんだけど。今度やる自由大学は、…というものをやりながらも継続的に何か関係が繋げられるサステナブルな関係を作っていく組織体にしようかなーと思ってて。それって自己啓発なタグがたくさんある講義でもありながら、一方でさっき言ってた角田陽一郎というTHE 角田陽一郎というものに興味を持つ、あるいは好きだとか、…まあ好きだって自分で言ってるのもおこがましいんだけど…っていう人たちが継続的に関係性を維持できるもの、みたいにした方がボクにとっても自由大学にとっても良いのではないか?みたいなことを思っておりまして、やろうとしたりしてます。
 まぁねぇ、そんな講義が果たして開発できるのか?みたいな事とかもあるんだけど。なんかね、この前ガガガSPというバンドがボク好きで、seasoningっていうボクが毎週月曜日ラジオのMCやってますけど、火曜日に、翌日の火曜日にガガガSPが出演するんであの遊びに行ったんです。だから自分のレギュラーの曜日じゃない曜日に出演してみたんです。これってボクとしてはすごい勇気が要ったんですよね。なんかガガガSPさんの邪魔になったら嫌だしとか。違う曜日に行くってちょっとお門違いかなーなんて思って。いつものある意味謙虚な自分は、…謙虚というか自信無げな自分は、そういうことやってご迷惑かけたら嫌だから行くと言いながら行かないっていう選択をしようと思ったんだけど。なんかそんな風な、今言った、ずーっと喋ってきた心境で言うと、THE 角田陽一郎みたいなものを大事にしようと思うとすると、THE 角田陽一郎としてそういうボクの曜日じゃないところの曜日に行ってガガガSPさんとのラジオをやった中で、いい関係性を作る、あるいはそれがサスティナブルな関係になるってことを頑張ってやってみようかなーって、ちょっと思ったっていう。ボクの中の転換みたいなものがあったので出演してみたんです。そしたらね、実際ガガガSPのコザック前田さんと山本さんはすごい喜んでくれたし。マネージャーさんとかも喜んでくれて。ちょっとまた継続的になんかやりましょうよみたいな話になったりして。つまり関係を断ち切るのではなくて、継続的に何かやってみようって思うと、それって継続的になるんだって思ったり。気付かされたというのがこの今週でしたっていうお話です。
 なので、何かね、このICUCもね、自分が自分の思いだけを勝手に吐露しているという意味ではTHE 角田陽一郎なんだけども。その中でもしかしたら皆さんの人生に反映される情報みたいなものが、なんか役に立ってるといいなーなんて思ったりもします。
 はい。えー、最後にコメント頂きました。「関係性がずっと続くというものを講義という形で繋いでしまうと、人付き合い面倒臭い病が出たりしないんでしょう?ガガガ愛みたいな自分からの愛があればできそうな気もしますが。」なんか彩さんはボクのことよくご存知でございますね。そうなんです。人付き合いが面倒臭い病が出たりしないんでしょうか?と言うと、出るような気がするので、出ないようにがんばろうって思っていると言うっふっふっはっはっは!ボクの中の甘い考えでございます!という感じでございます。はい。ありがとうございました。ではまた来週よろしくお願い致しまーす。

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文字起こし後の文字寝かし

(好き勝手に思った感想を書き残しておくことを文字寝かしと言うことにしました)

 バリバリ、ポツポツ、音がすごく混ざるなーと思ってチャットに記入「音がバリバリ鳴っている」。角田さん側からすれば音が聞こえてるか問題が、視聴者側には私のデバイス不良か?問題がある。それぞれ不安があるから聞いてしまうのが早い。ただ今回はデバイスを変えてみると書き込むより先に角田さんが配信し直すと仰る方が早かった。そもそもデバイス交換より先に書いてしまったのは、ICUCの2日前の豊津徳はかなり調子が悪く、バリバリ鳴るだけでなく音声がしっかり途切れる部分も多かったから。それは他の視聴者の方がチャットにそう書き込まれたので配信側の問題だと分かったけど、かと言って配信側だってどうにも出来ない。配信側がデバイスを変えるとか、イヤホンするだけでマシになる(今回はイヤホンで大分マシになった)とか、そういう可能性に賭けるしかないけど…と思いつつなのでした。一番怖いのはそのせいで今日はナシでと言われやしないか。でもまあ、ほとんど聞こえない放送って何を話していたのか余計に気になるばかりだし。毎回バックアップとして脇で音声だけ録っておくというのもなーと。今週も配信があるだけで角田ファンにとっては幸せだ。

 ”お友達のヒロさん”で角田さんには誰なのか通じると思ってのヒロさん名指し書き。翌日ヒロの5分ラジオでヒロさんに指摘される(笑) 彼女はある程度考えが固まると配信で話すように思う。彼女が話すということはそろそろ考えがまとまるということ。角田さんの話すはもう少し前の段階からまとめまで範囲が広い気がする。彼女のラジオの題で角田さんのタグの話について話すんだとすぐ分かった。彼女のICUCの感想を聞くといつも「で、私はどうしよう?」になる。誰かのタグ、付けてもらうタグ、付けるタグ、タグなし、どれを使ってどう生こう?いつだって自分だけ未だ上がる土俵を探してるような気がしてしまう。角田さんの土俵もヒロさんの土俵も、どうして手が届きそうなんて思ったのか?と自分を注意する。

 ボクが思うことを言うことが見ている人の知的好奇心の向上になるか?少なくとも私もヒロさんもタグについて一生懸命考えた。どんな作品でも人の手に渡って完成すると言うけど、ボクが思うことを言ったなら完成=知的好奇心の向上になったか?は視聴者にしか分からない。そっか、だからマメヒコの井川さんはコメントが欲しいとずーっと言ってるのかも知れない(一度もコメントしたことないけど)。作者は完成したものを見ることが出来ないから。完成したものは聞き手の数だけ出来るわけだし。

 インプットしてアウトプットする行為、作品なんて全てサスティナブルとかリサイクルと言ってもいいのでは?アクションとリアクションで言うと、──無意識も含めた自分の意思が関わらない部分でのみ突発的にアクションが発生する。つまり人間はリアクションのみと私は思っている部分がある。インプットしたものを組み合わせる行為を私はアクションだと思ってない、かも知れない。そんな気がする。人が何かを生み出す行為を認められない?それってすごくまずい状態じゃないか??

 角田さんは自身の発信や出版を自己承認欲求のためとするものの、承認欲求に対してかなり嫌悪感がある?視聴数が少ないという意味では承認欲求的に否定的な気持ちになっていく。つまり欲求を満たすためには視聴数がいるけど、視聴数のためにちゃんと伝える=バズることはカッコ悪いと思うってことかな?承認欲求自体に嫌悪感があるわけじゃなくて。悟りでも開くなら欲求がない状態を目指さないとダメかも知れないけど、角田さんにもそんな欲求があるのは安心というか、可愛げがあるというか。

 タグづけに納得いかないけどタグで仕事がくる。角田陽一郎に仕事が来ることで、もっと言えば生きることで角田陽一郎というタグが生まれる。私の大嫌いな自己紹介ってタグを見せることだ。ヒロさんのラジオの題「付けてもらったタグで生きていく」「求められるうちに動いておく」ってそういうことだったのかな。付けてもらう→動いて自身がタグになる。

 自己啓発書って単車の教習所だ。単車は路上教習がない。私が単車免許を取得した時も今もない。教習所では濡れたマンホールや砂利道は滑るとちゃんと教えてくれる。でもリアリティはない。そもそも怪我をしないことより免許を取るということが最優先だし。例えば私の自宅前の道を雨の日にマンホールを避けながら走行するというバイト先の店長の体験談は小説や映画に近い。未体験でも想像は出来る。自己啓発書でも小説でもライフハックになりはするけど、自己啓発書はとても数字的、机上の話。

 私が角田さんのことをよく分かってるわけじゃない。私も人付き合い苦手病患者なだけ。人より角田愛は多め重めに持ってると思うけど。自由大学での講義となると大学と受講生からお金を頂くわけで。金額分働けば申し分ないけど、依頼内容が継続的な繋がりと言われてしまうと、なんか逃げられない感じが辛い。ICUCを畳んだのってここなんじゃないか?と思っていて。金銭の関係がないから、私が視界に入るところで好き勝手してても平気というか。例えば、私の力量なのか立場なのかでは角田陽一郎の一部を金で買うしか出来ない。それを応援とかファンと言うんだけど。逆に言えば拘束されたら逃げたくなるのが人付き合い苦手病かな?とも。だから期間限定がいいんじゃないか?と。

 重め角田ファンは随想集を除いて17冊買っている。その全てを自己啓発書としてもビジネス書としても買ってない。角田陽一郎だから買った。その結果、自己啓発にもなってるし、ビジネス書としても十分だ。そっか、本に対して自己啓発というタグ、随想というタグだ。うちの近所の本屋さんにもバベルの図書館にだってきっと本を探すための道標として本にタグがついてる。タグなんてそんなもんだ。だからタグにこだわらないで角田さんが作りたいものを作って欲しい。そこに付くタグが自己啓発でも角田でも構わない。

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