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ICUC-107_2022.5.7【世界に自分の想いを投射する」ICUC知的好奇心向上委員会】

【ICUC知的好奇心向上委員会】の私の知的好奇心の向上&趣味の文字起こし。I see, You see ! Intellectual Curiosity Update Committee

角田陽一郎108「世界に自分の想いを投射する」ICUC知的好奇心向上委員会

自分は、これからどう生きるか?どう生きると楽しいか?自分の想い(喜怒哀楽)をどう世界に投射するか?
投射とは英語でprojection。
つまりproject=企画とはそんな自分の喜怒哀楽の世界への投射物なんだ。
"pre=これまで”ではなく“pro=これから”を考えること。

角田陽一郎 オフィシャルwebサイト

mireva channel

動画の内容(+文字起こしメモ&感想)

2ヶ月ぶりの文章

 おはようございます。知的好奇心向上委員会、108回目でございます。108ってなんかね、昔から煩悩の数って言われてますけどね。渋谷に109ってあるじゃないですか。あれって…ね、昔、僕は東急の109だって知らない時は煩悩の次って意味なのかなと思って109かと思ってましたね。108の煩悩の数の次の109ってのがお店の名前って、新たな煩悩だよって言ってるようで面白いなーなんて思ってたら東急の駄洒落だったっていうことを(笑) 学生時代かな?うん、30年前くらいか…に知った角田陽一郎でございます。よろしくお願いします。
 ええーと、なんかね。今日はなんか色々やろうと思ってほぼなんもせずぼーっとしてたりして。で、久しぶりにさっきnoteで文章を書いてみたりしました。「文章を書かない理由」っていう文章を書いたんですね。本当にnoteでね、「世界はすべてバラエティになる」っていうマガジンでそれこそ調べたら377回とか書いてるわけですよ。

 うん、書いてたんだけど、今回書いたのが377回目なんですけど、376回目を書いたのは2ヶ月前で、2ヶ月自発的に文章を書いてなかったんですね、うん。なんかそれが…なぁんかね、文章が書けないっていう様なことがあったりして。それこそ先月はね、このICUCですら止めちゃってたわけでね。あとはおはようございますSNSも…みたいな事があるので、自分としてはね、なんかこう──またこれがねぇ、なかなかねぇ、大変なのはね、別に落ち込んでもいないんだよな、んっふっふっふっふ。そう全然気分が優れないとか鬱気味ですとかそういう訳でもなくね。本当この文章が書けない病は結構…う〜ん、スランプなのかなぁ?スランプというのともちょっとちゃうんだよな──って話はその文章に書いたんで。で、そういう文章書いちゃったからこのICUCもそっちに引きずられてはいるんですけど…えーと、全然、実は引きずられてなくて。超前向きな話をしようと思ってたんです。超前向きな話をするから本当は明日ね、いつも週末、土曜日・日曜日…ほとんど日曜日にやってることが多いんで、明日の午前中に気持ちいい感じで喋ろうかなーなんて思ったんですけど、なんかこれから…それこそ執筆しなきゃいけないんだけど、なんかすごい書く気がしなくてですね。なのでだったらICUC撮っちゃおうかなーみたいな。んふふふ!なんかタスク処理じゃないですけど、なんかそんな感じになっちゃってる自分ていうのもまたね、まあこんな事とここで喋っててもしょうがないんですけど。まあそんな気分であったりもします。
 ただね、自分的には全然後ろ向きでもなく、むしろ前向きだったりして。それはね、なんかね、自分が…なんていうんだろう?なんかね、──うん、だからつまり自分は50代なんですけど、50代になって40代とは違う自分というものをどう形成するか?というか、どう生きてけばいいのかなーみたいなことを…。でもまあそんなこと言ってるけどねぇ、10代でも20代でも30代でも40代でもずーっと悩んでたわけなんですけどね。まあそういうのが好きな人間なんだろうなーなんて思いながら、さて、さあどうしようかなーなんてことを思ってるわけです。

ひじりばし博覧会

 で、そう思った時に、それこそ子供の日、だからこの前の木曜日にこちらに行ってきたんですね。

 「ひじりばし博覧会」っていうやつで。お茶の水の聖橋のところにあるソラシティてとこでやってた、まあ…東京文化資源会議っていう学術団体学といいますか、そこが主催している博覧会で、その中で色んなディスカッションみたいなのが行われるんですけども。「地図ファブが未来の地図を描く まちは生きている2045」っていう様なトークイベントがあったんですね。で、それはキーワードとしてはですね、百の道と書いて、線の辻と書いて、百道線辻(ももちせんつじ)という様なプロジェクトみたいなことをやられててですね。

 東京文化資源会議ってのは何か?みたいな話で言うと、まあ、簡単に言えばホームページ見てくださいみたいなことなんですけど。東京の下町、神田とか秋葉原とか上野とか本郷とか、あの辺りをどう街を文化的に盛り上げて行くか?みたいなことをやっている団体なんですよね、東大の先生方と。で、僕の指導教官の方が関わってたりとかしたりとか。僕も2年前に文化資源プロデュース塾ってのをやったりしてたもんですから、そこにお伺いしたわけです。

文化資源プロデュース塾2020(YouTube)

 で、そこでね。つまりその百道線辻とは何か?って言うと、なんとなく2045、つまり2045年、つまり太平洋戦争終戦から100年で東京ってのがどんどん変わってきてるけども、100年に向けての…だから今から23年後にむけて新たな街のビジョンみたいなものを提言しましょうみたいな話な訳です。で、そう聞くとすごい学者の先生方が提言をしているっていう風に聞くとすごい大ごとというか、でっかいプロジェクトなのかなーと言うと実はそうでもないってところが今回面白かったんですけど。まあ本当に、提言というかむしろ遊びに近いものだったりするのかも知れないなーなんて思ってる訳です。
 で、その東京という400年、江戸時代から400年続く…江戸時代の古相みたいなものもあり、明治だ、大正だっていう近代もあり。で、今の現代の都市開発みたいなものがある都市の中で、そういうのをどう文化として見せて行くと魅せられるか?みたいな話なんですけど。その中で先生方がね、提言してくれたアイデアが──それをプレゼンする先生がむしろこんなラフなスケッチですいませんっていうか、簡単なデザインですいませんってすごい恐縮してらっしゃったんですけど、なんかこう提言を何個もしてたわけです。で、例えばその提言の一つってね。例えば今ね、谷根千って谷中・根津・千駄木みたいなのが谷根千地区って昔な柄の街並みみたいなものとかアートの拠点みたいなものをどう維持するか?みたいなのってあるじゃないですか。という様な提言の中で、じゃあどうデザインしていくか?みちたいな話になった時にね、例えば根津の交差点って普通の交差点じゃないですか。んふふ、うん、まあ普通に地下鉄の駅があるけど。で、そういうところに例えば辻にね、根津ってでっかい看板を置いちゃえばいいんじゃないか?みたいな。という様なラフなスケッチを、デザインをね、提言されてた訳です。そういうのが何個も、12個とかかな?あったんですけど。僕ね、そのね…根津という…根津の辻の交差点に根津ってでっかく、雑居ビルとかにガーンッって書いちゃえばそこが根津って分かるじゃないかみたいなことを仰ってた時にね、ちょっと僕の中で目が覚めたというか。

些細な事なら実現できる

 だって根津の駅の、交差点のところに根津ってでっかく書いちゃうのって、その地権者というかビルの協力者さんが協力してくれたら本当に…ぶっちゃけ何十万みたいなレベルで出来るじゃないですか。だから何か都市計画とかってすごいお金を掛けてとか一大プロジェクトとか、あるいは行政を巻き込んでやらないと出来ない事だなーなんて思ってたんだけど、むしろそういう些細なこと、お金も掛からないそういう事をやることで、でもそれってインパクト大きいなーと思った時に、例えば東京メトロって言うか地下鉄の駅のところに全部そこが── 一瞬どこか分かんなかったりしますよね?大阪でもそうかも知れないし、名古屋でもそうかも知れないですけど──そうなった時に例えば東京だったらね、白金高輪ってでっかく書いてあったりとか、根津って書いてあるみたいな。そういうのってちょっと面白いなと思ったんですね。
 それってじゃあ根津には根津ってどういう字体…勘亭流にするのか?明朝にするのか?分かんないですけど、白金高輪だったらちょっとカッコ良くするのか?とか、その街々の個性でデザインしていくっていうのを看板というかモニュメントにしてしまうっていうようなことって、なんかお金も掛んないけどすごい街々が立って行くよなーって思ったんですよ。思ったって言うかまあそういうことを提言されて。そう思った時に自分が…そっか、なんか今までは自分って概念というかコンセプトと言うかね、大枠、ジェネラルと言うか、そういうものをどう表現するかみたいなことを考えてたんだけど、なんかむしろ微差って言うか本当に些細なこと、些細なことの方がやりやすいと言うか実際やれるじゃないですか。だから…具体的なこと。大枠じゃなくて小枠って言うか。小枠と書いて小粋かも知れないけど、小枠な事の方が実際やれるじゃないですか。で、それをやってみるってことの方が自分の人生を個人的にもコミットしやすいし、お金も掛からないし。それって、そういう小ちゃい事だから、些細な事だからって言うけど、今はまさにSNS、ソーシャルメディアがあるわけで。そういう事とかを上手く広げられればなんかすごく…むしろバズった方がいいかどうかは置いといてですけど、流布する、展開することって可能なんだよなーって気付かされたんですね、その「ひじりばし博覧会」で話を聞きながら。
 だからその話を聞きながら自分の中ではすごいメモっちゃったんだけど。つまり自分も、角田陽一郎という人間がこれからどう生きるか?っていうかね。で、どう生きると楽しいか?みたいなものってなんかこう世界から何かを吸収してね、その何かってのはエンタメだったりヒト・モノ・コトだったりとか、そういう楽しい事とか悲しい事とか辛い事とかも含めて、むしろ人間関係とかそういうものを色々吸収して、自分の中でどう…頭の中でこう何か想いみたいなものが作られて、それをたぶん…満足する、あるいは不満に思うとか、つまり喜怒哀楽みたいなものを感じてるということで生きてきたんだけど、なんかベクトルが逆なのかなって、やっと気付かされた…いや、気付いてる方は気づいてるんですよね。僕の中ではだからすごい、やっぱり世界と自分っていうのがすごい断絶していて、で、実は断絶してないんだって話はこの前のICUCで語らせて頂きましたけども、自分としての世界の方にむしろベクトルを向ける──。でもね、例えば自分が本を出すとか、ここで、ICUCで何か喋るとかって、そもそもそういう行為なんですよね?他者に向けてるから。なんだけど、そこに他者って言うか自分以外の世界に何か自分の意見をコミットしたいという想いってやっぱりそんなになかったんですよね。だから自分が何か番組を作っる時も見てる視聴者を喜ばせようって本当は思わなきゃいけないんだけど、そんなこと思った事なくて。僕が、自分が面白いと思うものだけを世に出したいみたいなね。強いて言うならさんまさんを笑わせたいとか、SMAPの中居さんを喜ばせたいとか、そういう想いはあったけども。これを世界に投げて世界を変革するんだ!みたいな想いはさらさらなかった。それってやっぱり概念から考えるとそんな力は無いしとか、そんな大きいことは出来ないし、みたいなことを思ってたんだけど。うん、なんか今回の微差というか細かい些細なこと、小枠、小粋なことだったらやれるじゃんって思った時に、じゃあそれってやれるって何かと言うと、つまり自分の想い、想いってのはだから喜怒哀楽ですね、自分の想いをどう世界に投射するのか?投げかける、投影というか、投射するのか?みたいなことっていう事って、なんかそんなに考えてなかったんだけど、それこそ自分がどう生きて行くのか?みたいな意味で言うと、あ!それをやれって言うか、そういう風に生きろって事を教えてくれたのかなーなんて思った訳です。

project → projection

 うん。でね、そっかぁ、自分の想いというのは今までは世界の方から自分の頭の中に何かがやって来て自分の想いというものが形成されてるということを楽しんでたんだけど、その想いみたいなものを今度は世界の方に、そんな大局的な大枠では無理だけど、小粋な、小枠な、具体的な、些細な、微細なことだったら出来るじゃんってことで投げかける、つまり投射することだったら出来るなっていうことだと思うんですよね。
 で、じゃあその投射って想った時に僕いつもそういう時って辞書引くわけですよ。辞書っていうかiPhoneですけどね。投射って英語でなんて言うのかな?なんて思って。そうしたら投射って Projection なんですよね。projection mapping の projection、そうですよね?つまり projection なわけですよ。そっか、projection なんだって思った時に projectionって project じゃないですか。project…って、僕はバラエティプロデューサーって言って様々な企画、企画ってつまりprojectですよね。様々な project を立ち上げたり運用してたり、運営してたり、立ち上げの協力をしたりとかして来た…”のに”、プロジェクトっていうのって単純に自分の想いをぽっと発するみたいなことだったんだけど、実はそれって世界に投げかけるから projection なんじゃんって事にやっと気づいたって言うか。んっふっふっふ!まあ馬鹿なんですね、僕はね、全然そんなことに気づいてなかったんだなーっていう。自分の想い、喜怒哀楽をどう世界に投射するか?それが project なんじゃん!っていう。あ、そうなんだっていう。うん…それがなんかね、僕の中でちょっと腑に落ちたんですよね。で、project とか pro って、それこそ僕はプロデューサーっていって produce の pro、Proって何かなって言うと「前へ」とかね、「押す」みたいな接頭語ですよね、pro。で、そう考えるとその逆という意味では pre、preってのは「前へ」とかね、「過去」みたいな意味ですよね。だからそっか、なんかこう project っていうのは前に自分の物事を推し進めて行くって意味では分かってたんだけど、それを世界に投射することなんだなっていう…うん。

 そう思った時にね、例えばじゃあなんか文章を書くとかも、よくこのICUCで喋ってますけど、ね、この喋った事をそんなに見てる人がいるわけじゃないしって意味で言うと、じゃあ何でやってるのか?っていうと、別に世界に投射してるつもりなんか全然なくて。なんかむしろ自分の想いをアーカイブしてるだけだみたいなことをね、負け惜しみじゃなく本気で結構思ってたんだけど。でもそれが微差でもいいや、些細なことでもいいやって言うんだったら別に…やっぱりこれがたくさんの人に見られてるか?見られてないか?って、そりゃたくさんの人に見られた方が嬉しいなって思いはあるけども。ただこれを見ている数少ない人がちょっとでもね、なるほどって思ってくれるって意味では、もう僕の想いを投射してるんだなっていう。で、最近は絵ばっかり描いてるみたいな話をよくしますけど、その絵っていうのってなんか自分が世界をどう見るか?みたいなことを描いてたんだけど。だから全然その絵を世界に投射しようなんて想いは全然なかったんだけど。ただ…ね、自分がつまり文章を書けない理由みたいなことをさっき書きたく無い理由みたいなものをね、書いたって言いましたけど、それってつまり投射しろよっていう様な啓示と言うか、そういうことを教えてくれるためのステップだったのかなーっていう風に思ったりもします。
 うん。なんかね、そんなことを子供の日、5月5日の「ひじりばし博覧会」では教えて頂いたっていうかね。だからやっぱり僕の東大の大学院の指導教官の中村先生から誘われて行ってみたんですけど、お話を聞いてよかったなーって言うか。うん、些細だからいいと言うかね。それが世界を大きく動かすかどうかは分からないけども、少なくとも自分は動けるって言うかね。そっかぁ…だから自分が動けばいいんだっていうことって、いつも、前から主張はしてるんだけど、自分が自分のために動くってことばっかを考えてたんだろうなーなんてことをね、思いました。

些細な投射しか出来ないとしてもただやるということが世界を変えていく

 そう思うとさ、なんかこう、このICUCでも前に喋ったことあるかも知れないけど、僕が尊敬してるね、皆さんも大好きなスタジオジブリのね、宮崎駿監督。宮さん。宮さんってね、自分のアトリエの近くの川を掃除してたりするらしいんですよね。今もしてるかどうかとかよく知らないですけど、まあ掃除してると。綺麗にするためにって。僕それをどこかで聞いた時、もう10年も20年も前だと思いますけど、「なにやってんだよ!宮さん!!」ってちょっと思ったんですよ。だって宮崎駿ほどの男がと言うかね、それぐらい有名な方だったらね、小ちゃい川の小ちゃい掃除、小ちゃい行為と言うかをやるよりもね、例えばもっと日本全国の川を綺麗にしようみたいな運動をやってくれたら、宮さんが先頭に立ってやってくれたらすごい影響力もあるし、すごい世界が変わるんじゃないかなーって思った時に、なんか自分の家のそばの川だけを掃除してるってなんか小さくてなんか残念だなって思った事とかもあったんです。でもそれって自分もだんだん歳を取って来て、やっぱりこう世界なんてなかなか変えられないなーって思った時に、でも少なくても自分が生きてる証として自分のアトリエの近くの川だけは綺麗にしたいなっていう事で。たぶん生きている喜びというかね、レーゾンテートルと言うか、そういうものを意識されてるんだろうなー…みたいなことは薄々自分も歳を取って来て気づいて。まあそんな風には思ってたんだけど。
 ところが、だからその…今日の今回のひじりばし博覧会の、些細な投機、投影、投射みたいなものしか自分が出来ないとしても、それをただやるという事が世界を変えていくんだな、世界に…こう…変えるんだなと思った時に、むしろやってるんだな宮さんはって、むしろ思わせてくれたと言うかね。うん、僕はいつもそういう事に気づくの遅いだけなのかも知れないけども、なんか気付かされたんですよね、うん。
 だから何かね、今日もね、本当は執筆しなきゃいけないなーなんて思いながら、なかなか書けないなーなんて思いながら、朝ねぇ、なんかまず書こうなんて思ってたんだけど。なんかPCのデータを整理し始めちゃったりして。で、お腹すいたなーなんて思ってご飯食べちゃったりして。まあご飯食べてもいいんだけど(笑) さあ書くぞ!と思ってコーヒーを淹れるじゃないですか。淹れて、さあ書くぞーと思ったらなんか昨日描いた絵、こちらにある…なんかこれも不満だからもう1回ちょっと直そうと思ってるみたいなことで、なんか絵を描き直しちゃうみたいな。だからなかなか文章を書けなかったりして。で、そんなことやってるうちに昼飯だなーなんてなっちゃったりすると、でもさっき朝ごはん食べたばっかじゃんなんて思って。昼飯の前にああそういえば「鎌倉殿の13人」の録画をまだ観てないやと思って観始めちゃったりして。で、観ながら朝飯、昼飯食べてね。で、食べて…、そしてなんかちょっと買い物行ったりして。そしたら、よし!さあやるぞ!と思ったら「ブラタモリ」の録画してるの見始めちゃったりして(笑) で、さあやるぞ!なんて思ったらなんか眠くなって来たからまあ昼寝するかみたいな。で、昼寝から起きたらもう夕暮れになっててね。さすがに…と思ってさっき──でもまず文章を、執筆をしようと思ったけど、執筆のプラクティスというかね、練習で、まあ久しぶりにnoteに文章を書いてみるかなーなんて思ってさっき「書かない理由」っていう文章を書いたんですけど。

 そしたらちょうど前回書いたのが3月7日だったんですよね。またちょうどピッタンコ2ヶ月前。だから2ヶ月間文章を書いてなかったんだなーなんてことにも気付かされたりもしてね。…うん。で、やっと書いてね、さあこれから執筆するぞーなんて思ったら、なんかこう(笑) なんかこう、また書けないなーって思ったりして(笑) だったらICUC撮っちゃおうかみたいなことで今に至るみたいな感じではあります。うん。

あと5分

 なんかね。…うーん、こんな風にワーッと喋ってますけど、決して、全然暗くないんだよなー自分の中では。うん。暗くないんだよってなんか強調しすぎてるとなんかアレみたいな感じもしますけど、でも本当にそうなんだよな、うん。
 あのー、自分という事が、例えばだから来週とかもね、結構そこそこ忙しくて。新しい動画を作り始めたりするんだけど。そのスタッフ繰りとかね。うん、スタッフ揃わないなーみたいな。もう自分がやればいいかみたいな。うん、いつまで経ってもちょっとディレクターとかカメラマンとかやっちゃうんだなーなんて思いながら、とかね。でもそれがやれるっていう事もまた…ね。何にもやれないよりはやるという事があるという事はいい事なのかなーなんて思ったりもするしね。うん。自分が何かをやる、或いは文章を書くとか動画を作るとか、なんなら絵を描くとか、何のためにやってるのかなーなんてこう思いながらやってた時に、すごい些細なことでもいいや──うん、些細な事をやろうって思えたっていう事って僕の中では結構大きい…気づきって言葉そんな使いたくないんだけど、でも…気づき、かなーなんてのを思ったりしますね。うん。
 まあそんな感じですかね、今日のICUCは。今25分喋って。大体いつもこのICUCって30分くらい喋ってますけど。…ね。なんかここで例えば話す事とかをね、残り5分どんなことを喋るかみたいな事を考えたりするんだけど、でも別に考えなくてもいいのかなーなんて思ったりしたりすると言うか。自分の中で…なんて言うんでしょうね、すごくすごくこう…有益なものであると言うか、有効なものでなきゃいけないみたいな、、、うーん、真面目なんでしょうね。なんかそんな事をずーっとずーっと思ってた事が、そろそろそういう事じゃなくていいんだろうなーなんて思い始めてるのかも知れないですね。そうすると自分の生み出してるものというものが稚拙で些細なものだから…ものであっても、その稚拙で些細な感じで世界に投射する、プロジェクションする、という事しか出来ないわけでね。うん。それでいいのかなーなんてのもちょっと思てるような気もしますね。うん。
 なんかね。なんかこう自分がやりたい事をやるみたいなことで、だからまあ、やりたい事が何なのか?みたいな話にやっぱり結局なるんだろうな。やりたい事とか、仮にやりたいというのが自分の中での快楽なのかね、楽しいからやるのかねって言った時に、楽しくなくてもやるのかね?みたいな事とか。面倒臭いけどやるのかね?みたいな事とか。うーん、何なんでしょうね。──その辺ってのがすごく…漠然としてると言うか。うーん、まあ、そういう様な中で、それでもね、まあ生きていくわけじゃないですか。だったらやっぱり一周回って楽しいことの方がいいのかなーなんて思ったりもしたりもしますよねー。
 うん………すごいな、いつもすごいすごい喋るんだけど、今日はなんか25分くらいでピッと話が終わっちゃって。終わっちゃってと言うか、終わったら終わりにすりゃいいんだけどね。またここは…いつも30分くらい喋ってるからあと5分喋るかーみたいな感じでなんかダラダラと繋げてる感じって、なんか、…なんかむしろ、むしろおもろいなーなんて今ちょっと自分のこと笑えてきちゃったけどね。
 あのーね、今ここにパッてここに絵、絵飾ってますけど。昨日描いてたんですけどね、なんか全然良くないんですよ、この絵。良くなくて。で、だから今日の朝描き直したんですけど。で、描き直してもこうなってんだけど。これもそんなにいいなーと思ってなくて。だから多分また描き直しちゃうなーって思ってるんですけど。描き直しちゃうって事はこの今映ってるこれってもう無くなっちゃうじゃないですか。無くなっちゃう前に一応ちょっと置いとこうかなーと思って置いてたっていう(笑) だけなんですけどね。うん。
 なんかね、そうそうそう、それこそもう1個、もう1個描いたって言うか。もう1個描いたって…だから本当にそんなことばっかりやってんですけど。これも昨日夜もう1個かいた小ちゃいやつですけど。だから…夜描いたから日付書いて…5月7日、今日になってますけど。これ、なんか…パスタ(笑) 描いてるうちにスパゲッティっぽいなーと思ってパスタ(笑) いや、スパゲッティぽいって言うか、本当はね、ひじりばし博覧会で話してたら、丘というのの…都市の中での丘っていう概念を話してて。だからね、ローマって丘にあるし、丘に寺院とかがあってね、日本の神社仏閣があって。そういうものを景観みたいなものを大事にしてるのが都市なんだけど。だからパリとかも19世紀の大改造の時とかにエッフェル塔とかね…20世紀か、エッフェル塔とかああいう物とかが景観を被らない様に作ったりとかしてるんですって。ところが日本ってそういうことを全然気にせずビルをどんどん建てちゃったから景観が台無しだみたいな話をしてたから、なんか丘みたいなことで、なんかローマの丘みたいなことを描いてたら、色がパスタっぽくなっちゃったって言う、んっふっふっふっふ!まあ、そんな話でございました。ではまた来週よろしくお願いいたします。

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文字起こし後の文字寝かし

(好き勝手に思った感想を書き残しておくことを文字寝かしと言うことにしました)

 初めて知った。東急で109だったんだ…?!(これは知的好奇心向上ってことにしてもいいのだろうか?)

 聖橋ってどこだろう?どれほど神聖な場所なのか検索。なんだ、お茶の水駅のとこだ。神田明神でやってる給湯流茶道のイベントに行く時にICUCの人達と通ったとこだった。(そうそう、渋谷でICUCに行った後に行ったんだ。)
 南詰のニコライ堂、北詰の湯島聖堂、2つの「聖」なる建物の間にかかる橋、というのが「聖橋」の名の由来で、公募の結果決まったものとのこと。待ち合わせの時間までに湯島聖堂には行ったけどニコライ堂は行った事がない。今度行こう。

 ビルに根津とでっかく書いてしまえば。ビルに文字を書くのは簡単だけど、私の貧弱な想像力では景観を損ねるというか、訪れた人になんだかへつらっている様な感じがして、想像してる分にはいいけど…なんて考えていたけど。それは私にデザイン力が全くなかったからなんだと思い知らされた。
 私が受講している大学の今週の講義の担当教授が札幌駅の屋上アートを担当した方だった。札幌駅屋上駐車場には都市と観光名所の名前が書いてあり、それらの方向を矢印が指している。駅の屋根にはディーゼル機関車が停まるから排気塔が付いていて、この排気塔の屋根部分をアートで活用したもの。元々ある排気塔の屋根に文字と矢印をペイントしたのではなく文字型の鉄板を乗せる。所々屋根が途切れている部分もデザインとして活かす。鉄板は屋根から浮いているので、雪が降ると文字が浮かび上がる…のは、偶然の産物だったそう。教授のおっしゃる通りGoogle Earthでも作品が鑑賞できた。
 「世界に関心を持ち、考え、伝えたい事を表現する技術と思考がグラフィックデザイン」だという講義、とてもよかった。だから「都市をどう文化として見せて行くと魅せられるか?」の意味がやっと分かった。根津とビルに書くことは些細なことだけどインパクトがあるとか、こういうところに素直に気付けるのが角田さんのいいところ。景観を損ねると言う反対があるだろうなとか、本当に損ねるようなデザインが採用されて…とか、私はすぐに怖い事や煩わしい事を想像してしまうのが宜しくない。

Google Earth
北海道ファンマガジン


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