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ICUC-082_2021.10.17【話し方と話の中身の自己矛盾】

【ICUC知的好奇心向上委員会】の知的好奇心の向上&趣味の文字起こし。I see, You see ! Intellectual Curiosity Update Committee

新刊図書
『AP アシスタントプロデューサー』角田陽一郎著エパブリック
『仕事人生あんちょこ辞典』角田陽一郎/加藤昌治(ベストセラーズ刊)

角田陽一郎82「話し方と話の中身の自己矛盾」ICUC知的好奇心向上委員会

例えば企画の中身を一生懸命考えると、話し方が厳しくなると、自分はよく言われます。
だとしたら適度に力を抜いて中身を考えれば、いいのでしょうけど、それは僕にはできません。
つまり、中身をよくしようとすればするほど、外側がキツくなる。この自己矛盾、どうしたらいいのでしょうか?

角田陽一郎 オフィシャルwebサイト

mireva channel

動画の内容(+文字起こしメモ&感想)

ICUC YouTube-Live-

 おはようございまーす。…おはようございます。知的好奇心向上委員会でございますが。えー、バラエティプロデューサー角田陽一郎でございます。よろしくお願いいたします。えーと…そうですね、今YouTube-Live-でやってみようかなーなんて思ってやっております。あの、いや、本当はね、さっき撮り始めようと思って。最初ちょっと撮り始めたんですよ。「あれ?でも、これ別にYouTube-Live-で配信したっていいじゃんかなー」と、ちょっと途中で思い直して…思い直しました。と言うことで、今日はそのまま喋ってみようかなーって思っております。
 えーと、聞こえてるのかな?ただ、そうすると聞こえてるかどうかとか不安にはなりますね、うん。まあ、大丈夫か。──「あーっ」んふふ!「あーっ」とかやってますけども(^^) よろしくお願いいたします。──音量だけもうちょっとやっておこうかな…すいませんね、生放送だから。…入力…大丈夫か、はい。
 今日10月17日、日曜日で、最近は結構移動中の昼間に撮ったりとかねしてたものですから──ああ、「(チャット欄)聞こえてますよ」ありがとうございます。そっか、あれですね。ライブだとやり取りできるんですね、んふふ!不思議なもんだな(笑) ICUCってライブで、先週は車でやってみましたけども、やったことないから。…やったことなくもないけど、ちょっとレスポンスが返ってくるってのがちょっとドキドキしますね。それこそ寿司特とかだとね、コトブキツカサスペシャルだとレスポンスがあって、豊津徳でもレスポンスがあってやってますけどね。うん。
 で、まさに今日、さっきまで「日本沈没」観てて(笑) 「日本沈没」観終わったらやってみようかなと思ってやっております。はい。…そっか、生放送だとなんか、ちょっと違いますね。ツイキャスとかって散々、先々週とか先週とかやってたんですけど、今週は全然やってないですね。なんかボクの中でのツイキャスブームが…んっふっふっふっふっふ!終わっちゃった(笑) 早いなぁ。いや、早いと言うか…。えっとですね。ボクの中では今ね、人前で何で喋んなきゃいけないのか問題がだんだんボクの中で頭をもたげて来てしまったんで、今日はそのことを話そうかなーと思ってます。題して「話し方と話す中身の自己矛盾」ってことなんですけど。

あえて「伝え方は1割」

 本当にですね、自己矛盾がボクの中で今あるんですよ。はい。自己矛盾があります。どういうことかと言うと、そもそもきっかけはね、本当にね、コトブキツカサな気がするんだよなー、寿司特の。何が言いたいかと言うと、別にコトブキツカサさんが悪いとは言わないですね。ああいう感じで掛け合いを毎週やってると何か自分の中でのトークというものに対しての──あ、こんばんは。ありがとうございますMARIA様。MARIA様…様って言っちゃった、すいません(笑) MARIAって書いてあると様って言っちゃいますね、すいませんMARIAさん、よろしくお願いします。今日はちょっとライブでやってみようかなと思っておりまして。
 で、今日はですね、何で話すことについて自己矛盾みたいなものを感じているか?ってことなんですけど。バラエティプロデューサーとしては話し方みたいなものってすごい大事だなってことは思ってるわけです。だからラジオで自分が早口だと嫌だなってことを言ったりとかね、それこそ中身がない話でいいのか問題とかあったりして。なので自分としては…なんて言うんだろう、話すことをしなくてもやってみようかなーみたいなことでツイキャスやってみたりとか。まあそんなようなことをやったりしてたわけですよ。
 「伝え方が9割」って本がありますけど、話し方ってすごい大事だなーと思ってて。「伝え方が9割」って本ってすごいいい本だなと前から思ってます。佐々木圭一さって方が書かれてね。元博報堂のね。佐々木圭一さんとはボク一緒に仕事したことあるし、うん…なんなんですけど。ボクはそう言うのにも関わらずあえて伝え方は1割だって話をしてるんですね。
 それって、「伝え方が9割」って本って簡単に言うと──例えば女の子をデートに誘いたいと。で、女の子にデートしませんか?と言うと断られる率が高くないか?と。ところが、その子が例えばご飯好きでとか…まあみんなご飯好きだと思うんですけど(笑) イタ飯が例えば好きだとすると、今度新しいイタ飯屋さんが出来たから一緒にいきませんか?って誘ったら「行きたい!」って言うかも知れないじゃないですか。それで、そこのイタ飯に二人で行ってたら、もうそれはデートに誘ったこととなんら変わらないだろって時に、「デート行きませんか?」って伝え方ではなくて、「新しいイタ飯屋さんに行きませんか?」って言う言い方、つまり伝え方を考えるのが「伝え方が9割」ですよってことを書いてる本なんで。ボクすごいいい本だなと思って。基本的に結構おすすめしたりしてます。
 そうなんですけど。と言う伝え方みたいなものが異様に重要視されちゃってる──どういう風に話すとかね、というのが多い世の中になって来ちゃってて。じゃあそれでその女の子を誘って実際イタ飯を食いに行ったとしても、じゃあ2回目どうすんだよ?って言うか。本当に付き合いたいんだったら2回目どうしよう?その1回目の時に何とかすればいいって意味では伝え方が9割を否定してるわけじゃないんだけど、2日目どうしたいかがあるから誘うわけですよね?と言うか。つまり思いが9割なんじゃないかな?と思うんですよね。その人とどうしたいか?ね。極論すると付き合いたいでもいいし、好きなんですでもいいし、極論すると…なんて言うんですか…ただやりたいだけでもいいんですよ、極論すれば。でも何かそういう思いがない限り伝えたって意味ないだろ?ということを思ってて。ボクはテレビ番組を作ったり、本を書いたりしてる時でも基本は伝え方というよりは伝える中身みたいなことを思ってるわけです。

伝えようとすればするほど

 でね、そういうことで中身を一生懸命伝えれば伝えるほどボク、角田陽一郎個人としては中身を一生懸命伝えれば伝えるほど早口になるし。中身を伝えれば伝えるほど熱くなるんでね。うん、だから相手とのやり取りとかも、話してても、何かこう熱くなっちゃうわけです。
 そうすると、この前の寿司特のコトブキツカサさんとのね、トークでね、ワーッとボクが話してたら「もう!角田さんコワイ!コワイ!」みたいなことを言ってるわけですよね。──あ、ラフランスのケーキとコーヒーを頂きました、ありがとうございます(^^) こういうことが出来るんですね、生放送だとね、生ライブだとね。──えっと…コトブキツカサさんとやって、それでなんかコワイ!って言うような言い方とかになったりするじゃないですか。そうすると…何が言いたいかって言うと、先週のやつとかだと、例えばボクは企画会議をやりたかったんですよ。うん。その…小説のサブタイトルを考えてみようってね。で、企画会議を考えてみようと言うことは、お互いが…お互いというか参加者が、会議って、自分の意見を出し合うわけですよ。で、その意見を出し合って結果ベストなものを作りましょうってのが企画会議なものですから、様々な人が意見をだし合わなきゃいけなくて。じゃあAさんって人が意見を出して、Bさんって人が意見を出して、C三って人が意見を出して、Aもいいよね、Bもいいよね、Cもいいよねって言ってると会議終わらないと言うか、会議をやってる意味がないんですよね。なので結局どうするか?って言うと、Aは何でダメなのか?Bは何でダメなのか?Cは何でいいのか?…まあ何でもいいんですけど、そういうことをやっぱり厳密に議論しない限り物事が進まないわけですよ。だから企画会議って相手の人格、AさんもBさんもCさんも人格否定してるわけじゃなくて、Aというのがベストか?ベストじゃないか?みたいなことを話さなきゃいけないわけです。
 そうすると、この前の寿司特だとボクがコトブキツカサが言ったあるアイデアに対して「うわ!ダメ!」って言っちゃったけど。そうすると、そういう風に企画のことをダメ出しされてしまったら進められないじゃないか!みたいなことを彼は言うわけですよね。その気持ちも分かります。そのダメ出しの言い方がキツかったみたいなことなんですよね。
 でね、これは放送、寿司特を観ていただければ分かるんだけど。「テレビ局で朝食を」ってものをコトブキツカサさんが言って、で、「テレビ局で朝食を」がなぜダメか?って言うと、それが面白いか面白くないかでダメみたいな話じゃなくて、テレビ番組のドラマで、業界もので、内輪受けっぽいものは止めようっていう風にテレビマン達は基本思ってるので、テレビ局は。「テレビ局で朝食を」ってのをテレビ番組の番組のタイトルとして使うのはありえないんですよって言う意味でNGなんですよ。これがね、まあそこまで放送では言ってないんだけど、終わった後にコトブキさんには言ったわけですよ。何がダメって、そのタイトルのクオリティ、つまり中身、中身の良い悪いで言ってるんではなくて、それが仮に中身として良くても使えないものは使えないんですよっていうのをボクはプロデューサーなので、企画会議でははっきり言うわけですよ。そのはっきり言った言い方が厳しいとか、辛いみたいな言い方に…やっぱりすり替わっちゃうわけですよね。で、ボクは…別にこれコトブキツカサさんとの寿司特について何かを言ってるわけでは全然なくて。大体企画会議でそういう立場でそういうことを言うのがボクの仕事というかなので、結果ボクはさっきのね、一生懸命話せば話すほど、語気がキツくなると言うか、厳しい言い方に、当たりが厳しい言い方になるらしく。何かやってると、何か建設的な会議というよりは結局言い方がキツイよねーみたいな話になってしまうというか。「伝え方が9割」の話じゃないんだけど。

ボクは一生懸命話さざるを得ない

 そういう会議が終わったりするとですね、ボクはその後相当落ち込むわけですよね。ボクとしては、だって…まあ、だから、相手もそうかも知れないけど、一重にいい企画を作りたいとか、いい中身を作りたい。で、いい中身のために”それだとその中身がダメですよ”っていうことを一生懸命言ってると、語気がキツくなったりすると、もうなんか言い方がキツくて!みたいな風に言われてしまうと、ボクが一生懸命やってるということが結果そっちの方向にしか表現できないんだなっていう。だからボクの表現の拙さに起因するということなので、すごい落ち込むというか。言わなきゃよかったよなーとか思っちゃったりするんですよ。
 でもね、だからこれって…でもボクの中で、今日のタイトルの「話し方と話す中身の自己矛盾」って言ってるのは、じゃあ今の話をボクがそのまま使うとすると、じゃあ話し方を気をつけなくていいのかよって言うと、気をつけなきゃダメだってプロデューサーとしても思ってるんですよ。だからずーっと、ここ何回か悩んでる「自分は早口すぎる」だとかいうことも悩んでるわけですよ。そう。だから本当は話し方も気をつけなきゃいけないんだけど、だからって話し方ばっか気をつけて中身が間違ってるもの、面白くないものはやっぱりよくないんじゃないかなって思うから、中身について一生懸命議論していると、いつの間にか話し方もキツくなって行くっていう、このボクの中の自己矛盾というかね。
 だから別にそれはコトブキツカサさんが悪いか言うことではまったくないです。だからこれを見て誤解をされちゃうと困るんだけど。ただ、事実として寿司特が木曜日に終わった後、なんかすーごいやる気なくなっちゃったというか。そっか、ボクは一生懸命話せば話すほど相手が…じゃあそれを快く思わないとかなってしまうんだったら、一生懸命話さなきゃいいじゃんとは思うんだけど、一生懸命話さなきゃいいじゃんで抑えられるほど人間が出来てないと言うか。
 一生懸命考えなきゃいいじゃんだったらまだ分かるんですよ。じゃあもうそのことに関して一生懸命い考えなきゃいいじゃん、じゃあもう考えるの止めますかってことで…諦めるとかね。何でもいいですよ。そういう風にやるっていうならまだ分かるんだけど、一生懸命考えてるのに、一生懸命話すなって言われても、ボクの中でのそれだけのテクニックがないし、それは出来ないんですよね、ボクの中で。とすると、ボクは一生懸命話さざるを得ないんですよ、一生懸命考えてることに対して。でも一生懸命考えれば考えるほど、結果、表現が厳しくなるから、結果、一生懸命考えてることが逆効果になるっていう、この自己矛盾ね。
 これはね、本当に──自分はもともと早口だし、多弁だし、なおかつ声が大きいのは小学校とかもそうだったんで。中学校の時に寄せ書きに同級生の女の子に「女の子には優しくした方がいいよ」って書かれた記憶があるんだけど(笑) ただボクとしては、なんて言うんだろう、ここで女の子に対して女の子だから優しく言えばいいよねっていう風にやってしまうのって、その女の子に対して失礼だなって思ってたんだと思うんです、既に、中学校の時から。何かあった時に何かを…じゃあそれが別に合唱コンクールでもいいし、体育祭でもいいし、なんか出し物やるでもいいし、何かをやるって時に、その人が仮に女の子だからって手を抜いて喋るって、その人に対して人間として失礼じゃないかって子供の頃から思ってるから、本当に男女とか関係なく、なんなら老若男女、当然自分は年功序列のところにいたサラリーマンだから年功序列とか意味なーとか思いながら、意味ないとか思いながらもボクより年上の人には敬意を払うってことをやることに価値があるなと本気で思ってるので、結構丁寧には、自分より目上の方にはね、丁寧にして行くっていうことは守ってるつもりではあるけども、でも自分より立場や地位や年齢が上の人にも言うべきことは必ず言うというか。それが一生懸命ならばね。っていうのは心掛けてるわけです。だからそこで相手に対して一生懸命話さないってことは、相手を馬鹿にしてるというか、相手に対して失礼なんじゃないかなってことは、本当に子供の頃から思ってるわけです。

アイデアや企画に関しては本気です

 そう。だから相手に対して失礼なことをやりたくないから、ずーっとずーっと一生懸命喋ってると…怖いとか(笑) 言われるっていうのはね、これ、結構…子供の頃からね、悩みながらも、うん。そう言いながらソフトに言う言い方とかも身に付けてきたつもりではあります。だから別に普段からそんなに厳しくないような気はしてるんですけども。
 …あ、今頂きました。「(チャット欄)あの寿司特、最後だけ観てましたけど、お二人のかけあいがおもしろかったですよw」そうですよね、ありがとうございます。それはエンターテイメントでやってますからね、面白くなきゃいけないと思ってるんで。それでなおかつコトブキツカサ師匠はプロなので。いや、あれなんです、コトブキさんはちゃんと回してくれてるし、ボクも別に全然キレてるわけでもないしってことなんで、だからあの収録に関して、収録というか番組に関しては別にいいんですけど、会議が終わった後に落ち込むって話をしましたけども、その収録終わりの木曜日の夜とかなんかすごい落ち込んじゃったんですよね、なんかね。一人で自己嫌悪というか。
 で、その時にそのコトブキツカサに終わった後、二人で話してる時にはっきり言ったんですけど、それが何かへの論評だとか何かへのコメントとか感想だったらそんなに別に語気を強くとか一生懸命喋らなくてもまだボクやれると思うんですよ、普通に。こと企画とかアイデアとかに関して、やっぱりダメなものはダメだと思った時は、やっぱりダメって言わないとダメなものが出来てしまうっていうところへの想いはすごいあります。それで自分の方が優れてるって言ってるわけじゃないんですよ。だからじゃあ角田の言ってるこの意見に対してここはダメじゃんって相手にむしろ言って欲しいというか。なんなら語気が強くてもいいから。でもその鍔迫り合いというか、パシパシパシパシッてのをボクらは企画会議で作家さんとかともやってるし、各ディレクターともやってるし、なんならタレントともね。それが一番怖いタレントさんが明石家さんま師匠だったと思うんですけど。この企画はこうやろ!とか言われて。でもこうですよね?!って言わない限りこうやろ!って言われたらじゃあその企画は無くなっちゃうんですよね。いやでもこちらの思いとしてはこれはこういう風にやりたいからって言うのを少なくとも伝えないといけない。で、その言い方自体が悪いみたいな話で結局中身じゃ無くなっちゃうっていうのはすごい…本当に昔から悲しいなーなんて思ったりしてます。
 あ、なんか彩さんからコメントが。「(チャット欄)寿司特では前提条件がズレてた気がします。コトブキさんはブレインストーミングを、角田さんは企画会議を想定してたんだと感じました。更にコトブキさんは企画会議がどういうものか知らなかった。そうすると、今度は──」えー…、ん?ごめんなさい、目が(笑) 「──今度は「傘までボクが用意するのか?!」問題が出てくるのかなと思いました。」ああ、そうそう。これ、見て頂いてない方には分からないかも知れないですけど、そうなんですよ。企画会議ってみんな普通やったことないんですよね。
 だからじゃあ仮にそういうドラマのサブタイトルを考えようって企画をテレビでやってると、コトブキツカサさんは演者として出てるわけですよね。そうすると演者として面白いことを言う言わないみたいな、大喜利みたいな感覚でやってて。で、最初に出したものがつまらないって言われてしまったんだったら、もう怖くて書けないよー!って言ってるんだと思うんですよ。ところが企画会議って別に出してつまらないって言われたことがマイナスではないから、ボンボン出し合いましょうよ、だからボクはあれは本当にこう…コトブキさんが出す、角田が出す、コトブキさんが出す、角田が出す、なんならチャットで色んな人が出す、そういうのをグニュグニュグニューってやりながら、少なくともこの方向がいいよねっていう様なことがやりたかったんですよ。
 ところが、やっぱり演者さんって言ったことに対してそれが面白いとか面白くないとかみたいなことで評価されるって思われがちだから、そういう風になっちゃったんだろうなーと思うというか。で、さらに言えば。うーん…なんか企画会議のような番組にした方が面白いんじゃないかなーと思って。それは前々から思ってるわけです。そうじゃないと結局何かあったことに対して文句じゃなくても感想ばっかりになっちゃうじゃないですか。このことに関してこう思ったよねとか。こう思わなかったよねとか。私はこう思ったよねみたいな。そんな感想ばっか喋ってると面白くないかなーと思った時に、なんか発案があった方がいいんじゃないかなってのは前から思ってるわけです。そうしないと話すことだって毎週やってたら無くなっちゃいますからね。そうじゃなくて、このことに対して自分はこういうアイデアがあるって言うこととか、もっと出た方が面白いよなーっていう風には前から思ってたんです。

実は『AP』の…とは言ってなくて

 だからそうするとこの事に対して、今回で言うなら…なおかつね、今回で言うならドラマのサブタイトルって言ってるんですけど、実はこれは本当に…これは後でコトブキさんと話したんだけど、小説『AP』のサブタイトルを考えようってことじゃなかったんですよね、ボクの中で。いや、当然…ごめんなさい、ここがまた難しいんだけど、──という風に思わせといて、皆様に。皆様に思ってもらって、小説『AP』のことに興味がある方を増やしたいなって思いがあるから、小説のサブタイトルを考えるってタイトルにしたんだけど。あのタイトルは「小説『AP』のサブタイトルを考える」っていう風にはなってないんですよね。
 ボクの中では映画のサブタイトルとかドラマのサブタイトル問題って、このドラマって本当にそのサブタイトルでいいんだっけ?とか。あの中で言うと木村拓哉さんの「HERO」、ボクは「HERO」ってタイトルよくないなと思うんですよって話をしましたよね?「HERO」というのは面白いから。「HERO」というドラマが超よく出来てて超面白いから「HERO」っていう普通の作品に使われちゃうタイトルって勿体無いなーと思ってるって話。つまりそう言うような、ドラマのサブタイトルについて色々話したかった。で、話したい上で、結果、ボクの『AP』という小説がドラマ化した時にはどんなのがいいんでしょうね〜?みたいな話に持って行けたら面白いなーって、ただ何となくイメージとしてはそういうことだったんですよね。
 うん。ただ、これってね、またすごい打ち合わせしてそういうことやってるわけじゃないから、そうならないこともあるってのも当然計算の内ではあります。だから結果、この前の木曜日の寿司特があんな感じになったってことに関しては全然別にいいんです。いいんだけど、今もさっきも何回も言ってますけど、…ということがあると、終わった後自分がすごい凹むんすよね。これってどうしたらいいのかなーというか…うん。つまり、また繰り返すけど、つまり自分が思ってることを良くしようと思ってると勇み足的に相手を、こう…、──コトブキツカサがどう思ったか?と言うより、今までで言うとね、角田さんの言い方がキツいみたいな、萎縮するとか、なんならパワハラと…パワハラと思われた事はないかも知れないけど、そんな様な感じになってしまうって言うか。
 うん、でもこれって色んな方も経験されてる事なのかも知れないですよね。一生懸命やればやるほどその人の熱さに周りがついて行けなくなるみたいな。うん。で、それってボクも仕事でもプライベートでもそういう事って多々あるなーと思います。だからボクが…だからそうすると何事にも一生懸命やんなきゃいいんだよ、角田!って言う天の声が聞こえてきて。そうするともう生きてる意味ねぇじゃねぇか!みたいな。一生懸命やんなくていいんですもんね?みたいな。適当に流せよみたいな。うん。

ボクは「企画を面白くしたいだけなんです!」

 なんかさっき「日本沈没」見てたらね(笑) 小栗旬さんがそういう役ですよね、つまり…と思いましたね。いや、ボクは「真実が知りたいだけなんです!」みたいな。いやボクも「企画を面白くしたいだけなんです!」みたいなね。なんかそういうところとかがあるんだよなーなんて思って。だから話す中身というのが…中身には中身がちゃんとしてなきゃダメだなーってのはやっぱ前提で思いながら、そればっかを言ってるわけじゃなくて、話し方、相手へどう伝えるか?一方どう相手にどうリアクションするか?みたいなそのコミュニケーションの円滑さみたいなものがあった上で結局中身が膨らんでいくということは、全くその通りだなと思うんだけど。自分が中身を膨らまそうとすればするほど、表現の拙さというか、結果話し方が乱れてくるってことは、もうボクの人生の中で避けられない事実であって。
 これって……ダメだな、とは思うんです。でもね、一生懸命した上で話し方をセーブするっていうのって…まあそれでも親い人に言わせるとね、40ぐらいの時とか、なんなら30代の時なんかまだそのテクニックも無く、その自覚もなく、すごいワーッと喋ってたんだと思うんです。40ぐらいからはgoomoって会社を作ってからだとすると、やっぱり協力者というか、相手を味方にしない限り物事が進まないってことに自覚的になるとすると、これを仮にいい企画にしようとか、いい中身にしようとすると、やっぱり言い方をやらなきゃいけない。それ、パワポで言うとパワポの中身の文章が良くてもパワポ的な彩りが映えてないと、その企画が通らないように、どう映えさせるか?みたいなことは考えなきゃいけない。
 で、それはそれで考えてるんですけどね、もともと。20代の時も30代の時も考えてたとは思うんだけど、そこに考えすぎた映えさというよりも、ちょっと相手のことを慮るというか、相手が気持ち良くなるようにって考えるように…、だいぶ、40代ぐらいからはなってるような気がします。それはよく言われます、周りの人に。お前は本当に三歩くらい先の話をしてるから、何を言ってるかよく分かんなかったけど、後で角田と離れてから1週間ぐらい考えてると、「あ、そこまで見越して彼は説明してたのか?!とやっと分かったよ。」とかって言われたこととかがあって。「お前すごい…そこまで考えてその瞬間喋ってんだねー」とか言われたことがあって。「そうですよ」みたいなこととかもあったんだけど。でもそれって独り善がりというか自分勝手、手前味噌だから。それじゃいけないよなーとは思って…だいぶ、だいぶ、気をつけてるつもりではあります。

話し方と話の中身の相関関係

 …あるんだけど。なんかこの世界というか、だから結局それが「伝え方が9割」みたいな話になっちゃうとすると、番組とかテレビとか普通に見ててもね、バラエティとか見てても、結局話し方みたいなものばっかで物事が回って行くことが多いなーと思うんですよね。どうツッコむとか、リアクションが早いとか、笑いがあったとか、無かったとか。で、そういう事で番組の編集とか見てるとね、なんかこう、じゃあある中身の話をしてて面白いな/面白くないなみたいな話をしてるけど、結局ちょっとこれが何か言って噛んだとかね、笑いとかね、そういう事で編集が終わって次のコーナーに行く編集多くないですか?多いんですよ。
 つまり結局、さっきの言ってたす寿司特ってのもそうだったと思うんだけど、結局中身のこと、話したいことが途中で何か超越して、ああ言い方が怖い!とか。ボクも使うんですけどね、言い方が怖いとか、なんかそういうちょっと話をずらした方向で話を収めてしまうみたいな感じで次の編集して、次の企画に行くみたいな番組とかってすごいあるよなーと思った時に、なんかボクがリアル会議とかね、リアルで人と話してる時も、そのリアルで中身を話してることが何かそういう風にスカされてね、スカされて次の話題に行くみたいな時ってすごい残念だなーと思う時があるんですよね。うん。で、その残念さみたいなものって、でも言い換えると、もしボクの相手側の方がボクより1枚も2枚も上手だったら、このまま角田がワーッと喋ってるよりはここは適度にクールダウンさせてね、行った方がいいのではないか?っていう、まあ俗に言う大人判断でそうなってるんではないかなーとも思うわけです。うん。だから人の会話ってやっぱりその会話の話し方と、会話の中身の、相関関係で物事が上手く行くようにもなるし、もしかしたらどんどんカタストロフィーに向かって行くこととかもあるんでしょうけど。何かそんなやり取りの中でね、自分が難しいなと思ってることが時々あるんですけど、それがたまたま寿司特では顕在化しちゃったのかなーなんて思ったりするという感じですね。
 だからね、それが木曜日だったでしょ。何と無くあれですよ、金、土、日とね、何と無く篭ってたりというか、人とやり取りする嫌だなー症状発令中みたいな感じだったんですよね。そう。なので、別に落ち込んでるわけでもないんだけど、なんかこう自分の一生懸命な思いというものと、自分の表現というものをどういう風にコントロールすればいいのかなってことかも知れなくて。だからそんなことまで考えてると、あのー、もう2週間ぐらい前まで結構ツイキャスとかやってたんですけど、ツイキャスとか全然やってない理由にもなりますね。なんかもう、自分というものがそんなに発話しない方がいいのではないかなーなんて思っちゃうところとかありますよね。それってやっぱりコトブキツカサが言ってましたけどね。角田さん、色々こうアウトプットしてますよねーみたいな。確かに月曜日はseasoningってラジオをやって、火曜日では日本史と世界史のことをやってて、先週は水曜日にね、加藤昌治くんとあんちょこお悩み相談会ってのライブでやって。木曜日は寿司特やって。金曜日は豊津徳をやって。土日の週末でこの知的好奇心向上委員会ってやって。どんだけアウトプットしてるんだよ!みたいなこととかをコトブキさん言ってましたけど。うん。なんかそんなことを思った次第というか、なんかアウトプットと自分の中でのアウトプットする中身の相関関係の自己矛盾みたいな感じでございました、と。
 はい。もうライブで話してるって言っても録画で話してても同じと言えば同じなんですけども。パッと30分になってしまいました。皆様、ライブでやってみるのはどうでしょうか?あ、「(チャット欄)全然怖くなかったよ」って。ああ、ありがとうございます。そうなんです、寿司特の誤解を解くように言いますけど、寿司特がどうこうとか、コトブキツカサがどうこうと言うよりは、中身と話し方についていつも自分が迷っている角田陽一郎バラエティプロデューサーの自己矛盾でございましたという回でございました。はい、ということでもう皆さま夜遅くなりましたので、また来週よろしくお願いいたします。配信終わりにしたいと思います。失礼いたします。

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文字起こし後の文字寝かし

(好き勝手に思った感想を書き残しておくことを文字寝かしと言うことにしました)

 思いが9割の上で話し方が9割なんだ。思いのない物は流行り物でも何故か伝わらない。実現が厳しい物でも思いがあると伝わったりする。AppleやMicrosoftの創業時の話が起業したい人向けのビジネス書によく登場するのは「あなたに想いはあるか?」が一番大事だからだ。「起業とはあなたその想いをプレゼンしていくことですよ?」と。
 その思いが何なのかよく分からないという人の方が多い。もちろん私も自分の思いはよく分からない。だから想いを純化していく作業が大事だと説いている人がいた。どうしてそうしたいのか?を3回繰り返すと本当の思いにたどり着くと。それが金が欲しいのか?名誉が欲しいのか?どんな思いでも構わないから一度よく見ろ、その思いを正直にプレゼンしていけと。一見理にかなってそうな話だけど、純化作業は案外難しい。例えば純化してみると自由に使えるお金が欲しい、つまり心に余裕のある暮らしをしたいと。でもそれは想いじゃないくて、どこかで聞いた誰かの暮らし、隣の芝のように青くしたらいいことありそう、みたいなこと。純化すべきは心に余裕のある暮らしって具体的にどんな?という想像の世界だ。
 角田さんが三歩先ゆくのは最初から具体的な想像をどう創造するかって話をしてるから。頭がいいというのは最初からどの部分を具体化すべきか分かることなんだ。

 思いは重いと言うけど、軽いものは簡単に飛ばされるだろうし、重いということはつまり鈍器になりうる。言い方のキツさ、厳しさ、怖いと言われる部分は熱さかな。鈍器で火傷は辛い。つまり熱さだけ除いて伝えられるか?重い物を動かすと摩擦熱があるから、どうしても熱くなるという角田さんの言い分はよく分かる。ここからは10/21(木)の寿司特を観た後なんだけど、smck0809さんが役を演じるスイッチを持つのはどうか?と仰ってたけど、「いまこの場で必要とされている人格、キャラはこう!という役」と付け加えてるところが大事。角田さんなら必要な役は分かるから、あとは役になればいい。角田さんにとって重い物をスルッと動かすための役、潤滑剤はなんなんだろう?潤滑剤を用意する手間が10%とするとボクの思いが90%になる…なんてこともないと思うんだけど。

 女の子だからって優しくするのは、その人にとって失礼なんじゃないか?について。優しくした方がいいよと言った子にとって、優しく話されることは失礼じゃなく気遣いなんだろうと思う。性別、年齢、分け隔てなく話してる人はある意味そんなにいないと思う。目上に敬語を使うのは目上という分け方をしてるとも言えるし、子供相手の話し方も大人同士とは違う。逆に子供であってもお客様として敬語で接する店員さんもいる。子供相手らしく喋ろうがお客様として敬語を使おうが、どちらにも何かしらの気遣いがある。結局、失礼のない対応の正解はその時々の相手次第になるから、角田さんの態度を変えない姿勢は、手を抜いて喋ってないとも手を抜いて自分勝手に喋ってるとも言えるんじゃないかなと。

 今、途中で「逆に」と書いたけど。何年前か忘れたけど、若い子に「逆に」が流行った時期があった。何にも逆じゃないのに「逆に」から話し始めるのなんでなの?という大人の疑問。会社の先輩が可愛いものを見ると「かわゆーい!」と言うけど、私はそれを聞くと「時代だなー」と思う。「かわゆい」は私の10~15年上の世代の流行り言葉で、いつも「ハイスクール!奇面組」を連想する。(流行り言葉からキャラ名になったのか、キャラ名が流行り言葉になったのかは分からないけど。)30年経っても「かわゆい」と言うんだなー。
 例えば私が無邪気に「「かわゆい」って(笑) 古っwww」なんて笑ったとすると、おそらく先輩は「かわゆい」を使わなくなったんじゃないかと思う。だから寿司特で話していた否定語から入る大物との話で、角田さんが「ムカついた」と話してたけど、もしかしたらこの経験で、角田さんは否定語からの入りは少なくなるかも知れない。

 角田さんの言う企画会議は世間一般に言う企画会議ではない気がする。それどころか悪い会議の例として角田さんの言う企画会議を指してることすらあると思う。少々でもダメ出しされると案は一つも出てこない。だから実現不可能な案でも否定をしない。そうして一定量の案を集めることで方向がより詳細に明確になる…みたいな話が多いと思う。
 それはとても遠回り。角田さんの言うように出来ないものは出来ないし、みんなの感想付きでは企画が濁る。寿司特で角田さんは武闘派集団に属していたと言っているけど、武闘派集団なら最初から本質的な部分を煮詰められる。無駄な会議が多い思う人は角田さんの言う企画会議を目指そう。そのためには思いが9割先にないと何も出来ないんだ。全てに本気で向き合わないとその思いも出てこない。

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