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ICUC-072_2021.8.9【孤独で生きること:メンタルが落ちてる時にどうするか?】

【ICUC知的好奇心向上委員会】の知的好奇心の向上&趣味の文字起こし。I see, You see ! Intellectual Curiosity Update Committee

参考図書
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角田陽一郎72「孤独で生きること:メンタルが落ちてる時にどうするか?」ICUC知的好奇心向上委員会
この週末は、オリンピックも終わり台風も来て、なんとなくやる気が起こらず、そんな時に感じたことを、ただ喋ってるだけの動画になってしまいました

角田陽一郎 オフィシャルwebサイト

mireva channel

動画の内容(+文字起こしメモ&感想)

ボクがこの世にいるよすがとして

 おはようございまーす。ICUC知的好奇心向上委員会で角田陽一郎でございます。今日は8月9日でございまして、いつも土曜日が日曜日の週末にUPしていたICUC知的好奇心向上委員会ですが。去年の3月の終わりから始めて1年と5ヶ月くらいやっておりますが、今回初めて日曜日にUP出来ず、今日は月曜日でございます。まぁ月曜日といっても三連休、8月9日なので。まぁ週末の休みの日にUPしますよーみたいにルールを書き換えてしまえばというか、ルールなんてものはそもそもないのですが。まぁ週末にUPしてる感じでございます。よろしくお願いします。
 えーと…UPしなかった理由は様々なんですけども、まぁ単純に言うと自分のメンタルがちょっと落ちたなーってところがあって。で、落ちたところでUPするのもなんだよなーって思ってですね、UPしなかったって言うのがあります。いつもね、このICUC知的好奇心向上委員会は基本そんなに明るい話をしてるわけでもなく。まぁ別に暗い話をしてるわけでもないつもりなんですけど(笑) だからってね、なんか自分の落ちてる愚痴みたいなのを言うのもなんだよなーと思いながら。じゃあ今日、明けて8月9日がそんな…自分のこう、やる気のない感じから復活してるかと言うと、そんなに復活もしてないわけで。えー…じゃあ昨日撮っても良かったんじゃないか?みたいなことを思いながら。
 まぁね、なんで撮ってるんだろうなー?みたいに思っちゃったって言うところもちょっとありますね。なんでこんなことやってるんだろうなー?みたいな。うん、だからなんかこのICUCだけじゃなくてあらゆることが「なんでわざわざやってるんだっけ?」というモードになりましたね。
 で、なった…強いて言うならなった理由を今日話すことが、少しでも知的好奇心の向上に役立てばみたいなことかなーと自分に言い聞かせて、なんとか喋ってるのと。あとはね、いつもこのICUCで言ってる、ボクのなんでこんな、そんなに再生回数も行ってるわけでもないのにコツコツやってるか?って言うと、聞いて下さってる方々が何人かはいらっしゃるっていうこと、その期待は裏切りたくないなーと思うということと。あとはまぁよく言ってますけども自分のアーカイブでもある。その瞬間その瞬間そう思っていた、こう思っていたってことを残しておくということは…なんかね、追い追いきっと何かになるのではないか?みたいな。そんな期待感というよりはなんか自分がこの世にいることの、少しでも…よすがというか…を、刻んでおくのもいいかなーなんて思って。レコードしておくのもいいかなーと思ってやってるわけでございます。

閉会式と台風、新月と獅子座のプレッシャー

 昨日はね、オリンピックがついに閉会しましたよね。なんかオリンピックが閉会したってことと、あと台風が来てて。今日も大雨でしたけど、今やっと…これ昼前ですけど、雨がね、上がって。ちょっとまだ風が強いですけども今は日差しが出てきて、逆に気温が上がってきておりますけども。まぁそんな低気圧に責められたっていう気分もあったのかも知れないですけど。オリンピックの閉会式みたいなこともすごくありますね。
 あとはね、昨日の8月8日は新月なんですね、新月。新月って新しく何かを始める日だってことを言われていて、ボクもそれをよく自分のメルマガDIVERSEで言ったりとか、このICUCでも言ってますけども。新月だったんです。で、なんかね、ある占いによると、ボクは獅子座なんですけども、この獅子座の8月8日の新月はなんかこう本当に獅子座にとってすごいこう…まぁ石井ゆかりさんの占いとかでもそうですし、他の占いでも言われてるんですけど、もうなんか新しいことを始めるきっかけの日で、すごいパワーの新しいことを始めるきっかけの日ですみたいなことを前から言われてたわけですね。なので、自分の中で「そうか。8月8日は新しいことを始める日なんだ。頑張らなくては…!」と、ちょっと自分の中で勢い勇んでたってところがあるんだと思うんです。
 で、土曜日が8月7日で。8月7日はちょっと時間があって、ICUC撮っちゃおうかなーなんてちょっと思ったんです。一瞬思ったんです、撮ろうかなと。思ったんですけど、新月を迎えて8月8日になって、その新月の気持ちでやっぱり言った方が…うん、良いのではないかな?ってちょっと思ったんですね。思ったので、あえて7日は撮らず、8日に撮ろうと思ってたわけです。で、8日はちょっと人と会ってたりとか、あとは仕事があったんですね。で、仕事が撮影の現場だったんですけど、ところがこう昼間ぐらいとかにですね、すごい…疲れてしまってですね、ロケ現場に行きたくなくなっちゃったんです。
 ロケ現場に行きたくなくなる症候群って時々ボクあるんですけど。…現役時代というかTBSテレビでロケやってた時も。むしろですね、自分が担当で、ディレクターで、もうその現場を切り盛りしなければいけないって言うか、自分が指示をしなければいけないって立場だと、行きたくないなとか、大変だなーってプレッシャーを感じる時はあるけれども、基本的には行くわけですよ。やることがあるから。ところが今、最近プロデューサーですし、今回の案件はね、プロデューサー・オブ・プロデューサーみたいな、統括プロデューサーと言うか、現場を司るラインプロデューサーではないとすると、現場でやることと言えば、なんかこう…なんて言うんですか?タレントさんとお話しするとか、なんかその空気を温めるとか、なんかこう、そんなような役回りでしかないわけです。だから極論すれば行っても行かなくてもいいやみたいな風に思えてしまう現場な時に、まぁ昨日も台風だったからというのもあるんですけど、「なんで行かなきゃいけないんだろうなー」なんて、ちょっと思っちゃったみたいなね…ところがありますね〜。
 で、そんな風になんか思っちゃったところ、もうなんか、すごいこう、うぅぅーん…なんかやる気が失せて。なんかもう寝転がってたんですね。今日はもう行かなくて…行く時間は本当は1時に行こうかとか、3時に行こうかとか、やってたんですけど…なんかもう「行かなくていいいか…」みたいに思っちゃって…現場をブッチしちゃいましたね、昨日はねー。なんか本当にやる気がなくて。
 そうしたらね、そのあとやらなきゃいけないことってICUCを…まぁ色々あるんですけど、ICUCを撮らなきゃなーなんて思ってたんですけど、それもなんか…なんか、こう、なんて言うんでしょうね、その時の自分の気持ちをアーカイブしよう、レコーディングしようと言っておきながら、もうアーカイブするときの言葉が発せられないというか。言葉を発したくない気持ちになってしまってですね。
 そうすると…だからあらゆることは記録できないんですね。その自分が…だから30分無音だったらともかく(笑) まぁ無音ってわけにはいかないとすると、何も発せないという…ね、感じで済ますのもアリかも知れないけど、まぁそれは何なんだ?って話ですからね。そうすると結局、自分がそこまで落ち込んだときのレコードってのは出来ないんだなっていうようなことを知るワケですね。

エンタメとボクのひと段落

 で、夕方からね。夕方じゃないか、夜か。夜、オリンピックの閉会式見ててね。なんか色んな思いが溢れてくるわけですよ。開会式の時に開会式のことについてちょこっと喋りましたけど。閉会式…ね、元々で言うとリオの閉会式の時に安倍首相がマリオで出てきて、次は東京だーみたいなところから、もしかしたら東京ドリームは始まってるわけだし。そもそも誘致活動の前からって考えると、ここ10年くらいね、日本はオリンピックというものに否が応にも、良くも悪くも、好むと好まざると、なんか色々影響を受けてたのがやっと、たかだか2週間ばかりのセレモニーというか、開会式が始まってたかだか2週間ちょっとでもう終わっちゃうんだなーなんて思うんですけども。
 なんかね、ボクが、前も言いましたけど、2004年にアテネでオリンピックの開会式を見て以来の開会式マニアだっていうところから、自分も開会式に絡んでみたいなーなんて思い始めた2010年代、ボクは40年代。そんな中で東京オリンピックが行われるということが2020年、ちょうどボクが50歳になる夏になるっていうのは、それが終わった段階でボクは日本という場所から離れるタイミングを下さってるんだなーなんて、その2010年代は思ってたわけです。
 2010年代はそんな風に思ってたにも関わらず、自分の中ではオリンピックに関われるほどの力量があるわけでもなく。でもそんな中でじゃあ自分が…ね、何をやれるか?ってことでTBSを辞めたりとか、色んなことをやったりとかして、本を書いたりとかしてた中でね、2020年の東京オリンピックはむしろお客として見て、それが見て終わって、なんかもう自分はバイバイ日本みたいな風に思ってたところ、このコロナ禍でね、去年のオリンピックは延期になり。延期になってつまりそのボクの想いみたいなものは1年間ぐーっと延期されたわけです。で、延期されてる間にね、色んなことが起こり、今に至って、結果その延期された1年の中で分かったことは、これも前に英語が喋れないっていう話をしたことがあると思うんですけども。その自分の中でのヨーロッパ幻想みたいなね。だからオリンピック夢想みたいなものからヨーロッパ幻想みたいなものがあったんですけども。なんか自分が結局この日本にいて、それも好きでも嫌いでもと言うか、否が応でもと言うか、やっぱりここで生きていくしかないんだなーってことを思った2021年の8月、8月までなわけですね。
 で、この半年ね、そんなことをずーっと考えて。なんか色んな逡巡もしてたんだろうなーとか思いながら…いざオリンピックが閉会式になるとね。開会式も閉会式もね、決して素晴らしいクオリティじゃなかったと思いますよね、開会式マニアとしては。だからそれこそ2024年のパリ・オリンピックの映像はみんな素晴らしいってTwitterとかで書いてましたけど、ボクもそうおもいましたけど。カッコ良かったですね、飛行機が飛んでとか。うん、なんかシンプルな中にもカッコ良さがあるのが、やっぱりフランスのエスプリだよなーなんて思いながら。
 日本の開会式も閉会式も色んなことがあるにせよ、そういうエスプリ的なものが…ジャパニーズ・スピリットみたいなものが、なんかこう…無いのかな、ジャパニーズ・スピリットなんて。分かんないけど。そういうのの表現方法が稚拙だったよなーなんて思ったりする時に、まぁだから統括の人が居ないから、モノマネでやってて。なんちゃって、なんちゃって、みたいなものが沢山出ちゃってるから、なんかこうパワーが…ない感じね。パワーがない演出にすごい見えちゃってるんだろうなーって思いますけどね。
 で、そう思った時に自分がエンタメみたいなものを志してね、1994年からやってきて。26年、27年目になりますけども。なんかそういうエンタメに携わってきた自分というものの一段落みたいなね。なんかそんなことを閉会式で思いましたね。

怖い孤独、虚しい孤独

 うん、面白いですね。だから厳密に言うと閉会式の日だったりする前から自分はもう落ち込んでたのかも知れないんだけど、閉会式を見て、そういう気持ちになったのは落ち込んでたからそういう気持ちになったのか?いや、まさに閉会式が行われる日だからそういう風に落ち込んだのか?いやいや、8月8日だから、なんか新しいこと始める日だから、そういう風に思ったのか…分かんないんですけど。
 なんか面白いですね。つまり8月8日、新しいことをなんか始めようっていう風に言われてて、結局…始めようと言われてたし、占い見るとなんかすごい転機になりそうな予感がする日ですみたいなことが結構書かれていて。「お?どんな転機をボクはするんだろうな〜」とかって思ってたところ、なんか仕事をサボるとかね(笑) なんかこう塞ぎ込んでるみたいな感じだったんだけども。結局その日にオリンピックを見て、なんか自分のエンタメとの関わりとの中での一段落みたいなものを感じるというのは、ああ!結果新しいことを始めちゃいないんだけど、新しいことを始めるきっかけにはやっぱり十分なってる日なんだなーなんて思うと、それはそれでまたちょっと興味深いなーなんて思うわけです。
 あとはね。さっきロケ行くの嫌だなーって言った時に言ったのは、つまり自分に役柄がないのにその現場に居るってことの虚しさってのは昔から感じてるわけですよ。まぁ孤独というかね。孤立感というか。で、孤独というか孤立感ってね、例えば森の中で一人だったりとか、砂漠の中で一人だったりとか…砂漠の中で一人になったことないから分かんないけど、海の中で一人とかだとすごい孤独感を感じて、自然の中での孤独ってすごい怖いなーって思うことってあると思うんだけど、実は孤独ってね、そういう群衆の中でむしろ感じるものだよなーって言うのは昔から思ってるんですね。
 だからボク立食パーティー嫌いだってよく言ってるんですけど。誰と話して良いか分からない感じの、あの取り留めのない孤独感みたいなものがすごくすごく嫌なんですよ。なんかそんなことをいつも思ったりはしてるんですけどね。
 で、なんかね、この8月の8日のロケだけじゃなくて、色んな仕事とかプライベートとか、色んなところの人間関係でですね、なんかその…人とは接してるんだけども距離を感じてしまうみたいなことがちょっと立て続けに起こってですね。立て続けに起こったってことは、立て続けに起こるタイミングだったんだろうなーと思うし。ボクはそういう精神状態だからあらゆることがそういう方向に自分が持って行っちゃったという自責の念みたいなものも感じはするんですけども。なんかすごくね…なんか他人に対する想いみたいなものが空回りしてるなーってことをすごく感じちゃったんですよね。

 で、他人に対する自分が空回りしてると感じることほど孤独なことはないなーっていつも思うんですけど、なんかすごい孤独感を持ってしまったんですね。で、孤独感を持ってしまって、ロケ現場になんか行きたくなくなっちゃった(笑) のか、ロケ現場に行くとどうせそういう孤独感をかんじるんだよなー。でも昔みたいにある意味ぺーぺーならいいんだけど、ちょっとした立場がある人間がうじうじしてるわけにも行かないから、孤独感を誤魔化したような演技をしなきゃいけなかったりしてて。その演技してる自分とかにまたちょっとこう…なんかね、気持ち悪さを持っちゃったりもするんですよね。うん…なんかよく分かんないですけどね、その自分が何をしたくて、どんな感じなのかみたいなことは。
 ただこの孤独感みたいなことってね、結局…ぅぅぅーん、これホント、なんて言うんでしょうね、結果人間は孤独なわけですよね、そう。なんだけど、一人じゃ色々できないし、実際一人じゃ生きていけないから、色んな人と分業したりね、イメージを統一したりとかね、なんかプロジェクトを一緒にやったりとかね、愛しあったりとかね、うんまぁ憎みあったりもあるんでしょうけど、なんかこう人間っていうのは人の間って書いて人間ですからねぇ。つまり人、個人だと人間ではなくて、もしかしたら動物的なヒトではあるのかも知れないけど、人間ってのはやっぱり人と人とに間があって人間ってなって。人間ってのはヒューマンって言うのは、つまり複数いるから人間なんだろうなーとは思うんですけども。そう思った時にやっぱりその間にある…間との距離というか。自分というのをどこまで出していいのか?とか、なんかすごい…すごい難しいものなんだなーってことは、まぁいつも思ってるんだけども。今はすごいそういうことを感じてますね。
 つまり自分が出過ぎればね、すごい過剰になるから相手側にプレッシャー、圧をかけることになるんですよね。うん、ボクとかって声も大きいですし、まぁ基本的にはこんな感じでずーっと喋ってる人間だから、なんかボクが一生懸命になればなるほどわーっと喋るので、それを圧と感じる人が多かったりしてね。で、一番多いのは声を荒げないで下さいってよく言われちゃったりするというか。でも声を荒げてるのは別に怒鳴ってるわけではなくて。ボクはその事象にただ単に一生懸命になってる、あるいはそれを話してる人とただ一生懸命話してるからなっちゃうんだけど。それってもうちょっとボクの中でね、リミッターを利かせてそういう風にならないように努めればいいんでしょうけど、それがやっぱりボクの中で出来ない。ボクの能力の欠如なんだと思うんだけど、やっぱり一生懸命になると声も大きくなるし、わーっと早口になるし、色んなことを喋ってしまうわけです。
 それが相手になんか不快な思いをさせてしまうとすると本末転倒なわけですよね。その何かやりたいことをやりたいから形にしてるわけで…形にしてると言うのは声にしてるわけで。それを上手く行こうとするために熱くなってるわけで。ところが上手くなろうとして熱くなってるとそれは結果邪魔になるんだなっていう…。そう思った時にね、もうじゃあ熱い想いを持たなきゃいいじゃんっていうことになるじゃないですか。この熱い想いを持たなくていいじゃんって言うんだったら、そもそもそのプロジェクトとか、何か活動、行動なんてやらなきゃいいじゃんって話になるわけで。なんかね、あらゆる矛盾を持ってしまうんですよね。そうするとね、自分はやっていいのか?やらなくていいのか?みたいな判断も出来なくなってしまう。やってることが正しいのか?やってることが間違ってるのか?っていうことももうなんとなく分からなくなってしまうと。本当に、本当に難しいんですよね。

始めないを始める

 で、そんな中でね、新月。新しいことを始めてみようなわけじゃないですか(笑)「始めるのぉ?!」みたいな。「始まるの?」みたいな。うん、むしろ始めないってことを始めるのか?みたいな風にちょっと思っちゃったから。確かにその占いの…占いの言葉ばっかりを信じてるわけじゃないんだけど、それはこの前まさにメルマガがちょうど新月に書いてるんで書いたんですけど。
 ボクは占いってのを信じてるか信じてないかって言うと、そんなに信じてないんだけど、その時頂いた言葉みたいなものはボクが頂いた言葉なんだなっていう意味で信じてるんですけどね。頂けた、天から下りてきた言葉、このタイミングで…っていう風な意味で信じてるから、ボクはよく占いとかを見てますって言うし書いたんですし。
 あとボクが今ね、おはようございますTwitterとかインスタとかやってるのも、その言葉ってのは天から降ってくるものもあれば、逆に言えば自分の中からポロッと出てくるみたいなものもあるとすると、今それが出てきたことにはやっぱり意味があるんじゃないかなーなんて思ってね、それを言葉にするのはありかなーなんて思って出したりしてるんですけども。
 なんかね、そういう様な言葉みたいなものってのがポロッと出てくるとするとね、新しいことを始めてみようみたいなことがすごくすごく言われてて、その中で、その占いの中で、本当になんか今までと思ってることが全く違う感じで新しいことをやるタイミングですみたいなことが書かれてたから、ぅん?それはなんだろう?と思ってたら、意外に新しいことを始めないっていう(笑) 新しいことなのかなーなんて今思ったっていうことなんですけどね。
 うん…どうなんでしょうね?新しいことが始められるのか、始められないか、なんてことは別にそんな簡単に決められることでもないわけですしね。何が正しいのか正しくないのかなんてことも本当に全然分かんないんですけども。…どうなんだろうなぁ。ボクの中ではそのなんかやること、新しいことを始めるも始めないもね、テレビを作ってたってのもありますけど、究極的にはやっぱり誰か一緒じゃないとね、やれないわけでね。つまりテレビとか映像ってのは一人じゃ作れないものですから。だからそんな中で何かをやろうとするということは多かれ少なかれ仲間と何かをシェアしなきゃいけなくて。まぁそれはあらゆる人がそうかも知れないけども。で、そうなった時に孤独感を感じて。その孤独感が嫌だなって思ったとすると、その孤独感が嫌だって言うんだったら、もう本当に孤独になるしかないのか(笑) つまり、そういう新しいことを始めない方がいいのか、みたいなことにもなりかねないというか…なりますよね。

分かんなきゃ喋れない

 ──どうなんだろうなぁ。分かんないなぁこれは、ハッキリ言って。うん、分かんないです。分かんないから昨日はなんか喋れなかったのかなーなんてのも思うし。むしろそういう分からないタイミング、分からないという様な時間を持つということも大事なのかなーとも思うしね。
 なんかね、自分の想いというものが他人に想ってる分だけ過不足なく伝わるといいですよね。だいたい過か不足か(笑) なんでしょうね。皆さんはどうしてるんだろうなぁ、それをやり遂げるだけの精神力があるんだろうなー。まぁボクも何だかんだ言って半世紀生きて来て、なんとかやって来た。騙し騙しね、やって来たつもりなんだけど。時々その騙し騙しが効かなくなることってあるよなーって思いますね。うん…なんて言うかですね、何か、例えば悪いことがあるじゃないですか、あるいはダメなこととか。で、ダメなことがあって改善しようと頑張ってる時ってのはまだ改善しようと頑張ってるからいいんだけど。適度に改善されるとするじゃないですか?そうするともうやることないんですよね。で、やることなくて「改善されましたよね?」「はい」なんだけど、究極的にはもう絶対的に改善されてなかったりするわけですよ(笑) つまりもう手の施しようがない。手の付けようがない、みたいな領域まで行ってしまうと、もうなぁ〜んにもやれないですよね。何も…うん、やれない。その何もなれないと言う状態の時って、人はどうすればいいんでしょうね。…って言うような気持ちなのかな、今ボクは。それを良くするために更に推し進めて過剰にやったら…まぁ、過剰じゃんって話になっちゃうわけですよ。でも過剰にやることはもう逆効果なんですよね。だからって抑制をかけて…となったとしても──。抑制、かからないんですよね。かからないというか、かけたとしても、そもそもそれって気持ちを、もっとこう、落として行けってことだから、なかなか難しいですよね。んー…、難しいね。っふっふっふ、さっきから難しい難しいしか言ってませんけどね。いやぁ難しいんですよ、これが、本当に。
 なんて言うんだろうな──、自分の問題なのかな?時が解決すると言うかも知れないし、なんか解決しない気もちょとだけするんだよなー、今回のボクのこの言ってることって。解決策が見つからないと言うか。ほとんどのことって実は解決策そんなに無いのかなーってことに気づいてしまったとも言えるかな。まぁ究極的に解決って、そのことに関して拘らなくなるってことだとすると、結局自分の中の熱が無くなる=死みたいなね、ものしか解決しないんでしょうね、きっとね。その中でどうもがいて行くか?みたいなプロセスみたいなものが面白いじゃんって言うのが、もしかしたらエンターテイメントなのかなーなんてのも思うし。だから…ね、小説だろうが、映画だろうが、そういう人間の葛藤みたいなものをきっと描くから作品になるんでしょうね。それは確かにそうだなーとは思うわけです。ただね、自分の人生なんでそんな小説や映画のように面白きゃいいかって言うと、やっぱり面白いだけじゃ生きていけないわけでね。なかなか…ですよね。
 まぁ、なんて言うんでしょうね、自分の中での決め事という意味で言うと、もう孤独に生きるんだって決めてしまうって言うのが1個の…1個のというか、最後の──、孤独に生きて行くんだよ、と。人に裏切られようが、人に嫌われようが、もういいんだよって高を括るしかないんでしょうね。横尾忠則さんがね、なんか若い頃書いてましたね。自分は群れないってね。自分はこう…みんな飲みたいから飲みに行くぞとか、誰がどうするぞとかやってるけども、そんなんじゃ自分は創作活動は出来なくなるから、自分は孤独でいいんだっていうようなことを書いてて。なんかボク10年前くらいにそれをどこかで見て、メモったりしてて。そっか、カッコいいなーって思って。自分もね、テレビの群衆の中で感じる孤独感を、孤独を感じで嫌だなーと思ってるんであるならば、むしろそもそも孤独になるべきじゃないかなーって、ちょっと思ったりもしたりしててね。なんかこの際、本当に…本当に孤独になってみようかなーって言うこととかをちょっと思ったりもしてますね。…コミュニケーションというかね、インターコースというかね、なんかこう人との繋がりみたいなものを求めてて、そこで傷つくのであるならば、もう求めない方がいいやっていう。求めない方がいいやって言う、そんなこう…逆ギレ!とかじゃなくね、もっと冷静に冷静に。もういい歳ですしね。ただ一人…ただ一人何をやるんでしょうね?やっぱりものを作るしかないのかな。分かんないけど。それをこう邁進してみるみたいなことが出来るのか分かんないけども。──進めてみようかなーなんて、思ったりもします。で、もし、それをそう思ってるとするのであるならば、それこそがね、自分の中での自分の中での…なんて言うんでしょう──新しいことを始めてみよう!の、新しいことだったのではないかなーなんて思いながらね、今日のICUC、なんとか喋ってみました。よろしくお願い致します。また来週。

文字起こし後の文字寝かし

(好き勝手に思った感想を書き残しておくことを文字寝かしと言うことにしました)

 何でやってるんだっけ?行動や状況に対するそもそも論は角田さんの十八番。だけどやっぱり諸刃の剣だ。十八番を持ち出す時は、社会現象とか会社組織の体制とか自分一人では変えられないものの時な気がする。しっかり打ちのめされてしまう。
 相手が面倒臭いと思っているから私の想いが伝わらない。やってもいいけどあなたが責任持ってやってねと言われるのは寂しい。「お前の言ってることは正しいけど…」けど、なんだ?!正しいのに動かないその理由がおかしいって部分が伝わらないのは悔しい。
 目指す方向も目指し方も同じだと確認したはずなのに、どこから違っていくんだろうか?それはこういう理由ですよ、ここが転換点ですよと知りたい気もする。知る意味がないとも思う。

 占いは信じてはいないけど今ボクに届いた言葉と言う意味で、すべての出会いには意味があると信じている。ただやっぱり占いは言葉で伝えるものだから、言葉の呪縛がある気がする。角田さんは肩書きや名付けをすると人はそこに込められた意味に向かって進んでいくと話してたことがある。これは言葉で縛るいいやり方。占いは縛り方によると思う。占いは届いた人の背中を押すだけでいい。押さなくていい時にまで押さなきゃと思うようになったら、単に占いに振り回されることになる。縛りは自分で加減するしかない。
 伝える人は表現力を持たないと伝えられない。私の友人に”人に色が見える”人がいるけど、彼女が感じた感覚は言葉にしないと私に伝えられない。いわゆる見える人は見えるだけでは占い師や霊媒師にはなれない。さらに伝えられた側、例えば私に話を聞くという意思がないとこれまた伝わらない。そういう人たちは自分が妖しいと思われることは知っているから伝わらなくてもいいと言うけど、角田さんの場合は伝えたいのだから難しい。縛る縛らないは角田さんの言う過不足かも知れない。相手の縛り方、相手の解き方と相手自身の縛り方。相手が角田さんの言葉で自分をどう縛るかまで読んで伝えることは表現なのか?気持ち悪い演技か?ただの面倒くさいことか?

 石井ゆかりさんのLINEから8月8日の獅子座。

特別な星の時間の中にいる。大事なスタートのタイミング。大きな決断をする人も。人生の転機。

スタートとは動き出す(する)のか?動いていたものを止める(しない)のか?どちらも変化、転機だと思う。
 聞いた言葉の中で心はどの言葉にどう反応するか?解釈の仕方も出会いだとすると、角田さんは動きたかった、事態が動いて欲しかったのかも知れない。
 私が買った石井ゆかりさんの「星栞」牡牛座に

希望というと大袈裟のようですが、明日という日を迎えるためのわずかな気力が必要なのです。鼻で嗤いながらでも占いを読みたくなるとき、あなたは心に希望を抱いています。未来へのほんの微かな希望、それがあるだけで私たちはどうにか生きていけるのです。

人は

たたき台でもいいから何かしら言葉が欲しい

と書いてあった。占い師とは何なのかという石井さんの考察に富んだ表現だと思う。
 先程みたTwitter/井川啓央名言bot。

絶望なんかしないで済むならしないほうがいいから、お金を稼げる道を堅実に歩むのか。希望をもって生きていれば絶望はするものだから、神様をどこかで信じるような心を持つのか。朝から色々と考えちゃうのでした。

 時々、私が暗い投稿をすると友人が心配して連絡をくれたりする。するとその友人の心配の仕方が今の私へ興味としてずれていると感じることがある。今の角田さんにもこの現象が起きているかも知れない。角田さんは絶望と同時に希望を持っているから、暗いICUCでも面白いという表現を含むんだ。

 孤独になる覚悟をする。創作するにあたって孤独になる。馴れ合わないことで思うものがよりよく形にできるならもちろんそれはいいと思う。ただ、なぜ今までその覚悟しなかったのかと考えると、やっぱり仕事上付き合う人と良好な関係であった方がいいからだと思う。横尾さんはいまも孤独だろうか?結果として横尾さんには”孤独な横尾さん”だから良しとする人だけが周囲にいるんだと思う。
 角田さんが覚悟すると周囲で一緒に仕事をする人が一変するのでは?変わることがひと段落するまでどのくらいかかるだろうか?その時まで何度くらい覚悟を持ち直さなきゃならないだろうか?

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