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ICUC-035(週間029)2020.10.11【天才になる方法:"ある世界”が有る世界】

I see, You see! Intellectual Curiosity Update Committee【知的好奇心向上委員会 ICUC】今週もゆったり知的好奇心のアップデート&趣味の動画文字起こしメインのメモ。

今日の推薦図書
『天才になる方法 本当に「頭がいい」とはどういうことだろう?』角田陽一郎(大和出版刊)

「天才」って、どんな人を指すと思いますか?
・頭の回転が早くて、なんでも知っている人
・タレントや芸能人のように、カリスマ的な人気を誇る人
・才能やセンスがあって、絵や歌など、芸術に秀でている人
・人と違うことをして、世の中に認められている人
では、それ以外の人は、「負け組」なのでしょうか?
ーーー天才になれない、でも凡人のままでも嫌な人のために、この本を書きました。
「自分には才能がない」 「なんでもできる人に憧れる」……そんなあなたへ。
元TBSで人気番組を手がけてきたバラエティプロデューサーが、「自分の足で立ち上がり、生きるための考え方」を解説します。
1章 天才と凡人のあいだ~そもそも天才ってなんなのか?~
3章 ニセ天才には気をつけろ~凡人である僕らは、天才のここを見抜こう~
4章 天才をぶっとばせ~天才に吠えろ、これは負け犬の遠吠えじゃない~
5章 凡人の逆襲~自分の武器で最大限、戦う~
6章 天才へ続く道~僕が実際にやってきたこと、やっていること~

動画
ICUC#29「天才になる方法: "ある世界”が有る世界」
10月13日に出版される角田陽一郎の新刊『天才になる方法 本当に「頭がいい」とはどういうことだろう?』から、この本ができたきっかけ、天才とは何か?ということを話しています。気軽にご覧ください!

[CAMPFIRE] ICUC 知的好奇心向上委員会

ICUC note「ICUC知的好奇心向上委員会とは?」

ICUC主宰:ヨウイチロウ web サイト

mireva channel

動画の内容
・新刊発売の話
・表紙が決まるまで
 福田利之さん/泡銭/絵を買う/モチベ/ムーンライダーズ
・どんな本?
 凡人向け/天才多すぎ/謙虚/挫折と憧れとの決別/生き方
・僕の生き方
 葛藤/実践/僕みたいな人への方法論/頭がいいとは?
・おもひろい/良いまつがい/ある世界/生みたいもの
メモという名の私の感想


新刊発売の話

 どうも、おはようございまーす。ICUC知的好奇心向上委員会、インテ、ク…レクチャル(笑) Curiosity Update Committee の動画でございます。10月11日でございます。知的好奇心向上委員会を英語で言うと Intellectual Curiosity Update Committee を略してICUCなんですけども、I see, You see! というような意味でICUCと名付けました。よろしくお願いいたします。
 10月11日でございますが。台風がね、結構ずーっと雨が続いていて、今ちょっと雨がやっと止んだなーなんて思いながら撮影しておりますが。もうね、だいぶ寒くなって来たのにずーっとTシャツで(笑)、これ季節感ないよな、景色もいつもこんな感じだしとか思いながらやっていきたいと思います。よろしくお願いします。

 もう今日は最初に本を紹介しちゃいます。今日紹介する本はこれでございます!
じゃーん!はい…(画面に上げた本を下ろして)ちょっと待ってくださいね、帯がちょっと…帯ってちょっと上に来ちゃうじゃないですか。もう一回、もう一回、はい、、、
じゃ〜ん!ぁ、なんか上に来てる(ガタン、ゴトン、)、、、
 はい。角田陽一郎 著『天才になる方法 本当に「頭がいい」とはどういうことだろう?』というのを大和出版さんから10月13日に発売されます。まだ店頭にはないと思うんですけど、見本版っていうんですか?私も数日前に手に取りましてですね。なので今日はこの本について話してみたいなーと思っております。
 という意味で言うと、この本読んだ人ってまだ10人ぐらいしかいないんじゃないですかね。もっといるのかな?どうなんだろう?分からないですけど少なくとも僕は読んでます(笑)、読んでますと言うか僕が書いた訳ですからね。編集者の人は読んでるし、あと構成の方とか読んでるのかな。何人ぐらい読んでるんでしょうね、出版する前に。そんなことを思いながらこの『天才になる方法 本当に「頭がいい」とはどういうことだう?』なんですけど。

表紙が決まるまで
福田利之さん/泡銭/絵を買う/モチベ/ムーンライダーズ

 まずこれ。ポイントはこの表紙は福田利之さんというイラストレーターの方に描いて頂いて。これもひょんなことからで、「ほぼ日」で個展をされてたんですよね。ほぼ日って青山にあるんですけど、僕は普通に散歩してたらあ!やってるんだ!と思って。福田利之さんの絵は可愛いから好きで。数年前に吉祥寺で展覧会をやってて覗いたことがあって、その時のポスターが可愛くて、ポスターを買ってそれを壁に貼ってたんですよ。そんなことがあるんで、あー!と思って、今回もほぼ日に行ったんですね、ぶらっと。
 ぶらっと行ったら絵を販売されてまして。こういう様な色んな可愛いごちゃごちゃした様なのが描いてあるのが僕は大好きなんですけど、抽選で販売されてて。そうかと思いつつ、どうせなら欲しいなと思って。絵って高いじゃないですか。だからそんなに買えないなと思ってたら、先週紹介した「最速で身につく世界史」、あの本が去年なのか今年の上半期なのか売り上げの明細が来ていて、お金が振り込まれますとあったら、その金額がちょうどその絵の金額と同じぐらいだったんですよ。
 それって数年前に出した本だから振り込まれるのを自分は知らないわけじゃないですか。知らないって言うか、まぁ、知らないんですよ(笑)。知らないんで、そっかそっか!ということで、これは僕の中でのボーナスじゃん!みたいな。ボーナスというと聞こえがいいですけど、もうちょっと下世話に言えば泡銭。だって自分が予想しなかったお金でございますから。泡銭が出て来たんだったら”あぶく”にした方がいいな、”あぶく”に使っちゃった方がいいなというのが僕の考え方でもあるからお金が貯まらないんですけど(笑)。
 というのがあるので、ちょうど同じくらいの金額だったんですホントに。だからもうこれ福田さんの絵でも買っちゃおうと思ってもう一回、1週間後ぐらいに出かけて、結構吟味してこの絵とこの絵みたいな感じで抽選に申し込んだんですよ。そしたら1つ当たってね、手に入った訳です。
 手に入ったということを、その前か?Twitterとかでほぼ日さんの個展行きましたって呟いてたら、ご本人からありがとうございまーすってTwitterで来てたんで、そのままやりとりをさせて頂いて、いやいやありがとうございますみたいなことがあったんですね。
 そんな中ちょうどこの本「天才になる方法」が書き終わったので、10月に出しましょうみたくなった時に、──本の表紙って文字だけみたいなの多いじゃないですか。文芸書だとすごいオシャレだったりするけど、そういう意味で言うと(嫌そうな顔で)自己啓発書…?自己を啓発してるのかは置いておいてですけど、まあ、だから、(怪訝そうな顔で)ビジネス…ビジネス書…?天才になる方法で?なんて言うんですかね、このジャンル。まぁいいや、自己啓発本、僕そんな好きじゃない(笑)、なのに書いてるという矛盾という話は前にもしましたけど置いておいて──、なので、なんかそう言う風に見られたくないなと思ったと言うのが1つと。
 第1弾の原稿があるけどそれを構成して第2、第3と。初稿二稿三稿と仕上げていくのに、やらなきゃいけないんだけど、そのモチベーションも含めてってことで、編集者さんに福田さんの絵で表紙にしてもいいですか?って聞いたんですね。そうしたら色々条件があったんですけど、それはこうで、それはこういう風にと言って何とかクリアしつつ、編集者さんが福田さんの絵でもいいと決めてくれた決め手はですね、僕がLINEに書いたんですけど「福田さんの絵がもし表紙になったらですね、この原稿を早く仕上げなきゃいけないっていうモチベーションが上がりますし、出版されたあともこの本を頑張って売ろうという著者のやる気のモチベーションが超上がりますよ!」って(笑)、書いておいたんですよ。そしたら編集者のKさんって方が「それは大事ですね!」って感じで、福田さんにお願いしましょうみたいな話になりました。
 それで福田さんに「すいません、私、本当にファンなので、今度自分の本が出るので福田さんに装画を描いて欲しいのです。なんなら今まで描いたもので使ってもいい絵でもいいですし、新しいものを描いて頂けたら…」みたいなことを送らせていただいたら、福田さんが僕のことをうっすら存じ上げて下さっていて。それはなぜかと言うと、僕はムーンラーダーズってバンドが、もう僕の頭の51%が作られているというムーンライダーズというバンドが大好きなんですけどっていうことを公言してますけども、そのムーンライダーズを福田さんも好きで(笑)。福田さんもムーンライダーズ好きで、だから角田さんのことうっすら名前は知っていましたみたいな。なのでぜひやらせて頂きたいですと頂いてですね、その後zoomとかで打ち合わせをしまして、こういう絵を仕上げて頂いてですね。ん〜すごい嬉しいな〜と思っております。
 だから頑張って原稿もちゃんと書いて、8月中にちゃんと締め切りを守って提出して。結構、初稿書きましたなんて言っても初稿だと字数が足りないとか多すぎるとか、足りないと多すぎるの繰り返しみたいなのってすごい疲れるんですけどね、そういうこととかもやりながら、結果なんとか8月中に書き上げることになりました。

どんな本?
凡人向け/天才多すぎ/謙虚/挫折と憧れとの決別/生き方

 じゃあこの本は一体なんなのか?っていうことなんですけど。まず天才になる方法っていうこのタイトルがそもそもちょっとだけ矛盾してて、つまり「もう普通の人なんて言わせない」ってここに書いてありますし「自分には才能がない、なんでも出来る人に憧れる、何かで羽ばたきたい、そう気づいたところから本当の人生が始まる」って書いたんです。
 つまりこの本の最所のキャッチコピーはですね、自分が天才だと思う人は読まないで下さいと。自分は天才じゃないなーと思う人が読んで下さいっていう本という意味で言うと、つまり僕がそういう風に思ってるけど、でもやっぱり天才に憧れる、天才になりたいと、たぶん子供の頃から思ってたんだと思うんですね、でも天才になれない。
 天才と言ったって色んなジャンルがあるじゃないですか。最所に自分がなれないなと思ったのはスポーツの分野ですよね。だってスポーツの天才には絶対なれないですよね、どう考えても普通の人にもなれないぐらいの駆けっこの遅さ(笑)みたいなところがあったんでね。で、そうすると今度はアートとかね。絵とか音楽とかいうのもありますけど、まあそんなのはハナから無理だなって気づくわけですよ。気づいた中で僕は勉強もそんなにしたわけじゃないんだけど、でも勉強の天才というのもやっぱりいて、それにもなれないなって。
 つまり自分が天才じゃないよなーって5歳で気づく人もいれば、私いま半世紀50歳でございますが、50歳でもまだ気づいてない人もいるとか、何歳の時に自分は天才じゃないんだって気づくのか?なんとなくそんなことを思ってるという話をしたら、その天才についての本を書きましょうよ!みたいなことを──、ちょうど1年前ぐらいだな、僕がテレビプロデューサーの菅(かん)さんと武蔵溝ノ口でトークイベントやった時に来て下さって、見て頂いて、今日の話面白かったんでこの話を書きましょうよって言ったのがちょうど1年前ぐらいなんで。── そこから何回か打ち合わせしたんですけど、今こんな本を書かなきゃいけない、あんな本を書かなきゃいけないってことで、そんなに書けませんよ?待ちまーす!みたいな話とかをして。
 もう1個が僕がこの本を書こうと思った理由は、なんかTwitterでもSNSとかテレビとかWebとか何でもいいんですけど、天才って言われてる人多くないですか(笑)?なんかちょっとあのひと天才!すごーい!みたいな。その天才ってのは揶揄ってる方じゃなくてあの人すごい!本当に天才だ!みたいな。う〜ん、それが僕なんとなく不満で。
 天才ってそんなにいたら天才じゃないじゃん!って、やっぱりちょっと思ってるんですよね。やっぱりこう希代のというか、なかなか現れないから天才。天がくれた才能なわけであって、そんなに何でも天才なのかよって思ったときに、天才多すぎるじゃんみたいな。だから本当の天才論ってあった方がいいですよねってその編集者の方とも話したんですよね。
 そんな中でテレビ業界でプロデューサーをやってたものですから、比較的天才の方と会う確率が高い人生を歩んできた訳ですよね。で、そうするとやっぱりああこの人天才だよなと思う人もたくさんいて…、矛盾してるな、たくさんいないから天才って言ってるんだけどな…。うん、でもいるんですよ天才ってね。
 そういう人ってこの本の中でも書いて…どこに書いたっけなー、僕が会って来た天才って共通点があって、謙虚なんですよね。天才って謙虚じゃないイメージあるんだけど、本当の天才はみんな謙虚ですね。天才であるためには謙虚じゃないと天才になれないんだと思うんですよ。
 ストイックっていうのは天才ってちょっと思ってる方いらっしゃるじゃないですか。野球のイチローさんとかね。そういうような意味もあるんだけど、なんか、謙虚です。つまりその自分の天才性を声高に叫ぶ必要がないから。だからオレ天才なんだよとか言ってることって本当は天才じゃないじゃんみたいなところがあります。
 つまり僕としては自分という人間が天才じゃないじゃんっていう挫折との決別というような意味。でもそんな中でも生きていかなきゃいけない、”でも天才には憧れてしまうじゃん”ということへの決別ということでの一点と、本当に天才って言われてる人って本当に天才なんだっけ?っていうエセ天才っていうかね、そのエセ天才の言動に振り回されてるのってなんか嫌だなと思ったんで、そうじゃないんじゃないの?っていうような思いとかを書いた本でございます。

 全部で6章あるんだけど、1章は「天才と凡人の間」っていうタイトルですね。2章は「天才はお熱いのがお好き」っていうタイトルで、3章は「エセ天才には気をつけろ」、4章目が「天才をぶっとばせ」、5章目が「凡人の逆襲」、6章目が「天才へ続く道」ってタイトルなんですけど。
 気づいた方もいるでしょう、全部映画のタイトルパクってるんですよね。1章目の天才と凡人の間っていうのは冷静と情熱の間(笑)になってて、2章は天才はお熱いのがお好きってのはお熱いのがお好き、マリリンモンローのエセ天才には気を付けろっていうのは何とかに気を付けろって映画ありましたよね?とか。天才をぶっとばせというのは何とかをぶっ飛ばせってありましたよね。何とかのところちゃんと調べておけばよかったな、ぱぱっと出てこないのが自分が天才じゃないところの所以でございますが、5章目が凡人の逆襲ってのはこっ、これだけは覚えてますね(笑)!スターウォーズの帝国の逆襲から取ったんですね(笑)!帝国の逆襲じゃなくて凡人の逆襲。はい、で、天才へ続く道ってのは何でしたっけ?何とかへ続く道、フェデリコ・フェリーニでしたっけ?みたいなのがあったりとかね。
 まあそういうようなのがあって、そんな中でつまり僕が会って来た天才はこういう風に生きてますよっていうノウハウというか生き方みたいなのはすごい学べますよっていうことろがひとつ。あともう一個はそうじゃなエセ天才とかが言っていることとかはそんなに信じなくていいんじゃないかなっていうのが2つ。3つ目はということで自分はそれでも生きていってるのは何故か?っていう、その生き方の方法とか、考え方みたいなことを書いた本だなーと思います。

僕の生き方
葛藤/実践/僕みたいな人への方法論/頭がいいとは?

 だからこれ本当に啓発はしてない気がするんだよな。自己啓発ではない。ただそうじゃないと企画が通らないという実情に合わせて結局こうなってるというところもあります。ただそれは別に僕は否定的に言ってる訳じゃなくて、じゃないと本も商品ですからね。商品にならないっていう。
 今僕が言った葛藤みたいなこともこの本には書いてあるんだけど、つまり自分がやりたいようにやれりゃあ、そりゃいいし、自分が歌いたいように歌えばいいし、書きたいように書けばいいし、そうなんだけど、それって果たして他人に意味があるものになるのか?他人に意味がないものでもいいじゃんって思うんだけど、そうなった時にそれってこうこの世に発売されることはないわけですよね。じゃあ発売しなくてもいいじゃんっていう思いもあるんだけど、そうすると僕が言っている自分が生きていけるレベルの知名度と食い扶持を持たない限り僕は生きていけないよなって思う中で、やっぱり自分が本を書くっていうのがひとつのレーゾンデートルではあるなーなんて思ったりするんですよね。
 だからそういうトータルでの僕のそういう生き方みたいなことを解説もしてると思います。だから最後の第6章のところに実践編っていう風に入れてて、これ超恥ずかしかったんですけど、少しづつなりたい自分に近づくための人生の目標の立て方っていうのを書いてあって、198ページって書いてありますけど。僕は毎年、皆さんもやってると思うんですけど、お正月に今年の目標を立ててるんですけど、その目標を具体的にこういう感じで(本を開いて見せながら)これたぶん2012年、毎年こんな目標を立ててますっていうのを2012年から今年の2020年まで具体的に、僕が本当にPCにメモってあるやつをコピペして書いてあります。だから本当にチェックシートみたいになってたりしてね。
 これ、あれですよ、あれですよ…御朱印帳を集めるとかね(笑)、ピアノを弾くとかね、やってるかやってないかは置いておいて、サーフィンをするとかね、本当に色々悲しいというか恥ずかしいものをたくさん書いてますよね。簿記3級受験って書いてあるな(笑)そんなこと考えてたんだ(笑)?!今思い出した!知らなかったな簿記3級受験とか書いてんだ…確か簿記1回受けて落ちたんだよなー…うっふっふっふっ!落ちてずっごい凹んだんだよなー、俺簿記もできないんだなって。本当に、あれですよ、サッカー(フットサル)をやるとか、友達を作るって書いてあります、これが一番恥ずかしいかな。部屋を整理整頓しみたいなっふっふっふっふっ…そ、そんなこととか(笑)。
 うん、でもね、こうやって具体的に書いてることとか、その年その年のキーワードみたいなのを自分で書いたりとかしてるんで、これとかは自分がこういう風にやってますってことで。だから例えば僕なんかが成功者か、失敗者か、不成功者か、これから成功するのかは置いておいて、僕が30代の時とかは自分は本を書きたいなーとか思ってたし、フリーランスで自分の名前で生きていけるのかなーなんて思ってたときに、今なう、そうやってるわけで。ってことは僕みたいな人になってもいいかなって思うくらいの人は何人かいるんじゃないかなみたいな。その人に向けてはそのメソッドというかは方法論としてはお伝えできますよってことが書いてありますと。

 だから書き出しは本当に第1章からなんですけど、そもそもじゃあ頭がいいってなんなんだっけ?っていう、これサブタイトルが本当に「頭がいい」とはどういうことだろう?」ってことなんで、頭、だから例えば20ページ目に第1章の最初は天才とはよく頭がいい人を指します。では頭がいいとはどういうことだと思いますか?って書き出しで始まります。僕が頭がいいというか世間が頭がいいと思われてるものを10個あげてあるんですけど

1.勉強ができる
2.いい学校に入学また卒業できいい学歴である
3.いい会社に勤めている
4.研究や学問を生業にしている
5.仕事ができる
6.お金をたくさん稼げる
7.要領が良い
8.機転が効く
9.記憶力がある
10.話が上手い、文章が上手い

 そんなことを10個あげたりしておりますが、そんな中から本当の頭の良さってそういうことなんでしたっけ?っていうところから、自分がそれこそ青春の時どんなことを考えていたのか?なんで自分は東大に行ったんだっけ?みたいなことまで書いてあります。それが結果自分は天才じゃないじゃんって分かったらってことなんですけど、それはどういうことかってことは読んでいただければ嬉しいなーなんて思っております。
 まあだからそんなような、自分で言うのも何ですがいい本だと思います(笑)。でも好きじゃない人は好きじゃないかな。なんかお前の言ってること間違ってるよって。ただこれもこれでその間違ってるものも読むのもいいんじゃないですか(笑)。なんでも正しいものばっかりじゃ面白くないじゃないですかっていうか、こんな本がこの世に出るっていう世の中を僕は肯定したいよなーなんて思ってるというかね、そんなことを思いますね。

おもひろい/良いまつがい/ある世界/生みたいもの

 そんな中でね、数日前に僕Twitterで書いたんですけど、これこの前喋ってないよな…ちょっと待ってください、どこだった、どこ行った、ああこれこれ。

今、編集者に原稿を読んだ感想をメールしようとして「おもしろい」を「おもひろい」と誤入力。でも「おもひろい」ってなんかいい言葉だ。つまり僕はそこに想像性の拡張性が感じられるモノコトヒトにおもしろさを感じるわけで、それはまさに「おもひろい!」ってことだ。
おもひろい、普通に使おう笑。

 って書いてますけど、そうなんですよ。間違えたんですよ、「おもしろい」って書くのを「おもひろい」って送っちゃったんですけど。あ!厳密にいうと送る前にちょっと気づいたんですけど。おもひろい、思広い、僕の面白いって何だ?っていったら「おもひろい」んですよね。面白いってそもそも面が白くなるってことだから、顔が白くなるくらい面白かったっていう意味、顔が変わったってくらい面白かったっていう意味だったと思うんですいけどね、もともとは。
 おもひろい。そう、僕、面広いものと思深いものがやっぱり好きなんですね。で、面狭いものってそんなに面白くないんだよな。だから僕そんなに、お笑いの方の面白い話って面狭いなって。あるあるあるー!っていう話とかって、共通の文脈というか共通の認識があれば笑えるけど、その共通の認識のない人を揶揄るみたいなパターンじゃないかなと思うんですけど、それってやっぱり面狭くて僕は面白くないです。
 面狭くても面深いものってあって、その深さみたいなものはまた面広いですけどね。深いっていうのも面広いっていうのも広義で言えば広いってことですよね。つまり許容するものが広いというか大きいというか。”面大きい”というか。だから面広いって面白いなーと思った時に、この本は面広い本になってたらいいなーとは思います、うふふふふふ。面広いかなぁ、分からない、それは。分からないけども面広い方がいいなーなんて思います。
 やっぱり面白いなと思うのは、その言い間違い、昔の糸井重里さんでいうと言いまつがい。言い間違いなのに言い間違いで出来た言葉っていうのが実はその確信を突いているていうのは面白いなと思ったりして。僕は多分そういう間違いから出たものが結果的に面白くなってしまうみたいなことがすごい面白いなーなんて思ったりするので「おもひろい」って言葉、使い続けようなんて本当にちょっと思ったんですよね。思ったまま意外に使ってない(笑)。面白いものと出会ってないのか?いやそんなことはないんですけどね。なんてことを思ったりしますね。
 その「おもひろい」ものが「おもひろがる」のって、結果的に言うとさっきも言いましたけど、あらゆる事象、ヒトモノコトに対して謙虚じゃないと広がらないんですよね。閉じちゃうっていうか。だからその謙虚さみたいなも、天才は全て謙虚なんだって言ってるのって、その受け入れるっていうことなんだと思うんです。で、受け入れるってこととそれを認めるか評価するかってことはまた別で、受け入れた上で自分のフィールドで自分の才能で表現できたりする人が天才。自分の身体でというか、なのかなーなんてちょっと思ったりしますよね。

 で、そんなことを思ってて、昨日まさに夜中に書いたんですけど。ある世界が有る世界。1個目のある世界ってのは「ある何とかの」みたいな、代名詞?形容詞?なんでしたっけ。有る世界ってのは有るってのは動詞の有るですね、漢字で書く。

“ある世界”が有る世界

自分は学者でもないのに研究している。
作家でもないのに本を書いている。
タレントでもないのに出演してる。
でも共通することは思考すること。
その思考を重ねること。
僕の思考の志向は、世界の表象の点と点を繋ぐこと。
そしてそこに構造と意味を捉えること。
そしてそれを再構成して表出すること。
それはとても楽しい行為だ。

自分の思考を表出するときは、半世紀の人生でインプットされた色んな情報が自分の脳内でぐるぐる渦巻いて、それが自分の身体で濾過され抽出されたアイデアとしてアウトプットしてる感覚。

うん。そうなんですよ。今まではね。続きます。

でもそうなんだけど、最近想うのは、脳内の思考をむしろ濾過せずに全部を繋げた状態で“ある世界”として創出して現世界に送出したい。
その“ある世界”というのは(まだ僕の中でも漠然としてるのだけど)、小説とかの映像とかのフィクションということでもなく、哲学体系というのでもない、況んやエッセイでもない、アート表現でもない、さらに言えば会社組織やビジネスモデルでもない。

じゃ、なんなのだろう?
多分、この世界に“ないもの”なのかもしれない。
“ある世界”が無い“この世界”を、“ある世界”が有る世界にしたいのだと、きっと思っているのだ。

そんな得体の知れないモノ、仮に有ったとしても、多分売れない。そもそも売りモノかどうかもわからない。多分ヒットもしない。でも、そんなモノが生み出せたら、ものすごく楽しい人生なんじゃ無いかと、根拠なく信じている。

やれるかわからないけど、やってみようと想う。

 はい。ということを書いたんですけど、うん、なんかそんな気持ちなんですよね。なんかこう、なんかこう自分が思ったこととか、自分が仕入れた情報みたいなものがわーっとこうあって、それって今までは抽出してぎゅーって絞って出すみたいなものが、ミュージシャンは音楽だったり、芸術家は絵であったり、小説家は小説だったりしたのかなーなんて思うんですね。思うんだけど、それこそ本当に色んな本を読んだり、色んな作品に出会ったり、色んな人と話したり、色んなビジネスモデル、分かんないです、恋をしたりなのとか、ご飯を食べたりなのとか、排泄したりなのか、運動したりなのか、様々なことをやって来たわけじゃないですか。皆さんもやって、当然僕もやっている。色んなところへ行く、旅をするとか。
 そういうものが積み重なったものってなんかそれが一個一個がすごい点と点が繋がるなーっていうのは前から思ってるんですけど、繋がったものが繋がって繋がって繋がって、──水道橋博士はそれが星座になるってよく言ってましたけど──、もともとはただの星なのにね。線を引くと獅子になってるから獅子座になるみたいな。じゃあこの獅子座になったものって、なんか”ある世界”なんだなーなんて思った時に、その”ある世界”みたいなものを表現したいなーってすごく思うんですね。
 ”ある世界”ってじゃあ何なんだ?と。それって小説、架空の世界を作ってハリーポッターみたいな(笑)世界を作って、ハリーポッターとして表現することと、僕が言ってるのとはちょっと違うんですね、たぶん。僕が思ってるのは。それはすごい漠然としてて言えないんですけど。それが例えばじゃあ西田幾多郎みたく西田哲学って言われるような、陽一郎哲学みたいな新しい思想体系なのかって言われると、そういうことでもないんですよね。
 ただ思考した考え方を提示するってことじゃなくて、もうちょっと具体的なことなんですね。究極的に言うとあそこのご飯が美味しかったみたいな話もくっつけたいというか。だからそれはちょっと違うじゃないですか。じゃあそれをただ感想としてエッセイのように書いて、随筆になってたりとか、こういう風に思ったっていう…、だからエッセイでもないんですよね。それだと世界を表現してるかもしれないけども、そんなに繋がった感じがしないんですよね。じゃあそれをあるシステムとしてビジネスモデルにすればいいのかってことでもないなーなんて思うんですよね。
 そんな”ある世界”ってものをなんかこう生みたいなって要求が前からあったんだけど、なんかそれがちょっと言語化されたのがその言葉だったんですけども。なんかそれが僕の中で今すごいやってみたいことだなーっていうか。なんか半世紀生きてきたので残りの人生はそういうものを作っていこうって思いながら、まずは具体的に修士論文を(笑)書かなきゃいけないなーってことで、これから書こうと思っております。

 はい。ということでヨウイチロウの知的好奇心向上委員会ICUCの10月11日バージョンでございました。また来週よろしくお願いします。


メモという名の私の感想

書き出しを2点変更
1.タイトルから「篭って」を取った。もうどちらさまも篭ってというほどもう篭ってない。
ICUC第35回(篭もって第29回)→ICUC-035(週間029)
2.書き出しは私も英語言えるように覚えようで変更。実は誰も言えないってのもなんか面白くて好きだけど。
今週もゆったり知的好奇心のアップデート【知的好奇心向上委員会 ICUC】趣味の動画文字起こしメインのメモ。
 ↓
I see, You see! Intellectual Curiosity Update Committee【知的好奇心向上委員会 ICUC】今週もゆったり知的好奇心のアップデート&趣味の動画文字起こしメインのメモ。

 この表紙の真ん中の上の方にいる秋刀魚、気になる。ヨウイチロウさんが思う天才といえば明石家さんまさんだから、秋刀魚?確かサッポロビールの「丸くなるな星になれ」、さんまさんが番組内で業界1位ではないと自嘲気味に言った社長に「味は宇宙一ですやろ?」と返した話、あれがサッポロビールだった気がする。そうすると表紙の右側いっぱいに色んなものを詰め込んだ黄色の髪を広げて、大事そうに丸を持ってるのは、ヨウイチロウさん??
 もし、この予想が合ってたら、合ってたら…、嬉しいだろうな。ものすごく。

 絵が欲しくて散歩していたわけではないのに、ちょうどよく入金もあって。こういう偶然ってお告げだ!!って気がしてね、買っちゃいます。もちろん無駄遣いで終えることもあるけど、なんていうのか、生を活かす感度が高い人はこういう偶然が多い気がするし、偶然も生かしていく気がする。
 私は5月ごろに無償で引き受けていた作業の解約と同時に作業代として10万円が。10万の給付金と重なり、結局それで試してみたかった新しいパソコンを…。神様聞こえますか?私、生かしますので5万円ほど欲しいのですよnow。生かす気は満々ですからどうかどうか。

 本の帯の話。グラシン紙を紹介した回(2020.5.3)でも帯の話があった。本棚に本を戻すときに帯に引っかかって破いてしまう。持てば帯がずり上がる。包んでも表紙が透けるグラシン紙は便利、安いし真似しやすくて愛用中。本は愛着が湧きやすいので気分もいい。でも確かに動画で表紙を見せるには向いてない。
 天才になる方法も綺麗に包んで読もう。本屋で手に取るのも楽しいけど、届いて開くという楽しみもある。ただ、天才になる方法にひとつ懸念事項が。私は頭と経験値が成人式を迎えてないので、変なところに深々刺さって泣き寝入りそうな予感。挫折と憧れへの決別(ver.彩)。決別するものがあるなら決別した方がいいけど、秋に泣いたら回復に時間かかりそう。栄養剤と風邪薬をスタンバらせての読書。

 実は私がちょっと避けてるもの、それが夢の叶え方。新刊でICUC方面から向き合うことになる予感。1つ、何度かやってみたけど、どうせやらないんだから書かずとも…と思ってしまう。2つ、なかなか納得いかず超えられないものを超えるには、叶えたいことに紐づけて、叶えるための道のりなんだと理解すると超えられるという方法を、若干強引に進めたせいか嫌になってしまった。
 今回の話にあった「やってるかやってないかは置いといて」。これが私の荷を軽くしてくれた。とにかく思いに上がったものは書いておく、ということでしょう。紐付け先を変更しよう。ヨウイチロウさんに紐を付けておこう。それなら何とかなるかも知れない。

 私は人ひとりをまるっと理解するのは事実上無理だと思う。でも無理と思う上で分かりたい。そういう相手が欲しいと思っているけど、平たく言うとそれは友達が欲しいということではないか?なんて。生涯分かり合えないかもしれないけど、分からないも込みでよしと、私とあなたが互いにその感覚だけ持つことに気が温まる相手、生涯に何人会えるかな。私も友達って書いておこうっと。

 全然関係ない話。私は確か去年までほぼ日の存在を知らず、おまけに読み方も分からず、しかもほぼ日曜日の略かと思ってたら(そりゃ私の謎の希望だろ)ほぼ日刊イトイ新聞の略で(笑)。辛うじて糸井重里さんのお名前だけは知っていたと言う思い出が。2020.7.19の回で紹介された本「海馬」が、私が初めて糸井さんのことをちょっと知れたきっかけ。いい本だったな。

ICUCは
一人一人の知的好奇心がくすぐられるような
さまざまな「ヒト・モノ・コト」を
皆で持ち寄って
話して聞いて調べて楽しんで
自分の知的好奇心をアップデートしちゃおう
って集まりです。
(by 角田さん)
[CAMPFIRE]知的好奇心向上委員会 ICUC
ICUC note

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