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ICUC-136_2022.11.27【New Order 新しい体制】ICUC知的好奇心向上委員会

【ICUC知的好奇心向上委員会】の私の知的好奇心の向上&趣味の文字起こし。I see, You see ! Intellectual Curiosity Update Committee !

角田陽一郎136「New Order 新しい体制」ICUC知的好奇心向上委員会

最近、個人の状況変化以上に、事業の状態変化も大きい。これは、思考も行動も、新しい体制〈New Order〉に移行しろという啓示なんだと受け止める。
ビジネスガバナンスもプロデュースシステムもエコノミックポリシーも、来年に向けてこの際新しくデザインしなおしてみよう。
生き方と行き方を変える。

角田陽一郎 オフィシャルwebサイト

mireva channel

動画の内容(+文字起こしメモ&感想)

駐車場に停めらるのか?

 おはようございまーす。バラエティプロデューサー角田陽一郎でございます。ICUC知的好奇心向上委員会なんですが、えーとですね、今週も移動中に話してみようかなーと思っております。
 今ですね、埼玉の方に向かってるんですね。”SAIフェス”っていうロックフェスがあるので向かってます。で、そういう”さいたまスーパーアリーナ”とかに向かう時に僕の一番の懸案事項は、ちゃんと車が駐車出来るのか?っていう(笑) うん、大体イベントの時とかね、あとほら、スポーツとか観に行くとかね。僕基本車移動なので、その車がね、現場で無事停められるのか?っていうのが、僕の中での最大の関心事と言ってもいいことですね。
 それって、だからなんか本当に──例えばサッカーとか観に行くとするじゃないですか。最近コロナになってから行ってないですけど。Jリーブとか結構行ってたんですけど。やっぱり車がなかなか停められないんですよね。だからそういう時に「あ、停められた!」って思うと、もうその試合は勝ちみたいな(笑) むしろ勝っちゃったなーみたいな。試合前に、僕が車を駐車場に停められたから勝ったみたいなね。そんな気分になってしまうという、なんか、どこかセコい人間っていうか(笑) 小さい人間だなーなんて思いながら。そんな事を思いながらですね、今もですね、さいたまスーパーアリーナ、今の時間から行って、果たしてちゃんと停められるのかなーなんてことをね、ドキドキしながらね、行っています。
 だからICUC知的好奇心向上委員会などと言っておりますが、想いは「駐車場、停めらるのか?」っていう、そういう様な事だったりするんですけどね。はい。

車と電車

 それで。駐車場の話をしたから、ついでに駐車場の話をしようと思うんですけど。何が言いたいかというと。駐車場代ってすごい高いじゃないですか。で、僕がね、最近思ってることって、結局「駐車料金払うために働かされてんじゃないかな?」って思う時がちょっとあるんですよ。うん、まさに…いや、あの…領収書のね、整理とかしてたからだとも言えるんですけど。
 それこそ移動にかかるお金ってすごいかかるよなーと思った時に、なんて言うんでしょうね?例えば東京のど真ん中である仕事があるからそこに行くと、そこに行くだけの車の通行料がかかるし、駐車料金もかかるわけですよね。いや、だから電車で行けって言うと思うんですよね。電車で行けば安いじゃんって。でもね、それは僕の中では、だって大阪行くとき新幹線で行ってるって意味では電車で行ってるわけですよ。だからそれは別に僕の中では最適化した上で都内での移動は車の方が僕の中では最適化されてるから車なわけで。その金額の多寡ではないわけですよね、言ってることって。
 で、なんで車の方が最適化されてるかって言うと。前もこのICUCで喋ったことあるんですけど。電車の移動だと、電車ってストレスがすごい僕の中で多いんですよ。人と囲まれなきゃいけないとか。だから車だと渋滞ってストレスがあったりとか、駐車場が見つからないってストレスはあるんですけど。そうすると後は許せるストレス、許せないストレスなんですけど。
 僕はまず電車の”混んでる”というストレスが一番嫌で。特に雨の日とかね。続いて、渋谷駅とか新宿駅とかのあの駅の、駅を移動する時の多くの人とのコンタクトというか、接触し合うかしないか分かんないしっていう様なところを、どの出口から出れば一番近いのか?とかが分からないみたいな事がすごいストレスなのと。
 で、駅から。誰か、ある場所に行く時って最寄の駅に行きますよね?最寄りの駅から指定されてる場所って、最寄りの駅だから徒歩圏内なわけですよね。とすると、結局その徒歩圏内が極論すれば駅の近くにある、1分以内にある場所だったらそれでもいいんですけど、そこから歩いて10分、なんなら15分かかるってなると、その元々行く場所のいちばん近くの駐車場に停める方が時間的効率もいいんですよね。はい。
 あと車移動だと移動中にこういう風に喋ったり、喋んなかったりは置いといて。結果、自分の思考を、なんて言うんだろう?出来る余裕があったので。例えばミーティングとかが立て続けにある時ってむしろ移動中に僕は考えている。うん、そういうところってあるんですよね。だからそんな風に僕の中では個室に篭って移動している間に自分のことを考えて。で、ある場所でみんなと会って。打ち合わせをしたり、番組を収録したり、なんなら自分が出演したり、みたいな事の方がサイクル的にすごく気持ちがいいんですよね。うん。
 で、ただそういうこと言いながら、じゃあ仮に自分が車を運転しないとなるとすると、ほぼタクシーなんだと思うんですね、同じ様な理屈で。で、タクシーって高いじゃんと思うんだけど。車プラス駐車料金の方が高かったりするから。高かったりするっていうか、ほぼ同じというかね、ちょっと移動しただけで。往復しなきゃいけないじゃないですか。そうすると、結果、本当にもう電車と自転車と徒歩で行くか?っていう風に割り切るか、あとは自家用車 or タクシーで行くのっていうのに、なんとなく二分される移動の仕方なんだと思うんです。
関わる人の選択基準

 で、僕はその電車、徒歩、自転車で行くっていう選択肢は、僕の中では仕事に関してはないので。そうすると結局、結構な移動費がかかるわけですよね。で、それをやってまで、その仕事をやっている事ってなんなのかなー?なんて思った時に。
 例えば僕、いま海の街の方にね、自分のアトリエはあるわけですよ。で、そこに居てただリモート会議が出来て。執筆はむしろそっちの方が進むし。って考えると、本当に東京にいる必要はないんだよなーなんてことはね、思ったりするわけですよね。
 で、それって先々週話したかどうかももう覚えてないんですけど。そんな事を最近思ってて。つまり先々週その事を話したかも知れないですけど。今週はそのさらに僕の中で続きがあって。で、そういう風に思いながら仕事をしてるとですね…う~ん、この人と仕事をするということは、この人にギャラを払わなきゃいけないんですよね。出演だったら出演料だし。スタッフだったらそのスタッフに、撮影手伝ってくれたら撮影だし、編集なら編集とかね。
 で、それだけのお金を払ってる事って僕の中で論理か感情かって言うと、感情で払ってたんですよ、今まで。だから普通論理的にあなたはこれだけの仕事量をしてるからこれくらいっていう風なところってあるんだけど。それよりもこの人だったらこれくらい払ってあげようみたいな。愛情みたいなものと言うか。で、僕は出演する、出演しないとかも、この人が人気だからお願いしますとか、この人が人気じゃないから止めましょうと言うより、この人なんか現歩が好きだなとか。なんだったら人間的に好きだなとか。そういう人の作品好きだなとか。そういうところでその人のキャスティングを選んでるという意味で言うと。僕が何となく人間というのをね、使う…使うって言うと上から目線だけど。僕が使われてるだけかも知れないけど。僕が何か人間と関わる時の選択基準って損得ではなくて感情。損得という論理ではなくて感情で選んでたんです。
 ところがね、最近ちょっと色々ね、仕事をやってる上でね、少なくともフューマンリソースと言うか、人間のリソースに関して、感情でやってるといけないんだなって。だからみんな感情でやってないんですよね、会社ってね。だから僕がアホなだけなんですね。会社って感情でお給金決めないですよね?論理で決めますよね。僕はそれに何となく反発してるから大企業を辞めてね、個人でやってるって意味で言うと、その妙な平等主義みたいなものがすごいなんか嫌だったから。
 うーん、だから何て言うんだろう、時間あたりでこれだけやるとか、これだけ成果があるからこれだけやるとかよりも、なんかその人のことを好感が有る無いみたいなことでお金を払う事ってむしろ個人じゃないと出来ないんじゃないかなーなんて思ってたから、まあそれでやって来てたんだけど。なんかそれをすると、なんて言うんだろうね?一方でタガが緩むんですね。なんて言うんだろうな…甘えが生じる。いや、だから会社ってのは甘えない様な仕組みにわざとしてるんですね。会社辞めて会社の意味がわかったって言うね、だから僕が単純に、本当にアホなだけなんだと思うんだけど。なんかそんなことを感じたわけです。
 だからそのリソース、特に…うーん、僕らは作品を作る時にその作品に感情を乗っけるじゃないですか。だから作品に感情を乗っけるから、むしろその作品のクオリティ以外のところっていうのは感情抜きな方がいいんでしょうね。だから僕はプロデュース業というのを創作という意味でも感情で作っていて。で、なおかつそれを実際どうマネタイズするか?みたいなことろも感情でやってるから、その感情が上手~くハーモニックにね、調和が取れてる時はいいんでしょうけど、なんかそれがちょっと感情がお互いが悪くなったりすると、こんなに払ってるのになとか。これだけの成果かい?とか。なんかそんな風に思えてしまうっていうのが、すごくあって。最近感じたわけです。

今まで通りではパンクする

 そうするとね。僕、フリーになって。2017年の年初からなんで、17、18、19、20、21、22って6年やってきたんですけど。なんかその辺のビジネスガバナンスというか、プロデュースシステムというか。なんかそういうものをね、あとエコノミックポリシーというかね。なんかそういうものをちょと改める時期に来てるんだなーみたいなね、なんか事件というか現象がなんか立て続けに起こってるんですよね。
 自分の想いみたいなものは、いつもICUCで喋ってるから、そのことに関しては何となくこのICUCを聴いていただいてる方は分かるでしょうけど。それ以外のね、経済的な、なんか税金との考え…だからインボイスってのも始まるしね、税金の捉え方っていうのもそうだし。あとは何ていうんでしょうね、ある一つの仕事の単価みたいな話とか。なんか感情でね…、だから結局その感情で人とどうやるか?みたいな事を考えていたんだけど。その感情で…ああ、だから結局感情でやってんのかなぁ。その感情がプツッと切れた場合、その人とやってる必要があるのかなって思うみたいなね、事とかはありますね。
 だから何かその今言った新体制というかね。だから英語で言うと New Order ですか。だから何か昨日夜ポロッと呟いたのはですね、その New Order をその中で形作らないといけないんだなーなんて事をね、思ってるわけです。

 うーん。なんかさ。今までの生き方でやってるとなんか色んな意味でパンクする感じがして来たんですね。なんか、何て言うんだろう。例えばよく、今数えてないけど30個から40個のプロデュース業をね、今やってるわけですよ。当然お金になってない事がたくさんあるし。微々たるお金にしかなってないのもあるし。ありがたいお金を頂いてるものもあるんですけど。でもなんかそのたくさんやってるものもね、結局やってる時にその場所で駐車場代払ってるのかなーなんて思ってね(笑) うん。それ…イベントやらなければ、その駐車場払わなくていいじゃんって思うと言うか。駐車場ってのは一つのメタファーですけどね。そこに、そういう関係性があるとじゃあそこで飯食おうってなったらその分の金を払わなきゃいけないとなると、結局──なんで人は稼いでんだ?って話になりますよね。日々暮らしていけるだけのお金を稼げばいいじゃんって思った時に、そういうプロデュース業をするって事は、日々暮らしていくお金が、やっぱりそれも掛かるんだってことを僕が気づいたって事なのかな。
 お金のこととか比較的そんなに考えてこない人生だったんですけど。いや、考えなきゃいけないんだけど。なんか若い頃はね、なんかある意味親におんぶに抱っこで。で、会社入ってからはね、会社のお金でやってたとはいえ。で、フリーになっても比較的…ね、調子が悪いというか、調子がいい感じに皆さんにして頂いてたところがあるんだけども。なんかそういうところもね、構造的に変えていかないとなーなんてのはちょっと思ったりするんですよね。

システム自体を無くしてしまえば…

 でもこの話って、何かをやるためにお金がかかる。そのお金のために何かをやるっていうのの循環みたいなものが、果たしてそれでいいのか?悪いのか?みたいなことなんだとすると、じゃあそれやんなきゃいいじゃん!っていう1個のパターンも出て来ちゃうんですよね。それをやろうとしてるからそんなになっちゃうんでしょ?っていう。だったら、そもそも、やろうとしなけりゃいいんじゃない?っていう、なんか思いもありますよね。
 なかなか、なかなか難しいところではあるんですけどね。でもそれをやらないってなると、じゃあプロデューサー辞めようみたいな話になるかも知れないし。じゃあ別にプロデューサーという意味じゃなくて、そもそも何でそれをやってるんだっけ?あれ?食べるためなんだっけ?いや、あるいは楽しいからやってるんだっけ?とかね。なんかそれをやっている意味ってなんなのかなーって。
 で、そうするとさっきの話に戻ってくるんだけど。結局自分の感情でやってたんだよなぁ、やっぱり。それが好きだからとか、その人と出会ってしまったんだからとか、その人のためにとかね。だからいちばん多いのは、それだけスタッフがいるなら、そのスタッフのためにやるかみたくなっていくんですよね。そうするとそのスタッフを食わせるためにやってるみたいな時って、何て言うんだろう、いちばん矛盾を感じると言うかね。実はそれやりたくないんだけど、その自分の…、だからその… Order ね、New Order と言うか、自分のこのシステムを生かすために仕事をやり続けるってなると、そのシステム自体を無くしてしまえばそもそもその仕事はやらなくてもよくなるじゃないですか。だから、そういう様なこともあるんだよなーなんて思ってるんですよね。
 でもそうすると、っていう事でシステムを縮小するじゃないですか。それ僕TBSにいた時にやった事あるんですよね。だからプロデュース体制というか、番組製作体制を1つ持ってれば2つにする時ってスタッフって1.5倍ぐらいで出来るわけですよね。ところが0スタッフだと1の仕事もできないわけですよ。だから少なくとも1の体制は持っていて。で、それで拡充して2、あるいは3やるみたいなことってのは、まあ出来なくもないとは思うんですよね。で、自分がその1という制作体制をずーっと保持してきてるんですよね。
 で、TBSを辞めてからも一応保持してるんだよな。そうすると、そのシステムを保持するための仕事ってやっぱりやってるわけで。で、それをやってるとその制作システムが1だと賄ない切れない仕事、あるいはさっき言ったクオリティみたいな話になった時に、じゃあ2にするか?みたいな事をやった時に、結局じゃあその2を生かすためには今度また違う仕事をやらなきゃいけないなっていうのをクルクルクルクルやってるスパイラルが…、それでいいのかな、と思ったってことかも知れないですね。
 仮に1の制作システムを止めてみようかなーみたいな。これって全然、本当に今日なんて雑談の中の雑談なんですけど。なんか例えばスマホでアプリ使ってるじゃないですか。で、スマホでアプリ使ってて、ここの機能もっと…もうちょっとこうなってればいいのになとかってありますよね?でもそれって何で出来ないかっていうと、そのアプリは他人が自分が作ったものじゃないからですよね。他人が作ったものだからですよね。
 そう思った時に、なんか自分が、別にユーザビリティなんて自分の好きな感じでいいわけだから、自分で自分が欲しいアプリ作れちゃった方が実は楽なんじゃないかなーなんて思う時がまああるわけですよ。作れないんですけどね、作れないんだけど。そうすると自分がプログラミングみたいなものを覚えてしまって、なんかそんな風な事の方がなんか自分がやりたい事がやれるんじゃないかなーと思った時に、、、

自分ができる範囲のことに特化する

 落合陽一さんってね、筑波の先生、ビジュアリスト、魔術師がいると思うんだけど。あの方がアート作品とか作ってたりして、最近よくTwitterで呟いてて。デジタルとネイチャーを、彼はデジタルネイチャーって言ってるけど。デジタルと自然ってのは分かれるものじゃなくて、もっとこう混ざり合ってるものだみたいな事を言ってて。で、そのデジタルに囲まれてる彼の仕事場っていうかアトリエというか、そこってなんかデジタルの森みたいな感じの写真になってるんですよね。写真っていうか雰囲気、写真を見ると。で、そこに囲まれてると自分は全然寂しくないみたいな事を書いていて。
 で、それ以上に彼の文章を読んでるわけじゃないから、そこにどんな想いがあるのか?みたいな事は全然漠然としてるんだけど。なんか彼が言ってるデジタルネイチャーって考え方って、ちょっと面白いなーと思うわけです。なんて言うか、彼もたぶん人生というか人間的なものの…だからなんて言うの?それは彼が書いてないけどね。しがらみとか色々ある中で。喜怒哀楽というかね。そういうものと自分のこの感情をどうやるか?って時に、なんていうんだろうね、自分がこの世界を表現できるっていうものに進んだ方がむしろ感情的に豊かになるって事を彼は知ってるんでしょうね。
 だから僕も、僕も(笑)デジタルネイチャーに進むって言ってるわけじゃないですよ?言ってるわけではないんだけど。僕もなんかじゃあ執筆したりとか、適当に絵を描いたりとか、なんかしていると、それって少なくとも駐車料金はかからないわけですよ(笑) なんかそういう事だけをやりながら生きて行くっていう風に自分の…さっきの New Order って言ったのは、自分の周りの体制を整理しようと思ってるのもそうだし。
 それって結局自分の、自分の New Order を作るってことなのかなーなんて思ったりしてるわけです。自分として…、だから、何て言うんだろう?人と集まって、これだけの金かけて、これだけそういう事やりまーすみたいな事はもう──、できない。うん。自分の中の自分のスキルで作れるアプリを作るというか。今のところアプリは作れないんですけどね。うん、作れないんだけど。自分がやれる範囲のものを自分でやるっていうことに特化するというか。なんかそういう事なのかなーなんて思ったってことかも知れないですね。うん、僕が思っている事って。
 うん、だからまさに New Order なんてことを英語で言えばわかってるようになってるってわけじゃないんだけど。でも、あの…オーダーってほら、注文するって意味。「オーダー!」って言うじゃないですか。だから秩序って意味と注文するって事は英語では一緒なんだなーとか思うと、ちょっと面白いですね。
 だから自分という人間に何をオーダーする、注文するのかって事かも知れないし。自分がオーダーを受けて、どういう風に差配するかって時に、自分でやれる事は自分でやる、他人を巻き込まないと出来ないことは他人を巻き込む時に、そのオーダーする量みたいなことかも知れないですね。僕が New Order って言ってるのは。なんか新しいオーダーを考えなければいけないってことかなーなんて思います。

New Order は僕らに求められている

 で、これ。ICUC知的好奇心向上委員会っていう意味では、なんて言うんでしょうね、それを自分のアーカイブとして喋ってることが9割だけど。これを見ている奇特な方々に少しでも参考になればと思うと、この New Order って言ってるのって、それこそコロナだ、ウクライナだ、日本経済、少子化だ、みたいな時とかに、僕らほぼ全員が求められている事なんですよね。本当はね。
 なんか思うんですよ。なんか街中にいて、どんなサービスを受けても…だから何かオーダーする時にね、サービスを受けても、明らかに昔よりユーザビリティが悪くなってると思うんですね。これはコンビニに行っても自動レジですって。
 で、自動レジの方が…昔は友人を自動化する時って自動化した方が早いから自動化してたんだと思うんですよ。ところが今の自動化って明らかに人員不足を補うというか、人間を使うよりも効率がいいからっていう風なオーダーシステムでやられてると思うんですけど。そうすると結局人間でやってた時の方が快適だったりするじゃないですかっていうか。昔は自動化って快適化、快適にするために自動化してたんんだと思うんですよね。なんかそういうところの掛け違いみたいなものがすごくあるなーって思うと。
 なんか…例えばホテルのチェックインだとかね。別に僕…チェックインだけど、自動チェックイン機ってのも慣れればか結構早いからむしろ楽ですね。楽なんだけど、逆に言うと自動チェックイン機のホテルに慣れると時々自動じゃないチェックイン機のホテルが残っていて。…残っているというかそっちの方がまだたくさんあるけど。そうするとそこで従業員の方が一人しかいなくて、列が、たくさん並んでるみたいな時って…なんなのかなーと思いますよね。隣にある…3台ある自動チェックイン機開けてくれよみたいなね。でもあれも中で人がチェックしてんだろうなーとか。だから同じ事なのかなーなんて思ったりもするんだけど。
 なんか、だから、なんて言うの?自動チェックイン機と有人が混ざってる以上、むしろお互いのアラが見えて、むしろ快適さが減ってるなーと思った時に、なんかね、どんどん少子化になると駅員が不足するから、どんどん電車が廃線に追い込まれていくみたいなことをなんか昔読んだことがあって。昔、シミュレーションで2000何十年には小田急は江ノ島までは電車が行かないとかね。単純に人手不足でと乗客減で。みたいな事を書いていたことがあって。ああ、そうか、少子化ってのはそういうのに向かって行くんだなーなんて思ったことがあるんですけど。
 なんかあらゆるものが昔は良かったっていうとただの親父くさいんだけど。どんどんなんか快適さが奪われていくなーと思った時に、たぶん自分がオーダーする量がむしろこの世界に合わなくなって来てるからなんじゃないかなーなんて思ったりもするわけです。そうすると自分がオーダーする量を、何て言うんだろう、調整するという事が必要なんだろうなーなんて思ったりするんですよね。
 それがなんか僕が言っている New Order って事なのかも知れないですね。だからちょっとそれを具体的にどういう風にやればね、出来るか?なんて事は全然まだ、本当にわかんないんだけど。ちょっと考えてみようかなーっていう風には思ってるんですよ。なんか自分の中での…これをやる、これをその時にこういう風にオーダーする、これをやらない、だからこれを何とかする…というのを、まずは僕の中では、もう、あえて感情でやってたんだけど、まあフリーランス6年やったからもう感情でやるのもやらなくていいだろう!と、こう、自分に言い聞かせ(笑) 言い聞かせ、ちょっとこう考え方を変えてみようかなーって思ったってことかも知れないですね。
 それがね、実際どうなるのか?みたいなことはまだちょっと分かんないですけどね。分かんないんだけど、少なくともそういう事を考えなきゃいけない時期に来てるんだなーってことは何となく僕の中で分かったかなっていう事かも知れないですね。
 はい。そんな感じでICUC知的好奇心向上委員会、話してるうちにさいたま新都心にやって参りました。さて、これから駐車場うまく入れるかな~って。結局、駐車場でドキドキしている私というのはなんら変わらずでございましたが。んふふふふふ。ね?どうなんでしょうね。分からないですが。ちょっとやってみましょうかという感じでございますと。はい。そういう事で知的好奇心向上委員会でございました。また来週、よろしくお願いします~。

文字起こし後の文字寝かし

(好き勝手に思った感想を書き残しておくことを文字寝かしと言うことにしました)

 感情でやるとか論理でやるとか。感情で動いていて、そのバランスが上手そうなのはマメヒコなんじゃないか?と思う。角田さんは支払いも感情で払っているというけど、井川さんは支払いに関しては論理の様な感じがするけど、井川さんのところで働く人たちは感情の方向性というのかな?が、井川さんと合ってるからバランスが取れるのかも知れない。そうすると、角田さんは井川さんをそのままお手本にするということは出来なさそうだけど、角田さんが思う形で運用できているシステムは既にどこかにあると思う。角田さんが参考にしやすい場所に見つけられるといいな。

 自分がやれる範囲のものを自分でやる、自分がこの世界を表現できる方に進む。つまり中村先生のおっしゃったライザップだ。ライザップに、心と身が揃うところに、”やれる範囲”や”世界の表現”を広げたり、安定させたり、クオリティを上げたりする可能性がある。

 一番小さな単位のシステムを”1”維持して、状況によって”2”、”3”と増やして行く。角田さんの言うバンド理論…名前がうろ覚えだけど。必要に応じて増やしたり減らしたりさせる。つまり”1”はコアメンバーだ。少なくともバンドがある限りはコアメンバーが生活できるだけの仕事はいる。でも、”2”や”3”は必要なくなれば畳むってことではなかったのか?と思ったけど、実際の仕事の現場では欲しいクオリティが担保できるスタッフは、いわゆる外注では賄えないんだろうな。だから増やしたら増やした分までまずは維持することになる。そうか、感情が必要なものほどそもそも外注はしにくいんだ。”1”を1人のアーティストと考えると分かりやすい。作品の制作部分で人に頼める部分はかなり少ない。

 先月、三匹目の猫が亡くなったので、長年使っていた猫のものを、大量に処分してからというもの、よくやるようになったものが掃除。ゴミが落ちていたらサッと掃除機を出す様になって思ったのは、私がまともに動ける物の量がこのくらいなんだってこと。量はもちろん人それぞれだし、増やすことと減らすこと、それぞれに得意、不得意がある。私は増やすのは得意で減らすのは下手だから、すぐにキャパオーバーになる。でも、キャパオーバーだからってすぐに生きられなくなるわけでもない。適量が分からないのに減らすという不得意な部分を稼働させるのは思ってる以上に難しいのかも知れない。
 それから、空間が空いたら別のものが入るとも限らないなと思った。減らしたところが適量だったら、待っていても何も入ってこないし、空いたからと何かを入れるのもダメ。適量を維持するだけなんだ。

 『僕もなんかじゃあ執筆したりとか、適当に絵を描いたりとか、なんかしていると、それって少なくとも駐車料金はかからないわけですよ』と言った意味は1000%分かってるけど、ちょっとだけカチンとしてしまった。角田さんがよく映画監督、新開誠さんとかだったかな?あえて羨ましいと言ったりするけど、私もそういう気持ちだったのかも知れない。角田さんなら作家だけでも生きられる。細かい部分はそれなりに大変だったりはするだろうけど、でも、さて作家になります!と宣言したら、声をかけてくれる人がいて、ちゃんと収入があるんだろうなと。つい平等じゃなく見える部分で比較してしまうけど、本当は公平だってことは分かってるから、だから羨ましかったんだ。自分のことを棚にあげて文句垂れる能力を他の能力を他の能力に転嫁できる方法はないだろうか(笑)

 人は従業員もお客さんもどちらも減って行く。どこかで聞いたのは、首都圏の自治体は縮小するということは未経験だけど、地方の自治体はすでに縮小を経験していて、それを今から参考にしているんだとか。単純になんでも規模を小さくというわけにはどうにもいかないらしい。
 以前、知人がカフェの様子が変わったと嘆いていた。もっと量が多かった、もっと質がよかった、ちゃんと席まで運ばれていたのに、今はバイキング形式だったと不満たらたらで話していた。
 そんな話を聞いた私はというと、殿様には合いませんでしたか、合わないところに行くべきではありません、殿様のくせにそんなことも分からんのかと、文句に対する文句たらたらだったのだけど。
 ネガティブ・ケイパビリティという言葉を数日前に知った。「答えの出ない状態の中に人が留まることが出来た時に見出されるもの」、現代人に足りない共感力のその先のもの、事実や理由を求めることなく、不確かさや不可解なことや疑惑のある状況そのものを受容する能力のことだけど。状況に耐える力の出発点が共感というのが驚きだった。まだ「あ、なるほど!そういうことか!」となっていないけど、私が思う共感は、きっと共感のいち部分でしかないんだろう。
 で、共感するという視点でその友人の文句を見る事が出来れば、焦点が内容であれば少子化のことを考えられたかも知れないし、焦点が文句を言わずにいられない状況に当たれば、ユーザビリティだったり、当人の心の弱さや寂しさを考えられたかも知れない。
 それってつまり、角田さんの言う本質をどこから見つけるか?なんだ。共感力から見つけられるんだ。こいつウゼェなと思ってる場合じゃなかったんだ。

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