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ICUC-075_2021.8.29【電気グルーヴの心地よさ:8月のすべての悲しみにさよならを

【ICUC知的好奇心向上委員会】の知的好奇心の向上&趣味の文字起こし。I see, You see ! Intellectual Curiosity Update Committee

新刊図書
『仕事人生あんちょこ辞典』角田陽一郎/加藤昌治(ベストセラーズ刊)
8月30日発売開始です!

角田陽一郎75「電気グルーヴの心地よさ:8月のすべての悲しみにさよならを」ICUC知的好奇心向上委員会
フジロックフェス2021の三日目に行ってきました。その日は満月。
電気グルーヴのあまりのカッコよさに、自分の永年の蟠っていた想いが満ちた瞬間でした。

角田陽一郎 オフィシャルwebサイト

mireva channel

動画の内容(+文字起こしメモ&感想)

8月も終わり

 おはようございまーす。ICUC 知的好奇心向上委員会でございます。バラエティプロデューサー角田陽一郎でございます。よろしくお願いします。えー今日何日?8月の28日でございますか…29日だ!もう29日ということはあと8月も30、31ということで2日間で終わりでございますね。8月、みなさん8月はどんな感じでしたか?ね。オリンピックがあって、パラリンピックがあって、で、コロナがあって、なかなか…なかなかな日にちでございますが…(探し物を始める)ってもうそれも半年くらいずーっと言い続けてるな。うん。なんかずーっと言い続けてる感じで、なんて言うんでしょうね、あのー…続いてるから、もう何が良くて何が悪いのかとかもよく分かんなくなりますけども。
 私は今、探してましたすいません。この本がね、『AP』という小説が8月18日に出てって話をしましたけども。17日が誕生日でね、19日が親父と恩師の亡くなった日って話は先週させていただいて。で、先週で言うとね、それがちょうど厳密に言うと土曜日に撮ったのかな?21日に撮ったのか、このICUCをね。何でかって言うと、翌日の22日にフジロックフェスティバル2021の3日目に私行ってきましてですね。そう、だから行くから日曜日は撮れないなと思って土曜日に撮ったわけです。で、なんかね。今日はその話をしたいんですけど。

視聴数の嬉しさ、恐縮、戸惑い

 ただ、そんな中でさっきのこの『AP 』の話もしたじゃないですか。で、これってね、ボクがテレビ局で培ってきたことみたいなことを小説に書いたって意味で言うと、やっぱりさんまのスーパーからくりTVとか、中居正広の金曜日のスマたちへとかね、(部屋を指差して)ここに…こっちか、ここにカバンが掛かってますけども。やっぱりSMAPとのやりとりがボクの中での小説の原点になってるよなーみたいな話をさせて頂いててね。
 それをコトブキツカサさんとの寿司特(コトブキツカサスペシャル)という毎週木曜日20時にやっているYouTubeで話させて頂いたりして。そしたらね、今まで本当に2~300回くらいの視聴数しかなかったのが1万、今でも着実に増えて16,000回くらいいってて。で、先週、その次の週に喋ったやつももう6,000回くらいいってて。で、今週喋ったやつもなんかもう千何百回とか…1,600回とかいってるのかな?という風に──なんて言うんでしょうね、スマップバブルというか、スマノミクスというか。なんかそういうような状態になっております。
 で、それってもうすごい嬉しいなーと思う反面、恐縮するところもあってですね。つまりボクが話してることはいつもそんなに変わらないわけですよね、このICUCでも。あるいは寿司特でも。なんなら豊津徳でも。なんなら普段の公演とかでもね、なんならラジオ番組でも。ところがやっぱりトピックがこれだと言うとわーっと見ていただける方が増えて。で、普段はそうでもないっていうことの落差みたいなものにちょっと戸惑いも感じますよね。
 まあテレビだってね、視聴率上げるためにはなんか特番で超豪華なのをやりましょうとか言うじゃないですか。だから基本的にはそういうことをやるってことは、なんかこうカンフル剤じゃないし…カンフル剤は違うか、ドーピングじゃ──ドーピングと言うとまた嫌な言葉の意味ですけど、嫌な言葉の意味ではなく、ドープするというか。そういうものってやっぱりなんかコンテンツを広めるときには必要なんでしょうね。
 まあそんなことは重々承知な上で…うん。難しいですね、小説はすごい売れて欲しいんですよ。だし、自分のこのYouTube動画だって毎週やってるワケですから、なんだかんだの見ていただける方が増えたりして、それでもし収益とかが出たらね、それで番組作れちゃうわけで。そうするとなんかボクの夢で言うといとうせいこうさんとユースケ・サンタマリアさんとやってたオトナの!って番組をね、東京MXでオトナに!ってやりましたけど、それももう終わっちゃって3年経っちゃいますけども。オトナ3!オトナの3(さん)!をやってみたいなーなんてのは思いますしね。その制作費みたいなものっていうのはもしYouTubeで稼げるならやるのになーとかって思ったりもしてますね。
 うん、だからそういう意味ではすごい嬉しいんだけども、なんか一方でなんか喋るとそれに対して…なんて言うんだろうなぁ…でも大してそんな悪いリアクションとかボクにはないです、そんな、よく炎上するとかクソリプとか言われますけど。ボクはそんなにそれを感じたことは正直ないです。ないんだけど…これボクがいつ書いたんだ?8月26日に書いた文章なんですけど。


最近、どんな想いも言葉にされて発話されたり解説されてしまうことに窮屈さや息苦しさを感じてしまう。ただその人がそう想ったじゃダメなのだろうか。
それへ反論が必要なのだろうか?
それの根拠が必要なのだろうか?
それは同意されなければいけないのだろうか?
ただ好きじゃダメなのだろうか?


 っていう文章をね、書いたんですけど。うん…ただ好きでいいんじゃないかなーなんてちょっと思ったりするわけです。
 そうするとそのSMAPのことを好きですってことで、こういうことがありましたって面白おかしく話してることと、ボクがウンベルト・エーコについて語ることとか、あと文化資源学について語ることとか、ボクの中では好きだから話してるだけなんですよね。ところがこっちを話した方がバズるみたいな話になると、そっちを行きましょうかみたいな──になって行くのがちょっと嫌だなーって思う、このニュアンス伝わりますかねぇ?なんかそういうようなことを感じてしまったのが先週ですかね。
 でもそれってそんなこと言ってじゃあさっきの小説『AP』が売れなければボクの中では未来がないわけで。やっぱり復活大作戦というか、未来をね、どう作るか?みたいなことで言うと、そういうことも粛々とやっていかないといけないんだよなーなんていう。
 これってもうプロデューサーというのを肩書きにしてしまった者の永遠の逡巡ですよね。うん、プロデューサー故の…プロデューサー故の、なんて言うか悩みなのかなー。プロデュースするってことは…ね、これよくキングコングの西野さんが言ってますけど、育てていかない限りそれは世に広まって行かないわけで。その育ててるのを放棄してるのは育児放棄ではないか?って彼は言ってて。全くそうだよなーなんてのも思ったりもします。

電気グルーヴで踊る

 で、まあそんな中でね、8月で言うと。──いつも言ってますけど色々悲しみに溢れてるなー
なんて思いながら。なんかね、ボクで言うと先週フジロック行って、ちょうと8月22日って満月だったんですよね。で、満月ちょうど9時ぐらいに満月になるからちょうどね、グリーンステージで電気グルーヴを観てる時だったんですけど。朝からいて、なんとなくソーシャルディスタンスを取りながらやってるからいつも…ボクいつもフジロックってソーシャルディスタンス取れてるよなーなんて思ってるんですけど、今回はお客さんが半分だから本当に混んでないんですよね。ご飯屋さんのとことかもすぐ買えちゃうしみたいな。
 で、ずーっとアウトドアのね、折り畳み式のチェアを持って。前まではレジャーシートを敷いて場所を確保するみたいなのがフジロックだったと思うんですけど、レジャーシートを敷いて場所取りしてる人が激減しましたね。ほぼいないくらいの感じになって。みんなチェアを持って座って聴いて。前に行きたい人は前に行くけども前よりもソーシャルディスタンスを取ってみたいな感じだったんですけど。ボクはすーっと座って後ろの方で観てたから、はっきり言うと都内の繁華街にいるよりよっぽど…なんなら会社の中とかにいるよりも、ミーティングしてるよりもよっぽどソーシャルディスタンスを取れてるフェスだったなーなんて思うんだけど。
 またこういうことを書くと「でも実際違うんじゃないか?あったんじゃないか?」みたいなことを言う方もいるんだけど、実際違う方もいるんじゃないですか?ってのは会社の中だって、都会だってありますからね。だからつまり、あらゆることにはそういう例外というかがあるから、何が正しいかなんてのは分かんないんですけどね。ただボクはそうでしたって言うか。だったんですね。
 で、そんな中でずーっと後ろの方で座って気持ちよく聴いてたんですけど。お酒も飲まずに聴いてたんですけど。電気グルーヴになったときにね、ついね、立って踊り始めちゃいました。一人で。こんなおっさんなのに。わーっ!ってとか。すごいね、気持ちよかったんですよ。で、その電気グルーヴの気持ちよさを感じた時に、なんかね、ずーっと思ってた想いがね、ちょっと吹っ切れたんですよねー。なんかウジウジしてる自分が吹っ切れました。うん。
 いや、電気グルーヴ素晴らしいなーってことなのかも知れないんだけど、なんで吹っ切れたかって言うと…。石野卓球さんとピエール瀧さん…ボク、ピエール瀧さんと番組一緒にやったこともあるし、瀧さんがボクのこと覚えてるかどうか分かんないですけど。ピエールさんと卓球さんはオトナの!まさに、さっき言ったいとうせいこうさんとユースケ・サンタマリアさんの番組にゲストで出てきて頂いてるから、〇〇(※)さんとかも知り合いだったりとかして。

※聞き取れませんでした。分かった方、教えてくださると嬉しいです。

 オトナの!フェスに呼ぼうかなーと思って、なかなかスケジュールが合わなかったりとかしたこととかもあるくらいで、大好きなんですけど。大好きな中ではそんなに好きじゃないグループだったんですよね。それは何故かと言うと…。ふざけるじゃないですか、彼ら(笑) いや、それが魅力なんですよ?それが魅力なのも分かるんだけど、ボクは何となく真摯にメッセージ性がある歌とかがやっぱり好きなんですね。ASIAN KUNG-FU GENERATION のゴッチとか、ガガガSPとか、なんかこうストレートな詩、リリックに惹かれてしまうボクのピュアさというか純情さがあるのかも知れないんだけど。その中で電気グルーヴってちょっとおちゃらける時にあんなにカッコいいんだから、そんなにおちゃらけないでもっとカッコよくやってよ!って思ってたりする歯軋りみたいなもの、歯痒さみたいなものとかはあったんですよね。
 ところが。なんかね、電気グルーヴ始まる前にMCの方がね、世界最高峰のアーティストがこれから登場でーす!って言われて。電気グルーヴは世界最高峰なのかーなんて思いながら聴いてたら、もうステージ演出もカッコいいんですよ、電飾ビカビカで。で、グリーンステージって緑の中で、自然の中での電飾ビカビカが森に響き渡る…まあ音も良いんですけどね、フジロックね、すごい、すごい気持ちいいんですよね。

2014年の電気グルーヴの続き

 それって今までボクはヘッドライナーで観てて一番気持ちいいなーと思ったのってUnderworld、たぶん2008年に観に行ったのがすごい気持ちよかったし。2014年に観た ARCADE FIRE がまた良かったんですよねーとかあるんですよね。で、2019年は The Chemical Brothers かな?とか。なんかすごい、いつもいつも気持ちいいんですけど。
 電気グルーヴ、2014年ボクは観てるわけですよ、そのヘッドライナーのグリーンステージで。で、すんごいカッコよかったんですよ。すんごい電飾ビカビカでカッコよかったんだけど、なんかその時はそういう風な思いがあって、で、なんかちょっと色々帰りの事情とかもあったんで、もう途中で間に合わないやと思って出ちゃったりしたぐらいだったんですよ。だけど今回の2021年のフジロックでは全部観たわけですよね。で、そう観た時に、なんて言うんでしょうね、その電気グルーヴのあの意味のなさ(笑) 歌詞の意味のなさ、あれが良いんだなってことにやっと、初めて気づいたんですね。
 アホですねー、それまで気づいてなかったんですね。うん、意味ないんですよ。彼らの歌。すごい、その意味のなさの心地よさってのは意味ばかりを追い求めていたボク、人生なんてそんな意味なんかないんだってことにね、気づかせてくれたんですよね。
 で、そんな中でつい踊ってしまったっていう。暗がりの中で一人で。電飾ビカビカの中、自然の中で。ソーシャルディスタンスを保ちながら。なんか踊って、踊り狂ってる自分みたいなものを──踊るったってもう単純に身体揺らしてるだけかも知れないんだけど。で、みんなマスク付けてね、みんな一言も発せずにね、観てるんですけど。なんかそこで、なんか自分の中で落ち着いたんですよね。まさにそれがちょうど満月が9時何分だから、ちょうど電気グルーヴ演ってる時だったんですけど。ちょうどね、満ちたわけですよね。なんか想いがすんごい満ちたんですよね。
 で、それってこの半年間ぐらいずーっとうじうじしてたというか、想いみたいなものがなんかこう満ちたという感じもするし、それこそ2014年に電気グルーヴを最後まで観なかったっていうことの続き、その時はまだTBSにいたわけですよね。うん。それがこう6年、7年経って、観終わったっていうか。それがなんかこうボクの中で満ち足りた心地よさを感じさせてくれたんですよね。
 で、2014年のライブも本当にすごいカッコよかったんですけど、電気グルーヴ。あれなんですよ、今回いいなーと思ったのは、瀧さんはいつもふざけてるわけですよね(笑) ピエール瀧さんは。で、卓球さんはなんか今までのライブってなんか…ちょっとこうスマしてやってる感じ?DJだし…どちらかと言うと不機嫌な感じで演ってるように見えてたんですけど、今回の2021年はやっぱり復活の第一弾、電気グルーヴ、なおかつ本当は去年だったんですよね。ところが去年はフジロックがなくなっちゃったから復活もできず。…の中での復活みたいなものへの熱い想いじゃなくて、もっとはしゃぎぶり?やったーっ!復活だーっ!!みたいな。その卓球さんと瀧さんの仲の良さとかいうのもあるし、あの二人の本当に楽しんで演ってる感じ。で、あの二人はボクよりも年上で、そんな年上のおっさん達があんなに楽しんで演ってるというのを観させて頂いて。なんかすーんごい、すんごい、ボクの中での意味を求めていたことへの、なんかアホさ加減みたいなものを感じさせて頂いたんですよね。なんかそれがボクの中ではすごく──吹っ切れたような気がします。それがまさに先週の日曜日、22日でした。

8月のすべての悲しみにさよならを

 で、23日にちょっとこう用件があってね、大阪、京都まで行ってきて。23、24、25まで2泊3日で京都・大阪に行ってきたんですけど、そこでちょっと会うべき人に会ったりしてね。ただその時もなんか、こう…なんか吹っ切れたような想いみたいなものがボクの中ではすごくあって。
 だからなんて言うんでしょうね、ちょっと話が変わるけど、今このICUCって先週、先々週のやつには小説『AP』とSMAPというタイトルをつけて。そうするとやっぱりSMAPってタイトル付けるとやっぱりさっき冒頭で述べたように視聴数がアップするわけですよ。まあそれはすごい嬉しいことなんですけど。で、じゃあタイトルってどう付けるか?みたいな話をちょっと思うわけですよね。今日なんて電気グルーヴのこと話してるから電気グルーヴって付けるかなーとか。でもそうするとそれで見る方ってボクのこのニュアンスって伝わるのかなーなんて思ったりもするわけですよね。ボクの中では。
 そういう意味でね、8月って色々な思いがあるじゃないですかってことで、インスタとかにハッシュタグで「8月のすべての悲しみに」っていうハッシュタグをつけてたりしてるのは、なんかそういうような想いがあって。で、もう小説をね、『AP』出したわけだから、一応小説家の端くれの端くれの端くれなわけで。次回作、次次回作の構想もすごくあるんですけど、その中でね、8月のすべての悲しみにっていう小説書きたいなーってちょっと思ったんですよね…7月に。
 だから8月の悲しみをレコーディングしとこうかなーなんて思ってそういうハッシュタグをつけて、なんかインスタとかでは呟いてたんだけど。うん、その電気グルーヴのライブを観た瞬間に8月のすべての悲しみがなんかボクの中でシュッと消えた──完璧に消えたかどうかは分かんないけど、消えたなーなんて思って。それぐらいから8月のすべての悲しみにというハッシュタグを付けなくしました。
 うん、だから本当はね、このICUCのタイトルは何か?って言われたら、すごいメランコリックな、オナニーな感じの自己欺瞞な感じのタイトルを付けるとすれば、「8月のすべての悲しみにさよならを」なんですよね(笑) なんか燃え殻さんっぽいけど。8月のすべての悲しみにさよならをっていうタイトルなわけです。で、8月のすべての悲しみにさよならをってタイトル書くと、やっぱりそんなタイトルで見る人はいないですよね、ICUCね。うん、なんてことを思ってます。
 つまり電気グルーヴって書くか?とか。だって一番バズるんだったらSMAP、スマのミクスのその後みたいなことですよね、『AP』とSMAPのその後のみたいなのをやれば見ていただける方はもしかしたら増えるし。それはすごい嬉しんだけど、だからってフジロックの安全性についてみたいなタイトルにするとなんかこうそれはそれで…とか、また反論みたいなのが来るのも面倒くさいよなーなんて思ったりするし。
 でもフジロックで癒されたことも事実だから、フジロックと電気グルーヴの心地よさみたいなタイトルで行こうかなーなんて思ってたけど。…このICUCの本当のタイトルは「8月のすべての悲しみにさよならを」っていうタイトルですね。ボクの…カッコつけた言い方をするとですよね、うん。

カッコよくなりたい

 でもなんか電気グルーヴのそのくだらなさ、意味のなさっていうのって、何故それが成立してるのかというと、カッコいいからなんですよね。あの音楽、ついノッてしまうカッコよさみたいなものってやっぱり…うん、だから根本的にカッコいいんですよね。根本的にカッコいいから意味がなくてもたぶん成立してるんだなーとは思いました。うん、意味がなくて、くだらなくて、カッコ悪かったらそれはやっぱりそんなに世間は…なんて言うんでしょうね、すごさを体感出来ないから、やっぱりそんなに評価され…評価されるかされないかなんかはどうでもいいとは言えね、評価されないんだろうなーなんてのは思います。
 そう思うと、実はカッコよさって大事なんだよなーなんて思った時に、あとはもうそのカッコよさってのをね、今みたく自意識過剰でカッコよさを出すのか、そんなこと全然気にしてないよーと言って出すカッコよさの方がカッコいいなーとか。カッコよさにそれぞれのカッコよさがあるんだけど。あれですよね、そう思うとなんかもう意味があるか無いかみたいなことを吹っ切れたってことで言うと、カッコよくなりたいですよね。で、カッコよくなりたいですよねーって言ってしまうと、もうそれはカッコよくないんですよね。うん、カッコよくないですよねぇ。だからカッコよくないから自分はカッコよくなれないなーなんて思っちゃうから、むしろ意味を求めて来てたのかなーなんて思ったりもしますよね。
 ただなんか、そんなことをこういう風に言うとこう思われるよなとか、こういう風にやるとこうなっちゃうよねーみたいな感じで、気にしすぎてる感じがカッコ悪いなーとか思うと、もうカッコいいなーって自分が思うなって思うことを言ったからって、それが相手にとってカッコいいかカッコ悪いかなんてことはもう分かんないし。分かんないというか、むしろどうでもいいわけですよね。とすると、自分の思うこととかをもう普通に言うしかないよなーなんて思ったりするわけです。
 それがだからさっき読んだ文章にまた話が戻るんだと思うんですけどね。で、その文章って続きがありましてですね。だからTwitter1個分と2個分、2個分で文章にしてるから、さっき1個分だけ読んだんですけど。2個目を読むとですね。


なんていうか、ダメなヒト・モノ・コトに、たまらなく愛おしさを感じてしまうのだ。その愛おしさは、むしろダメだからこそ、この世界での存在意義があるのだ。へこたれる自分、わがままな自分、うまくできない自分、それらが過去と現在と未来をどうせ生み出していくわけだからそれらと共存したいのだ。

 っていうことを書いたんですけど。これ、自分のこともそうだし、他者もそうだと思うんだけど、なんかどんどん素晴らしい人間になりましょうよみたいなことをずーっと教育でもね、会社でもね、言い続けてきた我々人類にとって、もうすばしい人間になることに疲れてきてしまったのではないかなってのが、なんかこの世界の今の…政治の理想は何か?とかね。…と思った時に、そんなに素晴らしくない人もたくさんいますよね、ボクも含めて。だからこの人が何か言ったからとかって糾弾するとかしないとかみたいなのももう疲れちゃうし、別にいいんじゃないの?それぐらいダメでも…っていう。
 それがある一定の法律を違反してたらやっぱり罰せられるべきだし…とは思いますよ?思うけども、そのレベルでないぐらいのダメな人(笑)?は…、ダメな人も許容した方がいいのではないかな?許容して欲しいなってのはありますね。別にボク、許容されてないとも思ってないです。比較的許容してくれてるよなこの世界はと、ボクのダメさ加減を…とは思ってるんだけど。だからボクも周りの人というか、ダメさ加減を認めたいなーという…。
 これ面白いですね。だから20代30代の頃はね、ダメなスタッフとかいると「ダメだろ!」と上司としてもね、プロデューサーとしても、言及して修正することがもしかしたら番組作りには必要だったのかも知れないんだけど。なんか今はそれでもいいんじゃないかなーなんてちょっと思ってるんですよね。だからなんか映画とか見てね、例えばこの映画ってこういう出来がいいよねとか悪いよねとか、あるとは思うんだけど。それに対してどうでもいいよねって言うか。なんか…うん、その人に対してこの人はこんな人だよね、あんな人だよねって、知ってる人でも知らない有名人でも、皆んな議論するかも知れないんだけど。なんかそれももういいかなーっていう風になんとなく思う…。
 で、いいかなーってのはそんな諦めてるというより、それでいいのではないかな?と、思ってます。なんかそれをね、電気グルーヴが教えてくれたんですよね。うん、すごく教えてくれました。だからなんかカッコつけてるねって言われるとか、自然体でいいねって言われるかとか、そんなこととか、なんて言われてもその人が思うことをずっとやり続けることが…うん、負担になるならやらない方が良いんですけど、でもやった方がいいなと思うんだったらやってることがいいのではないかなーなんて思ったりもします。

仕事人生あんちょこ辞典

 はい。で、最後に告知ではないんですか。今週の、ついに9月1日ってなってて…8月31日に出るのかな?『仕事人生あんちょこ辞典』っていう、角田陽一郎・加藤昌治 著 が出ます。はい。「悩んだら読め!」加藤昌治さんというのはですね、『考具』という、考える道具の具と書いた『考具』という本をご存知の方多いと思いますが、それを書いたベストセラーの『考具』を書いた加藤昌治さんという広告会社勤務の男がいるんですが。加藤くんはですね、私の高校の同級生で、一番仲良い、単純に友達同士で本を作ろうよ、50歳も超えたわけで…というのを2年前ぐらいから、49の時から始めてて。そこから対面で何回も話したりとか、30回くらい話してますよね。話したりとか、途中からはリモートになったりとかしてね。で、ずーっと、ずーっとずーっとやってたものがついに本になります。で、そんな比較的よく喋る二人なものですから、喋ったらこんなに厚くなっちゃいましたってことで。もうなんかむしろ辞書です(笑) はい、もう、辞書でございまーす。辞書ー、はい。でもね、これ読んだ方は…だから辞書だから全部読まなくていいんですよね。興味あるところだけ抜き出して読んでいく。「あ」から「ん」まであります、はい。だからそれを抜き出して読んでいただけるといいのではないかなーなんて思っております。
 結構ね、そういう意味で言うとなんかボクが思ってきた、十何冊本を出してますけど、それが全部詰まってるとは思います。だから例えば──
「あ」は、遊び
「い」は、意識高い系
「う」は、裏切り
「え」は、英語力
「お」は、オンリーワン
「か」は、学歴
「き」は、キャリアデザイン
「く」は、クレーム
「け」は、言語化
「こ」は、コスパ
「さ」は、左遷
「し」は、上司
「す」は、SNS
「せ」は、セクシー
「そ」は、相談
「た」は、退屈
「ち」は、貯蓄
「つ」つるむ
「て」テンパる
「と」倒産
「な」難問
「に」ニッチ
「ぬ」盗む
「ね」根回し
「の」能率
「は」破壊衝動
「ひ」引きこもり
「ふ」副業
「へ」ヘンタイ
「ほ」本質
「ま」学び直し
「み」味方
「む」無常観
「め」名刺
「も」モラル
「や」約束
「ゆ」ユーモア
「よ」予算
「ら」来年
「り」履歴書
「る」ルサンチマン
「れ」レコメンド
「ろ」老後
「わ」「私」
「ん」ん?
 っていう項目でそれぞれ加藤君と
ボクが話してるんで、なんか皆さんの人生に…役立つかどうか分かんないけど、なるほどね、こういう考え方もあるよねっていうことは提示できてるのではないかなーと思うんで。なんか、まさに厚いんで一家に一冊(笑) あるとどうかなーなんてのは思っております。これもうこんな厚い本を出しちゃったからね、これ別に初速で売ろうというよりはずーっと売っていきたいなーなんて思ってますんで。本当に加藤君と角田で定期的に「あんちょこ相談会」っていう、「仕事人生あんちょこ相談会」って言うのをやろうかなーと思ってます。1回目が9月7日にこれはオンラインだけになっちゃったんですけど、代官山蔦谷さん主催でやりますんで、そこから定期的にやっていこうかなーなんて思ってるんで。なんかね、悩み事があったら一緒に話し合いませんか?っていうようなことが出来たらいいなーなんて思っております。
 はい。そんな感じでございますが。はい、8月も終わりですね。8月のすべての悲しみにさよならを…しても、来年の8月にはまた悲しくなってるのかなーなんて(笑) 思いますけども。まあそんなようなことを繰り返していくのが…私の人生なのかなーなんて思いますし、皆さんの人生はどうでしょうか?えーと、カッコよくなりたいなーと思っております(笑) うん、カッコよくなります、カッコよくなりたいと思ってますって言うことがカッコいいかは別として、そんな感じでございますんで、皆さん今後ともよろしくお願いいたします。ICUC知的好奇心向上委員会バラエティプロデューサー角田陽一郎でございました。

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文字起こし後の文字寝かし

(好き勝手に思った感想を書き残しておくことを文字寝かしと言うことにしました)

 今年の8月はなんか2年前の8月みたいだった。家には居たけどいい意味で緊張する日が多くて3ヶ月分くらいの長さがあった気がする。清水の舞台から飛び降りやすい季節があるなら、たぶん夏だ。秋になったら続きをゆっくりやろうと思える。
 『AP』が夏のピークに出版だったのはすごくよかったなと思う。続きのある一旦終わり感が、まだ秋冬があるぞという感じと合う。もう少し続きを見ていたい感じ。「「ついやってしまう」体験のつくりかた」という本で「よく出来たゲームは引きがある」と読んだけど、その引きが復活大作戦、寿司特、対談と、秋、冬、と続いていく感じに合う。別に読後が冬で大作戦が春でもいいんだけど、そうなるとなんとなく作戦が未熟なまま始動しそうでしっくりこない。

 自分の思いや感覚を言葉にすることは翻訳だといつも思う。最初に言葉で感覚を共有することが難しいなと思ったのは小学校低学年の頃に聞いた「胃がしくしく痛む」だったと思う。そもそも単語を知らないということ以上に、胃が痛んだ経験もないし、それを想像出来るだけの他の経験もない。結局大人になって分かったことは、”しくしく”という痛みの表現はたぶん胃痛専用じゃないか?ってこと。
 にたにた笑うという表現は、屈託なく素朴で愛らしいと感じる人も、下品で嘲笑してるように感じる人もいて、時代によって適した翻訳は変わっていくと実感したし。
 「〇〇じゃない」は、話し言葉で聞けば間違わないのに、読むとなると「〇〇ではない」とも「〇〇ではないか?」とも「やっぱり〇〇だ」とも読める。話し言葉を書くようになったら、ただ読むこと以上に、見えないものを読み取る力が必要になった。
 角田さんが「その人がそう想ったじゃダメなのか?」と投稿したとき、また何かつらいことでもあったのかと思ったけど、しばらくして原因となった人とその文章の心当たりはついた。角田さんの身に起こったことではないにしろ、悲しんだことには違いない。だからやっぱり翻訳なんだなと思う。自分の中のことを外に出す翻訳と自分の中に取り込む翻訳。コミュニケーションは出す翻訳と入れる翻訳だから、相手がどう取り込むかは取り込む人が多いほど予想できない。

 ある漫画で、主人公が甘いものを食べたくてお菓子作りをする話がある。お菓子は計量が命なのに不器用な彼女のお菓子がすごく美味しい。で、美味しい原因は大量生産だったというオチなんだけど…。つまり大量になるほど計量の誤差の許容範囲も大きくなったから美味しかったという話。
 社会科で習った重厚長大から軽薄短小。正確な物作りで日本は結構いいとこまで行ってたんじゃないかと思う。行ってたんだけど、正確を追い求める日本人像に日本人が酔ってたのかも知れない。正確になればなるほど小さなものが作れるようになるけど、誤差の許容範囲も小さくなる。モノが正確ならコトも正確に、正確の完璧主義なのかな?小さいものばっかり見てたら目が悪くなって、もう遠くから見るとボケるばっかりなのかな?豊津さんが仰ってた総取っ替えのSDG’s=式年遷宮とか組み立てで出来てる仏像みたいに、長く使えるってどう言う意味だっけ?と、コミュニケーションって私の意見を言うことだったっけ?と考えないとな。心と頭の視力矯正。

 そう言えばカンフル剤のカンフルってどんな薬なんだろうか?と思ったら、樟脳だった。樟脳は楠から抽出でき、虫除けのイメージはあるけど回復や蘇生のイメージがないので調べてみると、昔は強心剤として使われていたとのこと。このためダメになりかけた物事を復活させる即効性のある手段という意味になった。ドーピングも ing をとったドープってなんだろうか?と調べてみたけど、すごく分かりにくい単語だった。オランダ語で浸すの意味のドープが語源らしいけど、浸したから〇〇がどのように良くなった…みたいなイメージは掴めたけど、意味だけだとなんだか取りとめない感じ。

 私もカッコいい人になりたい。カッコいいと思う人はたくさんいるけど、悩んでぐずぐずの状態をそのまま残せるというのがアーティストだと思うし、8月は毎年悲しみに沈んでぐずぐずしてしまうことを自覚しつつアーカイブ出来ているのが角田さんのカッコよさの一部だと思う。あなたはSNSの投稿イメージそのままの人だったと言われた時、私も少しだけカッコよさを真似できたんじゃないかと思って嬉しかったことがある。
 カッコいい人とはどんな人か?はそれはそれぞれの理想だから、それぞれ自分がカッコいいと思う人になれたらそれでよし。ただし、それだと理想のカッコよさと自分を比較しがちだから、あんまりカッコよさに囚われてもよくないと思う。だから時々、私はあなたがカッコいいと思うってことは伝えた方がいいと思うし、自分が思うカッコよさじゃないカッコよさを伝えられたら、それはもう自分は新しいカッコいいを獲得したんだと思えばいい。これは翻訳しないで、直訳の直訳で。

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