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ICUC-058_2021.5.2【陽気になるだけで世界は変わるらしい!】

【ICUC知的好奇心向上委員会】の知的好奇心の向上&趣味の文字起こし。I see, You see ! Intellectual Curiosity Update Committee

参考文献
「ショーペンハウアーとともに」ミシェル・ウエルベック(国書刊行会)

角田陽一郎58「陽気になるだけで世界は変わるらしい!」ICUC知的好奇心向上委員会
5月になりました!
ショーペンハウアーの哲学を解説します!
今の悲惨な時代にまさに大切な考え方です!

角田陽一郎 オフィシャルwebサイト

mireva channel

動画の内容(+文字起こしメモ&感想)

編集者と約束

 どうも。バラエティプロデューサー角田陽一郎でございます。おはようございます。知的好奇心向上委員会 ICUC の5月2日バージョンでございます。(笑)よろしくお願いします。
5月になってしまいました。まさにゴールデンウィーク…が、一応4月29日があって、金曜日があったけど、土・日と休みで今度は月・火・水と5連休でございすね。ただまあ、緊急事態宣言…何度目でしたっけ?みたいな感じになっておりますから、基本は皆さん行楽地に行くとかはないのかなーとか思いながら。
 なんかね、色々心が糞詰まる感じがしますよね。誰かがTwitterで書いててそうだよなーと思ってたんだけど、図書館とか本屋さんとかも休みになっちゃって。せめて篭るんだから本とか借りたり買えるぐらいはしてくれよ、みたいなことを仰ってる人がいて。全くその通りだよなーなんて思いながらもね。変異ウイルスはね、なんかマスクしてても感染っちゃうみたくなると、もう完全に防ぎようは無いとすると…人と接触してるとね、どうすればいいんだろう?みたいな感じにはなるよなーなんて思いますよね。
 ボクはと言えば。ゴールデンウィーク中に上げるぞ!と仕事を提示してですね。その仕事をやろうかなーと思いながら。今日、だから…1、2と2日間終わってしまいましたが、まだやってない(笑) っていう感じでございます。3、4、5でやるぞー!と思いながらね。でも明日は大学で講義があったりとか、色々なかなか、執筆に行けるのかなーと思いながらもね。まぁやると…、やると編集者と約束したからやるみたいなね。もう約束というのは果たして何なのか?みたいな根源的な問いを自分に突きつけながらも、なんとか生きている感じでございます。

ショーペンハウアーとともに

 で、今日さっそく紹介する本があるんですけど。これです。「ショーペンハウアーとともに」というミシェル・ウエルベックっていうフランスの現代作家が書いたやつなんですけど。この本をというより、ショーペンハウアーやばいぞ!という話なんですね。
 ショーペンハウアーというと有名なのが「幸福について」ってのがあって。…読みました。ぱらぱらーとですけどね。これ(ショーペンハウアーとともに)は5月になって一番最初に読んだ本がこれですね。これ、本当にすぐ読み終わっちゃったんで。でも5月に読んで良かったなーなんて思いました。
 それってじゃあ何かって言うと、ショーペンハウアーの本っていうと中公クラシックのですね、これが有名なんですけど。「意思と表象としての世界」っていうね。これ哲学書なのでなかなか難しいなというのが、これ(幸福について)は解説している。これは比較的簡単に書いてある「幸福について」っていうのが書いてあって、幸福とは何なのか?みたいなことなんだと思うんですけど。まさにミシェル・ウエルベックさんがですね、20代のときかな?「意思と表象としての世界」に出会ったときの、この考え方こそ世界が変わる哲学だって思ったってことを書いてある本なんで。これはすごい分かりやすいなーと思いました。
 でね、今のボクの気分。今のボクの気分というのはボクに色んなことが起こってるからボクに起こってる気分もあるけど、その色んなことが起こってる中の最大のことってコロナ禍だとすると、実は色んなことが起こってるというのはこの世界で起こってるってことだからね。たぶん皆さんにも通用するんじゃないかなと思うんだけど。
 ちなみに国書刊行会のやつなんですけど。これ、ほら、カバーを取るとすごい外国の本みたいな。可愛いんですよね。長細くてね。こういう装丁好きだなーなんて思いながら。だからこれ、この黄色(カバーを取った状態)はフランス語でささっと書いてあって、この外国語と日本語の表紙は黒いんですよね。この黒と黄色にまたセンスがあって。さらにここに帯が付いてるから…まぁ帯がないとなかなか映えないからだと思うけど。帯取って見ても面白いんだよね。これすごい、国書刊行会がこういう本をだすのってボクはすごく大好きだなーなんて思うんですけど。

今のボクに元気が出る悲観主義

 でね。ショーペンハウアーの考え方ってボクもう本当に不勉強ながら知らなかったですけど。すごく、そう、悲観主義とかね、ここからニーチェとかが生まれて、自殺論でしたっけ?とか、そういう話だからすごい暗い話なんだろうなーっていう意味で言うと、ここに書いてある「元気が出る悲観主義」って書いてあるんですけど。そうなんですよ。この世界は暗いから、その暗い悲惨な世界の中でどうやって生きていくのか?っていうことが書いてあるという意味で言うと、今のボクとかが読むにはすごい出会った意味という意味では、すごい出会う意味があったんだろうなーって思うわけです。
 で、どういうことかと言うとですね。そもそもこの世界というのは自分たちの意思でしか、意思で表されてるものなんだって言うんですよ。だから主観。客観じゃないって言うんですよ。客観的な世界なんてないって言うんですよ。これってなるほどなーとちょっと思うんですけど、つまり例えばある事件があったとするじゃないですか。何でもいいんですけど、ある事件があって、それを悲惨と思うかラッキーと思うかは、その事件というよりはその事件を自分がどう思うかという意思じゃないですか。だからすごい悲しいことが起こった、楽しいことが起こったというより、そのことを悲しいと思うか、そのことを楽しいと思うかっていう意思でしかないんだ、と。その意思というもにすごい左右されてるから、その意思に左右されてると人間やっていけないので、知性というもので生きていきましょうということが書いてあることなんですけどね。
 で、まずそうか、と。ボクは…まぁボクがアホなだけかも知れないんですけど、この世界に色んな事象がわーっとたくさん、色んなことが起こって、それが自分にやってくるときに、良いことはいいじゃないですか。嫌なことは嫌だな、止めようとか。でも止められなくて更に嫌になるとかね。まぁ色々あると思うんですけど、そういう風に外側のことを自分のものではないと思っていたというか。だから外と内、自分との間にバリアーというか疎外感というか。
 …だからエヴァンゲリオンは(笑) みたいな、エヴァンゲリオン論になっちゃうんですけど、一つの液体にしたかったんだな、世界を…みたいな風に、、、うん、まあいいんですけどね、ヴィレって出てきますけどね、シン・エヴァンゲリオンでね、あれって意思って意味ですからね、ドイツ語のね。だから、なるほど、庵野監督そういう意味だったんだなーって思ったりもするんですけど。
 まぁそれはさておき。そういう風に嫌なことは排除して良いことは取り入れよう。で、嫌なことも良いことも起こるのが禍福は糾える縄の如しじゃないんだけど、自分の人生なんだなって思ってるわけです。でも、このショーペンハウアーの考え方でいけば、それを、起こったことを良いと捉えるか悪いと捉えるかは結果自分の意思なので、自分なので、それが良いのか悪いのかってことを最初に防御する必要はないし、むしろ阻む必要はないし、やっぱり受け入れるしかないんだよなってことがすーっと来たんですよね。その受け入れた上でそれを良いことと捉えるか悪いことと捉えるかってのは自分の意思でしかないんだ。うん、なるほど、と思ったわけです。

その人は何者で、何を思い、どんなイメージを抱かせるか?

 でね、そこまでだったらまあ…なるほどなとは思ったけど、考えたことが無かったわけでもないことだったんですけど。…とするとですね、その意思というものにどうせ左右されてしまうんだから、この悲観的な世界において僕たちがどう悲観しないで生きていくか?ってことは結局自分の意思でしかないんですよね。うん、これってボクの中では革命的展開で、今まではボクがどういう人間であれ、(外部から悲しい・楽しいが自分に刺さる手振りをしながら)悲しいことがあったら悲しい!悲しい!悲しい!、楽しいことがあったら楽しい!楽しい!楽しい!って一対一の関係だったような気がしてたんですけど。そうではなくて、あることを自分の中で、自分の意思で悲しいと捉えるか?楽しいと捉えるか?は違うんだっていうことを気づかせてくれたんですね。そうなった時に、なんかね、要は陽気な方がいいって書いてあるんですよ(笑) うふふ、もうすごいぶっちゃけると。単純にね、陽気な方がいいですよ、と。うん、ショーペンハウアー先生は。
 つまり結局、人にはね、3つの規定があって①その人は何者であるか?②その人は何を思ってるか?③その人はいかなるイメージ、表層、印象を与えるか?他人はどう見てるか?みたいなことだと思うんですけど。

ひとりひとりが生きる世界は、何よりもまず、その人が世界をどう把握しているかに左右され、

うん、今言ったことですね、

それゆえ、頭脳の相違に応じたものとなる。

ってことはつまり、

頭脳次第で,世界は貧弱で味気なくつまらぬものにもなれば,豊かでおもしろく味わい深いものにもなる。

 そうなんですよね。だから自分が何か悲しいことがあって、悲しいって言ってるのは、自分が悲しいと思ってるからなんですよね、うん。そうなんだってちょっと思った時に、結局このショーペンハウアー先生が仰ってるのは、

落ち着いた朗らかな気質、明晰でものごとを生き生きと鋭く正しく把握する頭脳、節度ある穏やかな意思、ひいては曇りなき良心、こうしたものは位階も富もとって変わることのできない美点である。

うん。

換言すればその人がどんなものを所有しようとも、他人の目にどう写ろうとも、そうした全てよりも明らかに彼にとってはるかに重要なのは、彼自身にとって彼は何者なのか?ということだ。

 そうなんですよね。世界に悲しいことが起こるのは、もう起こるんですよ。楽しいことも起こるけど。それを何者の自分がどう捉えるか?っていうことだけ…だけというか、なのだということに、すごい気づかせてくれたときに、結局陽気でいた方がいいんじゃないですか?じゃあ…みたいな(笑) うん、自分に陽気さがあるか?ってことが、陽気であれってことが、大事なんだってことをね、言ってるんです。
 ……そっか、陽気さか、と。

陽気さは健康から

 だからここに書いてあるんですけど。

運命は変転するかも知れないが、己の性質は決して変わることがない。

 うん、だから運命とか運気とかね、ボク比較的運とか縁みたいな話しはずっとしてたと思うんですけど、その運というのはたぶん変わるんだけど、それを対応する自分側はそんなに性質は、生まれてからそんなに変わらないじゃないですか。

したがって、私たちの幸福にとって

そう、つまり幸福になるにはどうすればいいかって言うと、

気高い性格、有能な頭脳、楽天的な気質、心根が明るいこと、健康そのものの丈夫な身体、つまり健全なる心体に宿る健全なる精神

 がいいんだって言うね。昔の巨人の川上監督みたいなこと言ってる感じになっちゃうんですけど。つまり健康みたいなことが一番自分の陽気さが保てるからみたいなことでは、ある意味真理だとは思うんですけど。で、

さて、これら全ての中で最も直接的に私たちを幸福にしてくれるのは、心根が明るいことである。

 そうなんですよ。心根が明るいことが大事なんだと。ボクね、心根が明るいことが大事だって思ったこと無いんですよね。だからボクが2冊目に書いた「成功の神はネガティブな狩人に降臨する」というのは、ボク、前向きか後ろ向きかと言われたら前向きなんですよ。ポジティブかネガティブかって言われたら、めちゃくちゃネガティブなんですよね。それはつまりどう言うことかと言うと、前向きに何かやろうとすると、細心の注意を払わなきゃいけないし、すごい当たる風も強いから、ネガティブにならざるを得ないんじゃないか?ってことで書いたのが「成功の神はネガティブな狩人に降臨する」だったんですけど。…ポジティブでいいじゃん!っていう…、あ、そうなのか?!と。なぜならどうせ悲惨なことが起こるなら、ポジティブな方がそれをポジティブに捉えられるからってことなんですよね。

陽気さにとって富ほど役立たないものはなく、健康役立つものはない。

 って書いてあります。つまりね、陽気になろうと思いました(笑) いや、ボク比較的よく喋ったりするし、いつもニコニコ笑ってるし、バラエティプロデューサーって言ってるんで、角田さんは明るいですねって言われる割にはTwitterとか見てる人には時々闇のような文章を書いたりとかしてるんで(笑) 全然明るくないことは分かってるかも知れないですね。特にこのICUCとか見てる方にはね。でも、そういう意味で陽気さというものが無いんです…いや、あるんだけど。うん、ボクの中では本当は暗くて無いんだなと思ってるんですね。

陽子と電子

 で、これってボクの名前は角田陽一郎っていうんですけど、まさに陽気の陽、陰陽の陽、陽一郎の陽ってのは入ってるわけですね、太陽の陽。でね、これって名は体を表すってことじゃないと思うんですけど、すごい陽気の陽というのが自分の名前に入ってることって、ちょーっとだけコンプレックスだったところがあって。つまり俺は陽気じゃないのにな、みたいな。陽気じゃないのに陽って入ってるのがコンプレックスだよなーなんてちょっと思ってたことがあるんですよね。
 ところが、これって落合陽一さん、今をときめく科学者、ビジュアリスト、筑波の教授の落合陽一さんとね、対談した時にも落合さん本人にも言ったんだけど。落合さんは落合陽一って、だからボクの陽一郎の陽一と同じ陽一なんですけど、あれってお父さんの落合信彦さんが名前を付けた時に、陽一というのは何かというと「この世界の全て」って意味なんですって。この世界の全てというのはどういうことかと言うと、この世界の全ては陽子と電子でできてるじゃないですか。だから陽一の陽は陽子の陽で、陽一の一は”いち”ではなくて”マイナス”なんですって。つまり電子。つまり落合陽一の陽一は陽子と電子という意味で陽一って名付けたってことを聞いたことがあるんですね。それ聞いたときにああなんていい名前なんだって思った瞬間に、自分のとこにも名前があって、そうすると今までは角田陽一郎ってのは陽気の陽だし、一番だし、みたいな。陽気で一番じゃなきゃいけないのか?みたいなところが”いち”をマイナスと考えてもいいとすると、ボクの名前にもマイナスの部分があるんだってことを数年前に落合さんとね、対談した時に知って。ちょっとね、ほっとしたことがあるんです。救われたというか。だからボクはマイナスでいいんだなって思ったっていうのがあります。
 …で、ずーっと、ずーっと来たんだけど。このショーペンハウアーを読んでですね。あれ?やっぱり陽気な方がいいんだなって思ったって言うか。マイナス部分があることを否定してるわけではないんだけど、この世界をマイナスに捉えてしまうことが結果的にマイナスになってしまうんであるならば、マイナスに捉えなければいいんだっていう…うん、陽気になろうと思いました(笑) はい。なので、2021年5月の私の一番の変化は【 陽 気 に な ろ う 】でした。つらいことがあろうが、つらい世界であろうが、うん、誰か人が居なくなろうが、うん、悲しい出来事があろうが、裏切られようが、それで落ち込むことは当然あるんだけど、でもそれをじゃあ何か裏切られたみたいなものが…、裏切られたと考えればすごいネガにもなるけど、その人との縁が切れて良かったんじゃん?って思えばポジティブじゃないですかって思った時に、どっちに取るかは自分次第なんだなってことがスタンダードになるんだったら、どっちにも取れるという意味で陽気な方に取っといた方がいいんだなっていう。

アクターはポジティブ

 これはね、ボクの中での変化の中での、結構、最大限な変化かも知れません。ずーっとネガティブで、ネガティブだなーなんて思いながら、なんかこう、ね、生きてきたわけで。そこでこう…何でもいいんですよ?飲み会とかね、コンパとかね、立食パーティーとかね、ああいう華やかなものがすごい苦手なわけですよ。…な割にはバラエティ番組みたいなものを自分が作ってたりしてて。だから華やかなことが嫌いかというと、ロックフェスとか好きですしね。華やかな感じも好きなんだけど、なんかそこでネガティブな自分みたいなものをすごく感じてしまうことで、なんかすごい悔しさとかね、劣等感とかね、そんなものを感じてたんだなーと思うと、ショーペンハウアー先生の仰る通りじゃん、みたいな。だってその立食パーティー超楽しいなと思ってる人もいらっしゃるし、ロックフェス楽しいですよね。そう、だから良いことだって良いことの中でネガティブなことを感じてたボクって、ボクがネガティブなだけじゃんってことに、そのまま気づいたというかね。これってすごいすごいボクの中では大きな気づきでした。
 すいません。これ見てる皆さまはもう気づいてるのかなー、どうなんだろう?ボクは気づいてなかったですね。だからポジティブになりまーす(笑) ポジティブになろうかなーと思っております、うん。今までボクをポジティブだと思ってた人は本当にポジティブになりますってことだし。こいつネガティブだなーいちいち…って思ってた人は、お?どんだけ変わるのか見てやろうぜって思って頂けたらば、それはそれで面白いかなーなんて。実際変わらないかも知れないけどね。でもそう思うということが大事というか。そう思ってみようかなって思ったこともなかったんで。ネガティブな俺でいいやって思ってたんで。それはボクの中ではすごくすごく大きいなーなんて思ったりもします。
 今年の、今日、今回のね、最大の気づきって実はそこだなーなんて思ったりもしますね。でもそう考えるとね、例えばおべっかとか。角田さんすごいですねーとかって言われるのとかって、嬉しい反面、おべっか?とか、思ってたこととかもすごくあるんだけど、それってまさにそういうことですよね?その言葉を言葉尻で取ってなかったのは自分なだけであって。嫌味かよとかね、思いがちなタイプだったって。なんて嫌な奴なんだろうな、むしろ自分がっていう自己嫌悪になると陽気にならないから、”ここでならない”っていうところですよね(笑)
 これちょっと大きいんですよね。自分をバラエティ視点で見ようってのはボクよく言ってますけどね。バラエティのワイプ画面で見ようってね。自分の人生をこのワイプ画面がここにあったとして、ワイプ画面で見てみようみたいなことをよく言った時に、いやいや正面から見るとそうだけど、実はそれそういうことじゃないんですよね…みたいな目線で見るみたいなところがボクの中ではすごいあるのかも知れないです。
 それって何回か前に言ったアクター/リアクターみたいな話をしたと思うんですけど。うん、外部世界のリアクター…ああ!!今気づいた…。だから結局外部世界というものが別個に客観的にあって、それを主観のボクがどうリアクションするか?みたいなことがリアクターなんですね。ところがショーペンハウアー先生が言ってるのは、結局客観的なものをどう自分が主体、意思が…意思するか?っていうことしかないんだとするってことは、アクターになれってことなんだ。
 面白いね。だからアクター/リアクターみたいな話ってね、そもそもボクが修士論文かいたところのアクション/リアクションみたいなところからね、ボクの中ではこの2021年によく頭をもたげてくるテーマなんですよね。明日、昭和女子大で講義をするんですけど、そこでも、さっきレジュメ作ってたんですけど、テーマはあなたはアクターですか?リアクターですか?みたいなことを書いちゃったんだけども。それって結局アクターであるってことはポジティブでなきゃいけないんだってことだな。…いけないって言うとまたちょっと生きづらいけど。でもそうした方が結局生きやすくないですか?ってことをショーペンハウアー先生は書いてるんだよな。
 たぶん、ミシェル・ウエルベックはそこに考え方としてたぶん、こう…、すごい革命的な転換を…、覚醒をしたんですね、それを読んだとき。だからその小説の中でね、ウエルベックはね、ショーペンハウアー的な考え方ってすごいもたげてるっていうことがここに書いてありますけどね。影響してるというようなことをね、書いてありますけどね。

おはようを書いてみる

 だからってわけじゃないんですけど。自分が思ったことを今までも呟いたりnoteとかに書いてましたけど、もうちょっとポジティブな目線で書いてみようかなって、ちょっと思ったりもしました。だから例えば昨日の5月1日に書いた言葉ではですね。

おはようございます。
5月です。

何も持たないようで、実はすべての物を持っていると実感しなさい。

力を尽くす場を与えられている。
宇宙があなたに期待している。

幼年時代から抜け出せ、友よ、目覚めるのだ。

 これね、ボクいつも易やってるんですけど、易やってたときに頂いた啓示の言葉なんですね。だから宇宙があなたに期待してないって思ってもいいし、期待してると思ってもいいんだけど。力を尽くす場を与えられてると思ってもいいし、思わなくてもいいんだけど。思った方がいいんじゃないですか?ってことをたぶん、言ってるんだと思うんですよね。最後に書いた「幼年時代から抜け出せ、友よ、目覚めるのだ。」というのは、まさにこの本(ショーペンハウアーとともに)の第一章だったかな?…序文だ。序文のタイトルなんです。幼年時代から抜け出せ、友よ、目覚めるのだ。これをまさに昨日読んだからね。なんかすごいインスピレーションをもらって。
 ってことはその言葉を自分がインスピレーションを浴びた言葉をなんかこう、なんかこう…、ツイートするのとかもアリかなーなんて思ったりしてね、書きました。
 で、今日はね、5月2日だけど。だから毎日”おはようございます”やろうかな。やれるかどうか分かんないけど…とかなんて、ちょっと、おはようございますツイートしようかなーなんて思ったりもしてるんですけども。
 昨日はね、自分が最近あったなかなか上手くいかないこと、みたいなことをね、結構一人で悩んでたんだけど。

ボクがネガティブなツイート書くとね、「なんかあったの?」みたいなことを言うから、実はこういうことがあったんだよみたいなことを言ったわけです。そしたらね、ここに書いたようなんですけど。

おはようございます。5月2日です。
昨晩、友人からのアドバイス。
苦しい時は、

とりあえず口角上げて笑顔作る。
万歳して腕を上げる。
そしたらあれっ!?楽しいのかなって思うから、しんどくなったらやってみて。
逆風に逆らってもうまくいかない。
呼吸は大事だよ

 っていう言葉を頂いてですね。うん、そうかそうか、口角を上げる(笑) これで上がってるか(笑) うん。バンザイ。うふふふ、バンザイ!とかね。なんかでもそういうことかなーなんて思います。結局じゃあ陽気になるって何だ?って思った時に、結果的に広角をあげるぅぅくく(笑) 上がってるかな、ふふふ。だし、バンザイする、みたいな。バンザイするというのは万歳って意味もあるし、肩の凝りをなくすみたいなことも、つまりさっきの健康というかね、体が大事だってことに一つ、ひとつひとつ重なってることなのかなーなんても思うしね。

歯車が合う時

 そういう意味で言うとね、4月の頭にですね、人間ドッグ受けたんですよ。なんかずっとこの辺(肋骨辺り)が痛いとか頭が痛いとかホント嫌だったんで。で、もう、本当に結果が来るのが怖いなーなんて思いながら。4月の頭だったんできっとゴールデンウィーク前に来るだろうなと思ったら、本当に来てたんですね。だからまさに4月30日に来たわけですよ。で、見て、封筒を開けるの怖かったんだけど、封筒開けて見たらですね…。全然数値とか色んなものが問題なくて。ま、健康だってことが分かって、すごいほっとしたんですね。やっぱり去年親父が亡くなった時からね。親父もなんかこの辺がしこるんだーとか言ってたら癌だったみたいなところがあって。なんかそういうのって、思ってるから自分もちょっとこの辺が気になるなーみたいな風になるのかも知れないんだけど。ちょっと嫌だったんだけど、うん。結果的に健康だったっていう…また検査は定期的にやった方がいいなーとか思いながらもね。
 と思った時に、このウエルベックの本とショーペンハウアーの本とかを読んで、あ、そのタイミングでそれを…やってきたことをポジティブに捉えるってことはすごく…捉える…、またこの回転というか歯車みたいなものがやってきたんだなーなんて思ったりするわけです。
 だからね、このゴールデンウィーク皆さんいかがお過ごしですか?じゃないんだけど。自分の中では陽気さを取り戻そうというようなテーマがこの5月には課せられ…、課せるって言うとまた陽気じゃないなくなるな、5月に突如やって来たボクの中でのICUC的に言うと知的好奇心の向上するための一つの考え方の変換みたいな、ことなのかなーなんて思ったりもします。
 はい。そんなわけで今日はショーペンハウアーについて語った…という意味ではいつもよりは知的好奇心向上的なお話しだったのかなーなんて思いつつ、みなさんもね、このコロナ禍をですね、どう陽気に過ごすのか?ってことは人類全体のテーマでもありますからね。うん。まあ良いことも悪いこともありますが、うん、良いことも悪いこともあるけども生きていくんだだったら陽気にいきましょうよ…って言う。いきましょうよっていうのはGOって意味とLIVEって意味かも知れないですね。はい、英語が苦手だって言ってる私、これも先週も言いましたけど(笑) はい、そんな中で頑張って陽気にやってこうかなーなんて思っております。はい。そんなわけでバラエティプロデューサー角田陽一郎でございました。また来週よろしくお願いいたします。(笑顔で手を振る)あ、陽気だからちょっと手を振ってみた。うふふふ(^^)

文字起こし後の文字寝かし

(好き勝手に思った感想を書き残しておくことを文字寝かしと言うことにしました)

 またも編集さんと原稿を上げる日を約束した角田さん。ダメな時は無理しないけど、自分に発破をかける方法はやっぱり約束らしい。わかりみ深い(笑)
 夏に今から削ぎ落とす場所がはっきりし始め、冬に削ぎ落とすタイミングが来て、春に目を出すタイミングが来た。夏にはぐんぐん伸びるなかで51歳を迎え、秋が楽しみ。バンザイと上げた両手はアンテナのような、取水口のような、水を身に通せるように事象の流れに差し入れるよう。
 西原グループの西原さんが本の紹介に載せていらした中島輝著「自己肯定感の教科書」。私は友人に頂いた。第三章 自己肯定感が一瞬でパッと高まる方法 に”ヤッター!のポーズ”としてバンザイの効能が載っている。

 元気が出る悲観主義。これは角田さんの言う前向きなネガティブと同じだ。悲観主義…最近どこかで見たなと思ったら、pessimismだ。「レヴィ=ストロース入門」という本をゆーーーっくり読んでるところ。計算したら読了率19%。
 そのたった19%の中にあった元気が出る悲観主義に近い部分。コミュニケーションによって均質化しグローバル化した文明を用いて、自分たちの文化を差異化しようとすると、均質化したものの中から多様性が生まれるよ、と。そうして一度は失った多様性がまた生まれる可能性に賭けるというのは、レヴィ=ストロースの深いペシミズムから生まれた楽観的確信で、良い状態で差異化するには顔の見える関係が必要なんだ、みたいなことが書いてあった。文が難しいので意味を捉え損なってるかも知れないけど。均質化すれば多様に、多様化すれば均質に。波だ。
 波が動けば良いと悪いは反転するから、今の波の中がどうなっていて、自分がどうしたいか?悪い方を下に見るのではなく、良い方を無条件に取り入れるでもなく、対等なものとして取り扱いなさいと、ショーペンハウアー先生は言ってるのかな。今ベストが出せても波が動けばやり直し。いつもベストを尽くせるように、気高く明晰で、明るく楽天的に。

 角田さんの言うアクターの性質について考えてみる。自分を客観的に見るワイプ画面というのは、屋号の話と同じ。嫌なことは自分に起きたことではないと見なせること、客観的に物事を見ること。それは大事な一つの方法だけど、客観になりすぎるとボクも含めた事象の何もかもが他人ごとになってくる。世界の中に自分はいない感覚。ボクは何者か?が答えられなくなる。
 事象はフラットに見て、事象に対するアクションの方法としてポジにするかネガにするかの違いであり、ポジティブは良し、ネガティブは悪しと決めてかからないということだと思う。そうでないと自分がいつまでも世界に取り残される。外部世界の一部がボクである感覚を持つということかな。
 アクションとリアクションの違いも考えてみた。リアクションは盾、防衛。アクションは剣、攻撃…ではなく、外部世界への探検。攻撃は最大の防御だし、抗い方としても雑だと思う。外部世界的にも受け入れ難いだろうから、難が濃くなりそう。そうではなく、探して検める。探検するなら道具が必要で、道具にはポジ的なもの、ネガ的なものがあり、使いこなせるととても自由なんじゃないかと思う。外部世界のフリーパス。主観のボクが客観の外部世界を見ているのではなく、主観のまま外部世界に入っていく。その全部を客観的に見られれば一番良いのだと思う。ボクの人生をボクが客観視するだけなのはつまらないことじゃないだろうか。

 悲しいとかネガティブを色で例えるなら青だろう。そういう状態のことをブルーって言うし。でも爽やかさも同じく青。つまり明度と彩度が低いか高いかの違い。ポジとネガは反転するというICUC#46「ネガティブな世界へようこそ!」(2021年2月7日)での話し。今の自分に合う色を選ぶとき、明度と彩度まできちんと選び切ることがアクションなんだろう。
 そう考えると、華やかな場だから嫌いということもないことが分かる。好きはただ好き。一方で嫌いは色々と理由があったりするけど、好きにだって理由はあり、考え始めると好きも嫌いも理由が同じだったりもする。人はそんなに理由を捉えようとはしてなくて、嫌いに対する防衛手段、つまり言い訳として理由を考えてるだけなのかも知れない。

 期待してると思ってもいいんだけど。力を尽くす場を与えられてると思ってもいいし、思わなくてもいいんだけど。思った方がいいんじゃないですか?それは今まで角田さんが実践してきた思い込んでみるってことだ。行動に名前をつけてみるとか(例えばICUCとか)。これってアクションだったんだ。

 私がヘッドホンで聞いたからかな?微かにヒーリング音楽が流れてる………??

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