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ICUC-079_2021.9.26【ファミコンの終わりと祝!meiyoメジャーデビュー】

【ICUC知的好奇心向上委員会】の知的好奇心の向上&趣味の文字起こし。I see, You see ! Intellectual Curiosity Update Committee

新刊図書
『AP アシスタントプロデューサー』角田陽一郎著エパブリック
『仕事人生あんちょこ辞典』角田陽一郎/加藤昌治(ベストセラーズ刊)

角田陽一郎79「ファミコンの終わりと祝!meiyoメジャーデビュー」ICUC知的好奇心向上委員会

自分の中での最近の変化、ファミコンの終わりと、3年前にプロデュースしていたmeiyoのメジャーデビューが決まったことについて話しました。



meiyoの「なにやってもうまくいかない」ライフストーリー 1万字インタビュー
meiyo 【YouTube

角田陽一郎 オフィシャルwebサイト

mireva channel

動画の内容(+文字起こしメモ&感想)

父の一周忌

 おはようございます。角田陽一郎でございます。ICUC知的好奇心向上委員会、9月26日バージョンでございます、と。なんか、今ずーっと1人で作業してたもんで。で、今撮影しようと思ってプチッとRec.を押してですね、喋り始めたら、今まで何時間も喋ってなかったから、ちょっと言葉が出るのが、大変なんだな、と。あ、そういうもんなんだな、と。またちょっと新たな発見がありました。なんか比較的喋ってることが多いので、ずっとこうやって喋ってないで篭ってると、そういう風に感じるんだなーっていうのが不思議な感じでございました。
 えーと、本当はね。今日、久しぶりに海まで行って、海で撮影しようかなーとか思ってたら、ちょうどなんか雨っぽくなって来ちゃったんで。やめちゃったんで。そのままちょっと作業をしながら、結果、ちょっと…遅くもないんですけどね、夜になって。うん、日曜日の夜にこうやって撮るのもなんか久しぶりだなーとか思いながら。やっぱり朝に撮るのと夜に撮るのだと雰囲気が違うよなーなんて思いながら、今喋っております。
 でね、今日は何話そうかなーと思ってたんですけど。うぅーん、タイトルで言うとですね、『ファミコンの終わり』っていう話をしようかなーと思っておりました。うん、このファミコンの終わりってのは本当は1ヶ月前ぐらいからずーっと話そうかなと思ってたんですけど、なんかこう、自分がこう、小説を書いたのが先月で…発売したのが。で、そこで思いの変化みたいなのがあったので、その前の思いの変化だったファミコンの終わりという考え方を喋る機会もなく。そこから1ヶ月くらい経っちゃったんですけど。
 なんでそれでも話そうかなーと思ったかと言うと。昨日、去年の8月に亡くなった父の一周忌をですね、やってきたんですね。で、8月に亡くなったんだけど、本当は8月に一周忌をやろうと思っていたら、コロナでね、ちょうどボクの親族がコロナに罹っちゃったんで一周忌が出来ないよねって話になって、じゃあ治ったらやろうってなって、この1ヶ月後ぐらいの、ちょうどお彼岸ぐらいでいいんじゃないの?って話で昨日やってきたわけですけど。
 で、その時にね。親族って言ってもボクの兄妹なんですけど、兄妹が「どうする?一周忌。」みたいな。ボクはその兄妹に「まかせるよ。」って言ったわけですね。そうしたら、「なんか一周忌が遅れてやるのもなんだねーなんて話も聞くんだよね」みたいなことを言うので、「あ、そうなんだ。」と。で、「一周忌って遅れてやるとなんだねって言うのは誰が言ってるの?」って聞いたら、「なんかそんな話を聞いた」みたいなことだったんですね。なのでボクはその兄妹に言ったわけですよ。「任せる」と。やるもやらないも。で、「やるもやらないも任せるんだけど、なんか一周忌って遅れてやるとなんだよねーみたいな感じでやめるのはやめない?」って話をしたんですね。やめるでもいいんですけど、別に、もう一周忌って考え方を無くそうという考え方もあると思うんで。そうじゃなくて、なんか遅れたからやめよう、遅れると縁起が悪いからみたいな、根拠のない縁起みたいな話ってすごい出てくるじゃないですか。なんかそれがすごく嫌だなーと思ったんですね。
 で、さらに言えばね。じゃあそこに根拠があるとするじゃないですか。じゃあ一周忌は亡くなった時からちょっと遅くなってやるとなんだよねっていうのが仮に根拠が(笑)あるとして。あったとして、今コロナという未曾有の非常事態なわけですよね。だって京都の祇園祭ってもうずーっとずーっとやってたのに無くなったんですよね。うん、だから、つまり、ちょっと遅れて一周忌をやるということが普段だったらもしかしたら良くないことってのは仮にそうだったとしても、だったとしても今回のコロナは許されるんじゃないかなと思ったっていうことを言ったんです。つまり祇園祭ですら無くなっちゃう。もうずーっと何百年も続いていた祇園祭ですら無くなっちゃうくらいの未曾有の事態なのに、一周忌を1ヶ月遅らせることはダメなのか?と(笑)うん、だから、なんか慣習みたいなものがどれぐらいの縛りがあるのか分かんないですけども、そういうものをぶっ飛ばすぐらいの未曾有の危機なわけだから、じゃあ祇園祭止めちゃっていいの?みたいな話になっちゃうじゃないですか。っていう話をして。(笑)まあ、面倒臭い兄貴なんですけど。そしたらまあ、やりましょうってなって、昨日やってきたっていういう感じです。
 樹木葬なんですけどね、うちの親父。それでお経読んで貰って、そのお墓に行って、と。で、集まったみんなで飯を食べてみたいな感じで、まあそんな大事でもなく、さらっとやったわけですけど。でね。なんかボクが一周忌で思うことというのがつまりファミコンの終わりってことなんですけど。

ファミコンの終わり

 ファミコン、ファミコンって何だ?っていう(笑)話なんですけど。ボクたぶんファミリーコンプレックスだったと思うんです。これはずーっと、ボクは高校くらいかずーっと言ってるんですけど。自分はマザコンかな?いや、マザコンでもないよな。言わんやファザコンでもないよなって思った時に、何コンかな?と思うとファミコンだなーという。ファミリーコンプレックスみたいなものをずーっと抱えてたんだよなーと思うわけです。まあ、ちょっと親父の仕事の関係もあったんで、なんかこう角田家というものが世間から孤立しているみたいなね。このファミリーは守らなくてはみたいな、こう…長男的な悩みなのかも知れないし。悩みでもないんだけど、なんかそんなことをずーっと思ってたりもするなーって、ずーっと思ってたんです。
 それはずーっとずーっと続いてて。それこそ40代になった時とかは、なんか親の年齢みたいなものがあって、親と旅行とか行けるのももうそんなに無いんだよなーとか思いながら、元気なうちに色んなところ行っておくかみたいなね、ことをやってたんで。ここ10年くらいは比較的、毎年、親と年末とか夏とか旅行に行ったりしたよなーとか思いながらね。
 で、まあそんなことをやりながら去年亡くなって。で、1年経って。──ぅぅーん、その、だから自分の親が亡くなるってことはすごいショックなことなんだろうなーなんて思ってたんですけど。1年経ってですね、1年経ってと言うか、亡くなった直後もそうなんですけど、そんなに悲しくないんですよね。あ!こんなに悲しくないんだーみたいな。人の死がと言うか、親の死がと言うか。それこそボク、ムーンライダーズって敬愛する大好きなロックバンドがありますけど、そこのドラムのかしぶち哲郎さんって方が何年か前に亡くなっちゃいましたけども。その訃報を聞いた時、ボクはあまりにショックだったなーっていう思いがあるし。今年で言うとチャーリー・ワッツが、ローリングストーンズの、亡くなったってのは、すごいショックだなーと思うんですけど。自分の父の死ってのはそんなにショックじゃないんだよなっていう、ちょっとそういう目線があるわけです。
 でも…何なのかなーと思った時に、じゃあチャーリー・ワッツが死ぬことが悲しいのに、自分の父が死ぬことが悲しくないのは何でなんだろうなと思った時に、つまりボクの中での父が亡くなったことでファミリーコンプレックス、ファミコンというのが終わったんだなってことを何となく気付かされたわけです。
 うん。どいういうことかと言うとですね。例えば子供とかって、自分の子供は可愛いとか。自分の子供は可愛いって言うのはつまり自分の子供じゃない子供は可愛くない。あるいは可愛いけど自分の子供よりは可愛くないみたいな感じで、つまり自分の血縁というものをすごい大事にするものですよね、一般的に。それは一方で自分の親とか。自分の親という年寄りは大事だけど、じゃあ自分以外の、自分の血縁ではない年寄りは大事じゃないのか?大事か?というと、昔はボクは、何となく、…なんか、うるせえなジジイとか(笑)、ちょっと思ってた気がするんです。だからそのファミコンを持ってたっていうのは自分のファミリーに対してはすごい親近感を抱いてたんだけども、あとの人間たちは自分に対して、自分たちに対して、敵対的行為を取るんじゃないかな?っていう風に思ってたというか。
 それってだから会社に入った時もね。会社に入った時もADになった時とか、先輩のディレクターとか、製作スタッフとかがもう色々しごきというか厳しいことをね、夜中の何時に電話掛けてくるとかやった時に、ああコイツら全員自分を殺そうとしてるんだみたいな。たぶん他者に対しての敵愾心みたいなものをすごい持っていて。その他者ってのは個人対他者と言うよりは家族対他者というような感じのファミリーコンプレックスをボクは持っていたと思うんだけども。それがす、す、す、す、すぅ──っと無くなったんですね。
 つまりどういうことかと言うと、子供は自分の子供であれ自分の子供じゃないであれ、全員可愛いというか。みなさんそういう風に思ってるのかな?分かんないけど。子供ってのはもうなんか人類にとって未来じゃんというか。みんな可愛いみたいな。みんな大事だみたいな。若者というのは…なんかムカつく奴は時々いますけど、でも、それでもムカついてないというか。なんかこう人類にとって若者がリーディングしてくれよ、みたいな風に思ってるし。じゃあ自分より年上の自分の親世代のお爺ちゃん、お婆ちゃんみたいなものは、自分の血縁であろうがなかろうが敬うべきではないか?っていう風に、なんか敵愾心みたいなものがすーっと消えたんですよね。

凶器と狂気

 なんかだからそれをこの父の一周忌の翌日に撮っているICUC知的好奇心向上委員会で今日ボクが言ってるのってのは、つまり自分の中ですごいヒューマニティみたいなものが元々あったのか無かったのか分かんないんだけど、なんか芽生えたって意味では、実は自分の父の死というのはすごく良いことだったんじゃないかなーなんて思ってるというか。その良いことだったんじゃないかなーって思ってるという感じが…、あ、ボクの中でのファミコンが終わったんだなっていう風にも思うし、なんか他者に対しての敵愾心みたいなものがボクはすごくなくなりました。うん…前はありました。なんかすごい仕事とかでも寄ってくる人とかがいると、俺を利用しようとしてるのか?みたいな。今はなんか利用されてもいいかな(笑)とちょっと思ってるというか。
 分かんないです。自分がその世界、地球の中でむしろ結果的に親が亡くなりとか、どんどんこう孤立化して行っている中で孤独感を感じているからこそ、なんかこう、接続、世界との接続とか社会との接続を求めてるのかなーとも一方で思います。客観的に見れば。そうなんだけど、なんかね…、逆に言えば親族だから大事にしなきゃいけない理由は何なんだっけ?という風にちょっと思っちゃったのかも知れないですね。儒教的な考え方というか。それを親族じゃなくても拡張すべきではないか?という、他者というものに対して…という。なんか前は他者への絶望しかなかったんだけども、今は他者への慈しみがある中で、でもやっぱり他者とのコミュニケーションが出来ないという意味では絶望してるというか(笑) だから(笑) なんていうんでしょうね?絶望感は変わらないんだけど…、うん、絶望感は変わらないんだけど、ボクの中では違う絶望なんだよなってところがちょっと…知的好奇心っぽくないですか?っぽくないかな(笑) なんて思ったりするんです。
 だからね、そんな思いを本当に文章にしたためてるんですけど。本当になんか、なんか、したためたの…なんだったっけなー。ちょっと読みますね。えーと、ちょっと待ってください…、あ、これだ。まさに昨日つぶやいちゃったんですけども。凶器、武器の凶器ね。あと狂う方の狂気。凶器と狂気という文章を書きましたけども。



凶器と狂気

つらい。消えてしまいそうだ。
とか書いてるうちは、大丈夫なのかも。
というか、大丈夫なのかもとか書いてみて、大丈夫にしている自分がいる。
つらいときには、つまりそれくらいしか人はできないわけだ。
ってことも、だいぶこんな感じで生きてると学んでる自分がいる。
それは老若男女変わらない。

他人の本当の気持ちは自分にはわからない。
自分の本当の気持ちは他人には伝わらない。
つまり本質的には、気持ちというのはどうコミュニケーションしても、相手には伝わらないものなのだ。
それ前提で、どうやってくか?
悲しいかな、それが現実なのだ。
その現実で、どう生きてくか?

伝える?
言葉で伝える?
でも言葉は、ときに凶器だ。

黙る?
何も言わない?
だからといって、沈黙も、狂気をときに誘発するのだ。

 っていう文章をね。なんか昨日の夜、だからその一周忌が終わって、なんか夜ずっと、ソファに寝っ転がってたのかな?なんかすごいつらかったんですね、なんか。このつらかったってのは、だから、親の一周忌だからつらかったとかでもないんですよね。今言った気持ちがすべてかも知れないですね。

他人の本当の気持ちは自分にはわからない。
自分の本当の気持ちは他人には伝わらない。

 っていう。これ逆に言えば、ファミコンなボクの時は、親は分かってくれるだろうとかね、家族は分かってくれるだろうと、ちょっと思ってたんだと思うんですね。今は家族だろうが、恋人だろうが、愛情を持っている人だろうが、友人だろうが、やっぱり本当の気持ちは自分には分からないんだろうな──。ってのは、相手もボクの気持ちは分からないんだろうなっていう。ってことは、つまりその気持ちってものはそもそも存在してるんだっけ?みたいな。ゲーデルの不確定性、ゲーデルの不確定性原理みたいなね。森の中でバターンッって木が倒れて音があったとしても、その音を誰も聞いてなければその音はなかったんじゃないか?っていう(笑) うん、なんかその人の思いなんてものは、実は思ってるという事実は自分の中ではあるんだけども、それが相手には伝わらないし、自分も伝えることが出来ないんであるならば、(笑)つまりその思いって無いんじゃないかなーなんて思ってる中での、ちょっとこう、絶望感みたいなものを感じたから、この文章を書いちゃったんだけども。
 こんな暗い文章を書かない方がいいよなーなんて思いながらね。うん…でもまあ、思いながら書かないって言ってる自分も嫌だなーと思ったから書いちゃったっていう、もうなんかすごい錯綜していて面倒臭いですね。こんな面倒臭いね、おっさんは何なのかなーなんて思いながらね。まあ、そんなことを思ったのが昨日の一周忌。まあ、ファミコンの終わりっていうのは、本当にこの1年ぐらい思ってて。なんかすごい…うん…、実感しているなーと思います。
 なんか今まではね、なんか困ったら親に助けてもらおうとか、やっぱり思ってたのかも知れないですよね。この歳になっても。うん──。なんかだから、その、親の死が悲しくなかったっていうことがボクの中では、それ以上に悲しいことがたくさんあるんだなっていうことが、なんか面白いといか。…面白い、悲しいのを面白いと言うのもまた面白いというか(笑) なんかそんなことを思ったりもします。はい。

meiyo

 あとはね。meiyoくんって言うアーティストがいるんですけど。これですね。じゃーん!これ。「羊の皮を被った山羊」これ2018年かな?に、ボクらがね、マネジメントというかプロデュースしようってなってやってたmeiyoくん。それが…、2018年にそうやったんですけど、2019年の3月ぐらいでそのボクらとの関係は無くなるんですけど、まぁ色々あって。無くなるんだけども、そこから彼はね、本当に…。彼と彼が信頼してる仲間たちとやってて。ね、なんとメジャーデビューがね、ユニバーサルレコードから決まって。昨日、まさに、配信されたというおめでたいことがあってね。
 で。何が言いたいかって言うと。その出会ったのが2017年?16年?…17年か、に出会って、番組やってて。ボクは「イク天」って言う番組、「イカ天」って番組が昔ありましたけど、あれをパクって「イク天」っていうのをBS-TBSでやってたんですけど。つまりイクゼ、バンド天国!!なんで、バンドとして何週勝ち抜くとチャンピオンになりますよみたいな番組をやってて。そこにmeiyoくんはまだmeiyoくんって名前になる前のワタナベタカシくんがね、来てて。で、ボク彼の曲すごい…ドラム叩きながら歌うんだけど、すごい好きな感じだったんで。彼は結局その「イク天」ではすぐ負けちゃうんですけども、その後なんか連絡を細々と取り合ってた時に、じゃあちょっと彼の…、ボクもね、TBSを2016年に辞めて2017年からフリーだったんで、なんか自分たちでミュージシャンをマネジメントするのも楽しいかなーと思って、meiyoくんのマネジメントを2018年にやり始めるわけです。
 でも、こう、やっぱり他人のマネジメントってなかなか難しくてね。ボクらにも芸能界とかのことは知ってるとは言え、やっぱりなかなか、なかなか難しいところがあったんで、その…やっぱりちょっと出来なかったんですよ。で、2019年の3月ぐらいでね、結果的にやめちゃって。で、そういう意味で、そこから──だから…2年半くらいもう彼とは全然連絡を取ってなかったんだけども。その間にTikTokでね、彼の曲はバズって。そしてなんかそれをたぶん切っ掛けにメジャーデビューまで行ったっていう。
 で、何が言いたいかって言うと。彼本当に才能があるんで、その才能が認められたということがボクは嬉しいなーというのと。才能があると思ったボクらの考え方、ボクの想いは間違ってなかったんだなって言うか。ここはあえてセンスと言わせて頂ければ、彼にセンスがあるなーって感じ取っていたセンスは間違いじゃなかったんだなって思うと、ちょっと嬉しいというか。ってことは思うんです。
 ところが、それこそ2年半くらい連絡取ってなかったんですけど。だから、ちょっとね、当然こうマネジメントをやめようみたいになったってことだから、まぁ、そこはもう細かく言うのはなんですが。そんなに、こう、いい別れではないわけですよね。うん。まあ、色々、色々…双方に双方の色んな想いがあるんだと思うんだけども。何だけど、まあ当然ボクらの中でね、メジャーデビューするんだよ、やっぱりmeiyoはキタね!みたいな話をしてたら、うちのスタッフだった人がね、角田さん連絡してますか?って言うから、meiyoと。全然してないよって言ったら、この機会に連絡してみたらどうですか?彼も大人になったんじゃないですか?みたいなことを言うんで、そっかーと思って、それこそ2週間前ぐらい前に送ってみたんですよ。
 ご無沙汰だね、と。メジャーデビューおめでとう、と。心の底から嬉しいです、と。才能があるのは間違い無いから頑張ってください、みたいな。そしたらね、すぐ彼から返信来て。当時は人間として本当に諸々至らずご迷惑をおかけして申し訳なかったです。これからも何卒よろしくお願いしますってメールが来たから、そこからちょっとね、大ヒットを願ってます!どんどん行っちゃってください!とか。そしたら…「そう言えばなんですが。あり得ないと思うんですが。少し前、高島平の牛角で1人飯してましたか?」(笑)みたいな。そんな…してねぇよ!みたいな。まあそういうやり取りをなんかやったりしてね。めちゃくちゃ似た風貌のネルシャツ的なものを着た人が1人で店から出て来て、ボクの乗ってる車に似てるのに乗ってったから、角田さんかと思った──みたいなことを書いてて。ちょっと面白いなーなんて思ったんだけども。

没有/迷羊

 まあ、そんなやり取りして。で、なんかね、これってつまり彼はどんどん行って欲しいなーとも思うし。それこそ、これ。1stアルバム、これはサンプル版なんですけどSpotifyとかでは聴けるんで、まさに羊の帽子を被った…、これワタナベアニさんって写真家に撮って貰った写真なんですけど。ま、結局、ボクらはこれしか、これを作って幕張メッセで1回ライブと渋谷のライブハウスでデビューライブをやって、というぐらいで終わっちゃったんだけども。これ、やっぱりすごいいいアルバムだなーと思います。
 meiyoって名前はね、そのワタナベアニさんが見つけて来たんですけど。中国語で没有(メイヨウ)って”何もない”って意味なんですよね。だからSpotifyとかでmeiyoって名前が出て来たら、なんかそれこそワールドワイドに活躍するアーティストになって欲しいから、中国人爆笑するんじゃないかなーと思って(笑) 何にもないのかよ!みたいな。それはちょっと面白いなーって思ったんです。
 で、彼ってちょっとこうひ弱な感じだから、この羊の皮を被った山羊って1stアルバムのタイトルはボクが付けたんですけど。羊の皮を被った山羊って言うのは実はこれはあれですよね、ビー・バップ・ハイスクールでノブオ君ってのが紹介される時に「こいつはまさに羊の皮を被った山羊」みたいな。つまり羊の皮を被った狼でもなくて、羊の皮を剥いてもさらにヤギで弱いって言う感じ(笑) それとこのmeiyoくんの繊細さとすごい合ってるなーって思ったんでタイトルを付けたんですよ。
 で、meiyoって名前はアニさんが付けてきて。つまり中国語のnothingからなんですけど。そしたらある時meiyoから興奮気味にメールが来て。聖書でよく迷える子羊よって出てくるじゃないですか。迷える子羊たちって、聖書でね。迷える子羊たちって昔の聖書とかみると迷羊って書いてあるんですよね。迷える羊で迷羊。ああ、そっか!meiyoって迷える羊って意味もあるじゃんと思った時に、またその故事を全然知らないのに羊の皮を被った山羊ってタイトル付けてたんですよ。ああ、だから羊の皮を被った山羊っていうタイトルをボクが出して来たのと、meiyoって名前をアニさんが出して来たのを、このワタナベタカシくんが採用して出来たって言うのは、彼の迷える感じが…今のね、1stシングルの名前、タイトル、「何やってもうまくいかない」って曲ですけど(笑) 何やってもうまくいかない感じっていうのを迷える羊のmeiyoだなっていう意味では、すごい合ってるというか、面白いなーって思ったりしたわけです。
 だから、なんて言うんでしょうね、彼、米津玄師さんと同い年なんですよね。だから当時から米津さんとかすごい売れてて、悔しい思いを彼とかがしてたんだなーなんて思うんだけど。うん…本当はね、ボクらで彼を盛り上げられればよかったんだけど。ボクなんかに…まあボクもね、自分のプロデュースもちゃんと出来てないのに他人のプロデュースなんてなかなか出来ないんだなっていう。番組のプロデュースも難しいけども、まあなんとかやれるのは10年20年のノウハウがあるから出来るんだなーと思って。イベントとかも、ロックフェスとかもやりましたけども、なかなか色んな大変なこともあるけど、まあなんとか形になったんだけども。人間をプロデュースするってのはまたなかなか難しいんだなーなんてことはこのmeiyoくんとの間でね。人間ってのは…プロデュースってやっぱ商品ですからね。で、一方で個人ワタナベタカシというのが居るという意味で、まぁ個人角田陽一郎が居ると言う意味では、なかなかすごい、難しいことでもあるんだなってことを教えていただいたって意味ではすごい勉強になった。なったし、そこからね、人のプロデューサはもうやめようかなーってちょっと…自分のプロデュースで精一杯じゃんって思ったってところはあります。

世界の決まりの決められ方

 一方で、なんかボクらは少数の人数で色んなエンタープライズというかをやってますけど、なんかその中でビジネスみたいなものとエンタメをくっ付けようみたいなところで言うと、新しい芸能界の形みたいなものが今すごい現れて来てるから、なんか才能があったらね、その才能のある人たちと組んでマネジメントみたいなものをやろうみたいなものがボクらの仲間内では話してたりしてて。またアーティストとかね、俳優さんなのかね、文化人なのか分かんないけど、そういう人たちとなんか組んで面白いことやれたら面白いなーなんてのは一方で思っています。だからもしかしてこれを聞いて、見てる、ICUCを見ている方でそういう方がいたらね、なんか連絡とか頂ければね、なんかやりたいなーなんてのは思っています。
 あの、ここに『AP』ありますけど。小説ね。はい、小説、ありますが。なんとかドラマ化したいなーなんて思うんですけど、これもなかなか、プロデュースって難しいんだよなーと思いながら。まあ読んで頂ける方が多いと何かが変わるんだろうなーと思いながらやってますけども。この『AP』ってね、全部で6章あるんですけど、6章全部、曲のタイトルになってるんですね。1章が「メトロポリスの片隅で」ていうのはユーミン。2章の「時代は回る」ってのは中島みゆきさんで。3章の「夢の途中」ってのは来生たかおさんで。4章の「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」ってのはサンボマスターで。5章の「夏の扉」ってのは松田聖子さんと「サマーゲート」を掛けててSMAPなんですね。6章が「新しい世界」ってのがASIAN KUNG-FU GENERATIONなんですけど。
 本当にね、meiyoくんと一緒にやってる時とかも、このボクの中での『AP』って構想はあったんで、1章の中に彼のアルバムに、このアルバム(羊の皮を被った山羊)に入っている「数字は嘘をつかない」っていう面白いタイトルの曲があるんですけど。数字は嘘をつかないってまさにテレビのね、視聴率競争みたいなことを描いているこの『AP』だと、あれじゃないですか、すごい、こう、意味が被ってくるんで。本当に、実は、何章かの一つに「数字は嘘をつかない」って名前を入れてみようかなーなんて思ったこともありました。ただ結果、入んなかったんですけどね。もし仮に『AP2』が発売される、書くことになったら、「数字は嘘をつかない」って名前入れちゃおうかなーなんて、えへへ、思ったりもしています。
 はい。まあ、今日はファミコンの終わりって言うのと、祝!meiyoくんのメジャーデビューという話の2つの中で、ある思いを呟いてみた、喋ってみた感じの知的好奇心向上委員会でございました。そういう意味でね、今週で言うと、あともう1個は。noteって、文章を書くところでちょこちょこボクは書いてますけども。本当にね、数日前にですね、今ボクは「世界はすべてバラエティになる」ってところで文章を書いて、「今すぐ君をぶっとばせ」ってマガジンで呟いてるみたいなものが呟いてるんですけど。3日前にですね、もう1個フィクションをちゃんと書いてみようかなってふと思い立ち、3日前に作りました。そのマガジンのタイトルは「世界の決まりの決められ方」っていうタイトルなんですけど。何で「世界の決まりの決められ方」ってタイトルなのかはまた機会があれば次週以降で話そうと思うんですけど。うん。フィクションをちょっと書いてみると…。まあフィクションと言ってるのはつまり小説ほどの文章を書くのは無理なんだけどっていう意味で、書いております。最初に書いたの「All things must pass.」っていうジョージ・ハリスンの曲、たまたま流れて来たんですよね、車でね。そのことと聞いてるうちに、ああ、あんかフィクションを書いてみようと思ったって言う。…全然フィクションじゃないじゃないか(笑)という話なんですけど。はい、そんなことを書いておりますし。昨日は悲熊っていう、悲しい熊って書いて悲熊(ひぐま)っていう、本当にもう、本当に大した文章じゃない文章を書いておりますんで、もしよろしければご覧ください。バラエティプロデューサー角田陽一郎でございました。

文字起こし後の文字寝かし

(好き勝手に思った感想を書き残しておくことを文字寝かしと言うことにしました)

 急に話し出せない。1人喋りが出来るだけでもすごいことなんだけど。私は気軽に話せる相手ならいいけど、滅多に話さないご近所さんとか、「コキア、一つ持っていかない?ドライフラワーに出来るよ!」と言う見知らぬ老婆などに声をかけられた場合は全く上手く話せない。(コキアは老婆の教えに従い、立派なドライフラワーになった。)

 私はどちらかというとファミコンの逆なのかな。私は1人だけ家族から浮いている気がするというか、少々家族に対してマウントを取っているというか、私は彼らとは違うという線引きを自らしてるように思う。別にそんなに大袈裟に思ってるわけじゃないけど。
 親からの信頼はしっかり感じてるし、弟と妹に対して私が姉なんだという感覚もしっかりあるけど、大人になり、結婚して家を出て、私だけ離れた場所に暮らすようになり、細かい事情が分からなくなる。それと同時に、私が人の感情に引きずられやすいと自覚し始める。そうしてあの頃、私の中で家族から親族へ、親族から他人へと自然と変化していったんだと思う。
 結婚式の誓いの言葉で「病める時も、健やかなる時も、 富める時も、貧しき時も」があるけど、私は誰にもそう覚悟する気がないんだと思う。子供がいないのも大体そういう理由。夫に対しては覚悟というかそういうもんかもねとは思う。猫たちにだけはハッキリ覚悟があって、『あの世で「ボクは世界で一番幸せな猫だったんだ」と自慢できるように』を猫に約束している。去年逝った彼らはそう出来たと思う。角田さんのファミコン、ファミリーの部分は、私にとっては私自身なんだと思う。

 家族が亡くなってそんなにショックじゃないというのは一般的な気がする。ほとんどは歳や病が、そこはかとなく周囲の人に覚悟を持たせてくれると思う。だから突然の訃報の方がショックだ。私の場合、父も猫も事前に覚悟が出来ていた。腕の中で看取った猫の方がショックは大きくて、今でも思い出すと涙が出るのは猫。看取るというのもひとつの覚悟だ。
 心にぽっかり穴があいてても案外仕事も家事もやれる。ただ確実に会えない存在…存在と言うと間違ってるのか、存在しなくなったわけだから──機会がなくて会えないことと、死別の感覚の違いはあるかも知れない。寂しさよりも、心にぽっかり空いた穴の分だけ心に占領部分があって、それを意識せざるをえなくなる。ブラックホールができる感じかな?引力があって、黒いのか暗いのかよく見えない。なんとか見ようと試みてしまう。
 角田さんはファミコン部分にブラックホールが出来たんだろうか。そこで他にも何かが引き込まれたり、引っ張られて歪んでたり。一生懸命知ろうと試みるけど、把握しきれない。自分が変わっていくことは結構つらい。前後左右にフラフラ、疲れてしまう。そういう時こそ日にち薬なんじゃないかと思う。確実に長期投与だけど。

 私の父の死は環境の変化のただのひとつだったけど、あの頃に自分の性質だけ残して、それまで育てて来た生意気な性格や考えは一旦全部崩れた感じがある。人が苦手なことは変わらないんだけど、仕事で人に会うことで崩れた部分の復興が進んだのは明らかで、その事にとにかく驚いた。これが育ち直しみたいな感じで面白かった(今思えば)。私は手先以外は何でも不器用で、動きはゆっくりで、人があんまり好きじゃないけど好きな人は大層好きで、ときどき、見知らぬ老婆に話しかけられたりする、そういう人との交流をとても楽しむ人間なんだと知れた。やっと根拠のない自信の、根拠の無さが理解出来た感じだ。人付き合いは苦手だけど、私が生きていられるのも人がいるからだ。

 今回の話を聞いていて思ったのは、誰かに「わかって欲しい」と「分かられてたまるか」、これはやっぱり同時に存在するってこと。互いの気持ちは伝わらないということは、逆に伝わったとしても伝わったんだと分からないってことじゃないかと思う。だから出来るだけ伝えようと思うことと、聞いて理解しようと思うことしか出来ない。どうせ相手に伝わらないし、気持ちの存在すら不明なら、毎回自分の都合のいいように解釈してもいいのかも知れない。だから相手に敬意ってものを払うんじゃないかな。

 他者に対しての敵愾心。例えば二人乗りの船でAさんとBさんのどちらかしか助けられない時、どちらを助けるのか?二人を乗せて自分が残るはなし。敵愾心ってそういう人を選ぶ行為に似てる気がする。上手く言えないけど、それが「親族だから大事にしなきゃいけない理由は何なんだっけ?」になるというか。

アクセル ブレーキ なんもかも思い通りに
アクセル ブレーキ 僕にもできそうだな
安全運転 愛する人と二人でドライブ
君とドライブがしたいのさ だから頑張っているのさ
たまに荷物も運ぶのさ 駐車場でチュウとかするのさ

 この曲とドンドラのよりプー、今でも好き。猫カフェに行った時、お腹の上で猫が寝ちゃうのが好き。あの時やろうと思って頑張ったけど上手く行かなかった。その後ボクたちの手を離れたところで咲いた。そのとき喜べる、嬉しいってことは、あの時ちゃんと頑張れていたんだって、ちょっと誇っていいんだと思った。私にもそういうことがあった気がする。今ひとつそうやって離れていきそうなものがある気がする。ちょっとだけ覚悟を持っておこう。

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