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ICUC-063_2021.6.6【レミゼラブルとアメリカンユートピア】

【ICUC知的好奇心向上委員会】の知的好奇心の向上&趣味の文字起こし。I see, You see ! Intellectual Curiosity Update Committee

参考図書
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角田陽一郎63「レミゼラブルとアメリカンユートピア」ICUC知的好奇心向上委員会
デヴィッド・バーンの『アメリカン・ユートピア』評判以上に素晴らしかった。なんてカッコいいんだ。曲、演奏、メッセージ、舞台演出、スタンス、表情、あらゆる全てがカッコいい。絶対観るべき!!爆音で観たい!
『レ・ミゼラブル』観劇。20代40代今回と人生で3度目かな?ほんと素晴らしい!号泣。
自分も歳を重ねて、Les Miserables と無情が複数形である真意がようやくわかった気がする。
というような話をしております!
ぜひご覧ください!

角田陽一郎 オフィシャルwebサイト

mireva channel

動画の内容(+文字起こしメモ&感想)

デヴィッド・バーンを知ったきっかけ

 おはようございます。角田陽一郎でございます。バラエティプロデューサーでございます。6月6日の知的好奇心向上委員会 ICUC でございます、と。すいません、まだ寝起きだからちょっと声が枯れてるかな?大丈夫かな?はい、あの、なんかね、まだ梅雨になってないんですよね。なってないけど今日は雨が降ってるか降ってないかぐらいのどんよりした朝でいございますが。私はですね、昨日ですね、これです、早速話ししちゃいましょう。じゃーん!映画「DAVID BYRNE’S AMERICAN UTOPIA」スパイク・リー監督のですね、ライブ映画を観てきたんですけど。素晴らしく良かったので、もう今日はこの話にしちゃおうみたいな感じです。
 何が良かったってね、あらゆるものが良かったです。デヴィッド・バーンがカッコいい。だからまあこれを一言で言うならカッコいいなんですよね。でも一言で言うならカッコいいってことに色んなことが消えてしまうんだなってことも、なんか今回改めて気づかされたなーみたいな話なんですけど。
 デヴィッド・バーンというかトーキング・ヘッズはカッコいいよなーなんて最初に思ったのはですね、それこそ今から四半世紀前にTBSテレビに入った時に音楽好きのボクの3つ?4つ?上の先輩がいて。2つ4つ5つ上か…6つ上だ?!なんだあの人6つも上なのか…。6つ上の先輩がいてですね。で、音楽好きで、君はどんな音楽が好きなんだね?って言われて、ボクはムーンライダーズ好きですって言ったら、「ああ、ムーンライダーズ。君はいい趣味してるね。」なんて話をされた先輩がトーキング・ヘッズのですね、「ストップ・メイキング・センス」というライブビデオを絶対いいから観なさいって言われてDVDくれたn…VHSだったな当時は!VHSくれたんだよな。でね、カッコ良さにハマったというかカッコいいなーなんて思いながら、そこからデヴィッド・バーンが新作出たら聞いたりとかね、それこそトーキング・ヘッズを適度に流したりとかしてたわけです。

ロッカーの行進

 で、今回ね、このアメリカン・ユートピアって言うのは…、──こういう情報って入れた方がYouTubeではいいんでしょうけど、そんなの知りたい人は勝手に調べりゃいいのになーなんて思うんですが──。「映画の原案となったのは2018年にデヴィッド・バーンが発売したアメリカン・ユートピアである。この作品のワールドツアー後、19年の秋からブロードウェイのショーとして再構成された舞台が始まり、その斬新な内容は大評判となった。映像化の可能性を考えていたデヴィッド・バーンはスパイク・リーに声をかけ、映画化をスタート。」ということで…(咳) すいません、咳しちゃいましたけど、ということで映画化になったっていう意味で言うと、元々アルバムがあってワールドツアーをやったものをブロードウェイで、ある意味ミュージカルというか舞台演出してるんですよね。それがすげぇなーと思ったんですけど。
 だからライブなんですよね。で、ポイントはやっぱり…、──ポイントはって言うかこの映画観た方がいいから、もう…やっぱりダメだ、ホントYouTubeの解説向いてないな、なんかそんな説明しないで観りゃいいじゃんって思っちゃうんだよなー、説明なんか聞かずに…って思うんだけど。──楽器を全部コードを排してるんですよね。全部ワイヤレスでやってるっていう。だからみんなが、ドラムの方とかギター、ベース、シンセの方も。デヴィッド・バーンもギター弾きながらだけど、基本的には縦横無尽にステージ上を動き続けるんですね。その動きがね、すごいダンスだったりとか、ブラスバンド的な、行進しながらロックやる。この行進しながらロックみたいなものってね、基本カッコいいですよね!…カッコいいですね。歩きながらロッカーたちがやる感じね。昔 JUN SKY WALKER(S) のアルバムで「A Ru I Te I Ko O」ってアルバムもそういうジャケットでしたけども。あれも歩いてるようなジャケットだけどドラムの人は座ってるから歩けないじゃんなーなんて(笑) 思った記憶もあるんですけども!そんなことはさておき。やっぱなんかね、ムーンライダーズでもね、時々舞台上に降りて来て皆んなが…吟遊詩人?大道芸人?のように音楽を奏でながらね。ムーンライダーズの場合はバイオリニストの”くじら”さんがいらっしゃったりとかね。アコーディオンの岡田徹さんがいらっしゃるから、すごい大道芸人っぽさが増すんですけどね。まあ、ムーンライダーズの話になってしまいましたけど、それは置いといて。

歌詞に見る Stop Making Sense

 だからその感じがですね、素晴らしく、演出がシンプルなんだけどカッコいいわけですよ。それはカッコいいなーっていうことではカッコいいんですけど。今回あれじゃないですか、映画だからね。曲の訳が付いてますよね。それってジョージ・ハリスンの「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」っていう、ジョージ・ハリスンのドキュメンタリー映画を見た時も思ったんだけど、普通に曲を聞いてても曲に歌詞が乗ってますよね。そうするとボクみたいな英語ネイティブじゃない、あるいは英語ネイティブじゃない以上に英語がそんなに出来ない人は音楽を感覚で聴いちゃってるから、たぶん洋楽ってボーカルもインストゥルメンタルというか、ボーカルも楽器のように聴いてるんだと思うんですよね。それでいいと思うんですけど。だからよっぽどのことじゃない限り意味をそんなに把握せず聴いてるなーなんて思った時に、例えばジョージ・ハリスンで言えばジョン・レノンとポール・マッカートニーの作詞のすごさみたいなことは何となくは十二分に理解してた上で、ジョージ・ハリスンってどっちかと言うと上手いギタリストなんだよなーなんて思ってたところ、「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」を観て、実際のハリスンの詩とか考えてることとかを知ると、なんだただの三番目のビートルズじゃないじゃん?!みたいなことに気づいたっていうこととかもあるわけですよね。
 で、今回のデヴィッド・バーンのアメリカン・ユートピアもまさにそうで。デヴィッド・バーンの詩はなんか哲学的というかすごい啓示に富んでいる、悪く言えば頭でっかち…、トーキング・ヘッズですからね。と言うような風に言われてるということぐらいは知ってたから、知ってたけど…、もう、まざまざと一曲のね、詩の翻訳を観ながらライブを見るとですね、その歌を歌って軽妙なトークというかをやって、また歌を歌うっていう、基本は普通のライブの繰り返しなんだけど、その選んだ…曲のチョイスとメッセージ性、デヴィド・バーンが言いたいこと、伝えたいこと、それがなぜアメリカン・ユートピアなのか?ということが…。アメリカは本当にユートピアなのか?っていうアンチテーゼみたいなものに包まれながらも、アメリカン・ユートピアについて語ってる…歌うように語ってる、think like talking ?…語るように歌う、talk like sinking ?まあ(笑) どちらか分からないけども、そういうような感じが出てくるから、すーんごい1曲1曲のメッセージ性が心に沁み入ったわけですよね。これは文章で今こうすべきだ、こうあるべきだ、人間はこうだってことじゃなくて、AメロがあってBメロがあってサビに詩としてそういうデヴィッド・バーンの考えてることを…考えてるというか、センス?「ストップ・メイキング・センス」ってね、彼のライブ・ドキュメント・ムービーはそういうタイトルですけど、メイキング・センス…。
でもメイキング・センスすることを彼は否定してるというのは何となく今回のライブのね、MCでもね、うん…、つまり自分の感覚をどこまで信じるのか?信じないのか?みたいなことをすっごく啓示的に語ってるんでしょうね。そういうことが…ね、だって歌の歌詞ってそれほどの情報量がないのにそれほどの情報量があるというか。うん、素晴らしい。業界用語で言うとバラスーシですね。本っ当にバラスーシですね。本当に良いものを観たなーというか…良いものを観たなーなんて思ってね。

歌詞に驚く Road to Nowhere

 で、ボクはデヴィッド・バーンというかトーキング・ヘッズで一番好きな曲というと、皆さん聴いてる、昔…TOYOTA じゃない、HONDA!HONDA の車のCMで使ってたね、「ロード・トゥー・ノーウェア」って曲がありますよね。あの曲のオープニングというか前奏から始まって歌が始まる感じってすっごい「ロード・トゥー・ノーウェア」みたいな感じがして良いよなーなんて思ってたんだけど。今回ね、当然その曲を歌うわけですけども。奏でるわけですけども。舞台上でパフォーマンスするわけですけども。歌詞が出て来てて。あっ、こんな!こんなに良い歌詞なのか!っていうことをね、まざまざと。うん、まざまざと思ったって言うことが…すごいなーと思って。で、調べちゃいましたよね、歌詞。で、調べてそれこそ日本語訳している方の…方というか自分で見てみてなるほどなーなんて思いながら。たまたま、カタ、カチ、カシ…カチ(笑) 日本語訳してる方のブログでたまたま見つけたものでちょっと読んでみますけど。

「Road to Nowhere」 Talking Heads 日本語訳

僕たちは自分たちがどこへ向かっているのか分かっているが
自分たちがどこにいるのかは分からない
僕たちは自分たちが知りえることは分かっているが
自分たちが見てきたものを語ることができない

ね、いいでしょう?(^^)

僕たちは幼い子供ではないし
自分たちが欲しい物は分かっている
未来ははっきりしているから
未来を仕上げる時間を与えて欲しいんだ

僕たちは行き先の無い道の上にいる
行き先の無い乗り物に乗って
加わって行かないか?
僕たちはそれに乗るつもりだ

今朝の僕は気分が良い
君には分かる思う
僕たちは楽園へ繋がる道の上にいる
さあ、行こう

僕たちは行き先の無い道の上にいる
行き先の無い乗り物に乗って
加わって行かないか?
僕たちはそれに乗るつもりだ

たぶん君は自分がどこにいるのか不安になる
僕は気にしない
ここにいれば時間は僕たちの味方だから
君をそこへ連れて行くよ

僕たちは行き先の無い道の上にいる

僕の心の中には街がある
一緒に乗って行かないか?
大丈夫だよ
全ては上手くいく

そこはとても遠いけれど
日々大きくなっている
大丈夫だよ
全ては上手くいく

一緒に行きたくないのか?
君ならば僕がこの歌を歌うことを助けられるのに
大丈夫だよ
全ては上手くいく

君が何をするべきか言える者たちは
君をバカにするようになる
大丈夫だよ
全ては上手くいく

僕の心の中には街がある
一緒に乗って行かないか?
大丈天だよ
全ては上手くいく

そこはとても遠いいけれど
日々大きくなっている
大丈夫だよ
全ては上手くいく

一緒に行きたくないのか?
君ならば僕がこの歌を歌うことを助けられるのに
大丈夫だよ
全ては上手くいく

君が何をするべきか言える者たちは
君をバカにするようになる
大丈夫だよ
全ては上手くいく

僕たちは行き先の無い道の上にいる

 ね!…ね!って言っちゃった!うん、なんかカッコいいっすねー。うん、そりゃあ……ずごいですよ。売れますよ。売れますよって言うとまた急に資本主義みたいな話になって、さっきのこの中でちょっと批判的に書いている「君が何をするべきか言える者たちは君をバカにするようになる」って。すごい啓示に富んだ詩だなーと思ってね。
 ボクは今、5月からね、毎朝おはようございますツイートというか、おはようございますインスタをしてるんですけど。さっそく今日、6月6日私が朝7時に呟こうと思って、起きたら7時20分で、あ!ちょっと遅れたー!なんて思いながらも…。
 ちなみに何で7時にしてるかと言うと、ヨーロッパって時差が7時間なんですよね、今ね。だからそれをちょうど7時に呟くとヨーロッパでも日付が変わってるというような意味も含めて。…アメリカの日付が変わるところだともう朝じゃなくなっちゃうなーと思いながら(笑) まあ、そんなことはさておき。はい。地球の裏側の人たちも日付が変わったところでおはようございますって言ってるつもりではいるんですけども。
 で、ボクがなんて6月6日に呟いたかというと。今の歌詞をちょっとね、引用して。つまりTwitterって140字だから、140字しか呟けない中でいつもその日の朝の気分というか…を、呟いてるんですけど。

おはようございます。6月6日です。
「どこへ行くのか知ってても
どこにいたのか誰も知らない
何を知ってるか知ってても
何を見たのか誰も言えない
今朝の僕は気分が良いのさ
君には分かる
僕たちは楽園へ向かう道の上にいる
さあ行こう
僕たちはあてのない道の上にいる」Road to Nowhere/David byrne
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 と言う風に呟きましたね。ちなみにこの後にいつもひと言、ふた言、その先人達というか、先輩達、同僚達、有名人、あらゆる人が言った…格言、ボク格言だけだと面白くないなーと思って、格言だけにしてないんですけど。

格言より今朝の感覚おはようツイート

 なのでちなみに昨日、6月5日はなんて
呟いたかというと。

おはようございます。6月5日です。
「アホだなぁ そうだよアホだよ
アホだなぁ それがどーしたアホだよ
アホだなぁお前女を追っかけまわしてまたドジしてる
いつの間にか俺フラれてて
次の日また人を好きになる
アホだなぁ そうだよアホだよ」軟式globe
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 っていう(笑) 「学校へ行こう!」のね。で、ここにひと言書いてある。

アホであることは解放であるそうだよアホだよ

 って書いたんですけども。そうそう、だからこのおはようございますTwitterとかインスタはそんなに格言めいたことばっかりだと嫌だなーなんて思ったりして。あ、で、だから何でそんな風に思ったかというと。その前日、6月4日。(笑)話が進まないな。6月4日にボクは何を呟いたかと言うと。

おはようございます。6月4日です。
「もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」新約聖書マタイによる福音書6章14.15
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 で、ひと言書いたのが。

ゆるしこそインタラクティブであることに気づけるか

 って書いたんですけど。その6月4日で聖書まで行っちゃったから、またちょっと、ぅぅ〜ん、なんて言うんですか?著名人の格言だと、格言ばっか言ってるオヤジは嫌だなーと思ったんで、6月5日はそうだよアホだよ〜みたいな軟式globe にしたんですけど。いつも明日の朝は何書こうかなーなんて、ちょっと前日ぐらいから考えたりもしてますが。…昨日観ちゃったんでね、デヴィッド・バーン、アメリカン・ユートピアのロード・トゥ・ノーウェアの一節を書きました。
 なので140字たっぷり使っちゃったから自分のひと言コメントは書けなかったんですよね。だからあえて自分の言うひと言コメントを今言えればね。でも別に自分のひと言コメントを言ってもしょうがないのかなーなんて思いながら言うとですね。…あれですね。うん、なんだ、上手く言えないけど、デヴィッド・バーン、カッコいいな!かな(笑) うん、カッコいい大人はカッコいいっすね。本当に。デヴィッド・バーンって69歳?68歳とか?ぃやあー、カッコいい。自分のカッコいい人になりたいなーなんて。…カッコいい人になりたいなーと思ってる段階でカッコよくないんですけどね。ただ…う〜ん、いいですね。そういうカッコいい大人を目指そうかなーなんて思いましたっていう感じですかね。

4回目の Les Misérables

 で、あともう1個ね。歌、舞台、歌というとですね、ボクね、久しぶりにこれ観に行って来たんですね。「Les Misérables」 レ・ミゼラブル。戦う者の♪って、これもまた、なんか今日は歌ばっかりになっちゃいますけども、観て来ました。ミュージカル/レ・ミゼラブルでございます。
 もう号泣だな。もう曲、曲、毎に号泣ですね。ああ、そうそう、だからアメリカン・ユートピアって映画じゃないですか。だから1曲終わった後に拍手したくなっちゃうんですよね。で、レ・ミゼラブルはミュージカルだからね、1曲終わった後に皆んな拍手するから拍手しちゃうし。だからアメリカン・ユートピアも、あれなんかちょっと音量低かったんだよなー。映画館によるのかな?でもそういうことを他の、Facebookで書かれてる方もいたから…。ああいうミュージック映画はもう本当に爆音までとは言わないまでもライブを見るぐらいのボリュームで掛けたらどうだろう?なんて思いましたけどね。なんか別個に爆音上映をやるか?みたいな話…爆音上映でアメリカン・ユートピア観た方がいいなーなんて。なおかつ1曲終わったら拍手みたいなのを絶対やった方がいいのになーなんてちょっと思いながらね。
 まあそんなことはさておき。レ・ミゼラブル、観て来ました。いやぁ、本当にこの、これ、これ良いですねって言うか、元々ボクはあれですからね、フランス革命が卒業論文なんですね。卒業論文のテーマがフランス革命とナポレオンなんですね。簡単に言うとナポレオンという独裁者が生じたことは革命なのか?革命じゃないのか?っていうことを、そんなことをちゃんと分析出来てるかどうかは分かんないけど書いてた。でも逆に言えば、分析出来てないのにそういう論考を書いてるっていうのは、その後ボクは「最速で身につく世界史」でもね、あれって世界史の通史を書いてるんですけども、その中でフランス革命のところが一番面白かったって言われましたからね。だからそういう意味ではその論文の延長線上にもあるし、逆に言うと論文でちゃんと文献を調べてそうなってるか?というと、ボクの、どちらかというと気持ちだけで書いてるという意味で言うと、ボクが学者じゃないことを露呈している卒論だったなーと思うんですけど。
 まあそんな感じでフランスの革命みたいなものには結構自分の中で熱い血潮、自由平等博愛みたいなものにはやっぱりキュンキュンきちゃうんですけどもね。
 で、レ・ミゼラブルは19世紀のパリコミューンでしたっけ?そうじゃない…フランス…、あれですよね、何月革命かの時ですよね。時代的に言うとね。で、レ・ミゼラブルはね、だから最初に観たのは20代のときですね…学生の時じゃないかなー?学生の時の20代の時に1回観てるんですよ。で、その後30代の時も観てるんですよね。うん、1回観てる。で、ボク今50ですけど今回50で観て。で、40代の時は観てないのかな?と思ったら、あれですよ、ラッセル・クロウの映画がちょうど40代、2010何年とかですよ、2年とか3年とかぐらいだなーと思って。するとボクは20代30代40代50代とレ・ミゼラブルを舞台では3回…う〜ん、と、思うんだよな…もう1回ぐらい観てるかなぁ?まあ、4回、4回目、映画も入れれば4回目のレ・ミゼラブルだったわけですけども。

4回目で知る Les Misérables

 いやぁー、すごいな。うん、よく出来てる。で、よく出来てるなーなんて思いながら、今回観てやっと分かったのは、と言いながらビクトル・ユゴーの噫無情(ああむじょう)、レ・ミゼラブルをやっぱり2時間半ぐらいの舞台に収めてるからどんどん駆け足で行くし、ジャン・バルジャンが出て来て途中で何となくコゼットというか、つまりちょっと革命の話になってくるとジャン・バルジャンの比重が落ちてくるから、話がなんか…散漫だとは言わないけども、あれ?ストーリー展開が…。まあ、しょうがないよな、こんだけの大作をミュージカルでやってるんだから。でもパート、パートのね、「夢破れて」とかね、”革命の歌”とかね、…”革命の歌”じゃなくて何だっけ?えーと…”革命の歌”でいいんでしたっけ?タイトルね、もう、すいません、どんどんアバウトになって来ますけども……あと「黒と赤の歌」とかね。レーッド♪みたいな。ブラーック♪みたいな。うっふっふ、すいません、もう、もう。あ、「民衆の歌」!ね。”革命の歌”じゃなくて「民衆の歌」。調べて良かったですね。戦う者の歌が聞こえるか♪とかね。
 あとねぇ、そうそう、シャベール、警察官ね。の、独唱とかも舞台で観た時にはジャン・バルジャンの敵役じゃんみたくね、思ったけど。実はシャベールの方にも「星を」って歌が、「Stars」っていう歌とかね、それとかもすごいカッコいいなーってことは、むしろ映画で分かりましたね。映画の部分見ててカッコいいなーって思ったっていう。うん、とかありますよね。
 で、そんなことを思いながら今回レ・ミゼラブルを久しぶりに観て分かったことは、これ、”レ”・ミゼラブルなんですね。les(レ)ってだから英語で言うと the の複数形ですもんね。le(ル)、la(ラ)の。…複数形なんですよね。ミゼラブルって悲劇とか。だから噫無情って言われてますけど、無情とか悲惨さ。複数なんですよね。悲惨達みたいな(笑) 無情達なんですよね。だから無情なことが、あらゆるものがジャン・バルジャンに襲ってくるからレ・ミゼラブルなんだなーなんていうことだと思ってたら、今回改めて観て思ったのは、あらゆる人が悲惨なんですよね。だって可哀想じゃないですか、女の子、…また名前がパッと出てこない…、えーと、えーと、マドレーヌみたいな名前(笑) 雑やねんそんな…。えーと、ちょっと待ってくださいね、ここまで言ったら調べますよ。えーと、マリウスのことを好きなエポニーヌね。エポニーヌ、可哀想ですよね。(笑)とかってシンプルに思ってましたけども。でもそれって追ってるジャベールだってレ・ミゼラブルだし、ジャン・バルジャンは全くその通りなんだけどね。で、その時にジャン・バルジャンはね、それでもジャベールを逃すし、コゼットのためにとか。あとマリウスのためにね、色々頑張る。これって自分が20代30代で観てる時にはその場面場面の良さしか分かってなくて。全体の、ジャン・バルジャンの罪と赦しみたいなものに対する彼の思いみたいなものって頭では分かってたんでしょうけど、今回観たときに…うん、レ・ミゼラブルなんだな人生はって思って。
 その中でレ・ミゼラブルをどう自分の中で対峙して行くか?ってなった時に、最初は逃げたんですよね。でも逃げたけどそこで終われてた中で自分としてはもう他の他人に施しをする、…施しをするからってことでもないのかも知れないけども、なんかそういうことがすごく大事だってことを彼は結局するしか、もう生きて行く…、生きて行く…なんて言うんだろうなー、ことが出来なかったというか。生きて行く…、うん、ってことに気付かされたんですね。

復讐も赦しもインタラクティブ

 だからボクさっき6月4日にね、聖書のことを引用しましたって言いましたけど、それってこのレ・ミゼラブルを観た思いが強いのかも知れないですね。『もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父、つまり神、神もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父、神もあなたがたの過ちをお赦しにならない。』うん、つまり赦しっていうのはインタラクティブなんですよね。だから復讐ってのももしかしたらインタラクティブなのかも知れないけども、復讐ってのはインタラクティブってことは復讐したら復讐し返されちゃうって意味で言うと、復讐の連鎖が延々と続くんですよね。それって個人個人もそうだし、国家とかもそうかも知れないしね。だからどこかで赦さないと相手も赦さないっていう風なものでもインタラクティブだし。その赦すという行為で、自分が赦したっていう行為が自分の中で起こるとたぶん神は赦してくれるんだろうなって思える。うん。それが生きて行くってことなんじゃないかなーってことで、やっぱり自分がこの2020年から21年にかけて一番変わったこと、前も言ったかも知れないですけどね、右の頬を打たれたら左の頬を差し出せの意味が分からなかったんだけど。それこそ去年、親父の死みたいなものに接してみて、ちょっと分かったっていうところがあって。
 あとね、なんかその…信頼してた人に裏切られるとかあった時に、なんで裏切られたんだろう?って悲しみとか悔しさ、寂しさ、憤り、みたいなものもあるけども、それも実はインタラクティブなんだよなーなんて思った時に、それに対して自分がじゃあなんで裏切ったんだ?俺も裏切ってやるぜ!ってなってしまうのか?その裏切ったという事実を赦す…、赦すって言うとなんかすごい上目線で言ってるような気がしますけど、上目線ではなくて、自分の中で赦す。うん、…ことが出来ない限り、自分も赦されないんだなーって。だってボクもね、裏切り…したつもりはないけども、それでも数々の人にご迷惑をお掛けして…って、急に日本のサラリーマンっぽい言い方しますけども。うん、ボクも様々な迷惑を掛けられてますけども、たぶんそれ以上に掛けてきて、という掛ける掛けられるみたいなことをずーっとずーっとやって来た時に、人は誰もが公明正大ではないわけで。そんな中でも、なんて言うんでしょうね、どう生きて行くか?って思った時に、自分が公明正大に生きるぞ!と思うよりは自分の罪を赦してねって思う方が人はたぶん赦されるんだろうなーというか。うん…。だってずっと公明正大に生きられるわけじゃないですからね。

アートは時代の先行指標

 ということをですね、レ・ミゼラブルを、それこそ30年目で観てですね、すごい感じました。で、結局ね、そのデヴィッド・バーンのアメリカン・ユートピアも、レ・ミゼラブルもそうなんですけど、それ自体の表現の素晴らしさみたいなものがあるわけですね。だからそれはデヴィッド・バーン、トーキング・ヘッズの楽曲の良さみたいなもの、レ・ミゼラブルの舞台の構成の仕方とか。そういうものに魅せられてるというのでも当然いいわけですよ。エンターテイメントだから。でもそのエンターテイメントだけど、その中の深さみたいなものがすごい深く入るって、すごいなーなんて思った時に、パワー・オブ・エンターテイメントって言うか、エンターテイメントの力をまじまじと、まじまじと感じさせられたのがこの6月第1週の最後である6月6日かなーなんて思いますね。
 いや、すごいことをすごい様に…なんて言うんでしょうね、すごいです!って書く場合もあるけど、すごいなんて1ミリも言わずにその凄さを表現できるって、すごいなーって思ったってことですかね。これは本当にすごいことなんだなーって(笑) すいません!結局ボクはすごいしか言ってないんだけど。うん、だからね、6月3日にはボクはなんて書いたかと言うと。

「アートはしばしば時代の先行指標として機能する…“科学”の予見力はもう少し鈍いし、現行の社会と関わりの深い“技術”はさらに遅く、現実の重荷を常に背負っている“政治”は最後の最後に時代に追いつく」
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 っていう。神里達博さんのね、文明探偵のところで書いた…先週言いましたよね、そのことも書きましたけど。つまりエンターテイメントというかアートというか、そういうものってやっぱり時代の先行指標であるべきだっていう…、あるべきか、べきっていうとちょっと違うんだけど、そう思った時に、その凄さっていうのをどうアートとして表現するかっていうのがたぶんデヴィッド・バーンのアメリカン・ユートピアも、レ・ミゼラブルも、凄い。だから人の心を打つんだなーって思って。で、このICUC 知的好奇心向上委員会なんてのは、そういう意味では真逆ですよね。自分がこう思ったってことをダイレクトに言っているというか。まあそういうものも必要なんだろうね…とは、思います。思うんだけど、なんかね、自分のレ・ミゼラブルな世界の中でどうやって行くか?どう…アメリカンかは分かんないけどユートピア、どうロード・トゥ・ノーウェア、あてのない道の上にいる自分としてはどういうことをやりたいかな?と思った時に、まさにめちゃくちゃ先行指標になるような作品群に出会えたってことが今日の一番の収穫でございました。皆さんも何かエンタメのパワーで癒されるいいですねみたいな(笑) すごい漠然とした感想で(笑) 今日のICUCを終わりにしたいと思います。また来週よろしくお願いいたします。

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文字起こし後の文字寝かし

(好き勝手に思った感想を書き残しておくことを文字寝かしと言うことにしました)

 アメリカン・ユートピアの爆音上映。「あつぎのえいがかんkiki」に驚音スクリーンが1つる。そこで上映しないかな。7月か8月ごろにあるかな?kikiはスクリーン1、2、3とあって、3で鑑賞者私一人ってのはやったことあるんだけど、驚音は未体験。ただ、私の鼓膜はポンコツだから大きい音は鼓膜がビリビリ鳴って逆に聞こえない。以前たまたま目の前でオペラ鑑賞できたときも、聞くためてに手で耳を塞ぐという逆転現象が起きたし…驚音でアメリカン・ユートピア、観られるといいな。

 行進しながらロックって見たことない。珍しいものではないのだろうか?確かにドラムの人は??と思う。中高と吹奏楽部だったけど、体育祭の入場でマーチングバンドみたいにやろう!とか言い出す先生がいて、結局ドラムどうすんのよ?!って話になった気がする。
 マーチングではないけど思い出したのは父の会社の運動会。私は幼稚園児だったかな?チームの先頭でプラカードを持って歩くというものを当日いきなり言われて。親の行事に行くのも面倒なのに、嫌だったなーあれ(笑) ただその時に渡された大きくてがばがばの大人用の白い綿の手袋が宝物みたいに思えてね。

 確かに説明なんかしなくても観たいと思った人が見ればよくて。なんかコトブキさんの「僕は紹介した映画を観てみたいと思ってもらうように解説したい」ってお話を思い出すな。紹介するって難しい。基本的には自分がイイと思った部分をネタバレなく話すでいいんだろうか?だから自分が面白いと思えないものは紹介できない。自分の嗜好の外で面白さを見つけられることも大事。

 デヴィッド・バーン、1952年5月14日生まれ、69歳。トーキング・ヘッズは1974年から1991年までだから、彼が22〜39歳のとき。「Road to Nowhere」は訳すと「道なき道」。道なき道とは道のない場所を進む、道はないのに道があるかのように進むさま。「Stop Making Sense」は訳すと意味があることをやめろ。
 「大丈夫だよ 全ては上手くいく」って、未来は分かんないけど僕は僕としてやって行くんだと決めたんだという、まさに道なき道を歩くと決めたって意味なんだろう。本当は大丈夫かも上手く行くかも分からないから、まさに「行き先のない道の上」なんだけど、そもそも道もなさそう。で、できれば君と一緒に行きたい。君が何をすべきか言える者たちというのは、資本主義とか、常識的に考えること、ということかな。
 カッコいい大人。角田さんは私的には世界一カッコいいのであって、こんな人がいるのか!と思ったんだけど。カッコいい大人はカッコいい大人になりたいなと思ってる人が多いと思う。言い換えればカッコいいの追求をやめないからカッコいい。カッコいいと思ってるかカッコよくあろうを放棄してるのはただのつまらない人ってことじゃないかと。

 フランス語の The にあたる Le(男性形)、La(女性形)、Les(男女関係なく複数形)。あれ?私なんでそんなこと知ってるんだろう?と思ったら、前回のラ・フランス!あとトイレ!これを調べてて知ったんだ。すごい偶然&繋がり。物に性別はないんだけど、これは Le で、これは La で、と決まりがあって。そうそう、トイレは複数形で Les なんだけど、フランス人もなんでトイレが複数形なのか分からないって話だ。
 勉強好きじゃなかったけど、たまたま、…現在 ICUC にずっとくっ付いてるのもたまたまだけど、たまたま調べて知ったことがあって、急に役立つ時が来る。それがすごく楽しいし嬉しいし面白い。seasoning でアイデアの出し方の話があったけど、これも結局同じだ。きっと何でも役に立つ。いつ、どう、役に立つかは分からないけど、調べる時は一瞬の「へぇ!」のためだけでもいいから物事を知ってみる。…過去がいきなり役に立つって、それって道なき道で全て上手くいくってことなんじゃないかな?

 「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」私を打ちたい相手というものをそのまま受け入れろということなのかな?と、検索してみると面白い学会誌の記事があった。要約を引用すると、、、

 「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」『マタイ』5,39 というイエスの言葉は現代人にとっては,おそらくトルストイとガンジーの影響と思われるが,「悪に対し悪を以って報いてはならない」と いう無抵抗,無暴力主義を表明したことば,あるいは暴力による報復を禁止したことばであると解釈 している人が多いように思われる.しかしアウグスティヌスはまったく違う解釈をしている.「右の頬」とは霊的なあるいは天上の善きもの,「左の頬」とは肉的あるいは地上の善きもので,どちらも善きものであることに変わりはないのだが,どちらを優先すべきであるかはキリスト教徒にとっては明白である.そして「左の頬をも向けなさい」とは「右の頬も左の頬も打たれるままにせよ」という意 味ではなくて,「左の頬を向けることによって右の頬を打たれないようにせよ」という意味にアウグス ティヌスは解釈する.つまり「肉的な善きものを犠牲にしても霊的な善きもの(特に信仰)を守りなさい」という意味に解釈している.
http://www.kawasaki-m.ac.jp/soc/mw/journal/jp/2002-j12-2/4-hayashi.pdf

 とのこと。そもそも頬も打つことも例え話ということなんだな。仏教では肉体は魂の入れ物でしかないというのと似ているし、磔にされても精神は信仰を守っているということなのかも。
 これ、1頁目しか読んでないけど、聖書には「右の手には長寿を,左の手には富と名誉を持っている」など左右を対比させる箇所がいくつかあり、これをカトリックの教義の礎を築いたといわれるアウグスティヌスが聖書解釈の鍵にしているという話から始まっていて、なんか面白そう。時間作って読んでみよう。

 私は裏切られたことはないはず。どれも思いの行き違いだったと思う。特に私はいわゆる重い人なので他人に期待し過ぎるところがあるから、思い通りに行かないし、迷惑かけることも多かったと思う。最近だと何度話してみても書いてみてもどーしても分かり合えない人がいて、些細な一言で「頑張っているから応援したいけど彩さんはおバカさん」と思ってるんだと分かったことがあった。私が今までに行こうとしなかった道だと思って進んでみたけど失敗した、損した、後悔した、間違った自分が恥ずかしいし、今後はずーっと隠さなきゃと思ったけど、時間が経つと見え方も変わって来た。赦した感覚ではなくて、どちらかと言うと糧に変えた感じだけど、赦すってそんなものなんだろうか?それとはまた全く違うものなんだろうか?赦すと手放すは同じだろうか??

 ずっと公明正大に生きられたら人じゃなくて神では?と思ったけど。神様、神話って結構ひどい話が多い。気に入らないから天から落とすとか、姿を動物に変えるとか、気に入ったら星にするとか。感覚として分からないし、人の方が理性的じゃない?と思うけど、そもそも生きものが生きるというのは、実はかなり残酷で醜く見えるということをE•M•トーマス著「遊牧の戦士達」か「ハームレス・ピープル」で読んだ。狩猟生活で優秀な戦士だったのに蛇に噛まれて片足を腐り落とした男とその妻。生きるために街で治療と生活ができるようにと著者はまず服を与える。するとそれだけの理由を十分知ってる人たち全員が私の服は古い、袋に穴が、とアピールしてくる。物乞いは恥ずかしいことじゃない。施される理由はそれぞれにあるのであって、施しに対して不平等は訴えて当たり前というのが、原始に一番近い生活にあるんだという話。神様もそれに近い。
 つまり、物乞いとか我儘な気持ちは醜いというのは人の決めた事であって、生き物の本来の姿を見せているのが神話や聖書なのかな。信仰とカッコいいを目指すのは似てるのかも知れない。誤解を招きやすい言い方だけど、角田さんが新しい宗教があった方がいいというのは、そういうこと??

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