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豊津徳【HozuTalk】13「時間とアート」

山本豊津(東京画廊)×角田陽一郎(バラエティプロデューサー)のアートを巡る知のライブトーク第13弾!
テーマは「時間とアート」

東京画廊

 豊津徳も寿司特も週間ICUCも、未熟者の私にとってはノートを用意して聞きたいもの、できれば教科書とか読み物として欲しいもの。文字起こしが趣味になって本当によかった。
 私の趣味の文字起こし。月イチのお楽しみ【豊津徳13】です。

0:00:00 アートは時間の区切りを作る印

角田 じゃあ始めまーす。

豊津 はーい。

角田 どうも、、、

豊津 横から入ってきた方がいいかね?

角田 あ、「横から入ってきた方がいいかね?」がもう始まってまーす(^^)

豊津 はっはっはっは!

角田 ということで、出ちゃいました。よろしくお願いしまーす。

豊津 はい、こちらこそよろしくお願いします。

角田 豊津徳でございます。今回第13回目ということで。前回はですね、東京画廊にお邪魔したんですけども、今回はまたzoomで山本豊津さんとお話ししてみようと思います。東京画廊の山本豊津さんでございます。よろしくお願いします。

豊津 はい、どうもよろしくお願いします。

角田 おしゃれなシャツ着てますね?

豊津 うん。これね、ヤフオクで買ったんだよ。

角田 っんっはっはっはっはっはっはっは!なるほど!え?すごいお洒落!

豊津 ところがこれね、手作りなんだよ。

角田 へぇ〜!

豊津 だから、いわゆるどこかのブランドのものを安く買ったんじゃなくて。ヤフオクって面白いんだけど、自分で手作りでやってる人も出してるのね。

角田 ああー!すごい可愛い。ハートですもんね、それ。

豊津 そう。だからパッチワークみたいに色んな布地を組み合わせて作ってるわけ。

角田 それ、ヤフオクで見て、これ可愛いなーと思ってポチッとしたわけですよね?

豊津 私はそんなこと出来ないから家内がね、こんなもんがあるけどどうか?とかね。

角田 超似合ってます。

豊津 いま家内がね、すごくそれを楽しみでやってるのよ。

角田 いやぁ、いいですねぇ!なるほどなるほど。で、…あ、すいません。バラエティプロデューサー角田陽一郎でございます。よろしくお願いします。ボクはあれです、ちなみに今日、横尾忠則さんのGENKYO展観に行って来たんでTシャツ買いました。と言うことで今日はそのTシャツを着ながらやろうかなと思ったんですけど、あの…こうやってやるとちょうどTシャツの柄が映らないというね(笑)

豊津 はっはっはっは!

角田 だから柄を映すためにはこうやって…とか、色々大変なんですが。まあ…すいません。よろしくお願いします。で、今日何をお話しするか?みたいなことで。「時間とアート」というテーマにさせて頂いたのは、まさにこれですよね。

豊津 ああ、そう、「時間と自己」ね。

「時間と自己」木村敏著 中央公論新社
時間という現象と、私が私自身であるということは、 厳密に一致する。自己や時間を「もの」ではなく「こと」として捉えることによって、西洋的独我論を一気に超えた著者は、時間と個我の同時的誕生をあざやかに跡づけ、さらに、ふつうは健全な均衡のもとに蔽われている時間の根源的諸様態を、狂気の中に見てとる。前夜祭的時間、あとの祭的時間、そして永遠の今に生きる祝祭的時間――「生の源泉としての大いなる死」がここに現前する。

角田 「時間と自己」という豊津さんがすごい衝撃を受けた本で。この木村敏さんにお会いしてみたいなと仰っていたということで、ボクたぶん豊津さんとお会いした時にその本を勧められて、即買って、ずーっと積読のままで、まだ読んでなかったんですね。そしたら半年前くらいでしたっけ?またこの「時間と自己」の話になって、で、まだ読んでないの?って豊津さんに言われたことを覚えてて。読もうかなーと思ってたらなんと木村敏さん、先月の8月の4日にお亡くなりになっちゃったんですよね。

豊津 そうなんですよね。

角田 ね。豊津さん、お会いしたいくらいと仰ってたじゃないですか。

豊津徳09「アートの鬱と躁」2021/5/19
YouTube     note(文字起こし)

豊津 あのね、東京画廊の、うちの父の時代から付き合ってる評論家でね、中原佑介さんって人がいるんですよ。日本の美術評論家ではナンバーワンになった人なんですけど、その中原さんが経歴が面白くて。物理学の湯川研究室にいたんです。

角田 湯川秀樹さんのってことですね。

豊津 そうそう。それで彼は美術が好きで、で、研究室を辞めて美術評論家になったって経緯があるんです。で、京大なんですよね、京都大学。で、中原先生に昔ね、木村敏さんって知ってますか?って話になったの。「それ僕の同級生だ」って言ったんですよ、京大で。だから先生ね、一度木村先生を僕に紹介してくれって言ったら「いいよ」って言ってくれて。そのようになって中原先生が先に死んじゃったのよ。だからついに木村敏先生とはお目にかからずに終わってしまったんですけどね。

角田 お亡くなりになっちゃったというのがすごい残念なんですけど。ね、だから今日はその追悼記念も含めて。「時間と自己」だと難しいので「時間とアート」という風にね、テーマを豊津さんから頂いたんで、「時間とアート」というテーマでお話ししてみたいなと思うんですけど。どこから話せばいいですか?

豊津 まず意外とみんな知られてないんですけど。アートのテーマに時間っていうものが入って来たのはそんなに古くないんですよ。

角田 はぁー、そうか、なるほど。

豊津 たぶんね、産業革命以降だと思います。

角田 そうですよね。だからルネッサンスとかの絵に全然出てこないですもんね、時間という概念が。

豊津 そうそう。それで調べてみたんだけど、キリストの神がいる時代は時間は神のものだったんですよ。人のものではなかったのね。唯一、王様。ヒエラルキーのトップにいる人が神に一番近接するわけですよ。というのはどういうことかと言うと、働かない人ね。

角田 っはっはっはっはっはっは!そっか!そっか、神様に近いですもんね、生活環境が。

豊津 そう。神様は働かないじゃない。遠藤周作さんの「沈黙」でも助けてくれって言うけど神は一切助けなかったじゃない。

角田 ずーっと沈黙だったわけですもんね。

豊津 そうそう。沈黙ってことは働かないってことなのよね。

角田 (笑)なるほどね!

豊津 (笑)私は働きませんよっていうのが沈黙なんだよね。働きません!って言うとそれは働いたことになっちゃう。

角田 だから黙ってるわけですね(笑)

豊津 そう、黙ってる。ということは、時間は神のものだったわけね。日本だと仏様もなんだよ、時間って。だから鐘ってのはお寺が撞くだろう?みんなお寺の鐘で時刻を知って、、、

角田 ”!”、教会も鐘ですもんね?…だから、そっか!キリスト教でも仏教でも時間を司ってるのは神様仏様なんですね。

豊津 そう、仏様。だからイエスは復活するじゃない。ね、これは時間を超えてるってことだよね。一旦死ぬんだからさ、人は。

角田 一旦死んだのは過去で、復活は未来ってことじゃなくて。時間という概念がなくなってるってことなんですね。

豊津 そう。すると死が相対化しちゃうから永遠の時間に入るからさ。神に近づいたってことだよね。

角田 うん。そういうことですね。

豊津 ブッダはさ、涅槃に入るじゃない。居眠りに入っちゃうってことでしょ(笑) ね。

角田 そうか。それもある意味時間を超越しちゃってるってことなんですね。あぁ、面白いな。宗教って時間を超越してるんですね。

豊津 そうなんです。それで何が面白いかって、まあもう1回時間っていうものを考えてみたら、今は時間はないんじゃないかって物理学的な思想があってね。その1番の例がね、今僕たちが時間、不可逆性ってものを持ってるのはビックバンのせいだって言うんだよね。宇宙がドンッと爆発して、膨張してるから、膨張してるってのは方向が一方方向じゃん。どこかで収縮するを始めると…収縮に戻るから、もしかしたら過去に戻るかも知れない。今のところ僕たちは膨張してる中にいるから、時間は不可逆的に、一方的に進んでいる、と。で、それはもう一つの時間で言うと人間の全ての自然物は石をのぞいて全部新陳代謝してるの。ね。だから生物は…なんだっけ?角田君が1週間で全て細胞が入れ替わるんだっけ?

角田 ああ、そうですよね。だから個体というものの概念はそもそもなんなのかと。出来上がってる成分は全部入れ替わってるんだから、1週間で違う人になってるって言ってもおかしくないんじゃないかって話がありますよね。

豊津 って言うことは僕が今、角田君を見てるって言うのは明日の角田君と違うわけよね。時間ていうのは角田君が変わっていくってことをアートだけが止められるんだよ。

角田 ああー、なるほど。

豊津 うん。だからアートっていうのは時間の区切りを作る印なんだと僕は思うんだよね。そうすると歴史はアートによってレイヤーになるみたいな。ね、コンピューターの今…僕たち上に重ねていくとレイヤーっていう概念があるじゃない。あれは厚みがないよね。

角田 電子ですからね。

豊津 でも時間って言うのはある種の量の塊として見れば厚みがある。でも本来は厚みはないよね。そういうことを考えてた時に、自然の循環、新陳代謝がもたらす時間と、宇宙という膨大なビックバンがもたらす2つの時間の中に僕たちが生きている、と。すると次に現れるのは類(るい)としての時間なの。

角田 類…類ってどういうことですか?

豊津 角田君の時間と人類の時間。類としての時間ね。

0:10:00 不老不死、イラスト、テキスト、時計、スピード

豊津 で、時間を類として人間が考えたのが不老不死ですよ。だから王様は不老不死を必ず考えるじゃない。でもさ、不老不死って何もしない人には意味があるけど、僕たち毎日働いてる人が不老不死ってさ、毎日辛いことが起こるってことだよね。

角田 そうですよね。いつまで辛いのを続けるんだみたいな。

豊津 角田君だってこの人生をもう1回やり直して150まで生きるなんて辛いでしょ。

角田 うん、生きてみたいなとも思うかも知れないですし、まあそうですね。でももういいかなーとも思うかも知れないですね。

豊津 しかも定年が45歳?どうするのあなた(笑)

角田 定年45ってどういうことですか?

豊津 いや、だから定年を今45歳にしようってのが。

角田 ああ!そんな話ありますよね。

豊津 60を45歳よ、あなた(笑) どうするんだよ、80まで35年間!

角田 どうやって生きていくんだって話ですよね。

豊津 そう。王様になれば別よ。収入も心配しない、奥さん何人も持ってもいい。ね、あらゆることを王様は認められてるとすれば、何もしないから永遠の命を生きるっていうことができるけど、僕たちは…45歳で収入なくなるわけじゃない。

角田 っはっはっはっは!大変ですね。

豊津 大変でしょ。

角田 大変っていうか生きられないですよね、結局ね。

豊津 そうそうそう。だからそうするとやっぱり僕は個人としての人生が80歳とか70歳で亡くなるから生きてる価値が生まれるんで、永遠になったときに個人の生きてる価値がなくなるんだよね。

角田 銀河鉄道999ってそういうテーマですよね。機械化人間ってのはね、永遠の命だけども、死ぬからいいんだと鉄郎は旅をして気づくわけですからね。

豊津 そうそう。スピルバーグのAIって映画もそうじゃない。子供がね、お母さんが亡くしてさ、どうのこうので、海の中に沈められて、それをまた連れてくると。ね、彼またお母さんと別れることになったじゃん。辛いよね。

角田 なるほど。…ちょっと話がすごいんで整理すると。まずボク思ったのは時間という流れを超越してるってことですか?アートは。

豊津 そうじゃなくて、アートというのは時間というものを区切る。

角田 あ、区切る。

豊津 だから断面を入れるってことね。

角田 整理すると、産業革命以前のアートって宮廷画家とかじゃないですけど、王様たちのところで描かせてた絵なわけですね。それって時間の概念がないんでしょうね。肖像画だったりとか、あと神様も。

豊津 永遠と同じテーマを描くじゃない。受胎告知とかさ。

角田 聖書の一節をずっと描いてますもんね。

豊津 それは今僕たちが言う芸術とは違ってイラストレーションだよね。聖書の解説を絵で。それは文盲っていって文字の読めない人が多かったからよ。ところがクーベルタンが…クーベルタンじゃなくてなんだっけ、印刷機始めた──?

角田 えーと…グーテンベルク。

豊津 グーテンベルクが印刷機を作ってみんなの本を読めるようになったら聖書になったわけじゃない。だから教会もなくて、全てが無くて聖書だけってのがプロテスタンティズムでしょ。だからいわゆるカソリックのバチカン公国ってのは、文盲の人の時までの話で。

角田 そうですよね。だからそこでみんな聖書に何が書いてあるか分かんないから、聖書ってのはこう書いてあるんですよって教えるために親父がいて…とかですもんね。だから逆にプロテスタントになると牧師になりますもんね。つまり親父って神様の言葉の代理として教えてるところが、牧師になるってのは皆んなで聖書というテキストを読みましょうみたいな感じに変わってきますもんね。

豊津 そう。テキストには解説が要るじゃん。テキストってのは各々が聖書を持つってことでしょ。だからホテルに聖書が置いてあるじゃない。外国は。

角田 置いてありますよね。テーブルの上に。

豊津 で、それはそれぞれの人が文字を持つ媒体としての聖書を持つっていうことの次に起こったことが、何が画期的だったかと言うと、みんなが腕時計を持つってことになる。

角田 そうですよね。個人の時計になりますよね。これはボク自分の世界史の本で書いたんですけど。つまり時計というのが各街に、教会のところに時計が飾らるようになったっていうのが今の社会の規範になってるみたいな。それまで時計がなかったってことは、同じ時間に会うってこともできなかったんですもんね。つまり待ち合わせが出来なかったらしいですね。

豊津 だって待ち合わせる意味がないんだもん。

角田 そうなんですよね。そうすると、たぶん区切れなかったってことですよね、時計というものが無かったからというか。

豊津 ってことは、朝野良に出て、お昼後にになったら太陽が真上になるからそこでおにぎり食って、また農作業になって、夕方になると…夕方の鐘が鳴るとみんな家に帰って、夜が始まって…ということになるわけよね。だから区切りがないのよ、全然。

角田 そんな中でむしろ時間を意識したアートって、例えばなんでしょうね?時間が描かれている…。

豊津 一番簡単に言えば最初に僕がアートとして時間のことが思い浮かぶのはモネの枯れ草をずーっと描いてるの。それからルアンの聖堂を一日中描いてるの。光によって変わるからっていう。

角田 つまり印象派が光の違いを描くっていうのは時間を表してるってことですね。

豊津 そうです。そこで時間っていうものが自然の中でどう言うふうに変わってるかってのを初めて知ったわけでしょ。

角田 そうだ。面白い!

豊津 そう、だから…、その前にコローがね、コローはなんだっけ?バルビゾン派の「落穂拾い」ってあるじゃない。あれ、夕方に拾ってるでしょ、あれ。そういうものとかね。

角田 そっか。それまでの絵って確かに想像画みたいな…モナリザだって極論すれば何時か分かんないですもんね。

豊津 で、確か「夜警」っていうのをレンブラントが。あれは夜でしょ。だからオランダでしょ?あれ。そうするとオランダ辺りから始めて個人というかある程度の人達、豪商ね、豪商は商売するときに時間が大事じゃない。

角田 つまり約束ができますもんね。何日までに金返せとか。何日だから利息がつくとか。

豊津 そうそう。金利の問題は時間だからね。何日後に返せとか。あれ、ベニスの商人はそうだよな。

角田 ってことは、つまり時間という概念があることで経済活動は生まれ、同時にアートが区切りとして成立するようになったってことなんですね。

豊津 で、今度。次は産業革命になって。時間という問題がリアルに出てきたのはスピードだよね。徒歩で歩くより機関車乗った方が早いじゃない。始めてスピードという概念がアートの中に入ってきたのは未来派っていうものです。

角田 イタリアとかですよね、未来派って。

豊津 そう。あれはだからそういうスピードという概念、初めて僕達はもしかしたら時速50キロで見てる風景と…歩行速度って何キロくらい?

角田 14キロとか。

豊津 そう、そのスピードで見てるものの風景が違うんじゃないかってことに気がつき始めるんだよね。マチスなんか車の窓から見た風景とかね。セザンヌはサント=ヴィクトワール山はどうやら機関車の窓から見てたとかね。

角田 今でのあそこにエクス=アン=プロヴァンスのところに行くとTGVの駅のホームからサント=ヴィクトワール山見えますからね。あの線路のところから見たんだろうなーと思いますよね。

豊津 で、その時に近代化になるともう一つは労働力を売るってことでしょ。始めて時間給いくらって概念が生まれるんだよね。8時間労働で給料いくらだとか。

角田 うん。単位時間あたりにどれくらいのお金とかいう計算ができますからね。

豊津 そうそう。すると角田君は24時間という時間を自分が持っている。するとそのうち8時間は睡眠に使う。残りの何時間が食事したりするのがある。じゃあ自分は8時間働きましょう。毎日8時間働いて残りは残業がありますと。すると自分の個人の時間を残業で取られるから残業代ってお金が付くわけじゃない。

0:20:00 制作年度、近代、アラビア数字、期限、未来

豊津 すると僕たちの24時間は全て社会的に規定されてくるわけだよね。

角田 ああー、なるほど。…ちょっと待ってください、論点がたくさんあるんですけど。面白いなあ。つまり時間給なのか成果給なのかみたいな話に行きますよね?そうすると1枚の絵を描くのに何十時間掛かったからいくらって計算はしない…ですよね?アートは。

豊津 アートは基本的にはコストから積み上がって価格が決まらないからね。

角田 うん。で、そのコストっていうのの1つのファクターとしての時間って大事ですもんね。単位辺りの、どれだけの人間とどれだけの時間を使ったかというのが普通…商品とかの価格を決めるのに、アートは決めないってことなんですよね。

豊津 そう。で、アートが唯一決めるのは展覧会の日にちだよね。

角田 あっはっは!なるほど。

豊津 それからあなた本書いたけど原稿の締め切りってあるじゃない。原稿の締め切りがないと書けないんじゃないか?

角田 書けないですね。だからアートもそうなのか。今度個展があるからこの日までに何作品って言って上げるわけですね。

豊津 そう。すると今回も男爵君はある程度貯まったら僕が見に行って、何年ぶりかだからやろうねとか。

角田 今日から展覧会はじまってるんですよね?宮沢男爵さん。だから来月ちょっと見に行きます。

豊津 そう、今日からね。するとアーティストと画廊が決めて、ある展覧会をやると時に初めて出展した作品の年代が決まるじゃない。アーティストのアトリエにあるうちは年代は確定しないの。

角田 うん、そりゃそうだ。ギャラリーに出て、世で売買されるというか、出てたら分かりますよね。

豊津 そうでしょ。社会ってものの中にアートが成立した時に、その時に始めて制作年月日が決まるわけ。

角田 1900何年に作ったとか。2021年に作ったとか。

豊津 そう。だから自分は20年前にこの絵を描いてたから今になってから何の年代をつけるか?ってすごく難しいじゃん。

角田 そういう場合ってどうするんですか?

豊津 そういう場合はギャラリーが付かないアーティストは年代が任意で付けられちゃうから。

角田 だから1990年に描いたんですよって言ってるけど、本当は2000年に描いてたって分かんないってことですね。出してなければ…、そっか。

豊津 するとそれを上手く組み合わせると、人より前に書いたってことに出来るわけよね。

角田 ……できますね。

豊津 出来るでしょ?

角田 こっちの方が先に描いてるよって言えますもんね。

豊津 僕の方が古いんだよって言う時に、その人が描いた年代は誰がそれより古いんだってことを確定できるわけだよね。だから時ってのはそういう役割だってことをテーマにして絵を描き出したのがたぶん近代だと思う。するとシュルレアリスムの人たちがね、時をずいぶん描いたよね。時計を。

角田 ダリとか典型ですよね。

豊津 そうそう。だからそれはやっぱり時をテーマに…”時”自体ね。例えば印象派は時間という概念をテーマにしたわけじゃないから。光がテーマだから。時間ってものをテーマにしたのは近代からだと思うんだよ。だからたぶんそれまで人間には時間って言う概念も、今僕たちが持ってるほどないんじゃないかな。

角田 だって…そうですよねぇ。さっきの話で言うと、日付ぐらいまでは、3日後ぐらいまでは約束出来るけど、太陽が一番登ったらぐらいは約束出来るけど、3時って約束できないですもんね。夕暮れとか朝日が出たらとかは約束出来ますけどね。そうだよなぁ。いや、面白いですね。さっきの王様、時間は神様のものだったみたいな話で言うと、例えばエジプトは太陽暦だったけどメソポタミア文明は太陰暦だったみたいなのあるじゃないですか。つまりある文明と…文明の概念って何か?ってなった時に、ある一定の時間軸を共有してると同一文明と捉えていいのではないか?みたいなことがありますよね。そうすると日本って独自の元号を持ってるって、言うても中国の元号とは違う元号で時間軸を意識してたから、文明の一つとして考えていいんじゃないかって説があるんですよね。

豊津 それはあると思う。それはね、あれに関係するんですよ、数字の表記。僕たちは和数字って一二三四って書いていくじゃない。ローマ数字はⅠⅡⅢⅣって書いていくでしょ。

角田 はい。だからすごい読みにくくなりますもんね、964(九百六十四)とかなると。ローマ数字(CMLXIV)はズラーッと長くなっちゃって。

豊津 だから結局、今グローバル・スタンダードに一番最初になったのは数字だよね。

角田 うん。アラビア数字ですよね。

豊津 そう。ゼロとアラビア数字が。それでコンピュータは0と1で作ってるわけだから、数字が最もグローバルなんですよ。ね。だから数字が最もグローバルだっていうことを考えると、アートって言うのはその地域のグローバルを前提をした上でその地域の特性とは何か?ということが大きなテーマになるんじゃないかなと思うんだよね。やっぱり同じ近代化した街でもパリとニューヨークと東京は違うじゃん。ビルが建ってもさ、なんかさ、ちょっとビルのとこから離れると違う世界があるじゃん(笑) TBSもさ、あのTBSだけがモダンな建築だけど、街にちょっと出るとさ、赤坂の猥雑な世界が。

角田 古びたもの、ありますもんね。

豊津 ね。で、その猥雑な世界の未来を最初に捉えたのがブレードランナーだよね。未来はああいう風に誰も考えなかったんだけど、ブレードランナーの未来ってまさに今の未来をちゃんと予告してるから。

角田 だって東京とか高速道路に出てる看板とか見てると…あと東京タワーとかの光とか見てると、どんどんブレードランナーみたいな感じになってきますよね。ビルの照明の感じとか。あれは預言してたんでしょうね。

豊津 そう。だからやっぱりあの映画が画期的だったってのはそういうところじゃなかなーと思うんだよね。

角田 そうするとレプリカントというか、つまりさっきの生命には終わりが有るのか?終わりが無いのか?って話と繋がりますよね。ブレードランナーのある意味あの作品の中の悲しさって、つまり死ねないのか…あ、死ねるんだよな、レプリカントね。そう、だからその期限が明確にあった中でどう生きるか?というか、活動するか?みたいな話ですもんね。

豊津 だからブレードランナーの最後にレプリカントが彼を助けるじゃない。腕を捕まえて。あれ話したら落ちるんだけど、命に限りがあるってことをレプリカントが知った為に彼の命を救おうっていうことが起こったわけじゃない。だから命ってのは自分の限界が来た時、本当の命の価値みたいなものがね、

角田 分かるってことですね。

豊津 分かる。あの映画は本当によく出来てる。

角田 すごい映画ですよね。いやぁ、面白いなぁ。あの…なんて言うんでしょうね、さっきの男爵さんの話だとね、今度個展をされてるって言ってて。それを来月じゃあ行く…また紹介するとして。その時ボク、ピカソの話を豊津さんに聞いたわけですよね。ピカソって青の時代っていうのがあるけども、それはピカソがキュビズムで大成したから青の時代の作品もアートとして価値が生まれるわけで、つまりその人がどこかで認められるとそれまでの過去の作品が、認められてなかったものが浮上していくわけですよね、アートって。それって面白いですよね、すごくね。だからもし浮上しなければこの世になかったと同じように思われてる作品が未来の何年後かに認められると過去のものが急に今出てくるってことですよね。

豊津 だからピカソがキュビズムを作るまでにある時代を経てるわけじゃない。ということはピカソのキュビズムの絵の中には彼がそれまでに色んなことを考えてきたものがレイヤーに入ってるわけですよね。だからそのレイヤーをキュビズムが受けた時点でそのレイヤーを横にして、断面をもう一回伸ばしてやると、青の時代が出てきたりするわけだよね。

角田 ああー、そっか。レイヤーを縦か横かというか、変えるわけですね。

0:30:00 レイヤー、知の巨人、AI、触れ合い、数学

豊津 そうそう。レイヤーに厚みを作ってあげばいいわけだよね。そうすると色々なものが出てくるんだけど。今の時代は、これは時計の次に画期的なのがこのSNSだよね。まさかこんなものを一人一人が持って、こんな時代になるなんて誰も予想しなかったからね。するとこの場合、ここで映像見てるのが全部レイヤーのはずなんだけど、この画面をここで見ちゃって、横にして立体化して、断面を作るってのがまだ出来ないから。みんなはフローで画面をどんどん消して逃げて行っちゃうけど、そうすると自分が生きてることの積み重ねをどこで断面で立体化するか?ということをやらなきゃいけないんですよ。

角田 そうすると、やらなきゃいけないし、それが新たなアートを生む可能性がありますよね?つまり時計というものが出来て、結果、印象派みたいなものが生まれ、未来派が生まれ…みたいになったってことは、このデジタルというものが生まれて──大分前から生まれてるけど、はっきり生まれたのってWindows95だと思うんで。1995年だと思うわけですよ。尚且つそれがみんなが1台持つようになって、つまりこうやってスマホを持つようになったってのは2007年のiPhoneなので。だからまだ10…2007年から数えても15年しか経ってないじゃないですか?そうするとここからアートをちょっと、また新たなものが生まれる可能性は…もう生まれてるのかもしれませんけど…、ありますよね。

豊津 僕はやっぱりそういうことから自分が今なんのアートに興味を持つか?ってことを考えるようにしてるんですよ。この時代のテクノロジー、インフラが僕たちの意識を変えるとすれば、その意識を変えるテクノロジーの問題をよく考えてからやらないと。たぶん藤井聡太君の将棋と羽生さんの将棋とその前の中原さんの将棋は全然違うと思うんですよ。それはテクノロジーの発展と関係してると思うんですよね。だからたぶん藤井君の将棋を…僕は将棋のことよく分かんないんだけど、中原名人、羽生さん…羽生さんの時にすでに将棋はね、そういうなんか芸術性を失ったみたいなことがあるんだよ。

角田 言われてましたよね。うん。

豊津 ね。美しさが無いとかさ、何とかって言われてたわけじゃない。で、その羽生さんがもう無冠になってさ。

角田 うん…軽く凌駕しちゃってるわけですもんね、藤井さんが。

豊津 そう(笑) すると、藤井君の将棋を羽生君の将棋と中原さんの将棋を誰か評論してくれる人がいると面白いやね。

角田 あ、面白いですね!それって将棋にギャラリーがあったらいいのになってことですね(笑)

豊津 そうそう(笑) で、それが批評の役割なんだけど。今、日本の美術の批評家が美術の知識しかないから、その断面が出来ないんですよ。

角田 ああ…!やっぱり美術の世界でもそういうことなんですか?

豊津 そうです。

角田 ボク…、ちょっとだけ話が変わるんですけど。この前もちょっと大学の先生と話してて思ったんですけど。よく知の巨人とか言うじゃないですか。知の巨人ってボクいないんじゃないかとちょっと思ってて。どういうことかというと、大学に…今、東大の博士課程通ってますけど。色んな先生と知り合いになったわけですよ。そうするとある分野に関してはもうめちゃくちゃ詳しいわけですよね。で、すごいなーと心の底から尊敬するなーと思いながらも、その人に…じゃあお笑い第7世代の話をしても全然知らないわけですよ。で…いや、すげぇお笑い第7世代のこと知ってる必要はないなと思うんですけど、その先生の研究ももしお笑い第7世代のことちょっと知ってれば視点が違うところからアプローチ出来るじゃないですか。だからその研究も深くなるのになーって思った時に、研究者の人って自分の研究を突き詰めてるだけで他のこと知らないから、実は結果的にその研究に光を当ててるところが全然多様化してないなーと思っちゃったんですね。とすると、ボクなんか…ボクは広く浅くでしかないので、深いものなんて1ミリもないから、自分は知の巨人になれないなーって挫折感をずーっと抱いてたんですけど、そういう専門家の先生と話すとそんなことも知らないの?!って。それは簡単にただのテレビのやらせですよ!とか、そんなの脚本、台本に書いてあるに決まってるじゃないですか!みたいなことも知らないわけですよね。ボクなんかが当たり前に知ってることと言うか。と思った時に…、ボク、この世界に知の巨人っていないなーって思っちゃったんですね。

豊津 あのね。最大の知の巨人は人工知能だよ。で、学問っていうのは未来がないんですよ。

角田 面白いなぁ…!そうだなぁ!なるほど。

豊津 過去しかないのよ。で、知の巨人ってのは過去のデータであることはあるけど、未来に一歩踏み出すのはさ、その先生個人じゃん。だから学者の先生に会った時にその人が何の一歩を踏み出してるか?を見せて貰えばいいんですよ。

豊津 おおー?!

豊津 ほとんどどの先生もどこかで聞いたことがあることしか言わないですよ。

角田 そうなんですよ!うん。過去しか見てないんですよね。その過去の文献は超詳しいんだけど、でもそれってもうAIに敵わないってことですもんね。

豊津 そう。だから学問の終わりが来てるわけよ、既にね。

角田 ああぁ、来てるんだ。

豊津 そう、もう、確実に。だって今度の学術会議がそういう問題じゃん。

角田 でね、そう思った時にね、つまり…なんて言うんでしょうね、よく研究者って社会に出てないって言うじゃないですか。で、そう考えるとなんかこう…尚且つ他分野のことについては専門家じゃないから言わないみたいな不文律みたいなのがあるわけですよ。でもそれって…あともしかしたら教授会で目立ってしまうと教授になれないからとかもあるのかも知れないですよ?つまり色んなことがあるから自分の領域だけはすごい詳しいんだけど、他のところはそんなに目を向けないみたいな、その集合体になってるんですけど。それってボク単純に社会人やってないからじゃないかなって思っちゃったんですよ。つまり自分の研究を深くやってても他分野について分かりやすく説明するだけのコミュニケーション力があれば、実は乗り越えられるし、そのコミュニケーション力って学者の方達ってなくてもいいやって思ってる分、ちょっとずるいなって思っちゃったんですよ。ボクがADとか…ボクだって元々コミュニケーションとか苦手なのに、どっちかと言えば人付き合いとか嫌いな方なのに、ADやってディレクターやってプロデューサーやって20年くらい経つと、これくらい喋れるようになっちゃったわけですよ。ってことは、それって時間の賜物じゃないですか(笑) 今日のテーマで言えば。

豊津 それはさ、角田君さ、他者との触れ合いじゃん。ね、他者との触れ合いがあなたを変えたわけよね。

角田 そうなんですよね。

豊津 自分で変わったわけじゃないの。他者との触れ合いしかないの。変わるってことは。学者の先生が役に立たないのは他者との触れ合いがないから。

角田 そうなんですよ。その他者との触れ合いをやった上で自分の研究を深くするということを…まあ、やってる方もいらっしゃるでしょうけど…。

豊津 ただね。数学だけは他者との触れ合いじゃなさそうなの。

角田 森田真生いわく…(笑)

豊津 いや、森田真生君は数学者と言っていいかどうか分からないじゃん。なぜかと言うと森田君にはどういう数学を目指してるかってことは僕には分からないからね。でも今までのかつての数学者を見てると、明らかに森田君みたいなのはいないじゃない。

角田 そうですね。もっと、逆に言うともう数学の世界に閉じこもって自閉気味な方が多いですよね。

豊津 うん。だって今度あのABC問題を解読した…ね。望月先生なんて人前に出ないじゃん。喋ってるとこ見たこともないじゃない。ってことは彼は数学の世界って他者との付き合いじゃないかも知れないよね。

角田 そうかぁ…、そうですね。確かに。

豊津 もっと抽象的な世界だと思うんだよね。僕たちは他者との付き合いってのはもっと具象的な世界。具体的というかね。それは僕たちの、特に僕は商人だから、商人は他者がいないと成立しないからさ(笑)

角田 つまり交流するのが商人ですもんね。

豊津 そう。だから数学者の理想が西行だとすれば、利休の、僕たち商売人は利休が理想なんですよ。

角田 つまり利休も商売人だったわけですからね。堺の商人。

豊津 そう。利休は相手がいないとお茶が成立しないからね。

角田 だからつまりお茶っていうのは商人だから出来たわけだし、コミュニケーションのためにあるわけだから…ああ。でもそれって茶道が仮にアートだとするならば、アートってのも本来はそうなのかも知れないですね?

豊津 違う。茶道は僕はアートと言ってはいけないと思う。

角田 ああ、言っちゃいけないんだ。

豊津 そう。だから華道とか書道はアートっていう可能性があるんだけど、茶道っていうのは非常に難しい。アートと言うには。

角田 茶道ってアートというよりギャラリーに近いのかも知れないですね。

0:40:00 茶道、侘び寂び、趣味、サブカル、富士

角田 このお茶碗は…とか、この掛け軸は…、って。解説してお茶しゃかしゃかやるわけですもんね。ああぁ、面白いなぁ。そうか。

豊津 うん。まあ、これ前にあなたに授業で話したことがあるかどうか分かんないんだけど。畳一畳と畳二畳の違いなの。西行は畳一畳、人間一人はこのくらいの畳一枚あれば寝て一畳起きて半畳あればいい。千利休は二畳ないとダメなの。問題なのは、二畳は二畳の、どうして二畳かと言うと、もう一人いるってことですよ。一人で二畳じゃないのよ。二人で二畳なの。

角田 客がいるってことですよね。

豊津 だから利休は二畳なんですよ。で、それを【侘び】って言うんですよ。一人は【寂び】って言うんですよ。

角田 おおー?!なるほど!

豊津 寂しいと侘しいの違い。

角田 また豊津語録が出ました!一人は寂びで二人以上は詫びなんだ。

豊津 そう。相手が居ないことを侘しいって言うんですよ。この世の中に一人で生まれてしまったってことが寂しいってことだから。

角田 いやぁー、面白い!そうですね。なるほどなぁ。

豊津 だからアーティストはやっぱり寂しいってことは最大のテーマだと思うのね。

角田 それ、ボクね、半年前くらいに喋りましたよね。その孤独感みたいな。話をして。

豊津 で、もっと残酷なこと言うと。僕は自分の娘にはアーティストと結婚しちゃいけないって言ってたんですよ。あいつらは寂しいってことでお前が横にいたって寂しいのは変わらないから、意味ないよって言ってたの。

角田 それって半年前に他者か絶対他者かみたいな。他者がいてもどうせ寂しい人間がアーティストなわけだから、絶対他者がいるかどうか?みたいな話をしましたもんね。

豊津 そういう感覚で時間というものを僕たちが今考えて、次の時代のアートって言うのは僕たちの時間とは何なのか?ってことですよね。

角田 うん。ホントですね。今日、横尾忠則展「GENKYO」行ってきたんですけど。その横尾忠則さんの5歳の時に描いた絵が最後に飾ってあるんですよ。5歳の時に巌流島の宮本武蔵と佐々木小次郎の戦いを模写した絵が飾ってあるんです、最後にね。そしたら横尾さんはその絵が一番…、この600点ぐらい、今回すごい点数があるんで、600点暗い飾ってあるんだけど、その絵が一番上手いってずーっと言ってるんですよ。5歳の時の絵は…と。その後、8歳の時に今度は龍の絵を描いてるんですけど、もう技法が立ってて上手くないって言ってるんですよ。ボクらが見るとどっちも死ぬほど上手いんですけどね。これで5歳なのがびっくりしちゃうんですけど。で、それを…さっき記事を見てたら、瀬戸内寂聴さんが今95歳でいらっしゃるのかな?横尾さんと往復書簡みたいなのをしてて、瀬戸内さんがちょっともう体の調子で展覧会行けなくて残念だわみたいな往復書簡をしてるわけですよ。その中で横尾さんはね、その5歳の時の絵が一番上手いって仰るけど、それ行こうの80年近く書いてた絵は全部駄作だったんですか?って(笑) 瀬戸内さんが聞いてるわけですよ。その時間の感覚ってすごい面白いなーって思ったんですよね。で、そんな中で80年台の絵ぐらいからワーッと飾ってあるんですよ。80年台ってやっぱりボクが高校生だったし、ジャパン・アズ・ナンバーワンの時代だから、あの頃のポップな横尾さんの絵ってすごいボクの中の原風景になってるんだなーと言うか。何となく、ダリっぽい絵もあるしとか、それがもっとすごい広告っぽい絵もあるんですけど。すごい…結果、それから30年、40年ぐらい経ってるんですけど、35年くらい経ってるんですけど、その時間を結局超えて今2020年にその絵を見ても…なんて言うんでしょうね、さっきのレイヤーじゃないですけど、時間の厚みみたいなものがもうその絵に乗っかって見ちゃってるんですよね。その絵自体の良さみたいなのも感じるし、自分がそこから30年くらい経ってしまった自分という厚みでその絵を見るから…なんかね、すーごい感動しちゃたんですよね、その頃の絵を見て。

豊津 それはね、角田君の目から見ると感動するんだけど。僕の目から見ると何の感動もないんですよ。

角田 それは何でなんですか?

豊津 だって横尾さんの、5歳から今までの中で5歳が一番いいってことが、彼は絵というのは趣味なんですよ。

角田 なるほど。5歳で描いたのは趣味ですからね。

豊津 そう。趣味というのは他者に影響を与えないんですよ。で、問題なのは横尾さんが描いた絵が日本の絵画史上でどういう意味があるのか?ってことを誰かが評論しなきゃならないの。

角田 なるほど。評論するとどうなるんですか?

豊津 横尾さんを評論しようがないじゃない。デザインはね、横尾さんがやったデザインは評論できるんですよ。なぜかって言うと社会性を持ったからね。MoMAまで行ったでしょ。ってことは横尾さんのデザインってのは1970年台の日本を象徴するような唐十郎とか、60年台から70年台の日本のサブカルチャーの中心的なものがウケたわけじゃないですか。

角田 天井桟敷のポスターもたくさん飾ってありました。

豊津 そうそう。あれが彼のデビュー作で。あの時は横尾さんだけじゃなくて同時代的に四谷シモンとかね、そのある種の前衛の中からサブカルチャーが生まれた時代ですよ。で、今回のオリンピックで大失敗してるのは、サブカルチャーの演出家達をメインカルチャーに持ってきたでしょ?メインカルチャーにしちゃいけないんですよ、サブカルチャーって言うのは。メインカルチャーがあるからサブカルチャーなんで。サブカルチャーがメインカルチャーになったらおかしいじゃん。

角田 うん。おかしですよね。それはこの前の石岡英子さんの個展を観た時に思ったことを豊津さんに言ったこともそうだし、今回の横尾さんのもそうで…。そうですね、つまりボクはサブカルチャーが気持ちいいんですね。

豊津 そうそう。だからたぶんテレビというもののね…

角田 サブカルチャーですからね(笑)

豊津 うん。メインカルチャーって、これはね、テレビだけじゃなくて日本人にメインカルチャーがないんですよ、戦後。富士山の絵がメインカルチャーだったわけでしょ。その為に第日本帝国って富士山ですよね、もう。だから松竹も富士山が出てくるじゃない。お風呂屋も富士山でしょ。この富士山のメインカルチャーが第二次世界大戦で壊れたわけよね。だから片岡球子が唯一富士山描いて、メインカルチャーの富士が壊れたんで歪んだ富士を描いたんですよ。片岡さんの絵を見てみて、歪んでるから。歴史上、富士を歪んで描いたのは片岡さんだけなの(笑) これは片岡さんのメッセージから伺うと、戦争を起こしたのは男で、女の人達はそれで被害を被ったって話ですよ。だから富士が歪んで描けるわけよ。で、平山郁夫先生は被爆してるから、死んでも富士山描かなかいわけですよね。だからそういうことが絵画の中でものすごく大事なポイントになるわけですよ。他の先生たちも、もうほとんどメインカルチャーというものを描いてきたものが無いわけですよね。で、ついに日本画の中で水墨を描く先生がいなくなったわけ、日本で。…メインカルチャー、なくなったんだよね。

角田 東京画廊が…、これまで個展を3、4回観させて頂いてますけど、扱ってるものってのはメインカルチャーではないんですよね?豊津さんとしてはどういう風に捉えてるんですか?

豊津 東京画廊というのは僕たちがメインカルチャーを作る役割じゃないから。

角田 ということなんですね、なるほど。

0:50:00 数学、哲学、お笑い、接続、教養

豊津 そう。メインカルチャーとは何かということを世界の中で考えなきゃいけないから、それを目指している作家達の展覧会をやったわけですよね。例えば高松二郎の影っていうのは世界は純粋な平面だっていうことを、面しかないんだって言ったのが高松二郎さんですよね。点も線もない、世の中に。我々が見てるものは全部面である。これはメインカルチャーになったわけですよ。だから世界で高松二郎の影っていうのは受け入れられたわけですよね。白髪一男が足で滑ったって言うのは、書はダメになったんだけど体が不全になったわけでしょ。だからジャクソン・ポロックが筆をバシャッバシャッってやるのはものすごく書道を意識してやってるわけだから、だから抽象表現主義の中に書というものは何なのか?ということを考えさせたのが具体の白髪と吉原二郎じゃない?だからそういうようなものって一人一人の個人の中でメインカルチャーとは何かということをずっと追い続けた人を僕たちがやってきたから、画廊でね。だから僕にとって画廊って言うのはうちがメインカルチャー作るわけじゃなくて、なるべく世界に通じるメインカルチャーになるものは何なのか?ってことを考えて展覧会をやろうと。だから来年の1月はここで生花の展覧会やるんですよ。

角田 はい♪面白い。

豊津 それもまた、あなた、是非。それは何故かというと、生(なま)のものね。生きていて、死んでしまって枯れていくようなものを美しいと思ってるのは日本人だけなんだよね。

角田 それまた時間の話に関わりますね、結果的に。

豊津 そうそう。それが僕は日本人の時間の中で移ろいゆくものとかね、消えていくものとかね。これは徒然草とかさ、日本の文学にすごく関わってくるわけよね。だから加藤さんと言う人の日本文学史序説って本を読んだ時に、まさに日本の持っている資質っていうのかな、腐って無くなっていくとかね。湿度とかね。なんかそう言うようなものが日本のメインカルチャーじゃないかなと僕は思ってるんだけど。すると横尾先生の作品がそのメインカルチャーになるかどうかってことをもう1回考えると、やっぱり横尾先生のは自分の趣味なんだよね。

日本文学史序説(上) 加藤周一著 ちくま学芸文庫
日本文学が他国に比してもつ著しい特徴を、八世紀から今日に至るまで、各時代の社会的・世界観的背景から関連づけ、その固有の構造を解明した日本文学通史。

日本文学史序説(下) 加藤周一著 ちくま学芸文庫
従来の文壇史やジャンル史などの枠組みを超えて、幅広い視座に立ち、江戸町人の時代から、国学や蘭学を経て、維新・明治、現代の大江まで。

角田 なんかそれって図録をパラパラしか見てないけど、ちょっとそう言うことを言ってましたね。それが歳取って来てさらに趣味になろうとしてるって言ってましたね。だからデュシャンがトイレの便器をやった以降にあえて油絵をやろうと思ってるみたいなことを書いてて。それは趣味だって断言してるところがありましたね。

豊津 でもデュシャンの脇にはウィトゲンシュタインっていう哲学者で数学者がいるわけですよ。

角田 そういうのが横尾さんの作品には無いですね。

豊津 だからデュシャンという人が僕たちは美術の領域しか知らないけど、デュシャンがウィトゲンシュタインとかあの人達とどういう会話をしてたか?って言うのが、ほとんど日本人には知られてないじゃないですか。それが一番大きなテーマだと僕は思うんだけど。数学者とアートの話をするアーティストっていないじゃない。哲学もアートに出てこないでしょ。それがさっき言った知の巨人と関係するんじゃないの?

角田 うん。ボクが知の巨人はいないなーと思ったこととそこは通じてるかも知れないですね。

豊津 そうそう、そうだと思う。てことはね、時間とアートということを考えた時に、僕たちが自分で時間をコントロールしなきゃいけない。自分たちの…コントロールって言い方は変だけど。

角田 でも、それってこの「時間と自己」で書いてますよね。つまり私自身なんじゃないか?時間はっていうね、ことですもんね。木村敏さんの仰ってるのは。

豊津 そうそう。そうするとさっきあなたが言ったように、バラエティの第7世代を知ってないとマズいのよね。

角田 うん。と、思うんですよ。

豊津 うん。最先端の哲学をやる人がさ、アンガールズのジャンジャンは分かんない。あれ、分かんないと思う。あの人たちにはね。

角田 分かんないというか見てもいないですよね、たぶんね。

豊津 僕もワハハ本舗行ったけど、15分間笑えなかったもん。

角田 はっはっは!ワハハ本舗ね〜。

豊津 笑ってものすごい高級だからさ。僕ね、お笑いってすごいと思ってんだ。ただ彼らも辛いよね。やっぱり漫才の門付だから。積み重ねるってすごく難しいじゃない。その点落語はさ、積み重ねられるじゃない。だから落語家を漫才師は全く別物だと僕は思うんだけど。

角田 そうですね。落語ってあの話、もう1回聞きたいなーになりますからね。

豊津 すると落語家は成功すればMCになるしかないじゃん。ね、もうやらんでしょう?松本と…

角田 落語というか、お笑いの方がですね。

豊津 そう、お笑いの方。もうMCしかないじゃない。

角田 自分が芸をやめるしかないですよね。

豊津 そうそう。で、余力があるから変なことやってスキャンダルで潰れていくじゃん(笑)

角田 (笑) そうですよね。

豊津 だからそれはね、やっぱり落語家のすごく…落語家じゃない、お笑いの人たちの──なんて言ったらいいかなぁ?いやぁ僕、モンスターエンジンの「私は神だ」ってのはもう最高だと思ってるんだよ。でもあれはモンスターエンジン自体が自覚してないような感じがするから。やっぱりあれを、あれを角田君達が教えていかなきゃいけないんですよ。お笑いのもってるね…。

角田 そうですね。だから…、うぅーん…、サブカルチャー…、だからお笑いもサブカルチャーじゃんって言われたらそうで。で、それをサブカルチャーともしかしたら他の色んなものの接続みたいなところが──それがウィトゲンシュタインとデュシャンじゃないですけど、そういう接続みたいなものがないんでしょうね。でもそれ本当はあった方がいいんでしょうねー…とは思います。その接続がしたいからボクは東大に通ってるんだろうなとは思うんですけどね。

豊津 いやもうまさにそうだと思う。

角田 なんかお互いが接続しなくていいやってちょっと思ってるんだろうなーって思いますし、その接続ってさらに言えば本当は経済というかビジネスも接続できるんじゃないかって思ってるんですけど。だからそれがアカデミックとビジネスとエンターテインメントってすごい接続できるはずなのに、なんか其々が其々袋小路に行っちゃってるんじゃないかなーみたいな思いがしてますよね。

豊津 やっぱり接続っていうのは選択と関係するじゃん。自分が何を選択するかっていう。で、選択するときに一番必要なのは教養だよね。だから僕が思うにはやっぱり子供の時からね、読み書き算盤が一つの教育だとすれば、読み書き算盤は選択するためのツールを教えているだけで、選択するための芯は何なのか?ってことだよね。例えば昔だったら論語があったわけだよね。それから聖書があったとかね。読み書き算盤とは別に芯のあるものを学んで選択していくわけじゃない。この芯のあるものをどうやって日本が獲得するかってのが、僕はこれがさっき言ったメインカルチャーだと思う。

角田 難しいですよね。ますますそれよりも芯じゃない、今度はパソコンのプログラミング教えましょうかとか、そういう教育ってそっちに行っちゃってますもんね。本当はそこじゃないのかも知れないですよね。

豊津 プレバトって、TBSか?あれ。

角田 TBSですね。

豊津 あれ、面白いね!あの夏井先生の添削。直すやつ。やっぱり手を入れるとあれだけ変わるじゃん、風景が。

角田 この句ならこうした方がいいわよってのが的確ですもんね。

豊津 そう。あれはTBSの傑作だと思います。

角田 (笑) そうですよね。あれMBSですよね、製作は。大阪の。

豊津 それでもっと面白いのはやっぱり東国原氏がね、作る句がすごく面白いじゃん。

角田 上手いですよね、東さん。

豊津 あのね、やっぱり視点が全然違うじゃん。それから彼、今、名人格の一番上の梅澤さん。梅澤さんは本当に俳句を作ってるって感じなんだけど、東国原君は俳句を作ってる、新しい俳句を作ろうっていう意識が。

角田 んふふ。やってますよね。ホントに。

豊津 そう。で、それをさ、ジュニアが脇で見てさ、俺にはこれが出来ないって言ってるじゃない。あの三人の構図がすごく面白い。

1:00:00 文学、文化、社会化

豊津 だからやっぱり日本という国はアートだとか、芸術の中で色んなこと言うんだけど、やっぱり何と言っても文学が先頭だね。水彩画とかさ、ああいう先生たち出てくるけど。

角田 それってやっぱり、さっきの話じゃないですけどメインカルチャーなんでしょうね。だって文化の「ぶん」って「ふみ」って書くわけですからね。

豊津 そう。本当!そうだ!!

角田 うん。そうなんですよね。いや、ボク文化って何なのか?って考えたら、文なんですよね。だからそれはやっぱり言葉ってのはすごい大事なんだよなーと思った時に、なんか…ボクも先月小説を自分で書いてみて出版したわけですけど、なんか言葉ってのは何なのか?ってことをすごい考えるようになりましたね。

豊津 それだし、やっぱり一冊の本書くと時間の流れを考えなきゃいけないでしょ。一冊の本をスタートしてから読み終わるまで。だから時間ってすごく大事になるじゃない。

角田 なります。ボクも小説を読まない人が小説を読めるように、すごい簡単に読めるように書くのに相当苦労しました。だから時間を掛けないで読めるような文章を書くのに時間が掛かりました(笑)

豊津 っはははは!

角田 うん、でも、それってなんかちょっとやって良かったのは、今まで自己啓発書とかビジネス書ばっか書いてたじゃないですか。それってボクの中でのある意味真面目さというか、自分の思ったことを思った通りに言ってるだけなんですよね。こう思ったとか、こう考えたとか、こうすべきだみたいな。ところが小説書いてから思ったのは、もう自分はこう思ったってことを自分が語りたくないですね。むしろ小説の作品の中でも語りたくないんですけど、その小説で伝えたくなりますね。フィクションで。

豊津 そうでしょ。そうなったらさ、簡単に言うと角田君は角田君を出さないようにしだしたでしょ。

角田 そう!そうなんです。

豊津 これがね、社会化ってことなんですよ。

角田 ぅわあー!面白い。そういうことか。

豊津 だからあなたの方が横尾さんより一歩先に行ったの。

角田 (笑) そんなことはないですけど!…ないですけど!でも、うん、社会化なんだなと思いましたし、だから豊津さんにFacebookでいいね下さってましたけど、本当に1週間前くらいに油絵、始めて、久しぶりに描いたんです。そうしたらなかなかね、絵を描くって…なんて言うんだろう、今まではロゴスって言うか自分の言葉でしか自分の言いたいことを伝えられなかったんだけど、絵って別にそれを直接伝えないんだけど伝わるんだなってことがちょっと面白くなりましたね。…社会化かも知れないです。

豊津 僕は絵が描けないんです。

角田 仰ってましたね。

豊津 うん。だからやっぱり小学校、中学、高校までは美術はずーっと最優秀の。優秀だったの。ある日突然ね、自分が描いた絵がつまんないと思った瞬間に描かなくなったの。やっぱりね、つまんないと思ったものはやらないですよ、人間は。

角田 なるほどね。だから逆に言うとギャラリーをやられてるのかも、やれるのかも知れないですよね。自分が描いてたらやれないかも知れないですもんね。

豊津 そうそう。

角田 面白いですね。そんな感じでもう1時間経っちゃいました。はい。今月も面白かったです。

豊津 いえいえ。じゃあその時間とアートをもう1個進んで、一生懸命考える男爵君の絵を来月はぜひ。

角田 来月、10月、やろうと思いますので。生配信をね、東京画廊から。ということで今月の「時間とアート」に関してはこれでライブ配信を終了したいと思います。どうも見ていただいた方、ありがとうございました。では終了しまーす。

豊津 どうもありがとうございました。

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コレクションと資本主義 「美術と蒐集」を知れば経済の核心がわかる (角川新書) 水野和夫・山本豊津 著
アートは資本主義の行方を予言する (PHP新書) 山本豊津 著


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