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ICUC-070_2021.7.25【オリンピックと特異日:バラエティとバリアブル】

【ICUC知的好奇心向上委員会】の知的好奇心の向上&趣味の文字起こし。I see, You see ! Intellectual Curiosity Update Committee

参考図書
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角田陽一郎70「オリンピックと特異日:バラエティとバリアブル」ICUC知的好奇心向上委員会
7月22日は自分の人生の特異日です!
7月23日はオリンピックの開会式でした!
7月24日は、水瓶座の満月で何ごとも満つるタイミングです!
そんな話をしています。
大事なことはvariety(多様性)とvariable(可変的)であること。
ぜひご覧ください。

角田陽一郎 オフィシャルwebサイト

mireva channel

動画の内容(+文字起こしメモ&感想)

オリンピック開催式の色々について

 おはようございまーす。知的好奇心向上委員会ICUC、バラエティプロデューサー角田陽一郎です。今日は、今はね、7月24日なんですけども。これ配信は25日にしてるかな?24日はちょうど満月なので、今日は土曜日なんですけど満月だから収録しちゃおうかなーなんて思いました(笑) 満月ってのはボクの中では新月・満月ってのは色んなきっかけのタイミングなのでね…なんて思いながらね。
 で。なんかね、色々話そうと思ってたことあったんですよ。あったんですけど、それこそ昨日、8月…違う違う、7月27日…違う!7月の23日、はい。7月の23日はオリンピック、東京オリンピックの、2020のオリンピックの開会式だったもんですから。やっぱこの1週間の流れとか開会式を見てとか、思ったことを喋った方がいいのかなー?なんて思いつつ。
 でもね、これ思うんですけど。そういう大きいイベントの話って、これをもしアーカイブで後に見る人って、もう開会式からだいぶ経っちゃったよなーっていうと、やっぱり見ないですよね…うん。なんだけど、まあこの動画はなんのためにやってるか?みたいなことで言うと、ボクはその時そう思ったっていうアーカイブ性みたなものを重視してるという意味では、一周回ってやっぱり話した方がいいのかなーなんて思いながらね。まあ、そんなことを思ったりもしてます。
 で、何なんでしょうね?…このオリンピックのことって色んなこと言われてるし、それこそ先週はまだ…小山田圭吾さんの音楽を使うってことになってただろうし。それこそ小林賢太郎さんの演出で行くっていう話になってただろうけども。それがバタバタッと変わっていったんじゃないかなーと思うんですね。
 で、その小林賢太郎さんと小山田圭吾さんってのは、小山田圭吾さんってね、それこそボク、「オトナの!」って番組、いとうせいこうさんとユースケ・サンタマリアさんとやってた番組のゲストで来て頂いたことがあって。その時たまたまユースケ・サンタマリアさんがインフルエンザでお休みだったから、いとうせいこう さんと角田陽一郎、私で司会をやるっていう(笑) 感じだったわけですね。それこそフリッパーズ・ギターなんてのは私まさに世代ですし。小山田さんもオザケンも大好きなので。コーネリアスもね。
 なので今回の件とかは色々いろいろなことを考えつつ、色んな思いがあるなーなんて思ってます。色んなことを考えつつ、色んな思いがあるなーなんてことを思って、で、一方で小林賢太郎さんの話っていうのもある意味、芸人さんだったわけで。で、ラーメンズの片桐さんはそれこそまた「オトナの!」に出て貰ったこととかがあるんで。小林さんはお会いしたことはないんですけど。うん、だからやっぱりちょっとこう自分に近い…みたいな方が、それこそ演出とか音楽というのが問題になってるというのはやっぱりなかなか、なかなかなことだなーなんて思いますね。
 でね、そう思った時にボク単純に呟いたことなんですけど。小山田さんの時にボクが呟いたのは…それこそ7月19日なんですけど。

多分、誰も、何も、配慮して決めてないんだよ。こういうこと、会社でもよくあった。多分、みんな無自覚に、ずるいんだよ。で、それがたまたまうまくいってると、たまたまいい感じなんだけど、歯車が狂うと、どんどん狂っていく。このオリンピックは、そんな日本という社会の閉塞感の顕現なんだ。。。

 現れ。閉塞感の現れなんだってことを書いたんですよね。なんかそう思います。だから個人的な問題っていう、問題…問題あるんですけど、過去のいじめだったり、ホロコーストへの言及だったり、かなり…かなり問題があるんですけど。その個人的な問題というよりは、なんかそういうようなことを、あの年代だったらまだ喋ってもよかったっていう日本社会の問題みたいなことかなーなんてすごく思ったりするんで。

意識高い系は意識低い系よりも1万倍いい

 で、そういうのってその閉塞感みたいなものを何で感じるか?って言うと、なんか…どう考えたってユダヤ人のホロコーストのことについてああいう言い方はしちゃダメなんですよね。でもそれはダメなんですよねーっていうことを、たぶん知らなくてやっちゃってるんだと思うんですよね。で、何となく知らなくていいんだっていう感じってすごくあると思ってて。それはボクの中では…ボクの中の、ボクの言葉で変換すると、意識高い系は意識低い系よりも1万倍いいって思ってるんですね。
 ところが意識高い系って時に揶揄される、それって東大脳みたいな言い方もそうかも知れないし、みたいな。でもそんな…、そういう様なことじゃなく、意識高い系の意識ってのは実は…”そう言うことは言っちゃダメなんだよって知ってること”というか。それをコントに使っちゃダメなんだよっていうことなんだと思うんですよね。
 で、尚且つそれを…なんて言うんだろうなー、こういう事件が起こるともう丸々ダメなんだなーみたいに思っちゃうのって意識低いじゃないですか?それもまたすごい問題だなーなんて思ってて。だって実際ハリウッド映画とかでナチズムを、ヒットラーを描いてる作品ってたくさんあるわけで。で、コメディだってあるし。でもそこには何かしらのメッセージというかアンチ的なメッセージというか、そういうものが捉えられてる。それって つかこうへい さんの「広島に原爆を落とす日」っていう傑作舞台がありますけども。あれだって広島に原爆を落とす日ってすごいタイトルだなーなんて思うんだけども、でもそれって、それを言うことでその在日朝鮮人的な差別みたいなものを つかこうへい さんが描きたかったっていうことのテーマだと思うとすると、小説にもなってますけど、あの作品は「広島に原爆を落とす日」てタイトルじゃなきゃやっぱり成立しないんだなーなんて思うんですね。
 で、そういう様な意味でそういう負を描くっていうことは、やはり何か作品を作るにはすごい大事なことだと思うんだけど、そういうことが意識低いと「そういうの全部ダメなんですよね」みたいな。全部ダメなんですよねって、またなんか会社のルール的なもので(笑) ただダメになっていくみたいな。「ダメって言われちゃいました、上から。」みたいな。そういうことじゃない様な気がするって言うか。う〜ん、だから…もう一回読みますけど、

多分、誰も、何も、配慮して決めてないんだよ。こういうこと、会社でもよくあった。多分、みんな無自覚に、ずるいんだよ。で、それがたまたまうまくいってると、たまたまいい感じなんだけど、歯車が狂うと、どんどん狂っていく。このオリンピックは、そんな日本という社会の閉塞感の顕現なんだ。。。

 って言うボクのコメントに繋がるんですよね。で、小林賢太郎さんの時にまた呟いてるんですけど。

東京オリンピック、、、むしろ否が応でも、いやが上にも、今までの日本の問題点のさまざまな膿を炙り出すために、設定されたものなのじゃないだろうか、という気がしてきた。
僕らの変わるタイミングがどどーんとやってきてるのじゃないだろうか。

 って、呟きましたね。これもそう思います。うん…だから東京オリンピックやった方がいい、やらない方がいい、って問題はすごくあるし。コロナの問題もあるし。様々な問題があるんですけど。やった方がいい、やらない方がいいって意見を色々言うということが一番大事だと思うんですけど。
 でもね、結果的に開幕、昨日されたということは、なんかされる意味があったのかなーなんてボクはちょっと思っちゃうんですね。その、まぁ、歴史好きでもないけど、歴史に興味がある人間としては。否が応でも、いやが上でも開催されてしまたっていうことには、開催されたことで…ね、小林賢太郎とか小山田さんの話って要は人権みたいな話だし。その前のね、女性の会話は長いみたいなセクハラ的な発言とかも、結果的に日本社会が無自覚に許容してたというか。だからその個人個人の問題というより、この世界が、この日本が…特に会社とか、組織とか、共同体、地方公共団体…とかで許容してきたことっていうのに、無自覚さがあったっていう、意識低い系だったっていうことへの、いけないんだぞ!っていう炙り出しが行われてるのではないかなーなんて思ったりもします。

開会式はカルチャーのエンターテインメント

 でね、あともう1点オリンピックに関して言うと。ボクまさに今日、メルマガ配行日だったんで「オリンピック夢想」っていうタイトルで…夢想ってのは夢に想うの夢想ですけど。「オリンピック夢想」っていう文章を書いたんですけど。まあそれはメルマガ取ってる人には読んで欲しいんですけど。オリンピック開会式、ボク好きなんですよ、すごく。2004年にアテネ・オリンピックにね、金スマでロケ行って。SMAPの中居正広さんがTBSテレビのオリンピックのキャスターだからね、その中居さんを邪魔しに行こうみたいなバラエティ企画で、大竹しのぶさんと、飯島愛さんと、篠原涼子さんと、アテネに行ったりして。
 1週間くらいいたんですけど。すごい楽しかったんですけどね。あまりにも楽しかったんですけど、その中で開会式を見に行ったんですよ。大竹さんとか飯島さんとか篠原さんとかと…あ!大竹さん居たかな?…いたいたいたいた、ちょうど居たんだ、間に合ったんだ。ちょっと遅れてきたんですよね。で、その時にね、素晴らしく良かったんですよ、開会式が。素晴らしく良かったって言うのはその開会式の演出も素晴らしかったんですけど…なんかね、ギリシャだからね、アトムみたいな話から始まるんですよ。その構造体が、アトムみたいなのがだんだん人に成って行って、アスリートになって走っていくみたいなのをスタジアムで見たりとか。初め、水がわーっとスタジアムにひいてあるんだけど、気づいたら無くなってるみたいな。シルクドソレイユ的なやつなんですけど…とかね。すごい面白かった、凄かったんですね。で、ビヨーク、ミュージシャンが出てきてライブしたりとかして。もうすんごい興奮して感動してですね、こんなに素晴らしいんだ!って思ったんです。
 それまでは当然NHKの中継で見てますけど。NHKの中継ってアナウンサーの解説がはいるじゃないですか?「さぁ今花火が打ち上がりましたね」みたいな。あれって客観目線で見ちゃう。だからスポーツの中継みたいな感じで開会式も中継してるんだけども、実は開会式ってエンターテインメントなんだよな、カルチャーの。だからそのカルチャーのエンターテインメントなんだって要素ってそんなに今回のね、小林さんが解任されるとか、小山田さんが辞退するみたいな話の時に、ちょっとこう違う話、政治的な話とか、お金みたいな話とか、スポンサーみたいな話にいつもなっちゃうんだけど、本当は各国各国、ロンドン・オリンピックならロンドン、北京なら北京オリンピック、リオならリオとか、そういうところの、その国がどういう風に開会式をやるか?ってすごい文化の表れが感じられるというかね。文化の深層が感じられるから、すごい面白いんだよなーなんて思ってて。
 ボク、ロンドン・オリンピックとかすごい好きなんですよね。北京オリンピックも好きなんですけどね。北京オリンピックのすごいマスゲームと儒教がくっ付いてる感じとかね。蔡國強さんのね、あの現代アーティストの。なんか花火の演出とかすごいなーなんて思ったし。ロンドンもね、なんかそのイギリスの歴史をやるんですよね。で、どんどん森が出来ていって、森を切って、薪を使って産業革命が起こってみたいな。なんかああいうその文化をどう現すか?みたいな。
 ギリシャでボクはヤられたんですね。そこから本当に北京とかロンドンとか、ブルーレイ買っちゃってるぐらいの。開会式の(笑) それぐらい好きなんですよね。ロンドンはそれこそポール・マッカートニーが出てきたしみたいな。

エンタメの見下され感

 で、そう思った時に、なんかそういう議論って…開会式なんか簡素化しちゃえばいいじゃんみたいな話がやっぱり出てきたみたいな話って、なんかボクの中ではエンターテインメントって言うことの…軽視っていうかね、軽視されるからエンターテインメントとも一方で言えるんだけど、なんかエンターテインメントの力ってものがなんかすごい大好きなのになーなんて思ったりするというか、そこがちょっと今回のね、ドタバタは残念だなーなんて思いましたね。
 あとね、アテネってちょうど2004年だったんで、ボクは34歳のときなんですけど、その時にね、それこそアテネに見に行って、で、翌日か翌々日か、大竹しのぶさんと大竹しのぶさんところの社長、シス・カンパニーの北村明子さんと3人でご飯を食べたんですね。で、ご飯を食べた時にね、大竹しのぶさんに言われたんですけど。あの開会式すごかったよねーみたいな話で3人で盛り上がった後、色々調べたらボクなんかより年下だったんですよ、そのディレクターが。30歳ぐらいなのかな?…大竹さんが言うわけですよ。「角田さーん、なんか角田さんより若いらしいですよ?あの素晴らしい開会式の演出。」みたいな。ちょっとボク的には「うぅっ」っと思うわけですよ。「くそぅ、オレより若いのか」とかね。それとか、ちょっと挑発してくるキュートな大竹しのぶさんなんですけど…でも大竹さんって前もちょっと言ったけど、元ね、さんまさんの前の旦那さんがTBSのディレクターだったって意味で、なんかボクらTBSのディレクター陣をちょっと後輩の様に慕って頂いてるところがあってね。そういう言い方されるのすごく嬉しいんですけど。愛情あって。で、「そっかー。いつかはボクもオリンピックの演出なんかやりたいなー。だってボクより年下のやつがアテネ・オリンピックやってんじゃん。」とか思った記憶がありますよね。
 で、そこから2013年に東京がね、オリンピック開催決定した時に、ちょうどボクは2011年の東日本大震災でインスピレーションを受けて、そこからテレビというフレームを超えて色んなことをやりましょうってなっていったわけですから、ちょうど2013年になった時とか、仲間内で話してたわけですよ。なんか2020年はちょうどボクも50なんで…ボクが演出したいです!みたいなね。できたらいいな!みたいな。どうやればやれるんだろう?みたいな。…話とかしてたなーなんて思いますね。
 で、そこから実際2020年になるとですね、まあ、ボクが演出なんてことは全くなく。さらに言えば会場に行くこともね、チケット抽選で受かりもせずみたいなね。結局「なんだよ。東京でやってもテレビで見るのは一緒なのか。」みたいな。なんかそんな思いをしてたら、コロナがあって。結局できなくもなり。1年延期されてね。で、延期されたところでね、放送作家の樋口卓治さんが入ってますよね、構成に。開会式ね…。樋口さんってボクずーっと「さんまのからくりTV」とか「金スマ」で一緒にやってた作家さんなんで、「なんだ、結果的に近いところまで話は行ってたんだなー」なんて思うと、「ボクなんかが演出みたいなのは全くなかった話じゃないじゃんか」なんて、ちょっと思ったりもするって言うかね。ま、そんな思い。そんな思いで昨日のオリンピックの開会式を見ました。
 うん。まぁ色んな思いがあります。あそこはもっとこうすれば…とか、拙いなーとか、自分ならこうするだろうなとか。まあでもそんな話はね、まぁ、大した話じゃないんでいいんですけど。なんかね、エンターテインメントっていうものの見下され感というか、大事さ…一方で大事さ、大事にされてないから…というようなところみたいなものを今回すごく感じたなーという意味では、なんかパワー・オブ・エンターテインメントっていうのをもっと…うん、考えないといけないんだろうなーなんてことを思ったりもしました。

ボクの人生の7月22日

 ね、オリンピックの話で半分ぐらい尺を使っちゃったわけですが。本当はね、違う話をしようと思ってたんです。でも違う話はもう来週にするとして、また違う話をしようとすると(笑) えーと、ボクね、7月22日って…ちょうど2日前?ってね、あー7月22日じゃない、7月20日。…ぅん?7月20日?…7月22日…ってね、ボクね、自分の人生の特異日だって言ってるんですね。特異日って特別に異なる…これ何回も言ってるとは思うんですけど。その日、2012年の2月…ごめんなさい、ごめんなさい、えーと…2012年の7月22日にね、ボクがたまたまなんか新しいことやろうと思ったきっかけがパッと降りてきて。そこから現在に至る、TBSを辞めてバラエティプロデューサーをやってる、本を書くとか、なんかそういう様な話に繋がっているきっかけの日なんですけどね。で、それ今一緒に会社やってる人間の誕生日だったりもするっていう偶然が偶然に重なってるんだけど。
 で、今年もなんかそんなことを思ってたんですけど。ちょうど大阪にいたんですよ。前日に「フェイクスピア」っていう野田秀樹さんの舞台を観たりして、人と会ったりして、翌日だったもんですから、うん。で、朝ね、ホテルの1階でご飯を食べてた時に「あー、今日7月22日だ」と思って。「あぁそうだ、ボクの特異日だ」と思った時に、ちょうど2012年って坂口恭平っていうね、天才、総理(笑) 坂口恭平というアーティスト、作家、写真家、画家、新政府の総理と言っている男(笑) と、出会って。彼の個展を見に行って。彼の絵を買ったんですよね。彼が2012年の7月に描いたばっかりの絵っていうのを、結構大きい絵を買ったのも…。買って取りに行ったのがちょうど7月22日だったりするんですけど。代官山で個展をやってたところにね。なんかそこから変わってるよなーなんて思ってたら、2021年、つまり今年の7月22日に朝ごはん食べてたら、自分の席の後ろのところに絵が飾ってあったんですけど、その絵が売ってたんですよ。「あ、これなんか買えってことだな」と思っちゃって(笑) でね、その絵自体はすごい大きくて、ぶっちゃけ高かったんで、ちょっとボクには買えなかったんですけど。

 ということでそのカフェを見てたら何作か置いてあったんで、一番買えそうな値段ので、なんか好きそうなの買おうと思って買ったのが…これですね。じゃじゃじゃじゃーん、はい、買いました。

 うん。そうなんですよ。これを買ったんですよね。「未来人間ホワイトマン」って言うんですよね。なんでホワイトマンなのか?とか、ちょっと後で作家の方のね、調べてみたんですけど…そんなに出てなかったです。イケミチコさんっていう現代アーティストの方の作品なんですけど、「未来人間ホワイトマン」。
 で、「未来人間ホワイトマン」っていう作品が何作かあったんですけど。で、これ買ってから気付いたんですけど、副題が「明日への希望」って言うんで。おお!特異日に明日への希望ってのを買うか?!…うん、まあね、そんなこんなで絵を買っちゃいましたっていうか。

バリアブルな日々とバラエティな人生

 で、その7月22日ってね、なんかそういう日なんですけど。それこそ石井ゆかりさん、占星術士、占いの方のね。いつもメールを配信してるのとかを、星読みっていうのを読んでるんですけど。ちょうど今日、24日、配信日で言うと昨日か。24日が満月だったんで、満月にいつもくるんですね、メールが。そしたらですね、ちょっと読ませて頂くと…

24日、水瓶座で満月が起こります。土星と冥王星に挟まれるような位置での満月で、

ここからがあれなんですけど、

1月から2月頃に起こったことを彷彿とされる形になっています。あの頃に起こったことの1つの着地点がここに置かれています。当時決定したこと、選択したことの結果が出ている様なタイミングなのです。この結果に沿ってここからどうするかを改めて検討し始めることができます。過去の選択に問題があったなら、別の選択肢を検討し始められます。過去の決断が功を奏していたならさらにその方向性を推し進めていく準備を始められます。

 うん…。これってね、本当にボクその1月から2月ぐらいに自分の人生が変わるタイミングだなーって思ったことがバシバシ起こって。このICUCでもね、結構喋ってると思うんですけど。で、また7月になったらそれがちょっと収束する感じっていうかを感じてたところに、この満月でこういう言葉を頂くっていうのはね、すごい…すごい感じちゃうんですよね。私は獅子座なんで獅子座のところを読ませていただくと。

獅子座に入ったばかりの太陽は非常に強い意志を示します。どうなるだろう?ではなく、どうするか?を考えるには、まず今何が起こっているかという現実を直視し、受け止める必要があります。獅子座は目と関係が深い世界です。見つめる、見直す、向き合う、目を向ける、など。私たちが無意識に見落としているものを、意識を持って見つけ出す作業ができるときなのだと思います。ここまで半年ほどのプロセスを知性で受け止め、ここからの道のりを理性と強い意志で肯定的に方向づけられるタイミングです。

 なんですって(笑) そうかーと思ってね。ボクいつも新しいタイミングで新しいタイミングだって話をしてるから、これをコンスタントに見ている方とかはいつも変わるタイミングだって言って変わってんのか?お前って、思うかも知れないけど。はい、変わってます。うん。だから変わり過ぎてるぐらい自分の考えとか想いみたいなものは変わってるよなーなんて思ってて。その…バリアブルというかね、変わっていく感じってバラエティとすごい…ボクがバラエティと言ってる話とバリアブルって言ってる話はすごい共通点があるのかなーなんて思うんですよね。なんかそれこそ良くも悪くもバラエティでしか生きられない人間で、良くも悪くもバリアブルな日々を送っているのかなーなんて、すごく思うわけです。
 だから何かね、自分が実はこうやってアーカイブを撮って、何かを喋ってるとか、それこそメルマガでそういう思いを書いてるって、もうひとえに自分のためにやってるだけなのかなーなんて思いますね。で、自分のために喋ったりとか、自分のために書いてるんだけども、時々ね、そういうの読んだ方が勇気づけられましたとか、共感しましたみたいなことを言って頂けるとホント鬼の様に嬉しくてですね。だから鬼の様に嬉しいから鬼の様に嬉しくさせるために、嬉しくさせたいから書いてますって訳では決してないんだけども。なんかそんなことを、ボクが思ってることを、ちょっとでもこれを見ている方とかに…なんか、何かのきっかけになったら面白いなーなんて思いながら、自分の思ってることを言ってる次第ではありますね。
 なんかね。うん。…やらなきゃいけないことと言うか、やりたいことと言うか、…の塩梅みたいなものってはなかなか難しいんだけども…。うん…、なんかまあ、日々迷ってる感じっていうのは…迷ってる感じをそのまま出すっていうのも恥ずかしいなーなんて思いながらも、まあそれはそれで、それしか出来ないのでいいかなーと思ってると……、このYouTube動画は、再生数伸びないだろうなぁ(笑) なんてのも一方で思いますよね。うん、まあ、それでいいのかなーなんてのも思ったりもしつつ…うん。

オリンピック、観劇、読書と鑑賞と家庭菜園

 昨日のオリンピックね、大坂なおみさんが最後に聖火に点灯しましたし。そこにはね、長嶋さんと王さんと松井さんとかね…うん。結構やっぱ感動しますよね…うん。あのドローンもかっこよかったですよね…うん。ピクトグラムとかも頑張ってましたよね…うん。なんかもっと華やかにやりたかったんだろうなーとか、色々あるんだろうなーなんてことも思ったりもしますよね。
 で、あと、歓声がないじゃないですか?この歓声がないってね、あのライブの配信とか舞台の配信とか見ててもね、やっぱり歓声が無いってことは一番の大きな違いだなーなんて思いますね。オーディエンスの歓声。だからそれこそ「フェイクスピア」を先週水曜日に見たんですけど、素晴らしく良かったんですよね。野田秀樹さんのやつ。白石加代子さん、橋爪功さんとか、川平慈英さんとか、前田敦子さんとか、もうみんなすごいんですけど…うん。主役の高橋一生さんすごかったなー。なんかちょっと惚れた!高橋一生さんに…うん。すごかったなぁなんて思いながら。…こう、野田作品ってね、なんかすごい目眩く言葉遊びと、目眩く煌びやかさで、何やってるか分からない感じで、幻想的な夢を見ているような感じなんだけど、時にふと真実みたいなものがどっと現れて、それで現実に引き戻されるみたいな…うん。そこから感動まで持って行くみたいなのはさすがだなーなんて思いながらね。うん…すごい。。。すごいなぁ、いろいろ(笑)
 うん、まあ、あとすごいで言うとね。今「三体」小説、読んでるんですけど。Ⅱの下巻をさっき読み終わったんで、あの…黒暗森林っていう。すごい!これもすごいなぁホントに。もうみんなすごいすごいしか言わないんだけどね…すっごいっすねぇ。
 うん、あとはね、あれ見たんですよ。「竜とそばかすの姫」すごかったぁ(笑) みんなすげぇなぁ!「竜とそばかすの姫」は凄かったですよ、みなさん。見た方がいいですよ。なんか細田監督すげぇなぁ。「竜とそばかすの姫」はね、どういう風にみんな言うのかなー?ボク…なんかね、すげぇ新しいものを見た感じがしました。だからそれがバーチャル空間だからどうこうとかじゃなくて。…うん、この方向か!みたいな。方向性みたいなものの新しさを感じたんだよなー。上手く言えないんだけど…うん。ああ、「三体」だってそうだな。「フェイクスピア」は新しい方向性というか野田さんという方向をしっかり魅せられた…うん。「三体」ってSFは本当にああこれ中国なんだなーってすごく思うんですよね。歴史小説っぽいSFっていうか。あれはすごいなぁとか。なんかこうすごいものを見せられたらすごいなぁって、当たり前のこと言ってますけど(笑) 思うんだなーなんて思いますよね。
 そんな時にオリンピックの開会式ってすごいもの…だったかは置いといて、やることが大変だったんでしょうけど、すごいものを見せて欲しいなーなんて思うし。自分もね、作り手の端くれで言うと、すごいものを見せられるのかなー?…なんて思いがね、すごいよぎったりして。うん、それがなんか自分が感じた特異点でもあり、満月の変わるタイミングでもあり…っていうことかなーなんて思います。
 本当はね、もう1個違うきっかけがあったんだけど、それはちょっとタイトルも含めて…なんか考えてて。本当は今日喋ろうかなーと思ったことって言いましたけど、それはちょっと来週話してみようかなーなんて思います。
 はい。なんかね、暑いですけど、ここは海街のアトリエですけども。家庭菜園、色々種植えてみたら、成功してるものと、失敗してるものとかがあるんですけど(笑) もうすぐね、向日葵が咲きそうなんですよ。この向日葵が咲きそうなのがすごい嬉しくてですね。だから悲しいことはたくさんあるけども、楽しいこともちょこっとあるんだなっていうことを感じてるという次第でございます。はい。そんな感じでICUC知的好奇心向上委員会でございました。また来週よろしくお願いします。みなさん、暑いので起きをつけください、と。…そうだ!私、今日、この後、コロナのワクチンを打ってきます。なんだかんだ言って1回目がやっと今日っていう感じなんですが。ま、そんな感じでございます。

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文字起こし後の文字寝かし

(好き勝手に思った感想を書き残しておくことを文字寝かしと言うことにしました)

 40代前半の角田さんが仲間内で話したオリンピックのこと、知人が携わってたこと、開始前に炎上したこと、直接的なものはないにしても、ちょっと気分が時化ってたりしたろうか?元気が云々というより重さ、湿度があったように思う。私だったら開会式の周りのざわつきには滅入り、夢想の終わりを虚しく寂しく見てたと思う。この経験がないと悟った老人にはなれないんだろうなーなんてことも思いつつ。

 今さら”意識高い系”を検索。「自分を過剰に演出するが中身が伴っていない若者(言い換えれば、虚栄心が強い)、前向きすぎて空回りしている若者、インターネットにおいて自分の経歴・人脈を演出し自己アピールを絶やさない人などを意味する俗称である。」by Wikipedia。2000年代半ばの就職活動の場で使われ始めた「意識の高い学生」が語源らしい。
 ということは私の就職活動の直後、就職氷河期が当たり前になり、就職活動が年々前倒しになっていくのもこの辺りだったと思う。意識を高くというのは就職活動の入念さだったんだろう。
 角田さんの言う”意識高い”は揶揄ではなく言葉の意味そのまま、そのままの方がいいけど、意識高い系はやっぱり揶揄する言葉なんだな。角田さんは東大脳ということも言ってるけど、この言い方は知識量の多さみたいな部分しか指してなくて、実際の東大脳にあるはずの”ものの考え方”、ある意味オタク気質みたいな意味がすっぽり抜けてる表現だ。
 今オタクになりたい若者が多くて、知識を詰め込むためにYouTubeは倍速でながら聞きし、本は速読斜め読み、コスパ重視の最短距離で成功を目指すから→結果オタクになれない…という話を聞く。それってつまり「そういうことは言っちゃダメだと知っている」はずがないと思う。そう思う理由は(上手く言葉に出来ないけど)最短高コスパ成功論は「他人への配慮なんかしてたら遅くなって成功が遠のく/成功を目指さない人に足を引っ張られる」と思ってるんだなーと感じるから。つまり「情けは人の為ならずを実践できていれば配慮も出来て自分の身を守ることも出来る」ということも面倒な”しがらみ”として切り捨てている。角田さんの言う本を読まないとか、考えないとか、行間を読めない・読み間違える、そういうことと繋がると思う。
 これは意識低い系とでも言うのかな?「あなたの意識が高いと、こんなに疲れて頑張って生きてる私の意識が低いと言われてる気がして苦しい。」私にもこの比較意識はあるけど…難しい。比較は自動的に発露するし、簡単に落胆できる。やっぱり幼少期に平等横並び、優劣少ない環境になった昭和後半育ちの後遺症な気がしてくる。それより昔のことも今のことも知らずに無責任にそう思ってるだけだけども、私が老人になる頃には何かを僻まず妬まず嫉まず落胆せずに生きられる世代に変わらないと。ICUCを聞いてる人だけでも。

 エンターテインメントなんだから苦しい時に無理してやることないという発想は、苦しいからこそという発想がないのはもちろん、不足するお金やエネルギーの分配を欲しいところに集めたいという、バラエティの逆の現象かもと思う。よく税金の無駄遣いと言うけど、今ならコロナで大変なものへ配分せよという感じが強いんだろうけど、でも実は”自分が思ういいもの”では無いところに配分されるのは面白くない…というだけな気がする。お疲れ時代の代表的な症状というか。
 ふとアートとエンターテインメントの差はなんだろう?と…また検索。「アートは作品から意図やメッセージを汲み取る必要があり、受け身では心が動かない」と定義をしている方がいらっしゃった。「アートの方が表現の幅が広い」という解説もあったけど、アートには楽しむという要素も入ってるから、エンタメはアートの一部分を担うものなのかな。アートは誰もが身近で感じるものでいいんだと山田五郎さんが仰ってたけど、現在のアートは高い敷居の向こう側に押し込められてる。
 先日友人と話していた「怒りたい人がいる」ということ。怒ることが行動のエネルギーとなるため、怒っていたいということになるとのこと。当然そんなに上手に怒れる人ばかりではないから、投稿には品がなく、誰かや何かを軽視的、蔑視的に書いている人も多い。そんな心理が働くなら、悲しみたいということもあるのではないか?コロナで辛いことをもっと辛いと受け取りたい人もいるのではないか?ちょっとだけ理解できそうな気がするのは、そうやって過剰な感情に溺れることで何かが癒せる可能性があるということ。つまり自浄作用。なら映画でも見ろとは言いたくなるけど、結局はどうしてそんなに怒りたいのか?悲しみたいのか?自分で探らないと癒える転機は訪れないんだけども、何かを癒さずにいられない人だらけなのも今の時代なんだと思う。もしかしたら、なんかすごい大きな力で、時代の空気感ごと自浄作用に向かってる途中だったり…?

 ひとえに自分のためのアーカイブ。それでは何にも収益にならないと言われたことがある。もっと誰かに届くものを配信せねばと。それが合わなかった。その配信を見に来た人を候補と呼び、背後に用意してあるものを売る。それは下心以外の何なんだろうか?と。2年ほど理解出来ないと訴え続けたけど、結局伝わらなかったし相手の言い分も理解出来ず。せめて相手の言い分を理解できれば何か掴めると思ったけど、じゃあ私はこれという選択肢はもう少しで見えそうで、まだ見えない。
 いつまでも自分のためのアーカイブをやって欲しい。もちろん嫌にならなければ。そのお裾分けがあるのは本当に楽しいから。

 「未来人間ホワイトマン」について検索できた範囲をまとめてみると、

「未来人間ホワイトマン」とは、21世紀初頭にイケミチコが生み出した人種・性別・学歴・宗教の違い、宗教の違い・貧富の差・戦争・あらゆる格差や悲劇から世界の解放を願う人々のピュアな姿。
地球人が地球人でありたいと願う姿。救世主ではなく、地球上の人間、全ての人々の心の中に存在するもの。様々な色彩を身につけても原点の心はピュアなホワイト。

 ということだった。どこかでホワイトマンに会えたら挨拶しておこう。

 書き過ぎと思いつつ、それでも頭に浮かんだことを何個も拾い損ねてるのが悔しいなー。

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