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ICUC-087_2021.11.21【えんとつ町のプペルと桑田佳祐”ボクはボクを好きになる”】

【ICUC知的好奇心向上委員会】の私の知的好奇心の向上&趣味の文字起こし。I see, You see ! Intellectual Curiosity Update Committee

新刊図書
『AP アシスタントプロデューサー』角田陽一郎著エパブリック
『仕事人生あんちょこ辞典』角田陽一郎/加藤昌治(ベストセラーズ刊)

角田陽一郎87「えんとつ町のプペルと桑田佳祐”ボクはボクを好きになる”」ICUC知的好奇心向上委員会

ミュージカル『えんとつ町のプペル』を観ました。
カフェマメヒコで「ここ何」トークイベントを行いました。
京都で紅葉のライトアップを観ました。
広島のスピングルカンパニーに行きました。
桑田佳祐さんのライブに行きました。
そんなこんなで、ボクが感じた「ボクがボクを好きなる」というお話です。

角田陽一郎 オフィシャルwebサイト

mireva channel

動画の内容(+文字起こしメモ&感想)

ボクの中で何かが満ちる1週間

 おはようございまーす。知的好奇心向上委員会でございます。バラエティプロデューサー角田陽一郎でございます。今日は11月21日でございまして、私は今、海の街の自分のスタジオで今日は収録しております。
 昨日までね、広島に行ってて。その前には京都に行っててとか。で、その広島に行ったのは皆既月食だったと思いますけども…19日か。19日は満月だったんで、なんかね、この先週からの1週間は、なんか結構、なんか色々、ボクの中でも何かが満るような感じでございました。なので今日はそんなお話をしようかなーと思うんですけども。究極的にはですね…究極(笑)?究極的には昨日、さいたまスーパーアリーナで桑田佳祐さんのライブ観に行ってきて、結局なんだかんだ言って桑田佳祐すげぇや!みたいな思いの中で今いるものですから。あれ…何かあるかな、グッズみたいな…。グッズあったらパッと出したいなーと思ったんだけど、こういう時に用意してないのがアレですね…はい。いやぁ、すごかったですよ。…ああ、これこれ。これね、桑田さんのBIG MOUTEH, NO GUTS!! って言うタイトルになってますね。つまり口は大きいけど根性ないよって言うような(笑) ことをたぶん桑田さんが自虐的に付けてるタイトルだとは思うんですけども。うん、そこで結構勇気付けられたって話まで、この1週間の話をしながら結果的にそこまで行くといいかなーとは思ってるんですけども。

11月17日 水曜日 ミュージカル「えんとつ町のプペル」

 まずどこから話そうかな。えぇーと、スケジュールを見ますね。いつから…時系列で話せばいいのかな?えっと…。ああ、なるほど。水曜日にですね、まずボク先週の水曜日に西野亮廣さん、キングコングの西野さん原作の「えんとつ町のプペル」のミュージカルを観に行ってきたんですね。東京キネマ倶楽部っていう場所でやってるミュージカルなんですけど。去年映画になってみなさん有名で知ってるとは思うんですけど。でもミュージカル好きなんで、ミュージカル版を観たいなーと思って観てきたんですけど。そしたら…うん。言葉を選ばずにストレートに言うと、良かったですね。その良かったってのが何かって言うと、ミュージカルってやっぱり歌で解説するというか、あるいはむしろ解説しないで勢いで、雰囲気で、業界用語的に言うと囲気雰で持ってっちゃうところがあると思うんですけど、その時に西野さんの作った世界観と言うか、絵本のような世界観って言うか…おかしいですね、元々絵本の作品だから。その絵本の作品の世界観がその勢いに乗ってっちゃう感じをすごく体現出来てて。本当にえんとつ町の中に自分がいるような錯覚の、素晴らしい美術セットだったんで。ボクInstagramに上げますけど、見ていただければ分かりますけど、インスタで上げた写真が絵本を上げてる様に見えると言うか。その没入感みたいなのが半端なくて。それがボクの中で素晴らしく何か気づきを頂きました。
  なので観終わった後にね、西野さんに速攻で送っちゃったんですけど、感想を。

「西野さん、プペル・ミュージカル最高でした。最後の皆でロープを引っ張るところ、レ・ミゼラブルのクライマックスみたいな感じで胸が熱くなりました。主題歌を生歌で皆で合唱するのも映画と違い興奮がダイレクトにやって来ますね。そんな感じで一体感で包み込むセット美術素晴らしかったです。何となくVRやARで没入感を生む演出が多い中、やはり現実のセットでの幻想世界との一体感はそれを凌駕する感動の場になりますね。改めてそれに気付かされる舞台体験でした。ありがとうございました。」

 って言う風に。「歌舞伎も楽しみにしております。」って(笑)書いたんですけど。そしたら西野さんからちょっと何回かやり取りして…だったんですけど。何かすごい…何て言うんだろう、ボクね、「えんとつ町のプペル」って絵本は当然素晴らしいし、映画も素晴らしいんだけど。当然バッシングみたいなものもあるじゃないですか、一方で。何か西野さんがやってる戦法と言うか、商法と言うか、オンラインシステムビジネス的な感じと言うか。で、それはその是非は置いといて。是非と言うか、ボクがコメント出来る立場でもないので。だってこの動画なんてね、その1000分の1くらいしか見られてない訳で。だから全然ボクなんかコメントする立場でもないんですけど、そういうのを抜きにして、作品だけで言うと。ちょっと分かり易すぎるかなぁみたいなね、風なことをずーっと思ってるわけです。もうちょっとえんとつ町という世界が深くても良いんじゃないかなーとかって。まあ本当に観た者の勝手な、観客側の勝手な意見なのかも知れないんですけどね。そうなんだけど、何かすごいそう言うことを抜きにして感動している若い子とかがたくさん…多いし。尚且つそのミュージカルのお客さん、ボク比較的演劇観に行ってる方だとは思うんですけど、演劇もやっぱり年々お客さんが年齢が…年を取ってるなーと思うんですね。まあそうですよね、ボクが学生の頃観てたものを今観てるわけだから、お客さんも年々上がってるなーみたいに。こう言うと何ですけど、おじちゃん、おばちゃんが多いなーと思ってたり…ボクも含めてと言うか──中で、「えんとつ町のプペル」はすごい若い子達が来てたと言うか。それってある1つのミュージカルと言うか、演劇の新たな道を提言…提出、ぅん?現出させてるよなーなんて思ったりもするんですね。でもその中でそれって分かり易さに重点が置かれしまったりすると、何かすごくある意味残念なんじゃないかなーとちょっと思ってたりしてて。それ西野さんご本人にも言ったことあるかな?そんなことも思ってたわけです。

 でも今回ミュージカル観て、もう何か、つまりその雰囲気で…説明なのか、そのストーリーを役者さんが演じてて、そのストーリーの中でそのストーリーが進行して行くみたいなことって、例えばボクらが渋谷にいて、渋谷の街で没入感って言うか、渋谷にいるんでまさに渋谷に没入してるわけじゃないですか。そんな中で道ゆく人が何かちょっとした出来事があったり、何だったら事件まであったとしても、それなんて、そのストーリーの起承転結なんて、全然知らないわけですよね。だってその人をずーっと見てた訳じゃないから。だからその街に没入するって言うのは、その街のストーリーとかを関係なく、その瞬間瞬間切り取るだけなんだよなーって言う風に思った時に、「えんとつ町のプペル」ってこれでいいんだなってちょっと思わせてくれたんですね。いや、それは一人一人のストーリーがあるし、人生もあるんですよね、渋谷にいる人達に。それと同じ様に”えんとつ町”に出てくるそれぞれの登場人物にはそれぞれのストーリーがあるとは思うんだけど、でもそんなものを知らずにその街に人々がいるわけで…って言う感じをすごい体感出来たんですよね。うん、だから何かこう渋谷の街でハロウィンだからって皆んながコスプレしてるみたいな事とか、そういう様な事と何か本質的には一緒なのではないかなーなんて思わせて頂けてですね。それが何かすごくボクの中で目から鱗だったんですね。うん…遅いですよね、1年経って(笑) 映画から1年くらい経って。でも絵本の時から映画化するみたな話ってもう4年前くらいでしたっけ?最初の内はボクとかコルクの佐渡島庸平さんとかと一緒によく西野さんと話したりしてたんですけど。何かそこから経つと…だいぶ経つんですけど、ミュージカル観た瞬間にボクがだからアホで遅いだけなんですけど、やっと西野さんが言っていたことが──だからその戦略とかビジネスみたいな話は置いといて──腑に落ちたなーみたいな。だから何かそこが、あの…ね、たくさん感動している方が…ミュージカルを観てて感動している若い人達がたくさんいましたけども、ボクは感動というより、何か楽しかったですね。えんとつ町という町に没入することと言うか。それってストーリーテリングとか、脚本の構造とか、演出の是非みたいなものをある意味ちょっと忘れちゃったと言うか。そんな難しいことはまあいいや、どうでも…みたいな。それって結構大事なことなのかなーなんて思ってたのが水曜日です。

11月17日 水曜日 カフエ マメヒコ「ここから何か始まるかも会議」

 で、そこから水曜日の夜は「ここ何」って言う、まさにそのコルクの佐渡島庸平さんと、渋谷のカフエ マメヒコの井川さんと、フジテレビのG2っていう、4人でくっちゃべってる…マメヒコの美味しいご飯を食べながらっていうトークライブを月例でやってるんですけども、その会があったんですね。で、その会があって。期せずしてこの1ヶ月の近況報告みたいなものから始まるんで、どんなことをやりましたか?この1ヶ月は…みたいな話をするわけですよ。で、話してて、期せずしてボクのお悩み相談みたくなっちゃったんですね、うふふ。いつもボクがこう言う風に思うんですよ!みたいなことを言うと、井川さんとか佐渡嶋さんとかG2とかが「これはこうなんじゃないですか?」ってスパッと言ってくれるから…みたいな。
 ちょうど1ヶ月前くらいにやった時には、これまたICUCで喋ってますけど、「いる、なる、する」っていう話をしてると思うんですね。まず「いる」があって、そこから何かに「なって」、何かを「する」。ところが今の資本主義、デジタル社会の中では「する」みたいなものが重要視されて、「いる」という事が無視されてると言うか低くなってるみたいな話をしたと思うんですけど…1ヶ月前に。ただ、その時ボクも、まさにICUCで言ったんですけど、でもボクは「する」っていう行為がないとその場にいちゃいけない様な気がしてて。──だから井川さんと佐渡島さんとG2に言ったわけですよ。『1ヶ月前に「いる、する、なる」の話を聞いた時にすごい素晴らしい話だし、マメヒコってのは「いる」だけでいいんだっていう素晴らしい空間なんだって話は全部肯定した上で、「する」ことがないボクがこの場所にいていいのかな?ってすごく不安になる。』みたいな話をしたんですね。
 そしたらですね、佐渡島さん──佐渡島さんはボクより年下なんだけど──佐渡島さんがね、もう角田さんもそろそろ大人になった方がいいんじゃないか?みたいな(笑) まあだから大人になると言うと失礼だけどって言いながら、こんなことを言われたんですね。『自己愛を深めて行くことが大事なんじゃないですか?』と。角田さんに大人になると言うのは失礼だけど、大人になるとは、つまり言い換えれば成熟するとは、自分を好きになる方法を知って行くことなんじゃないか?』って言うんですよ。
 ほぅ〜。だからボクは自己否定が強い人間なんでしょうかね。このICUCとかもそうだし。ただまあ皆さんも言うんですよ。その自己否定から改善要求とかね、もっと頑張ってみようとかね、だからもしかしたら頑張って勉強して東大入ったのかも知れないしとか、番組一生懸命作って視聴率を取ってきたって感じもあるんだけども。もうそろそろ自分を好きになる方法を知って行く段階なんじゃないですか?と、年下の友人に言われたっていうことですね。
 それって何なのか?ってなった時に、どういう風な事かと言うと、『ポジティブに生きるってよく言うじゃないですか。でもポジティブに生きるとは何でもボジティブに進める事ではなくて、ネガティブな事が起こっても…って言うかどうせ起こるじゃないですか。ネガティブな事が起こってもそれをポジティブに自分が捉えるということ』っていう風に佐渡島さんと井川さんが言ってて。
 ああー、そうか…と。ボクはダイレクトにポジティブなことはポジティブだし、ネガティブはネガティブなことだと落ち込んでたんだな。ポジティブなことは嬉しがって…って思った時に、どうぜポジティブもネガティブも起こるんだから、そのネガティブな起こったこともそれは「まあ仕方ないや」なのか、「まあそうなのか」とポジティブに捉えることが大事なんじゃないですか?みたいな事を言われて。ああ、なんかそれって突き詰めると執着しない事なのかな?と言うか。何かに執着するとその次元が近いところ…ボクはバラエティ視点なんてよく言ってますけど、いろんな視点から物事を見ようと言ってる割には、いろんな視点から物事を見ても、その部分のポジティブさとネガティブさをダイレクトに反映してたんだと思うんですけど。何かそういうことじゃなくて。もっと本当に、こう…ポジティブでもネガティブでもどっちでもいいじゃん、…どっちでもいいじゃん!くらいの執着心のなさみたいな事が必要なんじゃないかと。何かね、そういう様な事を言われて。で、それでまたその水曜日の昼間に見た「えんとつ町のプペル」に戻ってくるんだけど。…ね?その作品がどうだとか、それを皆んなが見る様なビジネスシステムを作ってるからどうだって、何かそんな事とかあるんだろうけど、そういう事じゃなくただ没入ししまうっていうのって、そこにそういうギミックに執着しない自分みたいなものがなんか気持ちよさを伝えるのかなーなんて思ったりしてね。で、それって何かすごく肯定感というか、そんなものがあるのではないかな?と言うか。ネガティブなことに対しての肯定感、ポジティブなことへの肯定感みたいな。そんなことを思った訳です。

11月18日 木曜日 京都から豊津徳【HozuTalk】

 そして木曜日。木曜日は京都に行きまして。京都で豊津徳【HozuTalk】っていう東京画廊のオーナーの山本豊津さんと月イチでアートをめぐる知のトークライブをやっておりますけども。その特別編ということで寿司特【コトブキツカサスペシャル】はお休みして(笑) あえてお休みしてですね、京都に行き、それこそ昼間から両足院っていうね、祇園にある建仁寺というところにある両足院ってところでアート展があるんで、そこで池坊の師匠が生花をやるというので、それをYouTubeでライブ中継しちゃおうと豊津さんと話してですね、ライブ中継して来ました。
 禅寺なんですよね、禅宗のお寺。その禅宗のお寺で現代美術っていうのを置いてて、その1個1個の美術みたいなものがすごい禅…、現代アートってすごい極めて禅宗、禅的なんだなーみたいなことを思いながらね。なかなか面白かったんですけども。
 そして夜ね、時間があったんでそのまま──ちょうどこの時期は秋の京都、紅葉なので、ライトアップしてるんじゃないかなと思ってね。ボク何年か前に南禅寺とか行った事あるし、何年か前に銀閣とか行きましたけど。すごい綺麗なんですよね、ライトアップ。ところがすごい人出で、こんなに大渋滞の中で紅葉見てたりすると中々進まないしとか、すごい待ちが長かったりして、何か辟々した思いがあって。こんなに人がいたらこのライトアップ、京都の紅葉の時期に紅葉を見ることも何かもう最後だろうなーなんて思いながら見たのが数年前だったんですよね。ところが今ね、コロナ禍で。徐々にコロナ禍から回復している、あるいは一時休止している中でのライトアップ…だから南禅寺とか銀閣とかは今年もやってないみたいですけども。永観堂というところでね、まさにこれもすごい紅葉が有名なとこですよね。なので永観堂に行ってみようと思って行ってみたら──やってるんだけども、そこそこ人出があるんだけど、そこそこしかいないから、そんなに混んでなくて。そんな中ですごい、まさにライトアップされた紅葉が本当に美しくてですね。それをまたインスタに上げてるんで、もし宜しかったら見ていただきたいんですけども。




 すごい綺麗な上に、人出も少なく。尚且つその日は満月だったものですから、なんかすごく、すごく、本当に何か満月の日に紅葉を見てるってのがすごく気持ちよかったんですよね。で、それをちょうど満月なんでボクはメルマガを書いてますけども。そのメルマガに書いたんですけど。

今日は満月です。昔、写真家の方に聞いたことがあるのですが、旅行をして、夜に歴史遺産、特に宗教施設を訪れるならば、西洋でも東洋でも、満月の夜が良いと。それらが昔造られた時に、当時の人は今より月の明るさを気にして造っているから、満月の光で一番美しく映えるように造られているからと。

 という様な事を書いたんですけど。何か本当に満月が上がって行く中で永観堂の建物ともみじ、尚且つ水面に移るもみじみたいなものを見てたら、まさに没入しちゃったんですね。だから前日の「えんとつ町のプペル」に没入し、翌日は永観堂に没入するっていう。これが何かね、すごく、すごく感じ入ったと言うか。その時に何か…その時にすごい気持ちよく没入出来たのって、本当にこのライトアップが美しかったからってのも当然あるとは思うんですけど、何かね、その前日に「ここ何」で話した「そろそろ自分を肯定する術を」と言うか、「ボクをボクが好きになる」という感じって言うのが、何か自分の中でボクがボクを好きになってるボクがこのもじみを美しいなと思ってると言うか。もしその時にボクがボクを好きになってないと「ふぅん…」って。ふぅん…って、もみじについて言ってたような気がすると言うか。月に対して言ってるような気がすると言うか。だからあの美しさというのは何かボクはボクで好きになれたから美しかったとも思えるし、もしかしたら、何て言うか、何かに執着しない、何かを手放すと言うかね。まあいいやって思えるって何か何かを手放すことだと思うんだけども。手放した事でそういう気持ちになったんじゃないかなってすごく思えた訳です。うん、だから京都の夜はすごい楽しかったですね。終わった後、南禅寺もやってるのかなーと思って南禅寺まで歩いて行ったら、南禅寺はね、何かやってなくて暗かったんだけど。でも湯豆腐屋さんはやってたからそこで湯豆腐を食べるというね(^^) すごい良い京都の夜でした。

11月19日 金曜日 広島のスピングルカンパニー

 翌日、金曜日。金曜日はですね、広島の府中。府中と言うのは福山の近くなんですけど。スピングルカンパニーというスニーカーメーカーの、ボクは9月からメディアプロデューサーをやってるんで。いつもオンラインで会議とかをやってるんですけども。1回9月にお伺いしたんですけど、今回もお伺いしてですね。で、そのプロジェクトメンバーと初めて対面でお会いして。で、色々お話しして。で、そこから「角田陽一郎スピングル本社を訪問する」という生配信とかやっちゃたりなんかして。

 で、noteを作ったりしたりしてね。これからSNSをどう広めていこうか?とか、SNS以外にもね、どの様にやって行こうか?みたいな話をみんなでして。
 楽しくお話ししながらも、結構真面目に会議をして。で、そのまま府中焼きというね、お好み焼きでも広島のお好み焼きの中でも府中はまた府中焼きという別のものがあるって言うんで、食べたい!食べたい!ってボクが言ってたら、内田社長に連れて行って頂いて。その日はちょうど皆既月食の日だったんですけども、そこで府中焼きを食べて。すごい楽しかったと言うか。
 でもこれも何かボクの中ではボクはボクを好きになって良いんだなって思った時に、府中焼きを食べたい!って思ってるボクを好きになって良いんだなと思ったからかも知れないですね。

11月20日 土曜日 埼玉で「BIG MOUTEH, NO GUTS!!」

 で、土曜日。昨日ですけど。昨日、広島から戻って来て、夕方にはさいたまスーパーアリーナに行って、桑田佳祐さんのライブ行って来ました。で、まあね。今のこのプペルの話をして、永観堂のもみじの話をして。いやぁ〜、桑田さんのライブ最高でしたね。いや、最高なのは知ってるんですけどね。もう何回もサザンのは観に行ってるし、桑田さんのも4、5回行ってるかな。行ってるけど、毎回すごいんですけど。で、いつもモニターに歌詞が出るんで、歌詞を観ながら桑田さんの歌詞ってのはすごいいい詞だなーなんて思いながら観てたんですけど。桑田さんってある意味ベタなギャグみたいな、ズッコケみたいなベタな事とかよくやられるし、それって別に全然嫌いじゃないし…だったんですけど。むしろ今回のライブではそれを観てて桑田さんのそのポップさって言うのってすごい大事なことなんだなーって言う風に思ったって言うか。だからさっき「えんとつ町のプペル」の時に思った高尚か?ポップか?みたいな話なんてのを超越して、ポップさの中に高尚なものが隠れているというのがみんなの心を打つんだろうなー。まさにその世界に没入させてくれるんだろうなーなんてことをすごく感じさせてくれたわけです。
 でね。何回もありがとねー、ありがとねーってみんなに言う訳ですよ。むしろそのありがとねーって言葉でボクら観てる方が救われるって言うかね。だから今日のおはようございますSNSでボクは書いたんですけど、

おはようございます。11月21日です。
いわゆる低俗と高尚なヒトモノコトがあるとして、本当にすごいヒトモノコトは、低俗なのに高尚or高尚なのにポップであるという両面性を兼ね備えてる。実は低俗と高尚をわけてるコト自体がすでにナンセンスなのだけど。両面渡り歩きたい。アンピバレンス宣言。

 っていう風に書いたんですけど。何かボクの中でプペルを観た時に…「えんとつ町のプペル」を観た時に思った事をもしかしたら桑田佳祐さんに思う、どちらも大好きなんだけど、ちょっとした違和感みたいなものみたいなものがもっとあったとした時に、それってボクはそのポップなものに対する大衆的なものと言うか、悪く言えば低俗なものみたいなものに対する…何かね、トラウマというかね、コンプレックスがあるんだと思うんですね。そのコンプレックスって何かと言うと、自分がテレビ局にいて、さんまのからくりTV!とか金スマとかあいまいナ!とかEXILE魂とかオトナの!とか…オトナの!はちょっと違うんだな、だけどそういう番組を作ってて。バラエティなんで低俗なんですよね、ポップなんですよね。ポピュラー、文化ですよね。それを作ってる、まさに自分がそちら側にいる人間なんで、何かそこに対する「それでいいのか?」みたいな劣等感みたいなもの、あるいは、でもそっちの方が大衆に…ご長寿早押しクイズでみんな笑ってくれるんだせ?みたいな、何かそういう優越感までは行かないけども…みたいなものをある高尚なものに対して思ってたみたいな、自分の中でのコンプレックス、つまり「ここ何」、井川さんと佐渡島さんとG2に言われた「もう自分を好きになってもいいんじゃないですか?」って言うと、自分が低俗なものを作って来たというコンプレックス、そんなものが何かむしろ──一方でそんな事とは別にある意味、俗に高尚と言われるもの、それが何かは人それぞれなんですけど、文化の香り高きものってボクは全然嫌いじゃなくて、むしろ大好きなんだけども──そこへの憧れというのが何か自己否定とか自分のことをそんなに好きじゃないみたいなところから来るものだったりしてたものが、何か桑田さんの歌を聞いてて、波乗りジョニーとか聞いてて、何か祭りの後とか聞いてたりして…最近のね「ご飯EP」という新曲4曲ぐらいとかを聞いてたりして、何かどんどん昇華されて行く。ショウカと言うのは昇り詰めて行く方の昇華ですね。まあ胃の方の消化でもいいんですけど、昇華されていくような感覚をすごい受けてですね。ああ、ポップでいいんだなって言う。だから「えんとつ町のプペル」を西野さんが作ったのってのはそういう事なんだなって思うし…うん。桑田佳祐さんがやってることもそういう事だし…うん。『それでいいのだ』って言うか。なんかすごい自己肯定感みたいなものを頂けたんだと思うんですね。
 で、なんかうちのスタッフに聞いたんだけども。ボクも知ってたと言えば知ってたけど、見てなかったんだけど。「えんとつ町のプペル」の主題歌をね、キングコングのカジサックさん、梶原さんと西野さん2にんで歌ってる動画を見せてもらって。これいいですよ!って言うんで見たら、素晴らしく良くてね。彼らの2人の歌が。なんかシンプルで。で、梶原さん歌うまいし。なんかそれを聞いてて、プペルの主題歌をですね、ずっとプ、プ、プペルって自分でこう…何て言うんですか?頭の中んをずーっとずーっとぐるぐる回ってる様な、今もと言うか。今は昨日、桑田さんの観ちゃったから、うっふっふ♪桑田佳祐モードになってるかも知れないけども。何かそんな様なことを感じてます。
 何かだから「えんとつ町のプペル」と桑田佳祐さんから学んだ「『ボクはボクを好きになる』ということ」みたいな事が物事に執着せず、ポジティブもネガティブも含めてポジティブに考えてみようみたいな事を…と、「ここ何」のね、話と繋がって。そんな中で満月を迎えて…という様な一週間だったんですね。

非常に重要な人生の転機

 いつも石井ゆかりさんのね、星占いをボクは結構見てて。ボクは獅子座なんですけど、獅子座でですね、今週の占い見てたら…11月15日から今日の21日までなんですけど。ちょっと読ませて頂くと。

非常に重要な転機にさしかかります。「人生のターニングポイント」と呼べるようなシーンが今週、あなたの世界に展開する可能性があります。

ええ?!そんな事が起こるのかよ!なんて思って、一体何が起こるのかと思ったんだけど。そう言う意味ではね、火、水、木、金、と起こりましたね。…今、水曜日から話したか、火、水、木…じゃない、水、木、金…か(笑) 水、木、金、と起こりましたね。
 だから金曜日とかね、1つ2つちょっとえー!って、ちょっと予想外のむしろマイナスな事とかも起こったりもしたんだけど。ああそうかぁ、そういう風に無くなって…ボクは36個の仕事をやってるって言ってたんですけど、1個消えました。35になりましたけど。ああ35になったんだけど、36個目になりそうな話も1個来たんだ。来たから来週またちょっと打ち合わせして来ようとは思ってるんだけども。何かそんな様なアップダウン、アップダウンみたいなのがあるけど、それも全部、アップダウンも含めて、まあ、やっている自分を好きになっても良いんじゃないかなって思わせてくれたと言うか。うん、だからね、結果的に西野さんの「えんとつ町のプペル」も京都永観堂のもみじも、桑田佳祐さんのライブも、そういう風に自分を肯定しても良いんだって思わせてくれるパワー、それがこのエンタメのパワーだし、クリエイティブのパワーだし、自然…まあライトアップってのもエンターテイメントってことかも知れないし。永観堂という禅寺という意味では宗教なのかも知れないし。で、そこに共通していうるのはやっぱりね、それを動かしている、それこそ「ここ何」じゃないけど井川さんとか、佐渡島さんとか、G2とか、そういう色んな人の、人間のパワーって言うかね。力って言うほどじゃないけど影響、そんなものが自分にやって来て、それで自分をポジティブにさせてくれるんだなって、すごい気付かされたって言う様な1週間でございました。
 はい。何かこんな感じでね、何かポジティブに…またネガティブになるとは思うんですけど(^^) ネガティブなICUCになっちゃったらスイマセンなんだけど。でもそれでも何かちょっとボクはボクを好きになってもいいかなーって思ってるので、何か変われそうな気がします。知的好奇心向上委員会ICUCバラエティプロデューサー角田陽一郎でございました。ええ、では、次はもう12月ですけども…あ、12月?もう1回あるのか、もう1回11月がありますが。よろしくお願いいたします。

文字起こし後の文字寝かし

(好き勝手に思った感想を書き残しておくことを文字寝かしと言うことにしました)

 19日、2年半通ったつまみ細工講座を卒業という形で一旦終え、帰りの駅で月食とそれを見て沸いてる人たちを微笑ましく眺め、帰るとフィガロジャポンと石井ゆかりさんのインスタライブを見た。石井さんは土星のことをずっと「こいつ」と呼んでいて、「こいつがピュッとこっちへ出て…」とか言ってて。それ一発で石井さんという人が好きになった。最後に星座ごとに22年上半期の占いをお話しして下さって、獅子座で「!」となった。
 獅子座(47分辺り)は「反骨精神と雪解け」。自由にやりたいのに古臭い価値観(水瓶座にいる土星)に邪魔されてたが、和解する様な感じになる、と。(そう言えばコーヒーポットとグラスが割れたとInstagramに。どちらも水瓶ではある…) 角田さんは星栞を買ってるだろうから知ってるだろうけど、それでも最近は暗い場所から抜けていく感覚を味わっている様だし、この抜けていく感覚が本当であってくれという願いみたいなものを感じる事がある。今週は特に抜け出た感のある明るさが強い。プペル、ここ何、府中焼き、桑田さんの効果か。

「その街のストーリーとかを関係なく、その瞬間瞬間切り取るだけ。」改めて没入感って何だ?漢字から言えばその世界に入って没する感覚。検索していると臨場感との違いが紹介されてたけど、没入感も臨場感もその世界の体験という意味では同じ。没入感は人工的な別世界、臨場感は本物のような体験という解説になってたけど、いまいちはっきり違いが分からない。没している、浸っている世界以外は気にならないほど、恍惚感のようなものを伴うことを没入としている気がする。臨場感にある緊張感がないと言うか。
 角田さんの言うバラエティ視点の一つにフォーカスと歴史がある。作品を見る立場や作り込まれた世界観、どの部分に焦点を当てるかでより深く作品を楽しめること。焦点を制作過程=制作の歴史や作品内の歴史に当てるとより深く面白くなること。今回これがいい意味で崩されたってことか?分かり易い浅めの世界観で多くの人が、特に若い人が感動しているということは、以前なら視聴者や読者に分かり易くということは、分からないだろうからとレベルを落とすような、馬鹿にするとか上から目線とか、そういうことにならないか?という話になった気がする。今回はある世界への没入感を得られることを目的とするなら、今までのバラエティ視点では浅いから…とされていた部分に、実は没入感への秘密のルートが隠されていたのを発見した?!と言うか。

 「ここ何」での佐渡島さんの言葉「成熟するとは、自分を好きになる方法を知っていくこと」。これは角田さんの場合はってことだろうと解釈した。私は私が結構ナルシスト的と感じると言うか、自分好きだから。他人と比較してはごっそり肯定感を失う日々だけど、それでも自分が特別と言うか、お前に分かるはずがないみたいな感覚は割としっかりあるし、そういう意味で私以外の人間への興味が少ない気がする。だから興味が湧くと執着するほどなんだろう。
 もう一つこうじゃないか?と解釈したのは、角田さんは完璧主義なんだろうなと。上やら先やら天才やらを目指すあくなき探究心こそバラエティ視点の根幹なのかも知れないけど、飽きっぽいも含めて足るを知らないという意味で完璧主義、完璧じゃない自分を肯定出来ない、それで天才と比べては凡人なんだと肯定感を無くすと言うか。肯定感の無くし方にも個性があると言うことか。

 佐渡島さんのお名前の庸平──庸は中庸の庸、用いるとか偏らないという意味で、平は平ら、こちらも偏らないという意味があって、つまり名前がポジティブでもネガティブでもない中庸を指してる。陽一郎は朗らかな陽、一が落合陽一さんの様にマイナスの意だとしても、プラスが3分の2を占めるから、ネガティブに敏感って感じか?
 私はネガティブをポジティブに捉えるという表現がどうにも理解しにくい。”ポジティブに捉える”と言ってるのはネガティブなモノコトをあるがまま見るってことだと思うんだけど…それで合ってるかな?喜怒哀楽で言うなら、怒や哀でも喜べ楽しめという過剰なポジティブシンキングのイメージが先行してしまうけど、そういう意味ではなくて、偏見なしで事実として受け取ってみる。その上で怒ってよし、哀しんでよし、だけどその気持ちを消化したらそれで終わりにするんだということかな。全ての物事は色眼鏡で見ない。色眼鏡で見て反応する様はとても個性的だと思うけど、そうするなら執着しない、手放し上手でなければ。
 今ここで表現が理解し難いと書いたけど、書いてるうちにポジティブの意味が”前向き”や”良し”だけでなく”そのまま”もあるのかな?と思えて、ああ理解できたと感じられた。毎回うざいほど感想書いてよかったと思うのはこういう時だ。
 角田さんの良いところはボクが悩んでるってことをポンと出してしまうところ。それを少年っぽいと言われるんだろうけど。だから角田さんのお悩み相談というかセラピー会はYouTubeなんかで割と目にできる。悩みをどう人に打ち明けるか?どう捉え直すか?そこがお手本になったと感じる人も多いと思う。
 確かこの日、11月17日は井川さんのお誕生日だったはず。みんなでお祝いしたんだろう、マロンケーキで。おめでとうございます。

 「いる、なる、する」の「する」が重要視されることでふと連想したこと。そこに「いる」ために出来ることを準備することは自分探し。それが出来た上で出来ることを自己アピール、発信。それだけのことをやって来た、積み重ねて努力して来たから「いる」権利を獲得できるのは受験。個の時代は自己責任の時代だから、出来ませんがいてもいいですか?は許せない、みんなここに「いる」ために努力したんだから。自分探しやら発信やら自己責任やら、今よく聞く単語は「いる」の獲得に必要なことばかりかも。
 角田さんの言うグラデーションとも通じる話だ。集団とは本来はクラデーションの幅があるもの。例えば当社には、このプロジェクトには、赤がいるから青はダメ。だから私は赤なのか青なのか知っておかねばならないし、はっきりした色の方が場が見つけやすい。ボンヤリした何色とも言えない色は生きにくい。ただ、もう企業だろうと小さな団体だろうと、どこも似たり寄ったりの色なのがつまらなくなって来たから、今度はグラデーションを効かせたいんだろうけど、色の揃え方、混ぜ方、並べ方…ちょっと汚いと言うか雑と言うか。色で例えたけど、みんな色を使う何かをすれば良い気がする。油絵でも写真でも編み物でも折り紙でも。気づけないほど深いところで繋がってる気がする。

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