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ICUC-054_2021.4.4【葉山のフランシス・ベーコンとサルバドール・ダリの10の掟】

I see, You see! Intellectual Curiosity Update Committee【角田陽一郎の知的好奇心向上委員会 ICUC】今週ものんびり知的好奇心の活動&趣味の文字起こし。

参考
『フランシス・ベーコン バリー・ジュール・コレクションによる』(神奈川県立近代美術館葉山)

角田陽一郎54「葉山のフランシス・ベーコンとサルバドール・ダリの10の掟」ICUC知的好奇心向上委員会
神奈川県立美術館葉山の『フランシス・ベーコン展』に行って来ました。
作品はいかに生み出されるのか?
サルバドール・ダリの「画家を志す者のための十の掟」の話もしています。
(2021年4月4日)

角田陽一郎 オフィシャルwebサイト

mireva channel

動画の内容(+文字起こしメモ&感想)

アーカイブに残すことの大変さ

 おはようございます。ICUC 知的好奇心向上委員会 バラエティプロデューサー角田陽一郎でございます。今日はなんか気持ちいい朝に収録しております。窓を開けてね、こっちに(角田さんの左手側)窓があるんで、窓を開けて収録できるくらいの季節になりましたね。うん。それまでは寒かったからとか、まぁ花粉もまだあるかも知れないですけど、ボク的にはちょっとひと段落して。ボクいつも花粉はやいんだよな…まだ痒いですけどね。で、なんかトエの…トエだって、鳥の囀りが結構聞こえてて、いいかなーなんて思います。

※この辺りからずーっと鳥の囀りも収録されています。

 私いま体重が97キロになりまして、先週、先々週から言ってますが100キロ切りまして。一時期は112キロぐらいまで行ってて、ずーっと108キロがなんとなくボクの煩悩の数だけの体重だったんですけども、そこから減量していって、今日測ったら107キロですね(97kgの言い間違い)。自分でもね、こうやって今撮影してても首回りがちょっと(嬉) いい感じなったなーなんて、嬉しく思いますね。だからなんか色々大変なこととか混乱することもたくさんあるんですけども、うん、ボク的にはそれに負けたり(笑) 時には…勝つことはないな、負けたり、なんとかイーブンに持ち込んで、日々を暮らしてるみたいな感じです。
 うん、だから面白いんですよね、この動画を撮ろうと思った時に、今お風呂入ったんですけど、朝風呂というか、入って、このこと喋ろう、あのこと喋ろうと思ってる時は「よぅし、撮っちゃうか!」なんて思ってるんだけど、その撮る時に、撮ろうと思った今のこの直前に、ちょっとネガティブなことを考えてしまったら…。
 あれですね、別に普段の日常ならポジティブなネガティブなことなんてグルグルあるんで、ネガティブな時はネガティブで、ポジティブな時はポジティブなんですけど、これ撮ろうと思ってる時に、ポジティブな時に、撮る前にネガティブになると、ポジティブな感じで喋れなくなりますよね。これ、このアーカイブを残すってことの大変さだなーなんて思いました。だからタレントさんってずげぇなーって話なんですよね。きっとネガティブなこととか嫌なこととかね、ずごいあっても、テレビじゃすごい明るく喋ってますよね。よくあんなこと出来るなーなんて思うんですけど。

人を信じてみる

 でもボクもというか、ボクも出来てるわけじゃないですけど、なんか人間こんだけ、50年も生きてると、その自分の不安だとか自分のイライラだとかを他者に当て付けたりとかしちゃってた気がするんですよね、若いころとか、つい最近までもというか。─カラカラッ ドスンッ─ あ、今風が入ってきたからなんか鞄の…鞄じゃないや、テーブルの上のなんか落ちちゃいましたけど…片しました(^^) はい。何て言うんですか、ネガティブな思いとかいうのを他者に当てつけるみたいなことは皆んなやっちゃうんだと思うんですね。その他者がむしろ近しい人だったりとかね。でもそれっていけないんだよなーなんて思うじゃないですか。思ってもやっちゃうんだよなーなんて思ってると、ボクがこの3月…1月、2月、3月、うん、もう2021年も4分の1が終わってしまったという驚愕でございますが、それで気づいたことは、それじゃいけないんだなーっていうことだけは分かったというか。あと体重を減らそうってことだけは分かったというか。うん、だからこの3ヶ月なんか仕事をしているようで全然してないなーなんて思いながらね。
 この前、4月から東大大学院博士課程に進学しまして。それも始まり、ただね、そう言う意味で言うと修士課程2年やって博士課程1年で3年目なので。1年目はね、闇雲に授業を取って面白かったなーみたいな。2年目はコロナになっちゃってリモートになったんで、むしろ大学には全然通えてないんだけど、リモート授業だからむしろ取れる領域が増えたなーなんて思って、語学をメインに色んな授業を取ったりして。で、修士論文を書いて。いざ博士課程3年目で、博士過程で修士論文を何書こうか?みたいなことはあるんだけども、それと日々のどういう授業を取って、どういう風にやるのか?みたいなことは、なんか自分の中では辻褄がまだ分からなくて。どうにでもなると言えばどうにでもなるんだけど、なんかこの海の街に越してきてしまったって意味では大学まで結構な距離があるので、少なくとも1年目みたく毎日ぽんぽん通うわけにはいかない、と。でもやっぱりリモートの番組…番組だって(笑) リモートの授業も多いんですよね。だからその辺をどのようにするか?みたいなことを今迷ってるのかなーなんて思いますね。
 だからボクはTwitterでね、noteにも書きましたけど。4月になったときに書いたんですけど、、、

4月になりました。いろんなことが錯綜して混乱している日々。
だからこそ、他者の想いを信じて、自分の想いを進めていくしかない。
そこに道が(きっと)ある(はず)。
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 っていう風に書いたんですけど、うん。今までだったら自分の思いを信じて行くしかないって書いてたと思うんだけど、そこに他者の思いを信じてって書けるようになった、やっとボクも、というか。うん、それまではなんか他者に裏切られるのが怖いとか。でも他者を信じてても裏切られるかも知れないんですけどね、うん。なんだけども、でも自分が信じない限りそれは先に進まないんだよなーなんてことも思ったりとかしてですね。それがこう分かったことが4月なんだなーなんて、うふふ、思います、うん。まあこれ4月1日に書いたやつだからエイプリルフールかも知れないですけどね(笑) なんて言っちゃったりして。はい。

神奈川県立近代美術館 葉山

 その前日の3月31日かな?3月31日にですね、私あのー、フランシス・ベーコン展っての行きました。これです、じゃーん!…(ポスターを画面いっぱいに映して)こうやればいいのか、で、(画面右から顔を覗かせて)こうやればいいのか。葉山の神奈川県立近代美術館。葉山にあるね、フランシス・ベーコン展。これボクすごい行きたかったんですよ。行きたくて、これ日付見て頂ければ分かるんだけど、1月9日からじゃないですか。で、4月11日ってことはまもなく終わっちゃうんですけど。1月十何日でしたっけ?あれ入っちゃいましたよね?緊急事態宣言。だから本当に数日しかやってなくて、それからずーっと閉館してたんですよ。だから「ああ、観られないじゃん。」と思いながら。一応、緊急事態宣言が3月何日かに明けましたよね、だから一応予約制で観られるようになったんで、はい、行ってきました。これ図録です。
 フランシス・ベーコンの絵ってすごいですよね(笑) もう全然なんの、ただの感想になっちゃってんだけど、なんて言うんだろ、すごい馬鹿っぽい言い方をすると暗いじゃないですか。暗いからボクそんなに好きじゃなかったんですよね。ダリ好きなんですボク、色んな意味で。なんて言うんだろうな、ダリのある意味の薄っぺらさも含めて好きというか。あの程度という意味のダリみたいな、その程度のダリみたいな。そうするとキリコとかフランシス・ベーコンってその程度をちょっと超えてる気がするんですよね。その程度を超えてるとですね、ボクの中ではなんかバラエティ番組なのか否かみたいな意味で言うと、ダリはバラエティ番組なんだけど、それより深く行くんだよなーというのがあって。なんかその深さというのが…うぅ〜ん、なんだろ…怖い?…怖いのかな。うん、なんかそんなような思いをね、ずっと抱いてるんですよ。
 何年か前にいとうせいこうさんが好きなんですよね、フランシス・ベーコン。それで東京の近代美術館かな?だったと思うけど、そこでベーコン展やってたんで観に行って。でもやっぱり面白いですよね、すごい。で、今度ね、神奈川県立美術館でやるんで楽しみにしてたんだけど、なかなかコロナで観られなかったんだけど、やっと観れたっていう。
 この神奈川県立近代美術館 葉山っていうのが行かれたことがある方は当然分かってるかも知れないけど、すーごい海の近くにあって気持ちいい美術館なんですよね。だからボク4、5回行ってると思うんですけど…3、4回かな?3、4回行ってると思うんですけど、なんかどの展覧会もね、ちょっとマイナーなことやってるんですよ、東京の大きい美術館よりもというか。そのキュレーションもすごい気持ちいいし、観た後にちょっと庭を散歩してそのまま葉山の海にね、行く感じってすごい気持ちいいし、その美術館のところから葉山の海に、砂浜に下りる道みたいなのもすごい気持ち良くてね。

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 なんか光が差すんですよ。それがすごい好きな美術館で、なんかそういう思い出がたくさんある美術館なんですけど。だから本当に観に行きたかったんだよなーなんて思って観ました。

※「フランシス・ベーコン バリー・ジュール・コレクションによる」は、渋谷区立松濤美術館で2021年4月20日(火)〜6月13日(日)まで開催予定らしい。

フランシス・ベーコン展

 でね、さっきのそのマイナーなって意味で言うと、フランシス・ベーコン展の油絵がたくさんあるわけではなくて、スクラッチって言うのかな?既存の新聞とか雑誌とかの写真、運動している写真とかね、なんかそういうものとかに単純に落書きしてる?うん、その落書き集みたいな。エックスアルバムって言うのかな?それの展示がされてるんですよ。それが、なんて言うんだろうな、…落書きなんですよ!ただの。だからこれ本当に習作というかイメージボードというか、ただイメージを描いてるだけなんだよなーなんて思ってて。そういう意味で言うと、フランシス・ベーコン展、フランシス・ベーコンの作品を初めて観る人には「なんだコレは?これは絵画なのか?」って思うんじゃないかなとボクは思いましたけど。だから絵画というか自分のイメージを膨らませてる落書き、フランシスの、みたいな。そんな感じなんだろなーなんて思うわけです。
 それを観ながら、オイルペインティングもね、油絵も数点あって、あと彼の有名な作品を観たりすると、そのいたずら描きからその作品に行く感じってなんかすごい見えてきて。あぁ、彼はこの写真の顔…、顔をぐにゅぐにゅぐにゅ〜っと消してるんですよ、変な色というか、写真って白黒だったりするのにね、ピンクみたいなので消したりとか、オレンジで消したりとか、変な線が引いてあったりとか、三角形とか。でもそれって、そのオイルペインティングの方も、完成形と言うと完成してるのかどうか知らないけど、出来上がった方の作品にすごく、なんて言うんだろ、…そのイメージを作品にしたらこうなったんだろうなーってことがすごく分かるんですよね。
 だからこの創作の過程というのってすごく面白いし、あぁそういう風にこの作品って生まれてるんだなーと思った時に、やっぱりすごい色々考えてるんだなってことが改めて分かるというかね。それがすごい面白いですね。なんか、凡人な我々はというか、まぁこれを観てる方が凡人かどうかは分かんないけど、少なくともボクを含めた凡人な我々は、なんか天才ってパッと作品を作っちゃうようなイメージあるじゃないですか。パパパと書いちゃって小説になりましたとか。パパパと、ヒュ〜ッと描いたら…と思ったけど、すっごい緻密に緻密に計算してるんだなーなんてね。すごくそこが、分かっちゃいるけどみたいなね、ことかなーなんて思いますね。

サルバドール・ダリ 画家を志す者のための十の掟

 さっきダリが好きってボク言ったんですけど、ダリが、自分が書いた本にですね、書いてあるやつがあって。ボクこれ好きだからプリントアウトして貼ってるんですけど。これ。(額縁を画面に映して)こうかな?これはあれです、…ここにあるかな?この本。ダリの「私の50の秘伝」っていう本があって。この後ろに書いてあるんですよね。ボクこれ、その前にネットで誰かが上げてたやつをいいなと思ってプリントして、なおかつ顎に入れてですね、自分のデスクの前に飾ってるんです。これ見るとですねー、…見えます?

画家を志す者のための十の掟 サルバドール・ダリ

1.画家は貧乏であるよりは裕福であるほうがいい。したがって君の”頭”からいかに黄金と宝石を生み出すかを学びたまえ。
…君の”筆”からだった。目が悪い。
君の筆からいかに黄金と宝石を生み出すかを学びたまえ。
うん。ボク画家でもないんだけど、画家ってここにアルティスタスって書いてあるのかな?アルティスタスってスペイン語だと思うんですけど、アルティスタス、アーティストって言ってるわけだから。画家って言う意味もあるだろうが、これはボクの中ではアーティストという、…クリエイターって言葉が良いかどうか、ボクそんな好きじゃないんだけどクリエイターって言葉ね、というような意味なんじゃないかなと勝手に解釈しております。はい、もう、1個読んだから全部読んでこう!

2.完璧を恐れるな。君は絶対到達できはしないのだから!
そうなんですよね。

3.昔の巨匠のように素描と彩色を学ぶことから始めたまえ。そのあとでなら好きなように描くがいい。誰もが君を尊敬するだろう。
素描と彩色を学ことからはじめたまえってのは、つまりそういうことなんだなーと思いますよね。天才もポッと描くわけじゃないってこと。

4.眼も、手も、”肩”も、、、???
眼も、手も、”脳”も、だ。
4.眼も、手も、脳も粗末に扱うな。画家になったとき、必要になるからだ。
これは若いときの自分に言いたいですねー。手とか脳は粗末に扱ってたのかなぁ。ボク目はそうですね。なんか暗いところで読んだりしてて目が悪くなっちゃったりしたからね。まあ比較的、テレビの編集やってるから暗いところで見ちゃうんですけどね。うん。

5.君が、現代アートはフェルメールやラファエロを超えたと考える輩なら、本書を読むことはない。そのおめでたい愚かさに安住し続けるがいい。
そうなんですよ。これね。本当に新しいものを生む人はこの点をやるんですって。これ和歌の本、今度紹介しようかなーと思うんですけど、和歌の本に書いてありました。日本の和歌ね。うん。

6.自分の絵に罵詈雑言を吐くようなまねをしてはいけない。でないと君が死んだとき、絵の方が君を罵倒するだろうから。
そうですね。これボクよくやっちゃいますね。自分で、絵というか自分の書き物、書いたもの、自分の作品。自分の作品に罵詈雑言を吐くようなまねをしてはいけない。でないと君が死んだとき、作品の方が君を罵倒するだろうから。うん。

7.怠惰の中に傑作は生まれない!
これは痛い話だなー。

8.画家よ、ただ絵を描きたまえ!
うん、だからつまりアーティストというのはただ作品を作りたまえってことだよな。

9.画家よ、アルコールは慎みたまえ。
うん…まぁ、7、8、9は繋がってますね。

10.君の絵”を”(※)君を愛さなければ、君の絵に対する愛は何の効果ももたらさない。
そうなんですよね。これ、大きいですね。君の作品を君が愛さなければ、君の作品に対する愛は何の効果ももたらさないってことは、つまりだからって古典を超えたと思うなと言ってるというか。

※「君の絵”を”」と読んでらっしゃますが、「君の絵”が”」と書いてありました。

未熟を認め卑下はせず/過程が作品になる

 このダリの”ちょうどいい感”ってそこな気がするんですよね、うん。そこが自分の中でのまだまだ足りないことを気づかされて、尚且つだからって自分を卑下しすぎるなってことをすごく言ってくれてる言葉だからだなーと思って。だから彼は天才とか、自分のこと言えたんだなとかですね、読んでて…岡本太郎さんとかもね、天才と。自分で天才って言うことってすごい勇気要りますもんね。うん、でも言っちゃうみたいな。言っちゃうてことはさっきも言いましたけど、ラファエロより上手く描けてるのか?っていう話。うん、その配分というか、それを知るということがすごく大事なんだなーなんて思いつつ。自分はそれほどの作品を全然作ってないなーなんて思う後悔もね、ありつつ。
 さっきのフランシス・ベーコンの葉山のね、フランシス・ベーコン展のイメージのスクラッチ、落書きというものが、今この2021年の日本の神奈川の美術館で展示されるだけの価値になってるっていうのは、そういうイメージとかインスピレーションを作品にちゃんと仕上げて、その作品が世界的に評価されて、うん、その結果があるからそのプロセスもまた面白いというか、作品になるっていう。これは東京画廊の山本豊津さんが仰ってて、ボクがね、豊津徳[HozuTalk]っていうYouTubeで、このチャンネルで、mireva channel でやっているところでよく喋ってるんで、もし興味があったら見ていただければいいんですけども。
 そういうような中でボクがね、このICUC知的好奇心向上委員会というYouTubeをですね、収録してるのは…と、言う意味でのイメージボードというかね、イメージムービーというか。うん、これが完成品だとは全然思ってなくて、こんなボクの思考のぐにゃぐにゃ感を(笑) なんでカメラの前で喋ってるのかなーなんて思いながらもね。うん、でも、このぐにゃぐにゃ感みたいなものってのはあらゆる人が持ってて、他者とか相手というか、あなたも、きっと持ってて、そのぐにゃぐにゃ感みたいなもので迷ったりとかね。そのぐにゃぐにゃ感で後悔したりとかね。一方でそのぐにゃぐにゃ感を早く吐き出したいとかね。なんならぐにゃぐにゃしてるから吐き出すものなんか無いとかね。さまざまな逡巡というか、なんかそういうものが多分あるんだろうし、当然ボクもあって。フランシス・ベーコンもあって。サルバドール・ダリもあって。藤原定家もあって。でも、それでも、それをぐにゅぐにゅしてるものをどう実際の作品の形にするのか?みたいなとことろってのは……、うん、やっぱりすごい緻密な思いのデザインというかね、思いの計算というかね、そういうものが必要だから、パッと出てやれるものじゃない、うん。そのときの苦しみみたいなものね、そういうものがあるんだなってことを今回のフランシス・ベーコン展に行って改めて気付かされたなというか。だからこれを3月31日に観たってことは、やっぱりボクの中ではすごい意味があって。うん…意味がありましたね。
 先週これ、浜松でね、収録して、その後あれです、京都にちょっと行って、雨の桜を見たりして。その後、東京に戻ろうと思ってね。で、戻る前に知り合いが…知り合いったって30年前に知り合って何回かお会いしたことがあるくらいなんですけど、その方が長野で古民家の民泊をやってるって言うんで。

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 何回かやりとりしてたんですけどね、Facebookで、時間があったらい行きまーすなんて言ってたんですけど、せっかくだったら行ってみようと思って。一泊してね、その森の中に、うん。で、帰ってきて、で、フランシス・ベーコン展観るっていう。うん、そんな1週間でしたね。

ムービング先でまた篭るのかよ?!

 浜松でね、篭ってるときに。篭ってそれこそまさに作品を作ろうと思ってたんですけど、篭ってるうちにですね、篭るの嫌になっちゃったんですよね。それはなぜかと言うと、今までは…、今までというのは何かと言うとコロナ前、コロナ前は普段ムービングしてるから作品を作るときぐらい篭らないと作れないだろうってことで篭ったんです。ところが、今比較的篭ってるじゃないですか。緊急事態宣言明けたとは言え、リモートが増え、つまり人との交流は圧倒的に減り、そんな中でまたムービングした場所でまた篭るのかよって思ったときに、え?だったらムービングしなくて篭ってても一緒だよなーなんて、ちょっと思っちゃったっていうことは、結構気づきでしたね。だって結局この海の街に拠点を構えたわけだから、ここで篭ってる方が移動先で篭ってるよりよっぽど気持ちいいかなーなんて思って。うん、さっさと戻ってこようって思っちゃったって言うのが、今回また新たなボクの中での気持ちの変化ですかね。
 だからそういう変化って何て言うんだろうね、自分が「これだ!!」とか、こうだ!と思ったことなんてぐるぐる変わっていくんだなーなんて思った時に、うん、自分が今思ってることって本当に正しいのかなーなんて思うよなーと思ってね。昨日書いた文章を読ませていただきますとですね、Twitterで、、、

自分のことは自分がいちばんわからない。
過去の自分が正しいと思ってたことが今の自分には間違いだと思えることがある。とすれば、今の自分が正しいと思ってることだって、未来の自分が間違いだと思ってしまうことだってあるのだ。ならば未来のためには何を信じて、どう決めていけばいいのだろう?

 うん。ということを思いました。過去にボクが決めたとき、何かを決めたとき、何かを対応したときとかって、それはそれでその時のベスト解だったはずなんですよ、やっぱり。自分はこう思ったし、とか。別にそれも自分勝手にというよりはもうちょっと冷静に考えた上でこういう態度を取ってたと思うんですよね。こういう行動をしたとか。こういう思考をしたとか。ところがそれを今振り返ると、何であんな考え方をしてたのかな?とか、なんであんな行動をしてたのかな?とか、なんでそういう振る舞いをしちゃったのかなーなんて思うことって、皆さんもあると思うんですけど。ありますよね。後悔って言うんですかね、簡単に漢字2文字で言えば。そう思った時に、それと同じことが今後も起こるんですよね。だから今、ボク、Now、2021年の4月4日なう、この今ボクがこう思ってる、こう行動しようって今のボクの中では…嫌な言い方すれば最適解、もっと嫌な言い方すれば正解、だと思ってやってるんだけど、そんなの過去の事例から推測するに、過去のボクの経験から推測するに、なんかまた間違ってるような気もするんですよね。
 そう思うとですね、じゃあ今こう仮にAというものを思ったとして、Bかなぁーと思った時に、でもAだろうと思うんだけど、結果Bというのが今の最適解じゃないんだけど、未来にとっちゃBが最適解かも知れないじゃ無いですか(笑) と思うと決められないですよね、何もね。それがボクが今さっき、その前書いた「混乱している今」っていうのは、まさにコロナもあるしね、色んなことがあって、これ多分皆さん色々そうだと思うんだけど、うん、そんなことなのかなーなんて思ったりもします。
 この動画ね、一年近く撮ってきて…一年以上撮ってきて、なんか進歩してるんですかね(笑) あの頃、4月5月とかに思ってたことって…一年前とかね、まさにもう、今ボクの考えとは軌道が外れていってる気がするんですよね。軌道が外れていってる気がするし、その去年の4月とかも、もしコロナがなければオリンピックに向けてとか、なんかもうそこでも軌道が変わってる気がするんですよね。
 でもそれってボクで言うとその前にね、もし会社辞めてなければ…とかもあるしね。もしこの人と出会ってなければとかもあるしね。この人と別れてなければとかもあるしね。それがさらに震災みたいなね、どんどん遡ってますよね。その前にgoomoって会社を創ったねとか。うん…、金スマってやってたねとか、オトナの!って番組やってたねとか、だからその瞬間その瞬間に何かを決めてる、その瞬間その瞬間に誰かと触れ合ってるというか、誰かと話し合ってるとか、その時に生じてた現象というか、うん、それが良いことも当然ありますけどね、それが後悔してることとかもたくさんあるし、とか。まぁそれはあるじゃないですか、誰でも。だからそれがNow、ボクが言ってるのはNowどうすればいいのかなっていうのが、うん、この選択でまた未来を間違えたくないよなーなんて思ったりもするというか。いや、間違えたわけでもないけどね…という風にも思いつつ。
 だから…、いゃまぁ禍福は糾える縄の如しと言いますけど、本当だなーと思いますよね。良いこともあって悪いこともあって、人生は LIFE GOSE ON っていうことだってボクはいつも思ってるんだけど、でも良い時は良いけど悪い時はやっぱり辛いわけでね。これって…うーん、なかなか示唆に富んでるし、きっとそんな思いをフランシス・ベーコンは新聞の記事にスクラッチ、落書きして、うん、で、その落書きしたものからインスピレーション、アンスピラシオンを作品に投入して、作品を生み出してたんだろうなーってことを思います。
 はい。ということで30分喋りましたけども。知的好奇心向上になってるかな。うん、まあ、そんな感じで。まあ…続けてみましょう(^^) はい。バラエティプロデューサー角田陽一郎でございました。えーと私、またちょっと色々こんな感じで山本豊津さんとトークしたり、コトブキツカサとトークしたり、ちょっと新しいこともやってみようかなーとも思ってるし、色んな連載もしてますし、またコロナが明けたらトークライブとかやりたいと思ってますし、皆さんと…本を書きたい人の個別相談会ってのもやってますし。もしよろしければ私にお付き合いください。ということで角田陽一郎でございました。

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文字起こし後の文字寝かし

(好き勝手に思った感想を書き残しておくことを文字寝かしと言うことにしました)

 編集?!編集してあるーーーっっ(驚)!!!サムネの時点で左上に「角田陽一郎の知的好奇心向上委員会」、右上に「ICUC# 54」って見えてちょっと興奮気味に見たけども、美術館の前の海の動画に、古民家のヤギちゃんや陶芸の画像も入ってる!数を求めるというより、一人喋りであっても誰かと話てるというか、見た人へ送る感じがある。いいな。でも、どうか無理のない範囲で。

 自分のことは自分が一番分からない。だけどその分からん自分と他者も信じてみるより方法がないのだ…ということが、今回の2つのツイートだったと思う。
 自分、自の分、己(おのれ)の分があるなら己じゃない分は?それって己の外かなと思う。己を中心にして己の外、関わりがあった人の中に私のコピー=他人がもつ私の記憶ができる。つまりそれが縁だね。自分の内外を合わせて”全部の自分”とするなら、自分から見ても他人から見ても、自分の半分までしか見えない。その見えた範囲のものを感じるか考えるかした上で、分かる分からんって話になるから、自分のことは一番分かるし分からない、他人のことも分かるし分からない。
 内の比率が50%以上ってことがないか?とも思ったけど、縁が少ないと自己も減って50%は揺るがない気がした。好きな人は何となく分かったかも知れないけど、攻殻機動隊の1巻の終わりにこの元ネタが。さらに2巻の終わりの環の台詞「文字は心の鏡、紙束はその身体、生命の定義は人各々よ。」縁は人と直接会うことでなくても縁なんだと思う。その縁の分だけ自分が誰かの外の分として誰かの記憶を持つ、内の自分の成分ってそんなものでいっぱいなんじゃないかな。だから50%が揺るがない気がしたし、内外のインタラクティブから逃れられないし、制御できないインタラクティブから正解を選ぶなんてことも出来ない。
 フランシスやダリは描いたけど、書いても奏でても自分という生命(の一部)を残したことになるとすると、今は誰でも簡単に色んな形で子孫を残せる時代なのに、残されたものと向き合う人は、特に紙束と向き合う人は減ったんだな。そうすると生み残すものも薄くなって、垢が落ちてる程度なのかも。

 もう少しだけ攻殻機動隊、今度は2巻から二人の台詞。
環「何を持って自己実現と?」
素子「今この瞬間が今日短期的に最善の選択ならその積み重ねは最善の生では?」
 私が大好きなところ。このセリフの直前が「生命の定義は人各々」なんだけど。最善であって正解でも最適解でもない。だから好きなのかな。縁のインタラクティブをコントロール出来ないから、今も未来にも正解なものが分からない。だから最善だと信じないと生きていられないんだというか。
 この動画を1年以上撮ってきて進歩してるか?よりも、その軌道の外れっぷりを確認するために角田さんはアーカイブしてあるのでは?その1点だけがズレないことが賞賛に値するんだと思う。
 縁のインタラクティブが多い分だけ流れて外れることも多いだろうけど、それを間違ってもないんだけど最適解を求めたいとつい思うのは角田さんらしい。流れに身を任せるというか、身のうちに流すことと反してる感じ、その矛盾も角田さんらしい。ただ、自分の選択を後悔するのはちょっと寂しい。選択=過程が作品になるなら、その選択に罵詈雑言ほどではないにしても大事にして欲しいなと思うし、ダリに言わせれば完璧には絶対到達できはしないのだから!だ。あとは私の大事にしてることを本人が駄目だと言わないでくれという想いもあるかも知れない。

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↑買った(^^;)

 最後の10。角田さんは「君の絵”を”」と読んだけど、よく見ると「君の絵”が”」。「を」と「が」で意味合いが変わってしまう。角田さんが読んだように君の絵”を”なら、作者が作品を愛さないと絵に対する愛が無意味だみたいなことになるかな。文字通り君の絵”が”なら、作者は作品に愛されるということで、これ…どういう意味?
 そもそも「君の絵に対する愛」って作品の絵じゃなくて、絵画というものに対する愛って話なのか?そうすると6番の罵詈雑言と近い話…?自分の作品である絵を貶めずに、8番の画家として絵を描き続けることで作品が自分を愛してくれたら、画家として絵画に対する愛が報われるのか…?
 ぐるぐるした上でわかったことは、きっと本には解説というか、なんか書いてあるだろうから買って読め、と(笑) 悔しいけど買ったw ただ、これ原本がフランス語だとすると、翻訳の過程で欠けたりしてる場合はどうか?が気になるところ。あんまり参考には出来ないけど、本のレビューに「翻訳には美術に詳しい人をおくべきだった。間違いが多い。」というものもあったし。

 今回も色々検索したけど、ダリだよ、ダリ。見てると高田純二さん思い出すんだけど…私だけ?

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