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ICUC-059_2021.5.9【大人になっってから勉強する理由】

【ICUC知的好奇心向上委員会】の知的好奇心の向上&趣味の文字起こし。I see, You see ! Intellectual Curiosity Update Committee

参考図書
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角田陽一郎59「大人になっってから勉強する理由」ICUC知的好奇心向上委員会
今年の4月から、東京大学大学院の文化資源学博士課程に進学しました。
2019年に修士に入学してから2年間で、自分の修論は(なんとか)書き上げたテーマは
『バラエティ番組の制作システムから検証するテレビの演出効果』
そのモチベーションのひとつは、自分が四半世紀の間作ってきたバラエティ番組の制作方法をなんとか理論化したかったから。それは、何となく手前味噌ながら成し遂げたような気がします。
そして今は、では自分は次の博論で何を研究するのか?という、どこに関心を向ければいいのか自分でも正直わからなくなっているのです。
つまり、迷っています。自分もいい歳だし、この歳から何を研究するにせよ、それは自分のキャリアアップではなく、むしろ「世界の真理を掴みたい」という、その一点だけが、ボクの知的好奇心の礎だからです。
そうだとして、そのボクが求めてるorボクのスキルで解明できる「世界の真理」とは一体何なのでしょうか?

角田陽一郎 オフィシャルwebサイト

mireva channel

動画の内容(+文字起こしメモ&感想)

高速道路からICUC

 どうも。バラエティプロデューサーの角田陽一郎でございます。ICUC 知的好奇心向上委員会の5月9日版でございます。みなさん日曜日いかがお過ごしでしょうか?ボクはですね、今、見てわかる通り運転中でございます。これからちょっと出かける用事がありまして。なんなら出かける最中に…ね。別にずーっと語ってればいいだけだから、運転中に語ってみようかなーなんて思いながら、試しに今日は運転しながら撮影しております。運転しながら撮影って言うとなんか危ないような感じですが。運転中に撮影というよりはダッシュボードに付けた iPhone があって、ただ運転しながら独り言をずーっと喋ってるだけみたいなことなんじゃないかなーなんて思ったりもしております。はい、そんな感じでよろしくお願いいたします。
 ゴールデンウィークもね、明けましたし。ただ緊急事態宣言は5月31日まで延長になりましたけども。もうなかなか、本当に厳しい状態になっておりますね。なんかこの前もね、知り合いと話してたんですけど、なんかコロナの前の世界、コロナの前の状況ってどんなんだったっけ?って。忘れちゃったねーみたいな話を…。うん。だってもう、例えばお店とかって8時で閉まっちゃったりとかするじゃないですか。その前って…何時までやってたっけ?とか(笑) あれ?夜中まで飯食ってたんだっけなー?とか。なんかすごい思い出せなくなっちゃいましたね。人との密集…それこそライブなんて行ったらね、モッシュじゃないけど、別にモッシュまで行かなくてもすごいこう、ある意味他人と接触するということが、満員電車もそうだけど、日常茶飯時であったにもかかわらず、今はそういうことってもう全くないわけじゃないですか。むしろ知り合いともくっ付かないみたいなね。これって何かもう、どういう状態が果たして正常なのか?みたいなことってすごい分からなくなっちゃったなーなんてことを思ってます。だからじゃあ5月31日で緊急事態宣言明けたねーってなって、果たしてどうなるのか?なんてことは、益々分からない世界がやってきてるんだろうなーなんて思ったりもしますね。

博士で研究対象が不明瞭になっちゃった

 2020年ってのは本当に歴史に残る年なんですね。で、今2021年になって。ボクとしてはそれこそ2019年から東大の大学院の文化資源学ってところに通い始めたんですけど。そこからね、今2年ちょうどやって、修士論文を去年の2020年の12月にね、むしろコロナで篭ってたから書けたんじゃないかー?なんて思うところもある反面、…まぁ、書いて。今、4月からはですね、2021年の4月からは博士課程に進んでおります。Doctor 1st なんですよね。
 なんかね、最近ちょっと思うのは、去年、一昨年に比べて自分が研究してて、…大学院に通ってて、実際何を研究するのか?みたいなところがすごく不明瞭になっちゃったっていうのが最近思うわけです。それってどういうことかと言うと、それこそね、社会人で、もしかしたら大学院とか行こうと思ってる方がもしこれを聞いてる方でいれば、すごいボクの思いみたいなものってのが参考になったらいいなーなんて思ったりはするんですけど。
 1年目はね。それこそカルチャーセンター的に楽しんでたっていうところがあるんですよ。それが良いか悪いかは別ですよ。良いかどうかは別だけど、あらゆるね、知の大先生の教授たちが東大にはいらっしゃるわけじゃないですか。で、その授業を聞ける。これはもうすーごい知的興奮作業というか日々でしたね。色んな授業を聞いてなるほどな、なるほどな、と思うことがもう沢山あって。それって自分の思考の中ではね、色んな新たな気づきみたいなものを教えてくださったし、それこそこの歳で…ボクは2019年で49になる年だから、48で大学院に通い始めたんだけども、この歳でもまだまだ学ばなきゃいけないことが沢山あるんだなってことをすごい知ってですね。それこそ…なんて言うんだろう…行ったことにすごい価値を見出してたんですよね。
 で、去年の2年目。2年目は修士論文を書かなきゃいけない。書かないと修士が終わらないんですけど。そんな中でまさにちょうど1年前ぐらいですけどコロナでね、緊急事態宣言とかが起こっちゃったから、結果的に言うと全部リモートになっちゃったんですよね。で、全部リモートで、それでもリモートの良かったのは、東大って本郷キャンパスと駒場キャンパスと柏キャンパスってのがあって、今までだったら、もしリモートじゃなくて対面だったら、2限で本郷行って3限で駒場行くなんてことは物理的に難しかったわけですよね。だから柏キャンパスなんて行ったことないんですよね。ところが、リモートだとそれが可能だなってことで、今まで取ったことが無かった駒場の授業とか、柏の授業とかを取れたっていうのは、まあ面白かったですね。
 あとは本当に巣ごもり巣ごもりって言ってましたけど。巣ごもりで何をやっていいか分からないって言う、まさに去年の4月、5月のときに、少なくともリモートで授業を受けてるってことで、たぶんボクの中では精神的安定…、ちょうど父が病気だったりもしてましたから、そういう時に篭ってても窓が開いてたというかね。自分が篭ってる場所と学術研究のところに窓があったってことがすごい良かったんじゃないかなーなんて思います。
 あと一方で、何回か喋ってますけど。語学を結構履修しましてですね。スペイン語とかイタリア語とかドイツ語とかラテン語とかギリシャ語とか、色々やってみました。結果ね、それで喋れたかどうかというのは遥かに覚束なくて。全然喋れるようにはなってないんだけども。言語の構造が分かるみたいなところはなかなか、なかなか勉強になったなーなんてのは思っておりました。それが去年ですね。

文化資源学とは何か?

 そんな中でやっぱり文化資源学というところに在籍して、文化資源学というのは何なのか?ってことを結構考える…良い面も悪い面もみたいな。学際的なところっていう意味の良さは当然あって。社会人が比較的多い学科で、やっぱり普通の学科では学べないようなところがあるなってのは学びました。一方で専門がよりナローというか、専門がより専門化している Specialize されている学科に比べれば専門性がないわけですから、この専門性的な論文が果たして書けるのか?みたいなところってすごくあるんじゃないかなーなんて思った時に、ボクが文化資源学で修士論文を書いた時に1個考えていたのは、文化資源学ってのは何なんだ?ということ…様々な定義があるとは思うんですけど、よく先生方が文化資源化って言葉をよく仰ってたんですね。
 だから何かモニュメントがあったりとか歴史的なものがあったりとか、何でもいいんです、別に歴史的なものじゃなくて演劇だろうがテレビだろうが、そういうものが何かあったときに、それがただ在るものと、文化資源化されて在るものってのはやっぱり在るという状態は違うんだよなーなんて思った時に、文化資源化って何なのかなーってことを考えたりもしたわけです。
 その時に…まさに文化資源のある授業を受けてた時に、色んな学生の皆さんとね、ディスカッションをしてたときに、ちょうど理系の学生さんがいらっしゃったんですよ。建築をやられている、すごい聡明な学生でいらっしゃいましたけど。その方は理系ですから理系的な発想で文化資源学ってのは何なんだ?っていうようなことを言ってたときにですね…。理系の方がいるから文化資源の対義語という意味で言うと、元々の資源って天然資源じゃないですか。天然資源:natural resources と文化資源:culturelle resources の違いは何なんだろうなーなんてことを議論にしたりしてね。それはそれですごい面白かったんですけど。
 そんな中で natural resources 、つまり天然資源が天然資源になるのってどういうことなのかな?と思った時に、例えばそこに山がありますよね。山があっても、山があって山を見てただけではただの山なだけなんですよね。ところがその山に採掘調査とかすると、実は金が眠ってるぞとか、石油が出るぞ、原油がでるぞ、みたくなれば、そこは山ではなくて資源を発掘する場所になるんですよね。だからその山が山として在ればただの山なんだけど、そこに資源が眠ってるぞってことが分かったとときにそこが天然資源化するんだよなーっていう。採掘調査をするというかね。ってことは、文化資源っていうのもそこに何かが在る時にはただの資源…山なんだけど、そこに、何かにスポットを当てて、何かを採掘する、何かを発掘するということをやる…調査をする、それが文化資源化されることなんだなって思った時に、文化を資源化するということはひとつのプレゼンテーションの方法なんだなーってことを思ったわけなんです。
 どういうことかと言うと、調査したものをどのように記述するか?というか、どのように論じるか?みたいなことって、どのように論じてもいいんだけど、それが…ここにはこういう様な資源が眠っているんですよ、…眠っているというか、なんですよってことをちゃんとプレゼンしない限り、それは文化資源化されないんだなーなんてことを思ったわけです。

バラエティ番組の文化資源化

 で、ボクはテレビマンをずーっと25年やってまして。TBSテレビには22年9ヶ月いたんですけども、なのでボクは文化資源学という中で、修士論文はやっぱり自分がやってきたテレビのバラエティ番組というものを文化資源化しようと。ただバラエティ番組というものがあって、それが面白いだ、つまらないだ、やらせだ、視聴率良かった悪かった…みたいなことではなくて、どういう風にバラエティ番組ってものをプレゼンテーションすれば、それは文化資源になるんだ?みたいな問いをね、ちょうど去年の2020年には何となく気づき。じゃあ自分は修士論文の中でバラエティ番組というものを文化資源化をするために論文を書いてみようと思ったんです。
 その時に修士論文のタイトルを先に言ってしまうと、バラエティ番組の制作システムに…?、えーと、あ!制作システムに関…、えーと、から…あれ?なんだったっけ?忘れちゃった、あっはっはっはっはっは!!あれ…バラエティ番組の制作システム…から…えーと、探るじゃないや、そこの修飾語忘れちゃった!

『バラエティ番組の制作システムから検証するテレビの演出効果』

 つまりテレビの制作…あ、テレビの演出効果というね。そういうタイトルにしたんです。バラエティ番組の制作システムとテレビの演出効果っていう、つまりプロデューサー目線で言うと組織論とか、こういうようにスタッフがあって、こういう風にルーチンワークがあってという制作システムがあって、それをボクはマニファクチャと名付けたんですけども、そのマニファクチャ的な営みの中に…、それはやっぱり日本テレビだろうが、フジテレビだろうが、TBSだろうが、テレ朝だろうが、テレビ東京だろうが、本当はNHKだろうが、実はそんなに変わらないあるオペレーティングシステムがあって、そのオペレーティングシステムをちゃんと理論化することで、ひとつ文化資源化できるのではないかな?と思いました。
 一方で、その制作システムは別に…、例えばディレクターがこういう編集をしましょう、こういう企画を立てましょうっていう演出、その演出効果っていうのよりも、実は今バラエティ番組はこのように作ればこういう風に見られるみたいな一定の法則みたいなものがあるんですね。だからこの制作システムと演出効果っていうのを両方から挟み撃ちすることでバラエティ番組が見えてくるのではないかな?みたいなことをやったわけです。
 で、それでこう、まあ、論文を書いて、一応合格を頂き、修士を卒業したわけですね。で、そういう意味でそれはすごくボクの中では…、そのクオリティが本当に良いものか悪いものかというのは自分では分からないけども、少なくとも自分が25年間やってきたバラエティ番組というものの理論化って、他の論文を色々探りましたけども、そんなに無いです。
 つまり何故無いか?って言うと、バラエティ番組の中で作ってる人たちがそれを実際に論文に書こうという稀有な人がそんなにいないからって言うのが一つだし。テレビを表層的に、こういう効果があるよね?っていうような視聴者としての分析みたいなものは、するどい分析論みたいなものはそれこそ沢山あるんですけども、中側からのものをやろうとしてる人が居ないから無いってのもありますし。あともう一つ、単純に企業なのでやっぱり秘密というか、隠蔽…隠蔽って言うと嫌な言い方ですけども、公開されていない色んなことがあって、実際外側にいたら調べようにも調べられない…と言う様なところもあるんだと思うんですね。
 なので、そう言う意味でボクがこの論文を書くひとつの使命としては、その非公開だったテレビの中での作り方の構造みたいなものをちゃんと1回論文で表立たせるというか。それって別に表立たせるって、なんか裏の嫌な世界をつまびらかにするみたいなね、別に文春砲的な話ではなくて。別にそんな秘匿する必要のないものも秘匿されてるじゃないですか。尚且つそれは口伝、つまり先輩ディレクターが後輩ディレクターに経験で伝えていくみたいな感じで、別にそれがマニュアルになってて、そのマニュアルを読めばあなたは番組を作れますよ、あなたは編集が出来ますよ、みたいなマニュアルなんてものはないわけですから。そういう言語化、視化されていない、つまり言葉には残されていないような…、民話みたいなもんですよね。まさに柳田國男の遠野物語じゃないですけど、眠っている民話みたいな感じで言うと、まさにバラエティ番組の作り方みたいなものは一子相伝とは言わないまでも、そのチームだけで伝わっていて、それをどう言葉に表すか?論理的に表すか?みたいなことはやっぱりやる必要があるんじゃないかなーなんて思っていたわけです。うん。

バラエティ化を紐解きたい

 それはやった上で、ボクの中では一つの区切りができたわけですね。で、そうなった時に、じゃあ博士課程で何をやろうか?みたいなことがあるわけです。で、そもそもボクが2019年に修士に入った時に、本当にテレビの研究がしたかったのかな?って言うと、実はそうではなかったりも、ちょっとするんです。
 そもそものボクの中での動機で言うと、テレビっていうのが、あらゆるテレビがバラエティ番組化してますよね?スポーツバラエティだ、報道バラエティだ、みたいな。うん、だから、やっぱりドラマだ、報道だ、スポーツだ、みたいなジャンルはある中でも、やっぱりテレビというのがバラエティ番組化してるなーっていうことで言うと、テレビ=バラエティ番組だなっていうようなことをどう捉えるか?あともう一つは、じゃあ実際、今YouTubeで動画を作ったりとか、それこそ zoom でリモート会議やるとかって言う時に、結果的にそこでバラエティ番組的なエフェクトというか演出みたいなものがされてるわけじゃないですか。(カーナビが喋り始める)つまりそういうものって結果的に……あのー、今なんか、首都高の(笑) 情報が流れておりますが。まあそんなことは気にせず話して、続けたいと思いますが…石川町ジャンクションって今言ってますが、そんなことは置いといて…、横羽線経由も置いといて(笑)
 えーと、なんだ?…つまりバラエティ番組、テレビってバラエティ化してるなーなんて思った時に、実はこの社会、この世界自体もバラエティ化してるよなー、だからテレビ化してる世界ってのはよく言われてますけど、テレビがバラエティ化してるという意味で言うと。つまりテレビってごちゃごちゃの玉手箱的な、バラエティに富んでいるのがテレビって意味で言うと。この世界ってのは元々バラエティ的なもので、それを皆んなが使う時に、すごいバラエティ番組の手法みたいなものが応用されてるというか、知らず知らずに使われてるよなー…。
 それは別にバラエティ番組の演出方法だけじゃなくてね。例えばダウンタウンさんとかね。松本人志さんとか浜田さんのトークのやりとりみたいなものって、今の若い子達だって、今のボクらみたいおっさんとかだって、話してるとやっぱりダウンタウンのトークスキルみたいなものをパクってパクってパクって喋ってるみたいな。なんか真面目なことを言うとちょっとずらして喋るみたいな、松本人志さん的なずらしみたいなものをどう入れるか?みたいなことって、日常の会話にも影響してるとすると、あらゆる世界がバラエティっぽいんだよなーってことを思ったりもするわけです。とすると、ボクがテレビの研究をしようと言うよりは、この世界が何故バラエティ的になってるんだろう?ということを紐解きたいというのがそもそものボクのモチベーションだったんじゃないかなーなんて思ったりもします。うん。

やりたいことをやるスキルが無い

 で、じゃあそれでやっぱり文化資源学に入ったんですけど、この世界はバラエティ化してるよねなんて言うことって研究できない。あまりにも広すぎて。ただの妄想を言ってるだけのことになってしまうと、やっぱり具体的に一つのターゲットを絞って、それを研究しなければということで、じゃあバラエティ化する世界というのを記述するために、まず修士論文ではバラエティ番組について検証してみようと思ったっていうのがボクの始まりなんです。
 で、話が戻ると、検証し終わったと、一応。し終わったときに、じゃあ今度、博士課程でボクがやろうと思っていることとしては、本当にそのバラエティ化する世界はなぜバライティ化しているのか?という確信に迫る様な研究をしたいなというのが根本的にはあるわけです。ところがですね、博士っていうのは皆んなプロの研究家になるために…という意味で言うと、ボクが今まで書いてきた本というのはやっぱり素人書きなんですよね。世界史の本を書いても、日本史の本を書いても。それは専門家だから書けないっていうジャンルをあえて専門家じゃないボクが書いているみたいな意味で言うと、修士論文とテレビに関しては一応テレビの専門家だったんで書けたんだと思うんですね。ところが白紙になった時に、テレビじゃないものを対象にしたときに、その専門性が無いとすると…。その専門性というのは例えば、何でもいいですよ、統計学を使ってみるのか、社会学的なアプローチをするのか、数理理論的にアプローチするのか、あるいは経済学的にアプローチするのか、うん、何でもいいんですけどね、そう言うような知的武器というか、私的戦術というか、そういう学術的武器みたいなもので切って行かないと、たぶんその専門性がないんだと思うんです。ところがここでボクははたと気づくわけですね。大学と言っても普通に学士の、普通の大学4年間を出て、そのまま社会人になってしまったわけで。で、修士になって2年間は今みたく過ごしたわけだから、ボクがじゃあこの世界を切るときに統計的に切ろうみたいな統計的なスキルなんてものは無いし。経済理論なんてのも全然分かってないし。社会学的アプローチみたいなものも、まあ聞き齧ってはいるけど、それが本当にできるのか?みたいな時に、非常に心許ないわけです。うん。
 だからつまり、ボクが分かったことは、「そっか。自分がやりたいことが見つからないみたいなことじゃなくて、やりたいことをやるスキルが無いんだな」ってことを痛感したわけです。それは先々週話した英語みたいなことはまさにそうですよね。英語で論文書きたいと思ったって、その英語のスキルがないんじゃんってことに気づく、気付かされるんですよ。で、同様に、そういうい学術的な武器をもっていないままこんなおっさんになってしまったボクが博士論文でいざ何を話しても…なんか大きいこと言ってますよね?とか、あなた独自の思い込みでしょ?ってなったときに、それをサイエンス的に立証する術がボクには無いんだなってことに…薄々気づいていたけども、痛感させられたわけです。それがたぶんボクがこの2月から3月、4月と鬱々としていたひとつの見えない、出口が見えないところだったんだろうなーなんて思うわけです。

想像を超える指導教官の目

 そんな中で、じゃあどうしようかな?なんて思ってるときに、ボクの指導教官が、文化資源学の教授がいらっしゃるんですけど。月いちで面談やってるんですけど。まあ角田さん、面談しましょうよってのがあって。ちょうど一昨日ですね。面談をしていただいたんですね。で、ボクは別にそんな悩みをその先生には全然伝えてなかったんですけども…。もう、すごいですね。その洞察力というか、ボクがそういうことを悩んでることをたぶんその先生は気づかれたわけですよ、すぐ。
 「角田さん。今度博士でどういうことを研究されるんですか?」みたいなことを。ボクはこういう事で、こういう事で、と言ってたら、「うん。でもそれ角田さんが本当にやりたいことじゃ無いですよね?」みたいなこととか。「でもそれをやるんだったら経済学的なアプローチをしなきゃいけないから、そこを一から学ばなきゃいけませんよね?そういう余裕ありますか?」みたいな。「ないです。」で、はぁ〜となったときに、「例えばこういうのを対象にするのはどうでしょう?」というのをね、ひとつ出して頂けたんです。それはね、はっきり言えばボクの想像を超えているものでした。
「角田さん、そのジャンルのこれ好きですよね?」
「はい、好きです。」
「それをやればいいじゃないですか。」
「えっ?」
「でもそれってテレビとも関係してるじゃないですか。」
「あ、…してます!」
尚且つテレビ以外とも関係してるんですね。小説とかね。尚且つボクはヨーロッパに住みたいってずーっと言ってますけど、ヨーロッパとも関係してるんです。尚且つその対象をね、研究するということを今後ボクが対象にするとですね、まさにボクが今までやってきたこと、これからやりたいこと、更にはボクのスキルという3つがですね、ちょうどガチャッ、ガチャッ、ガチャッ、と、キュンッっと重ね合わされた三角形になるんじゃないかなってことなんですよ!もう本当にボクはその時の指導教官が、本当に神の使い、mission from GOD じゃないですけど、なんかこう…「角田陽一郎よ。それを研究しなさい。」っていう啓示を頂いたんじゃないかなーなんていうくらい鳥肌が立ってですね。うん。それって、そっか。それをボクがやると言うことが本当にボクの mission from GOD だったんだなっていう、神からの使命なんだなってことをすごい気付かされたというかね。だからちょっとそれをやってみようなんて思ってます。
 じゃそれって何なんだ?って、気になるなーとは思うんですけど、あの…今言うと恥ずかしいからまだ言わないですみたいな、うふふふ!感じなんですけどね。まあおいおいどこかで言っていくことにはなるとは思うんですけど。まずは全然下調べもしてないんで、まずは自分がそこでどうアプローチできるのか?っていうことをたぶん考えて行かなきゃいけないんだろうなーなんてことは思っております。

人生ってやっぱり旅なんだ

 そんなこんなで話してるうちに高速道路を降りるところまで来ました。はい。だからなんかね、人生ってやっぱり旅なんだなーなんて思うわけです。ボクはこの前…、その先生からお話し来た時にね、ボクは易の占いをするんですけど。易をやって、火山旅(かざんりょ)っていうのが出たんです。火山に旅って。ボクは火山旅だったんですね。で、火山旅の一爻から六爻まであるんですけど、二爻だったんですけど。その二爻のところを占ってたらですね、つまり人生は旅だとして、旅人ってのは普段旅先にいるわけだから、やっぱり自分の思うようにならないことが沢山あるわけですよ。自分の思う通りにならないことは沢山あるし、旅で出会う人たちってのは言うても他人だし、そんなに自分と関係ない人たちだから、やっぱりその人たちに遠慮をしなくちゃいけないし、配慮しなきゃいけないし、気を使ったりして。で、その方々からある意味恩恵を頂いたりして、それで生き続けいく、それが旅なんであると。なので、旅人であることというのは決して快適なことだけでもなくて、大変な苦労をすることもあるんだと。ただそれを続ける人生なんだよということを占われてたわけですね。
 ほお〜そうなのかと思った時に、旅っていうのは今コロナでまさに旅なんか出来ない、あらゆる人が旅してないのかも知れないけども、でも日々の、日常で新たなことと出会うとか、新たな人と話すとか、新たな知的好奇心を持つとか、それこそ研究をするとか、そういうことも含めて全てが全てが旅なんだなと思った時に、ボクが日常思っている楽しさとか、ワクワクするみたいな気持ちと、それ以上にボクが日々抱えている鬱々とした気持ちとか、面倒臭いこととか、大変なことって、あぁ、ボクはその日常が旅だからなんだなというか、いま旅してる最中だからなんだなってことに、その言葉を聞いてですね、気付かされたわけです。実際の旅をしてなくても旅してたんじゃん、みたいな。だからやっぱり人生っていうのは旅の途中だってよく比喩で言われますけど、本当に旅の途中なんだなーって、なんか思うわけです。で、そんな旅だからやっぱり旅の途中、旅ってのは色々疲れることもあるし、当然楽しいこともあるし、だからそんな旅を生きていく旅人であり続けるということが、なんかこう見えたんですね。だからボクがその新しい学術研究でね、新しい対象をやるときにね、旅をするように、旅人の様にやっていきたいなーなんてのも思いますし。

21世紀の魔法

 それこそね、その先生がね、最後、面談をやってた、ディスカッションをやってたときに最後ひとことポロッと言ったのはね。…20世紀の魔法ってのはね、今どんどん消えて、消えかけてるじゃないですか。で、魔法ってのは何かって言うと、テレビ的な演出みたいな意味でも魔法だし、民主主義っての魔法だし、もしかしたら資本主義ってのも魔法だし、JAPAN as No.1 っていう幻影みたいなのも魔法だし、そういう色んな仕組みみたいなものというか、考えてきたことみたいなものがどんどん…もう役に立たないよね、そんなの意味がないよねみたいな感じになって来ちゃってるじゃないですか。そうなって来た時に、じゃあもうそういう20世紀の魔法が消えかけて来た時に、今もう21世紀も21年経ってるわけで、21世紀の魔法ってのは一体なんなんだろうな?っていう。その21世紀の魔法というのを何なのか?ということをたぶん僕らはこれから探っていくというか、ボクは探っていきたいんじゃないかなってことに、なんかすごい気付かされたわけです。
 だから今回の対象というか、やってみようと思っていること、その新しい学問でっていうのは何かというと…何かといかは内緒なんだけど、簡単に言うと、うん、その”20”世紀の魔法は何なのか?っていうことを探っていきたいんじゃないかな、なんて思っております。はい、なので”20”世紀…あ、ちょっ、ま…!21世紀ね!!いま大事なとこ間違えちゃった。20世紀の魔法が消えかけて、今、21世紀の魔法をボクは探っていこうと思っております。
 そんな感じでICUC知的好奇心向上委員会でございました。また来週よろしくお願いいたします。

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文字起こし後の文字寝かし

(好き勝手に思った感想を書き残しておくことを文字寝かしと言うことにしました)

 子供の頃、大人になると勉強したくなるんだとよく聞いたけど、今ならその感覚が分かる。角田さんにもそんな感覚があったんだろうけど、本当に大学に戻るところがすごいのだ。角田さんが修士で語学をたーくさん履修した話をするとき、すーごく楽しそうに話す。よっぽど楽しかったんだろう。見てるこちらも楽しそうにしてると嬉しいもの。鬱々としてたらつまらないと言うことではなくて、何も手助けしてあげられないけど、どうか幸せが早く来て、元気になってくれますようにと思う。

 少し前から、博士に進んで研究対象をどうしようかで悩んでるという話を聞く様になった。なんだか悩む姿が学生らしく見える。もし角田さんが就職せず大学院に進んでいたら、世界史の研究をして、それこそ若いころから海外で活動していたのかも知れないけど、就職したからこそテレビマンという武器がある。つまり学術的な武器はないけど。
 学術武器をテレビやYouTubeで見ることはあっても、学問の場でテレビという武器は珍しいと思う。もしかしたらテレビという武器は、学問の視点からは見劣りするかも知れないけど、武器が特殊なら獲物も特殊で、誰もやらなかったテレビの内側からバラエティ番組の論文を書いたように、博士でも誰もやらなかった学問ができるんだろう。

 文化資源学とは何らかの専門性の上に成り立つ学問、専門性を武器に対象を資源化する学問、そんな印象を持った。以前、角田さんは文化資源学というのは理系学科も文系学科も跨ぐ学問だと仰っていたけど、今回では跨ぐ感覚というか、広い!という感覚が分かった気がする。興味と専門=武器、使える時間で対象を狭めて行く。文系と理系で組んでひとつの文化資源化をしても面白そう。

 知人が学生のとき論文で賞を取ったと聞いたので、ネットで該当の論文を探して読んだことがある。まずこの論文はどう言った手法で何を対象に論じるか?を最初に明記するのが決まりらしい。つまり対象をどういった道具で切るのか決まらないと論文は書けない。
 それから聞き齧り情報だと、理系の論文の場合、論文を発表する場には論文を査定する人が選出されていて、その人たちが同じ環境を再現し、同じ実験で同じ結果を得られるという検証がされるのだそう。その他、論点の甘い部分も徹底的に突っ込まれるそうで、その点は文系もきっと同じ。私にはディスカッションと粗探しの区別すら難しいけど、そうして一つの論証が立ち、歴史に残されるんだということは分かった。
 角田さんの新たな学術武器は、まずは英語なのかな。でもテレビという武器は特殊なんだから、博士論文も見たことない論文になるんだろう。今はまだ内緒と、大事そうに両手で抱える角田さんの気持ちが分かる気がする。

 バラエティ番組の制作システムが言語化、可視化できる資料として残されていないことの例としての遠野物語。私は遠野と言えば会社の先輩の出身地だということと、河童のことしか知らない。検索すると、言い伝えの民話を集めたものなんだとか。これは遠野物語という本になり、論文にはならなかったんだ。つまり対象を切る道具が演劇、音楽、アート、という場合もある。遠野の民話も文化資源学なんじゃないかと思った。

 制作システムと演出効果を切り口として挟み撃ちすると、バラエティ番組というものが見えてくる。物事の考え方というか切り口の置き所がちょっとわかった気がする。なぜかもう一度(ホントは5度目くらいだけど)東大生協イブニングツアーを見て「思考の生理学」を買ってしまった。なぜ今また見たんだろう?

 ニュース番組も国会もフリップを使う。芸人さんの話芸を真似る。結局どちらもコミュニケーションを円滑にしたいんだ。自分が伝えたいことを人にちゃんと分かってもらいたい。バラエティ番組と言っても色々だけど、おそらく見てる人も一番バラエティ豊か。子供から老人まで、番組の面白さが早く正確に伝わらないと面白くない。つまり視聴率が下がる。視聴者の多くにとって身近な番組、見慣れたやりとり。日常生活でも真似やすいし、工夫して伝えようとするし、上手くいけば伝わるから、達成感もあるし人から評価もされる。
 バラエティ番組は出演者も視聴者も笑顔の番組。だけど真似てるうちに、言いたいことを分かりやすく伝えることばかりに一生懸命になり、自分は世界の一部という感覚とか、難しいものが難しくていい理由を考えなくなる。頑張って評価もされるのに大事なものは見えなくなる。きっとその辺が魔法なんだろう。

 角田さんの指導教官って中村先生なのかな。崖東夜話と東大生協のツアーでも拝見しましたけど、あの方はなんかすごいな!という感じを画面越しでもがっつり受ける。文化資源プロデュース塾03で紀里谷さんのちょっと込み入った感のある話をすいっと掬って、ご自身の意見も添えつつ話を解いて並べてくれるような会話が印象深い。

文化資源プロデュース塾2020/東京文化資源会議
・『文化資源プロデュース塾』 オンラインディスカッション講座01
 東京文化資源会議と崖東夜話の魅力―社会学的街歩きをプロデュース!
 吉見俊哉 東京大学教授
・『文化資源プロデュース塾』 オンラインディスカッション講座02
 映像利用の権利を学ぶー映像アーカイブをプロデュース
 福井健策 弁護士
・『文化資源プロデュース塾』 オンラインディスカッション講座03
 新しい感性をプロデュース
 紀里谷和明

崖東夜話神田明神(2020年10月27日)

東大生協本郷書籍部イブニングツアー vol.1

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