見出し画像

ICUC-046_2021.2.7【ネガティブな世界へようこそ!】

I see, You see! Intellectual Curiosity Update Committee【知的好奇心向上委員会 ICUC】今週ものんびり知的好奇心のアップデート&趣味の動画文字起こしメインのメモ。

今日の図書
『成功の神はネガティブな狩人に降臨する』角田陽一郎【朝日新聞出版刊】

ICUC#46「ネガティブな世界へようこそ!」(2021年2月7日)
PCR検査。陰性だった、よかった。年末に続き2回目。今回は採取した検体を渋谷駅ハチ公前の赤い帽子の人に渡す段取り。いろいろ勉強になる。それにしても、ネガティブが嬉しくて、ポジティブが悲しいという、今までの世界観を反転させたコロナ禍。
てな話をしております!

ICUC主宰:角田陽一郎webサイト

mireva channel

動画の内容(+文字起こしメモ&感想)

「引っ張るなぁw」結果はPDFをご覧ください

 おはようございまーす。知的好奇心向上委員会ICUC、バラエティプロデューサー角田陽一郎でございます。うん、いきなり話し始めたら声が「ゔゔんっ」ってなっちゃいますね。「ゔゔんっ」って。「ゔゔんっ」ってなっちゃうから、やべぇまたこの時期に咳き込むみたいなのはコロナじゃないか?みたいな感じなんですけども。現在ですね、私はPCR検査を受けたばっかりでございまして。そういう意味では陰性になった最初の咳が今の(笑) って考えると、ちょっと安心なんでございますが。どうもよろしくお願いします。
 あのー、PCR検査でいうと先週の月曜日に──、もう二月ですね、先週の月曜日から二月になっちゃいましたねぇ。早いなぁ。一月もあっという間に終わりましたが。二月になりまして、月曜日にお会いした方がコロナになっちゃいまして、それが金曜日に分かって。で、急いで僕も検査しなければなと思って。ただまあ、結果、濃厚接触ではなかったんですよね、その方とはね。色々探ると濃厚接触ではないんですけど、お会いしたことは事実なのでと思って、PCR検査の関係会社からキットを頂き、唾液を採取して、渋谷で預けると。渋谷のハチ公前に赤い帽子を、PCRって書いた赤い帽子を着けてる方に預けると数時間で判定できるっていうんで、土曜日、この海の街から渋谷まで行き、渡してきました。
 で、メールでね、返答が来るんですけど、ちょっと緊張しますよね。どうなのかな?みたいな。ちなみに僕、去年の年末は自分の調子が悪くなって熱が出たので、これは本当にやばいなーと思ってPCR検査を緊急診療所に行ってやったところ陰性だったんですよね。だから実は検査2回目なんですけど。今回もそのメールをみる時に──メール来るじゃないですか。スマホで見て、スクロールすると結果は…?結果は…?と思うと、「結果はPDFをご覧ください。」になってるんですよね。PDFが添付されてるんですよ(笑) あぁそうか、と思って、引っ張るなぁと思って(笑) ピッとこうPDFを見たら陰性って書いてあったんで、ちょっとホッとしたなーというのがあります。 
 でもね、こんな中でも罹っちゃう方は罹っちゃうし、気をつけてもねぇと思うんで。こればっかりはね。僕も基本的にはちゃんとマスクしてますし、会食はしてないですしとかは心がけてるんですけど、それでも生きて行くってことは、人と会うってことはやっぱりあるわけだから、全部止めるわけにはいかないですからね。だから、う〜ん、だってそれやった後、僕、美容院行ってるわけですよ(笑) だからもし僕が陽性だったら美容院の方も…とかって思っちゃうと。ねぇ、心苦しいなーなんて思いながら。

コロナはネガティブな世界への反転のきっかけ

 結果、陰性。ネガティブで良かったんですよね。で、そう思った時にね、この前それこそ、私、東京画廊の山本豊津さんというすごい面白いおじさまと豊津徳【HozuTalk】っていうアートについてを語るYouTube番組をこの mireva channel でやっておりますが。その時にちょっと喋ったことなんですけど。
 今回PCR検査でネガティブというのが出て喜んでる僕がいるわけですよ。やった〜!って。ネガティブで喜ぶってちょっと面白いなーと思うんですよね。いやあの、別にPCR検査っていうか、このコロナの前にもそういうことは…そうですね、インフルエンザだってそうだしとか、腫瘍マーカーだってそうだし、ネガティブってのは基本的には陰性ってことだから良いことなんだけど。これほどまでにね、陰性、ネガティブが嬉しくて、ポジティブが嗚呼!って悲しくなる、ネガポジ反転な社会になったんだなーって、実はこのコロナ禍なんではないかなーなんて思ったりするわけですよ。
 そうするとね、山本豊津さんとのHozuTalkで話したんですけど。豊津さんが仰ってたんだけど。今ほら、若者が草食化してるとかね、元気がないとかね、ドメスティックになってるとか、色々ネガティブな話になってるんだけども、それは社会がネガティブになってるから、その現れなのではないか?みたいなことを仰っていて。面白いなーと思ったんですね。
 だからネガティブなものがネガティブなものか?っていうと、僕が青春だった80年代とかはポジティブなものの方が良かったんじゃないかなーと思います。90年代だってそうだしとか考えてるんだけど、いつの間にかポジティブがポジティブとやってたら、地球環境がどんどん破壊され、そのポジティブポジティブってやってたら実は日本は本当に先進国と言えるほどの賃金なのか?みたいな話とか、今回の森さんの女性…あえて言わせていただきますけど女性蔑視発言とかね、切り取りなのか?って意見もあるけども、う〜ん、僕はトータル違うと思うというか。彼はずーっとそういうことを思ってる人だからねっていうか。だから彼という個人がどうかというより、そういう風に思ってるおっさん達…いや、おっさん達って言うけど、本当はここでまた性別とかを出しちゃうと面倒臭いんですよね。おばさん達もそうだと思うんですけど。
 つまり色んなしがらみというか、グループを集団でくくって、この集団はこうだよねって言うのって、東大とかもそうですしね、〇〇人というのもそうだし、なんなら太った人というのもそうだし、なんだったら獅子座っていうのもそうかも知れないし、B型ってのもそうかも知れないんですけどね。なんかそう言う風に集団をくくって、こういう感じだって言うのって──まあ血液型とかは他意がないかなーと思ってますし、でもそれでもね、昔いじめられたみたいな話もありましたし、占いなんてものは、僕は獅子座のB型なんで、獅子座だからこうっていう御託宣を信じてないか?信じてるか?っていうと、前も石井ゆかりさんのやつを話しましたけど、それを信じてるというより、というクジというか、その時その文章を僕が読んだと言う事実ということが大事だなと思ってるだけで、獅子座だからこうだって、こういう性格なんですと言われたら、と言われた文章を見たということに意味があるわけであって、本当にその集団がそういう人なのかな?って思うと、色んな人がいるんじゃないの?って思ってるていうのが僕の考え方ではあるんですけどね。
 森さんの話になっちゃったけど、そうじゃなくて、えぇとなんの話でしたっけ?えーと、ポジティブ・ネガティブか。うん、だからネガティブなものが嬉しいって言う風に今の僕、昨日のPCR検査でもそう思ってるしって考えると、ネガティブな世界へようこそっていう、ウェルカム・トゥー・ネガティブ・ワールドというか、ネガティブな世界なんだろうなーなんて思う訳です。
 それってポジティブな世界にいた僕も、ポジティブな世界で青春を過ごした人間でございますから、そのネガティブさにすごい嫌だなーって思ってたんですけど、このコロナ禍で、そのネガティブな世界でネイティブにならなきゃいけないんじゃないかなって(笑) ネガティブなワールドでネイティブな方々は、むしろそういう現実を持ってしまうってことだから、若い人たちは覇気がないねみたいな話になってるんだろうなーと思う訳です。で、社会、世界がそうなってるってことは、それに順応して行こうとしないと生きてけないわけだから、それはそれでありなんじゃないかなーなんて思うと、たぶん僕とか僕ら世代、また世代で括るとまたどうなのか?って話なんだけど、ポジティブじゃなきゃダメだっていう人たちが、ね、やっぱり政治を牛耳ってるし、経済も牛耳ってるとなると、そのネガティブな生き方みたいなものをやっぱり否定的に捉えるみたいなところがあるんだろうなーなんて思うと、なんか実はね、その反転のきっかけがこのコロナ禍なのではないかなーなんて思ったりもします。

成功の女神はネガティブな狩人に降臨する

 かく言う私もですね、最初に出した本は「カテゴライズド」といいますけど、実質最初に書いた本は「バラエティ的企画術」って本なんですけど、それのタイトルは「成功の神はネガティブな狩人に降臨する」って文章を書いてますから、なかなか予言的だなーと思うんです。それ2014年とかに書いてる訳ですからね。
 成功の神はネガティブな狩人に降臨するっていうのはどういうことかと言うと。まず成功の神の降臨は狩人にやって来るんだけど、その狩人っていうのはネガティブかポジティブかって考えると、ネガティブな狩人の方が、──狩人じゃなきゃいけいないってことなんですね、まず僕の中ではね。だから狩人じゃないと成功の神は降ってこないんだよ、と。
 でもこの狩りってメタファーで言ってますけど、昔の本当の狩りだったらね、命を賭ける狩りなんだけど、今はまあね、そりゃ当然亡くなるってことはあるけど、大体の勝負では命を賭けないわけだから、まあ狩人って言っても命賭けない狩りができるんですよってことを、まずその本には書いた訳ですよ。だからまず狩人になりましょうよと。なにかやりたいんだったらね、と。
 ──で、そうなった時にじゃあネガティブかポジティブかみたな話で言うと。これはあくまで僕のことなんですけど、僕はあれですよ、前向きか後ろ向きかって言われたら、どちらかと言えば超前向きなんだと思うんですね。基本的には前むいてます。ところがネガティブかポジティブかって言われると、すげぇネガティブなんですよ。だから前向きって英語で言えばポジティブだし、後ろ向きっていうとネガティブなんだけど、実はちょっとだけ意味が違ってて、前向きだけどネガティブ、前向きな上にネガティブなんじゃないかなーなんて思ったりもするわけですね。 
 で、なんでじゃあ前向きなのにネガティブなのか?って考えると、つまり前向きってことは前だから、一番当たりが強いっていう、向かい風が直撃すると。うん、だから前を向くからこそネガティブに細心の注意を払って生きていかないと、やってけないのではないか?っていうようなことを思ってたし、それを文章に書いて、その文章が面白いねって言われたんで、もっと色んなことを書いてるんですけど、タイトルは「成功の神はネガティブな狩人にっ…っ…降臨する」、今ちょっと噛んじゃいましたけど、降臨するっていうような本になったって次第であります。
 ちなみにどんよりした、目が腫れてるなー…腫れますよね、これね、泣いたのかな?泣いてないとは思うんですけど、心では泣いてるかも知れませんが。あれです、花粉が来ましたね、ついにね。花粉。私、基本的に目がもう重くなって、頭痛がするという感じなんで、もう結構、ここ1週間くらいから来てるなーなんて思いながら、えー、そんなことどうでもいいなと思いながらね(笑) はい、思ってますけども。
 だから、そういうネガティブな狩人であるべきだ、じゃないと少なくとも企画みたいなものが生まれないし、それが実現出来ないんですよ?みたいなことを書いた本でなんですよね。

きっちりやると疲れ、きっちりやらないと疲れない?

 まあそんな風に思ってんですけど、そんな中でたまたまね、この前「角田さん、細かいですね。」って言われたんですよ。そんな細かくないんですよ、結構雑なんだけど、結構色々考えてるタイプなので。色々考えてるタイプっていうのはこのYouTubeを観ている方には分かると思うんですけど、色々考えてるんで、「よく考えますね〜」みたいな意味で「色々細かくてすごいですね」
と一応褒められたんですよ。「あぁ、いやいや、どうもどうも。そうでもないんですけどね。」なんて言いながら返してたら、「疲れるでしょう?」って言われたんですね(笑) ああ、ほ、褒めたんんじゃないんだ…と途中で思ったんだけど。「うわぁ、そんなに角田さんってきっちりしてるんですね〜。疲れるでしょう?」って言われて。あぁ、そこで気づいた訳ですよ。「そっかぁ、疲れるわ、これ。」って。疲れますよね?きっちりやるのって。だからネガティブ…それがきっちりやるのとネガティブが繋がってるのかどうかは分かんないけど、ポジティブできっちりやる人も当然いると思うんですけどね。僕の中のネガティブは細心の注意を払うとネガティブにならざるを得ないっていう意味で言うと、ちょっとだけイコールなんですけども。そう考えると、ネガティブってのは実は疲れるんだなっていうことをまた思う訳です。ポジティブの方が疲れるかなーなんて一瞬思うんだけど、ネガティブってやっぱり、悩みでくよくよしてる訳でだから、結果的にくよくよとも言うし、こんな悪いことが起こる、あんな悪いことが起こるって思ってると、それを事前に防止しないと前向きではいられないよ?ってことをその本にも書いたんだけど、まぁそういう意味なんですけど、それを完徹するとですね、すごい疲れるんだよな〜ってのは薄々分かってるというか。
 実際、そうですよね。ということは、なんかこう、ね。コロナ禍で疲れてる方も多いだろうし、すごい疲れてるなーって思うことって、実はきっちりやればやるほど疲れるんだなーって。これ大いなる矛盾を抱えてるなーとも思う訳です。なぜかと言うと、なんできっちりやるのかと言うと、極論言えば幸せになるためですよね。幸せになるかは置いておいて、自分が幸せになりたいと思うからきっちりやろうって思ったりするわけですよね。また幸せというと大袈裟かも知れないけど、気持ちよく日々暮らそうとか、楽しい人生を送ろうってためにやってるんだけど、結果、きっちりやればやるほど悩みも増え、疲れるってことは、結果、一周回って気持ち良くない(笑) ってことが…また、そういう一言で僕はすぐなるほどなーって思っちゃうタイプなんだけど、そういうとこがネガティブなのかも知れないんですけど(笑) そっかぁ〜、、、なるほど。だから疲れてるんだーなんて、ちょっと思うわけですよ。
 じゃあ逆になんですけど、きっちりやらない人って疲れないんですかね?って思うんですけど…疲れますよねぇ?うん、だから一方できっちりやってると疲れるでしょう?って半ば揶揄され、半ば本気で心配されたのかなと思う反面、だからってきっちりやってない人だって疲れてるんだよなーと思うと、つまりそこって、きっちりやってるから疲れるという、主語と述語みたいに繋がってるみたいにも思うんだけど、きっちりやらなから疲れるんだよってこともやっぱりありますよね?きっちりやらないから、後で収拾がつかなくなって色々やらなきゃいけなくなるよなーみたいなこととかもあったりするじゃないですか。
 だからそれをきっちりやる・やらないみたいなことと、疲れる・疲れないってのは、僕の中ではめちゃくちゃリンクしてるんだけど、リンクさせない方が良いんだろうなーなんて思ったりもするわけですね。
 で、そう考えると、僕がもし疲れてるみたいなことがあったとしたら、それを取り除くためにはきっちりやらないでも、ぼーっとしててもいいやって言うことなのかなーなんてのも一瞬思う訳です。

デザインに隠れた格好良くないもの

 で、まあ、そんなことを思ってたところ、先週の半ばに石岡瑛子さんのね、デザイナーというか、の、展覧会に行って来た訳ですよ、東京都現代美術館でやってたやつ。で、素晴らしかったんですね。ここにあるかなぁ…これに行ってきたんですよ、石岡瑛子展…これ行ってきました。素晴らしかったです。素晴らしかったんですけど、またそこでネガティブな僕はですね、なんかちょっと自分の違和感の正体みたいなものが見えちゃたんだよなーと思って。
 これは、実はね、デザイナーな訳で、石岡さんのデザインは素晴らしいわけですよ、様々な当時のPARCOのポスターとかね、資生堂のポスターとかね、雑誌の表紙とか。そこから映画の衣装とか、演劇の衣装とか、作品がどんどん広がってニューヨークに進出して、みたいな。で、デザインもすごい素晴らしいですし、女性として素晴らしい。女性としてと言うとまたジェンダーみたいな話になっちゃうけど、人間として素晴らしい。確固たる意志をどう実現するか?みたいなことをやられてる方だから、人間的には本当に素晴らしい方だなーなんて思うんです。思うんだけど、彼女の80年代とかのポスターとかの作品とか観てて、すんごい美しいというか、綺麗なんですよね、デザイン。例えばアフリカの民族の方達がポスターでピシッと格好良くなってて、すごい写真とコピーとデザインとで格好良くなってて。
「PARCO」とか書いてあるポスターとか観てると、この人たちの暮らしみたいなものが、石岡さんの素晴らしいデザインで、本当のところがなんか隠されちゃってるんじゃないかなーって、ちょっと思っちゃったんですよね。
 だからデザインが素晴らしいだけに、なんか実は元々の素晴らしくないものが消えちゃってるなーって思いがあった時に、やっぱりそのデザインってのは基本的には商業というか広告の世界でやってるものだから、やっぱりある価値観を伝えようとか、なんならモノが売れるようにとか、そういう資本主義的なものを私たちに訴えるために、そういうアフリカの民族の方の写真とかを使ってるわけですよね。そのときにそれがデイザインとして良くなればなるほど、なんか捨てちゃいけないものが捨てられてる、カットされてるというか、遮像されてるみたいな気持ちにどんどん見ててなってきちゃったんですよね。
 後半のね、舞台とかニーベルングの指環とかの衣装とか、ドラキュラの衣装とか、そういうのとかを見てて、ああ、だからむしろファンタジーとかの作品の中でそういう表現をしてるって方が純粋に楽しめたなーって思ったんだけど。なんか前半の広告をやってるところで、なんかちょっと自分の中ではね、「うっ」っと思うものがあったんですよね。

デザインされたくない

 で、そう思った時にね、僕だから呟いたんですけど。あのぉー、呟いたんですけどだったら、見つけときゃ良かったのに見つけてなかったというか、今日この話するか…まあ、しようと思ってたんだけどな…すいません(笑) 言い訳ですね。ちょっと待ってくださいね。えっと、なんて呟いたかって言うと…あ、デザインされたくないって文章で書いたんですよね。どういうことかというと…はい、今起動してますが、なかなか出てこない…ぁ来た来た

デザインされたくない(2021.02.03 21:55)

デザインというのは素晴らしく大切なものということは十分理解した上で、最近ボクらはデザインに縛られすぎてる気がしてならない。
モノの、コトの、制度の、ネットの、暮らしの、時間の、あらゆることのデザインに。元々のデザインされてない何かがアウトプットされた時に、そのデザインで何かを失ってるような。

わかりやすくすることで、美しくすることで、効率よくすることで、そんな洗練された(しようとする)デザインで、デザインされる前のよくわからない、不細工な、不器用な、でも大切な本来の“何か”が消える、消される。
デザインで削ぎ落とされたモノ、付け加えられて見えなくなってしまったモノ、とでもいうか。

いいデザインを見ていると、いいデザインに囲まれると、よくデザインされたシステムに組み込まれると、本来の自分が削ぎ落とされるような、変形させられるような、隠蔽されてしまうような。

デザインされて、失っていく自分。
なので、なんとなく、デザインされたくないのです。

 っていう文章を書いたんですね。これってたぶんデザイナーの方がちゃんとこれを言ったら、デザインってそう言うものじゃないんだよ、そもそも…みたいな。その本筋をどういう風にデザインとして捉えるのかだから、違うんだよ角田って、全く、仰ると思うんですよ。で、僕もそう思ってきたからね。でもそれってテレビで言うと編集とかもそうで、ある素材を収録してて、これをどういう風に見せるかって時に当然編集していくときに、捨ててくものがあるわけですよね。でもそれを捨てたからって本筋がなくなってるかと言うと、本筋をもうちょっと強調しようとか、もっと面白くしようとかね、もっと感動してもらいたいとか、そういう風に編集していくと言う意味ではデザインしてるんだと思うんですね。
 だけど、なんかね、それこそたまたまそういう風に思ってる時にClubhouseですか、今話題の(笑) 間も無く僕は話題が収まるんじゃないかと勝手に思ってますけど。100日のワニが去年流行ってましたよね?だからちょうど同じくらいで、100日くらいでなくなるというか、話題じゃなくなるんじゃないかなと。今言っておきますね。あの、間違えてたらごめんなさいなんですけど。で、そこで話してるときに、入って来た方とかにね、角田さんいつも面白い話してるのに、それじゃ誰も見ない、あるいは聞かないじゃないですか、みたいな。Clubhouseを増やすためにはこういう風にやるんですよ、こういう風にやるんですよ、こういう風にやるんですよ、って、ティップスというかやり方を仰ってたわけですよ。
 でもね、いちいち正しいの。うん、なるほど。うん、なるほど。みたいな。だからそういうのがやりやすいデザインになってるんですよClubhouseはみたいなことなんだけど。…なんかそこに合わせなきゃいけないんだっけ?って、思っちゃったとかね。その自分が思ってる本筋みたいなものとかをフォーマットに合わせなきゃいけないんだっけ?なんかそうまでして広げて、なんの意味があるんだっけ?でも広げない生きていけないじゃん?みたいなね。

基本的にはポジティブになものを散々やってきた

 だからまあ趣味でやってる方はあれかもしれないけど、何かを発信して、だってこのYouTubeだって発信してるわけじゃないですか?だから一緒なんですよね、実はね。何かを発信して生きてて、このYouTubeはそんなに見られてないって意味で言うと、発信に失敗してるとも言える訳ですよ。ん〜、だったら先週も話したけども、インフォメーションとコミュニケーションって話でね、もっとわかりやすいタイトルでとかね、こうやれば目立ちますみたいなね。そういうこととかを…。
 また僕の中でのその点に関してネガティブなのは、そういうのを散々やってきたってのもあるんですよね。テレビの世界でね。むしろ、とういうことをたくさんやってきている。で、そういうのがなんか疲れたというか、嫌だな〜と思ったから、たぶんテレビ局を辞めたんだと思うんだけど、結局自分でもそういうのをやらないといけないのかなぁ、Clubhouseでとか、なんならYouTubeでと思うし。
 自分はやらなくていいんですよと思っても、実際にね、プロデューサーとしてとか、コンサルと言うわけじゃないけど、相談に乗ってる色んな企業の人と話したりしてると、こうした方が良いよみたいな話って、結果的にこうするともっと効率的になりますよとか、人気出ますよとか、美しくなりますよとかっていうようなアドバイスだったりするから、う〜ん、基本的にはポジティブな、(笑)ああ、ここで繋がりましたね。基本的にはポジティブなものなんだと思うんですよ。でもそのポジティブなもので自分のネガティブ、だからそうですね、メイクなんかそうですよね、ここがちょっとかっこ悪いなと思ったら、ここをメイクで隠すと綺麗になりますよみたいなこととかって、ネガティブな格好悪いものをポジティブにするためには隠しましょうみたいな。だからさっき読んだ文章にも書いたけど、その自分のネガティブなものが隠蔽されていくみたいなね。それでいいのかなーなんてのも思うけど、なんかそれっていうのが果たして合ってるのかなーなんて思ったりもするんですよね。
 だからその石岡さんのデザインを見てて、素晴らしいだけにね。素晴らしいんですよ。その素晴らしさの中で素晴らしくない自分という、ネガティブなものがね、なんかね、阻害されていくような感じがすごいしてしまったんですよね。まあデザインとアートに関してはね、この後、12月の…2月じゃないや(笑) 2月の。なんで12月やねん(笑) 2月の、何日だったけな…一応言っておこう、豊津さんとね、19日、2月19日の20時から金曜日にホズトークやりますので、タイトルがデザインとアートということでやろうと思ってるので、もしよろしければ見ていただけるとね。東京画廊の山本豊津さんがこの件にどう答えるのかみたいなのはめちゃくちゃ興味深いんですけども。僕はむしろ質問したい。デザインというものにすごい自分が疎外されてる感じを思ってしまったんですけど、どうすれば良いですか?って質問をしてみようかなーって思ってるかんじございます。

探し物はじめるとだいたい崩れてますね

 今日、紹介しようとした本がここにあるんですけど、えーと、でも、今、紹介する本をやめて、なぜかと言うと、えーと、成功の神の話をしたkら、成功の神の紹介に切り替えましょうと思ってるんですけど、成功の神ここにねぇな…あれぇ、なんで無いんだろ?この前あったのにな…あれぇ?成功の神のがここにあったら、これをこう(画面に本を写して)紹介しようと思ったら、ここにないぞぉ?うふふふふふあれぇ(笑)?成功の神は…なんで無いんだろう?うふふふふオカシイなぁ、あるはずなんだけどなぁ、こんなことをやってていいのかなぁ、まぁいいのか、それがこのちゃんとするか?ちゃんとしないか?みたいな話だもんな。あれ?この辺にある?──ガタンッ!──ぁぁなんかどんどん崩れてってるぞぉ?
 成功の神の本を紹介しようと思ったらここにありませんでした。うん、あの、今日だから紹介したい本は「成功の神はネガティブな狩人に降臨する」でございますって、横を見ながら言ってますけども。おかしいなぁ。あれぇ?だってこの前、水道橋博士との対談やった時にここに貼り付けたんですよね〜、だから絶対あるはずなんだけどなぁ。あれぇ〜?順番に並んでたつもりなんだけどなぁ。ああ、無いな。すいません。こんなことをやっててもあれなんですけど。
 はい。なのでそういう「成功の神はネガティブな狩人に降臨する」、電子ブック、Eブックスで読めるので。本自体はもう、なんかね、絶版になってるのかな。ただ、絶版になってるんだけど、中古で結構流通してたりしますからね。もしよろしければ。
 あの、ここでこういうこと言っちゃうとなんなんですけど、その本が一番面白いって言われたりします(笑) 実は。なんか僕がまだ出すぞ!本!って思って出したやつだから、なんかすごい、良くも悪くも勢いがあるというかね。色々すごい色んなこと詰めて書いてる本だなーなんて思うんで。もし、なんか企画とかプロデュースとかね、なんならフリーになりたいとか。まだその時フリーじゃ無いんですよ、TBSの社員だったんですけど、こういう風に考えたらどうでしょう?みたいなことを喋ってます、と。
 あとはもっと色々話したいこともたくさんあるんですけどね。うん、ただちょっと、まだ結果が見えてないことがあったりとかするんで、なかなか話せないなーなんて思うと。うん。あの、面白いですね、だって別にそんな形?デザインなんて気にするなって言ってるのに、この動画はいつも30分でピシッと仕上げようと、まあちょっと仕上がって無いですよね、31分になったり、29分何十秒になったりしますけど、とかってやってる自分がまた面白いですよね。じゃあ結局そこでデザインされてるじゃん?と。だからさっきのデザインとデザインされてないじゃなくて、良いデザインと悪いデザインしかないのかな?とも一方で思う訳ですよ。そうすると良いデザインに出来ない自分みたいなものが、良いデザインをみると顕在化してきて悲しくなるみたいなことなのかも知れないですね。なんか、どうなんでしょうね?なんかそういう、今すごいネガティブなことを言ってると思うんだけど、そういうネガティブさみたいなものってのを捨てて、こうやるとTwitterのフォロワー数増えますよ?とか、Clubhouseはこうやればたくさんの人に見られますよとか、YouTubeはたくさん人気になると収益が多いですよ?とか、なんだったら会社での出世もしますよ?とか。うん、なんかそういうポジティブなものじゃないところに人というのがやっぱりあって、そのネガティブなものがね、自分の中に。そういうものをどう同居しつつ、あるいはそういう人間でも生きていける社会になった方がいいなーって言うのも、心の叫びみたいなものが、世界がネガティブになってるんだろうなーっていう風に思ったりもします。はい。そんな感じでICUC知的好奇心向上委員会でございました。また来週よろしくお願いしまーす。


文字起こし後の文字寝かし

(好き勝手に思った感想を書き残しておくことを文字寝かしと言うことにしました)

 今更ながらポジティブとネガティブの意味。今日、運動施設で気づいたのです。この運動はどの筋肉に対してポジティブかということが書いてあるのです。シングルポジティブとか、ダブルポジティブとか。あ!ポジティブ!って思って。効いてる部分にもポジティブって言うんだなと思った次第。
 物事を正負/+-/陽陰で判断した場合、正/+/陽がポジティブ、負/-/陰がネガティブ。善悪の判断ではなく、その事象の有る無しという意味なので、病症がない場合をネガティブと言う(だから運動効果があるからポジティブなんだな)。写真では陽画(明暗、色相が実物と同じ)がポジ、陰画(明暗、色相が実物と逆)がネガ(フィルムのことネガって言うね)。

 疲れについて。ポジティブの疲れ方、イメージとしてさっぱりとした疲れ、例えばスポーツで体を動かして気持ちのいい疲れというか。対してネガティブな疲れというのは、予測し、予防し、注意を払う、つまり心労。その中にこれだけ準備したから滞りなく進んだという達成感と安心感はあるけど、やっぱり注意を払う性質からすると、ここは予想外だったなとか、次はこうしようという反省も入ってくる(とにかくさっぱりと反対)。現実に対処してるようでいてい、過去に倣って未来に対峙してる感じがする。そう考えるとポジの疲れは今、ネガの疲れは過去と未来とも言えるかも。
 よく「過去は変えられない。未来は分からない。今に対応すべし。」というけど、ポジティブさは今に全力で対応してて、ネガティブさには未来に乗り込んでいく、切り込んでいく感じがやっぱり伺えて、それって狩りだなと思う。
 角田さんの本は全て持ってるけど、「成功の神はネガティブな狩人に降臨する」をまだ積んである(笑) 逆にこれから読む時に良い視線を持って読める気がする。

 きっちりやるについて。「きっちりやればやるほど疲れる」蜜を避けろ、マスクしろ、これらはきっちり”させられ”たもの。強制きっちり。幸せを狩りに行くのではなく、守備のみのきっちりと言える。

 デザインされたくないについて。自然と不自然。デザインされていないそのままが自然、それを何かしらの目的が達成できるようにデザインしたもの、人の手…というか思いが乗ったものが不自然。本当のデザインは無から目的に向かって最善を尽くすんだろうけど、角田さんの言うデザインされたくないというのは不自然になるということか?(そのうちデザインの話を真剣に聞いてみる機会を持たないとダメだなと思うけど、まず来週の豊津徳【デザインとアート】に期待大!)

 クラブハウスは好きになれない。理由として、1つは雑多な音の中から興味を探すより、すでにある自分の興味を追求したい。人が作った雑多な何でも屋より、山や海を知りに行くような感覚。1つはデザインされたくない。人が作った新たな枠組のシステムには興味があるけど、「あなたの意見は不要。まずこれをやりなさい。自由はそれからです。」という、システムに丸呑みされる感覚。例えば意味を失った校則のような。言いつけを守らせたいだけで子供の話に付き合う時間が面倒な時の親の押し付け躾みたいな。私のなぜ?どうして?という興味という中身より、場の規則という枠が優先される。

 資本主義になって、小人が子供になった話、神の信仰から個人主義になった話。大人になって社会で使える良い大人になるための教育。個人主義になり繋がりが絶たれていくことと、一家に1台のテレビより、個人ごとのスマホになり、結果売り上げが増える仕組みの相乗効果。そうやって個に分かれたのに、やっぱり繋がりが大事と取り戻すように繋がりを探すけど、長いこと個人でいたから難しいし、個人の気楽さを残しながら繋がろうとするから繋がりが浅くなる。
 この浅さがクラブハウスとかオンラインサロンとかの、まずは枠組み、まずは核となる人という、目的ありきで中身なしという枠なんじゃないかと思う。そうなると後は手段を作って目的を目指すことしかなく、どうやったらフォロワ数を伸ばせるか?どんなコピーが人に刺さるか?って話にしかならない。その後にやっとどんな話の中身が良いか?ということになる。それは枠なし目的なし、興味からスタートして組み上げられる”何か”のような面白いものは出来上がらないと思う。”何か”って、興味という鋳型から作られる枠なのかも。まったく枠の成り立ちが違うもの。

 「基本的にはポジティブになものを散々やってきた」と見出しをつけてみて。そう、基本的にはポジティブなことのはずだ。それに嫌悪感を持たせるというのは何なのだ?私の「へっぽこロゴス」ではこの辺が限界かな、うまく言葉にしたいけど。思いつきでできた「へっぽこロゴス」はすっかりお気に入り(笑)
 角田さんは自分の悪いところも含めて自分だとしている。それを含めて自分がどういう人か見て、あなたにとっての僕を判断して欲しいと言ってる気がする。判断ミスは僕の責任じゃないよとも取れるけど、人に対して正直で繊細だ。それをデザインとして削がれると、やっぱり辛い。

田中泰延さんに頂いたリツイート
谷山雅計「分かりやすくしようとする過程で失われるものの方が多い」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?