つれづれ…なるままに。51。

「死なせてもらえない」「生かされている」という、現代の医療についての本を読んだら、少し滅入ってしまいました。
「自分の死に方」を選べない。何かを残しておかなければ、後に残った人達が戸惑い、凝りを残すものなのかなあ?と。

私は、どうなんだろう?と。

父が亡くなったとき、臨終には間に合いませんでした。それは、残念だったのか?と言われると、あまり拘ってはいません。

しかし。
そのあとが、大変でした。

病院に駆けつけたとき、母が病室から飛び出してきて

「お父さん、死んじゃった~」

と、子どものようになりました。

葬儀の手配やら書類関係を、私が全部決めて済ませた帰りに、深夜で、夕食も食べてないのでコンビニに寄りました。
母がうろうろ、何かを探しているので
「何探してるの?」と聞いたら。
「お赤飯のおにぎりが食べたいのに~ないわねぇ」
私もさすがに、コンビニで

「お父さんが死んだんだよっ!」

と、大声で怒鳴りました。
何か、少しぐずぐず言っていたようですが、私は腹が立つやら、母が混乱していることも気遣えず。泣くことより怒りを感じていました。

葬儀の時も、喪主である母は、ただ来客に頭を下げるだけの状態の母が。
叔母が来てくれて、私に対して
「あなたも(こんな両親で)大変だったのに、立派になって~」(これも、今考えると場違いな発言ですが)という一言に、母はツカツカと、小走りにやってきて。

「私が育てたんですからねっ!」

と、喧嘩腰に言い放ったのには…呆れました。

あとはもう…しばらくは、子どものようでした。
何かわからない手紙、手続きが必要な時は、書類を全部私のところに持ってきて。

「はい、これ。」

お願いとか、やってほしいではなく、渡すのが当然というように「はい、これ。」

そんな雑務が山のように、ひとりっ子の私に降ってきて…結局、私は泣けませんでした。

そして「病室で散々泣いたから、もういいんだ。」と考えるようになりました。

母の「子ども状態」も少しずつ、現実に戻ってきたことも、安心したことを覚えています。

何年かたったとき。
「今日、お父さんが死んだ日だなあ」
と、ふと思い出した時に、やっと涙がでました。

そんなものかも知れません。

春が少しずつ、近づいているみたいです。

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