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ゲームシナリオにおける『ルーク・スカイウォーカー問題』

僕の経験によれば、ゲームシナリオにおける『ルーク・スカイウォーカー問題』というのは、分岐の扱い方と同時に、プレイヤーがゲームプレイを通じて感じることと、ゲームデザイナーがプレイヤーに作品として見せたいことのギャップを埋めるまでの間に、十分なプレイ時間を含む体験蓄積が十分出ない時に発生するのだと考えている。体験蓄積が十分でないと、プレイヤーはゲームの主人公と一体化できない。一体化できなければ、ゲームデザイナーが見せたいものはプレイヤーには理解できないだろう。考えてみれば当たり前のことである。

だからそれを起こさないためのストーリー上での分岐デザインというのは、極言すれば、「全て外れのない選択分岐を作ること」にある。でも実際に外れのない選択分岐を作るというのは、シナリオライターにとってはもの凄く難しい。ここで言う「外れの選択分岐」とは見る価値のない選択分岐のことだ。つまりストーリー構成をする上で、真っ先に斬り落とすようなもの。これを選択分岐に混ぜると、ストーリー分岐の意図がわからなくなる。そういう意味でも本来は「外れの選択分岐」なんてものは、プロが作るコンテンツには入っていてはいけないのだと思っている。じゃあ、「外れのない選択分岐を作れ」とシナリオライターに命じてそのまま書けるかというと、言っただけではまず難しかろう。「ドアを開ける」のと「閉める」のが両方とも正解な選択分岐などあるのだろうか? そのように考えていくと、ここで考えるべき分岐は、ドアの状態ではないことに気づくと思う。ドアの状態なんていうものは単なるフラグである。重要なのは、そのドアの開け閉めの結果によって、ストーリーの世界線がどのように変動するかにある。シナリオライターに命じるべきなのは、このストーリーの世界線の変化であって、その変化に意味を持たせることである。

だからこそ、ゲームが取れる分岐型ストーリー構成のひとつとして、繰り返しプレイを前提とする「シングルスタートマルチパス&マルチエンド+シングルグランドエンド」という形式をきちんと作り上げられた時に、その物語に触れた人の多くが間違いなく感動するのは、多分『ルーク・スカイウォーカー問題』が解決しているからなのだろうと思っている。これは『YU-NO』が今でも傑作といわれている理由のひとつでもあるだろう。

実際問題として、「シングルスタートマルチパス&マルチエンド+シングルグランドエンド」という形式をつくるためには、大きくわけて2段階のゲームプレイのステージがあって、マルチパス&マルチエンドの間は、そのルートの主人公はゲームに登場する各キャラクター達だ。それらのキャラクターがプレイヤーの介入によって、不可能に終わる筈の超目的を実現していくというお話をプレイヤーは実体験していくことになる。そしてその全てを見終わった時に開くシングルグランドエンドのルートこそが、それまでゲーム世界を十分歩んできたプレイヤーの為に用意されたテーマルートである。このテーマルートをクリアすることで、プレイヤーはゲームデザイナーが作品として見せたかったものを実体験することになる。ここではじめてプレイヤーはゲームの世界の主人公と一体化するのだと思う。

もちろんプレイヤーがゲームの世界の主人公と一体化するための儀式は、他にもある。特にアクションが伴う場合にはシンクロ率は高くなる。アクションゲームの場合、バッドエンドは「外れの選択肢」とは違う。それは再チャレンジを促すためのものだ。それは見る価値のないものを入れているのとは、意味が違うことに気づくべきだろう。


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