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究極のエンタメ、プロレス

最近、時間さえあればプロレスを見ている。
4.6 新日本プロレス両国大会
4.7-4.8 アメリカWWEレッスルマニア
そして4.9 WWE RAW。
AbemaでWWEを観れるようになって、RAWとSmackDownを全部観ることは流石に無理だけど、WWEも少しずつ判るようになってきた。

初めてWWEのPLEを見て、プロレスの面白さを改めて実感した。
中学の時に同級生にプロレス好きのクラスメートが居たが、その時はプロレスの面白さを知らなかった。
高校生の時にプロレスの面白さを知ったが、
その時にはその面白さを共有できる同級生はいなかった。
それは大学生になっても変わらなかったが、
バイト先のおじさんとプロレストークで仲良くなった。

よくバラエティ番組で仲良い人同士の「ケンカ芸」を「プロレス」と言っている場面をよく見るが、
そこで使われる「プロレス」という言葉に、
どうしても苛立ってしまう。
僕の好きな「プロレス」というエンターテイメントを軽く扱われるような気がして、
どんなに面白い番組でも、どんなに尊敬している人でも、一気に冷めてしまう。

僕が就職活動をしている時も、そんな瞬間があった。
あるテレビ局の面接で、
僕がエントリーシートの好きなもの欄に「プロレス」と書いていたことについて、
その局の偉い人が
「プロレスって言っても、やらせでしょ」
と言ったことに心底腹が立った。
エンターテイメントを扱う業界にいながら、
その人が好きだと語っているエンタメを軽視する言葉にキレてしまった。
「確かに、プロレスは他の格闘技と違う面があって、
純粋に格闘技を見ることとは違う側面がある。
しかし、それは一面的な見方でしかない。」

少なくとも僕は、
ほかの人が好きなエンタメのことを馬鹿にするような人を尊敬することはできない。
惜しいことをしたなと思ったけれど、
この会社に入らなくて良かったと思った。

いったい僕はプロレスのどこに惹かれているのだろうか。改めて考えてみることにした。

今年のレッスルマニアのテーマは「家族」だった。
長い歴史の中で今のプロレスを作ってきた血筋を引くレスラーたちが交わる、まさに大河ドラマといえる大会だった。
僕がプロレスに心惹かれる理由は、まさにそのドラマ性にあると思う。

プロレスというエンタメは複雑で、
強い人が必ずしも「主役」というわけではない。(もちろん強いということそれ自体がとても価値のあることなのだけれど)
試合に負けて、泥水を啜っているような状況であったとしても、そのカッコ悪いレスラーがカッコよく見える時もあるし、
反則しまくるようなヒールに興奮することもある。
逆にベビーフェイスのヒーローみたいな選手がブーイングされることもある。
1番大切なのは、レスラーがリングの上で(あるいはその生き様で)何を表現するか、だと思う。
主役になりたかった内藤哲也がブーイングされ、
制御不能になったらファンの心を掴んだ。
プロレスには「説得力」という言葉があるが、
レスラーがリングの上で何を見せ、何を語り、どう生きるかというその説得力でドラマを描いていくカタルシスこそがプロレスのおもしろさだと思う。

プロレスはまさにリアルのタイムラインで起きるドラマだ。
長い歴史の中で繋がっていく、
追えば追うほどお得になる完璧なシステム。
「推し」という言葉は便利すぎてあまり使いたくないけれど、
どのレスラーを推しても物語がある。

そもそも僕はプロレス以外の格闘技をそこまで観るわけではない。
ボクシングの井上尚弥王座戦とか、世界的なビッグマッチをやっていればスポーツニュースをチェックするくらい。
でも、プロレスは会場にも行くし、PPVも買う。
アツい闘いそのものだけじゃなくて(もちろんアツい闘いが心を動かすのはもちろんだけど)
アツい生き様に感情移入している。
だから僕は格闘技ファンではなくてプロレスファン。

もちろんプロレスは団体やレスラー、試合ごとに全く性質が違うし、
ファンそれぞれに好き嫌いがある。
でも、
スーパーヘビー級のぶつかり合いも、
ハイフライヤーの空中戦も、
王座戦直後のキャッシュインも、
春日とフワちゃんの煮卵を賭けた試合も、
山ちゃんの肛門爆破も、
全部プロレス。
おもしろければなんでもアリの懐の深さこそがプロレスの奥深さだ。
大半のエンタメはどうしても作り手が楽しみ方を規定してしまう。
しかし、プロレスはどう楽しんでも自由だ。
まさに、プロレスはエンタメの完全体だ。

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