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これまで創造性

創造性の話をすると
「誰でも創造性を秘めている」
「自分の心の感じるままに表現しよう」

みたいな文言がついてまわります。

うさん臭くないですか?

あたかも全ての人にこの上ない内なる自己があって、それにアクセスして表現によっていかに発露させるかが創造性であり、これがあたかも美しく正しく価値あることのようです。

スピリチュアル的なことを揶揄しているのではなく、もっと広い一般的なイデオロギーの批判です。

どういうことか。

例えば、一人一票制の民主的な自由選挙の理屈って「人間には自由意志がある。自由意志はこの上ないので人によって差がない。だからどんな人でも平等に一人一票を持ち自由意志により候補者を選び投票することが正しい」というものかと思います。これって自由主義というイデオロギーの設定ですよね。この上なく平等なんてものは自然法則にはありません。人の考えた設定です。

「誰でも創造性を秘めている」というのも自由主義の設定からくる言葉です。この上なく、つまり神聖で平等な自由意志があるので、天才だけではなく誰でも平等に自由意志で選択する優れた創造性を持っている、というわけです。

このリベラルな方々の自由主義の考えは2020年前後でだいぶぐらつき始めています。


さらには脳神経科学や進化生物学の発展により、リベラルな方々が礎にしていた「自由意志」自体もかなり怪しくなってきています。


自由主義だけでなく共産主義などの現代の主たるイデオロギーは、人間はこの上がない自由意志を持つ、またはこの上ない人間社会を構成できるというもので、いわゆる人間中心主義、人間至上主義、ヒューマニズムです。

先の見えにくい時代だからこそ創造性を高め切り開いっていくが大事にも関わらず、「これまでの創造性」はそういった人間中心主義の設定が阻害している可能性が高いです。

例えば、ちまたにあふれる創造性のセミナーや研修は1~2日の内容で身につくことを豪語していたりします。多くの場合「誰でも創造性を秘めている」と宣伝していたりします。それで特に目新しくもない内容の教科書的なものをなぞったり、ブレインストーミングを儀式的にするだけだったり。主催側は無意識的なのかもしれませんが「誰でも創造性を秘めている」前提なので、創造性が出現しなかったら受講者の問題とできます。にもかかわらず数万を要したりするという酷い話です。

筋肉だって数ヶ月~数年かかって鍛えられていくのだし創造力だってそうでしょう。筋繊維を壊して筋肉を増大されるがごとく、創造性を高めるには脳のシナプスの配線を力づくで繰り返し繰り返し広げるような鍛錬が必要なのです。創造性へのロマンティックさは失われますが、リアルを受け入れるしかありません。

だからこそ、幻想的な設定を排除したポスト人間中心主義的な「これからの創造性」が求められていくと思っています。

これまでの創造性メイン絵

このnoteでは「これからの創造性」を模索していっています。
というわけで、次回は「これからの創造」ってどんなものかについて書かせてもらえれば。


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