分離脳実験と「自分らしく!」
「好きなことをしよう!」
「ありのままの自分でいよう」
「本当の自分を見つけたい」
などなど、このような「自分の心こそ至上」みたいな文言はよく聞くと思います。さも当たり前のこと過ぎて何も疑問も持たず受けとめている人がほとんどじゃないでしょうか?
しかしながら、科学的な見地からすると、自分の心、自由意志、意識というものはかなり信用なりません。もちろん全ての心の声が全く意味がないというわけではないのですが、ほとんどは正誤不明で怪しいといっても過言ではありません。
このような「意識」が科学的に研究され始めたきっかけととなったのが、スペリーとガザニガの「分離脳の実験」です。スペリーがこの実験により1981年にノーベル生理学医学賞受賞しているので本で紹介されていることも多く、ご存知の方もいるかと思います。
ただ実際の分離脳の実験動画は見たことある人は少ないのではないでしょうか? 今回はその動画と共に紹介できたらと思います。貴重なガザニガの御姿です。
冒頭に登場するのはジョーです。彼はもともと癲癇という脳の病気を患っていました。癲癇は脳内の信号が暴走することが原因で痙攣などの発作を引き起こす病気です。その発作を抑えるために、ジョーは左右の脳をつなぐ橋である脳梁を切断する手術を受けました。この左右に脳が分断された状態が分離脳です。
その術後の検査にて、ジョーをはじめ分離脳の患者には、認知にまつわる様々な奇妙な特徴があることがわかってきたのです。
脳は左右に別れていてそれぞれ機能が異なります。左側の左脳が意味や数字などを処理していて、右側の右脳がイメージなど絵的な処理をしています。
ちなみに、最近の研究では脳の機能がすっぱりと局所的に別れているわけではないことがわかってきているので、少し前に流行った「右脳思考」などは誤った使い方と言われてきていることを補足しておきます。
分離脳の患者は左右の脳の橋が切り落とされたのでうまいこと連絡できない、ということが奇妙な現象の原因です。動画の例で見ていきましょう。
左右の脳は手や目などの入出力器官とはクロスして接続されています。そのため、文字や絵の意味が答えられる左脳で処理されるように右目側でみると、その意味が答えられます。「くるま」の文字や絵を右目で見たら、なんて書いてあったか確認すると、「くるま」と答えられるというわけです。
一方、左右を入れ替えるとなんと意味が答えられなくなるのです。
文字の意味がわからない右脳で処理されるように左目で文字を見ると、見た文字の名前を答えることができません。
しかし、右脳側で処理するように目を摘むって左手で書いてもらうと、ちゃんと絵で書くことができます。
さらには、なぜわからないといったはずの単語の絵が左手で書けているかを聞かれるとジョーは「わからない」と答えたのです。
人の無意識下で確実に認識の処理がされているのも関わらず、それを認識できないのです。それどころか、左右の脳が別々の回答を出していることも認識できないわけです。これは分離脳の患者だけでなく、脳が健常の人にも起きていることです。この実験を進めていく内に、人間の意識というのは、左右2つの意識だけでなく、いくつもの意識が存在しており、それがあたかも一つに統合されているように感じている、という説が唱えられました。分離脳患者は、この統合が1つではなく2つになっている、というわけです。(2022年現在でも意識に関しての研究は途上であり結論ではないので注意)
この動画ではさらなる実験も記録されています。
ジョーは、左目にはノコギリを見せて、右目ではハンマーが見せられます。この後ガザニガが何が書いてあったかを聞くと、ジョーは「ハンマー」とだけ答えます。何が書いてあったかを左手で書くと「ノコギリ」を書きます。この場合も、ガザニガは何でノコギリを書いたかを聞きますが、ジョーは「わからない」と言います。
分離脳の患者だけでなく、通常の人も、自分がなぜそう考えたのか、なぜそう感じたのか「わからない」のです。この事実をなかったことにしてしまうと、冒頭の「自分らしく!」のような「自分の心に従うべし」という非科学的な信仰を遂行することになってしまうのです。
この動画にはないのですが、同じ分離脳の実験で患者のなりたい職業を聞いたものがあります。分離脳の患者の右脳と左脳に将来なんの職業に就きたいかを聞いたところ、左脳は「建築家」と話して答えて、右脳は「カーレーサー」と絵で答えました。本当の自分は、どちらの職業になりたいのでしょうか? 先ほど述べた通り分離脳患者も健常者も2つの意識だけでなく、無意識下は多数の意識から成り立っているとすると、なりたい職業はいくつあるのでしょうか?
まとめ
以上が分離脳についてのまとめでした。古い動画なので当時の研究よりも現代では意識についてもっとわかってきています。しかしながら、最新機器を用いた自由意志の実験などでも、分離脳の実験でわかった自分は自分のことが「わかっていない」という状況が続いています。だからこそ、自分は自分を完全に理解している前提の自己や自由意志は神話の扱いになってきているということです。
人は「自己」や「自己意識」を主観的に感じることは事実です。ただ客観的にはそれらは幻想です。これらは意識下で感じる心の動き、思考・感情・感覚にも言えます。心の挙動はジョーと同様に「わからない」と受け取るべきなのです。
「好きなことしよう」の「好き」は、どこからきたのでしょう?右脳?左脳?それとも108番目の意識でしょうか?
「ありのままの自分」「本当の自分」は何番目の自分のこと?まさかジョーの話を聞いてまだ主観的に感じる1番目の自分じゃないですよね?
「好き」「嫌い」などの感情、「自分」の思考を疑いましょう。
さもなくば、感情や思考がこの上なく神聖、だから嫌な感情を生む表現は悪だ、それを指摘することは正義だ、などという暴走が加速します。
心というのは空虚な機械だ、人生は虚しさだけしかない、などニヒリズムのようなことを言いたいわけではありません。現代では自分の心は「わかってない」のです。この事実をただストレートに受け止めましょう。
この事実を明確に受け止めれば、心の探求というワクワクする旅が始まります。じゃあワクワクはどこから来たのか?そういう疑問を持つということです。そういった探究心が何番目かの意識に生まれていたら幸いです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?