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アニメーションと重力

『北極百貨店のコンシェルジュさん』、とっても素晴らしいアニメーションでした。近年のアニメ映画は『ザファーストスラムダンク』や『BLUE GIANT』をはじめとして、映像的にもかなり挑戦した面白い作品がたくさんありますが、映像のルックだけなら、わたしはダントツで北極百貨店が好きです。

何がよいかというと、シンプルなキャラクターデザイン。ルパン三世よろしく、縦に引き伸ばしたような細長く、それでいて、それぞれ固有のフォルムを持った人物が、ぐいぐい抜けがよく動き回る、そういう動きの快楽があります。
それぞれに的確にデフォルメされた動物も素晴らしい。原作の西村ツチカの垢抜けたデザインセンスが、アニメーションにしっかり受けつがれて、アニメーションでしかなし得ないユーモアあふれる動きを見せてくれました。

彼らはまるで、重力が半分くらいになったように身軽に動きます。実際は到底ありえない速度で走る、ありえない高さのジャンプをする。デフォルメされた動き。誇張されたスピード。でもすんなり受け入れられるのは、やっぱり現実に近づけすぎないキャラクターデザインがあるからではないかと思います。ディティールを廃した、どこか呑気なキャラクターたちの顔ったら。

それでいうと、アニメーションで描かれる世界というのは、えてして地球よりも重力が弱そうな気がします。(重力って強い弱いであっているんでしたっけ?)

ジブリ作品の典型的な主人公として思い浮かぶ、ラピュタのあの男の子など、100mを何秒で走っているのだろう、というような速度で、たったったったったと駆けていきます。彼らは主人公を担うべく、それなりに頑健な肉体の持ち主ではあるわけですが、それにしたって、ふと我に帰るとこいつ人類の世界記録なんて目じゃない速さだぜ!と思います。アニメーションはそういうふうに、基本的には軽さの世界と相性がいいのかもしれません。

逆に「あ、これは重さにこだわったんだな」と感じたアニメとしては『人狼』があります。あれは不思議な鑑賞体験でした。お話がすごく面白いとは思わなかったのですが、とてつもなく手の込んだすごい映像を見ているぞという感覚は覚えています。なんといっても、武装した主人公の重量感。筋肉におおわれた重たい肉体が、さらに重たいものを身につけたずっしり感。重いものがはやく動くことで生まれる空気の震え。あのびりびりする感じをなんと表現したらいいのかわかりませんが、わたしが今まで見てきたアニメーションの中で一番重さを感じた作品です。

ただ、『人狼』を見ていて、重さの表現は「コスパが悪い」のかもとは思いました。細部まで凝りまくったゆえの鈍重さは、見栄えという観点からすると地味にもなりがちです。ジブリやら『カリオストロの城』やらの、誰も彼もがすいすいと動き回る映像もほうが見ていて楽しいのかも。目が肥えている人はともかく、アニメーションにそこまでの思い入れがないわたしとしては、そんな感想になってしまいます。

そういえば、ちょっとうろ覚えなのですが、押井守がどこかで「アニメーションの製作者は世界の神になること」みたいな発言をしていた気がします。(マジでうろ覚えなので、事実無根の可能性も大いにあります) 実写映画は写ってしまったその瞬間の偶然性を排することができません。たとえば発射された銃弾がガラスを撃ち抜く、その散らばるガラスを100%コントロールすることは不可能です。実際に世の中に存在するものを「撮影する」行為には、その瞬間の一回性、偶然が宿ります。

そして、偶然をゼロにしたのがアニメーションだと。そこでは画面にうつるあらゆるものを製作者が100%掌握できる。すなわち神になることなのだと。なるほど面白い視点。でも、この話を深掘りするのは別の機会にまわしたいと思います。

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