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愛と成功

「世間のやつらは愛なんか必要としてない。必要なのは、なんでもいいから成功することだ。愛もその一つかもしれないけど、別に愛じゃなくてもかまわないんだ」
「聖書は『汝の隣人を愛せ』って言ってるわ」
「そりゃ、ほっとけって意味だ。おれ、新聞買ってくる」

チャールズ・ブコウスキー『勝手に生きろ!』


10代が終わり、他人への関心がゆっくりと薄れてきた。それに応じて自分から他人に期待する関心の割合も減ったようでこの頃はなんとなく生きやすく感じる。思春期自意識フィーバータイムは終わりを告げた。

他人の内面なんか知ったってどうしようもないし、他人から理解される必要も無い。そう思い始めてからは無為に自分を大きく見せることもなくなった。もともとマウントを取るタイプではないと思うが、軽く見られたくないというプライドは頑としてあった。そりゃ今でもトイレから出てきたあとでうんこなんてしてませんよ顔するし、肛門なんかついてませんって顔して雑談の輪に戻ったりするけど、前ほどビクビクしていない。し、これはそういう問題じゃない気もする。

たとえば、泣きわめく、しくしく泣く、を構成している反応のパッケージは、誕生時にただちに作用するようになっている。しかしわれわれが〈なぜ〉泣くかは、一生をとおして、われわれの経験とともに変化していく。

アントニオ・R・ダマシオ  『感じる脳』


誰かといるとき、そいつが〈なぜ〉笑っているか観察してみれば、おおよそそいつがどんな人間なのか分かる。
ひとを馬鹿にするために笑う奴らがいる。そういうクソのカースト上位勢に合わせるために愛想笑いかますカスみたいな俺もいる。赤ちゃんの笑顔はただ阿呆みたいに笑ってるだけだ。だから清い。邪心がない。

「多様性の時代」、「傷つけない笑い」だとか色々言われているが多分みんな何も考えたくないだけだ。稚児みたいにただ笑いたい。そう考えると「うんち!」って叫べる芸人が今はいちばん強い。15年前に舞台上でうんちしようとしてエンタの神様を出禁になったカンニング竹山が最強だと思い知らされる。15年前の竹山のうんちが徐々に効いて来る。ボディブローみたいにぶりぶりと。

でも、うんちが傷ついてる可能性あるよな?カンニング竹山がテレビでぶりぶりぶり〜〜ってうんちしてるとき、うんちとしては「ほんまに勘弁して下さい!!」「ほんまに堪忍してください!!」って思ってるかもしれないよな? ニューエイジがこう言い出したとき、僕らはもう何も笑えなくなるんだろうな。世代が代わって今度は僕たちが老害扱いされるんだ。すべての楽しみの権限を剥奪されて。

〈なぜ〉笑うのか、泣くのか、怒るのか、感動するのか。この〈なぜ〉って部分を磨いていきたいね!2024年。それこそが魂の錬磨!!

愚鈍か、うどんか、わからんなあ、
モノの試しに買うてみよ。
今が一番、あかん時。今が一番、最悪や。

ミドリ  「どんぞこ」



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