ホームレス大学生とお勉強

最近、日本の歴史にハマっている

関ヶ原に行っては古戦場を周り、萩に行っては幕末の志士たちの生家を巡り、下関に行っては壇ノ浦にて源平合戦に思いを馳せる

おそらくだが、ぼくは今、日本の歴史にハマっている

この前は、コミックデイズにて一巻無料で配布されていたセンゴク権兵衛を読んでから、その続きがたまらなく気になりその夜快活で9時間ぶっ通しで読み続けた、仙石権兵衛が織田信長に仕えてから、徳川家康が武田軍にボコボコにされるところまでだ
そして先日、巌流島を訪れてからというものの一日中青空文庫で宮本武蔵を読み耽っている。バガボンドは読んでいたので全体像は知っている、まあスラスラいくだろうと、思っていたが、これが全く武蔵像が異なるのだ。というか、武蔵像どころかちょいちょい話も変わっているので、バガボンドとは別物として楽しんでいる
自転車に乗っている間は、ポッドキャストで「cotenラジオ」「ムックスタディー日本の歴史」という歴史系ラジオを聞き流して、過去の偉人たちの武勇に胸を踊らせる

はぁ、、素晴らしき日本史

だがこれはお勉強ではない

自分の中では分類としてはエンタメだ
いくら聖地を周ろうが、いくら歴史資料館を見回ろうが、いくら歴史漫画を読もうが、ぼくにとってそれはお勉強ではなくエンタメなのだ
時間と没頭度でいえば間違いなく、小中高の時のそれよりも明らかに上回っている
もし当時、日本史を学ぶのがこれだけ楽しいものだと知っていたらなーと思わずにはいられない

そしてここで、なぜ、今になってようやく楽しいと感じるようになったのか考えてみた


1つは、ドラマ性だ
歴史はドラマの連続でそこに現実と幻想が入り混じり現在に帰着するという点で作り物の物語とは違った魅力がある
過去の傑物、彼らの人間離れした偉業が今に繋がる、それを物や場所で確認できるというところにぼくは大きな魅力を感じる

こんなスッゲーーことしてる人がこんな片田舎から生まれたのか!

あ、この場所であの人とあの人は出会ってあの戦いに繋がんのか!

そういった、過去起こったであろう出来事が、現在に至っても確認できるところが歴史のいいところ

このドラマが教科書の中、授業の中だと感じられなくなるため、その面白さにも気づけなかったモノと思われる


もう1つは自主性かしら
お勉強とは書いて字の如く、勉を強いることだ
先生から強制的にページを、単語を、人名を、年月を指定され覚えさせられる、その強制性に嫌気が指していた部分が大いにあると思う

比べて今は、興味ないとこはすっ飛ばせるし、年月なんか別に覚えていない
それでも好きになった人がなんかした日や争いの期間、年月日は覚えたいと能動的に行動する。

好きになった子の全部を知りたくなるあの感じと同じだ。
ぼくも、皆さんと同じく、小学校の頃は気になった子の机の中を漁り交換日記の中身を覗いていたりしていたタチだ。思えばその頃からすでに、知りたいという欲への追求、その素地はできていたのだろう


何が言いたいかというと、学ぶ姿勢における自主性の次第でエンタメかお勉強になるかの違いが生まれるということが言いたい

じゃあ歴史にハマっている今なら、中高のテストを受けて100点かと聞かれたらそうではない。むしろ、当時の方が答えられると思う

なぜかというとそれは単純で、覚えていないからだ
人名も、年月も、用語も覚えとらん

そんなん大体で記憶するからな

全体の流れは間違いなく当時より把握しているだろう、がしかし、その細部を問われる期末、中間試験においては答えられる自信はない
いまだに用語として覚えているのはリアス式海岸くらいだ


つまり、どんなときも自主的に、楽しく、エンタメ気分で物事を学べばいいのかというとそんなことはなく、基準が設けられている場合は苦しくてもしんどくても楽しくなくても学ばなければならない、お勉強をすべきだと思う


かくいうぼくもお会計のお勉強をしなければいけないのだが、全く手がつかず、歴史の勉強と称して日本の偉人たちへの妄想を膨らませて矮小な自分を打ち消す日々なのでした


お勉強、したくないなぁ、、

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