ホームレス大学生になった経緯

こんにちは。現在はただのホームレスになったぬーすかです。

 僕はこれまで18年間実家暮らし、その後上京して寮生活というそこらへんにいそうなただの大学生でした。そんな僕がなんでホームレス大学生になってしまったのか、という経緯について話していこうと思います。

①潔癖気味であった岩手の実家生活

 そうです、ホームレスって聞くと
「もともとキタナイのもいけた生活環境だったんだろうな」
って思う人結構いると思うんですけど、僕軽い潔癖でした。具合によると思うんですけど、人にマンガ貸したり、部屋に人をあげたくないとかそういうレベルです。まあ、岩手の片田舎だったので虫とか自然とか、そうゆうのを汚いと思う感性はなかったんですけど、人が自分の領域に入ってくることに対しては抵抗感がありました。
 「あぁぁぁ、そんなにガバッ!と開いてマンガ読まないでぇぇ、、」
 「へぇぇ、、勝手にベッドに上がんないでよ、、」
と、感じていたぬーすか少年がまさか15年後、自分がホームレスになっているとは全く思いもしませんでした。

②キタナイの概念が崩れた大学寮生活

 僕のホームレスとしての耐性はこのときについたんだと思います。
 築50年近い大学の学生自治寮は、18年間実家の小綺麗な生活をしてきた僕からしたらちょっとした衝撃でした。言うなれば、部室みたいな感じです。外とは隔離している空間だけども、ウチにはならないみたいな。居心地はいいけど、きたねぇみたいな。初めて見学に行った時も、共同部屋のきったねぇ変色した畳に座って昼間っからファミコンしてる寮生を見て、一緒に見学をしていた父さんは怪訝な顔をしていました。
 ただ、僕はその時から、この不思議な空間と自由を謳歌している学生たちにちょっとしたワクワク感を持っていました。そして何より、寮費が安い。光熱費など全て込で月1万円。奨学金でやりくりする予定だった僕はこれ以外の選択肢はなかったというのもあって、このオンボロ寮に住むことになりました。
 そして、ここでの生活を通じて僕の人間に対する潔癖も指数関数的に削がれて、もともとそんなになかったモノへの潔癖は完全になくなりました。

③生き方の多様性を見つけた留学&周遊生活

 そんなこんなで寮生活を通じて、あらゆることへの耐バッチィ力を身に付け、僕は1年弱のフィンランド留学へ。そこでは、ルームシェア生活をして、1つのフラット(6畳ぐらいの二人用ベッドルーム×2、共用のキッチン、トイレ、シャワー、リビング、ダイニング)あたり4人のルームメイトと一緒に住んでいました。そのうち2人はロシア人でした。そこで、日本人以外の人と一緒に住むことで、文化によって異なる生活様式への耐性が身につきました。
 この頃からは、もう、汚いコトを汚いと思うよりか、面白いと思うようになってしまい、もっと他の違いを経験したいなあと思うようになりました。
その思いが留学の終わりが近くにつれ反比例して高まっていき、結局留学終わりに陸路で日本を目指そうと思い立ったのです。
 そこで、いろんな国の人と会って、話して、家に泊めてもらったり、車中泊を繰り返したり、寝場所が見つからず夜中をウロウロしてみたりいろんな「住」を経験しました。
 ここでの話はたくさんありすぎてここでは書ききれないので割愛しますが、この時の経験でどこでも寝れるしどこでも楽しく生きて行けるなという自信がつきました。

④ホームレス大学生の誕生

 なんとか日本に帰り見た目は完全に若手浮浪者のそれをした僕は、まず一息つこうと愛すべき我が寮へ帰りました。いや、帰ろうとしました。
 でも、潰れてました、寮。
 築50年の大学寮は僕の知らんうちにただの廃墟と化していました。そして、寮の隣には小綺麗なピカピカの新築寮が。

こうしてホームレス大学生ぬーすかが誕生するのでした。

 いやー、こうして書き出して見るとなるべくしてなったって感じがしますね。もともと岩手は寒いし村意識っていうのが強い場所だったのではぐれ者やホームレスっていうのを見たことがなかったので、まさか自分がそうなるとは全く思ってなかったんですけど、外の世界を知って、いろんなことに耐性がついてくと、どうやらホームレスになるみたいです、岩手のお母さん。
 これからは、ホームレス大学生の生活ぶりや現在のホームレス生活について色々書いていこうと思いますので、こんな生き方もあるのかという参考にでもしていただけたら幸いです。


それでは、現場からは以上です。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?