私とYAECA(後編)【着る】
白金にあるYAECA HOME STOREで服を買うという一連の行為は、「物を買う」という単に物質的な行いにとどまらず、非常に精神的な行為をも内包していると思う。
––––急ぐことはない。
とりあえずHOME STOREまでの道のりを書いておこう。これを見れば地図アプリに頼らずともそこまで行ける。
店舗の最寄駅である白金高輪駅3番出口を出ると、右へ伸びる道があるからそこをまっすぐ進む。道のスタート地点には右手にLAWSONがあるはずだ。200メートルほど歩いた突き当たりを左折し、直後の交差点を右折する。そうすると都道305号線に出るので、300メートルほど進む。
すると左手に三光坂という坂が伸びているから、「まだ歩くのかよ」など考えず坂を登ってほしい。今あなたは道のりの半分まで来ている。50%、それは大きな達成だ。
しばらく登ると左手に立派な塀が見えてくる。旧服部金太郎邸というらしい。ハットリハウスともいうらしい。貴重な近代建築らしいが公開はされていないのが残念。
坂を登り始めてから4つ目の横道を右折する。目印として、目的の横道の向かいには旧服部邸の門が見える。門はいつも固く閉ざされている。
その道の突き当たりに大きな一軒家が見えてきた。目の前にあるのは決して新しいとは言えないが、よく手入れのされた印象を受ける雰囲気の良い家だ。そう、この家がYAECA HOME STOREだ。だれか人の家ではない。だからドアノブを捻ってお邪魔してもいいのだ。玄関は左へぐるりと回ったところにある。レンガを積み上げた数段の階段を上り玄関の前に立つ、木でできた小さな扉だ。その先にあるのは、もちろんYAECAの店内だ。
––––この一連のアプローチには以下の要素が含まれている。
駅からしばらく歩くこと。
その道のりの後半は坂道であること。
店舗は独立した一軒家であること。
周りは住宅街なので、目的の店舗以外に特に寄るべき店もないこと。
以上の要素から、YAECA HOME STOREへのアプローチを説明すると以下のようになる。
「何かのついでというよりは、初めからそこへ向かうという目的を持ち、目的地までは坂道を含む長い道のりを要する」
これが何かに似ていると考えたとき、思いつくのは参詣という行為だ。神社は高台に設置されることが多い。境内には階段だってある。坂や階段を上へと行く象徴的アプローチ。その中で参詣者は「自分が今から聖なる場所へ行く」ということを実感する。
同じことがHOME STOREで服を買うことにもある程度言えると思う。店舗までの道のりは坂道で歩くのは大変だ。いくつかのセレクトショップのオンラインショプで買うこともできる。
でもわざわざそこへ行く。そこで買いたいから。YAECAで服を買うことは、まさに参詣だ……というのは言い過ぎであっても、一種の体験だとは言える。服を買うという体験。それは物質的な消費だけにとどまらない。その経験は個人の記憶として蓄積される。消費が瞬間的であるのと対照に、体験は持続的だ。
そんなわけで、私はYAECAの店舗の中でもHOME STOREで服を買うことが好きだ。何回も行くわけではない。大体年に一回か二回、ここぞというときに行く。駅から店舗までの道のりも好きだ。いつもの坂を登る。その間、今日はどんな服が置いてあるか、気になっているあのアイテムは置いてあるか、などいろいろ考える。私は今、服を買うためだけにこの道を歩いている。
さて、中目黒のAPARTMENT STOREではメンズのブルー系のシャツがなかった。店員さんは「HOME STOREに置いてある。」と教えてくれた。私はHOME STOREへ向かうことにした。
その日、つまり私が初めてHOME STOREでYAECAの服を買った日––––今でも思い出す、私にとって象徴的な日だ––––、私は白金高輪駅からではなく、広尾駅からHOME STOREへ向かった。
……ここまで白金高輪駅からのアプローチのことを書いておいてあれだが、中目黒駅から白金高輪駅まではアクセスが面倒なのだ。日比谷を経由して都営三田線でターンするか、バスを使って近くまで行くか。ただ、土地勘もないし。
で、その日は中目黒から一本で行ける駅で比較的店舗に近いところを探した。私は広尾駅を選んだ。
しかし今改めて調べてみると、遠い。比較的大きな通りを行くので複雑という感じはないが、2Kmくらいはありそうだ。
広尾駅に降り立った私は外苑西通りを南へ歩いた。人通りは多くはないが、さっぱりと清潔な感じがする、落ち着いた通りだ。中目黒は人通りが多かったのでその対比が面白かった。それぞれの駅に特徴がある。街と街はゆるやかに繋がりながらふと気づくとすでに変わった表情を見せている。
広尾の街並みは落ち着いてはいるが、寂しい感じは全くない。どこかの会社のオフィスビルや感じのいい飲食店も並び、人々が確かにそこで生活しているのだ、ということが感じられた。
都会の隙間––––巨大な都市エリアの周縁に位置し、都市機能の延長にしっかりとありながら時々忘れられる地帯。あるいは、都市エリアから距離を隔てつつも都市としての機能が損なわれていない地帯。
しばらく歩くと大きな交差点に突き当たった。そのまままっすぐ進むと左手に学校のようなものが見えた。調べてみると慶応の幼稚舎らしい。こんな都会の真ん中で勉強している児童がいることが不思議に感じられた。構内は木々で囲われていたのでよく見えなかったが、横から見たときの雰囲気は好きだった。
次の大きな交差点を都道305号線へ左折すると道は細くなった。道の両側を囲む建物の高さもグッと低くなった。ルービックキューブのようなコテンとした形のビルの一階にお洒落な店が入っていた。他にも古い木造建築の洋食屋があり、街の電気屋があった。看板建築のような建物が多い気がする。一気に下町といった感じだ。それでも少し歩くと大きな建物が見えてきた。「北里研究所」。こんな下町にも都市の機能はしっかりと根を張っている。
この日は地図アプリを頼りに歩いていた。三光坂ではなく、手前の道から坂を登っていった。細い道を通っていったので、まさに住宅街を抜けていく感じだったが、途中で巨大な不思議な建物もあった。何度か道を曲がり、一つの家にたどり着いた。地図アプリは「YAECA HOME STORE」を表示していた。APARTMENT STOREと同様、少し躊躇い、勇気を振り絞ってドアを開けた。
中に入ると、APARTMENT STOREとは趣向の異なった、木を基調とした空間が広がっていた。無駄なものはなく、最小限のものだけが静かに置かれていた。そして、それはまさに「家」だったのだ。
玄関から見た一階左手は工房かキッチンのような場所があり、反対右手側の広いリビング部分には大きな机が置かれている。その周りには少ない家具や壺が上品に設置されている。大きな窓からは陽の光が降り注いで部屋を暖かく照らしていた。窓の外は庭になっている。
服は見当たらない。
玄関の正面には二階へ通じる階段がある。この上に服が置いてあるのだろうか?木の軋む音を聞きながら上る。なんだか本当に誰かのお家にお邪魔したみたいだ。
二階にはYAECAの服が置いてあった。––––確かに、ここはYAECAのお店だったのだ。APARTMENT STORE同様、余裕を持った配置でラックが並んでいる。部屋が全部で3つほどあったが、扉はなくそれぞれが緩やかにつながっていた。部屋というよりは区切りといった方が良さそうだ。日本家屋において襖を開けておくことでそれぞれの部屋が独立性を薄め、全体として一つの部屋として機能するように。だから、それが「3つ」かどうかは線引きが難しい。
そういえばHOME STOREにはどこか和な感じがする。いや、YAECA全体に言えることかもしれない。
例によっていくつかの服を手に取る。どれもYAECAだ。当たり前だけど。店員さんは静かに適切な量の言葉をかけてくれる。––––合理的だ。YAECAを「ナチュラル」という人もいるかもしれないが、私はむしろ「合理的」といった言葉がしっくりくる。これは冷たいとかそういった意味では決してなく、「必然的にそうなる」という意味だ。必要なものだけを丁寧に提供し、それをひけらかしたりせず、落ち着くべきところに落ち着かせる。
YAECAのテーマは「必然的にシンプル」だ。
そんな感じで服をいじっていると店員さんが「ここに出ていないものでも、奥にもありますので」と声をかけてくれた。私は店員さんにブルー系のシャツを探していることを伝えるといくつか持ってきてくれた。それを一つずつ試着した。試着室には何かの動物の皮が使われていた。
サックスのブロードシャツ。さらりとして気持ちが軽やかになる。そしてこのスナップボタン。ぱちんぱちんという小気味のいい音がする。静かな感情で服を着ていく。鏡をみると思わず口元が綻んだ。丁寧な暮らしだ。シルエットがいい。力を抜いてリラックスしている感じがする。でもコンパクトに収まり決してだらしなくない。考え抜かれているんだろう。とても「合理的」だ。YAECAのアイテムは「手仕事」と「工業製品」の要素がバランス良くマッチしている気がする。必然的にそうなったのだ。
一つのアイテムが気になった。ダークネイビーのシャツ。生地に表情のあるシャリっとした感じのシャツだ。やや光沢がかかっているので綿100%ではないらしい。タグをみるとシルクが35%含まれている。羽織るととても軽いことが分かった。第一ボタンまで閉めても苦しくない。トップスにも、羽織りとしても使えそうだ。そして何よりこの生地。ダークネイビーながらシルクの光沢が含まれているのでどこか明るさも感じる。軽やかさといってもいいかもしれない。口元の綻びはさっきよりも大きかった。このシャツを買うことにした。
一階で会計をした。机で待つよう言われ座って待っていると、別の店員さんがお茶とクッキーを持ってきてくれた。オリジナルのものだとか。今までこんな経験はなかったので驚いた。どちらも美味しかった。
そのとき感じたのは、今日はただ買い物をしたのではないのだということ。長い間気になっていたブランドの店舗へ初めて行き、そこに目当ての服がなかったため別店舗へ時間をかけて移動し、たどり着いたこれまで見たことのないタイプの店––––それはまさに家だった––––で服を買い、最後にお茶をいただく。すべてがつながっている気がした。まさに体験したのだ。おそらくそのうちどれかが欠けていたら今ほど鮮明に記憶には残っていないだろう。仮に、APARTMENT STOREであっさり買えていたら。もしかしたら今ほど思い出したりはしないかもしれない。HOME STOREがアクセスのいい立地だったら。おそらく同じことだろう。
この一連の流れは「必然」ではなく「偶然」だろうとも思う。偶然が重なってあのときの私はHOME STOREでシャツを買い、今それを思い出す。しかし、店員さんがHOME STOREを提案してくれたこと、終始心地よい距離感で接してくれたこと、個々のアイテムの素晴らしさ、そして服を買うという体験。これらの個々の要素はどれも「必然」だ。必然の要素が偶然重なった結果だ。
さて、そのネイビーのシャツだが、それから何度も着た。いろんな着方をした。第一ボタンまで閉めトップスとして着たり、中にタートルネックのカットソーを着てその上から羽織ったり。どんな着方にもマッチした。それは派手さはないが、いつでも着ることができる服だった。そして着る度洗濯をした。表面が毛羽立ってきたが、却って表情の奥行きが深くなった気がした。
あれから数年が経った。今、そのシャツは手元にはない。友人にあげたのだ。あげなくてもよかったかもと思わないでもない。ただ、後悔はしていない。彼曰く今も「めっちゃ着ている」らしいので、渡してよかったと思っている。ただ、たまに着たくなる。
今YAECAで着ているシャツは見出し画像のシャツだ。これは3年前の秋にHOME STOREで買った。サックスのストライプの生地なのだが、なんとも形容しがたい。オリジナルの生地なのだろうが、それを表現する言葉を私は持っていない。強いて言うなら、粗めのブロード?
このシャツ、大学生の頃雑誌で見たシャツとおそらく同じだろう。その時から気になっていたのはその生地。表面にネップのようなものが見受けられる。「生地が生きている」と感じた。それもリネンとかではなく、きれい目な生地でやっているのが魅力的だった。今でも着ている。
私はこれまでにYAECAでいくつかの服を買っているが、かといってそこまでブランドに詳しいわけではない。「年に一回か二回買う人」程度の知識と熱量だと思っていただきたい。だからここに書いてあるのはあくまで私の感想だ。
それでも、今もあの日を思い出すことができ、時々YAECAの服を着たくなるのは、やはりYAECAが魅力的なブランドであり、私があの日素晴らしい体験をさせていただいたからだろう。これは必然だ。
最近APARTMENT STOREでデニムを買った。これもずっと気になっていたアイテムだ。ワイドテーパードシルエット。ボタンフライはまだ慣れないが、たくさん着ていきたい。ストライプシャツに合わせたりね。いつかそれについて書けたらと思っている。
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