115ページ目 街中で「喧嘩」を久しぶりに見て思ったこと
私が住んでいるのは、
千葉でも田舎の方
人口も年々減少減しており、
現在では7万人を切っている
東京ドームが観客を
55000人動員できるらしいので、
うちの町の人口は、
東京ドーム1.5個分にも満たない小さな街
こじんまりとしており、決して裕福な町ではなく、
人々は、のんびり過ごしている
そんな平凡な町で、最近珍しいものを見た
大通りの片隅で、外国の男性の方2人が、
取っ組み合いの喧嘩をしていた
クルマで通ったので一瞬しか
確認できなかったが、かなり本気の
けんかだった
そういえば、ここ数年、喧嘩を
生で見る事などほとんどない
人々は適度な距離間を保ちつつ、
過ごす術をすでに習得していて、
なるべく人と衝突しないように
なるべく争いをおこさないように、
なるべく誰かともめないように
気を付けながらすごしている
ただ、少し心配なのが、
それを我慢もせずにできているのならいいが、
ストレスをためながらそういった行動に
至っているのなら、それはどこかで
不満が爆発しないかなと心配になる
よく、ネットの匿名など
誹謗中傷が多く、
過激な文章があると言われている
私もこうやってささやかながら
記事を書き、ネット上にさらすので
他人事ではない
日常の不満やうっぷんを晴らす場所が
ない人が多いのかもしれない
本心を押し殺し、
「いい人を演じる事のストレス」は、
少なからずこの国、(私の住む町にも)
あるのではなかと感じる
幸福度が低いのは
そういった事の過剰さから
くるものではないだろうか?
もっと怒っていいし、
間違ってもいいからもっと
意見を言ってもいいんじゃないかな?
と私は思う
自分ひとりの力は
とても微力だが、
こういった文章で、
自分の意見を書く事も
ある種の主張であり、
賛否両論にさらされるが、
自分の気持ちの安定に
良い効果をもたらす効果がある
そしてそういった事を
やりやすい環境を作るには、
多様な意見に寛容になり、
自分は自分、人は人
ただ、いろいろな意見がある
と言う事を知り、
もし意見を言うなら、
高圧的で相手を叩きのめす内容のものよりも、
友好的で、一部にでも理解を示すような
内容を書く習慣が生まれればいいなと
切に願っている
街中の喧嘩をみて、
こんな事を感じてしまった
とりとめのない内容に
なってしまいましたが、
そんな感じです
今回は以上です
ではまた