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長男がもう一度医療に繋がるまで

就学と同時に療育センターを卒業すると、ASD長男の医療との繋がりは途切れた。
近所の放課後デイに通い始めたものの、そこも一年生の後半には「長男君にはもう必要ないかもしれない」とやんわり卒業を促され、春前にやめることになる。放課後デイに通わなくなると受給者証も不要となり、更新を止めた。
これで長男は完全に支援の輪から外れることになったのである。

しかしその当時は別に不安ではなかった。
長男は家でも学校でも落ち着いていたし、世の中は伝染病のことで揺れていた。
その翌年から次々に学校でトラブルが起き始めるものの、それは学校と家のあいだで話し合って解決することのように思えたし、医療的アプローチは不要だろうと思っていたのだ。

そうして2年が経ち、3年が経ったある日、私は眉間に皺を寄せてパソコンの画面を睨んでいた。タブをいくつも開き、小児科や大学病院、自治体の福祉に関するページを読み漁る。
4年生になった長男をもう一度医療に繋げるために、である。

しかし中々これといった場所が見つからない。
発達の検査ができる小児科は少なく、あってもいまいち専門性の高さがわからない。
大人向けクリニックで子供の発達も診ます、というところはGoogleレビューが荒れに荒れていた。金儲け主義、医者が冷たい、診察が一瞬で終わる、等。Googleレビューを全面的に信じているわけではないが、金儲け主義というのは気になる。余計な検査とかされそう。

大学病院や総合病院はその点で信頼が置けたが、いずれも紹介状が必要である。紹介状、どこでもらえばいいのだろう。長男はやたらと体が頑丈なのでかかりつけ医はもう何年も行っていないし、そこで発達についての話をしたことは一度もない。

私はちゃんとしたところに診てもらいたかった。療育センターのように、知識のある医師と専門の資格を持ったスタッフがいて、金儲け主義ではなく、怪しげな民間療法を勧めてこないところがよかった。

病院を一旦諦め、次に当たったのが児童相談所だ。
児童相談所のサイトには『児童に関するあらゆる問題の相談に応じ、必要に応じて発達の検査や診断を行う』と書いてあったし、公的な機関だから信頼できるだろう、そう思ったのだ。
しかし児童相談所に電話したものの、芳しい結果は得られなかった。
あくまで『問題の相談』がメインで、相談の結果医療に繋げることはあるが、「とにかく医療と繋がりたい」という私の希望には添えない、と断られてしまったのだ。

また、長男が現在抱える問題(登校しぶりや授業不参加など)は学校に関するものなので養護教育センターに相談してはどうか、とも言われた。
おっしゃる通りである。
だが私はその時すでに養護教育センターを訪問済みであった。そして、特に医療へ繋げる提案もなく、次回の予約を聞かれることもなく、「また何かあったらいつでも相談してくださいね」とふんわり帰されていた。

養護教育センターにはもう相談済みです、と児童相談所に訴えると、では自治体の福祉センターに相談してはどうか、と言われた。病院の情報ならそっちが持ってるから、と。
福祉センターには長男が3歳ごろ相談に行ったことがある。
ベテランの保健師に「この子は問題ありません、だってこんなに目がキラキラしてるんだもの!」と言われてとぼとぼ帰った場所だ。

……あれ?たらい回しになりかけてる?
ようやく気づいた。

私は藁にもすがる思いで次男の放課後デイに電話をかけた。
ここは次男が児童発達支援から今現在まで通い続け、長男も一年通ったのでスタッフが我が家の状況についてよく知っている。

「放課後デイや療育センターを卒業したあと、皆さんどうしているのか。医療との繋がりや支援の輪から外れて宙ぶらりんになっている」
そう訴えると、馴染みのスタッフはある病院の名前を告げた。私が検索しまくった時には名前が出てこなかった、比較的新しい総合病院だ。
「ここの病院は発達外来があるんです」
そう言われて病院のサイトを開くが、そんなことはどこにも書いていない。隠れミッキーならぬ隠れ発達外来である。

「ここは実績があると思います。紹介状は近所のかかりつけで貰いましょう」
私は放課後デイのスタッフに何度もお礼を言うと、すぐにその病院に電話をかけた。
診察時間外だったし、まず先に紹介状をもらってくださいと言われるかもしれない。またたらい回しにされるかもしれない。長男の困りごとがうまく伝わらないかもしれない。そう不安になった。何しろサイトに何も書いてないので雰囲気が掴めないのだ。

電話が繋がり、総合案内から小児科に回されると、妙に手慣れた男性が電話に出た。事務方や看護師ではなく医師のような雰囲気であるが何者なのかよくわからない。
私は「長男の簡単なプロフィール」「WISCを受けたいこと」「自閉スペクトラム症の診断は下りていること」「しかし最後の検査・診察から4年経っていること」「今現在発達を診てくれる病院を探していること」などを必死に訴えた。

男性は私の訴えを否定したり口を挟むことなく、一つ一つに理解を示してくれた。口調は落ち着いており、合いの手は曖昧な慰めではなく、明確な言葉だった。
それが心底ありがたかった。
子供の発達障害の話を誰かにするとき、きちんと聞いてもらえると本当に安心するものである。言い分を否定されたり、心配しすぎだと一笑に付されたり、妙に情緒的なことを言われるのは本当に厄介なのだ。

男性は「発達外来の予約を取ることができます」と言った。
「ただし、予約が取れるのは直近で3ヶ月後です」とも。

全然オッケーです!
(もうちょっと丁寧な口調で)そう答えると、「基本的には紹介状をもらってから予約を取りますが、これから確実に紹介状をもらいに行くということであれば予約を優先しましょう」と男性は言った。

発達外来の予約が取れて大いに安堵したが、のんびりしている暇はなかった。
次は紹介状を何としても手に入れなければならない。
ちょうど学校から帰ってきた長男を連れて、私は近所の小児科へ向かった。
待合室にいるのは可愛らしい乳幼児ばかりだった。伸び切ったつくしのようにひょろひょろとした長男はパステルカラーの待合室に不似合いで、浮いていた。

診察室に入り、かかりつけ医にこれまでの簡単な説明をする。6歳で取ったWISCの結果と、4歳時の医師の所見が綴られた書類なども添えた。4歳のものを添えたのは、OTの計測の結果が書いてあり、固有覚や視空間認知、同時収縮などの専門用語が多く、なんとなく説得力が増す気がしたからだ。

かかりつけ医は私にいくつか質問をした。
登校しぶりの状況、勉強の躓き、偏食、苦手科目得意科目など。横で長男がヘラヘラと笑い「俺、算数で0点取っちゃった!」などと言ったが、かかりつけ医はふむふむと聞いていた。

紹介状を書いてもらえることになり、明日以降取りに来てくれと言われて私と長男は小児科を後にした。
すっかり日が暮れており、あたりは真っ暗になっていた。
長男のリクエストで百均に寄り、カードゲームを購入した。医療関係の書類を纏めるためのファイルも。

帰り道、長男と色んなことを話した。
彼は将来ゲームを作るつもりらしいのだが、スタッフロールが必要かどうか悩んでいるそうだ。ディレクションもシナリオもグラフィックも全部自分でやるから、全部俺の名前になっちゃう……などと真剣に考え込んでいた。ゲームはまだ一ミリもできていないのに。

長男が饒舌なのはいつものことだが、私もこの日はよく喋った。
発達外来の予約が取れたこと、紹介状を首尾よく手に入れたことで高揚していたのだ。

その日は皆既月食の翌日で、長男と一緒に月を探したが、雲に隠れて見えなかった。
見えないねえ、と言うと、長男は「月食月食って騒いでみんなが見るから、恥ずかしくなっちゃったんじゃない?」と言った。

普段ゲームと動画のことばかり喋る長男は、時々、こちらがハッとするようなことを言う。
月が恥ずかしがって隠れる、私にその発想はできない。
子供の感性は本当に美しい。
私が焦って病院を探しているあいだも、彼の特性がびっしりと記された医師の所見を眺めているあいだも、彼の頭は美しいことでいっぱいなのだろう。

3ヶ月後、またこうして長男と二人きりで知らない街を歩くことを想像すると、胸がきゅっと痛くなった。
また発達障害と向き合うことになる。
無情な数字を突きつけられ、専門用語を浴びせられ、あなたの子供は病気であると思い知らされる。

私は雲の向こうの見えない月を探し、夜空を眺め続けた。

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