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【交換note】最終回を終えて

交換noteとは、対話・実践ラボの参加者たちが「対話」について考えたあれこれを「交換ノート」のように書き綴っていく取り組みです。

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今回は、対話・実践ラボでの学びを振り返り、改めて自分にとっての対話の意義を考えた内容を書いてみました。


結論としては、私はやはり対話を大事にしたい、ということです。

ただ、この答えになるまでにも様々な思考を経たので、書けるだけ書いていきます。


余白を持つこと

対話をする上で大切にしたいのは、「未知を受け入れる余白を持つ」ということかな、と最終回を終えた今は思っています。

人が人を大切にできなかったり、貶めたり、争ったりする要因が何なのかを考えた時、その根源は「未知への恐怖」による余白の無さなのではないかと思ったのです。

相手からどんな変化球を投げられても、それを怖がらないようにするんです。受け止めることはできなくても、怖がらないでその球が行く先を見ようとするだけでもいいと思います。

それは、相手が大事にしているものを大事にする、ということではないでしょうか。相手が大事にしているものを一緒に大事にすることは必ずしも毎回できるわけではありません。でも、相手が何かを大事にしているその世界線に尊敬の念を持って接することはできるはずです。


自分の言葉で

借り物の言葉で対話はできないなぁと思います。

立派なことを言おうとして著名な言葉ばかりを並べても、対話にはならないと感じます。

対話の場に「正しい」も「間違い」もないと思っています。

対話の場は何かをジャッジする場ではないからです。

だからこそ、ゆっくりでもいいから自分の言葉で向き合う必要があると思います。


基に迫る

改めて対話というものを捉えなおしてみると、「基に迫る」ということなのかなと思います。

対話をすると、思いもがけない内容が飛び出してくることがあります。

でもその内容は突飛もないものであるという訳ではなく、何か芯に迫るような、基となっているものに迫ったようなものであったりするのです。

自己対話においても同じです。今いる自分のことについて考えていても、その自分を作っている原点に帰っていくこともあります。

表面的な話に終わらず、少しずつ深いところに入っていって基に迫っていく感覚が私は個人的に大好きです。


対話的に働きかけるということ

対話を大切にしたい、私は間違いなくそう思っています。

ただ、対話に踏み込むにはエネルギーがいることも分かってきました。対話をするには、その話題についてしっかりと向き合うことが求められますし、自分に向き合うことも必要になってきます。自分の言葉は自分で作っていくしかありません。

そういったことを考えると、「対話が正義」ということは乱暴かなぁとも思うのです。すべての人に対話を「強いる」ことこそ、対話的な態度とは程遠いでしょう。対話の実行のために非対話的な行いをすることはあまり良いとは思えません。

対話をできる人とだけ、私は関わっていくのだろうかとも思う瞬間もありました。

でも、最終回のチェックアウトで運営の優香さんが言っていた言葉に安心しました。

「私はもともと対話が得意な方ではなかったんです。20代前半くらいの時は、怒りをぶつけることがコミュニケーションだと思っていたこともありました。でも、そうした私にも対話的にかかわり続けてくれた人たちがいて、今こうしていられているんだと思います。」

私がこのラボに参加しようと思ったきっかけの一つに、「対話的でない人に対話の橋を架けたい」という思いがありました。大学生になり、自分が対話的なコミュニティに属するようになって、その分、そうしたコミュニティ外の人と関わる時の対話の少なさを感じるようになっていました。そうした人をどうやって対話の世界にいざなえば良いだろうと考えていました。私は対話によって救われたし、対話によって自分がここにいるという感覚をより強く持てるようになったから、それを周りの大切な人達にも感じてほしいと思っていたんです。

でも、それができないと感じる瞬間を何度か経験しました。かつて自分の恋人だった人にも対話を持ちかけてみたけれどうまくいかず、伝わらない思いだけが宙に浮かんでいる状態で、私だけが消耗していく感覚を覚えて身を引くこともありました。


でも、私たちはもう少し大きな、長いスパンで考えてもいいのかもしれません。というか、時間がかかるものなのだと思います。時間をかけて丁寧に取り組むべきものなのかもしれません。


私は、対話をすることで自分の存在に関しての自信がつくと思っているし、対話によって救われてきたし、多くの人と対話を重ねたいと思っています。ただ、対話を望まない人もいるし、対話をするだけの準備が整っていない人もいます。対話の「良さ」のようなものに触れてこなかった人もいます。

そうした人に対して私は「対話的」でありたいと思います。

「自分の思いをそっと置く」

そう表現してもいいかもしれません。


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完全オンラインで行われた今回のラボ。メンバーの中には実際に会ったこともある友人もいれば、画面越しに初めて会ったという人もいました。

でも、最終回のチェックアウトの言葉は一つ一つが心が温まるもので、なんだか不思議な気持ちでした。

この交換noteの取組にも、一緒になって楽しんでくれる人がいてくれてうれしかったです。(ラボは終わりましたが、今後も書きたくなったら描きましょうねー!)たくさんの記事を読むと、また自分の思考が動いていく気がします。本当にありがとうございました☺