見出し画像

料理はやってもやらなくてもいい

noteで昨日、料理について書かれた記事を読んだ。

そこで今日は、わたしが料理を覚えたきっかけと、感じたことについて、書いてみようと思う。


夕飯を作る人がいなかった

わたしが料理を覚えたのは、中学生のころだった。母子家庭になって、母は仕事の帰りが遅く、弟やわたしの夕飯を作る人がいなかったからだ。オレンジページ発行の、料理の基本というような雑誌を自分で買った。それを見ながら、野菜の切り方や調味料の種類を覚えたり、基本の料理といわれる味噌汁や肉じゃがやハンバーグなんかを作ってみたりした。スパニッシュオムレツという料理を作ったとき、本に書いてあった、フライパンのふたに片面焼いたオムレツを乗せてひっくり返すという工程で失敗し、ガスコンロと流し台の間の隙間にオムレツをベチャッと落としてしまい、その日の夕飯がダメになったことは、いまでも忘れない。


買うより作るほうが安かった

当時は家の近くに外食できるようなところやコンビニがなかったし、冷凍食品もいまほどは世になかったと思う。冷たい風が吹く冬の日に、少し離れたスーパーまで、自転車をこいで食料品を買い出しに行っていたことは、いまでも思い出すと、心がじんわりする。スーパーでは惣菜を買うこともあったけれど、やはり惣菜は食材を買って作るより、割高だった。食費は抑えたい家庭の事情だったので、できるだけ作るようになった。


作るといっても目分量

こうして料理は少しずつ覚えたものの、食材や調味料を計量することはなく、いつも目分量で、いまも変わらない。計量する道具がなかったのもあるけれど、一番は、はかるのが面倒だったからだ。なので、味が薄かったり、具が極端に多かったり、同じ料理でも作る度に違う味に出来上がったりしたけれど、おかげで勘は養われたと思う。100点ではないけれど、自分で食べて、お!けっこう美味しいじゃん、と思えるものは作れるようになった。作る料理を決めて食材を買うことより、スーパーで良かった食材を買って料理することが多いので、得意料理というのはとくにない。揚げ物とか、手の込んだ料理はしないけれど、料理をするのは好きだ。


必要に迫られないと作らない

わたしも料理をはじめた当時、作ってくれる人がいたり、出来合いのものを買えたりすれば、料理を覚えようとしたかどうか、分からない。必要に迫られないと、料理はなかなか作らないものだと思う。いまも一人暮らしで、仕事のあと、自分のためだけに作るのは面倒くさい。適当に済ますことも、よくある。いまは便利な世の中だし、料理は作らなくても、買ってきても、チンしてもいい。実際にわたしの周りの既婚の女性でも、料理が嫌いで作らないという人もいる。男性が作るのもいい。

でも、わたしはどんなに簡単なものでも、多少味付けに失敗しても、手作りのものは買ってきたものより、美味しいと感じる。段取りを考えながら作ったり、自分の好みの食材で料理を作ったりするのは、やっぱり楽しい。美味しいよと言われれば、うれしい。料理はできて損はないので、やってみないのは、もったいない。まずはやってみて、どうにも好きにならなかったら、やらなくていいと思う。

やるべき、ということはなくて
やりたい、があれば、やればいい。

そんな風な世の中だと、いいなぁ。

気に入ってもらえたら、感想をいただけるとうれしいです♪