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博士課程、博士研究員(”ポスドク”)ポストへの出願について・・①

下書き・・Twitterへの投稿はちょっと研磨して後日・・になるかと。だだだっと書いたのみ(1月22日)。

ケンブリッジ大学の現在の研究職に就いて、これまで博士課程入学希望者、ポスドク希望者を選抜するプロセスに関わってきました(それ以前もそうした機会はありましたが)。やはり私が所属するのはケンブリッジ大学という名高い大学の研究組織であり、「栄養疫学」という多くの人が関わり得る領域(註1)であるからか、世界各国からバラエティに富んだ多くの希望者が応募してきます。

註1)栄養学者といっても生物化学系の人もいれば、農学系、公衆衛生学系の人もいます。また栄養学を学ぶ機会がなくとも、様々なタイプの疫学や統計学の学位(修士、博士)を持っている人も応募してきます。

多くの方に希望してもらえるのは嬉しい限りなのですが、正直、一緒に仕事をしたいと思える人は少ないです。このNoteに記載していることからその理由がわかるかと思います。そしてそこから研究職に就きたい人へのメッセージを読み取って参考にしてくださればと思っています。

あくまで私が個人的に考えている内容でしかありません。とはいえ、ここに記載しているようなことを考えながら、多くの志願者に面接の機会を与えるか否か、私がその人選に関わっているのは事実です。考え方の一例としてお役に立てばよいなと思っています。

就職活動の私の経験については、以前、「カガクシャネット」に寄稿しました。今現在、読み返してみると研究職に就くための心構えやインタビューの状況に重きが置かれているなと感じます。このNoteに書いている事柄はその過去のシリーズに書いていない、ポスト獲得の志願をするときの、つまりインタビューの機会を得る前に関係する内容となります。

私が記したい事柄は主に次の3点です。
1. 応募要項をよく読んでその理解を示してほしい
2. 自身の欠けている点、克服したい点を書いてほしい
3. 私らがどういう研究をしているのか理解とその環境でどういう仕事をしたいのかを示してほしい

つらつらと書いているうちに長くなったので、この記事では最初の1つの点だけ述べたいと思います。読んでくだされば嬉しいです。

このNoteの前提は募集要項があるポスト

私がここに記載した内容を読む前提として先に述べたいことがあります。それは私の所属機関では私情を挟まない客観的な人事採用を行うことが求められているということです(公正であること=Equity)。志願者が空席のポストの要件を満たすか否か、チェックリストがあるものとご想像ください。

こうした仕組みは機関によって異なります。たとえばグラントを獲得した教授に裁量権の全てがある場合(アメリカの研究室は特にこの類かと)、システマティックな過程なく人選することもあると思います。

ただどんなポストであれ、どういった人材を求めるかという点が人材募集の宣伝にて掲載されていることと思います。このNoteで私が記載している内容は大まかに言えばそういった内容がある場合に参考になるのかなと思っています。

そして、「どんな研究者になりたいか」「どんな研究をしたいか」など出願書類にも書くと思いますが、そういった内容を押さえた上で・・ということもご留意ください。ということで以下、本文です。

募集要項をよく読んでその理解と、要件を満たしているか客観的な情報を示してほしい

私が人選の判断を求められるポジションに、どなたかが応募するということは栄養疫学の学位、あるいはそれ相当の学位と、その研究の業績が求めているということです。またそれに伴って研究するための統計学や栄養学の理解、栄養(疫)学特有のデータベースやデータ解析方法に関する理解と実績があることが望ましいです。こうした情報は募集要項に書かれているのが常です。また応募するのであれば、そうした要件は容易に想像できることでしょう。

空席のポストに志願する方に期待したいのは、その要件の理解とどれほど満たしているかを明確に記載することです。その要件を満たしているか否かの判断基準は学位であったり、研究業績が担うものと考えます。それらは客観的な情報となり得るからです。業績の少ない段階の学生であれば、学会での発表、研究プロジェクトの参加などが適当でしょう。

こうした要件を満たしているか否かが選抜するための情報となります。しかしその情報が欠けている、あるいは条件を満たしていると言っても負の印象を導くケースが多くあるように思います。例として3つの状況を考えました。

1. 応募要件、読んでいるの?

まず志願者が私たちの望んでいる条件を読んで理解しているのか解らないことが多いです。たとえば、小規模な食事の介入試験に関わったことのある栄養学系、あるいは生物統計学系のプログラムを卒業した学生やポスドクが新たに栄養疫学領域で次のキャリアを目指そうとするときを想定しましょう。

こうした方々がカバーレター(志願の意を示した手紙)を書いた例として次のような内容が挙げられます。

①栄養疫学に興味があり、あなたのところで仕事をしたいです。
②私は○○を検証する研究をして、△△に関する論文を発表しました。この経験をぜひ生かしたいと思っています。

という内容です。これでは「私たちが望む素養とどう関係あるの?」という疑問が残ります。「恵まれた経験をした方だな」と思う内容に出会うこともありますが、その経験が私らが求める(どの)要件や素養を満たしていると考えているのかよく解らないわけです。

またこうした経験や業績の披露は多くの場合、カバーレターの冒頭に登場します。その最初の段階で「この人、募集要項読んでなさそう・・」という疑念を抱くことから審査がスタートすることになります。そんな負の印象は避けたいですよね。

昨今、アカデミアのポストが限られています。ですので志願者は数多くの研究機関に志願書を提出する状況も私たちは想像できています。そのため、募集要項をまともに読まずに「数打ちゃ当たる」と応募する様子も想像できます。その状況も理解しているのですが、そのために「募集要項読んでなさそう・・」という印象は抱きやすいのです。申し訳ないのですが。

2. 要件を満たしているといってもどんな風に?

次に、私らが望む要件を満たしているとしても、それを支える客観的な情報がぱっとしないことが多いです。上の1つ目の点をクリアーするならば

③「私は□□や◇◇の要件を満たしていると考えています。というのはABC大学にて学を修め研究をし、論文XXXとして発表できたからです。」

というような記載がカバーレターに現れます(ときには履歴書・CV・レジメにも)。業績の情報を提供して客観性を示してくれるのはよいのですが、具体的にどのように要件を満たしているのか不明な事が多くあります。

私が専門とする疫学研究とは共同研究に依るのがほとんどです。ひとつの研究を仕上げるとしても、研究そのものの実施やデータベースの構築などは大きな研究を指揮する教授クラスの研究者やリサーチアシスタント、あるいは外部組織の業績に依存します。ですので、「筆頭著者として論文を書きました」といっても「どっからどこまであなたの力なの?」という疑問が拭えません。
つまり
「論文がある=十分アピールに足る経験・実力がある」
とは容易に考えられません。この式が成り立つように補完する情報が足りないという問題が生じます。

また志願者が自分の経験や魅力を、より強くアピールするように表現を工夫して志願書を用意することを、私たちは想定しています。科学情報と同様に、与えられた情報を志願者の都合よく読解するような事はしません。少なくとも私は(誇張しているのではないか)という疑念をもって志願書類を読みます。

ですので、論文や学会発表が客観的な情報源であるにしても、簡潔に具体的に、どういう経験をして要件を満たすに至ったと判断しているのか教えてもらえたらと思います。その点が不明瞭ですと、「曖昧にしたいのだろう」と判断することにもなり得ます。

3. これはすごいの?・・アピールすればするほど失望を生んでいく

上記2つの点をクリアーする志願者も少ないのですが、クリアーしてもしなくともよくある事態が志願者の自己判断です。自己陶酔といってもよいかもしれません。

志願者が過去に得た経験や業績が私らが求める水準に満たしているか判断するのは私らのタスクです。志願者ではありません。ですが、「すごいでしょ」といわんばかりに主張する人が多いです。

たとえばある種の統計方法に通じていたり、特殊なデータベースの更新を担って論文を書いたりと、確かに経験を積む過程で特筆に価するような実績を残している志願者はいます。その点を述べるのはよいのですが、それがすごいかどうかは書かない方がよいでしょう(註2)。

上述したように、疫学研究は共同研究の賜物であることがほとんどです。指導教官や疫学研究のためのリソースが素晴らしければ、学生は貴重な経験を積むことができます。指導教官の手腕があまりにも素晴らしくて社会的・科学的インパクトの強いよい論文ができあがることもあるでしょう。

ですので仮にすごい業績があったとしてもそのためのリソースに助けられた感が少しでもあれば、「いや、すごいのはあなたではないでしょう?」という考えにも至ります。

そうしたケースも多くあって、正直、志願者本人が「すごいな」と思った事はないです。そして「すごい業績」と述べつつも、重箱の隅を突くような研究しかしていない様子だったらどうでしょうか。何がすごいかどうか、科学的な判断力を欠いているのではないかと疑わざるを得ません。

そして、志願者は他にもいることを想定することも大切なように思います。自身で「すごい」と思っても、もっとすごい経験、業績を積んでいる人がいるかもしれません。他の志願者と比較して改めて科学の良し悪しを判断する水準について懐疑の念を抱くことになります。

いくつもの書類を審査して私が強く感じたのは、(セクションのタイトルにも記しましたが)「すごさ」をアピールすればするほど失望を生むという傾向です。また本当に素晴らしい業績であれば、特にアピールしなくてもわかります。けっきょくは、自身の業績の質がすごいか否かは、審査する側の人の判断に委ねるのが無難かと思います。

註2)ご自身の考える「すごさ」を主張したいのであれば、「その時の私にとってとても貴重な経験を得た。」という文脈にするのが巧い書き方かと思います。どんな業績や経験も、成長過程の一端だという姿勢を示し、さらに要件を満たしていることを示すという感じでしょうか。

要件を満たしているか具体的に教えてほしい・・まとめ

前述したように私たちが志願者を選抜する際には、なるべく私的な考えを排除して客観的に判断することが求められています。そして審査基準を満たしているか、少々機械的にチェックしていくように判断していきます。

ですので志願者の方が心がけたらよいと私が考えるのは、その判断の助力となる情報を提供するということです。なるべく具体性を加えて判断し易いのがよいですよね。そして、その質(すごさ)、あるいは要件をどれだけ満たしているかについては自己の判断が絶対かのような表記は避けるのがよいでしょう。

条件を満たしているか否かについてという視点で記してみました。カバーレターや履歴書に記載するテキストのほんの数行を使って記載するような内容に該当するのですが長くなってしまいました。続きは別の投稿としたいと思います。ここまで読んでくださって有難うございました。

おまけです。カガクシャネットに寄稿した2014年の文章を読み返して思ったのですがハーバード大学での博士研究員時代の私の就職活動は「発展途上国の感染病疫学研究」のポジションへの応募から始まりました。私の専門は先進国の古典的な栄養疫学で、感染病疫学の経験も特にありませんでした。それでもインタビューをしてもらえるまで駒を進めることができたのは、今考えると書類審査の段階でとりあえず及第点だったからだと思います。このNoteに書いたことも関係していると思っています。

ヘッダーの絵は https://wallpapersafari.com/ より

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