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vol.6 夏、劇場〈ヌトミックのメルマガ〉

*この記事は8月7日(金)に「ヌトミックのメルマガ」で配信された内容を抜粋してお届けします。


|過去から考える(額田大志)


▷ パチンコについて

8月末に予定しているオンライン作品のリサーチ……という名目もあり、初めてパチンコへ行きました。マルハンの青梅店です。巨大でした。
パチンコにまさか自分が行くことになるとは思わなかったし、ギャンブルに対してかなり否定的な立場でした。

しかし結論から言うと、パチンコは非常に楽しく(興奮しました)、ギャンブルはエンターテインメントだと思い直しました。もちろん、そこには依存症など様々な問題を孕んでいるとは思いますが。

楽しさの他にも、ルールが単純、操作がシンプルでグローバルなデザインなど、多くの人を虜にしてきた理由は、一度体験すればすんなりと理解できる構造でした。

勝ち負けで言うと、その日は負けました。ただ景品交換でもらったお菓子を食べながら、同行したリサーチメンバーとわいわい話しながら帰る道のりは、悔しさよりも幸福度が勝っていました。駄菓子とか、「こういう機会じゃないと滅多に食べないな」と思いながら。

僕は平日の夕方にパチンコへ行ったのですが、非常に盛況で(ちょうど新台入荷の日だったというのもあるかもしれませんが)、年齢も幅広く、皆が楽しそうに遊んでいる印象を受けました。世間的なイメージとして刷り込まれている「イライラしたギャンブラー」のように見受けられる人たちは、ほとんどいなかったと思います。もちろん、初めての体験だったので見過ごしたところもあるでしょうが、この辺りは、バンドマンが「だらしない」「貧乏」などといったステレオタイプなイメージで語られることに近しいもやもやを感じたことも事実です。

また、パチンコは街のコミュニティスペースとして機能している側面もあるでしょう。恐らく通っていれば、自然と言葉を交わすようになる場所だと思います。いきつけの居酒屋で出会った人と友達になるような、あそこに行けば誰かがいる安心感を持てる場所のような。

加えて人づてに聞いた話では、パチンコがなくなることで「娯楽」を失う人もいるということです。例えば、足腰が弱っているなど何かしらの理由で遠くに出掛けることが困難な人々、日常的にインターネットを使用しない人々にとって、家の近くにあるパチンコは大切な娯楽の一つであるということ。
スポーツや料理などはもちろん、劇場やライブハウスに行ったり、あるいはNetflixを見るといったことが「娯楽」だと感じていた自分にとっては、思いつかなかった視点でした。



原田の、すぐには使わないものコレクション(原田つむぎ)


先日、久しぶりに劇場で観劇しました。(半年ぶりくらいだったかもしれません。驚きです!)

ガサゴソする音がなるべく目立たないように転換中に合わせて座り直してみたり、今ほかの観客の皆さんはどう思いながら見ているんだろうと、こっそり周りを見回してみたり。マスクでほとんど顔は見えませんが、目と、身体の状態でなんとなく表情が想像できて面白かったです。

だいぶ長いあいだ生の上演を見ていなかったので集中力が持つかな?と少し心配していましたが、座った瞬間に観るぞスイッチが入り、今までの観劇していた時の記憶が急によみがえった感じでした。

帰ったら、その日は結構暑かったこともあって少し頭が痛くなりました。水分をたくさんとって、別の配信の作品を途中からひとつと、短いものひとつを観てちょっと寝ました。起きてもまだ頭が重くて、これは暑さのせいじゃなく、今までも観劇した後すぐ情報が処理できなくて軽い頭痛がよくしてたな~とまた思い出しました。半年くらいじゃ体質?はあまり変わらないものですね。体力は明らかに減ってきていますが......。いい加減運動します。

今回はこちらです!


● 駄菓子屋さんで買った鳥笛 ●

駄菓子屋さんで買った鳥笛

確か池袋のサンシャインシティの駄菓子屋さんで購入したと思うのですが、どうして買ったのか思い出せません。中に入れる水の最適な量が分からず、吹くのにすごくコツが要って難しいです。実は、ヌトミックで先日リリースした楽曲『Our
play from our home』のどこかで一瞬登場しています(突然の宣伝)。まさか使うときが来るとは!この鳥さんも急な出番にびっくりして声が裏返っていました。


9月参加予定の作品の稽古もまずはオンラインで少しずつ始まりました。本格的な演劇の稽古は久しぶりでまた色々思い出すところから始めています。またお知らせします!


※みなさんの「すぐには使わないものコレクション」がもしありましたらぜひ教えてください。メルマガご登録者の方からいただいた内容はここで紹介させていただくかもしれません。と同時に、私が「すぐには使わないものコレクション」を決める際の参考とさせていただきます。



|ひととヒトと他人と(長沼航)


★★★★

ついこないだの日曜日まで、豊橋でダンス作品の滞在制作を行っていた(詳細はこちら)。
6人のアーティストで1軒の家に17日間暮らしながら、自転車に乗ってほぼ毎日劇場へ通い、7~8時間ほど作品の制作を行う。家ではご飯を食べ、映画を観て、音楽を聴き、談笑する。久々に毎日3食しっかり食べ、人とたくさん会話し、適度に運動する生活を送り、何だか健康的な日々だった。人生で数度目かの洗濯をしたところ、途中で心が挫けて、全自動洗濯機すら思うように回せない自分に落ち込んだりもしたけれど、それもまた良い思い出だ。ちなみに、そのせいで30分くらい遅刻したのは悪い思い出だ。実家暮らしの最年少ということもあり、他の人たちにおんぶにだっこな生活だったので、感謝してもしきれない。食後の洗い物だけは少しやったので許してほしい。

ともかく、半月以上一緒に生活を営んだ人はこれまで家族でも母親以外にいなかった。他人と暮らすことにこれまであまり乗り気じゃなかったのだけれど、悪いものではないなと思う。もちろん、他人に家の仕事を肩代わりしてもらっている部分もあるし、自分の普段の生活をある程度切り離しているから、実際に長いあいだ同居し続けることとはズレがあるかもしれないが、レジデンス期間も後半になると生活のリズムも形成されてきて、他の人との親密さも獲得されてくる。そうなってくると、自分の過ごし方もうまく作れるようになってきて、生活が家に浸みてくる。そんな頃合いになってレジデンスは終わって、離れ離れになり、横浜の家に帰ってきて、今、3日目。梅雨は明けた。部屋はクーラーがなく暑い。喋る人もいなくて淋しい。発表やレポートばかりが溜まっている。豊橋で言うなれば逆ホームシックのような状態だ。全然自分の作品に向かうマインドにもならず呆けている。ただ無理矢理急発進しても事故を起こすだけなので、ゆっくり安全運転で、再び帰ってこられるように準備していきたい。

P.S. 滞在最終日に遊園地に行って、観覧車が苦手なことを初めて自覚した。確かに、小学生の頃に乗ってビビっていた記憶はあったが、いまだに得意じゃないとは思わなかった。あれならジェットコースターのほうが2万倍マシだ……。



|わたしの日常(深澤しほ)


▷ 2020/08/04 

こんばんは!本日もセミの襲撃に会わずに無事、家に帰って来ました。

私の住んでいるところはとにかくセミが多いです。本当に怖い。明るいうちに家に帰れるときは良いのですが、暗くなってからだとどこに潜んでいるのか分からないことに加え、何故か毎年、私の家の前にある蛍光灯にバシバシ突撃しています。

夏になると海よりも、向日葵よりも、真っ先にセミの存在を意識してしまいます。

私の中で連鎖している図式があって、
夏→セミ→母は虫に強い→「羽をもげばいいじゃん」のエピソード
というのがあります。
母は田舎の山育ちで、とにかく虫に強いです。あらゆる虫に対して恐怖心ゼロで向かっていきます。実家にいたときは母に頼りっぱなしでした。
東京に来て、虫が出たら自分でどうにかしないといけなくなって、虫が出るたびに母に報告するというコミュニケーションがあるのですが、セミに関して母は「飛んでくるのが怖いなら羽をもげばいいじゃん」としか言いません。強者のアドバイスはまったく参考になりません。

とにかく、夜に帰るときは折り畳み傘を武器にして三階までの階段を登っていたのですが!
先日、友人から「水鉄砲でセミの動きを無効化する」という方法を教わりました!
死にかけのセミが生きているかどうかを確認するときも、距離を取りながら水鉄砲で確認できます。
今、私のカバンには常時水鉄砲が入っています。ちょっとかさばりますが、セミの恐怖に打ち勝つためなら、そんなこと!
まだ水鉄砲の出番はありませんが安心感がすごいです。こんなに安心するとは思いませんでした。

しかし耳が疲れます。
部屋に入るとホッとします。虫の気配を感知するために無意識に聴力を研ぎ澄ませているからかもしれません。
でも虫とは別に、最近は特に変質者に遭遇する率が高かったりしたのでイヤフォンをしながら道を歩くこともしていません。
以前はイヤフォンしながら夏の夜を楽しく散歩したりしたものですが、今考えるとなんて平和だったんだ、と思います。五感の一つを遮って道を歩くって改めて考えると危険ですよね。
電車に揺られて音楽を聴きながら眠ってしまう、なんてことも今はできません。

こんな感じで最近は音楽を聴いていません。音楽っていつ聴くものなんだろうなあ、と考えています。というか私はどんなときに聴きたくなるんだっけな・・・
逆説的に、今までの私にとって音楽は外で聴くものだったんだなとわかりました。というわけで今日は寝るときになにか音楽をかけてみようと思います。何にしよう。



|イチオシ・アルバム・レビュー(額田大志)


このコーナーでは、家でじっくり聴きたい音楽アルバムを1枚紹介します。


▷ ラッキーオールドサン『ラッキーオールドサン』 (2015)
label:Kiti

散歩をしながら音楽を聴くことが多い。特にコロナ以降、外に出ることが極端に減り、気分転換として散歩に出掛ける。しかし外で音楽を聴くと、どうしても雑踏が混じってくるため「雑踏に対する音楽」を探すようになった。

ラッキーオールドサンは、日本の男女2人組のユニットである。彼らの曲を歩きながら聴くと、自宅で聴いているのとは異なる体験になっていることに気がつく。音楽によって、街の景色が拡張されていく。
例えば「あの坂の多い街に住んで〜」という歌詞があるのだが、これを聴きながら散歩をすると「今いる街」のことを歌われているような気がしてくる。もちろん気のせいだが、実際に坂道を歩いたりしていると、歌と現実が微妙に混じってくるのだ。ラッキーオールドサンの楽曲には、このような歌詞が無数に散りばめられている。



|編集後記 (河野遥)


約4ヶ月ぶりに劇場で演劇を観ました。

目の前で起きている人々の営みに、自ら耳を傾け、観察する。黙って会話に潜り込み、心の中でうなずく——観劇という行動において、能動的に人々の営みを受け取りにいく身体感覚を取り戻すまでに、少し時間がかかりました。私はたった数ヶ月で、すっかり与えられることに慣れてしまったのだと気付きました。
この数ヶ月、観劇に代えて時間を費やしたドラマやYouTubeなどの映像は、(少なくとも私が観ていたものは)ただ座って、あるいは寝っ転がって画面を眺めているだけで、目の前の板一枚が勝手に展開して楽しませてくれました。他者が意図した角度のみから物事を眺めていた時間の長さが、同じ「観る」という行為を、能動から受動へとシフトさせてしまったようです。

自戒を込めて、劇場に観に行くということは椅子に座りに行くことではない、と書き記しておきます。これからもっと、当たり前だった感覚を忘れていることに気付いたり、感覚を取り戻したり更新したりしていくのだろうと、そっと覚悟しました。一喜一憂しないように。

当公演の東京公演は終了しましたが、まもなく映像の販売が始まります。今度は“他者が意図した角度”で観ることができます。
複数台のカメラで撮影された劇場公演が、映画監督の小森はるかさん、演出助手として深く作品に関わられた劇作家・演出家の宮﨑玲奈さん(青年団/ムニ)の編集により、映像作品として生まれ直します。劇場でご観劇いただいた方も、まだご覧になられていない方も、ぜひお楽しみいただけたら幸いです。

ツアーは続きます。
https://yaneuraheights.net/next/tour2020.html


さて、ヌトミックのメルマガ vol.6、お楽しみいただけましたでしょうか。
次回配信は8月28日(金)です。

最後までお読みいただきありがとうございました。



編集:河野遥
発行:ヌトミック

2020年8月7日発行



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