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vol.1 初回配信〈ヌトミックのメルマガ〉

*この記事は5月1日(金)に「ヌトミックのメルマガ」で配信された内容を抜粋してお届けします。


|過去から考える(額田大志)


▷ ステイトメントを書くこと

メルマガを始めるために、先日、以下のステイトメントを書きました。
(既に読んだ方はステイトメントの終わりまで飛ばしても、問題ないです)

「言葉を発した身体を想像する」

ヌトミックは、2020年5月1日からメールマガジンを始める。
少なくとも劇場に通うことが日常の一部になるまでは、定期的に配信を続ける予定だ。

新型コロナウイルスの影響で、人と出会う機会は限りなく少なくなった。それにより、言葉を発する私たちの身体の存在は、これまで以上に隠れてしまったと思う。
私たちは誰でも、自分の身体から言葉を発している。裏を返せば言葉を辿ると必ず「誰か」にたどり着く。だが身体の見えない言葉は、まるで「誰の言葉でもない」ように扱われることがある。SNSを筆頭に、目の前に流れてくるテキストを眺めているだけでは、その言葉たちがどんな人から、どんな表情で、どんな音で発されたのか思い描くことは難しい。身体が伴わない言葉は、あくまで「情報を伝えるツール」となり、平面的にならざるを得ない。平面的だからストレートに伝わることもあるし、一方で自分が意図しない形に歪んで伝わることもある。

きっと、私たちが言葉を「思った通りに伝えること」は、とても難しいのだ。
私たちは人生に思い悩んだとき、道端の知らない人に声をかけることはせず、家族や友人、恋人に相談するだろう。家族や友人、恋人であれば、私の仕事も生活も知っている。身体を通じた様々な経験を互いに共有しているから、思っていることをできるだけそのまま伝えることができる。一方で家族や友人、恋人が言葉を発している声や表情も浮かべることができる。

つまり言葉は、他者と身体の経験を介することで「思った通りの言葉」になり得るのだ。
俳優が声を発し、観客との関係性を作り、台詞を届ける演劇の上演は、まさにそういった性質があるだろう。

では人と人との接触が困難なコロナ禍において、私たちは身体を介さずに、他者へ「思った通りの言葉」を伝えることができるのだろうか。
私は定期的に手元へ届くメールマガジンが、それに繋がる一つの可能性ではないかと思っている。

私たちは直接会うことはできない。しかし、書かれた言葉を辿った先の「誰か」を想像することはできる。
コロナ禍は1年以上続くという見方もある。ヌトミックはそんな長い時間の中で、読み手とのゆるやかな関係を築き上げながら、言葉の先にある身体を想像してもらうことができないかと思っている。

私たちには言葉を発する身体がある。
全ての言葉は、誰かが何らかの思いで発している。それを想像することを始めようと思う。

ヌトミック 主宰
額田大志

という内容です。

話を進めると、ステイトメントを書くことは、とても大事なことなんじゃないか、と改めて思いました。
活動を続けていると、たまに、誰のためにやっているのかがわからなくなります。自分のため、と即答するのは中々難しいです。かといって、社会のためにやっているのか?という問いも、必ずしもYesとは答え辛いです。

そんなときに、ステイトメントの大切さがわかります。誰のためにやっているのか考えます。何のために創作をするのか見えてきます。

音楽にのめりこんだきっかけがロックバンドだったので、同じようにどこかで有名になりたい、あるいは、ちやほやされたい、という気持ちがあるのかもしれません。稀に、そんな思いが生じるような気がします(それは決して、悪いことではないと思いますが)。
しかし、腰を据えて、創作のためのステイトメントを書くことで、そんな煩悩(大げさですかね……)を消し、私が何のために、誰のために創作をするのか、筋を通させてくれます。

そしてこれは、日常生活でも応用できるかもしれないと思いました。それは何のために?誰のために?と思うことは沢山あります。甘い話にはどうしても惹かれてしまうし、大勢が言っていることが正しく見えることもあります。ただ私が、私自身のステイトメントを持つことで、ある程度、地に足をつけて物事を考えることができます。

今回、メルマガのためにステイトメントを書いていて、そんなことを思いました。特に今は、あちこちで色々な言葉が発せられていますが、まずは自分のステイトメントに従って、自分はどう考えるか、というのをやめずに生活しようと思っています。



|原田の、すぐには使わないものコレクション(原田つむぎ)


家にいる時間が長くなってから、物の多さが目に付いてきました。

私はぼろぼろの紙袋だとしても、誰かからのなんてことないようなメッセージがちょこっと書いてあるだけで、ずっと取っておきたくなってしまいます。

そんな性格なので、部屋の中はかなりの物量になっていたのですが、時間もあるし、これを機に物を捨てよう!と思い少しずつ捨ててみることに。

部屋が広くなっていくのが楽しく、どんどん捨てることができていたのですが、途中から自分が「今使うかそうでないか」でしか判断しない機械のようになっているのを感じ、手が止まってしまいました。

「不要不急」という言葉を毎日耳にする中で、そもそも私自身が要・急な存在であると言える自信が日々なくなっているし、これから先、無意識に「今すぐ役に立つか」「価値があるか」とかいった基準だけで物事や人を判断し続けてしまうのではないかと思い不安です。

(……はかどっている風を装いましたが、私は掃除がすこぶる苦手なので、これ以上掃除をしたくない言い訳かもしれません。。。)

前置きが長くなりましたが、このコーナーでは、今すぐには使わないし、これからも使わないかもしれない、でも自慢の、原田の「すぐには使わないものコレクション」をただただ紹介していく予定です。

(今すぐにはいらないものがちゃんとこの世にあっていいように。また、自分自身に本当に必要なものを自分で判断できるようになるための修行のコーナーでもあります。)

(ちなみに写真は、掃除をしたら出てきた、先日約7年ぶりにシャッターを切ったデジタルカメラで撮ってみようと思います。大学の入学祝に伯父からいただいたのですが、スマホのカメラの台頭によりあっという間に使わなくなってしまったものです。今使ってみるとなんだか味があっていい感じに思えます。)


紫水晶が閉じ込められた透明のキューブ

紫水晶が閉じ込められた透明のキューブ

前のアルバイト先で売っていて、ずっと欲しかったもの。でも結構いいお値段だったのでなかなか買えませんでした。お店が閉店となったので少し安くなり、やっと手に入れました。太陽にかざすととてもきれいでずっと見ていられるのですが、普段はデスクに置いてあるだけです。


鬼太郎と猫娘の空箱

鬼太郎と猫娘の空箱

鳥取のお土産で買ったもの。中にはクランチチョコレートが入っていましたが、もう食べ終わって中身は空。かわいいのでなかなか捨てられません。立てて飾りたいので、箱としての役割は忘れ去られています。


E.T.のiPadケース

E.T.のiPadケース

“いつかiPadを買う自分”のために、たしか大学一年生の時に購入したiPadケース。もちろんiPad以外のものも入れられるのですが、いつかのためにずっと使わず飾ってありました。そして今も私はiPadを持っていません。いい加減iPadを入れるのはあきらめよう。

\〈番外編〉かつては、すぐに必要だったもの/

50センチ定規

50センチ定規

掃除をしたら同じものが3本も出てきました。それぞれ、急遽100円ショップで買って間に合わせたものだったと思います。あの時はすぐにでも必要だったのに、今では3本並んで出番を待機しています。でもついこの間、壊れた家電が燃えるゴミで出していいのか、粗大ごみなのかを調べるために使いましたよ。


※ もしよかったら、みなさんの自慢の「すぐには使わないものコレクション」を教えてください。メルマガご登録者の方からいただいた内容はここで紹介させてもらうかもしれません。



|ふかさわのまとめ。(深澤しほ)


▷ 2020年4月20日

夢です。ヌトミックのメンバーとババ抜きをしました。真っ白い空間で、お風呂によくある椅子に座っています。ライブ配信をしているようで、三脚に取り付けられたカメラが1台、額田さんの右横に置いてあります。みんなそれぞれ距離が遠いので、額田さんが野球選手かと思うくらいの勢いでカードを投げて配ります。
ゲームが始まる前にペアのカードを捨てていくわけですが、私の手元のカードは捨てても捨ててもペアが出続け、それどころか1ペア捨てるごとに5枚ほど手元に増えていきました。私は「ごめんね、ちょっと待ってね」と言いながらペアを捨てていくのですが、時間が経つにつれて、河野さんが、原田さんが、額田さんが順番に居なくなっていくのです。「ごめんね、ちょっと待ってね」と言いながらペアを捨て続ける私だけが残る俯瞰した画がしばらく続いて目が覚めました。肘がとても痛い。

コロナ以前、私は仰向けで寝るのが習慣でした。全ての体重を地球に預けるように脱力して眠りにつくのが好きで、起きたときも、寝たときと同じ体勢のまま。充電されたスマホみたいに、昨日の夜と姿勢は変わらないけれど朝起きたら中身はアップデートが終わっている、という具合です。でもいまの私は右肘の内側がすごく痛い。

最近の私は横を向いて寝ているらしい。寝相診断によれば囚人型という寝相をしているようで、手足をクロスして横向きに丸まって寝ているから血液が肘に溜まって痛い。入眠時に仰向けで寝ていても起きたときは囚人型になっている。日々の過ごし方の変化に対してまだ精神や身体が追いついていないようです。私が自分で把握できないところで、静かな拒否反応が生成されていることに気づかされます。

フランスの画家、ジャン=フランソワ・ミレーの「死と木こり」という絵を見つけました。ミレーの代表作でいえば「落穂拾い」「晩鐘」「種まく人」ですが、「死と木こり」は初めて見ました。死神に突然手を引かれてバランスを崩している木こりの様子が生々しくて、しばらくぼーっと眺めていました。他人事ではなく、自分にも迫る危機として作品を受け取ったのは久しぶりのような気がします。

外出自粛が呼びかけられてから、もう1ヶ月になりますね、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。私は自分でも意外なほどに不安を抱えて生活しています。でもそれは新たな発見でもあり、その感覚を新鮮に受け取りながら過ごしています。まだ不安は続きそうですが、その中にも新しい出会いを見つけていきながら日々を過ごそうと思います。

次回はきっともう少し明るいことを書きます。ずっと買おうか迷っていた田中みな実の写真集を買いました。最高です。
寝相診断、皆さんもやってみてください(信じるか信じないかはあなた次第です◎)。

【寝相診断】寝相でわかる性格と深層心理
https://serendipity-japan.com/bed-phase-diagnosis-12768.html



|イチオシ・アルバム・レビュー(額田大志)


このコーナーでは、家でじっくり聴きたい音楽アルバムを1枚紹介します。


▷ Pat Metheny Group “The Way Up”(2005)
label:Nonesuch Records


私はよく、いわゆる歌のない「インスト音楽」で、何を描くことができるのか考えている。21世紀に、インスト音楽だけでアクチュアルな表現はできるのだろうか。

この疑問は今に始まったことではなく、学生のときから続いている。人は思ったこと、伝えたいことがあれば「インスト音楽」を作るのではなく言葉にするのが早いだろう。あるいは言葉を使ったメディア――歌や小説、演劇――を創作してもよいだろう。

結論から言うと、まだこの悩みは解決してはいない。
ただ『The Way Up』を聴くたびに、私はまた「インスト音楽」を作ろうという気持ちになる。

本作『The Way Up』は組曲のような形式を取り、およそ70分の1曲のみで構成されるアルバムだ。厳密には一部分に歌があるものの、ほぼ全てを楽器の演奏(インスト)だけで描いている。
こういった形式の作品は珍しくない。ただ『The Way Up』には、インスト音楽として特筆すべき点がある。それは、楽曲の「アドリブ部分」だ。

アドリブといえば、ジャズをイメージする人も多いと思う。本作もジャンルの大枠としては、ジャズと定義できる。
ジャズの一般的な演奏は、テーマ→アドリブ→テーマという流れを取っている。アドリブ部分は、基本的に参加しているプレイヤーのソロが全面に押し出され、楽曲の盛り上がりの頂点になることも多い。当然、プレイヤーによってアドリブは変化するため、同じ曲でも全く異なる演奏となる。それがジャズの醍醐味の一つである。

しかし、『The Way Up』におけるアドリブは、演奏者のソロを押し出すためでもなく、演奏を盛り上げるためにあるとも感じられない。
じゃあ何のためにあるのか……というと、『The Way Up』のアドリブは「楽曲に必要な構造」として存在していると思う。

構造として描かれるということは、「楽曲に欠かせない音」であるということだ。70分間を描ききるために必要なアドリブが、この楽曲では展開されている。つまり「聴き手に対して演奏されたアドリブ」ではなく、「楽曲に対して演奏されたアドリブ」である。

楽曲の世界を描くためにアドリブが存在する。事実、盛り上がりよりも楽曲の世界観を強固にするために、それぞれのプレイヤーが意識して演奏しているように聴こえる。

『The Way Up』のアドリブは、リスナーを煽ることも、プレイヤーの内面に入り過ぎることもない。あくまで楽曲に対する必然性から奏でられたアドリブである。
私はパット・メセニーの執念から成る本作を聴くたびに、圧倒され、自分の悩みを忘れ、「インスト音楽」を作る気持ちを再び奮い立たされる。



|編集後記 (河野遥)


過渡期の文章を残すのは大切なんだと思う.
(中略)
変化を書き留めておかないと,次の時代の常識になったときに,前の時代の日常を忘れてしまうから,そういう文章は大切だと思っている.

と、落合陽一氏が綴っていました。

ヌトミックも、私自身も、今まさに変化の真っ最中かもしれない。自分では気づいていない変化さえも、このメルマガがあとで気付せてくれるのかもしれないと思うと、少し慎重に、想いを込めて届けたいなと思います。

ヌトミックのメルマガVOL.1、お楽しみいただけましたでしょうか。
次回配信は2週間後の5月15日(金)です。

最後までお読みいただきありがとうございました。



編集:河野遥
発行:ヌトミック

2020年5月1日発行



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