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仮説:語学習得に最も有効なのは打ちのめされること

また眠れないので適当に綴る。

NZ渡航まで残り1週間。
特に何も考えないまま、ホテルもコンタクトもとらず何を呑気にしているんだろう。
さすがにまずい。
IRDのネット申し込みをしようにもNZの住所が必要だしどうしようもない。
どうせ使うのはWWOOFだけだしいいかな。
ちなみに今はコマとけん玉と折り紙を練習中で日本受けを狙っているところ。
それにしても折り紙さん。
ツルですら折り方を見てもうまくいかないのはなぜなのでしょうか。
不器用にもほどがありませんかね?
私が何も見ずに折れるのは紙飛行機だけです。
ツル折れる人が紙飛行機折れないの意味不明すぎる。
紙飛行機はツルと違って遊べるし。
遊びの分野が違うよね。それぞれ得意分野があっていいんだよ、っていう言い訳。

NZでの目標というかがいくつかあって、その中の一つがドチャクソにやられることなんだよね。
小中高でいたALTの先生とか、大学で講義している先生ってこちらのタドタドしい、ネイティブでいう幼稚園生以下くらい(言い過ぎかな?)の発音やメチャクチャな文法を理解しようと努めてくれている人が多い印象がある。
つまり、こちらが黙ってしまっても簡単な単語・文法に言い換えてくれたり、ゆっくり話してくれたり、こちらの意図を汲み取ってくれる。
とてもありがたい。小中高なんかは特にそう。
周囲の目が気になるお年頃だ。
先生に当てられるのは嫌だし、言いたくても自分から手を挙げるのも嫌。
そして何より、答えや意味のわからない問いを聞かれるのは最も嫌で避けたい。
そう思う方は結構いるんじゃないかな。
私も嫌。でもよくよく考えてみたら間違えたところで、で?って感じなんだけどね。
他の人が間違えました。
「こいつ間違えてやんのー!だっさー!」
なんて思うことってほとんどないでしょ。皆無だとは言わないけど。

タイトル回収といくね。
間違えることってね、人間の学習に最も効率的な覚え方だと思うんだよね。

急にごめん。今ねうちの犬さんが盛大にお漏らしをしたとさ。盛大に打ちのめされているところです。1時間前にも拭いたんだけどな。ま、いっか。

さて、話に戻ってなぜ間違えることが学習に最適だと思うのか、ってことについて。

Q.これを読んでるあなたは、学校や仕事でミスをしたことがある?

おそらくほとんどの人が「はい」って答えるよね。

私の場合は、居酒屋でアルバイトをしていたんだけど、飲み放題のオーダーを取るときにミスったの。
てきとー説明すると、ただの飲み放題とコース料理?飲み放題の2つがあるんだけど、これが紛らわしい。(メニュー表がほぼ同じ&内容ほぼ同じ)
双方とも基本料金があって、それに+aの料金を払うと他のドリンクも飲めるようになるっていう仕組み。…わかるかな?ま、いいや。
当時は勤務したばかりの新人で、この二つの違いを理解していなかったんだよね。というか一緒だと思っていた。
で、自分が理解してないからお客様にメニュー表は違うの見せてるわ、オプションがないと頼めないもんを基本料金でオーダー取ってるわで店長にしこたま注意されたんだよね。

利益度外視だもん。当然だよ。
だから後輩が入ってきた時は何が違うか懇切丁寧に教えた(つもり)よ。んなもんわかるか!

でも、何がダメで正しいのか、理由を含めて正しく理解すると自動で覚えるんだよね。忘れない。
おかげさまであれ以来、オーダーミスはなし!わんだほー

まぁ、これは一例だけどミス(間違い)だったり怒られたり注意されることって日本人だと一般的に恥だと捉えられることが多いんじゃないかな。

恥って、結構覚えてること多くない?

私は結構覚えてるよ。滑って転んだ、とかは一瞬恥ずかしいけど1日も経てばほとんど覚えてないけどね。

言語習得も同じだと思うんだよね。
この場合の間違いは、自分が正しくない(誤っている)場合でかつ、自分の間違いを理解&正しい答えを知った場合とする。

さっきも例にあげたけど、学校のALTの先生。
彼らは基本的にこちら側(喋れない側)の立場に立って意思を汲み取る努力をしている。
そうなると、こちら側が大した努力もせずとも、自動的に相手が理解してくれるような仕組みになってしまう。

そうなると、自分の中の思考回路がせいぜい2、3パターン(多くても5パターンぐらいか)で止まってしまう。
つまり、思考をほぼしていない状態と等しい。

では仮に、相手が全く察することをせず、全て自分の言葉で説明しなければならない場合はどうだろう。
翻訳機や辞書などを用いない場合、思考パターンは相手に伝わるまで、ないしは諦めるかのどちらかまで続く。

「伝わらない。じゃあこれはどうだ?これも無理。あぁどうしよう。えーと、んーと…」
脳みそフル稼働状態。これ。
この状態下で、正しい答えを自分で辿り着くことができた時、導き出した答えって、おそらくほとんどが忘れない。覚えている、と思うんだ。

接客対応が自分のものになると応用が効く。
これと同様に、そのパターン文が自分のものとなった場合、それに関しても応用が効くはずだ。
と思ったわけです。

じゃあ別に打ちのめされる。ミスる必要なくない?
そう思うかもしれない。
でもね、打ちのめされることって必要因子だと思うんです。

小中高、特に中高でテストってあるよね。
その時に解いた正しい答えって覚えてます?
間違えた答えすら覚えてねーよ!って聞こえてきそうだけど。私も覚えてないし。
まーまー、テストの重要性とかなんか語ろうと思えばめちゃめちゃ語れそうなのでまた別の機会にするかもしれないんだけど、皆さんが昔のことだけどずっと覚えてるようなことってどんなことですか?

私は色々と覚えてますよ。
あれは小1ぐらいの時ですかね。
履いてたズボンは兄のお下がりだったんですけど、それが緩くてね、何度も上に上げてたんです。
で、その時は風船バレーみたいなことをして遊んでいたんです。夢中になってズボンをあげることを忘れていたらズボンがボロンとずり落ちたんですね。
即行で上に上げましたよ。死ぬほど恥ずかしかったです。

他にもとても苦手な先輩がいたんですね。何かにつけて文句を言ってくる先輩でした。
水泳の授業でクロールのテストがあったんだけど、その時のクロールの息継ぎの時にその先輩が「私(先輩のこと)を睨んでたでしょ!」なーんて言うんです。
こちとらハァ?ですよ。なんじゃこいつと思ってガン無視(怖くて何も言えなかっただけ)決め込んでやりましたよ。
理不尽でしょ?覚えてるんです。

書き出したらキリがないですね。とりあえずこれで終わり。
何が言いたいかって、インパクトの強いことをずっと覚えているんです。

打ちのめされることって自分にとって恐怖だったり恥だったりするわけですよね。
それは言ってみればトラウマになるかもしれない。でも、言い換えれば自分の中に強く残ると言うことです。
強く残れば残るだけ、覚えておくことができる。
伝わらない恐怖を克服するために入念に準備をしたり勉強したりする。
これしかない、という環境では人の生存本能は高まる。危機から身を守る術です。
この本能を利用しちゃえというわけです。

ま、深夜テンションのただの憶測で書いた支離滅裂な長文章ですが、読んでくれてありがとうございます。

この仮説の考察を書けたらいいな、ということで人体実験してみまーす。

じゃあばいばい。

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