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ベルサイユのばら第27話 たとえ光を失うとも…サスペンスと愛と勇気!

最終第三クール開始

あらすじ

http://animebell.himegimi.jp/kaisetsu27.htm
(1787年の暮れ〜1788年の初め頃・オスカル満32歳)


 今回は史実から書き起こした原作から、さらにアレンジを加えて、描写を省いたり順列を入れ替えることでメッセージ性とドラマ性、そして雰囲気を高めている。


 私は宝塚のベルサイユのばらは2006年バージョンを生で見て、先日、1989年バージョン(共にオスカル・アンドレ編)をNHKテレビの再放送で見た。
そして、やはり出崎統ファンとして言うなれば、新人作家の連載少女漫画として読者や編集者の反応を探りながら手探りで描かれたの原作と、舞台上に限られ2時間半にストーリーとショーも盛り込まなくてはいけないという制約を持った宝塚歌劇団バージョンに比べ、アニメ版は「我々こそが本当のベルサイユのばらのエッセンスを描けるのだ!」という気概があるように感じられた。


 原作はベルサイユのばらとあだ名されるマリー・アントワネットの人生と史実が中心で、オスカルのドラマと数ページごとに交互に描かれている。
また、少女漫画として少女読者が感情移入しやすいキャラクターとしてロザリーのドラマも挿入されている。(ロザリーとジャンヌはフランス革命当時に書かれたマルキ・ド・サドの美徳の不幸と悪徳の栄えの引用でもある)


 だが、今回のアニメ版ではマリー・アントワネットとロザリーの出番はバッサリカットされている。そのせいで、オスカルとアンドレに物語の視点が注目されている。そして、じっくりとオスカルとアンドレ、そしてベルナール・シャトレたち革命派を描くことで、原作よりも彼ら個人の「自主性」が高まって見えている。
 男気や気風の良さとも言えるのだが、オスカルは女性だし、また貴族のジャルジェ家に戻らないでパリ暮らしを選んだロザリーを見ると、「男前」と言うよりは「自主的」と言う方が適当だろう。
 これは本編の黒い騎士、ベルナール・シャトレの言葉にも表れている。
ベルナール「王家の犬め!」
オスカル「犬と盗人か、どっちもどっちだな」
ベルナール「盗人の方がまだマシさ、自分の意志で動いている」
 出崎統的な価値観の出たセリフだ。


 原作は時代の大きな流れや男性社会などに翻弄されるオスカルや王族や貴族たちを描いたわけだが、アニメはその設定や枠組みを利用しながらも「自分の意志」「人間の意志の気高さ」みたいなのをもう一歩踏み込んで描こうという所があると私は見る。
 歴史の大きな流れに飲み込まれる悲劇と言うのもある。だが、その中でもキャラクターは一人一人が敵対したりすれ違ったりしつつも、生きる意志を持って歴史を作っている、と言うのは私好みの考え方だ。


 私は三十代男性で結婚する予定はないのだが、オスカルのような自主的で論理的で自律的で一本筋が通っている女性は好みだ。
 また、逆に今回、アンドレも非常に美しいと感じた。



カットされた場面


 カットされた描写としては、マリー・アントワネットの息子、ルイ・シャルル王太子が脊椎カリエスに罹り、母のマリーが嘆く場面。
病気に苦しむ展開は、片目を失明するアンドレに集約されている。また、不在のフェルゼンを思うマリーの女性的な部分はカットされている。なので、アニメ版は恋愛ものとしての側面は減じているかもしれん。しかし、オスカルとアンドレの二人の結びつきの強さはむしろアニメの方がしっかりしている。(なにしろ、長浜監督の第1話から10代のオスカルとアンドレの殴り合いコミュニケーションから始まったアニメである)
 また、ロザリーが誘拐された展開はなく、ロザリーはジャルジェ家にはおらずパリにいるので、黒い騎士をロザリーが射撃する場面はない。
 そのため、ロザリーとベルナール・シャトレとの恋愛的な出会いの場面はないのだが、逆にオスカルが確固たる意志を持って黒い騎士を撃ち、捕縛することでオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェの遺志、自主性が高まっている。
 オスカルは長浜監督のパートで、ド・ゲメネ公爵が背中から平民のピエール坊やを撃ち殺したことに立腹して公爵と決闘した。それくらい潔癖で騎士道精神を持った人だ。ダメ押しに、黒い騎士本人が「お前は俺の出会った中でも上等な貴族だ。だから武器を持たない俺を背中から撃つようなことはできないだろう」と言う。
 だが、オスカルは「それは相手による」とクールに言って射撃する。この時はアンドレの片目を奪ったことへの怒りの描写は少なく、正義感を持ち、治安に責任を持つ武人としてのオスカルである。これはジェンダー的に女だとか男だとか、ではなくて武人としての行動である。私は富野ガンダムとかが好きなので、ジェンダーとか関係なく女性も戦場に出る話が好きである。むしろ男性社会に対して恨み節を言うフェミニストが嫌いな部分もある。(社会構造の不具合は男女関係なく是正すべきである。また、私個人が女心を分からない男だということもあるが…)


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