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無敵超人ザンボット3最終回「超人とは」

ガイゾックはアメリカ合衆国である。


 この考えは氷川先生先生の「20年目のザンボット3」にも書いていない、私独自の着眼点であり、論断の誰からも承認を受けていないために今のところは個人の妄想である。ここは私のチラシの裏のブログなので、妄想を書きなぐってもいいのである。
 ガイゾックがアメリカ合衆国のメタファーであるという着想を得たのは、12話である。


 なぜ、そう思ったのかと言うと、悪の指揮官キラー・ザ・ブッチャーと味方の金髪美少女、神北恵子が同じ誕生日だからである。ブッチャーと恵子が同時に誕生日を祝うが、劇中で両者はそのことは一切知らない。視聴者だけに示される。これは、メタファーの表現として二人が同じものから派生しているというヒントとして読み取れるだろう。(そうでなければ、2000年生きたサイボーグのブッチャーの誕生日という一見無意味な情報の挿入は、単なるネタというだけの意味しかない。それでは僕が面白くない。深読みしたい)

 神北恵子は親は日本人なのに、なぜか金髪美少女で、すごいアメリカンな感じがします。

 神北家の実家は長野にある牧場で乗馬をたしなみ、恵子や神北家の人はアメリカン・ウェスタンルックの服装をしています。

 そして、神北恵子の誕生日と、敵であるキラー・ザ・ブッチャーの誕生日は同じです。何千年も前に宇宙の果ての野蛮人として生まれてガイゾックに永遠の命を授かったブッチャーと、ビアル星人の子孫で日本人の恵子が同じ誕生日って言うのは何でなのかわからないのだが。

きっと意味があると思います。

この二人が相似形で描かれるという意味は何なのか?

 キラー・ザ・ブッチャーはそもそものモデルがプロレスラーのアブドーラ・ザ・ブッチャーなので、アメリカのイメージがある。(実際のアブドーラ氏はカナダ出身でアメリカを経て来日)

 神北恵子も金髪美少女でウェスタンルックなので、アメリカのイメージを持つ。良きアメリカの部分が恵子で、ブッチャーはアメリカの悪役レスラー的なイメージかと。

(アブドーラ・ザ・ブッチャー氏はネイティブ・アメリカンの父親とアフリカ系アメリカ人の母親の間に生まれた黒人の血を引く人で、それをモデルにしたキラー・ザ・ブッチャーは宇宙の野蛮人がガイゾックに武器を与えられたサイボーグです。なので、キラーは白人の意志で戦争をやらされる黒人軍人、と言うイメージで見ることもできるけど、これはかなりデリケートな話題なので、あんまり深く言えないかもしれない。ただ、そういう実際の人種感覚や歴史感覚を持ち込むことで、ザンボット3には深みが与えられているのかな、と)


 そして、ブッチャーは最終決戦では必死に戦うがそれまでは毎週、贅沢品を使って遊んでいた。このブッチャーのお遊びは、空襲で破壊されつくした地球や日本の荒れ果てた光景との対比で、容易に太平洋戦争戦時中の日本とアメリカのイメージの対比として連想できる。


日米代理戦争


 キラー・ザ・ブッチャーはガイゾックと言う知識人に武器を与えられて、日本を侵略してレイプとかする悪い黒人軍人と言う風に見ることが出来る。あと、キラー・ザ・ブッチャーが毎回楽しんでいる贅沢は、戦後に日本を侵略したアメリカの家電製品や贅沢品の象徴である。

 で、第12話もメカブースト怪獣に蹂躙される長野の人々は「神ファミリーがガイゾックに立てついたから攻撃されるんだ」「戦わなければ殺されなかった」って言う。

 これは戦後の日本人が「日本みたいな小国がアメリカ様に立てついたから戦争に負けて当然」「日本が悪かった」という自虐史観のメタファーとも取れる。


 そして、ザンボット3は日本の戦国武将みたいな兜と武器を持つので、和風ヒーローロボットです。

 なので、無敵超人ザンボット3という作品は、「日本が戦ったから悪い」っていう戦後の風潮に対して「ガイゾックみたいな宇宙人は弱い奴を問答無用に殺しに来るから、戦うんだ!」という意思を示す思想がある、と見える。


「戦った日本が悪い」という戦後の史観に対して「宇宙や戦前の情勢は戦わなければ殺される状況であり、戦うことが悪いという戦後の軟弱者は愚民だ!俺は戦うぞ!」という、かなりマッチョで大和魂の極右思想を持ってる作品なんですよ。このアニメは。

 実際、主人公の神勝平は特に状況を飲み込んでなくてもとりあえず暴れて戦争をしたがる戦闘狂の少年って言う面もある。

 血縁関係で結ばれた極右暴力団の一族が、アメリカのイメージを持った宇宙人と戦う事で、アニメの中で日米の代理戦争をする、っていう雰囲気がある。

 もちろん、作中ではガイゾックがアメリカで、神ファミリーが日本だ、とか大東亜戦争は正しかった、ということは明言していない。だが、そう言う風にも見えるイメージの断片が散りばめられていることは事実。

(ただし、神ファミリーは生粋の日本人ではなく、江戸時代に地球に来たビアル星人と日本人との混血、と言う所で一捻りしてある)

 神ファミリーが終盤で特攻しまくるのも、第二次世界大戦の日本軍の神風特攻隊のメタファーでしょう。
 ザンボット3の序盤でロボットが戦って、その下で民衆が死にまくるのがザンボット3の特徴だが、それについては富野監督がはっきり「僕は戦争体験があるので、ああいうのが当たり前だと思います」と明言している。なので、ザンボット3とガイゾックの戦争は第二次世界大戦のやり直しの仮想戦記を巨大ロボットに置き換えたと見ることが出来る。(ジークジオンの一年戦争も、もちろんそうです)


氷川先生はブッチャーのお遊びについては、「20年目のザンボット3」で安彦良和先生や金田伊功氏の作画の紹介もかねて


人間を殺戮しながら、文化や生活様式の本質をわきまえず、どこか誤解して楽しむその姿は、一億総オヤジ化しつつある97年現在、新たな警鐘として写るのではないだろうか。


 と、書いてらっしゃる。オヤジ趣味の話はともかく、「人間を殺戮しながら、文化や生活様式の本質をわきまえず、どこか誤解して楽しむ」という宇宙人に対する考察は、フレッド・セイバーヘーゲンのSF小説シリーズ『バーサーカー』が自動殺戮兵器でありながら人間を中途半端に真似はじめる、というアイディアからの延長で考えられたものだろう。
 氷川先生は特撮オタクで、SFオタクの第一世代おたくである。
 だから、そういう考えになるのも当然なんですが。
 ですが、僕はもう一段階考えを詰めて、ガイゾックやバンドックのコンピュータードール8号は単なるバーサーカーではない、という見識を思いついた。
 なぜなら、コンピュータードール8号の最期のセリフは、「命のあるものをすべて殺戮する」というプログラムを古代宇宙文明に仕組まれて作られた自動破壊兵器のバーサーカーとは、少し趣が違うのだ。
 バーサーカーは生命体や文明を自動的に破壊するが、ガイゾックはそうではなく、「悪い考えを持つ生き物を破壊する」と、善悪の判断を行う、という思想的な態度を持っているのだ。

「我は……ガイゾック星人によって造られた……コンピューター・ドール第8号に過ぎない……」
「そうだ……悪い考えを持った生き物に反応するように造られている……かつて我……お前たちの先祖の星……ビアル星を、悪い考えが満ち満ちていた故に滅ぼせり……しこうして我、二百年の平和な眠りに就けり……だが、再び悪い考えに満ち溢れた星が我の平和を目覚めさせたのだ……その星にお前たちがいた……」

「憎しみ合い、嘘をつき合い、我が儘な考え……まして、仲間同士が殺し合うような生き物が、良いとは言えぬ……宇宙の静かな平和を破壊する……我は、そのような生き物を掃除するために、ガイゾックによって造られた……」

コンピュータードール8号は最期に倫理を説くのだ。
 「悪い考えを持つと、地球人を襲ってくるぞ」と子供向けアニメで倫理的に脅す悪役はハートキャッチプリキュア!とか聖闘士星矢Ωにもあるし、悪い子にはモクリコクリが来るぞ、という民話にも近い構造なので、それほど奇異なものではない。
 これは、富野ファンの間で長らく「ザンボット3は善悪の逆転」「戦いの意味の喪失」「勧善懲悪の否定」として語られてきたことだ。しかし、私はそれだけでもないと思う。
「それまでのロボットものと違い、ガンダムやザンボット3は主人公の正義が保証されていないのがリアルでエポックメイキングだ」と、オタク第一世代で本放送を見た人が長らく語ってきた。
 だが、私は生まれた時からガンダムもイデオンもあり、小学生でVガンダムを見た世代である。だから「ガンダムはそれまでのロボットアニメを変えた」と言う、おたく第一世代の人たちやガンダム芸人の言葉が体感として理解できない。むしろDVDや動画配信サイトや再放送で21世紀に入ってからブレンパワードもリーンの翼もザンボットも長浜ロマンシリーズやゴッドマーズやマクロスシリーズをほぼ並行してみていると、ガンダムやザンボットが突出して変えた、と言うのも一面的には真実だと認めもするが、同時にそれまでのアニメの文脈から必然的に出てきて、その後のアニメの歴史でも1ピースとして当てはまる、と感じる。


話がオタク世代論の方に逸れたので、元に戻す。
 正直に言って、私はフレッド・セイバーヘーゲンの『バーサーカー』は読んでないんですけど。富野監督がよく言及する禁断の惑星と2001年宇宙の旅は見て、読んだ。
 で、「良い考え」を願うコンピュータードールは、バーサーカーのような絶対的な悪の殺戮マシーン軍団と言うよりは、むしろ「絶対正義の命令を順守して、プログラムエラーを起こしたHAL 9000」とか「禁断の惑星の深層意識で理性を暴走させた「創造力育成装置」や、イデオンのイデ」に近いものを感じる。ガイゾックの巨大な目玉は、有期的になったHAL9000のカメラアイに近いし。キャプテンアースにもそう言う感じの目玉の人工知能コンピューターが出ていますね。
 もちろん、コンピュータードール8号はイデオンのイデとも微妙に違いはある。
 同時に、逆襲のシャアなどにも通じるものがある。
それは何かというと、一言で言うと「融通の利かないイデオロギー」です。


アメリカ軍は世界の警察官、ガイゾックは宇宙の警察官


「ガイゾック星人によって悪い考えを持った生き物に反応するように造られている」と自称するコンピュータードール8号。
 だが、ガイゾック星人本体や、他のコンピュータードールは登場しない。どうも、ガイゾック星人はイデを産んだ第六文明人のように、悪い心を許さないコンピュータードール8号に滅ぼされ、自滅したような気がするのだ。
宇宙の他の領域に居るのかもしれないが。
 200年前にコンピュータードール8号とブッチャーが滅ぼしたのは太陽系から47光年離れた恒星系カペラの惑星ビアル星である。ブッチャーがガイゾックの傘下に加わったのは2000年前である。
 バンドックの恒星間移動スピードやコンピュータードールの数は分からないが…。


 コンピュータードールは平和維持装置です。なので、コンピュータードール8号に「悪い心を持っている」と言われた地球人は実際、神ファミリーに石を投げて迫害したので、悪い生き物かもしれない。
 トップをねらえ!の宇宙怪獣に対する人類のように、シドニアの騎士の奇居子に対する地球人のように、W3(ワンダースリー)の地球人のように、宇宙に危険をまき散らす人類の方が宇宙全体から見ると、害虫だと見なされる作品の一つのように見える。
 だが、コンピュータードール8号の言葉を注意して聞いてみると欺瞞が隠れている。
「我……お前たちの先祖の星……ビアル星を、悪い考えが満ち満ちていた故に滅ぼせり……」
「宇宙の静かな平和を破壊する……我は、そのような生き物を掃除するために、ガイゾックによって造られた……」
序盤の第4話の神江兵左ェ門の言葉を思い出してみよう。
「すみ江さん! 我らの先祖のビアル星人が滅びたのは戦おうとしなかった、いや、戦い方を知らなかったからですぞ!」
 ビアル星人は科学技術は発展して、兵器を作る技術は持っていた。だが、戦い方は知らない戦わない民族だった。だが、滅ぼされた。
 戦争で互いに殺し合う地球人より、ビアル星人は平和な民族だったが、滅ぼされた。これは明かな矛盾である。


 ガイゾックの宇宙の静粛を守るとはどういう意味だったのでしょうか……第4話ではビアル星は争いのない惑星と説明されていたので、コンピュータードール第8号がバグを起こしていたのか、またはガイゾック星人が宇宙を司る存在でビアル星人を何らかの理由で都合が悪い存在と思ったのかもしれません。勿論地球人だって。ガイゾックのいう宇宙の静粛はただの独善なのかもしれません。

と、ロボットアニメ評論家の名無し・A・一郎氏も考察してらっしゃる。
ここに、トップをねらえ!の宇宙怪獣やバーサーカー軍団のような自動的攻撃装置との違いが見いだせる。恣意的な政治的意図を内包しているのだ。
 だが、コンピュータードール8号は恣意的な政治的意図を持っている自分であるにもかかわらず、コンピューターであるがゆえに、「自分は公平であり、善悪を判断して宇宙の平和を守っている」と自称する。その上、ガイゾックがこれまでに用いた人間爆弾や戦闘兵器などの戦術は残酷極まりない。
コンピュータードール8号は「武器を持ち、仲間同士で争う悪い考えを持つ生物」を否定して絶滅させるが、コンピュータードール8号が使役するガイゾックは兵隊もいるし、機械兵器やミサイル、水爆も装備している。このことから、ガイゾック星人がイノセントな存在ではなく武器の知識を持っているものだと推察できる。バンドックの守護者、死の騎士デスカイン、ヘルダインも上半身は剣と盾を持った騎士で、下半身には戦車のキャタピラが付いていて、ガイゾック星人にも戦う文化があったと推察できる。
「他の星が武器を持ったり文明を発達させるのは悪い考えだが、自分は使っていい」という偏向政治がある。
 これはアメリカ軍が世界の警察官として各地の紛争地帯に軍事介入したり、武器を民兵にばら撒いていくことに似ています。富野作品のアメリカ批評は、ブレンパワード、∀ガンダムやリーンの翼で行われています。


 あるいは、ガイゾックが使った兵器はガイゾック星人が考案したものではなく、キラー・ザ・ブッチャーのような併合して傘下に加えた野蛮人の文明を取り入れたものかもしれない。実際、ブッチャー以下のガイゾックの配下が全滅した後、バンドックのコンピュータードール8号はビアル一世とザンボット3を洗脳して同士討ちをさせた。どちらかが生き残っていたら、神ファミリーもガイゾックの新しい部下として組み込まれたかもしれないのだ。
また、コンピュータードールの、自分では何もできず、ブッチャーやメカに戦わせて、自分では洗脳や情報操作やなりすましで攻撃をする、という戦術はガッチャマンクラウズのベルク・カッツェに似ている。
 ベルク・カッツェの開き直った態度も「地球人は悪い心を持っているから、それを刺激して自滅させる。自滅するのは地球人が悪い心で互いに争い合うから当然の成り行きで、自分は悪くない」という思想から来ている。
 高度な科学と平和な社会を持っていたビアル星が滅ぼされたのも、ガッチャマンクラウズのベルク・カッツェの攻撃のようなものを喰らって自滅したのかもしれない。と、すると、ビアル星のテクノロジーの一部をガイゾックが吸収したのかもしれないという可能性も生まれ、勝平たちが戦っていたコンピュータードールに洗脳されたガイゾック兵たちの中には、ビアル星の子孫が含まれていたのかもしれない、と言う恐ろしい考えも生まれる。これは怖い。
 戦っていた相手が実は人間だった、と言うのは石ノ森章太郎作品や富野作品では多く見られるモチーフだし。
 ブッチャー以外のガイゾック兵がどこから来たのか、劇中では全く説明はなかったのだが。


 実際、最近もアメリカ軍は紛争地帯から自国の兵隊を撤退させるが、紛争地帯の平和維持民兵には銃器を渡す、ということをしている。
 キラー・ザ・ブッチャーもコンピュータードール8号から見ると現地徴用兵である。
 このように、要素をアメリカと日本に当てはめて考えると、やはりザンボット3は日米代理戦争の仮想戦記という面があるんじゃ?と思うのだ。
 江戸時代の日本的な鎧武者のような形のザンボット3を日本の家族が操り、太平洋戦争中の空襲のような廃墟の日本を守るために、憲法9条主義者のような非戦主義者から石を投げられつつ、贅沢を楽しむアメリカ人のようなブッチャーと世界の警察官を自認するガイゾックに対抗して、特攻する。


 無敵超人ザンボット3は前半で普通の戦後日本を描き、神ファミリーを弾圧して「お前たちが戦うから戦争が起こるのだ」と神ファミリーを批判する民衆を、戦後憲法の平和主義者で第二次世界大戦中の日本軍に対する自虐史観や穢れの切断処理を行う戦後日本人のメタファーとして批判している。
 そして、物語の後半では徹底した空爆や人間爆弾の無差別テロにより日本人も(あまり描かれていない)国連軍も地球人の世論も力を持つ神ファミリーに傾いていくのだが、ガイゾックをアメリカのメタファーとして見ると、「世界民主主義理念の世界輸出」への批判とも取れる。
 かと言って、ナショナリズムや民族主義の単純な礼賛でもないのは、地付きの人々の神ファミリーへの都合よく批判したり頼ったりする態度で注意書きがされている。
 前半では戦後平和主義の日本を、後半では民主主義理念のアメリカや西洋文明を批判している。では、どうすればいいのか?その答えは作品の中では示されず、この物語は問題提起をして一つの戦争が終わったところでぷつんと切れている。
「世界は日本もアメリカもひどいけど、どうしたらいいかは自分で考えろ!」「戦前の日本は勇敢に戦ったかもしれないけど、実際に死ぬのはこんなに怖いんだぞ!」「平和主義も戦争も、どっちも難しいけど、自分で考えろ!」と、テレビの前のお子様に突き付けたのだ。
う、うわぁ・・・。どうしたらいいんだ・・・。



民主主義的なコンピュータードール8号



 では、富野監督は「アメリカに対抗して戦うために、憲法改正をして戦争をするのが正しい」と主張しているのかと言うと、それも違う。
 富野監督は「アニメで子供たちに向かって戦争の悲惨さ平和のありがたさを描いたのに、21世紀に改憲論者が出てきてしまったのが悔しい」とインタビューで語っている。



富野:つまり怪我をしない戦闘なんてないわけだし、アクションなんてないのに、怪我をしないで済むと思わせるほうがよほどひどいんじゃないですか。その部分に関しては嘘をつかない。それだけは伝えたかったといえば伝えたかったこと。そしてそれは大人に知らせるよりは子供に知らせたほうがおそらく記憶として残ると思う。もっと言っちゃうと、僕にいちばん力がないと自覚するのはどういうことかと言うと、現実的な世間に対して教訓とか打撃になるようなところまで評価されてないってのは無念だということ。これオフレコにしていいです。改憲論者が平気で出るっていうことに対して、阻止できなかった自分っていうのがやっぱりつらい。
http://www.geocities.jp/tominohoeru/tomino.htm



 自民党の安倍晋三総理大臣政権は、景気回復や支持率の上昇を利用して最近、憲法改正ではなく憲法の解釈変更によって集団的自衛権の発動によって、アメリカと連携した戦闘行為を行えるようにしたいとの方針を表明した。


政権は「必要最小限度」に集団的自衛権の一部が含まれるとみなして、日本が武力攻撃されなくても武力を使えると解釈し、結論をひっくり返そうとしている。 
 安倍晋三首相は十五日、自らの有識者懇談会から集団的自衛権の行使容認を提言する報告書を受け、容認を検討する考えを表明。報告書が七二年見解を引用し「『必要最小限度』の中に集団的自衛権も含まれる」と提言したことに「検討を進める」と解釈改憲への意欲を示した。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014052302000113.html


 僕はあまり現実の政治にはかかわりたくないのだが、ガイゾックがビアル星を滅ぼしたのが恣意的な政治的意図による先制攻撃だとすると、コンピュータードール8号の行ったことは、集団的自衛権の発動かもしれない。
「宇宙全体の平和を守るための武力行使」というのは、究極の集団的自衛権ですからね。


 では、アメリカやガイゾックは何故、そのように平和を維持するために頑張っているのか?
 それは、ガイゾック星人や民主主義の平和を願う理念を忠実に実行しているからです。
 僕は社会学には詳しくないので、アメリカの政治についてはこれ以上踏み込まないようにしますが。ガイゾックと勝平の最後の会話、問答は自動殺戮マシーンにしては、非常に情緒的です。


ガイゾック「神勝平……我がシステムは破壊されすぎた……最後に聞きたい……なぜ、我に戦いを挑んだ……なぜ……?」
勝平「地球を守るためだぁ!」
ガイゾック「地球の生き物が……頼んだのか……?」
勝平「俺たちの地球だ! 守らなくっちゃ、いけないんだ!」
ガイゾック「自分たちだけのために……守ったのか……?」
勝平「違うっ!!」
ガイゾック「神勝平……本当に、家族や親しい友人を殺してまで……守る必要があったのか……? 悪意のある地球の生き物が、お前たちに感謝してくれるのか……? 地球という星が、そのような優しさを……?」
勝平「な、何をっ!」
ガイゾック「お前たちは勝利者となった……しかし……お前たちを優しく迎えてくれる地球の生き物が……いるはずがない……」
勝平「こいつぅ……」
ガイゾック「この悪意に満ちた地球に……お前たちの行動を……わかってくれる生き物が……1匹でも……いると……言うのか……?」


 星の優しさとか悪意とか、およそコンピューターが言いそうにない言葉である。おそらく、ガイゾック星人がコンピュータードール8号を生み出した時の気持ちは、呪いじゃない、祈りだったんだ。優しい世界の宇宙を作ろうとしたのだ。
 コンピュータードール8号は「地球の生き物が頼んだのか?」と聞く。これは裏返すと、コンピュータードール8号は「自分はガイゾック星人に頼まれたのだ」という自信、民主主義に支持された自負とも取れる。
 コンピュータードール8号は「家族や親しい友人を殺してまで……守る必要があったのか……? 悪意のある地球の生き物が、お前たちに感謝してくれるのか……?」と聞く。裏返すと、コンピュータードール8号は家族や親しいものの守る価値を認め、それ以外の感謝してくれない他人には価値を認めないという民族主義や血統主義に立脚しているとの姿勢の表明である。
 また、感謝する民に価値を認め、それ以外の民を抹殺するのはユダヤ教のヤハウェの律法にもつながる。
「この悪意に満ちた地球に……お前たちの行動を……わかってくれる生き物が……1匹でも……いると……言うのか……?」これも多数決原理の主張の極論だ。少なくとも、ガイゾック星人の制作者の一人はコンピュータードール8号を承認しているのだから。

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